小塩節先生の「トーマス・マンとドイツの時代」を読み、人間精神への動揺に対する免疫力をつける知恵を学ぼう!!
「トーマス・マンとドイツの時代」
かつて、駐西ドイツ日本国大使館公使も
務められた小塩節先生が、20世紀ドイツを
代表する文学者「トーマス・マン」を紹介しています。
19世紀から20世紀にかけてのドイツは、世界人類史
における「壮大な実験場」でした。
後進国の悲劇は、同じく東洋における日本にも
影響を与えてきました。
「トーマス・マンとドイツの時代」を読むことで、
「時代の転換期と人間精神の動揺に対する免疫力」を
身につける知恵を学びましょう。
今回は、この本をご紹介します。
「トーマス・マンとドイツの時代」 (小塩節著、中公新書、1992年)
小塩節先生(以下、著者)は、ドイツ文学者であり、
20世紀末の「ドイツ統一前」における、西ドイツ日本国大使館公使
として駐在経験もある異色のご経歴をお持ちの方です。
ドイツのケルン日本文化会館館長も務められ、日独の友好親善活動に
多大なる貢献をされてこられました。
NHKでは、「ドイツ語講座」も受け持たれ、キリスト教徒として、
また、幼児教育などにも造詣の深い方であります。
さて、今回ご紹介させて頂くトーマス・マンも
昨日ご紹介させて頂いたヴァルター・ベンヤミンと同じく
「亡命ドイツ人」を経験しています。
2人が生きた時代のドイツは、19世紀末期から20世紀半ばに
かけて世界史における大混乱期でありました。
当時のドイツは、これまでの人類が経験したこともないような
大きく人間精神に動揺を与えた凄絶な「社会実験場」でした。
人々の心は、引き裂かれていき、激しく苦しめられ、
痛めつけられていきました。
19世紀のドイツは、イギリス発の「産業革命」の影響が、
後れて一挙に押し寄せ、その対応に迫られていた時代でもありました。
そのあたりの事情は、日本でも同じなのですが、この両国に共通した
悩みが「後進国(新興国)」の立場だったことです。
森鴎外もドイツへ留学した時代には、統一ドイツ帝国として
「鉄血宰相」ビスマルクの指導下、後れてきた「産業革命」とともに、
あらゆる「社会改革」の実験中でした。
そのために、いつも「急進的な社会改革」の中、「追いつき追い越せ!!」の
かけ声で、人々は強迫的に駆り立てられ、人間精神に動揺が走っていった
時代でもありました。
この時代のドイツには、あまり文化も花開く機会が少なかったそうです。
特に、19世紀末期には(ブラームスやワーグナーなどを除いて)・・・
つまり、息苦しい時代風潮が原因で「退廃期」を迎えていた時代でした。
そのような時代思潮の下で、生まれ育ったのがトーマス・マンでした。
後ほど、本文で詳しく語っていきますが、そのような「文化的に不毛な時代」に
生まれ育ったためか、トーマス・マンには「大きな野心」もあったようです。
ただし、大きく変動していくドイツ社会の巨大な「嵐」に飲み込まれていき、
人生における大きな精神的動揺も経験していくことになるのですが・・・
では、トーマス・マンは、そのような極端に揺れ動く社会の下で、
どのような精神姿勢で生き抜いていったのでしょうか?
「トーマス・マンと(彼の生きた)ドイツの時代」を知ることは、
再び「時代の大激変」を迎えようとする、今日における皆さんの「処世術」にも
少しはお役に立つのではないかと思い、この本を取り上げさせて頂きました。
トーマス・マンの生きた時代背景
トーマス・マンは、北ドイツのリューベック市の
裕福な商人で市参事会員(自治会員)であった
父と母のいる家庭で生まれ育ちました。
プロテスタントの影響を受けていたようです。
しかし、父は早くに亡くなり、100年以上続いた
マン穀物商会も解散することになります。
トーマス・マン自身には、「商才」もなく
「家業」に特段、興味関心もなかったのか、
彼は、一時期「実業高校」に入学するも中途退学。
母や弟妹の後追いでミュンヘンに移り住みます。
ごくごく僅かな期間だけ、外でお勤めしていたようですが、
それもすぐに辞め、父の残した遺産の下、
やがて「芸術活動」への道へと邁進していくのでした。
この本では、「トーマス・マンと(彼の生きた)ドイツの時代」という
主題で、19世紀末期から20世紀半ばまでの「時代思潮」と
彼の生まれ育った背景事情をドイツ史とともに学べるようになっています。
ここで、彼の生涯に渡る精神の骨格を形作っていった背景事情について
触れておきます。
彼は、北ドイツのリューベック市で生まれたのですが、ここは
海港都市でもあり中世以来、独特な「自治都市」として栄えてきた街でした。
この「自治都市」における「市民」という感覚は、彼の人生にも決定的な
影響を与えているようなので、少しドイツ史をおさらいしておきましょう。
一応、管理人も高校時代に「世界史」を選択していましたので・・・
とはいえ、古代から近世のルターなどによる「宗教改革」に至るまでの
ドイツ史は、「世界史の中でも一番複雑で理解困難!!」なのですが・・・
キリスト教文化史も絡んできますし、日本人にとって馴染みの少なかった
「自治都市文化」もありますので、説明しづらいところがあるのです。
そこで、ここは著者も若干説明の便宜を考慮してくれているように、
「中世自治都市=日本における中近世の<自治都市>堺や博多」を
イメージして頂きましょう。
ドイツでも事情は似ていたようですが、この<自治都市>は
群雄割拠の戦国時代のような環境の中で、
「寄合集団(町衆=商人を中心としたグループ)」の同盟で成り立っていました。
ドイツの場合には、中世以来、長期間「神聖ローマ帝国」という
一種の「超宗教国家」の影響下にあったようです。
日本で言うと、一向宗(浄土宗系)の「石山本願寺」みたいなイメージです。
あの織田信長さえ、抑えるのに難儀したという「超宗教集団」です。
もっとも、この類比的説明は厳密な記述ではありませんので、あしからず・・・
大いなる「誤謬」も含まれていますので、あらかじめご了承願います。
ですので、大学受験生の方におかれましては、管理人の説明を鵜呑みになさらずに、
世界史の教科書を精読されることを、お奨めいたします。
間違っても、「記述問題」に「そのまま」書かないで下さいね。(苦笑)
閑話休題・・・
つまり、この中世には古今東西問わずに「聖と俗の権力」が
今と違い分離しておらず、絶えず悶着が起きていたのです。
そのために、現代の主権国家体制とも異なる、緩やかな連邦体制だったのです。
緩やかな連邦体制ならば、中央に最強の「まとめ役」が存在すればいいのですが、
そのような「まとめ役」もいなければ、「大空位」時代となり、
戦国の乱世に逆戻りしてしまうという訳です。
日本で言えば、「足利将軍幕府」が弱くなった状態です。
そのような時代になると、一般の民間人は「自警団」を結成しなくては
安心して生きていけません。
それが、「座(ギルド集団)」の発生です。
各「座」は、それぞれに「自治」を敷き、そこでの決定事項により
税金(関税)制度などを各自取り決めていたのです。
いわば、一種の「経済同盟」ですね。
それは、自らを保護するためとはいえ、度が過ぎると「既得権益」も
生じさせてしまいます。
それを、取り払って(今風で言うと、<規制撤廃(緩和)>です。)
「楽市・楽座」制に切り換え、強大な安定権力の庇護の下の「自治」に
切り換えていったのが、織田信長でした。
要するに、ドイツにおいても、これと同じ状況にあったという訳です。
まとめますと、そのような「関税」をお互いに共通に維持しながら
自由な商売がしやすいように、商売人による「相互防衛システム」が
「関税制度(もともとは、その名の通り<関所通行税>」でした。
その領域の強弱・広狭の「幅」によって、経済の発展度合も違ってくる訳ですね。
さて、「関税制度(経済同盟)」の話題が出てきたついでにですが、
昨今の国内外の経済状況を観察していると、「関税そのものが、悪!!」だとする
極論(暴論)も、あちこちで散見されるようになり、それも一因になっているのか、
「経済が大混乱」に陥っているようです。
たまたま、ドイツが今回の話の舞台となっていますが、
2016年現在のユーロ圏におけるドイツの舵取りも、中世ドイツの頃とは
大きく異なり、「経済危機」を誘発・促進させてきているようです。
現在のドイツでは、EUの特殊な経済体制や新自由主義的な経済政策とも
相まって、余裕のある経済活動も厳しい環境になってきています。
そのように、現代経済の「難問」との関連で、中世の「関税制度(経済同盟)」を
見直してみると、また、あらたな「経済危機の解決法」が、
見えてくるのかもしれませんね。
ここから見えてきた課題も、およそ「程度問題」だということです。
その意味で、「グローバル化」が今後とも進展することが予想される時代には、
この中世ドイツの「経済同盟」の叡智からも学び取りたいものです。
一方で、20世紀の「経済ブロック化」の過度な進行が、悲惨な結末を
招いてしまった歴史的教訓も、決して忘れてはならないでしょう。
21世紀に、この「経済的叡智」を活かす意義は、十二分にあると考えましたので、
この本の主題からは、多少「脱線」してしまいましたが、縷々語らせて頂きました。
閑話休題・・・
ところで、トーマス・マンの生まれた「港湾都市」リューベック市は
「ハンザ同盟」という「経済同盟」により発展してきた都市でした。
そのような経済環境で、「都市は自由」になっていったのです。
世界史を習った方なら、ご存じかもしれませんが、
有名な「都市の空気は自由にする」ですね。
やがて、安定したギルド(職人徒弟制度)が生まれていきます。
堅実に働きながら仕事を覚え、自らも独立していく。
そうして財産を積み立て維持し、「富裕層」になっていく。
それが、「(都)市民(ブルジョワ)の発生」です。
ですから、今では「ブルジョワ」という言葉には、何か「悪いイメージ」が
つきまとっているように思われていますが、もともとは
「都市の独立自営民(独立起業家)」のことを意味しているのです。
マルクスの影響もあり、あまり芳しくないイメージもありますが、
当初は「価値中立的な言葉」だったのです。
このあたりの「ドイツ歴史事情」は、この本でも詳細に解説されていますので、
そちらにゆずらせて頂きます。
このような経済環境下で、トーマス・マンは生まれ育ったので、
若い頃より「独立心旺盛」だったようです。
ゲーテの小説にも、そのような生き生きとした「若き独立修業者」の
物語があります。
ですから、18世紀から今に至るまで、一般的にはドイツでは、
このような「独立徒弟制度の名残」も色濃く残っているようです。
一方、ドイツは、長期間「ヨーロッパの覇者的存在」でもありましたので、
他国に対しては、誇大な物語でもって優越する文化もあったようです。
その文化が、「ロマン主義文化」でした。
この右手に「勤勉」、左手に「誇大妄想的ロマン文化」というように、
その時代ごとに揺れ動いてきたのも、ドイツとドイツ人でした。
トーマス・マンの作品にも、まさに同名の『ドイツとドイツ人』が
ありましたが、彼の人生における精神遍歴とともに「ドイツとドイツ人精神」も
また揺れ動いてきました。
その極端なバランス失調が、彼をも苦しめさせたようです。
トーマス・マンの作品の詳細は、この本をお読み頂くとして、
その作品の背景(主旋律)には、絶えずこの「音楽」が鳴り響いていることを
ご理解のうえ、観賞して下されば、トーマス・マンとその作品に
より一層親しめることでしょう。
まとめますと、トーマス・マンにとって、
自ら憧れ、習慣ともなっていた「独立職人的気質」と
自由に羽ばたくことに憧れる「芸術家気質」との間で
いかにバランスを取って生きていくかが、人生のテーマだったということです。
人間精神の動揺に耐えうる免疫力をつける知恵
ところで、この本では「トーマス・マンとその作品の紹介」、
「彼の生きたドイツの時代の解説」を通じて、「不安定な時代」に
おける「処世術」の知恵を学び取ろうということが、
今日の主テーマでした。
彼は、「芸術家」には珍しく、割と「裕福な生活」をしていたようです。
奥さんのカチアはユダヤ系であり、もともと大学で「数学」を専攻して
いたので、「生計観念」もしっかりしていたようです。
また、長女エーリカもしっかりしていて、後にトーマス・マンが
ナチスの支配から逃れようとするも、なかなか「亡命」の決心が
つかない父を、強く促す力を発揮しています。
トーマス・マンは、熱烈なドイツ愛国者でもあり、かつては
第一次世界大戦時には、「反戦派」のロマン・ロランや兄からも批判されるほど
「戦争擁護派」でもあったようです。
また、1895年から1896年には、一時期「極右系」の雑誌に
投稿していたなど、戦後の民主化の流れの中では
隠しておきたかった事情もあったようです。(本書191頁参照)
一方では、第一次世界大戦後「ワイマール共和国精神」に共鳴しながらも、
リベラル精神や「よき」社会主義には、共感も抱くなどバランス感覚も
持ち合わせていました。
「愛国者であり、リベラルにも寛容」という精神は、管理人も
見習いたいところであります。
トーマス・マンは、「独立精神」を培ってきたのか、「時代の空気」には
時に流されながらも、総体的には慎重な距離を取ってきたようですね。
彼の場合、奥さんがユダヤ系でもあり、それが「亡命」の大きな要因の
一つでもあったようですし、ドイツロマン主義の影響を受けながらも、
「野蛮で反知性的な時代思潮」には、最大限「抵抗」してきたことも、
「亡命」の決断へとつながったようです。
それでも、彼は根っからの「ドイツ愛国者」であることもあり、
なかなか「祖国」を離れる決断が、ぎりぎりまでつかなかったようです。
しかし、一方では、彼は「ファシズム批判」も展開していきました。
そのあたりの事情をテーマにした作品が、ノーベル文学賞を受賞した
『マーリオと魔術師』でした。
また、ナチスの御用神学『20世紀の神話』に抗して『ヨセフとその兄弟』
という作品に仕立て上げます。
トーマス・マンは、ゲーテの影響を多大に受けながら、
終生「人間の崇高な精神と生けるものへの愛」について
考察した作品を、多数「物」しています。
ゲーテの『ファウスト』に触発された『ファウスト博士』。
その「救いのない世界観」に対する『選ばれし人』。
こちらは、最後は「神による恩寵(祝福)あり」とする
「過ち」を悔い改める者であれば、「救済」されるとの
人生賛歌の作品です。
トーマス・マンの代表作には、『魔の山』がありますが、
「真剣に生きようとする者たちとともに歩む愛の賛歌」が、
この作品のテーマであります。
管理人は、トーマス・マンの『魔の山』自体は、未読ですが、
著者の解説から推測すると、堀辰雄の『風立ちぬ』のテーマとも
似ている作品のようですね。
ゲーテによると、「古典的なものは健康であり、ロマン的なものは病的だ」
ということのようですが、ロマンティックなファンタジーなくしては
とうてい厳しい現実社会を乗り切っていけないのが、人間の「弱さ」だと
すれば、大変痛い点でもあります。
いかに、生命力を賛美していても、その行き着く果ては「死」という
ことが、ロマン主義の帰結だとすれば、
この「死への欲求(タナトス)」(フロイト)を克服していくことが、
人類の「永遠の課題」なのかもしれません。
それは、何度も管理人が強調し、自らにも語り聞かせている
「自分の内面に住む影」と安定的に付き合っていく知恵と工夫でも
あります。
様々な「価値観」の対立も、その「影」が表に現れ出た現象だと
されています。
「人間」も「国家」も、「個人」と「集団」という違いはあっても、
精神状況は相似形のようですね。
その意味では、私たちも「自らに正直に生きる」ことが、
「不協和(暗い影)」と真正面から向き合う最大の知恵だということに
なるのでしょう。
それが、「自らの内面」に「影」を留める知恵にもつながり、
「自らの外面」へと飛び出させない狡猾な叡智を身につけるということなのでしょうか?
著者と生前のカチア夫人との会話でも、
著者:『人生と芸術、生と精神、愛と創作、それはご夫君トーマス・マンの
一生を通じてのテーマだったし、緊張をはらんだ対立ですね。
ことばを変えれば愛と孤独、家庭生活と芸術創作と言える-、
これはただの緊張関係じゃない。
あれか、これか、二者択一の問題でしょう。・・・(以下、省略)』
カチア夫人:『いいえ、二者択一じゃない。綜合すべきことよ。
それに必要なのは堅忍不抜の忍耐力と深い愛、互いへのおもいやり、
そしてね、ほんの少しばかりの狡猾かしら、人生への。・・・
(以下、省略)』と、語り合わされたようです。
私たちも、厳しい経済事情の下にあっても、何か「生きる目的」を
一つでも多く持ちたいものです。
トーマス・マンは、リルケほど深刻な生活環境にはなかったようですが、
精神の動揺に処する知恵という意味では、「貧富の差」など
ないのかもしれません。
どのような「個別事情」があろうとも、精一杯生きることが出来たなら
それだけでも「よし!!」と言える勇気こそが、
最終的に「自らのいのち」を救ってやる「唯一の希望」なのかもしれませんね。
ということで、時代の暗い雰囲気から、不安やおそれを抱かれた時には、
トーマス・マンやリルケの作品を、ご一読されることをお薦めします。
この本は、これからトーマス・マンの作品を読まれる方にとっての、
格好の「入門書」となっています。
皆さんも、著者のナビゲートを受けながら、トーマス・マンの作品に
親しんでみませんか?
きっと、21世紀現在の「大激変の時代」をうまく乗り切る知恵を
授けてもらえるのではないでしょうか・・・
今回は、『トーマス・マンとドイツの時代』を読み進めてきましたが、
この本で紹介されているトーマス・マンの「問題意識」は、
いつの時代でも、決して「他人事ではない!!」ということを、
最後に確認しながら、筆を擱かせて頂きます。
最後までお読み頂きありがとうございました。
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