「亡国に至るを知らざれば、これすなわち亡国なり!!」今だからこそ田中正造翁の「遺言」に耳を傾けよう!!
足尾銅山鉱毒事件・・・
教科書などで、その名を見聞きされた方も
多いことでしょう。
本来「政治」とは、何のために存在するのか?
森羅万象一切万物の「幸福論」とは?
生涯問い続けた明治の気骨ある政治家「田中正造」
地球上で「文明の限界」が至る所で観察される現在・・・
もう一度「人間の原点」に立ち返って考えてみたいものです。
「亡国に至るを知らざれば、これすなわち亡国なり!!」
今回は、この本をご紹介します。
「真の文明は人を殺さず~田中正造の言葉に学ぶ明日の日本~」(小松裕著、小学館、2011年)
小松裕さん(以下、著者)は、生涯を通じて「田中正造」翁の研究などを
通じて、「日本近代思想史」を専攻されてきた学者です。
田中正造を一躍有名にした「足尾銅山鉱毒事件」
同じく四大公害病の一つである「水俣病」も有機水銀を原因とする
「鉱毒事件」でした。
そんな先生の熱意も伝わったのでしょうか?
熊本大学教授として研究活動をされておられました。
この本が出版されたのは、2011年の「東日本大震災」の年でした。
残念ながら、2015年にご逝去されました。
ここに慎んでご冥福をお祈り申し上げます。
現代日本では、政治的立場を問わずに相変わらず「権謀術数」に明け暮れ
お互いに「レッテル貼り」する「後ろ向きな政治」が続いています。
もうそろそろ「いいかげんにしてくれ!!」と・・・
だからこそ、政治的党派にかかわらず「本来の憲政の常道」を歩まれた
「気骨ある」明治の政治家「田中正造」翁に改めてスポットライトを
当ててみたいと思うのです。
管理人と「田中正造」翁との出会いは、確か小学校六年の国語の教科書
だったかと思います。
「光村図書」だったかしら・・・
晩年は、一人の「谷中村の住民」として「信玄袋」だけが残されていた
という場面は今も印象に残っています。
「亡国に至るを知らざれば、これすなわち亡国なり!!」
人間にとって、何が一番大切なことか?
今回は、そんなことを考えていきたいと思います。
なお、ドキュメンタリー映画「赤貧洗うがごとき~田中正造と野に叫ぶ人々~」も
上映されていたようです。
「亡国に至るを知らざれば、これすなわち亡国なり!!」
日清戦争直後から日露戦争にかけて「富国強兵・殖産興業」路線をひた走る明治日本・・・
その影には、「足尾銅山鉱毒事件」始め数々の「犠牲者」が出現していました。
戦費調達と産業振興偏重主義のため、「増税」に苦しむ「無辜(むこ)=無実の民」も
国内に増え続けていました。
奇しくも「第38回世界遺産委員会」に登録された「富岡製紙場」のある群馬県の
隣県(栃木県)が「足尾銅山鉱毒事件」の舞台でした。
ドラマで描かれていないところで、急激な近代化に堪えることの出来なかった
民衆がいたことも、決して忘れてはいけません。
そんな厳しい時節でしたから、「田中正造」翁も「亡国の憂慮」を
たびたび口にするようになりました。
国会での政府答弁にも誠実さがない現実に、ついにしびれを切らして出た言葉が
「亡国に至るを知らざれば、これすなわち亡国なり!!」です。
同じ明治の政治家であった中江兆民も国会は「無血虫の陳列場」
だと激しく揶揄しました。
前にも当ブログで語りましたが、福沢諭吉に代表されるような意見が大半を
占めていたようです。
「西欧に追いつけ追い越せ!!」をスローガンに「冷酷な実利一辺倒」の
発想を持った人間が官民挙げて主流だったようです。
ただ、20世紀以降の「イデオロギー」にまみれた醜い「党派争い」とは
関係なく政治家間の協力は今よりは緩やかだったようですね。
日本に左右両翼の極端な「イデオロギー」が普及していくまでは、
牧歌的な人間交流もあったようです。
価値観に関係なく交流できる「大きな器」は、今を生きる私たちも見習いたい所
でもあります。
南方熊楠などの民間人も、ユニークな交流があった時代でした。
おそらく、幕末から明治にかけて青少年期を過ごした人々には自然と物事を柔軟に
見る習慣もあったのでしょう。
「やはり小国は小国なり」
この頃には、小国主義(いわゆる小日本主義)に立った現実的な「国防論」を
考える思想家も左右問わずいました。
「小国寡民」(老子)
現代日本人も、この柔軟な姿勢を学ぶべきでしょう。
「天地とともに」生きる!!
実は、明治以前には「天道思想」という考え方が当たり前だったようです。
「二宮金次郎」「西郷隆盛」などなど・・・
「人は見ていなくとも、お天道さんが見てござる!!」
21世紀を生きる私たちも「生きる原点」に立ち返る必要があります。
「天産自給」
「土地は天のもの」
現在の様々な「狂乱」は、この当たり前の「宇宙の天理・天道」を忘れた所に
原因があります。
「田中正造」翁のバイブルは、大日本帝国憲法と新約聖書でした。
ことに、「憲政の常道」を歩まんとする翁にとって
憲法とその大本「五箇条の御誓文」の精神
「上下心を一つにして」が精神的支柱だったのでしょう。
また、新約聖書の精神である
「隣人愛」
「地の塩、世の光」
これもまた、翁の「愛のまなざし」を育てたのでしょう。
「目前見るに忍びざる惻隠の心」
いたずらに実現困難な「理想」を追い求めるのではなく、いま現在「目の前」で
困っている人の心に寄り添ってあげる「思いやり・慈悲の心」のことです。
現代日本人は、あまりにも「急激な結果」を求めすぎです。
「原発」の問題もそうでしょう。
いきなりの「急停止」
短時日での「再稼働」
いずれにしろ、不安を煽り立てることなく冷静に「エネルギー政策」を
考えていきたいものです。
「農業」の問題もそうです。
「真の文明は 山を荒さず 川を荒さず 村を破らず 人を殺さざるべし」
私たちは、「いま・ここに」現実(堅実)的に「出来る範囲」のことに
精一杯集中して「未来志向」で歩んでいきたいものです。
なお、田中正造について知りたい方へ
「田中正造~公害とたたかった鉄の人」(砂田弘著、講談社火の鳥伝記文庫、1981年)
「白い河(風聞・田中正造)」(立松和平著、東京書籍、2010年)
「田中正造 新装版」(布川清司著、清水書院、2015年)
をご紹介しておきます。
最後までお読み頂きありがとうございました。
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[…] (ちなみに、田中正造翁については、こちらの記事もご参照下さいませ。) […]