マンジット・クマール氏の「量子革命」アインシュタインとボーア、偉大なる頭脳の激突!!良心的な科学者精神に学ぼう!!
「量子革命~アインシュタインとボーア、偉大なる頭脳の激突」
イギリスのサイエンス・ライターであるマンジット・クマール氏が、
20世紀初頭の「量子革命」をドラマチックに活写されています。
その「量子革命」とは?
1927年のソルヴェイ会議の「裏側」で
非公式に始まった熱戦が、やがて現代物理学に決定的な
革命をもたらすことになります。
世に言う「アインシュタイン=ボーア論争」です。
今回は、この本をご紹介します。
「量子革命~アインシュタインとボーア、偉大なる頭脳の激突~」(マンジット・クマール著、青木薫訳、新潮社、2013年第2刷)
マンジット・クマール氏(以下、著者)は、イギリスロンドン在住の
サイエンス・ライターです。
物理学と哲学の学位を取得され、アートとサイエンスの架け橋を担う
学際雑誌『プロメテウス』創刊編集長を務めるなど、
文理融合思考が出来る優秀な方です。
本書は、Amazon.comの2010年科学書ベストテンにも
選ばれています。
さて、本書「量子革命」は、単なる「理系思考」のみでは
とらえきれない「世界観闘争」でもあったようです。
もっとも、「闘争」と言っても、「平和的科学論争」ですが、
内容は、当時の「表向きの政治的世界観」をも超越した
熱戦が繰り広げられていました。
この論争は、「世界観」が論争対象にも含まれているため、
哲学的な論争でもありました。
そうした、20世紀以後の「世界観」を大きく激しく
揺さぶっていった原点に当たるため、今もって
ホットな話題を提供してくれています。
そうした論争の背景事情を正確に理解する視点を
提供して下さる人物が、「文理融合型思考」に秀でた著者です。
その「論争」とは、世に名高い「アインシュタイン=ボーア論争」。
「相対論」の物理学者アインシュタインと「量子論」の物理学者ボーア。
彼らの熱い論争の中心には、常に「世界観」を巡っての思考対立が
存在していました。
本書は、この論争を主題に、20世紀以後の現代物理学を
革新していった物理学者の物語であり、「量子論」についての
わかりやすい物語風入門書であります。
現代物理学の「主流」は、「量子論」ですが、
2016年初頭の重大ニュース「重力波やブラックホールの観測」から
アインシュタインの魂が、続々と甦ってきているようです。
20世紀初頭の本書「量子革命」以来、ずっと「量子論」に勢いがあり、
「相対論」的立場の物理学者は、数少なくなってきました。
最悪な場合には、まともな学術的批判なら構いませんが、
「アインシュタインは間違っていた!!」などと一般受けしそうな
「ニセ科学書」まで出現してくる有り様でした。
本書でも、詳細に語られていますが、確かに「量子論」的見方の進展により、
アインシュタインの「元祖相対論」による物理学的世界観も
修正が迫られているようです。
一方で、前にもご紹介させて頂いた数少ない「相対論」的物理学者からの
反撃も少しずつ出現しているようですが、
少なくとも、アインシュタインが遺産として残した「元祖相対論」に
関しては、修正していく余地もたくさんあるようです。
ことに、アインシュタインが生涯の大失敗と悔やんだ「宇宙定数」など。
ここから創出されてきた「ダークマター(エネルギー)」あるいは、
「特異点」による「ブラックホールの存在解釈」なども、
未解明の段階にあります。
その意味で、今回の「重力波」にせよ、「ブラックホール」にせよ、
その「謎解き」は、今始まったばかりです。
このように、21世紀現在、立つ瀬がないかに見える「相対論」ですが、
アインシュタインがこの論争に投げ込んだボールは、その後たびたび
良心的な「量子論」的物理学者の魂をも奮わせてきました。
そんな歴史的逆説が、アインシュタインの名を
ますます揺るぎない地位にまで押し上げてきました。
アインシュタインと言えば、大きく人生を前期と後期に分けてみると、
前半の「相対性理論」を始めとする革新的発見に注目が集められていますが、
晩年は、戦争も絡んだこと、「量子論」の革新的発展の下、
「影が薄くなっていった!!」ようです。
それでも、本書でも詳細に触れられていますように、
未来の「統一場理論」に向けて、淡々と、黙々と研究業績を
積み上げていったことは、特筆に値します。
本書もまた、難しい「物理用語」がたくさん本文に出てきますが、
巻末にわかりやすい「用語集」もありますので、是非ご活用下さいませ。
また、本書は、「理系翻訳者」として定評のある青木薫さんの
いつもながら分かりやすく面白い「超訳?」によって翻訳されていますので、
安心して読み進めることが出来ます。
21世紀現在、時代はあらたな「創造精神」を持った人財が求められています。
この「量子革命」には、数々の「思考実験」を通じた「仮説思考」や「問題発見法」、
「問題解決法」のヒントになる事例も満載です。
ということで、皆さんにも現代物理学史に触れながら、良心的な科学者精神を
学ばれることで、日々のお仕事にも役立てて頂こうとの思いを込めて、
この本を取り上げさせて頂きました。
「アインシュタイン=ボーア論争」から始まる「量子革命」
本書は、19世紀末期から20世紀初頭の「現代物理学の黎明期」から
話題が展開されていきます。
上記タイトルでは、本書の主題である「アインシュタイン=ボーア論争」から
「量子革命」が始まるとさせて頂きましたが、
より正確には、1900年12月に、
取り組んでいる際に、たまたま遭遇することになったところから
「量子革命」が始まったとされています。
この「黒体問題」に関しては、一般の方にとっては、
あまり馴染みがないテーマであり、詳細解説は本書に委ねさせて頂きますが、
応用技術的には、いわゆる「電球(人工照明)」で活用されているようです。
そのプランクは、「熱力学第二法則(エントロピーの法則)」にも注目して
研究の中心課題として取り組んでいきました。
今日では、「原子論(最ミクロが素粒子(量子)論)」も当然のように
扱われていますが、プランクにとっては、長期間「原子論に反対」していたと
いいます。
ところが、上記「黒体問題」に取り組んでいる際に、
「もはや原子論は無視し得ない存在」として立ちはだかり、
やがて受容していくことになります。
革命的進化を経て、本書の主人公アインシュタインやボーアへと
引き継がれていきます。
本書では、こうした「量子論」周辺の「量子」物理学者の人生や研究成果などが
詳細に解説されるとともに、「量子的世界観」を巡る「世紀の論争」として
有名な「アインシュタイン=ボーア論争」、そこから現代にまで派生する諸問題
(特に、ボーアが、この論争により確立していったとされる<コペンハーゲン解釈>
に対する「解釈問題」)を主軸に、今日の「量子論争」の本質が分かるような
内容構成となっています。
ここで、アインシュタインさんに登場してもらうことにしましょう。
この論争で、アインシュタインの名前を一躍有名にさせたのが、
「神はサイコロを振り賜わず!!」という言葉でした。
今日では、この言葉だけが一人歩きしているように見えますが、
もともとは、この論争を始めとした「量子的世界観に対する不安感」を
表現した言葉でもありました。
これまでも、当ブログでたびたびご紹介させて頂きましたが、
一般的に「量子的世界観」とは、「確率統計的(離散的)非連続世界構造」の
ことを意味するようです。
それは、同時に「非局所性(つまり、宇宙に遍在しているという
イメージ像)」で表現されています。
そして、この「量子論」は、一般的な上記コペンハーゲン解釈では、
前にもご紹介させて頂いたハイゼンベルクやパウリ(記事①、記事②)
などによって、「非決定・不確実」な世界観が提示されていった
「不確定性原理」や「相補性原理」・「排他律原理」などによって
イメージされる「世界観解釈」が中心となります。
もっとも、「不確定性原理」の中心人物ハイゼンベルクによれば、
「不可知性」とでも名付けた方が良かったそうですが・・・
つまり、「不確定要素に満ち溢れた不安定な世界観」だと言えます。
もちろん今日では、このボーアによって強固な信念にまで高められていった
コペンハーゲン解釈も、現在はデヴィッド・ボームなどによって
「実在的??量子論」や、シュレディンガーの猫実験という思考実験から
得られた「パラドックス(矛盾)」に解答を与えるエヴァレット3世などによる
「多世界解釈」など「相対論的量子論」などによって批判にさらされています。
アインシュタインも、相対性理論などを数学的に扱う際には、確率統計学を
活用していたり、自身のブラウン運動の発見などからランダムな働きをする
世界は観察しているのですが、物理的(哲学的)な世界観としては、
あくまで「局所(連続的)実在的世界観」にこだわったようです。
なぜなら、「もっとも安定した世界」に感じられるからです。
こうした世界観も、アインシュタインの生い立ちや人生そのものにおける
絶えざる動揺に由来する性格から導き出されたようです。
「そんな不確定な世界観など、わしゃ絶対認めんぞ!!」と叫んだかどうかは
知りませんが、アインシュタインは最期まで、ボーア論争にEPR実験などを
通じて揺さぶっていきます。
デヴィッド・ボームも取り組んだように、
アインシュタインも上記ブラウン運動などを参考に
「不確定(安定)な世界の背後に隠れている安定秩序
(隠れた変数=数学的表現)」を生涯追究していきます。
ここが、面白いところなのですが、アインシュタイン自身も
「光電効果(光量子仮説)」でノーベル物理学賞を受賞していますので、
前にも当ブログで強調させて頂きましたように、「元祖量子論者」なのです。
ところが、この光量子仮説も、光の量子的側面(つまり、素粒子)に偏した
仮説だったようです。
現代では、「光=粒子+波」として受容されていますが、
アインシュタインの時代は、光の性質解剖に関しては、黎明期だったのです。
そんなこともあり、どうやらアインシュタインは、「離散的な確率波動」よりも
「連続的な実在粒子」に強い期待を抱きながら、この世界も眺めていたようです。
こうした経緯から、彼は「相対論」から「統一場理論」へと
もっと大きな「世界場」へと向けた揺るぎなき「万物理論」を
将来の「物理学革命」に求めていったようです。
アインシュタインによれば、いずれ「万物理論」の完成により、
「量子論」もその中に包摂されるものだと考えていたようですね。
あたかも、「ニュートン的古典力学」を「特殊相対性理論」から
「一般相対性理論」へと進化発展させていく中で、位置づけていったように・・・
このように、アインシュタインは、「量子論」に生涯不服だったようです。
ただ、こうして観察してみると、アインシュタインって「相対論」よりも
「量子論」に時間をそそぎ、直接的・間接的にもその進化発展に
寄与しているのですから、人の意志とは面白いものです。
こうした「粘り強さ」が、常人とは異なる「天才」たるゆえんでしょうか?
この「アインシュタイン=ボーア論争」の過程で創出されていった
ボーアのコペンハーゲン解釈を指して揶揄される言葉を紹介しておきます。
「量子力学を理解している者は、ひとりもいないと言ってよいと思う。」
(リチャード・ファインマン、本書458頁)
最期まで深い友情に結ばれたアインシュタインとボーア
さて、そのように「量子的世界観」にたびたび反撃してきた
アインシュタインでしたが、その「局所的実在論」は、その後の
ベルの不等式や実験観察の結果で否定されてしまったようです。
ですが、アインシュタインにとっては、ほとんど「信念(信仰)」に
近い世界観でもありました。
ところが、近年では「量子論」の側でも
その「限界」が見えてきているようです。
ミクロ世界をとことん追究してきた「量子論」でしたが、
どう頑張ってみても「マクロ世界との結び目」に近づけないようです。
アインシュタインの「隠れた変数」は、今日では「あらたな宇宙定数」である
微細構造定数などの角度から見直されているようです。
ロジャー・ペンローズ博士なども、そのような評価を下している一人です。
『アインシュタインは、ボーアの追随者なら言うであろうように、
何か重要なところで深く『間違っていた』のだろうか?
わたしはそう思わない。わたし自身は、微視的なレベルよりも
さらに下層の世界が実在し、今日の量子力学は根本的に不完全だという
アインシュタインの確信を強く指示している』(本書467頁)と。
また、皮肉なことに、当のボーア自身も「量子的世界観」について、
『量子の世界というものはない。あるのは抽象的な量子力学の
記述だけである。』(本書334頁)だと・・・
このように、「量子論」者の第一人者であるボーアでさえも、
「量子論の深い謎(闇)」は解けそうにないようです。
そもそも、ボーアの創始した現代「量子論」の元祖である
コペンハーゲン「解釈」も、あくまで「解釈」の一部です。
たまたま、元祖のため「主流」に祭り上げられているだけで、
ボーアとともに「量子革命」に立ち会ったハイゼンベルクなども
当初から、ボーア的コペンハーゲン解釈に満足していた訳ではありません。
上記のボーアも語っているように、「量子の世界などない!!」のだと
しても、「量子的記述はある!!」とは、一体どのような意味なのでしょうか?
それは、「量子力学」における「数学的記述法=数式」そのものは、
世界観を何も語らないということです。
しかも、数式自体は、価値中立的ですので、いわゆる「人間原理」である
「観測者問題」とも無関係だということです。
だからこそ、こうした実験観察結果(もっとも、ミクロ世界が対象ですので、
観測技術の向上を待つまでは、思考実験に力点を置く理論構築が中心)に関する
「解釈問題」が、現在では分析結果の主道具となっているのです。
そこで、今回は「宇宙論」が主テーマではありませんので、ここでは
詳細に触れないでおきますが、一点アインシュタインの名誉回復の一環として
代弁強調させて頂きますと、「宇宙定数」に関してのことです。
この「宇宙定数」に関しては、しばしば「アインシュタインは、事実よりも
理論を重視させてきた!!」と言われてきました。
(当ブログでも、前にはそのように語ったこともあります)
しかし、今回本書を読み進めながら、あらためてアインシュタインの科学的考察法を
反芻してみますと、確かに、あの「宇宙定数項問題」自体は、アインシュタイン自身も
後日認めていますように、「わが生涯最大の過ち」だったのかもしれません。
とはいえ、他の「重要問題すべて」に該当するものではなかったということは、
是非とも強調しておきたい点であります。
アインシュタインほど、誰よりも粘り強く「事実を積み上げてきた科学者」は
いないと思われるからです。
これも、簡単に決めつけることなど人倫上許されませんが、
これまでによく言及されてきたことに、
アインシュタインの独特な「脳内構造」があります。
一説によると、「アスペルガー障害」だとか、
「自閉症(スペクトラム)障害」だとか何とか・・・
管理人は、もとより、確認する術もないですし、
人権上の問題もありますし、
個人的な事情にも興味関心すらありませんが、
アインシュタインのような「ボトムアップ型思考法」には、
興味が惹かれるところです。
科学者にも、「森(全体像)を地図として描いてから、
木(個別事実)にアタックしていくトップダウン思考」を好む人もいますし、
「木(個別事実)を寄せ集めて、一つずつ地道に森(全体像)を
築き上げていくボトムアップ思考」を好まれる人もいます。
いずれにせよ、一つずつ「事実」を積み重ねては、「検証」し、
確実と思われるものを「仮説」として設定しながら、慎重に地図を
描きながら思考していく「マッピング思考」が、科学的思考法の
原点のようです。
まとめますと、最初から「反証・反論・批判」を許さないような理論は、
「科学ではない!!」ということです。
それは、正しく「ニセ科学」であり、まさしく硬直化した
「教条的イデオロギー」だということです。
本書は、科学的思考法を巡っては対立していた
アインシュタインとボーアでしたが、
人間としての生き方では、「寛容と忍耐」に満ちた人生だったようです。
両人は、相互に尊重しながら、最期まで「友情関係」にあったともいいます。
各人各様、考え方や立場は異なっても、世界をより良くするために
協力していく姿勢は、単なる「科学的思考」にとどまらず、
私たちも見習いたいところであります。
本書は、そんな「友情論」としても読める好著です。
さて、現代の世界情勢とも絡めて考察しておきたいのが、
アインシュタイン=ラッセル書簡問題であります。
アインシュタインは、最期まで「平和主義者」だったといいます。
また、彼は、日本を愛していたようです。
確かに、米国滞在中には、公式には政治的理由だとされてはいますが、
「マンハッタン計画」にも関与していないようです。
ボーアは関与していたそうですが・・・(本書421~422頁)
ただ、これにもボーアの母親がユダヤ人でもあり、何としてでも
ナチスの暴虐から母親を救いたいとの一心で、関与したのかもしれません。
そのあたりの「内心事情」を推し量ることは出来ませんが、
ボーア自身も終生、「良心の呵責」は感じていたようです。
もっとも、「日本人」にとっては、許し難い暴挙でもありましたが・・・
少なくとも、将来二度とこのような過ちが繰り返されてはならないでしょう。
また、アインシュタインは、イスラエル大統領に推挙されたことも
あったようです。(本書425頁)
現実には、「自らの統率力のなさ」を自覚していたこともあり、
拒絶することになるのですが、もしなっていたとすれば・・・
「歴史にイフ論は禁物」ですが、現在の「中東問題の大混乱」を
見るにつけ、悲しみに襲われるのは管理人だけでしょうか?
アインシュタインには、この論争でもかいま見られましたように
「宇宙人としての視点」があったようです。
だからこそ、最期まで、「宇宙に隠された暗号(愛=神)」に
忠実であったのではないかと思われてくるのです。
その意味で、現代物理学は、「相対論」であろうと、「量子論」であろうと、
単純な世界構造を探る「物理学・数学」ではなく、「世界観」をも
考えさせる「哲学・宗教」でもあるようです。
「何としてでも、地球に愛の華を咲かせたい!!」
アインシュタインの生涯を観察していると、
そのような熱い想いが伝わってくるようです。
最後に、これも「相対論」と「量子論」の副産物ですが、
「重力波(相対論)」VS「人工知能(量子論)」
それぞれが、今後この世にもたらす「衝撃波」は
どのようなものになるのでしょうか?
いずれにせよ、
「すべての人類が、世界(宇宙)の心と邂逅する日が待ち遠しい」
今日この頃です。
ということで、皆さんにも「物理学」から「哲学」まで幅広く
考えさせてくれる好著ですので、是非ご一読されることをお薦めします。
また、「物理学」が苦手な「理系志望者」にもお薦めしておきます。
最後にアインシュタインの言葉で、筆を擱かせて頂きます。
『わたしが知りたいのは、神がどのようにしてこの世界を作ったのかと
いうことだ。あれこれの現象や、さまざまな要素には興味がない。
わたしは神の考えを知りたい。その他のことは枝葉である。』
(アルベルト・アインシュタイン、本書430頁)
そして、アインシュタインが最期まで心の拠り所とした
「魂の言葉」
『真実を手に入れたいという願望は、真実を手に入れたという
確信よりも尊い』(ゴットホルト・レッシング、本書468頁)
最後までお読み頂きありがとうございました。
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