中野信子女史の『メタル脳~天才は残酷な音楽を好む~』大勢順応志向ではない<非>社会的生活を否応なくせざるを得なくなる 近未来の人類へ向けられた人生応援讃歌エッセーです!!
中野信子女史の『メタル脳~天才は残酷な音楽を好む~』
<天才>とか<頭がよくなる>とかは保証できませんが
本書はあくまでもエッセー集として楽しめる1冊。
ですので純粋学問的批評であまり突っ込みすぎず
この厳しい日常生活の中で固くなった頭と体と心を
軽く解きほぐすような感覚でお楽しみ下さいませ。
能書き不要。
『へヴィメタルは贅沢なロケンロール!!』なんであります。
今回はこの本をご紹介します。
『メタル脳~天才は残酷な音楽を好む~』 (中野信子著、KADOKAWA、2019年第1刷)
中野信子女史(以下、著者)は前にもご紹介させて頂きましたように
かの人気番組『ホンマでっか!?TV』などでお馴染みの
脳科学や認知科学をご専門にされてきた研究者であります。
肩書きなどは本書に記述されていますし、
一般的にもすでに多くの方々に知られていると思われますので
今回は単刀直入に本書ご紹介へと移らせて頂くことにいたしますね。
前回の<エッセー>項目記事でも予告宣伝は出しておきましたが
本書には数多くの読者様のご意見・ご感想などを
一瞥する限りにおきましては確かに賛否両論渦巻くようです。
先に管理人自身の結論的読後感を提出しておきますと
「著者の階層的立ち位置を世間一般的に評価するならば
いちおう<高学歴インテリ層>ないしは<富裕層>ということになりますから
どうしても一定の偏りがあるのは仕方がないのかもしれないが、
一般の庶民的メタル愛好者の感覚なども事前にアンケート調査収集しながら
もう少し丁寧で客観的な科学的考察にまで踏み込んだ本に仕上げて頂きたかったなぁ~」と
いうところです。
そして本書の各章で語られていく内容を書評をするうえで
あらためてひとつひとつ再考察してみても
やはり個人的思い入れが強すぎて
「是々非々かつ少し軽薄な断定調だったかなぁ~」とは正直感受させられました。
個人的思い入れが強すぎること自体は
人間である限りは誰しも一定の「こだわり」があるわけで一向に構わないわけですが、
いちおう著者も科学者を自称されている学術研究者なのですから
音楽に関する純粋科学的啓蒙書としては物足りなさを
個人的には感受させられたわけですね。
音楽に関する学術研究に関しましては前にもご紹介させて頂いたことがありましたが
その時は教育効果や社会的意義などから見た論考内容でありました。
しかも調査対象はクラシック音楽を主題とする論考書でありました。
とはいえ、そこでもいわゆる『モーツァルト効果』なるものの
不確かさについても踏み込んで論じられていたのでした。
今回の中野信子女史による本書では<へヴィメタルロック音楽>を
主題に取り上げた「脳科学」や「認知科学」的観点から眺めた論考書というよりも
端的に『エッセー』集として軽く読み流しをされるのが
賢明だということに尽きます。
まとめますと本書そのものからはあまり純粋科学的知見が獲得されることも
なさそうですし、変な期待感を持ちすぎるのも禁物だということですね。
読者様にはその点を割り引いて頂きながら
今回は純粋学術的観点からの批評もこうした本書の性格からは
適宜軽く触れさせて頂くにとどめさせて頂くことになりますが、
同じ<メタル>愛好者同士ということで
あまり厳しすぎる論評にはなりすぎないように
温かく書評展開をしていこうと思います。
いずれにしましても良かれ悪しかれ
典型的事例とまで言い切ってしまってよいのかどうかは
多大な誤解を招くため恐れるところですが、
大多数の<メタル>愛好者の性格や志向(嗜好)性を
著者もまた持ち合わせていることだけは間違いなさそうなところです。
確かに<メタル>愛好者には強い「こだわり」や「思い入れ」が
強すぎるところがありますからね。
そこがまた『いいんじゃない(笑)』(みうらじゅん氏)であります。
それでは本書を紐解きながら<へヴィメタルロック(以下、メタルもしくは
HM=へヴィメタル/HR=ハードロックなどと適宜使い分けしつつ)>が、
世間一般的にはどのように見られてきたのかやその歴史・社会的意義について、
そして<主流>社会に馴染めないある種の性格を宿した人間に与える
心理的影響力やその可能性について語っていきましょう。
本書要約を終えた<エッセーコーナー>では
先月末日(3月30日)と今月の週末日はほぼ連続的に
素晴らしいメタル(HM/HR)バンドにライブハウス観戦で
お会いしてきましたのでその方々のご紹介と
こうした優れた日本のライブハウス「文化」の灯火が絶やされずに
今後とも生き残り続けていくことやライブハウスそのものの存続も
なされていくことを願いまして
すべての<非>社会的生活を余儀なくされている方々への
人生応援メッセージを兼ねた「讃歌」を皆さんとともに
「合唱(奏)」できればこんなに幸せなことは他にはありません。
ということで前回取り残してしまいましたお約束を果たしつつ
本書とともに<メタル>から何を汲み取っていくべきかを
考察していくことにいたしますね。
ちなみにロック音楽は必ずしも「反」社会的志向性へと
人々を誘導するような『悪魔』や『不良』の音楽などではありません。
1980~2000年代の<世紀末>にかけて
<へヴィメタル(特に『デス/ブラック』系)>に関して
一時期いわゆる『陰謀論』的なトンデモ本がごくごく一部で
話題となったこともあったようですね。
学研のオカルト雑誌『ムー』的な興味本位な見方で・・・。
そうした類の本が警告するように脳科学や人間心理学的観点から見て
確かに悪影響を及ぼす類のいわゆる真の『邪悪』な旋律や不協和音調が
入り交じったロック音楽もあるのかもしれませんが、
音楽と社会的猟奇犯罪などとの相関関係を明証できるような代物でもありませんから
真に受けすぎることはいただけません。
また『悪魔』といっても日本のようなキリスト教などの一神教的「神学」観が
あまり深く馴染んでこなかった宗教文化圏においては
いまいちそのイメージも掴みにくいところがありますし、
各バンドが発信する世界観やその各メンバーの個別的宗教観も異なりますから
一般的な『悪魔』観も当然<千差万別>ということもありましょう。
というわけで私たち一般の日本人<メタル>愛好者としては
むしろ一定の距離を保ちながら接することが叶うところが
宗教批判に対しては厳格な姿勢でもって臨まれる
そうした西洋宗教文化圏との違いでもあって
寛容な風土だとひとまずは捉えることが出来ましょう。
むしろ日本の場合には『悪魔』をキャラクターや物語風に
描きながら楽しむ『聖飢魔II』さんのような捉え方の方が
大多数の<デス/ブラック>系メタルバンドの特徴でありましょう。
導入部としてはちょっと小難しい比較宗教学的視点から眺めた
<メタル>論を語ってしまいましたが、
このような角度から各<メタル>バンドを眺めてみるのも
また面白い発見が出来るかもしれませんね。
いずれにしましても個別の「内面的」宗教観はともかくも
真に社会的な『悪魔』的猟奇犯罪や深刻な政治的闘争といった
「外面的」反映にまで進展していき
一般人がその惨禍に巻き込まれることだけは
「ご免被りたい」ところであることは言うまでもありません。
確かにこのように歌詞に盛り込まれたメッセージと音調(それも
人々を心理的に不安にさせるような暗黒色調に偏重させた
戦慄させるような旋律)が重ね合わされば
脳内の「周波数」や体調もマイナス方向へと変容させられることも
当然あり得ることですから十二分な警戒心をもって
接することも視聴する際には大切な姿勢だと思われます。
ですから本書のように<メタル>音楽を極端に持ち上げすぎるような評価にも
一定の批判的見方が必要だということですね。
そんなわけで管理人の方針はごくごく普通の一般的メタル愛好者としての
<メタル>音楽への敬愛感情を時に激しく迸らせながらも
あくまでも一定の距離を置きつつ冷静に眺めながら
書評を加えていこうと思います。
そうしたあまりにも熱を入れすぎない冷静な読み込み批評こそが
これからの<メタル>愛好者人口を増やす社会的貢献にもなるものと
確信しております。
最初から<メタル>音楽が有する暗黒面についてまで触れてしまいましたが、
<メタル>音楽ほどそのジャンルが煩瑣に細分化され
ロック以外の他の音楽ジャンルとの交流的影響を受けてきた音楽は
まぁ他にはそうそう見当たらないのではないでしょうか?
そんなわけで冒頭の紹介導入記事部でも
『へヴィメタルは贅沢なロケンロール!!』と語らせて頂きました。
この『ロケンロール!!』の叫びは故内田裕也氏への
日本ロック音楽業界における多大な貢献に対する感謝の念を
表したものでもあります。
あらためて遅くなりましたが慎んでご冥福をお祈り申し上げます。
そしてここでなぜ故内田裕也氏を唐突にご紹介させて頂いたかも
彼こそヘヴィメタルの原点として位置づけられている
『ロカビリー』の伝道者でもあったからです。
管理人のような30代の若い世代には
両親やその上の祖父母世代の方が青少年時代に親しまれていたロック音楽について
あまり詳しいことは実感としてはなかなか知り得ないわけですが、
どうやら年輩のロック音楽愛好家の方からすると
むしろ『パンク』や<デス/ブラック>系『メタル』よりも
ちょっとした古典的な懐かしい感じがする哀愁調が漂う
『ブルース』調と『ネオクラシック』調が混在したような
美しくも儚い『メタル』に年輩のロック音楽愛好者が
意外に多く見受けられる背景事情などもそこらあたりにあるそうですね。
『メタル』は何も若者世代だけに特権的地位を有した音楽ではないわけです。
そこらあたりの『メタル』史をこの導入部で語り出すと先に進みませんから
また追って要約本文記事内で該当箇所に触れる時期が来れば
学び理解し得た範囲で語らせて頂くことにいたしますね。
そうなのです。
ですから本書でも特に強調されていたように
<メタル>とは「反」社会的なのではなくして
<非>社会的(この<非>にはすでに社会の第一線から引退された年輩生活者が
特有に抱く生活感情<観>も込めています。)ないしは
ある種の社会「不適合」者が抱くような
「主流」社会への複雑な感情や哀愁を帯びた『ブルース』調ロックとでも
評価し得るジャンルに属する音楽だというわけですね。
著者も示唆されていたように今後の人類が突き進んでいく近未来社会には
ある種の「無機質」な世界観に身心ともに犯された広漠たる
<非>人間的砂漠が広がっているのかもしれません。
そうした絶望的な予兆を回避する一つの希望的哲学を提供してくれそうな
音楽として近年少しずつ世間一般にも<メタル>認知度が
高まってきているようですね。
頼もしいことです。
『重金属(鋼鉄)は<無機質(物)>ばかりではない!!』を合い言葉に
その<メタル>音楽の魅力を本書とともにさらに引き出してみたいと思います。
主流社会が「流動(融解)」化していく一方の時代に自尊心を剥奪された人間に残されたわずかな希望の光はいずこにあらむ!?
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それでは本書要約ご紹介へと入っていきますね。
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・<はじめに>
※著者が本心ではこれまであまり外部には語りかけたくなかったという
ある意味でご自身の心の「暗闇」とでもいう領域について
「なぜついに一般にも<解禁>せざるを得なくなったのか?」の魂が迸る原動力が
<メタル>音楽を取り上げさせるに至った経緯が宣言されます。
著者自身の<メタル>音楽との出会いの直接的きっかけについての話題は
次章から触れられていくことになるわけですが、
それと同時に
「なぜ今この時期に<メタル>音楽を積極的に紹介したくなったのか?」という
背景事情としては
現代世界は一見価値観が多様化しているように見えて
実はある種の「画一的」世界観だけが加速していっている様子に
違和(嫌悪)感や危機感を抱く人々が今後とも増殖し続けていく過程で
さらなる<対立>や<分断>がもたらされることに
深い悲しみや怒りが湧き起こっていくことに対して
社会に直接その怒りなどのストレス発散の「はけ口」を求めるのではなくして
内向的にその感情制御と癒し(救い)を音楽に求める人々が
一定数存在し得てきたことが提示されます。
そこにはただ激しいだけの「外交的」騒音楽では物足りないものがあったわけです。
著者自身が語られているわけではありませんが、
「外部」社会に直接激しさや政治的要望を投影させた音楽性を有する
『パンク』にではなく、人間自身の「内部」へ向けてその抑圧された
心理的マイナスエネルギーをいわば「浄化」させるような
ただ単なる激しさだけを求めるのではなくして
哀しみと「同期(調)」するような<逆>激音を必要とする
性格を有した人間もまた世界には存在してきたというわけです。
そのような性格を有した人々に絶大な支持をもって迎えられてきた
音楽が<メタル>だったというわけです。
著者もそんな「哀しみ」を深く心の奥底に抱え込んでしまった方の
1人だといいます。
そんな<生きづらさ>を感じ抱え込んでいる方々へ送る言葉が
本書を通じて<メタル>音楽を通奏低音として流しながら
語られていくことになります。
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①『第1章 わたしを救ってくれたメタル』
※本章では著者自身の幼少期からの心理的不安や抑圧感情を
制御してくれる音楽を求めていった遍歴過程が語られています。
詳しいことは本書に委ねますが、
人は誰しも<人間>として生まれ育っていく道程で
やがて<社会>を発見していくことになるわけですが、
その接点において個人の「内的」世界観と社会という名の「外的」世界観との間に
最初の<亀裂>が入り動揺が生まれ出てくるわけです。
その時にはじめて<人間>は激しく深い「孤独感」を抱くに至るわけです。
その「孤独感」といかに付き合っていくかで
その後の人生の軌道も大きく変わっていくわけですから
幼少期において自分なりの方法で独自に見出した心理療法的「知恵」が
その人なりの「救い」の糧となっていくというわけですね。
そしてその心理的「救い(癒し)」の1つの方法論として
芸術に活路を見出す人もいるというわけです。
ひとくちに芸術と言っても多種多様なものがありますが
著者の場合にはひとまず音楽にその要素を見出されたのでした。
それも「色」の付いた音楽を・・・。
それが著者にとっての最初の<へヴィメタル>との出会いだったそうですね。
著者の「高学歴」進学校生特有の独特な感覚は
管理人も似たような道程を学生時代に辿りましたので
ある程度までは共感するところも多々ありますが、
本書評の読者様には様々な人生経歴を経てこられた方も
当然おられるわけですからそういった「高学歴インテリ層」特有の
「色」は出来るだけ薄くしながら幅広い裾野の<メタル>愛好者にも
共通するような感覚を想像しながら語っていこうと思います。
いずれにしましても<メタル>愛好者が「高学歴インテリ層」で
あろうとなかろうと、また経済(社会)的「富裕(優越)層」であろうとなかろうと
<メタル>愛好者に共通する性格志向や嗜好性は
その<メタル>特有の「緻密さ」や「厳密さ」、
また「様式美」といったある意味で社会的評価への知覚過敏さとも
通底するものがあると言えましょうが、
その<見栄えの良さ>をやはり大きな評価対象に据える性向を有するからこそ
そこに何らかの「美意識」を抱かれてきたことだけは間違いなそうだと
ひとまずは要約することが出来ましょうか?
要するに<メタル>愛好者は「超」がいくつも付くほどの
「ガンバリスト(頑張り屋さん)」なんですね。
そうでなければあんな難しい楽曲を創作することなど叶わないでしょう。
つまり、一見<非>社会的に見えても
実はかなり社会への柔軟な適応力も<メタル>愛好者にはあるのではないかとの
よくある疑惑問題であります。
そのあたりの著者自身による「質感」は
<メタルは緻密な「足し算」の音楽>(本書36~39頁)で
分析考察されています。
そして本章におけるその他の<読みどころ>としては
やはり<メタルが自己評価の低下を食い止めた>(本書32~35頁)や
著者自身が「女性」であることに由来する独特な感情について
触れられた<「女性であること」へのいくつかの嫌悪感>(本書47~51頁)
あたりが挙げられます。
これ以上の詳細な概要ご紹介につきましては
未読の読者様向けにここでは「留保」しておきますが、
上記2項目点について管理人なりに感受したいくつかの視点を
以下に提示しておきますね。
・「自己評価の低下」問題について。
この問題点については最近も敬愛するご縁ある方が
ブログでも語られていたのですが、
現在の高度に複雑化する一方の世の中で
いわゆる「社会」が求める水準(ハードル)が著しく高まってしまったがために
十二分に「適応」することが叶わず
どうしても「おいてきぼり(落ちこぼれ)」感を強く抱いてしまう
人間が一定数出てきてしまうことになります。
ことに高度に「知的」文明化が果たされてしまった世の中では
その恩恵を受ける側とその文明を創造する側とで
大きな「壁(格差)」が出来てしまうわけですね。
ひと昔前ならば「努力すればどうにかなる」的な楽観的な教育観や
仕事観などで頑張り続けることが出来た時代もあったかもしれませんが、
もはや現状ではそんな生やさしい段階にはありませんし、
現在の「公(大衆)」教育ではそんな高度に複雑化した「社会」に
「おいそれ」と「適応」出来るような状況にはありません。
まず<人間>としての「ゆとり」もありませんし、
そうした高度知的「社会」に適応し得るために必要な
いわゆる「高等」教育を受けるための経済的「余力」すらない層が
多発・続出しているからです。
そうした層を何らかの形で救済しようにも
「条件」設定が厳しすぎてすでに幼少期の段階で
「選別」と「排除」の対象とされてしまっているからです。
運良く何とか「社会」が求める水準に到達し得たとしても
「変化」が激しく先を見越せない時代においては
すぐにも「落ちこぼれ」てしまう危うい環境条件にあるわけですから、
おちおちと眠っても遊んでもいられないのです。
まさに『RAT RACE』
(インペリテリ・アルバム『SCREAMING SYMPHONY(スクリーミング・シンフォニー)』
所収曲)の世界なのです。
今管理人はこの<世界最速のギタリスト>かどうかは知らんけど
(なぜか関西弁ですみません。)『インペリテリ』さんが
創作された楽曲集を作業用BGMとして流しながら
文筆創作させて頂いているわけですが、実は学生時代からも
この『インペリテリ』さんの激しさに頑張り続ける「活力」を
授かってきたのでした。
著者も言及されているように一見激しすぎる楽曲は
知的学習に相応しくない(もしくは「頭を悪くする!!」)とする
俗論もありますが、管理人の体験談からは
必ずしもそんな感じはしなかったようですね。
当時は『ビジュアル系』全盛期でしたから毎日のように
気分(戦意)を高揚させるような音楽ばかり聴いていましたし、
暗記科目を勉強している時にはラジオもよく聴き「ながら」学習も
していました。
特に英単語や世界史など「暗記物」を淡々と黙々と覚えようとする時には
リズム感とともに記憶に定着させやすくなるそうですからお薦めですね。
何事も昔から伝承されてきた「古典的」学習法が
常に正しいとは限らないということです。
大切な「心」は自分に合った学習法(リズム)を
いち早く編み出す知恵と工夫をし続けていくことです。
要は心理的な不安を軽減させてくれるような
ご自身に合った音楽を聴いて多少は思春期(少年少女期)特有の
不安感を抑制出来ればよいわけです。
さて、「自己評価の低下」問題の話題でしたね。
話が少し脱線してしまいましたが、
「自己評価の低下」を<絶えざる努力(ひたむきな向上心)>と
<メタル>で抑制出来るのかどうかは
正直言って今の管理人の経験知では確たることは断言出来ません。
ちなみにかつて管理人の敬愛するロックバンドのボーカリストで
腕に『努力・根性・気合・信念』なる文字を刻み込んでおられた方がいましたが
学生時代に管理人は紙に書いて机上に貼って自らを鼓舞しておりました。
今は懐かしき青春の1コマ。
もちろん現在でも「心」が折れそうになる時には
この標語を思い浮かべながら絶えず苦しかった頃の「原点」を振り返ることもあります。
まぁ、そんな「余談」はどうでもいいのです。
話題を戻しますと、
「どうすれば<自己評価の低下>を抑制することが叶うか?」という難題ですが
少なくとも<メタル>音楽を聴くことのみで<自己評価の向上>へとつなげる即効性を
過剰に期待してもあまり効果が得られるとも思われません。
あくまでも心理的な不安を多少は軽減してくれるのには役立ってくれるでしょうが、
基本は努力とその方向性が常に見合っているかを
実際の体験知の中で強く構築していく過程でしか
<自信の源=自己評価の向上>は望めないだろうことは
一言しておきますね。
しかもこの<自己評価の向上>は誠に厳しいことに
<人間>が「社会的」生物であることから
他者の評価によってしか確認することも出来ないわけですよね。
なぜならば、自己評価には客観性がないために
単なる自己満足(気休め程度)にしかならないからです。
この段階だけで満足してしまうと
永遠のいわゆる「中2病」を拗らせたままの状態で終始してしまうことになります。
(念のため、「中2病」的感覚がすべて悪いと言っているわけではないですよ。
例えば、仕事などで未知の体験領域にまで踏み込まざるを得ない状況に
立ち至った時などには確かに「根拠なき」自信でもって飛び越えざるを得ないことも
ままあるからですね。
もちろんその大前提として事前の「想定」予行演習や日頃からの実践体験知の
積み重ねがあってこそではありますが・・・。
そのような追い込まれた環境条件下においては「中2病」的な鼓舞も
その後の成長を促す原動力となってくれましょうから。
とはいえ、常に緊張感を抱え込むことになり文字通りの<四苦八苦>状態へと
追い込まれるわけですが、こんな時にどうすればよいか?
まずは複雑な仕事などの場合には<因数分解>的に作業工程を細分化し
頭の中だけでシミュレーションすることなく
メモやスケジュール管理を十二分にしておきます。
そして仕事を完成に至らせるまでに必要な資料や
場合によっては支援を仰がなければならない人選や日頃のご縁関係の整理、
「根回し」(事前打ち合わせ作業)などを作業開始「前」に終わらせておくことです。
それでも仕事には想定「外」のことが立て続けに起きてきますが
多少とも心理的不安を軽減することは叶います。
「納期」が決まっている通常の場合にはそのことを絶えず意識しつつ
後は事前に決めた作業手順に従って「没入」していくだけです。
こうした個別体験知の積み重ねの中で培ってきた1つ1つの「教訓」が
想定「外」の場面においても応用がきくようになるわけです。
まとめますと、その1つ1つがまさに<自己評価の向上>へと
つながっていくというわけです。
その軌跡には他者による社会的「信頼」評価も付加されているから
なおさらですね。
この他者による「信頼」を喪失させてはならないと
さらなる研鑽を重ねようともがき続けるからこそ
逆説的にですが「自己」信頼感も高まっていくというわけですね。
ただそれはあくまでも仕事などの「社会」的評価が要請される局面での
話であって、人生全般の場面にすべてが当てはまるわけではありません。
先程は<人間>が「社会的」生物であるとは断言的に定義づけしてしまいましたが
必ずしもその「社会的」生物だけに限定された領域を生きるのが
<人間>という生物なのだろうか?
管理人は今後の書評テーマを通じてこの未知の領域にまで
探究挑戦していく予定でおりますが、
おそらく<人間>は「純」社会領域と「非」社会領域を
絶えず<移動>し続けていく生物だということです。
この意味で管理人は<人間>の上位概念として生物としての<ヒト>を
設定・接続させて今は仮定的に考えている段階にあります。
<人間>における人生がそのような性質を宿したものだとすれば
ここで何が言えるのでしょうか?
例えば、受験や就職活動の「失敗」、「失業」。
また友人知人や信頼していた人々による「裏切り」行為があったときにも
それだけで人生そのものが「終わった」ことにはならないということですね。
人生における体験「値(知)」がまだ圧倒的に足りない若者の場合、
ここで「人生終わった!?」と<錯覚>してしまうわけです。
この<錯覚>を乗り越えるうえで意外にも「中2病」的思考法や発想感覚が
あなたご自身の「いのち」を救うことになるわけです。
苦しい場面が来た時には是非とも忘れないで頂きたいのです。
何事も究極的には自己の心の弱さとの「向き合い方」次第なのです。
思慮深い方ならおわかりのように「戦い方」ではありません。
「戦う」と身心ともにボロボロにされてしまいます。
特に「うつ」病(状態)にある場合などはなおさらです。
それとこの「中2病」感覚とともに大切な感覚があります。
それは誰かが必ずあなたを見守っていてくれているという皮膚感覚であります。
ここまで来れば「愛着」問題ということになりますが、
この問題点につきましては次章以下で著者の問題意識とともに再考してみましょう。)
さてこのように語ってきましたが、
著者とは異なり管理人も含めまして読者様各人各様で
置かれた環境条件も能力差も当然あるわけですから
どうすれば「自己評価の低下」を多少でも軽減出来るのかは
ご自身で「発見(体認・体得)」して頂くほかないのです。
管理人は真面目なことしか言えませんが、
おそらくその体感は経験でしか補えないのではないかといったところに
収れんしていくのでしょう。
・続いて2点目の<「女性」ならではの悩み>ですが、
ごめんなさい。
管理人は「男性」陣なんでどうしても
そこの微妙な感覚が掴めません。
とはいえ、「男性」からの視点であらためて<へヴィメタル>史を
俯瞰的に眺め直してみると見えてくるものはあるようです。
そこで「女性」である著者のような見方に
むしろ意外なものを感受したわけです。
それはもはや現在では「女性」の方が活躍していると言っても
過言ではない<メタル>業界ではありますが、
かつては<へヴィメタル=マッチョマン思想全開!!>といった
ある種の男性優位型「差別」意識もあった時代があったからです。
今でもある種の思想を体現したバンドや各プレーヤー、
歌詞にはその名残が確かにありますが、
決して「一般受け」する時代ではありませんし、
「男性」陣にとりましても時代とともに
「男性」特有の世界観も少しずつですが変化し続けてきているわけですから
共感し得るところは正直出てきたとしても
そうした感覚を「常に宿し続けていろ!!」といったような
マッチョ過ぎる圧力を感受する楽曲に触れると
気分が萎えてしまうことがあります。
そうした「男性」陣だけで盛り上がること自体を否定しているわけでは
ありませんよ。
管理人も上記ボーカリスト氏が属していたバンド『シャムシェイド』さんのことですが、
20代前半の学生時代には前にも語らせて頂きましたように
<男性限定>の『男樹』ライブに参戦させて頂いた経験もありましたしね・・・。
それはそれで独特の体験??が出来ます。
(変な意味ではありませんよ、念のため。)
ちなみに『シャムシェイド』さんは
数少ない当時の「ビジュアル系」文化圏の中では
『メタル』と『パンク』を融合させたような実は贅沢なロックバンドだったのですよ。
しかも上記リンク先における『シャムシェイド』さんに関する解説記事では
インディーズ時代は<ビジュアル系>だと説明されていますが
確かに姿格好はそんな感じだったかもしれませんが、
「音」的要素としては今聴いてもまさしく<メタル>志向としか思われません。
それはともかくといたしまして・・・。
やはり昔と違って「女性」メタルバンドやメタル愛好者も増えてきたことから
逆に<女性限定>ライブもあるそうですし、
<メタル>と言えば昔ながらの男性臭もまだまだ色濃く残っている音楽文化ですから
いわば「男性化」した「女性」。
このように語れば「偏見」として政治的に正しくはないのかもしれませんが、
ある種の「フェミニズム」文化を通過してきたからこそ
<メタル>業界にも「女性」陣が続々と進出してくる背景事情も
あったのかもしれませんね。
とはいえ、著者のように確かにこれまでの「男性」優位文化社会への嫌悪感から
<メタル>にその対(抵)抗思想を見出された「女性」もおられるようですが、
逆に「女性」の<メタル>愛好者や<ガールズメタル>バンドを組んでおられる方に
是非ご意見をお聞かせ願えると「男性」読者様にも
何かと参考になろうか思いますので「質問」させて頂きますね。
むしろ<メタル>文化思想史の文脈からは
これまでの<メタル>が「男らしさ」を前面に押し出してきた
ある種の「保守的」な音楽観を保持してきたことに誇りを持ってきたのだとすれば、
逆に「女性」陣からの「男性」陣への問いかけとして、
近年の傾向として<男らしさ>を喪失させてきたように感受されることに対して
『もっと<男らしさ>を前面に出せよ!!』といった応援メッセージや
<女らしさ>を訴えかけるような<ガールズメタル>バンドが
出て来ること自体の評価が一概に悪いことと断定し得るのかどうかということです。
ここまで話題が進展してくれば
こんな世の中に流布するありきたりな「二分法」など管理人も
にわかには信じがたいわけですが、
一般的な『<メタル>=保守的/<パンク>=革新的』といった
見方も意外なところでそれぞれの持ち味の「原点」へと立ちかえるという
意味では新鮮味を帯びてくるかもしれませんよ。
ですからすでに「男性(漢=おとこ)」感たっぷりの
<ボーイズメタル>は満載なわけですから
今後は「女性」感たっぷりの
むしろ「女性」でしか伝えきれないメッセージ性を込めた
<ガールズメタル>バンドに出会いたいものです。
そこに管理人などは期待もしていますし、
今後の<メタル>業界向上にも資するのではないかと
可能性を見出しているところです。
そんな問題意識を提起してみました。
むしろそうした「女性」ならではの問題意識を持った
<メタル>バンドが進出してきてこそ
いよいよこの業界も「花開いて」いくのではないでしょうか?
管理人もそんな<ガールズメタル>バンドを探して
各ライブハウスを今後とも追跡調査のうえ
ご紹介していきますね。
「乞うご期待」でございます。
ただ著者ご自身の「女性」感覚が何ともこれほどまでに
ニヒリスティック(虚無感情的)に抑圧されたものだったとは・・・。
管理人自身、読み進めてきて一番「つらく」痛ましく感受された場面でした。
(<人間のネガティブな部分に向き合う音楽>本書51~53頁)
それほどまでにこれまでの男性「優位」社会が「女らしさ」を
剥奪してきたということでしょう。
だからこそ単純に保守的なイメージ像だけに特化させた
「男らしさ」や「女らしさ」の話題で終止符を打つわけにはいかないわけです。
もっともこうした過激な男性「優位」論とともに
いわゆる極端な「フェミニズム」論もご免被りますが・・・。
「女性」である著者ご自身もいちおうはその点を
<人間のネガティブな部分に向き合う音楽>の小項目内(本書52頁)で
語られていたところでした。
「保守」と言ってもこれまでのいわゆる保守「派」の提言は
どれもこれも男性「優位」論ばかりに極端に偏らせたものばかり。
畏れ多くもかの「やんごとなき」方々に対してまで
俗人が政治的介入するとは・・・。
このような方々が『日本国紀』なるものを語っているのですぞ。
日本古代の『ヒメ・ヒコ共立体制』という
真の<まつりごと(和合政治)>という知恵すらご存じないようですね。
あくまでも西洋から借用させた近現代政治理論とやらに
接ぎ木した程度の浅はかな提言としか見受けられないところに
深い悲しみを感受するところです。
もっと宇宙における『陰陽』理論を深く学ぶべきでしょう。
余所の国ばかりを批判している方々は
某国以上の男性「優位」型<超>儒教(<学>ではない!!<宗教>としての
儒「教」です。)思考に嵌り込んでいる矛盾に
なぜ気が付かないのでしょうか?
これまでの<自虐>史観的見方を一変させて
日本人自身の「誇り」を回復させようとする気持ちは
管理人も共有するところですが、
極端にまで議論や批判を突き進めていくと
その<自虐>も<他虐>へと至るという
いわば『ミイラ取りがミイラになる』の道を辿ることになります。
あくまでも「中庸(中道)」が肝要(寛容)と思う
今日この頃の管理人でした。
それこそが『大和(やまと・敷島)』の<道>というものでしょう。
少なくとも管理人自身は『日本』に住まう住人の1人として
そのように信じております。
そんなことを新しき「時」に移ろう『令和』を前にして
少し思い浮かんできた次第であります。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
②『第2章 メタルが真の強い「個」を育む』
※本章では著者のこれまでの「愛着」問題に関する論考エッセー書
(『ヒトは「いじめ」をやめられない』小学館新書、2017年や
『シャーデンフロイデ~他人を引きずり下ろす快感~』幻冬舎新書、2018年
など)をすでにお読みになられた方ならご存じの話題ばかりで
少し「退屈」だと思われますが、
こうした論考書で提示された知見などを土台に
<ヒト>の個体的特質と<人間>の集団的特質の<あいだ>にある
微妙な揺れ動きを<メタル>が発するメッセージ性や特徴点、
そしてそこから導き出された「個」の強靱さとともにその脆弱さについての
話題と絡めて触れられていきます。
こうした問題意識は本章から最終章にかけて手を代え品を代えて
いわばギター「リフ」を聴くかのように
言葉の<リフレイン(繰り返し)>がなされていくことになります。
ですから同じことを繰り返しているだけで
すでに分かり切った方におかれましては「単調」に思われることもありましょう。
そのような読者様で特に時間がなくお急ぎの方は
ご自身のご興味ご関心あるテーマを中心にざっと目を通すだけでも
十分に楽しむことは出来ましょう。
とはいうものの数多くの書物を読み込んできた管理人としても
第一読後感では冒頭であえて否定的な評価を提示してしまいましたが、
書評に際してあらためて丁寧に読み返してみると
またあらたな発見もあるものです。
一見内容が「薄い」と感受された作品でも
再読してみればまた深読み出来るような書物であれば
それなりに第一印象では物足りなさを感受させられたものであれ
いちおうは「成功」している部類書と評価され得るのでしょう。
管理人の評価ではそうした文脈から各種書評などを観察していると
「否定」的なご意見・ご感想もあった一方で
「肯定」的なご意見・ご感想もあるといった感じで
両極端の評価がなされていたように見受けられましたが
あえて5段階評価するならば「3・5」点くらいかな。
とはいえ、
よく<メタル>や<メタル>愛好者の特徴を捉えているとは思いますし、
その『ブラック(暗闇)』部分もきちんと提示されている点で
案外主観的に走りがちな「愛好者」としては
公平な論評だったと感受されたところに好感が持てました。
<メタル>と言ってもこの世界ほどジャンルが細分化され
「超」マニアックな音楽もありません。
そのジャンルによってそれぞれの<メタル>観は当然違ってきますし、
ジャンルを横断的に歩き回っているうちに
それぞれの長所・短所も見えてきますから
だんだんとその全体観も掴めていくことになります。
ですから初心者の方がいきなり<デス/ブラック>系メタルを聴けば
引いてしまいそれ以上<メタル>の世界を歩こうと決心することも
なくなることもあるかと思いますが、
そんな方こそ例えばクラシックやジャズなどの他ジャンル音楽の要素が入り交じり
影響を受けたと思しき<ネオクラシック(以下、ネオクラ)>系メタルや
<シンフォニック>系メタルなどを聴けば
まったく異なった感触を受けることがままありましょう。
そうした「意外性」を他の音楽ジャンル以上に体験することが多いのが
<メタル>の特徴とも言えましょう。
さて、ここでは先に触れた<メタル>を通じて解析された
「個」の強靱さと脆弱さについて、
ひとまずは本章要約においては
前者の「強靱さ」に絞って語ってみることにしましょう。
後者の「脆弱さ」については第4章要約時に
あらためて<まとめ>とともに語ることにいたしますね。
<強靱さ(長所)>としてまず挙げられていたのが
<「怒りの音楽」が怒りを緩和する>(本書72~75頁)、
次に挙げられる『正義』は必ずしも長所ばかりをもたらすばかりではなく
むしろ暴走を促進させることもありますので
長所として掲げるには少し躊躇すべき点もありますが、
人間によってもたらされる不条理や理不尽な諸現象が世界を
荒れ狂わせる中、一定の距離を置きながら
冷静な姿勢で眺める様を仮に正しく『正義』と名づけるならば
まさに長所も内在させていると捉えることが出来ましょう。
その文脈で<メタルは「正義」の感覚を醸成する>(本書80~82頁)を
読んでいきますと得心する点も湧き出てくるかと思います。
特にこの<メタルは「正義」の感覚を醸成する>(本書80~82頁)は
次の第3章の<メタルファンはわざわざ成功を回避する>(本書147~149頁)とも
通底する問題意識が奏でられています。
むしろ「個」的意識が強すぎるために
仕事や勉強などを含めて生活全般において能力面で高い到達度を
容易に達成してしまう「強靱さ」があるがゆえに
あまりにも「成功」しすぎると著者長年来の主張でもあった
他者の<嫉妬>による引きずり下ろしに巻き込まれてしまうことを
よく理解しているがために自身の「社会」での身分安泰のために
あえて「回避」というよりも「控えめ(低姿勢)」戦略を
採用しているとも言い換えることが出来るかもしれませんね。
この点ここ数十年(特に「失われたウン十年」の時期と重なりますが)の
最近の特徴としては、
特に「にわか」成功者のような人種によるデリカシーに欠けた言動が
多々見受けられてきたわけですが、
もひとつ「成功」の意味を弁えておられないように感受されるわけです。
つまり、『あなたのその「成功」とやらはあなたご自身だけの
力で成し遂げられたのですか?』という率直な違和感であります。
他者をまるで将棋の駒のように「利用」するだけしておいて
手柄は独り占めにして、あとはその批判をむしろ覚悟しているために
メディア戦略などを駆使して金をばらまいたり、
これ見よがしに大口寄付するなどで「回避」し得たと<錯覚>しているような
人種があまりにも多すぎるからです。
真の「成功者」や「富裕層」であれば
むしろ本当に慎ましやかに「こっそり」と寄付などをするでしょうし、
自己宣伝めいた演出には思慮深く対応することでしょう。
こんなところにまさしく<欺瞞>の匂いを嗅ぎとってきたのが
<メタル>愛好者だと著者も第4章などで繰り返し主張されています。
本章の<まとめ>にも当たる
<非社会的であることが強い「個」を育む>(本書100~102頁)を
読みながら感じたことがあります。
言ってみれば<メタル>愛好者は「組織集団」でのチームワークプレイなどは
苦手かもしれませんが、それぞれが「特殊」技能を持ち合わせた
「自己完結型」個体組織のような「諸」軍団だということです。
軍隊に例えればその組織形態によって厳密には区別することも難しそうですが、
ある軍事評論家がどこかで言及されていたように
「集団」的機能性に秀でた<レンジャー部隊>よりも
「個体ゲリラ」的機能性に秀でた<特殊部隊>のような存在が
<メタル>愛好者に多々見受けられる共通点なのかもしれません。
もっとも何度も繰り返し注意を喚起しておきますが、
あくまでもどのような愛好(嗜好)者にも
例外的性格を有した方々はこれまた大勢おられるわけですから
安易な「一般化」は避けなくてはなりません。
あくまでもこの書評内の論考では
本書に寄り添いながら触発された点などを参考に
「仮説」的に考察しているにすぎないことはご承知下さいませ。
いずれにしましても、
『内向性の時代』(スーザン・ケイン著、古草秀子訳、講談社、2013年)という
ひと頃の話題書もありましたが、
激しく「変転」していく社会情勢に生きる時代だからこそ
機動性のない「組織集団」よりもアメーバ状に<側面展開>できる
機動性「個体」群団の方が
かえって<しなやかさ>かつ最後まで<やり抜く>力を引き出すことが
叶うチャンスに恵まれることがありそうですね。
著者もそのようにまとめられています。
『内向性の高さが、同時に社会からの影響の受けにくさであるなら、
それはこれからの社会を生きるうえで強力な武器となるでしょう。
なぜなら、いまの時代というのは社会そのものがリスクだからです。』
(本書102頁)
余談ですが、管理人の敬愛する<沖仲仕>の漂泊生活労働哲学者である
米国の故エリック・ホッファー氏も
著書『現代という時代の気質』
(柄谷行人訳、ちくま学芸文庫、2018年第2刷)というエッセー的論考文で
語られていた趣旨と共通する点があるようでした。
「<自分>のことを語らずに<自分>について触れた最初の人」
(大意、上掲書<訳者>解説162頁ご参照のこと。)が
モンテーニュだったという視点もユニークな見解で面白かった本でしたね。
最近はまたこのモンテーニュも各所で話題となっているそうですが、
「生活」知識人としての見方こそ大切な視点を再発見するそうです。
後の第4章でも触れますが現代は<ポピュリズム(大衆迎合主義)>の時代だから
『大衆』の時代などと安易に決めつけする論調が右から左までありますが、
エリック・ホッファー氏の手にかかれば
「何を言っているんだい!!」といったところでしょうか?
むしろ『知識人(専門家)』の時代であり、
その階層に対する信頼性が失墜しているからこそ
逆にそのような一般民衆からの突き上げ批判を
自身の「責任回避」の論理として<ポピュリズム(大衆迎合主義)>と言って
逃げ回っているだけではないか・・・と。
そんな「風刺絵」も描けそうです。
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※本章は前章と共通する話題で流れてきておりますし、
一番本書内で「誤解」されやすい論考箇所なので
大方の書評家なども言及されておられたように
正直論評しようもありません。
少なくとも<メタル>を聴けば「にわかに頭が良くなる(悪くなる)」とは
確証出来ませんから。
とはいえ、著者はいわゆる『モーツァルト効果』を否定するような
「反証」事例を提示(本書130~131頁)されているわけですが、
<メタル>効果についても
<メタルを聴くと頭がよくなる>(本書123~126頁)で
若干の研究調査から得られた知見に基づいた
著者独自の「推論」解釈を加えられてはいるわけですが、
何度も繰り返しになりますが、
「直接的」因果関係があるのかどうかは「確証」出来ないところで
あくまでも「推論」解釈にしか過ぎません。
とはいえ、<クラシック>(「モーツァルト」)にせよ
<メタル>(「メタリカ」)にせよ他のどんな音楽ジャンルにせよ
ご自身の性格にあった楽曲(旋律)に馴染むことで
心理的不安を軽減出来ることは間違いないところでしょう。
そうした落ち着いた環境下を確保することで
勉強や仕事に勤しむことで能力や能率が向上していくことも
間接的ながらあり得ることは間違いないところでしょう。
但し、これも「努力」とその「方向性」次第ということは
すでに語り終えました。
あとは<浮気しない相手なら断然メタラー!>(本書150~152頁)と
叫ばれても1人1人の「人格(人間性)」次第ですから
そんな安易な「一般化」などされても管理人は付いていけません。
とはいえ、1つだけ言えそうなことは
いわゆるメジャーデビューを果たして有名になったメタルバンドだけしか知らない、
もしくは、追っかけたことがない「ミーハー組」層とは異なる
小さな場末のライブハウスのインディーズバンドにまで応援に駆けつけるような
コアな<メタル>愛好者には本当に地味で真面目な男女が数多くいますから
真摯に同好者同士語り合うきっかけもありましょうし、
共通する趣味(嗜好性)や価値観を持つ度合も高まるでしょうから
確実な出会いの場としては確かに著者が強調されるような
奇跡の運命の人に出会えるのかもしれませんね。
そういった意味ではライブハウスも「出会いの場」の1つの
きっかけの場所にはなるのかもしれませんね。
管理人などは「青春期」の一時期には男子校に通学していた時期もあったためか
今では女性の方と語り合うことに対する「免疫力」は出来てきたようですが、
今でも正直変な心理的な「障壁」を作ってしまい
苦手意識こそ薄れたもののやはりいつも一定の緊張を
どうしても感じてしまうのです。
それだけ女性には気を遣うわけです。
おそらく女性の方にも男性に対する
そのような高い心理的「障壁」意識を持たれている方も
他の音楽ジャンルに比べればひょっとすれば多い傾向にはあるのかもしれませんね。
知らんけど・・・。
そもそもが「超」マニアックにヘヴィーにしてディープな世界観を
醸し出してきたのが<メタル>業界だったわけでして・・・。
とはいえ、そんな<メタル>業界も温故知新的に
「革新」途上にありますから今後はこうした「暗い」イメージも
一新されていくのかもしれませんね。
コアな<メタル>愛好者にしては少し寂しくなる現実と
やがて向き合わざるを得ない時でもありますが・・・。
本章では「北欧」メタルの事例
<国を代表してメタルバンドが創造した究極のシンフォニー>
(本書136~138頁)も若干程度提示されていましたが、
日本ではなぜか生活「満足」度が高く、
社会福祉の「先進的理想国」として天まで高く持ち上げられて
紹介されることの多い国々で
このような社会的「暗部」を重層的に奏でる<メタル>音楽が
なぜ親しまれてきたのかについてまで言及が深く掘り下げられていなかったことが
特に個人的に残念なところでした。
この問題点こそ第4章でも提示される問題意識とも重なる
本書で是非とも強調しておきたい真骨頂だったはずでしょうに・・・。
そのあたりのさらに掘り下げた論考は『続編』に期待するといたしましょう。
管理人などは「なぜ<ベーシックインカム>制度が話題になる割には
一向に実現の兆しすら見えてこないのだろうか?」に
多大な興味関心があるわけですが、
意外にも<メタル>愛好者こそがその未来を
先回りして「暗示」予想していたのかもしれませんね。
「北欧」メタルと言ってもいわゆる<ナチュラル=ファンタジー>ものも
多いわけですが、それ以外のいわゆる哲学批評的<コンセプト>物語ものでは
そのあたりの「管理体制社会批判」も込められている楽曲もあるのでしょう。
「北欧」メタルには詳しくない管理人ですので、
この問題点にお詳しい読者様がおられましたら
是非ご教示下されば幸いであります。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
④『第4章 メタルは世界の欺瞞を見抜く』
※本章では<メタル>が描く世界観や背景思想哲学が
きわめて独自色の強い「個性的」な響きを持つことから
いわゆる「主流(普通=最大公約数)」的社会で
受容されている(きた)価値観に違和感や欺瞞を感受されてきたことが
これでもかと繰り返し奏でられていくことになります。
本章で特に気になった視点は
やはり先程も<ポピュリズム(大衆迎合主義)>の定義や
そのイメージ像を巡る管理人自身の違和感を提出させて頂いたわけですが、
そもそも「個体」意識が強ければ強いほど
一見すると群衆心理に容易に感染されることは少なく
確かに「迎合」することは少なくなるのかもしれませんが、
圧倒的支配力を持った「権力」支配層に
各「個体」が立ち向かおうとすれば
やはり「徒党」ではなく「団結」して対応せざるを得なくなるのは
理の当然でありましょう。
ですから、いくら<メタル>愛好者に「個体的」意識の
きわめて強い性格を有した人間がいたとしても
政治的な場面になれば相互協力しながら
「集団化」戦略を採用することもあるはずです。
それにそもそも<メタル>愛好者が「個体的」志向性を有すると言っても
政治的意識の強弱はあれども
そもそもが社会批判を他の音楽ジャンル以上に強く志向する
ロック音楽という性格は多かれ少なかれ
政治的意見表明をすることもあるわけです。
著者の政治問題意識や政治思想哲学理解が
どの程度の水準にあるものなのかは本書だけからは
軽々しく批評出来ませんが、
もしかしたら<メタル=保守=それも最強硬派の自由追求派=右派リバタリアン>的な
イメージ像を持ち合わせておられるのかもしれません。
あくまでも管理人自身による「憶測」でしかありませんが、
少なくとも本書第2章における
<「怒りの音楽」が怒りを緩和する>(本書72~75頁)で示唆された
論考文などを読み合わせると「左派リベラリスト」に対する
「欺瞞」感覚を持ち合わせていることだけは確かなように感受されました。
とこのように「右派リバタリアン」や「左派リベラリスト」と言っても
それぞれの<あいだ>にグラデーション(幅)がありますから
単純な「区分」など出来かねるわけですが、
結論的にはきわめて「閉鎖」的集団に転化し得る危険性もあるわけです。
著者自身も<メタル>とその愛好者の特質をいちおう概念化しながら
語ってこられたわけですが、
「個体(保守)」色の強い人間はまた「社会的排斥」運動へと
傾く危険性もあるわけです。
(<メタルという内集団が持つ攻撃性と「閉塞感」への一撃>
本書209~211頁ご参照のこと。)
そうした危険性を十二分に意識されたうえで
政治問題にまで一歩踏み込んだ論考を進められたことには
一定の評価をいたします。
まとめますと、著者は<メタル>という主題を通じて
<人間>の両義的存在意識を解読されてきたということに尽きます。
ですから結論的には<メタル>やその愛好者に対する
極端な持ち上げこそはしていませんが、
要はそのハイレベルな「メタ」認知機能性を理解してもらうための説明が
読書「免疫力」=読解力の高い「わかる人にはわかる」(嫌な表現になって
恐縮ですが・・・)のでしょうが、表面的に浅くざっくりと読み進めてしまうと
なかなか世の大多数にはわかりづらい回りくどい表現であろうがために
「誤解」をされてしまう方々もひょっとしたら大量に出現してくるかもしれません。
著者は何も<メタル>及び<メタル>愛好者「至上(絶対)」主義の
立場に立って「断言」主張されているわけではないのに・・・。
ですから各書評を読み合わせた結果として
管理人が感受したのも「わかる人」は
個々の立論に対して是々非々で批評されておられるようでしたが、
やはり少し読み込みが足りないかなぁと感受された方には
多少の「??」が付いた批評文もあるように見受けられました。
そのような思いを持ちましたとともに前回のエッセー記事の流れから
時期的にも数ヶ月前に出された有名人による<メタル>論考書だということで
独自にこの場で取り上げさせて頂きました。
難しい書物のご紹介ばかり続いてきましたので、
『桜の花の散る時』(後でご紹介させて頂く<ノースウィンドサーガ>様の
楽曲名でもある)の頃合いを見計らって
少し心機一転な感じで皆さんにも「箸休め」をして頂いた方が
気楽になる時期に当たってきているのではなかろうかと
強く感受されてきましたので本書をご紹介させて頂きました。
今回著者による本書を読み進めてきてあらためて感受したことは
<メタル>ほど理解しづらく、わかりやすい
両義的意識を持ち合わせた世界観を奏でる音楽も
他にはあまり見受けられないのではないかという結論でありました。
単純な「二項対立」的善悪観に立つ「神話的」楽曲が多いと思われがちですが、
しっかりとよく練り込まれて「緻密」に計算され尽くした
良質な<メタル>であればあるほど
むしろ「中庸(中道)」的響きが滲み出ています。
あくまでもその豊かな人間の心理的「振幅度合」や
世界の揺れ動く様を音で表現する技法として
「静(暗)」と「動(明)」で色分けされていくわけですね。
その色付け作業をするうえで最も力強い働きをする楽器が
著者によると「ベース」ギターだと言います。
(本書第3章<メタルを聴くと認知機能が向上する>106~109頁)
最後のまとめになりますが、
終局的には「バランス感覚」を養うに適した音楽の
1つに<メタル>があったのだということに尽きるでしょう。
あとこれだけはもう少し入れて欲しかったテーマとして
やはり『ジャパメタ』論や『アニソン進化』論などがありました。
本書では著者に「洋楽」嗜好の偏りが見られるためなのか
いわゆる『ジャパメタ(邦楽メタル)』に関する言及が
ほぼ皆無だったことに「不満」が感じられました。
そのように感受された読者様も多々いらっしゃったのではないかと
推察いたします。
このあたりもまた『続編』に期待するといたしましょう。
<メタル>論については管理人もまだまだ語りたいテーマがたくさんありますが、
エッセー項目に移らせて頂く頃合いなので
ひとまず本書評要約コーナーを閉め切らせて頂きますね。
「続き」は<アンコール>として
エッセーコーナーにて再開いたしましょう。
皆さんにはひとまず長丁場のところお疲れでしょうから
休憩時間を設けさせて頂きます。
長時間のリーディングでお疲れでしょうから
皆さんの「目の保養」対策用として少し写真を挿入しておきますね。
(すべて管理人撮影。大阪中之島を夕方頃散策していた際に撮影したものと
夜桜を1枚分皆さんにお届けいたします。)
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・<おわりに>
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「関西」と「関東」のへヴィメタル界の共演交流の場に居合わせていつも幸せです!!~『令和』へと移りゆく時節柄にぴったりな魅力的なバンド様がご用意して下さった1枚とともに~
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それでは再開いたします。
まずは先月30日(土曜日)の
『西九条ブランニュー』公演(『IRON BOUND VOL.33』)で
さらに個人的に強く印象に焼き付き虜になってしまった2バンドを
ご紹介いたしましょう。
①『Seventh Heaven』さんと②『Steel Emblem』さんです。
前者は<プログレッシブ/ネオクラシカル/メロディック>系メタル。
ライブでも演奏されていた『Fly Again』が所収された
アルバム『ティル・ジ・エンド・オブ・タイム』では
そのゲストプレイヤーとして
かの有名な元『テラ・ローザ』の岡垣正志氏も参加されたという
豪華なバンドメンバーで構成された関西メタルバンドとして
注目されています。
その『哀愁感』は次にご紹介させて頂く『Steel Emblem』さん同様に
何とも言えないカタルシス(浄化感覚)を感じる楽曲に満ちあふれています。
後者の『Steel Emblem』さんはジャパニーズ<ハードロック>の伝承者を
名乗られていますがその美しく奏でられる旋律と重厚感は
<メタル>とも響き合うものがあります。
すでに触れましたように現在の<メタル>界では
ジャンルに関係せずに相互影響(クロスオーバー)しながら
発展していっております。
壊れていく世界における『挽歌』として泣ける1曲に
『Requiem-At the End of the World』があります。
悲惨な世界の現実から決して人類は目を背けてはいけないということを
あらためて再確認させてくれる1曲でもあります。
やはりこのようなテーマ曲は<メタル>にしか表現仕切れないような
ところがあります。
また後で<へヴィメタル専門誌>『BURRN! JAPAN vol.13』
(100~107頁)で知ったのですが、
この日に出演されていた『The Blue Scream(ブルー スクリーム)』様も
実は最近注目されつつあるようですね。
あまり詳しくは知らなかったのですが、
是非ともこれから追ってみたいと感受された<世界志向>系の
意欲的な「邦人」メタルバンドでした。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
次に今月13日(土曜日)と14日(日曜日)の2日間にかけて
通称『心斎橋ショベル』様方にて開催された2公演から
是非ともご紹介させて頂きたいバンドを。
2日間かけて合計11バンドにもなりますから
この場ですべてをご紹介させて頂くことは正直難しいところがあります。
ご紹介に漏れてしまわれたバンド様には誠に失礼になり申し訳ございませんが
またいずれどこかでお会いさせて頂いた際にということで
ご寛恕下さいませ。
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・<4月13日(土曜日)>
(管理人撮影)
①『Northwind SAGA(ノースウィンド サーガ)』様と
②『BLACK SWEET(ブラック スウィート)』様です。
前者は関西の「京都」や「大阪」などを中心に活動されている
<ネオクラ>系メタルバンドです。
後者は関東から来阪された若手の実力派「王道」メタルバンドです。
ほぼ全曲が英語の歌詞ですが
音の響きも非常にハイレベルで良好なものがありました。
ライブでも演奏されていた『We Are One』は
ちょうど<レコ(ード)発(売)>ライブの一環として
演奏された1曲でありました。
『We Are One』。
響きがまず何よりもいいですね。
前にもご紹介させて頂いた須藤元気さんのモットーでもありましたね。
そんなところにも個人的な思い入れとともに
思わず叫ばずにはいられなくなった1曲でありました。
前者の『Northwind SAGA(ノースウィンド サーガ)』様の
ギタリストTack様からは
楽曲が創作されていくまでの模様まで丁寧にご教示頂きました。
<ネオクラ>系がどんなに技巧を凝ったものなのかがよく伝わってきました。
書評(や一般文筆業)にも似たようなところがあって
その「重ねて・・・、重ねて・・・」の<質感>が本当によくわかりますから
音作りに苦労されている様子が心底伝わってきたのでした。
<ものづくり>はどの道でも
どうしてもこだわりが強く出てしまい
終わりのない厳しい世界ですからね。
でもいったんはどこかで「区切り」をつけなくてはならない決断こそが
また苦しいところ・・・。
その感触もまたわかるのです。
なかなかバンド演奏者ではない一般素人観客が他では聞けないような
貴重な機会を頂きあらためて御礼申し上げます。
分野は違いますが本当によい勉強をさせて頂く機会になりました。
一生懸命「熱意」を込めて楽曲を創作されている模様を想像しながら
アルバムを聴くのと知らずに聴くのとでは
創作者への敬愛の思い入れまで変わってきますから
こうしたお話を聞けることは誠に貴重な体験でありました。
ちなみにこのご両者とも初縁かつ初観覧でしたので
事前にホームページサイトなどで調査させて頂いたうえで
ライブに参戦させて頂きました。
この『Northwind SAGA(ノースウィンド サーガ)』様との
直接のご縁が成るきっかけが
先月30日(土曜日)の『西九条ブランニュー』様方で
配布されていたパンフレット内に含まれていたこと。
及びその時に演奏されていた前回ご紹介させて頂いた『Black Cat』様の
ドラマーの方が上記バンドメンバーとしても演奏されていたこと。
さらに不思議なご縁でこれまでと次にご紹介させて頂く
『kyanos(キュアノス)』様のベーシストでもある
脇本靖氏もまたともにメンバーとして演奏されていたという
何とも面白いご縁に恵まれたことからでした。
このように初めての出会いになりますので
事前の予行演習としてユーチューブ動画なども観覧して
情報収集を積み重ねていたのですが、
同バンドのギタリストTack様との面白い対談企画動画を制作されていた
素晴らしく魅力的な方にもお会い出来ましたので
そのサイトもご紹介しておきますね。
『GYM』様です。
これからの<メタル>業界がどうなっていくのかや
様々なバンド様との対談企画などから相互交流が深められる機会も生まれ
いろいろと学ぶことが多い内容が満載の情報サイトです。
バンド関係者様はもちろんのこと
一般観覧者であっても日頃の仕事上のことで学べることが多々ありましょう。
これまでにあまりなさそうな企画動画だったので
ご興味ご関心ある皆さんには参考になるかと信じてご紹介させて頂きました。
この対談相手を引き受けられていたのが
これまた後でご紹介させて頂く『奏楽忍者隊HANZO』の
ギタリストである武蔵之坊米丸殿だったのです。
後でその方がご用意して下さった新しい『令和』時代の門出を祝するに
ふさわしい1ショットをお届けしますね。
もうしばらくお待ち下さいませ。
このように「ご縁」とは「しかるべき時」に「しかるべき形」で
次々と成り立っていくものですから
本当に「人世(ひとよ)」とは面白うござるな。
だんだんと米丸殿のように『忍者』言葉になってきておりまするが・・・。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
・<4月14日(日曜日)>
①『kyanos(キュアノス)』様と
『kyanos(キュアノス)』のボーカリスト宮城愛様も一押しされていた
関西系(現在は関東に生活拠点を移しておられるそうですが・・・)メタルを
これからも名乗り続けていかれるという
すでに活動経歴も長いベテランの領域に達するかという
②『ARESZ(阿烈須=あれす)』様です。
前者の『kyanos(キュアノス)』様はすでに何度かご紹介させて頂いてきましたので
初縁の後者様を中心にここではご紹介させて頂きますね。
とはいえ、『kyanos(キュアノス)』様についても一言しておかねばなりません。
今回「生」ライブを観覧する機会は
管理人自身は2度目になるわけですが、
少しずつ「演奏」もそしてそれ以上に
ボーカリスト様の「演舞」も華麗なものに進化してきているようです。
演奏されていた楽曲『瘡蓋(かさぶた)』を初めてご観覧された方ならば
おそらくどなたでもあの一見<ゴシック>調漂う
妖艶な「演舞」に目がいくかと思います。
管理人自身の『kyanos(キュアノス)』様との初縁は
直接「生」ライブからではなくて
前にも触れさせて頂きましたように
「絵師」でもいらっしゃるボーカリスト様による「個展」からでしたが
その時に流されていた楽曲こそが
この『瘡蓋』だったのでした。
あっ、ボーカリストの宮城愛様に成り代わってご紹介させて頂きますが
この大型連休「明け」の5月11日(土曜日)から26日(日曜日)にかけて
同じく前にもご紹介させて頂いた
大阪天王寺の茶臼山『堀越神社』にほど近い
一見通り過ぎてしまうほど小さな雑居ビルにある
この度は『宮城愛×雀蜂子二人展 暁において』も開催される運びとなりました。
この期間中の最終日(26日の日曜日)には隣接する
お時間の許される方にはご参拝とともに
是非お立ち寄り下さいませ。
『ひとゆめ祈願叶う』浪速の<パワースポット>として
近年あらたな注目を集めている聖徳太子様ともご縁ある
由緒ある神社であります。
話題を転じてライブ話に戻りますが、
やはり人柄もさることながら
末永く聴き続けたくなる音楽とは
第一「視聴(印象)」感が大切だと感受された一コマでもありました。
この時に購入させて頂いたミニアルバムの音響だけを聴くだけでも
味わいはもちろんあるわけですが、
とりわけ今回のライブでは演奏されていなかった(残念!!)
同ミニアルバムに収録されている『MILK』という楽曲とともに
連続して聴くと前者の『瘡蓋』の<静(陰)>と
後者の『MILK』の<動(陽)>の対称性が引き立って
より魅力的な味わいを感受することになります。
(ちなみに上記「個展」<暁において>にちなむ
楽曲『暁』も『kyanos(キュアノス)』様にはございます。
本ライブでも演奏されてはおりましたが、
まだアルバム制作準備などに時間がかかるようで
一般向け「音源」としては公開販売されていない段階であります。
もう少しお待ち頂ければ入手出来る機会も
いずれ訪れるかと思います。)
このように<メタル>バンドの特徴の1つとして
先にライブで「生」演奏をして観客の反応などを観察しながら
さらなる『改善』を加えたうえで一般「音源」販売が
後回しになることもままあるそうです。
それだけ技巧に凝っているということでしょう。
バンドによってそれぞれの個性や戦術・戦略は異なるようですが・・・。
その後「生」ライブを観覧させて頂いてから感受したことは
このバンドの場合には先の『奏楽忍者隊HANZO』様と同様に
演「舞」によってその演奏もより魅力を増すというところが
あまり他の<メタル>バンドには見られない特徴であると言えましょう。
<メタル>バンドは「演奏」だけで<様式美>が完結されるわけではなく
「演舞」から「MC」、はたまた、その各メンバーの人間的魅力も含めて
全体的に完成されていくというところに
他の音楽ジャンルにはない著しい特徴があるということです。
さて、そのボーカリスト様も一押しされていた次にご紹介させて頂く
②『ARESZ(阿烈須=あれす)』様です。
ご紹介が遅くなり申し訳ございませんでした。
第一印象は一見いわゆる<特攻服>を着た「暴走族風」のいかつい格好をしてはりましたが
お人柄はどなたも「浪速魂」を抱かれた熱い人情溢れる方々でありました。
とりわけボーカリスト瑠海狐(るみこ)氏曰く
『<メタル>界の天童よしみ』を目指していますとの
ご挨拶宣言には「河内人」である管理人も
その心意気に一気に惹きつけられるものがありました。
同時に出演されていたバンド様や観覧されていたバンド関係者の方には
同じく八尾市や東大阪市、堺市など
大阪でも主にディープ??な「河内」・「和泉」軍団、
さらには「紀州(和歌山)」出身者が多くおられたようですが、
近場にこんな魅力的な<メタル>バンドがあったとは・・・と思わず
もっと早くに出会っておけばよかったと後悔するばかり。
だってすでにこれだけの高水準の演奏が出来るキャリアの長いバンドですもの。
とはいえそこはあまりメディアにも出る機会が少ない
<メタル>かつ<(準)インディーズ>ライブ市場の世界なのですから
仕方がないといえば仕方がなかったわけです。
つくづく思いますのは『「無知」とは人生における大損!!』だと
いうことに尽きます。
そんな『ARESZ(阿烈須=あれす)』様の新曲アルバム作品集を
引っ提げたツアーライブから熱く伝わってきたのは
「義理と人情の世界をともに歩み、人生の<修羅場>をともに闘う
人生応援合奏隊」ということになりましょうか?
その「心」は<我武者羅>道です。
「昭和」から「平成」、「平成」から次の「令和」へと移りゆくにつれて
こうした<我武者羅>精神は何かとバカにされやすい風潮にありますが、
人生をクールで「傍観者気取り」の生き方で
ほんまに「満足」できんかいな!!というメッセージが前面に押し出されます。
「死ぬ間際になって我が人生に悔いは無し」を実感するためには
人生の一刹那一刹那を「超」がつくほど
ほんまは「ど」真剣、「ど」根性で生き抜かねばならないはず・・・。
そんなこれからも<人間>であり続けたいならば
<人間>の「原点」へと素直に純粋に立ちかえらせてくれる
<メタル>バンドであります。
『我生涯一片悔無(わがしょうがいにいっぺんのくいなし)』の「心」は
以下で再度ご紹介させて頂く『奏楽忍者隊HANZO』様が
創作された楽曲にもあります。
「河内人」である管理人としては
「新世界」の<ソウル・ブルース女王>こと大西ユカリさんのような
面影あるボーカリスト氏に「祝杯」したいと思います。
またそれぞれの合奏隊の方々にも・・・。
とにかくギタリストにせよベーシストにせよ
その音の響き(重厚感)がいいのですよ。
この3人の音の「味重ね!?」こそが
『ARESZ(阿烈須=あれす)』様の持ち「味」だとも
自己絶賛されていましたが、
観客側から観察していても本当にそのように感受いたしました。
その出会いに感謝いたします。
これからの連休中には次にご紹介させて頂きます
『VELVET★CHERRY(ベルベット チェリー)』様とともに
東京のライブハウスでも共演されるそうですが、
今度来阪された際には同じライブハウスの
対バンドとして双方を観覧させて頂きたく願います。
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・<4月20日(土曜日)>
この日は再び『西九条ブランニュー』様方にて公演。
ご紹介させて頂きたい3バンドがあります。
この日の「主演」企画担当責任バンドでもある
②『奏楽忍者隊HANZO』様
③『VELVET★CHERRY(ベルベット チェリー)』様
であります。
このお三方とも今回初めての初縁でしたが
この日のライブの趣旨は①『ABSOLUTE(アブソリュート)』様の
10周年記念を祝したものだったようです。
京都出身の方に詳しくご教示頂き
これからも是非注目していきたい楽しく「魂」のこもった
演奏と司会進行ぶりを観覧することが出来ました。
「あらためて10周年記念ライブおめでとうございます。」
さて、次にご紹介させて頂きたいのが
この日のライブに参戦させて頂く直接のきっかけを作って頂いた
②『奏楽忍者隊HANZO』のすでにご紹介させて頂きました
ギタリスト武蔵之坊米丸殿とボーカリスト羅生院貴将殿であります。
彼らの「演舞」と「演奏」も初めて視聴させて頂きましたが
<イケメン>ボーカリスト氏の見た目の華奢な姿からは
およそ想像もし得ないような見事な<デス>声と
米丸殿との対照的コンビでサビの部分を美しい響き声で
色調転換されていく流れが何とも言えない深い味わいを
感受させられました。
彼らの<メタル>音楽コンセプトは<シノビッシュメタル>ですから
まさに「影」の如く暗躍??される『忍び』。
ですからなかなか出会う機会も少なさそうですね。
とはいえ活動歴はまもなく10周年(??、購入させて頂いた
ミニアルバム発売日から推測させて頂くと。
間違っていたらすみません。)になるようですから
彼らもすでにベテラン組に入っています。
活動機会が少なかったのは個人的な諸般の事情もあったそうですが
そんなブランクを感じさせないような優れた「演舞」と「演奏」を
視聴させて頂きました。
『忍者』は子どもだけではなく大人も含めて
老若男女問わず、また世界でも人気あるキャラクターですから
各ライブハウスだけではなく、
『忍者』に縁ある市町村の観光協会とタイアップした企画ライブや
歴史イベント(例えば地元大阪の大阪城鉄砲隊による<火縄銃演武>との
共演ライブなど)における「出没」も期待されるところです。
いきなりハードルを高くさせてしまいましたが
今後ともさらなる研鑽を積み重ねていかれれば
きっと音楽活動の幅も拡がるかと感受させられました。
『ご武運をお祈りしておりまするぞ・・・』
<メタル>は「甲冑」武者隊とも似合うでしょうし、
<シノビッシュメタル>というコンセプトもなかなかありそうでありません。
確かに敬愛する『陰陽座』様のような『忍者』に縁ある楽曲を
演奏されるバンドはありましょうが『忍者』姿で奏でられる
<メタル>バンドはなかなかお目にかかれない珍重される存在でしょう。
一時期世界で活躍され注目もされていた日本の某『忍者』メタルバンドも
あったそうですが現在は活動停滞中??のようですね。
まさにその「隙間」を駆け抜けるような<シノビッシュメタル>楽曲を
これからもたくさん創作して頂くことを願います。
ちなみにこの日にライブ演奏もされ、
会場で希望者には無償配布されていた<手裏剣(高速回転音源=CD)>所収曲の
うちにあった1曲『NO NINJA, NO LIFE.』は
関ジャニ∞風の<メタル>サウンド楽曲。
「なかなかいけてます(良い出来映えです)よ。」
それでは最後に③『VELVET★CHERRY(ベルベット チェリー)』様の
ご登場です。
彼ら彼女は関東出身とのこと。
このバンド様についても初縁ではありましたが
初めて視聴させて頂いてその演奏の卓越さや
疾走感を感受させる格好いいボーカリストAkane氏のお姿からは
俄には信じられないキュート(と言っては失礼な表現になりそうですが・・・)な
美声で力強く歌唱されていたところに
一気に「魂」を持っていかれました。
特に気に入った楽曲は①『Fake』と②『炎舞』でした。
前者の間奏ソロがジャズっぽい感じがして聴いていて心地よかったです。
また是非来阪されますことを心待ちにしております。
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さて、このように先月の忙しい決算月の仕事を終え、
また4月も例年にない「超」大型連休前でしたから
平日は忙しい日が続き、また週末(日曜日)も
将来のためのライフワーク修業(仏像彫刻)、
それに前回も触れましたように個人的な課題を頂きましたし、
その乏しい「合間」をぬっての本書評記事創作活動と
ほとんど休みを取れない状態ではあったのですが、
文筆業もまたかなりの「生命エネルギー」を消耗する作業。
ですから他の方から「活力」をお裾分けして頂かなくては
くたばってしまいます(笑)。
最後の『西九条ブランニュー』ライブは
当初はこのように忙しいスケジュールと
「非正規」の悲しい身分のため厳しい予算のため
その前週末の『心斎橋ショベル』ライブでご縁頂いた
米丸氏には申し訳なく「参戦」難しそうな旨お伝えしてしまっていたのですが、
なかなか「出没」機会も少なさそうなことと
どうしてもその『忍者』<メタル>とやらに惹かれすぎて
何とか「万障繰り合わせて」参戦させて頂くことが叶いました。
そしたら何と上記ご紹介バンド様ほかの
素晴らしいバンド様やファンの皆様(知り合いの方も含めて)に再会でき、
本当に行って良かったなぁと思えたそんな楽しい思い出に残るライブになりました。
『極上のエンターテイメントとはかくあるべし!!』と
思われた贅沢なひとときでありました。
最後にあまりにも対バン(共演バンド)様が多すぎて
この場ですべてをご紹介仕切れなかったことをあらためてお詫び申し上げますとともに
「元気」満ち溢れてくる<メタル>サウンドを
ご提供頂き誠に篤く御礼申し上げます。
この日も最終電車での帰宅だったのですが、
帰宅後の就寝前のひととき
NHKの某番組で水樹奈々さんと宮野真守さんの対談を見終えた後、
直後にチャンネルを切り換えると
何とスガシカオ氏の面白いタイトルの楽曲が演奏されていたところでした。
その楽曲名も『労働なんかしないで 光合成だけで生きたい』って・・・。
<人間>は「植物」と違ってもちろん光合成だけで生きてはいけないけれど
ちょっと深刻に考え込んでしまいました。
『「植物」は光合成だけで生きているっていったって
「植物」もまた食物連鎖的な厳しい生存環境を懸命に生きてるんだぞ!!
それってあまりにも擬人化しすぎた<人間中心主義>的傲慢な見方じゃないか・・・』とね。
確かに「労働」は正直厳しくて嫌になる時もあるけれど、
またもっと真の意味(人間らしい方向)で生産効率を上げて
「ゆとり」を持たせた生活が出来るように
「労働」の質量改善がなされれば「それに越したことはない」わけですが、
例えばですよ、
近未来の人工知能との協働社会がさらに促進されていったとして
もし現生人類に「超」が付くほどの(多分なかなかあり得ない想定では
ありますが・・・)<暇と退屈>を持て余した人間が大量出現してきたとしたら・・・。
この先は読者の皆さんにも思考実験しながら
想像して頂きたいのです。
皆さんにもご負担にならない程度で構いませんので
ちょっと考えて頂く「宿題」として提出しておきますね。
こんな近未来の世界をコンセプトに描いた<メタル>バンドや楽曲も
そろそろ日本でも本格的に出てきてもいい頃ではないでしょうか?
そんなことを『BLACK SWEET』様とともに
関東は茨城にある<つくば学園都市>からはるばると来阪されてきたという
『人造人間』<メタル>バンド『HELL DUMP』様には
是非そのコミカルな姿とともに時にシリアスな感じで
創作演奏・演舞して頂ければ有り難いですね。
そして<メタル>ライブ月間だった今月において実際に観覧していて
1つだけ一般視聴者からの厳しい目線というのか忠告めいたことになり
大変恐縮ですが少しだけバンド「力」向上のために感受したことを
強調しておきますね。
演奏の巧拙や人間性の善し悪しはともかくといたしまして
この場でご紹介させて頂きたかったバンド様の中で
今ひとつ「発信力」が弱すぎると思われた方々も見受けられました。
例えば1つの難点としてバンド名に「もひとつ」インパクトがなかったりして
インターネット検索に引っ掛かりにくい場合や
同名類似のバンドさんと重なるような場合、
また更新頻度が低かったり、最新情報がなかったりする場合などがあるようです。
また諸般の事情でお忙しかったり、
ライブハウス予約や対バン様とのスケジュール調整など
公演日ぎりぎりまでなかなか決まらないような場合もあるのかもしれませんが
一般の観客からすれば初めて出会うようなバンド様のような場合には
前売り予約が取れなかったりするなど
もうそれだけで「敷居」が出来てしまい
「もういいや」なんてことにもなりかねません。
これではせっかく世に認知して頂く機会を
自ら喪失させているようなものです。
そんなわけで今日この頃のSNS「発信」時代なのですから
最低でもツイッターアカウントくらいは開設しておいて欲しかったなぁ~と
正直「本気度」を疑う方々もおられました。
宣伝告知方法に関する何らかのポリシーがあるならば
このような意見も的はずれなのかもしれませんが・・・。
「知名度のある対バン様に便乗しておれば何とかなるわい・・・」などと
そんな甘い考えの方など今回出演されていたバンド様には
よもやおられないとは思いますし、
厳しい批評とはなってしまい誠に恐れ入りますが、
今後のご成長のことを心から願って少し今回気になったことがございましたので
ご意見申し上げさせて頂きました。
「お金」を支払う観客側の感想としては
趣味としてではなく「知名度」とかも関係なくして
歴とした職業(今はまだ音楽を<本業>として食っていける段階になくとも)として
活動されているのですから
「プロ」意識の誇りをもっと持って頂きたいなぁと
正直感受されたバンド様もおられたようです。
『武士の情け』としてどなたかとまでは固有名では名指しいたしませんが
お心当たりのある方には是非『改善』された方が宜しいのではないかと
思われた次第です。
せっかくの良い演奏や物販などでのいわゆる『神』対応して頂けても
具体的に公式サイトをご紹介させて頂くことが出来なければ
「もったいなさすぎ」ますから。
応援しておりますんで是非に宜しくお願いいたしますね。
お心当たりある方で感情を害されることももしかすればあるかもしれませんが
悪意ではなくて本当にそのように『改善』した方が
より良くなるのではなかろうかと思ってご意見申し上げたまでであります。
この世に完璧な人間など管理人も含めて誰1人いませんから
そのあたりの事情は皆同じであります。
ただ「志」高く羽ばたいていこうと願えば
必然的にすべての意見を採用しなくても構いませんが
ある程度までは『改善』点として今後の参考資料としていかなくてはなりません。
管理人とて死ぬまで「未熟者」。
ですがそのように自覚するがゆえに
ともに学び励まし合わなくては<人間>としての立つ瀬がありません。
「人工知能」に負けないためにも
まだまだ<人間>にはやるべきことはたくさん残されています。
ということで今後ともご一緒に学び合いましょう。
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こんな感じで
今回も大型連休前のただでさえ皆さんもお忙しい時期に
語らせて頂きましたが、
管理人の<メタル>愛も今後ともますます力強く
<メタル>愛好者の皆さんとともに育んでいきますとともに
あらたな魅力的なバンド様を発掘していきますので
どうか「乞うご期待」のほど宜しくお願いいたします。
最後になりましたが、私事の都合で先に触れさせて頂きましたような
個人的課題(依頼仕事)に集中させて頂きたく願いますので
来月の定期的書評課題本のご紹介は「休業」とさせて頂きます。
6月から7月にかけては
その「読書会」用課題本のご紹介とともに
また当書評ブログを再開させて頂こうと予定しております。
とはいえ、ところどころその「合間」を見計らって
『番外編』としての<紀行文>記事をご提供させて頂く機会も
あるかもしれません。
そのあたりはスケジュール上の都合もありますので
投稿出来るかどうかは「確約」こそしかねますが、
また皆さんにもちょくちょくご訪問頂いて
楽しみにお待ち頂ければ明日への「糧」となります。
過去記事もすでに大量にありますので、
お暇な時間などに
もし気に入った記事などがございましたならば
ご一読のうえ何かご意見・ご感想などあれば
コメント頂くと本当に本当に有り難き幸せにござりまする。
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ちなみにの主に関西の本好きの読者様への追加情報ですが
今年も大阪四天王寺での『古本市』の季節がやってまいりましたよ。
開催期間は本日26日(金曜日)からこの大型連休にかけての
5月5日(日曜日)までの10日間です。
詳細は『関西古書研究会』のサイトをご覧下さいませ。
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それでは『奏楽忍者隊HANZO』様から撮影と掲載許可を頂いた
1ショットを皆さんにご披露しますね。
『奏楽忍者隊HANZO』様、その他のバンドの皆様方、
そしてともに遊んで下さった皆さんへ本当に長時間お疲れ様でした。
最後に社会「不適応」感を強く感受されてきただろう
<メタル>愛好者の方に相応しい応援メッセージとして
本文内でもご紹介させて頂きましたエリック・ホッファー氏の名言から
引用してお別れの言葉に代えさせて頂きます。
『激烈な変化の時代は、情熱の時代である。
人間は、まったく新しいものには決して適応できないし、その準備もない。
われわれは自らを適応させなければならないが、あらゆるラディカルな適応には
自尊心の危機がともなう。
われわれは試練に耐え、自らを証明していかねばならないのだ。
こうして、激烈な変化に身をさらされた者は、不適応者になる。
そして、不適応者は、情熱的な雰囲気の中で生き、呼吸するのである。』
(『エリック・ホッファー 全アフォリズム集 魂の錬金術』
中本義彦訳、作品社、13頁<原典:『情熱的な精神状態(不適応者)』>から)
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<参考文献・情報サイト>
本文中にてご紹介させて頂いた雑誌など以外に
①『ライブハウス文化論』
(宮入恭平著、青弓社、2008年)
②『We ROCK vol.070~ジャパニーズ・メタル再入門~』
(有限会社サウンド・デザイナー、2019年4/5月号)
※このサイトで紹介されているバンドにはすでに解散済みや
無期限休業状態、不定期活動状態であったり
「メジャー」市場デビューを果たしているバンドも多数ありますが
特に<インディーズ>系バンドについてお探しになっておられる方には
左欄下の『その他』から入って頂くと
もしかしたらお目当てのバンド様情報にまで辿り着くかもしれません。
バンドメンバーなど入れ替わりも激しいのが
<メタル&インディーズ市場>界の特徴ですので
<最新>情報については各自の責任とご判断で
お確かめ下さることをお願い申し上げます。
あくまでもご参考程度にということでご紹介しておきますこと
ご了承下さいませ。
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最後までお読み頂きましてありがとうございました。
『令和』の新時代もご愛顧のほど宜しくお願い申し上げます。
「『令和』時代の開幕を祝福しますとともに
皆さんの幸せと世界の弥栄をお祈り申し上げます。」
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[…] そのあたりの論考考察はすでにご紹介させて頂きました […]