下鴨神社の就職失敗が無常観に!!鴨長明の逆転劇「方丈記」を読む!?
現在、第34回の式年遷宮中でなにかと話題になる「下鴨神社」。
鴨長明は、下鴨神社(正確には摂社の河合社)の就職に失敗します。
もともと和歌の素養を背景に(当時のインテリ貴族にとっては就職チャンス)
神官になりたいというのが鴨長明でした。
上昇志向の強かった鴨長明。
今ならさしずめ高学歴ワーキングプアの仲間入りといったところでしょうか?
しかも一種の同族会社の就職失敗ですから鴨長明もよほど骨身に応えたのでしょう。
若い時分から引きこもり願望が芽生えてしまったのです。
それでは、鴨長明はいかにして自らの人生を生きていこうとしたのか?
「方丈記」を紐解きながらヒントを探っていきましょう。
「方丈記」(鴨長明著、角川ソフィア文庫、簗瀬一雄訳注)
有名な「方丈記」の出だし。
~ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、
かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、また
かくのごとし。~
この文章から始まる「方丈記」はいつの時代にも人々の心の琴線に触れるらしい。
「この世に変化しないものなど何もない。」
この解釈から一種の「あきらめ観=無常観」を読みとってきました。
では、「方丈記」とはただ単に「数寄者による隠者文学」。
今風で言うと、「ニート・オタクの引きこもり文学」なのでしょうか?
以下では、このことを皆さんとご一緒に考えていきたいと思います。
引きこもりになるきっかけはいつの時代でも同じ?
現代でもよく引きこもりになる原因として「自意識過剰」がしばしば言及されます。
「こだわりが強すぎる」だとか。
しかし、「引きこもりの心理は誰にでもあるものだ」と解釈した方がよいでしょう。
なにも「特別な人間」だけがなるものでもないでしょう。
要するにこれは心を持ってしまった「人類共通の宿命」だと思うのです。
ですから、精神科医のように「治療」しようとすることはまず不可能でしょう。
なぜなら、「引きこもり心理」は「他人と違う感覚を理解させることが絶望的に困難」
だというところから生じるものだからです。
その人にとっては、まさに「人生をかけた問い」なのです。
いかにして引きこもりから脱却するか?
おそらく他人に依存しようとする心理状況から抜け出すきっかけを
各人で見つけない限り不可能だと思われます。
引きこもりから脱却できるようなヒントは与えることもできるでしょうけれど。
「引きこもり心理=その人にとっての人生の課題」
だからこそ、「各人が納得できる答えを探していく過程こそが必要」なのです。
そこで、逆説的かもしれませんが「一旦世間や他人の流儀を離れて自分を見つめ直す
作業から始めるしかない」と思います。
すなわち、「自分の人生を生きること」です。
「世間や他人の流儀を基準に自分の人生のモデル構築をしている限り脱却はほぼ不可能」
そう思い定めることが大事だと思います。
もっとも、私も含めておおかたの人間にとっては不安やおそれの方が先立つでしょう。
いつの時代も「普通の人間」にとっては生計を立てるのは困難を伴います。
そんな時は次の言葉を噛みしめてみましょう。
「人事を尽くして天命を待つ」
「一切の計らいを捨てて天道に従う」
このことによって自分に差し迫る不安やおそれと真正面から向き合うのです。
「無常観」とはニヒリズムか?
では、「方丈記」はどのように読んでいけば現代に活かせるのか?
しばしば「方丈記」は「無常観の文学」「隠者の文学」と分類されます。
「方丈記」に影響を与えている「仏教・道教(老子・荘子)思想」もまた
「隠者の思想哲学」とされています。
しかし、そのような表面的なレベルでの解釈でよいのでしょうか?
「無常観のエッセンス」を今ひとつ受容消化しきれていないような感じがするのです。
学校教育でも同じ。
そんなことから「無常観=迷いの始まり」になっていくのではないかと思います。
果たして、「無常観とはむなしさ(ニヒリズム)」だけなのでしょうか?
禅仏教や密教では「無常観」をもっと積極的・肯定的にとらえているようです。
哲学に興味関心がある方なら西田幾多郎の「絶対矛盾的自己同一」という言葉も
ご存知かもしれません。
私のつたない解釈では、これも「絶対的肯定」のように読めるのですが・・・
西田先生の場合、禅仏教の影響を受けておられるらしいです。
そんなこんなで主に「無常観」を中心に考えてきましたが、最後にもう一度まとめましょう。
決して、「無常観」とはむなしいことではありません。
むしろ、人生を「より積極的に肯定」してくれるものと考えた方がしっくりくるような
感じがします。
また、よく解釈されているように鴨長明は単なる「隠者=引きこもり」でもないと思います。
なぜなら、晩年に至るまで出世をあきらめている節が見あたらないことなどからです。
人生の最期まであきらめることなく、各人の人生における楽しみを追求していく。
そんな姿勢こそが幸せになる秘訣なのかもしれません。
皆さんも一人一人の異なった「方丈記の読み方」があると思います。
秋の夜長に月でも愛でながら、たまには「方丈記」と親しむのも面白いでしょう。
最後までお読み頂きありがとうございました。
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