現代社会思想の原型を知るために、「ギリシア哲学入門」を読もう!!永久平和に向けて対話術の大切さを学ぼう!!
岩田靖夫先生の「ギリシア哲学入門」
現代ギリシャは、ユーロ問題の責任もあり、
「世界の厄介者」扱いされています。
それでも、「腐っても鯛」です。
現代社会は、何やかんや言っても
古代ギリシャの三大哲学者によって、
形作られてきたと言っても過言ではありません。
オリンピック思想も、古代ギリシア哲学が土台となっています。
2015年現在、まだまだ「永久平和」への道のりには
険しいものがありますが、この本を読みながら
人類の明るい未来への道筋を考えていきましょう。
「ギリシア哲学入門」(岩田靖夫著、ちくま新書、2011年)
岩田靖夫先生(以下、著者)は、古代ギリシア哲学をメインに
ハイデガー・ロールズ・レヴィナスの研究をしながら「共通善」を
探ってこられた学者です。
惜しまれることに、本年早々にお亡くなりになられました。
ここに慎んでご冥福をお祈り申し上げます。
著者は、古代ギリシア哲学や、昨日もご紹介させて頂きました
レヴィナス哲学の研究をされながら、あらゆる森羅万象にとって
最適な「人類の最高善」を探ってこられました。
そのことは、著者の別著である「よく生きる」(ちくま新書、2005年)
にも表れています。
「人類の理性には限界がある」
一方で、「想像力の豊かさによる心の安定」を目指してきたのが
人類の歴史でもあります。
21世紀現在も、悲しいことに世界の三大宗教が「三つ巴の争い」を展開中です。
この三大宗教も、元は「古代ギリシア哲学」に由来があるようです。
現代民主主義思想も、古代ギリシアの小さな都市国家から生まれてきました。
現在では、あまりにも国家が巨大化したために、民主主義も効率よく
機能していない現況にあるようです。
現代民主主義に至るまでには、紆余曲折の歴史的過程がありました。
民主主義では、討論が一番重要となるために、古代ギリシアの時代から
様々な「弁論術・対話術」が考案されてきました。
ソクラテスの「無知の知」は、すべて「よく生きる」ための術であることを
教えてくれています。
しかし、現実の歴史では誤解のために、ソクラテスの精神は忘れ去られていきます。
ソフィストの「詭弁術」により罠に落ちます。
この辺りは、イエス・キリストがパリサイ派によって罠に仕掛けられる過程に似ていますね。
イエス・キリストも、「隣人愛」と「受苦(慈悲・思いやり)」の精神を残されています。
キリストご自身の「原罪意識」と後世のローマ=カトリック教会のパウロ=キリスト教に
おける「原罪意識」とは、子細に検討していけば、かなり大きく違うようですね。
この関係も、ソクラテスとプラトンの違いに似ているようです。
古代ギリシアの三大哲学者であるアリストテレス・ソクラテス・プラトン・・・
それぞれ「最高善」を目指してきましたが、世界観に微妙な食い違いもあるようです。
最初は、微妙でもその「裂け目」は、今日では大きく「傷口」が拡がっているようです。
今回は、古代ギリシア哲学を学びながら、今後の人類の明るい未来に向けて
いかなる方向性で思索を深めていけばよいのか、皆さんとともに探っていこうと思い、
この本を取り上げさせて頂きました。
人はいかに生きるべきか!!
「人はパンのみにて生きるにあらず!!」
人間が生きていくうえで、必要となる三大要素(局面)があると
著者は、まず冒頭で語っています。
①驚く
②働く
③交わる
哲学は、偶然にも生を受けた人間がこの世に「驚く」ことから始まるといいます。
また、哲学は「愛知(叡智を愛する)」ことが原義であります。
このことは、「何のために学ぶのか?」ということにも関わってきます。
もちろん、「よりよく生きるため!!」ですが・・・
その具体的内容について、様々な「価値観」が対立していることも周知の通りです。
「働く」こと、「交わる」ことも、ただ闇雲に社会の中で「動き回ればよい」と
いう訳ではありません。
現代社会では、「よりよく生きるため!!」に「働く」こと、「交わる」ことが
あくまで「手段」であったことが忘れ去られているようです。
「手段の目的化」によって、目をふさがれてしまっています。
昨日もレヴィナスの哲学のところで語らせて頂きましたが、
「人間の道具化=手段化」には、目に余るものがあります。
いかにして、そのような状況から抜け出していくのか?
その点についても、古代ギリシア以来「哲学最大のテーマ」でした。
この本では、古代ギリシアの三大哲学者である
アリストテレス・ソクラテス・プラトンの思想がわかりやすく
解説されていますので、詳細はそちらの方に譲らせて頂きます。
「他者=自分」は元々本質上「一体化している」ために、
本来は分離して考えることが出来ない性質になっています。
人間は、言葉を介して対話しながら相互の誤解を解く努力が
生存していくためにも手を抜けない構造になっています。
現代社会では、あふれる情報がある中で、「生身の対話」が
省略される傾向にあるようです。
言葉以前の時代における人間なら、多くを語らずとも「以心伝心」
によるコミュニケーションも成り立ったでしょうが、現代社会では
その能力も退化してしまったようです。
「すべての対話は、よりよく生きるために存在する」
もちろん、一言一言の会話には、当面の問題解決としての手段に
限定されるでしょう。
それでも、会話の終局的目的は「よりよく生きる」ことにあります。
「弁論術・対話術は、単なる論争術(勝ち負けを競うディベートゲーム)・詭弁術
ではありません!!」
永久平和をいかに実現させていくのか?
著者は、この本で、もう一つの重要なテーマを語っています。
「永久平和の道筋をいかに創造していくか?」です。
具体的な「方法論や手段」については、政治的な対立もあり
著者の見解に必ずしも納得出来ない方もあるかもしれません。
カントの永久平和論などに従って、「あらゆる暴力の放棄」を
著者は提唱されています。
現状では厳しくても、最終的には「丸腰」での対応が出来るまでに
人類は進化し続けなければならないでしょう。
「世界連邦構想」は、現代の国連思想の中核思想ではありますが、
現実的には「五大国の拒否権」や「常任理事国入りへのハードルの高さ」など
数々の難題もあります。
国連改革も遅々として進まず、現状は相変わらず
「力による分権国家の乱立状態」にあります。
「力による現状変更を一切認めない!!」
2015年は、安全保障関連法案を巡っての混乱もありました。
それでも、原則として日本の国是は「法(理性)による支配」です。
ただ、国連が機能不全に陥っている中で、国際社会でのルールを
破棄するような国家や組織団体が現れてきた時に、具体的な問題解決法として
いかなる「執行手段」を採用するのか?
もちろん、対話を最大限に優先しなければなりません。
しかし、やはり現実的な手段(暴力に対する強力な排除方法)も
制度として整えておかないと、人類の生存権が著しく脅かされるのも現実です。
世界の叡智は、まだこの高い意識の段階には至っていません。
究極的な憲法9条が想定している「暴力無き社会」に移行するまでには、
まだまだ長い道のりになりそうです。
憲法9条は、「世界連邦構想」を前提とした人類の究極的理想です。
「9」は、完全数でもあり「調和の美」を表します。
実は、この「世界連邦運動」は戦後間もない日本では、左右問わずに
一時期受け入れられそうな環境もありましたが、冷戦期に伴い
今日まで忘れ去られてしまいました。
東京裁判でも弁護して下さったインドのパール判事は、「冷静さ」を
強調されています。
「世界が嵐のような熱狂さから目を覚ました時にこそ、平和の世が到来する」
(管理人の意訳)と・・・
「世界連邦構想」と「独立主権国家」
この二つの思想が、両立する日は果たしていつ来るのか・・・
それは、私たちの良識ある選択にかかっています。
「現実を理想に合わせていく努力こそ優先すべき」でしょう。
「理想を現実に修正後退させてはなりません」
これは、政治的な価値観の対立ではありません。
管理人は、この問題を考える時には、
常に「釈迦と聖徳太子とキリストの哲学」をイメージしながら考えています。
鞍馬寺と柳生の里にある芳徳禅寺に参拝した時には、
いつもこのことを考えながら祈ります。
「本当に強い人間は欲望を乗り越えた者」です。
柳生新陰流は、「無刀取り」
「人を活かす活人剣」だといいます。
鞍馬寺で幼少期を過ごした義経も、「奥州平泉」を目指しました。
「真・善・美」は、「心・技・体」ともいいます。
「人安かれ、国安かれ、世界安かれ、宇宙安かれ!!」です。
皆さんも、人類の原点である古代ギリシア哲学に学びつつ、
「独自の最高善」を考察してみて下さい。
アリストテレスも語っているように、一人では心許なくも、
「集合知」を良き方向に活用していく制度が、「民主主義」です。
ただ、「集合痴」となって再び衆愚政治に陥らないためにも、
古代ギリシア哲学の叡智に学ぶ必要があるようです。
プラトンが想定するような「哲人政治家」がいない限りは、
問題がありながらも「民主主義制度」が最高ではなくとも
「次善の制度」でしょう。
「いかにして、少数派が多数派の横暴によって踏みつぶされないようにするか?」
この課題も、21世紀に積み残された最大の課題です。
「すべては、よりよく生きるために」です。
「その第一歩は、他者を自分のように思いやることから・・・」です。
最後までお読み頂きありがとうございました。
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[…] プラトンの「イデア論」については、前にも当ブログでご紹介させて […]