與那覇潤さんの『中国化する日本~日中「文明の衝突」一千年史』媚中でも嫌中でもない世界史から見た日中史論とは!?

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『中国化する日本~日中「文明の衝突」一千年史~』

世界史的視点を持った若手の歴史学者である

與那覇潤さんが、新たな歴史観としての「中国化」という

観点から日中史を読み直します。

近現代史だけに焦点を合わせた歴史観では、

いわゆる「媚中派」や「嫌中派」といったレッテル貼りに

終始するだけで生産的な議論も実りません。

また、脱西洋史中心の世界史の見方もユニークです。

今回は、この本をご紹介します。

『中国化する日本~日中「文明の衝突」一千年史~』     (與那覇潤著、文藝春秋、2011年)

與那覇潤さん(以下、著者)は、1979年(昭和54年)生まれの

若手の独創的な歴史学者として注目されています。

ご専攻は、日本近現代史であります。

著者プロフィールによると、

『東アジア世界に視野を開きつつ、フィクションという形に結晶した

経験をも素材とした、歴史学の新しい語り口を模索している。』そうで、

今回の著書も、「口語体」にて、わかりやすく東アジア、

とりわけ「日中間の歴史的相違点」を語られています。

今回、管理人が、著者と本書をご紹介させて頂いたのも、

同い年ということもありますが、管理人も高校時代「世界史」を

選択していたこともあり、昨今の皮相表面的な「東アジア史」の

イデオロギー的解釈に心底うんざりしていたこともあります。

本当に、日本を愛するのであれば、現実的な利害衝突には、

目をつぶることは出来ませんが、冷静かつ謙虚な歴史的視野が

必要不可欠となります。

日中関係(朝鮮半島も同様で、今回は「日中史」が主題ですので、

省略させて頂きますが・・・)のどこにズレが生じているのか、

また、これまでの「西洋史中心史観」に偏向立脚していた

世界史をも再定義し直した斬新な解釈に興味を覚えたからです。

「世界史」や「日本史」を学術的な視点で、

冷静に学ばれたことがない方にとっては、

タイトルだけ見て、イデオロギーやステレオタイプな

拒絶反応を催すといった心理的嫌悪感を持たれるかもしれません。

ですが、著者の視点は、いわゆるインターネット住人

(インターネット世界だけの匿名仮想現実から

無責任な政治的言動をされる諸氏のこと。

もっとも、インターネット世界だけに限定されませんが、

<わかりやすい物語>に飛びつきやすい諸氏を含めた大衆的「情動」反応を

ここでは指しておきます。)による「媚中派」や「嫌中派」といった

不毛なレッテル貼り言説とは、まったく異なります。

悲しいことですが、現代の日中間には相互衝突の潜在的危険性も残されていますし、

英米中心に展開されてきた世界史の流れもついに終焉を迎えようとしている中で、

日本外交も苦心の最中にあります。

そうした時勢にあって、今回は、英米以外のロシアやイスラム世界なども含めた

地政学的歴史論には言及いたしませんが、

本書の主題でもある「中国化(つまり、いずれの国も

<世界史の中心(セカチュー)で、我こそ世界の王者!!>と叫ぶ世界史的現象)」が

再び甦りつつある流れの中で、深刻な利害対立にまで進展しないためには、

どのような見方で、今後の世界史的動向を捉えればよいのか、

普段の時事ニュースなどでは見落としがちな背景事情を探究してみようとの

趣旨で、この本を取り上げさせて頂きました。

なかなか面白い視点の本ですよ。

「読まなきゃ、損、損・・・」

「あなたの固定観念も大きく覆るかもしれません。」

ということで、本書をともに読み進めながら、「中国化VS江戸時代化」という

考えを主軸に据えながら、「西洋化」「近代化」「民主化」といった

西洋中心史観をも脱却していこうとする「新しい歴史物語」を読みましょう。

本書は、大人のリベラルアーツです。

ちなみに「リベラルアーツ」については、前にも当ブログでご紹介させて

頂きましたが、本書の「中国化論」とともに、麻生川静男さんの

『本当に残酷な中国史大著「資治通鑑」を読み解く』(角川SSC新書、

2014年)とご併読されると、本書の主題「宋朝」中国の時代背景も

イメージしやすくなることでしょう。

この『資治通鑑』も宋朝官僚の「保守派」司馬光の著書であり、

「革新派」の王安石との間で政策論争(新法VS旧法)がなされたことで

有名な官僚による「儒教的道徳史観」による歴史書であります。

なお、著者の「中国化VS江戸時代化」という視点について、

世界史的観点から総合的に把握し、読み進める過程で消化不良になりそうに

なられた際には、本書巻末の『中国化する日本』関連年表(Ⅰ)(Ⅱ)が

掲載されていますので、そちらの図表のご参照と、

「はじめに」や「第1章」に適宜戻られることで、

理解も促進されやすいのではないかと思われます。

宋朝「中国」こそ、「近代」世界史の出発点!?

まず、本書の一番のポイントは、

「なぜ今の日本はすべての側面で完全に行き詰まってしまっているように

実感されるのでしょうか?」という問題意識から、

日本社会の「自律(立)的回復(自信回復)」を適切な方向で、

どのように図っていくべきなのか、

そのヒントを日中比較史の観点から探究していくところにあります。

その際のキーワードが、「中国化VS江戸時代化」であり、

この2つのキーワードは、日中史双方における「ズレ」を再確認するうえでの

重要ポイントになります。

日本の「中国化」時代には、中国の「江戸時代化」が始まる。

中国の「中国化!?(<中華>と言っても、時期によって強弱度合が

異なりますが・・・)」時代には、日本の「江戸時代化」が始まる。

というように、相互の時期的ズレが重なり合うと、

日中間の意思疎通に支障が生じ始めることになるとの説を

様々な見地から検証されています。

今日、<中華>人民共和国は、いわゆる「一国二制度路線(共産主義+

資本主義??)」を国是としながら、英米をも凌ぐ自信を持って、

世界に「君臨」する原点には、どのような「発想」があったのでしょうか?

実は、この原点を分析考察する過程で再発見されたのが、

近現代史を含めた、これまでの「西洋中心史観」から記述されてきた

世界史像の見直し問題であります。

その見直し問題とは、「近代」を準備した「近世(初期近代)」こそが、

今の世界を基底してきたという「真実」でした。

世界史における、その「近世」の最初の当事者が、「宋朝」の<中華>であり、

この時代の考えが、中国史の中でも例外期(明朝<著者の表現では、中国版江戸時代?>)

を除き、ずっと今日まで中国社会の深層意識を形成してきたために、

西洋史に対する「優越感覚」にもなってきたとの見立てで、

以後、日中比較史の視点から『中国化する日本』仮説を提起されています。

とはいえ、この発想は、著者独自の仮説像に限定されないで、

今日の最先端の世界史研究者の間でも、徐々に主流になりつつあるそうです。

この「宋朝」近代黎明期説は、古くは、京都大学を中心とする

いわゆる「京都学派」の歴史学者であった内藤湖南氏の「宋代以降近世説」

(本書30~34頁ご参照)や宮崎市定氏の見解(本書235~238頁

ご参照)とも重なる独創的世界史像であります。

いわば、この「宋朝」時代に整備された諸制度こそが、

西洋に先んじた「近代社会」の原型でもあり、独自の<中国(華)史観>を

育んだ土壌だったといいます。

「官僚制」、「常備軍(安定的な安全保障制度)」、

「公平な官公吏任用制度(科挙)」、「金融(自由放任主義経済)制度」、

他にも「<神>抜きの理性哲学(朱子学的秩序観)」や

「西洋ルネサンスの三大発明(火薬・羅針盤・活版印刷術)」など、

これまでの「西洋中心史観」による世界史教科書では

あまり触れられたくない!?意外な史実が、

この「宋朝」時代に、すでに完成していたことが説明されています。

このあたりは、著者も指摘されるように、高校の世界史でも、

ちょっと気の利いた先生なら解説もしてくれ、ご存じの方も

おられることでしょう。

ところが、今日の日中比較史では、「宋朝」以前の日中相互交流史と、

「元朝」、「明朝」、「清朝」から現代中国へと至る日本から見た

日中摩擦史の近現代史に焦点が当てられ、見事に「宋朝」時代の

視点が抜け落ちてしまっているように思われます。

ここに、日中間のもう一つの「隠れた歴史認識問題」があるようです。

日本では、中国から導入した諸制度も、「唐朝」時代を経て、

日本では、いわゆる遣唐使廃止から「国風」文化へと路線を切り換えたことから

日本独自の歴史観でもって、分離独立していったと教えられることが多いようですが、

そのような通説的「物語」にも異論を提起されるのが著者であります。

日本でも、日宋貿易などで、「中国化」する余地(言うまでもなく、

現在、頻繁に飛び交う「嫌中論」でも「媚中論」でもない。

著者は最後まで、この視点を強調され、あくまで公平な<世界の中心>といった

イメージ像からグローバル的視野用語として使用されています。)もありながらも、

「明治」維新期を迎えるまで、「中国化への道」は、固く閉ざされてきたと

語ります。

この間の事情で面白いのが、「宋学」といった<大義名分論>に立脚した

「強い王権制」を志向した「建武の新政」ですが、

日本社会の風土からは、あまりにもかけ離れた「革新制度」でもあり、

なかなか受容には至らなかった様子も、本書では描写されています。

一方、中国では、「明朝」時代に入り、鄭和艦隊による「大航海時代」の

開幕も始まろうかという矢先に、中国でも「鎖国制度」へと転換され、

ついに中国は「世界の覇者」となる夢が閉ざされ、西洋列強によって、

「世界史的地位」を剥奪され、その後長らく、「水面下」に潜る

「潜龍の時代」が続くことになります。

さらに、この「明朝」から「清朝」時代にかけては、

日本の江戸「徳川政権」とも親和的交流も生まれます。

ちなみに、江戸時代の「朱子学」中心の儒学の奨励も、

この「明朝」滅亡後の亡命者によって、

相当な影響を受けていたことも特筆しておく必要があります。

徳川光圀公(通称:水戸黄門様)の『大日本史』の編纂作業にも

朱舜水との関わりがあったことから、後に「封建制」の象徴であった

徳川幕藩体制そのものを崩壊に至らせた「水戸学」など、

その「中国的世界観」である「大義名分論」には強力な「革命推進力」が

含まれていたことも窺えます。

さらに、文楽『国姓爺合戦』で知られる日台関係にも多大な影響を

及ぼした鄭成功の大活躍も忘れることは出来ません。

また、「倭寇」そのものの研究も進展し、今日では、

単なる「侵略ネットワーク」に限定されずに、

日中を始めとした「東アジア混合軍団」であったことも知られるようになり、

以後の「平和的経済貿易ネットワーク」としての道を双方ともに

歩むうえでも注目に値する視点を提供してくれます。

とはいえ、「倭寇」の詳細な研究は始まったばかりで、

その「海賊」という悪イメージが先行してしまっていますが・・・

要するに、現段階では、まだまだ分からないことだらけのようです。

とはいえ、実際の当時における日中双方ともにする「江戸時代化=鎖国精神」が、

西洋の「近代的<中国>化」にも先を越されて、

「明治」以後、日中ともに苦労する局面へと陥ります。

その間における日本側の焦り(欧米に追いつき、追い越せ!!)から

その後、中国との関係も悪化していく原因がありました。

その意味では、「明治」維新は、日本の「中国化(開国路線)」を意味し、

当時の「清朝」は、「鎖国路線」を頑なに維持しようとする姿勢から、

ともに西洋列強による「帝国主義的支配」に甘んじることなく、

相互扶助提携路線を持ちかけるのですが、

双方の「中国化(中華)のプライド」が、両国間に亀裂を生じさせ、

現在に至るまで、「障壁」として後遺障害に悩まされているのが、

冷静に観察した現状であります。

この「中国化」現象は、日中双方の国にとって、自信回復促進剤として

働くこともあれば、極端な排外的感情(俗にいう<夜郎自大観>)にも

進展しかねない世界観でもあるため、文字通り「両刃の剣」であり、

「取り扱い注意!!」でもあります。

日本自体にとっても、「国難」が生じた際には、「中国化」することで、

自国防衛思想としても機能してきただけに、本場「中国」のみならず、

なかなか厄介な世界観であります。

俗にいう「皇国史観」や「神国観」も、一つの防衛反応として、

「中国化する日本」の一側面として理解する必要もありそうです。

まとめますと、すでに「宋朝」中国時代に、

西洋世界に先駆けて「中国化=普遍理念の確立」が成立しており、

現代に至るまで、事実上の「世界の王者=近代化路線」を自認してきた

ために、現代中国の自尊感情も根強いものがあるということです。

「ブロン効果=日中双方の<よいとこどり>」は、決してうまく機能しない!?

本書には、その他にも、この「中国化VS江戸時代化」といったキーワードで

日中比較史を面白みを持たせる「口語調」で語られていきますが、

詳細は、皆さんのお楽しみということでご一読下さいませ。

では、この日中間におけるそれぞれの「中国化VS江戸時代化」といった

時期的ズレさえ解消すれば、双方ともに円満解決に至るのでしょうか?

そう簡単にもいかないところに難しさがあるようです。

そのことを、著者は、「ブロン効果」として説明されています。

れぞれの国風や時代的雰囲気に合致しなければ、

かえって、「一番危険!!」ではないかと、著者は強調されています。

(本書91~93頁ご参照)

ちなみに、「ブロン効果」の「ブロン」とは、「ブドウ」と「メロン」の

掛け合わせは想定外の結果(<メロンのような大きな実がブドウのように多く実る>

との予想で掛け合わされた新種「ブロン」は、<ブドウのような小さな実が

メロンのように少なくしか実らない>)に終わるという星新一氏の

ショートショートの好編『リオン』に登場するアイテム「ブロン」の

アイディアから、本書の説明に借用された表現であります。

このように、日中間の摩擦を回避すべき実際上の知恵として活用しようとも、

それぞれに「一長一短」があることから、「よいとこどり」も

うまく機能してくれないという難しさがあるようです。

最後に、再度強調しておくべき点として、

日中の「近世」以後の価値観についてまとめておきましょう。

著者は、『中華文明VS日本文明:対立する5つの争点』として、

次の「5つの争点」を列挙しながら、比較分析されています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

  <中華文明>          <日本文明>

①権威と権力の一致        権威と権力の分離

②政治と道徳の一体化       政治と道徳の弁別

③地位の一貫性の上昇       地位の一貫性の低下

④市場ベースの秩序の流動化    農村モデルの秩序の静態化

⑤人間関係のネットワーク化    人間関係のコミュニティー化

(以上、本書47~51頁ご参照)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

このように、著者は、わかりやすく対比されていますが、

日本社会も「流動化」が進展していき、

世界のグローバル化の中で、安定した羅針盤を見失い、

いよいよ「日本史の終わり」の時代を迎えるとともに、

今後どのような方向性でもって、日本史を世界史の中に

定着させ得るかが問われています。

不安定な状況に至った日本が、再び「鎖国化=江戸時代化」の道を

歩むのか、それとも、「中国化」しながら「世界の<華>」を

目指すのか??

それは、周辺諸国や世界各国との政治経済的力学関係に依存し、

確かなことは断言出来ませんが、

否応なく、世界の流動化現象の真っ只中で、いつかの時点で、

その立ち位置を選択せざるを得ないことだけは確かなことであります。

著者によると、この「中国化」の流れは、「必然」のようですが・・・

このように本書は、決して、俗流の「媚中論」だとか、「嫌中論」といった

世界史の中での日本をミスリードしかねない危うい言論とは、

厳しく一線を画した好著であります。

学生時代に「世界史」を選択された方も、選択されなかった方にも

ご推奨出来る「新たな日本史教科書」のモデル試案ともなりましょう。

本書を一つの試案(生産的議論の叩き台)としながら、

皆さんにも、ともに分析考察して頂けると、

現状の閉塞した言論空間から逃れ得るものと思われます。

ということで、政治的立場を問わず、

多くの方に是非とも、ご一読して頂きたい1冊としてお薦めさせて頂きます。

なお、「中国論」については、

「小室直樹の中国原論」

(小室直樹著、徳間書店、1996年)

また、日本の「中華論」の変遷史については、

「日本思想史新論-プラグマティズムからナショナリズムへ」

(中野剛志著、ちくま新書、2012年)

さらに、「新しい世界史」については、

『30ポイントで理解する世界史の新しい読み方-

脱「ヨーロッパ中心史観」で考えよう』

(謝世輝著、PHP文庫、2003年)

をご紹介しておきます。

※ちなみに、謝世輝氏と言えば、知る人ぞ知る

台湾人の理学博士であり数々の「成功哲学書」も

著されている方ですが、世界史教科書にも優れた好著があります。

管理人にとっては、この原型に該当する

『これでいいのか世界史教科書-人類の転換期に問う』

(光文社カッパ・サイエンス新書、1994年)を、

大学受験前に恩師からプレゼントされ、

新幹線の中で一気に読みふけったことが、

今は良き思い出として残っている思い入れの深い書であります。

今回の與那覇潤さんの著書も、そんな久方ぶりの

ワクワク感で読ませて頂きました。

ここに厚く御礼申し上げます。

同い年ということもあって、

是非今後とも、ますますのご活躍をされますことを

心より期待申し上げます。

最後に、日中(朝鮮も)は、隣国同士であり、

相互にせめぎ合ってきた東アジア諸国でありますが、

「アジア人同士争うことなく、相互により良い方向で

提携協力が叶う新時代に発展させたいものです!!」

「中国論」については、管理人も「保守的」立場の本に偏った

紹介になっていますが、その本質は、「中華=大義名分論」の

複雑厄介さでもありますので、なかなか一筋縄ではいかないのです。

この論自体が、きわめて「政治的立場問題」ゆえに、

より誤解も増すということに、どうしてもなりがちだからです。

どうやら、「中華」には長所・短所の両義性が多大に含まれているために、

今後とも取り扱い要注意のようですね。

何はともあれ、「冷静に」という視点が重要になります。

皆さんも本書から、「新たな息吹」を感じ取って頂ければ幸いです。

最後までお読み頂きありがとうございました。

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