アーサー・I・ミラー氏の「ブラックホールを見つけた男」鬱とともに生きた天才チャンドラセカールから学ぼう!!
「ブラックホールを見つけた男」
インドのチャンドラセカールという無名少年の
理論的発見から、ブラックホール探究は始まりました。
最近の「重力波観測」からも、再び注目されるように
なったブラックホール。
何と、最初の理論的発見から40年間も放置・・・
その背後には、どんな物語が待ち受けていたのでしょうか?
様々な人間模様や、世界観の対立、人生における煩悶が
渦巻いていました。
今回は、この本をご紹介します。
「ブラックホールを見つけた男」(アーサー・I・ミラー著、阪本芳久訳、草思社、2009年)
アーサー・I・ミラー氏(以下、著者)は、イギリスの
ロンドン・ユニバーシティ・カレッジの科学史・科学哲学教授です。
日本でも数多くの科学分野の啓蒙書が邦訳されています。
前にもご紹介させて頂いた『137』の著者です。
今回、著者は2人の天体物理学者の「世界観」を主軸に
ブラックホールの歴史や、人間の複雑な心理模様を描かれています。
「ブラックホールと心の闇」
一見、物理世界と精神世界とは、まったく異次元の世界に思われますが、
この境界上には、大いなる共通点があるようです。
とはいえ、そんな「暗い闇」とも、きちんと立ち向かえば
「明るい光」の世界へと進化発展できるようです。
本書の主人公は、「ブラックホールを見つけた男」チャンドラセカールです。
1930年、イギリス留学のため、故国インドからヨーロッパ大陸へと
移動する船旅上で、突如「天啓」のごとく湧き出てきたアイディアこそ、
後に「ブラックホール」と呼ばれる「星」に関する探究の「最初のひらめき」
でした。
もちろん、日頃の学問的研鑽の積み重なった結果、現れ出てきた「ひらめき」
ですが、この「理論的発見」の行方には、前途多難が待ち受けていました。
それが、本書のもう一人の主人公であり、当時の天体物理学における
世界的権威者アーサー・スタンレー・エディントン卿でした。
このエディントン卿については、前記著書『137』の主人公である
神秘的天才物理学者パウリとも論争し、悩ませた人物として知られています。
宇宙を成り立たせる「微細構造定数137」を、緻密な数学的処理と慎重な姿勢で
導き出していくパウリに対して、あくまで緻密な数学的処理では、「137」の近似値を
導き出したとはいうものの、自らの「理論的」世界観から「微細構造定数136」に
無理にでも誘導させようとするエディントン卿・・・
両者ともに、「神秘的」物理学者だったようですが、その「科学的」研究姿勢にも
大きな違いがあったようです。
本書でも、そんなエディントンとチャンドラセカールにおける「世界観」の対立が
もう一つの大きなテーマとなっています。
ということで、本書『ブラックホールを見つけた男』を読まれる際には、前後は
読者の皆さんのご自由ではありますが、著者の『137』ともご併読されることを
強くお薦めさせて頂きます。
そうすることで、現代物理学が、実は「各人各様の世界観(人生観)」が反映された
学問でもあることが、見えてきます。
さて、このような本書ですが、最近の宇宙物理学にも目覚ましい躍進があるようです。
「天体」物理学から「宇宙」物理学へ・・・
これは、さながら19世紀末期から20世紀初頭におけるニュートン的「古典」物理学から
アインシュタイン創始の「相対論」およびボーア創始の「量子論」といった
「現代」物理学への躍進過程に匹敵するようです。
それでも、現代「宇宙」物理学は、1世紀ほども大きな「後れ」を取っているようです。
その原因は、いかに?
それこそが、本書のテーマとも重なるようです。
こうした現代物理学の内情を観察するだけでも、
「歴史は人間の意識が動かしてきた!!」という視点が得られます。
最近の「重力波観測」で、再び注目を集める「ブラックホール」ですが、
その探究過程にも、多くの人間的利害が絡んでいたようです。
本書の主人公チャンドラセカールも、「権威者」エディントン卿の影に
苦しめられた人物だったようです。
「生真面目で繊細な天才少年」も、生涯「抑鬱状態との闘争」でもありました。
なかなか、人前では「本音をさらけ出せない」という性格は、同じような傾向性を
有した人間にしか、理解され得ません。
そんな「抑鬱状態」で煩悶されておられる方々にも、勇気を与えてくれる人物が
チャンドラセカールです。
ということで、皆さんにとっても、日々の仕事といった「本業」とは関係ないところで、
「人間関係の微妙な外交的ストレス」に煩悶されておられることと思われます。
そこで、本書をともに読み進めながら、より「広い視野」から「ストレス」を
飼い慣らして頂くヒントや活力として、有効活用して頂こうとの趣旨で、
この本を取り上げさせて頂きました。
なお、本書も「理系」書籍であり、「文系」読書人にとっては、この世界に
興味関心がない方なら、多少読了するのに「負荷」がかかるかと思われますが、
「理系翻訳者」としては、これまた定評ある阪本芳久さんの分かりやすい翻訳で
ありますので、ご安心して読み進めて頂けるものと感じています。
「ブラックホール探究」の裏側には、人間の「心の闇」との葛藤が孕まれていた!?
さて、これから「ブラックホール探究史」とともに、そこに渦巻く人間模様に
ついて考察していこうと思うのですが、本書の主人公チャンドラセカールも
「抑鬱」で生涯苦しめられたようです。
その「抑鬱」と、いかにうまく付き合うことが出来たのか?
そのヒントも、本書では学ぶことが出来ます。
「抑鬱」を経験されておられる方なら、すぐにも理解されるかと思いますが、
この「気の病??(管理人は、精神科医に不信感がありますので、あえて<病>と
いう言葉で、安易に「断定」したくはないのです・・・)」の恐ろしい点は、
「不定期」に背後から忍び寄ってくるからです。
実は、今週もこの「不定愁訴」によって仕事が遅滞してしまっているのです。
楽しみに待っていて下さる読者の皆さんには、誠に申し訳ございません。
ですから、管理人もこの「不定愁訴」をうまく手なずけつつ、「躁状態」のうちに
皆さんの前にご披露するべく、渾身の一打に「魂」を込めさせて頂いています。
「仕事」というのは、本来「人生そのもの」です。
前にもご紹介させて頂きましたが、「鬱病」の先輩方によると、
「仕事を人生の<優先順位に置くな!!>」との有り難いメッセージは頂くものの、
生真面目な、ある意味「完全主義者」にとっては、容易に受け容れがたいテーゼでも
あるようです。
もっとも、本書のチャンドラセカールもそうであったように、この世には、
そのような真摯な「求道者」がいるからこそ、曲がりなりにも「人類史」は
前進してきた訳ですが・・・
現代経済における「仕事」は、自らの「想い」を世に届けることが、
絶望的に困難なようです。
一般社会の論理では、「締め切り」「機会費用」「利害調整」など、
本来の、各人各様の心理状況など、「まったくおかまいなし!!」で
日々進行していきます。
こうした、現代経済生活事情の改善にこそ、役立ってくれるのが、
本来の科学的発見だと思われるのですが、現実は「諸般の事情」もあり、
難しいですよね。
管理人も、今後とも積極的に取り上げさせて頂く予定の「人工知能」も
個人的には、世間一般の心配とは異なり、むしろ、好意的な評価をしています。
なぜなら、現代経済が抱え込む「人間と仕事との距離感覚」が、大いに改善される
だろうと予測しているからです。
これでやっと、創造的な「仕事」に積極的に関与出来るのだと考えると、
ワクワク、ゾクゾクしてくるのです。
もっとも、今後の「技術革新」と「人間の意識進化」次第で、良くも悪くも
変化していく訳ですが、あと数十年もしないうちに、
大きな「歴史的ルネッサンス」が到来することでしょう。
とはいえ、「人間原理」とは複雑なものです。
そう簡単には、「問屋がおろしてくれません!!」
本書で語られる「ブラックホール問題」もそうでした。
「ブラックホール探究史のあれこれ」は、本書で詳細に展開されていますので、
また、読者の皆さんの楽しみもありますので、
いつもながら「一般的書評スタイル」とは異なり
(ここが、管理人の<売り>なのですが・・・)
ここでは必要最低限の解説で抑えさせて頂きますが、ここにも「人間原理」の
複雑な事情がもつれ合っていたようです。
チャンドラセカールは、インドに生まれ育った天才物理学者でした。
彼は、「天体」物理学者として、この「ブラックホール解題」で
ノーベル物理学賞を晩年に受賞されたのですが、
西洋人中心の「欧米物理学業界」では
なかなか困難である「快挙」を成し遂げられました。
このあたりは、同じ「東洋人」である日本人物理学者の皆さんにとっても、
同じく「胸のすくような万感の思いでいっぱい!!」でありましょう。
チャンドラセカールも、そんな「西洋人」中心の物理学会で苦しめられたようです。
それが、イギリスの天体物理学の「権威者」エディントン卿の「非科学的姿勢」に
あったようです。
「科学者といえども、人の子」とはいうものの、純粋な「学問探究の世界」では
フェアプレイ精神に欠けるものがあります。
イギリス紳士の「もったいぶった姿勢」に、振り回されたのも
チャンドラセカールでした。
本書は、「ブラックホール問題」が主テーマですが、
現代「ブラックホール問題研究」の中心地もイギリスであるようです。
本書でも語られているロジャー・ペンローズ博士やスティーヴン・ホーキング博士
などによる最新研究で、一躍「ブラックホールの中身」が見え始めてきました。
その延長線上に、現代の「重力衝撃波の観測」があります。
この「重力波」という考えも、アインシュタインの「一般相対性理論」の
予測から創出されてきましたが、この「ブラックホールの存在」自体も
チャンドラセカールの「理論的」発見から創出されてきたものです。
科学は、事実の積み重ねから理論構築へという流れが、「古典的」科学研究の
過程だとすると、「現代」科学研究では、「理論構築(仮説設定)」から
実際の実験観測による修正を経ていくという流れにあるようです。
科学の研究対象が、より複雑化・精緻化されていくと、事実確認は「後追い」の
パターンになりやすいのです。
ところで、現代「理論」物理学の世界では、「相対論」「量子論」問わず、
もちろん細部には「人間的確執」もありますが、詳細な議論は「大歓迎」という
状況になりつつあるようです。
また、昔に比べて、科学の世界も日進月歩でありますから、
「権威者」も日々更新されていきます。
この点、「社会科学??」の世界は、
まだまだ「時代錯誤的イデオロギー論争の場」であるようです。
つまり、容易に「政治的介入」がありすぎる世界だということです。
ことに、「法学・政治学・経済学」といった「実学」分野は、そうであります。
この「あまりにも人間的な」学問の世界は、
文理また実学・非実学(管理人は、<虚学=まったく役立たない学問>などないと
確信しています。なぜなら、そんな<虚学>は自然淘汰されるはずだから・・・、
<虚学>などと言って、非実学分野を軽視するような俗人的風潮には嫌悪感を
抱いています。)問わずに、後世の人類と万類のために、本来の「知性・感性・霊性」を
働かせる場からは、ますます遊離していっているように感じられます。
(悪い意味で=つまり、世俗的に悪化していく一方ということです。)
そうした「あまりにも人間的な」学問の世界に、清涼な風を吹かせたのが、
チャンドラセカールでした。
さすが、哲学的伝統のあるインドです。
時代が行き詰まってくると、「原理原則思考」とともに「仮説思考」の
重要性が高まっていきます。
「仮説思考」なくして「原理原則思考」だけに偏重していくと、
それは「学問のイデオロギー化(政治利用)」に転化してしまいます。
一般の仕事における「職場」でも同じです。
長期的に安定した信頼関係は喪失していき、顧客満足度も低下していきます。
「学問と実用的仕事は違う」という甘い考えをお持ちの経営者がおられるとしたら、
おそらく時代の風雪に堪えられずに、生き残ることも厳しくなることでしょう。
世界的な時代の最先端を行く企業の場合には、こうした「実験的研究場」が
設定されています。
つまり、「数理学際的思考の応用活用」です。
もちろん、経営判断は難しいものです。
「先行投資には、失敗がつきもの」ですから。
しかしそのことは、「科学的新発見」でも同じようですね。
そうした「成功の陰に隠された大量の失敗経験」こそが、
次の時代を開拓することになります。
しかし、難しいのは、「人を見る目」です。
科学者も経営者も良き仕事人(職人)もすべての「開拓者」の前には、
融通の利かない人物が立ちはだかるようです。
しかも、イライラさせるほどの「通俗的執着心にとらわれた<俗人>」です。
精神的・物質的に優れた感性をお持ちの方なら、
いつも心の中でつぶやいているのではないでしょうか?
そこで、チャンドラセカールとエディントン卿です。
もちろん、エディントン卿にも、天体物理学の一時代を築くほど
素晴らしい才能はありましたし、本書で描かれていない繊細さも
あったでしょう。
その点は、「死人に口なし」ですので、公平に論評しなくてはなりません。
本書でのチャンドラセカールとエディントン卿との対立も、
こうした「世界観(人間観)闘争」でもありました。
前にもご紹介させて頂いた「アインシュタイン=ボーア論争」も
純粋な物理学論争だけではなく、世界観論争でもありました。
新しい見方を、世の中に提示するためには、「大きな壁」があります。
その「大きな壁」を乗り越えるためには、「強い芯」や「安全地帯」も
必要となってきます。
本書では、チャンドラセカールとエディントン卿の生い立ち事情を詳細に
追跡調査する過程で、一定の特徴を描き出すのに成功したようです。
とはいえ、本書の主人公はチャンドラセカールであり、著者の視点にも
偏りは生じていますが、「ブラックホール探究」の過程における、
各人の細かな心理描写には成功しているように感じられました。
粘着質・完全主義・神経質という点では、両者に共通しているようです。
これこそが、優れた研究者(先駆者・開拓者)の精神ですが・・・
それでも、自らの「世界観」に執着しすぎると、せっかくの業績や名声も
低下させる要因になります。
のみならず、業界全体にも、その「開拓者」の存在が大きければ大きいほど、
悪影響も大きくなるからです。
それにより、歴史の針が、早くも遅くもなるのですから、
「有名人(有名企業)」であればあるほど、責任重大であります。
ここにも、「相対性原理」が働きます。
シュテファン・ツヴァイクに、『人類の星の時間』という名作が
ありますが、この両者も、そんな「星」であるようです。
「ブラックホール」は、「星」であるだけに、
人間を「星」に類比させてみました。
まとめますと、「ブラックホール探究史」とは、そのまま人間の世界観の
闘争史でもあるということです。
それでは、次に具体的な「ブラックホール探究史」に移ります。
「星の一生の謎」を追跡する過程で、ひらめいた「ブラックホール解題」とチャンドラセカールの「抑鬱生活との付き合い方」
さて、ここからは、「ブラックホール解題」へと突入していきます。
結論から語りますと、チャンドラセカールの「ブラックホール発見」は
エディントン卿の頑迷固陋さの前に、「収縮」していきました。
ために、本格的な「ブラックホール解題」は、何と40年も立ち後れることに
なりました。
現代では、やっとチャンドラセカールも復権され、エディントン卿の間違いも
明証されたことが確認されています。
とはいえ、皮肉なことに、天体物理学ではなく、他の原子核物理学による
進展や、俗世界の「冷戦構造」における核兵器開発に迫られた中での、
「ブラックホール解題」の「再開」でありました。
「星の一生(運命)」を探究することは、「平和への道」でもあったはずなのですが、
この点でも、人類史は後れを取ってしまったようです。
21世紀に入り、「原子力の平和利用」や、「核兵器の安全管理」(こうした表現自体に
語義矛盾が含まれているようですが、<政治的解釈>は留保しておきましょう。)といった
知恵も働くようになったことは、一歩前進したのかもしれません。
とはいえ、今後とも、人類の「決意と覚悟」は忘れてはいけませんが・・・
まず、「ブラックホール探究史」からですが、
これは、チャンドラセカールが「星の一生(運命)」に思いを馳せながら、
エディントン卿の『恒星の内部構造』に触発されながら、
エディントン卿の同僚であったファウラーが量子力学を取り入れた
「方程式」をいじっていた時に、気付いた「新発見」からでした。
それまでの「星の内部構造」も、ある一定の状況
(白色矮星=小さくて高密度な死にゆく老星)に至れば、それ以後は
いかなる星であっても、「何の活動もしない岩の塊」として
静かに一生を終えるとされていました。
現在では、「中性子星」や「(超)新星」の研究も積み重ねられてきており、
その詳細も、より具体化されていますが、当時は、「原子の構造」自体も
研究途上にある原子核物理学の黎明期であったのです。
チャンドラセカールのひらめいた「新発見」も、1928年から1930年にかけて
でしたが、この時期には、「中性子」(1932年発見)すら未発見だったのです。
つまり、「星のような大きなものが完全消滅することなどあり得ない」ものだと
考えられていたということです。
当時の天体物理学の「権威者」だったエディントン卿も、
そのように強く推定していたようで、自身の考えを数学的に補強証明するべく、
同僚のファウラーに「計算方法」を依頼していたのです。
「星の最期って、一体どうなっているのだろうか?」
そんなロマンを感じた、19歳の当時は無名少年だったチャンドラセカールは、
自身でも、エディントン卿の著書やファウラーの計算式を確認する作業に
没頭していました。
そこで見えてきたものとは、「質量と重力とエネルギーの相関関係」でした。
こうした角度から、ファウラーの計算式を点検していると、そこには
「不完全な解」が待ち受けていました。
アインシュタインの「特殊相対性理論」が組み込まれていないことに
気付いたのでした。
この「相対論」も、まだまだ黎明期でアインシュタインも四苦八苦しながら
日々「理論修正作業」に勤しんでいた訳ですが、この当時は、「相対論」すら
完全に解析されていなかったのです。
そんな時期でしたから、もともとファウラー自体も、量子力学的計算法といった
「数学的記述法」だけに長けていたようで、「星の内部構造」には、
とんと無頓着だったようです。
一方で、その大本の「親分」であるエディントン卿には、この限界問題にも
気付いていたフシもあったようです。
エディントン卿自身は、「相対論」を知り尽くしていたからです。
そこで、チャンドラセカールですが、こうして「相対論」的に修正させた
計算式を解読しているうちに発見したのが、
「白色矮星の質量には上限がある」ということでした。
「質量=エネルギー量」以外の逆、つまり「重力」の観点から考察していくと、
ある一定の「質量の上限」を超えた重力(星の内部から引っ張る力)が
大きくなるにつれ、さらに、星は収縮していき、
ついには、「完全消滅??」することすらあり得るとのイメージが
ひらめいてきたのです。
『質量=エネルギー量(斥力=外部吸引力)<重力(内部吸引力)』で、
星自体が押し潰されるということです。
この「質量の上限値」のことを、チャンドラセカールの発見から、
「チャンドラセカール限界」といいます。
つまり、この「チャンドラセカール限界」を超え出ると、
「白色矮星→(超)新星(爆発)→中性子星→ブラックホール??」へと
薄くなっていき、肉眼では捕捉出来なくなっていくのです。
もっとも、現在でも「研究観察中」ですので、
ブラックホールの全貌が明確に判明している訳ではありません。
「完全消滅」という表現すら、「不完全」かもしれません。
ただ、この「ブラックホール」は「特異点」ともイメージされている
ようで、「宇宙の始めと終わりは同じ!?」ようだとの見方も
あるようですが、完全解読にまでは達していません。
管理人は、この「ブラックホール解題」が好きなのですが、
それは、「森羅万象の生成消滅の接点」でもあるからですし、
個人的なことで恐縮ですが、「射手座」だからです。
現在、私たちの住む銀河系の中心部には大きな「ブラックホール」が
確認されるようになってきたようですが、これが何と「射手座A」の
周辺に位置するようです。
さて、この「ブラックホール解題」は、
アインシュタインの「一般相対性理論」の帰結から導き出された
「特異点」でもあります。
「重力理論」すら、「相対論」「量子論」双方の立場からも
完全解明されたとは言い難い状況ですが、
こうした「特異点抜きの重力理論」に挑戦されておられる
「相対論的」理論物理学者もおられるようです。
前にもご紹介させて頂いたカナダのジョン・W・モファット博士です。
この方の研究では、「ブラックホール解題」を消滅させることも出来るとか・・・
理論と実測では、もちろん「実測が重視」されますが、
この方の研究結果も、今後の「重力衝撃波」の実測で明確にされることでしょう。
モファット博士自身は、エディントン卿とは異なり、「事実観測重視」の立場で、
後の「理論修正」にも柔軟な姿勢のようですが。
エディントン卿は、最後の最後まで「ブラックホール解題」に消極的だったようです。
ところで、このような「天体」物理学会の状況から、40年も後れたとされる
「ブラックホール解題」でしたが、皮肉にも、原子核物理学の発展と
世俗の動き(冷戦構造の中での核エネルギー開発)とも相まって、
「ブラックホール解題=星の一生問題」も同時研究されていきました。
そのあたりの「裏物理学事情」も、詳細に描かれています。
「核融合エネルギー抽出法」が、「(超)新星研究」とも関連があるからでした。
チャンドラセカールとも接点のあった「水爆の父」エドワード・テラーです。
「水爆は、地上の星(悪夢!?)」とも揶揄されていますが、
その「原子核エネルギー構造」には、類似点もあるようです。
もっとも、私たち「未来志向派」にとっては、この「ブラックホール解題」の
進展により、より平和な「エネルギー抽出法」が創出されることを願いますが・・・
そんなこともあり、「ブラックホール解題」は、今や単なる「星の一生問題」から
「平和で無尽蔵な(つまり、フリー)エネルギー政策」の問題にまで、
道開きされようとしている現状にあるようです。
そのことが同時に、私たちの「未来経済」にも影響してくるだけに、
ただの「趣味道楽研究」ではないというところも強調しておきたいと思います。
さて、現在の「ブラックホール解題」には、驚異的な知見が積み重なってきていますが、
「ブラックホール」自体、日々「動いているらしい」とも判明してきています。
難しい計算方法については、詳細な解説が、本書でなされていますので、
お読み頂くとして、「渦巻きかつ螺旋状の回転体」のようなものだと
認識されてきているようです。
『回転型ブラックホール=カーのブラックホール、非回転型ブラックホール=
シュワルツシルトのブラックホール』とされており、その計算方法も
『回転率を0にすれば、カー計量=シュワルツシルト計量』として
ブラックホールの時空である「事象の地平面」を計測出来るとか・・・
このあたりは、上記ロジャー・ペンローズ博士やスティーヴン・ホーキング博士も
研究されて、一躍有名になった「ブラックホール解題」でした。
こうした知見(もちろん、浅学非才の管理人には、その全貌についての解説など
叶いませんが・・・)を読んでいると、
ブラックホールも必ずしも「完全消滅しない星」に思えてくるから不思議です。
「ブラックホール」も、現在までのところ、
観測結果が、少しずつ積み重ねられてきていますが、
その近傍まで近づいた人類は、これまでのところ、いないようなので、
実際の「ブラックホールの中身」は誰も知る由もないようです。
「ブラックホール」の定義自体、定まっていないようで、「星」なのか
そうでないのかも明確ではないようです。
というのは、間接的にしか、「ブラックホール」を観測することが
出来ないからです。
「ブラックホールに人間が吸い込まれたら・・・」などという
子ども向けの面白いテーマもありますが、
この問題も今後取り上げていきたいと考えていますので、
その時までの「お楽しみ」に取っておきましょう。
さて、最後のテーマに移らせて頂きます。
それが、「天才チャンドラセカールは、抑鬱状態をいかに手なずけたか」
であります。
1930年に、「ブラックホール」を「理論的」に発見してから40年近くの
歳月が流れていく中で、チャンドラセカールも成長していきました。
この「ブラックホール解題」といった「天体」物理学で有名になり、
皮肉な「核エネルギー開発競争の頂点であった冷戦末期」の1983年の
73歳に突入する節目に、「ノーベル物理学賞」受賞の発表がありました。
「白色矮星の構造の研究」で・・・
ところが、この受賞は妻ラリータとともに歓びを共有しつつも、
チャンドラセカール自身は、「不本意」だったようです。
「天体」物理学については、エディントン卿の「嫌な影」も絶えず
彼の「心の悩み」となっていたようで、「天体」のことは忘れて、
新たな「新規開拓研究」に集中しながら「余生」を過ごしてきたからです。
本来の「理論」物理学者としての、学者人生を送りたいと願っていたのが
彼の「本心」でもあったからです。
このエディントン卿のハラスメント(今ならさしずめ、モラルアカデミック
ハラスメントといったところでしょうが・・・)に終生、絡め取られ
家族にさえ、その心中を明かさなかったといいます。
そんな若い頃からの「精神的ストレス」が積み重なって、彼もまた
「抑鬱状態」を繰り返していたようです。
そんな壮絶に苦しい「抑鬱生活」の慰めが、「学問研究」でありました。
嫌な人間関係における病理から離れて、本業である「仕事」に励む。
そうして、「負のエネルギー」を「正のエネルギー」へと誘導しながら、
今日まで、私たち人類への「知的財産」を残して下さいました。
管理人も、こうしたチャンドラセカールの生き様には、共感することしきりで
涙腺もゆるませながら、読み進めることが出来ました。
最後に、現在も職場ハラスメントなどで、悩まされている方々へ向けて、
本書からチャンドラセカールの妻ラリータ氏による愛ある応援メッセージを
引用して、筆を擱かせて頂きます。
『ミルンとジーンズ(管理人注:本書「第4章エディントンの味方と敵」を
ご参照)がとったのは安易な身の処し方だった。だが、心の傷を
そのままにしておいたので、その痛みに悩んでいた。チャンドラが選んだのは
厳しい道だった。彼はすべての問題を脇において自分に言い聞かせた。
「いや、この件をくよくよ考えても何にもならない。この先、何とか
やっていこうというのなら、この件は考えないことにして、他のことに
取りかかるべきだ」、と。チャンドラはおかれている状況をじっくり
考えただけでなく、そう心に決めたのだ。彼はそのとおりに振る舞えたし、
これまでとはまったく別のさまざまな研究テーマを見つけることもできた
ので、本心から「これはみなエディントンのおかげだ」と言えたのである。』
(本書453~454頁)
最後は、「人生を変えるには、まず思いから・・・」ということのようです。
「完全な自信喪失状態から抑鬱状態への常態化」
ここから脱却していくヒントも、
「自分の生涯を捧げるに値するテーマ(仕事)に没頭すること」に
あるようですね。
管理人もそうですが、「抑鬱状態」や「人間不信(社会不信=社会不適応感)」に
悩まされておられる繊細な皆さんにとっても、時間がかかるかと
思われますが、このチャンドラセカールの人生姿勢から、
生き抜く知恵や勇気、許し、気づきなども得られるものと思います。
「きっと、皆さんにも、皆さんにしか出来ない<仕事>がある」と
思います。
ということで、今後とも、ともに「飛翔」していく原動力を
書物から学び取っていきましょうね。
この『ブラックホールを見つけた男』は、そんな勇気づけられる好著です。
チャンドラセカールさん、ありがとうございました。
また、いつもながら読者の皆さんを始め、見守って下さっておられる方々に
感謝申し上げます。
最後までお読み頂きありがとうございました。
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