松井孝典先生の『文明は<見えない世界>がつくる』 現代科学は<見えない世界>をどこまで解明し得てきたのだろうか?

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『文明は<見えない世界>がつくる』

地球科学と宇宙科学を結ぶ惑星科学者として

活躍されている松井孝典先生。

「我々はどこから来て、どこに去りゆくのか?」

「我々はいかなる時空間の中に存在しているのだろうか?」

人類にとって最大の謎であります。

昨今、地球の視点から俯瞰したホモ・サピエンス史が話題ですが、

宇宙の視点から眺めた人類史にも想像の翼を拡げてみませんか?

今回は、この本をご紹介します。

『文明は<見えない世界>がつくる』(松井孝典著、岩波新書、2017年)

松井孝典先生(以下、著者)は、

『地球システムの崩壊』(新潮選書、2007年)などで著名な

我が国を代表する<惑星科学>の第一人者と評されている科学者であります。

ご専攻は、比較惑星学やアストロバイオロジー(宇宙規模の視点から

様々な学際領域に跨った科学的知見を駆使しながら探究していこうとする生物学)、

そこから獲得された知的洞察に基づく未来志向の文明論であります。

他著には、『生命はどこから来たのか?~アストロバイオロジー入門~』

(文春新書、2013年)

『コトの本質』(講談社、2006年)

『地球誌』(講談社学術文庫、2015年)など多数あります。

著者が現在の<惑星科学>の一大分野を構築するに至るまでの過程では

並大抵ではない苦闘の軌跡があったことをその文体から思い浮かべさせられます。

そのためなのか、著者の文体には一般人に配慮した出来る限りの<わかりやすさ>を

追求した温かみが感じられます。

もともとが、地球物理学から探究を始められた科学者ですので、

その研究過程も地球から次第に宇宙へと接近していく一歩一歩着実に

積み重ねていく科学的探究姿勢を示されているところに好感が持てます。

知的好奇心が強すぎますと、本来の専門分野に飽き足らないものが出てきたり、

視野の狭さといった限界を実感していくことになります。

そんなことから管理人も著者の研究姿勢に触発されることが多く、

ライフワークの1つでもある科学と哲学の<狭間(あいだ)>を

探究する学問姿勢を養ううえで学ばせて頂く点が多々ある学者の1人であります。

管理人も幼少期から宇宙から眺めた地球史には多大な興味関心があり、

「果たして、人間(人類)とはいかなる性格を有した生命体なのだろうか?」

あるいは、「そもそも知性を宿した<知的>生命体の特に精神レベルとは

いかなる階層構造になっており、どのように成長発展してきたのだろうか?」と

いう点から探究し続けております。

おそらく、この知的探求心は、人間である限り、生涯を通じて止むことはないでしょう。

「学問」とは、現代のような社会での即効性が求められる即応テクニックを学ぶことに

主眼が置かれることが本来の目的・意義ではなかったものと思われます。

人類が、生存・存続していくに当たり、

自分達を取り巻く生態環境の謎に着目することを通じて

その隠れた背景構造を探究することで<見えない>領域を<見える>化させていく

問いかけ・謎解きの過程で、副次的に人類に役立てる<力>を

自然界から導き出していったと解釈する見方のほうが

より真相に近いのかもしれませんね。

それは、目に見える「モノ」から目に見えない「コト(情報)」へと

再び回帰していく旅路だったようです。

著者もそんな「モノ」よりも「コト」により高い比重を置かれた

学的傾向にあるようです。

そんなわけで管理人からの著者による著書の中で

一番お薦め出来るのが、上記『コトの本質』(講談社、2006年)であります。

また、著者自身のご出身が東京大学理学部地球物理学科だったというご縁からの

連想から、管理人(東大出身ではありませんが・・・)にとっては、

科学探究の姿勢や知的生活の楽しみ方をご教示下さった

個人的に私淑させて頂いてきた元『ニュートン』編集長の

竹内均先生の面影が思い浮かびます。

科学技術の具体的な活用法やその評価論などの見方については、

管理人の知る限りの情報では、著者と生前の竹内均先生とでは、

かなりの温度差があるようですが、

<地球生態系システム>への危機感という観点からは

問題意識を共有されておられるものとお見受けします。

ところで、人類史における科学の歩みとは、

<見えない力>を<見える化>することで、

自然に潜む力を人類にとって有利な方向へと一方的に進めてきた

歴史だと一応総括しておくことが出来そうです。

とはいえ、21世紀現在、その方向(志向)性での

科学の歩み方では限界が出てきています。

問題が多発し過ぎており、

科学理論も事実と乖離する事態にまで進展してきている模様が

素人目でさえ明らかとなってきています。

今回は、そのような問題意識を皆さんと共有しながら、

本書を読み解くことを通じて、人類における科学史のおさらいと

今後の人類の行く末を考えて頂くきっかけになってくれればと願いながら

取り上げさせて頂きました。

そして、今回からは本書のご紹介をきっかけに

新たに<未来学>カテゴリーをも創設させて頂きましたが、

ここからさらに未来学探究の方向へと飛躍進化を遂げていきたく志していますので、

今後は<未来学>に関するテーマへのご興味ご関心の幅を

皆さんにも拡げていって頂きたく期待しています。

近々<未来学>を考える著書をご紹介させて頂く予定ですので、

そちらの記事も乞うご期待のほど宜しくお願い申し上げます。

それでは、前置きも長くなりましたので、

ここからは、<見えない世界>へと皆さんとともに

足を踏み入れて参りましょう。

<見えない世界>を記述する道具としての数学と自然の実態(あるがままの姿)を描写しようとしてきた物理学を中心とする自然科学との乖離こそ、「実証」を旨としてきた現代科学の行き詰まりの原因か!?

それでは、本書の要約ご紹介を進めて参りましょう。

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・はじめに

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①「第1章 <見える世界>の奥にあるもの」

ⅰ カルデアの知恵

※人類史におけるいわゆる「文明」の起源をどこに設定するかは

現在でも諸説あり議論が錯綜していますが、

一般的には古代チグリス川とユーフラテス川周辺領域の<肥沃な三日月地帯>と

称されることになるメソポタミア地域を文明の発祥地とする説が多いようです。

別名シュメール=バビロニア文明と呼び慣わされることもあります。

(厳密には、地域や時期別による区分によってさらなる詳細な区別はありますが・・・)

いずれにせよ、豊富な水源を背景として農耕牧畜文化が花開いていった「文明」であり、

現代に至るまでの人類の「文明」に対する大きな「考え方」を形成していくことになる

きっかけとなった地域でした。

このメソポタミア地域では、各種大規模から小規模に至るまでの「文明」の興亡が

繰り返されましたが、最終的にはヘレニズム文明を築いていくことになる

ペルシア帝国の支配領域へと収斂していくことになります。

そうした大まかな世界史的流れはともかく、

この過渡期に存在した新バビロニア帝国を建設したカルデア人の「知恵」こそ、

その後の人類における科学観を画期的に基礎付けることになったのでした。

すなわち、「暦」の発明であります。

<時(時空間)の支配>なくしては、人類の文明化は成し遂げられなかった

評価しても過言ではないでしょう。

そのため、今に至るも時の支配者はまさに世界の覇権者でもあるというわけです。

時の「一元化」文化から再「分限化」文化への回帰・併存融合の道こそが、

今後の人類の未来を占う鍵だと管理人自身は暫定的な仮説を立てていますが、

とりあえずは、著者による本書説き起こしである<カルデアの知恵>が

科学史の中では、画期的な考え方であったことを確認、強調しておきましょう。

ここから、人類の様々な「時空観」に関する科学的探究の歴史が始まったということが

ここではもっとも重要かつ本質的テーマだということを

まずは押さえておくことにいたしましょう。

この「暦」づくりには、天体(天文)学の「知識」が欠かせません。

こうした観点で、人類は身近な「見える」世界をさらに開拓していくための

布石として、地上の「見えない」世界にまずは目が向けられた様子が

多種多様な賢人の考察の軌跡と考え方の提示・解説とともに

本章での論旨が展開されていくことになります。

ⅱ 宇宙の背後に数を見出す

※そこで、この宇宙の実相(実体構造)がいかなる様相を呈したものなのかを

探究するに当たって、最初に「数学的」アプローチを試みていったのが

前にもご紹介させて頂いたピタゴラス一派でありました。

著者はこの「神秘的集団」と今日では評価されることの多い学派の思考形成に

至る過程で、ゾロアスター教の影響が多々見られるのではないかと仮説提示

(本書10~11頁)されてもおられ、ここから著者自身による

科学と宗教の接点へと論旨展開されるかと思いきや残念。

(あくまで管理人の日頃からの問題意識による志向性からの評価にしか

過ぎませんが・・・)

本書の目的から大幅に外れていくということで、

今回は純粋な科学的視点に的を絞られていきます。

今後の著作に期待するといたしましょう。

それはともかくといたしまして、

ここに<見えない世界>を記述するための方法論が模索されることになります。

つまり、著者の表現によると『「自然科学と数学の出会い」』(本書14頁)で

あります。

本書のもう一つの隠されたテーマを管理人自身が評価することを

お許し願えるならば、本タイトルにも掲げさせて頂きましたような

事実(実体像)としての自然科学現象のありのままの姿と

その姿を説明・解釈するための「数学的」記述方法との乖離幅における距離感の

隔たりこそがまさしく、現代科学における各種「理論」的矛盾点を

もたらしてきた最大要因ではないかということが挙げられます。

著者自身もこうした現代科学「理論」に潜む問題点を

指摘されておられます。

そのあたりの問題点は前にもご紹介させて頂きました

スティーヴン・ワインバーグ氏による『科学の発見』でも

詳細な批判的考察がなされていますので、

是非ご一読下さることをお薦めさせて頂くとともに、

さらなる詳細な批判的検討と解説につきましては、

そちらに委ねさせて頂くこととします。

そのあたりも他著にはない<わかりやすさ>でもって解説されているところが

好感が持てるところであります。

ⅲ 原子論の萌芽

※やがて、古代ギリシアの哲学者の中から

物質の本質論を探究していく一派が出始めてきます。

デモクリトスなどの「古代(素朴)」原子論であります。

「古代(素朴・観念論的)」原子論では、

原子を最小単位として「これ以上分割不可能な存在」とイメージされます。

とはいえ、もちろんこのようなイメージ像(あくまで<原子>を最小単位とする考え方)

による原子論は現代では否定されていますが、この当初の発想自体が投げかける

問題提起は今日でもなお有意義かつ重要な問いであります。

この物理学的観点から見た「原子論」とともに同時並行して

数学的観点からは「無理数」の発見・解析がなされていくことになるわけですが、

この双方のイメージ像の違いから、現代に至るまで続く哲学上の世界観にまで

大きな影響を与え続けている問題が次の<理性か感性か>のいずれを重視しながら

<見えない世界>を解釈していくかの違いとなっても現れ出てきます。

『今風に言えば、数学が示す世界と実在の世界は本当に違うのか、という疑問』

(本書23頁)であります。

ⅳ 理性か感性か

※ところで、ここからが科学史上、重要な観察・分析が始まります。

それは、自然内に潜む諸現象の「変化(動き)」の背後にある不思議さへの洞察から

「運動論」の領域へと次第に接近・深化していったということであります。

その「運動論」を巡って、物理学・数学双方の視点からの探究が

さらに深められていくことになるわけですが、

ここに哲学上も重要な難問が提示されることになります。

すなわち、「実在(<見かけ上の幻想>も含めて経験=臨場(在)感重視の立場)論」か

「非実在(<見かけ上の幻想>に騙されずに「超」現実的理性を

どこまでも探究する立場)論」の対立混乱の幕開けであります。

(※上記括弧内の定義は、もちろん一般的なイメージ像とは真逆ですが、

あくまで管理人自身が当記事<文脈>上において立ち上がってきた思考イメージに

過ぎませんので、読者様の方で混乱されませんようにご注意願います。

この定義上に潜むイメージ像につきましては、読者様におかれましても

各自探究をお願い申し上げます。鵜呑みにしない知力を練り続けることこそ、

「学問」の本質かつ意義ですから・・・)

言い換えるならば、「合理論(理性派)」か「経験論(感性派)」かによって

見方が大きく異なっていく分岐点の始まりであります。

ⅴ 運動論の登場

※ここでは、有名な<ゼノンのパラドックス問題>やそれへの

アリストテレスからの反論(本書35~40頁)を中心に解説されています。

詳細は本書解説に委ねさせて頂くことにしますが、

アリストテレスによる思考法では

なお観念論(思弁哲学=頭の中だけでのイメージ像)の

レベルに止まっており、実験・観察による検証を伴う<科学的方法論>にまでは

高まっていなかったというところが著者による一応の評価であります。

その後の科学史展開からは、

科学的探求心が「神」の世界の背後へと追いやられていくことで

一旦中断しかけたように思われますが、西欧の中心部から離れた周辺領域によって

科学的探究が少しずつ温められて、ルネッサンス期になって再び脚光を浴び

再「発見」されることになることは、上記スティーヴン・ワインバーグ氏による

『科学の発見』でも解説されているとおりであります。

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②「第2章 <見えない世界>の法則性は数学で記述できる?」

ⅰ ガリレオ革命

ⅱ 磁力という魔力

ⅲ 「新世界」がもたらした革命

ⅳ 科学的方法論の整備

ⅴ 万有引力の発見

※第2章では、そうした科学が低迷したかに見えた中世にも思慮深く宗教的世界観とも

対峙しながら気骨ある科学者(ガリレオなど)が存在していたことの紹介から

語り始められていきます。

すなわち、中世キリスト教的世界観と親和的だと評価されていたアリストテレスが

指し示したようなイメージ像(世界観)との訣別であります。

「神」と対峙しながら、科学者にとって何が科学的探求心に火を付けたかと申しますと、

それは、「宇宙論」であります。

ここでは、あまりにも有名な「天動説」と「地動説」の世界観の違いや

詳細な解説はいたしませんが、意外にも一般的に誤解が多々見受けられるところで、

「地動説=世界の中心は<地球>=人類中心史観」ではないようだという

ところが勘所であります。

すなわち、『地球は特別な存在ではない』(本書48~52頁)ということであります。

「天動説」の方が、確かに「神」に親和的な超人類的な「宇宙中心史観」であるようには

思われるのですが(実際に「地動説」的発想が現れ出るまではそのようなイメージ像を

有していた賢者もいたようですが、その後のキリスト教的世界観が浸透してきた

主流的イメージ像では・・・)、

その「神」なる概念に込められたニュアンスが

大きな壁となって立ちはだかり「地動説」への誤解も強まったらしい??

というところが真相のようです。

ここに深く立ち入りすぎますと、神学論争にもなって、

読者各人の信仰心にも傷を付けかねませんので、

これ以上の詳細な語りや批評的推論は抑制させて頂くことにしますが、

純粋な科学史的観点からは、「神」なる概念(何を「神」と捉えるかが

また厄介な難問ですが・・・)に阻まれて、自由な思考が阻まれ、

科学的探求心が抑制されていった原因となったことだけは

公平に評価しても間違いないところでしょう。

面白いことですが、現代宇宙論における<ビッグバン仮説>も

キリスト教会に親和的だそうですが、

これに代わる仮説も続々と現れ出てきており、

主流的見方では、この<ビッグバン仮説>がなお優勢であるようですが、

まだまだ科学的に説明が付かない難題も数多く抱えているのが現状だといいます。

それはともかく、話題を「変化(運動論)」の歴史へと戻しますが、

ここでは、自然界に潜む「力」の再「発見」とその利用が主題となって

語られていきます。

それが、<磁力という魔力>であります。

この磁力の「発見」から科学革命が始まったと評価しても過言ではないほど

現代科学の最先端に至るまで、最重要解析課題とされている力が「磁力」であります。

ことに、19世紀末期から20世紀初頭に至るまでのニュートン力学から

アインシュタインに代表される「相対論」、ボーアなどに代表される「量子論」が

創出されていくことになる端境期の物理学革命黎明期には、

この「電磁気力(略して<磁力>)」の解明に力が注ぎ込まれていたことは

是非とも多くの方々に知っておいて頂きたいところであります。

この中世から近世への「夜明け」期であるルネッサンス期に

大航海時代における羅針盤開発や宗教改革運動をきっかけとした活版印刷技術の発明と

それに伴う情報革命の進展、火薬配合の研究開発などいわゆる世界の<3大発明>のことは

皆さんもご存じだと思いますが、

実は、西洋よりも中国の宋代の方が科学史的には早かったという史実は

今なおあまり一般的には知られていないようです。

とはいえ、「科学的方法論」の点で、東洋よりも西洋の方が自由度が高かったのか否か

その理由は管理人もよく理解出来ていませんが、比較相対的に優れていたということで

科学史のうえでは、重点的に紹介されることが多いようです。

ここらあたりの西洋と東洋の科学革命の背景にある相違点などの

比較考察も面白いのですが、今回はここでは省略することにさせて頂きます。

(詳細は、前にもご紹介させて頂きましたこちらの記事をご参照下さいませ。)

なお、<ⅴ 万有引力の発見>につきましては、

現代物理学の最難関「重力」の謎に迫るとともに

後ほど項目をあらためて考察してみたく思います。

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③「第3章 新たに出現した<見えない世界>」

ⅰ 相対性理論の衝撃

ⅱ 「場」という概念の発見

ⅲ 量子の宇宙

ⅴ 超弦理論と10次元世界

※第3章もこれまでに当ブログ記事内でたびたび触れさせて頂いてきたテーマですので、

今回は紙数の関係上、省略させて頂くことにしますとともに、

先程の「重力」の謎とともに項目をあらためて語らせて頂くことにします。

「超」要約しますと、「相対論」と「量子論」から相互に歩み来たった

「物理学」の現段階における到達地点に至るまでの詳細な見取り図だということです。

今後は、この2大「理論」の総合化とその「現実的」検証が

より一層重要な話題となっていくということであります。

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④「第4章 宇宙論における人間原理と文明」

ⅰ 宇宙原理か、人間原理か

ⅱ 超物質的宇宙と人間圏の未来

ⅲ 万物の変化とエントロピー

ⅳ 人間圏における<見えない世界>の拡大

※最終章では、今後の「宇宙論」の発展が、

従来の「人類中心史観」を克服するきっかけになってくれるのか否かが

問われています。

「宇宙論」には、上記ビッグバン仮説以外にも、

定常宇宙仮説やプラズマ宇宙仮説、はたまた多元的宇宙論など

多種多様な宇宙論が乱立していますが、

1つだけ言えることは、

新たな宇宙論の進展や地球外生命体の探索活動、地球生態系における危機克服が

喫緊課題として人類にますます追い迫ってくる過程で、

否応なしに「超」人類的立場を採用せざるを得ないということ。

それなくしては、人類絶滅の危機は救えないという現実であります。

著者もバックミンスター・フラー氏の思想などを紹介しながら

問いかけられています。

その意味での宇宙時代における新たな「超」人間原理とでも言える

発想が求められていることだけは確かであります。

とはいえ、この宇宙が仮に1つだけの「唯一」宇宙ではないとしても、

「私たちが住む<この>宇宙」をとりあえず何とか救う手だてを

考え出さないことには人類にとってはあまり意味がありません。

ということから、やはり「人間」原理に回帰するわけですが、

その「人間」原理へ込められた願いやニュアンス・思考法は、

従前のイメージ像とはもはや異なるものであります。

また、人間圏の拡大に伴って人類が住む<この>宇宙に内在・外在する

他の生命体・非生命体に多大なご迷惑をおかけしない叡智が

ますます問われることになりましょう。

「すべては、ご縁でつながっている!!」

「人類は、決して<この>宇宙で孤立して存在しているわけでも、

存在し得るわけにもいかない<類的>生命体」ということで

まずは身近なこの地球圏内における生態系の持続可能な維持発展の

科学的方法論をあらたに模索していかなくてはならないということであります。

一部の宇宙物理学者などは、地球圏外への脱出を試みる構想を練り、

それも「他の地球外生命体に遭遇せずに・・・」という条件付きで提案される方々も

おられるようですが、何と傲岸不遜な考えなのでしょうか?

ここからは本書要約と少し話題が外れますが、

この最終章に込められた著者の願いとともに

そこから得られた着想から

大変恐縮ですが、個人的な思い出話を挿話として1つさせて頂くことを

お許し願います。

今夏、同窓会で再びお会いできた中学校時代の塾の恩師と

この宇宙物理学者の話題で盛り上がり(例えば、ブラックホール解題問題など)、

敬愛と憧れの念も有していただけに

昨今の博士の発言には

本当に大きな精神的衝撃を受け悲しくも思います。

「博士、どうか子供心を傷つけないで頂きたい・・・」

そんな想いで胸が一杯です。

ちなみに、この恩師は抜群な優秀さと優しさを兼ね備えた方で、

海外の子会社へ転勤することになるために

しばらくはお会いすることは出来なくなりますが、

今なおあの頃のような情熱と志をもって、

「エンジニアとして日本と世界を架橋する仕事を精一杯頑張ってくるわ・・・」

「また戻ってきたら、たくさんの話題であの頃のように語り合おう・・・」と

おっしゃってくれました。

同じく一番気心の合った塾の同窓生が、

今、自衛官として海外で積極的に教育・情報活動などに携わっているようで、

この厳しい時期であるため、激務と国家安全保障上の理由で

帰国することも叶わず、再会出来なかったことも残念でしたが、

彼がいる限り、何とかこの時代の危機も回避してくれると思います。

何と言っても、当時一緒に英語の勉強をしていた教材である

米国の『タイム』誌の表紙を飾った思わず顔を背けたくなるような

キリング・フィールド』の写真に対して、

「こんな狂気に満ちた世界がこの地球上にあってたまるか!!」と

率直な感想を漏らし、

また、阪神淡路大震災において、当時の日本政府も地方自治体も

初動が遅かった時分に、伊丹駐屯自衛隊の超法規的??初期行動に

心を揺さぶられたことから、

「俺は、将来、危機管理に強くて、情報管理や教育活動に

携われるような自衛官になりたい」と言って

防衛大学校に志願したのですから。

その初志貫徹(志操堅固)の想いはピカイチ。

性格も思い詰めたところがなく、バランス感覚も十分で明るく頼もしい奴です。

「心ある」皆さん、どうか管理人と同じく、

彼や彼ら・彼女らを陰ながら応援してやって下さいまし。

本当に「淡々と黙々と」月月火水木金金のごとく激務に耐えて

精勤してくれていますので・・・

この厳しい時代の中、それでも「平和」が保てているのは、

憲法9条の「理念」以上(この「理念」はもちろん崇高で大切な精神で

蔑ろにしてはいけませんが・・・)に「現場」の彼ら・彼女らの踏ん張りが

あるからこそです。

管理人が強調させて頂きたかったことは、

要は「理念」と「現実」のバランスということであります。

このことは、科学的精神とも相通じるところがあります。

「現実(事実)」は絶対に修正を施せませんが、

「理念」と科学的「理論」を同義扱いすることはもちろん出来ませんが、

大切なことは「理念」をどうすれば「現実」の<場>にたぐり寄せることが

叶うかどうかの知恵と具体的工夫だということであります。

「現実」に合わせた「理念」の修正ではなく、

その「理念」を「現実」化させる継続努力とでも言い換えればよいのでしょうか?

その観点から「理念」を解釈する必要があるということでもあります。

「理念」は保持しつつも、「現実」に対応させたその時々における

臨機応変な柔軟対応とでも言い換えてもいいのかもしれません。

とはいえ、そのような「解釈」に依存し過ぎても、

不安定(揺らぎ)を招き寄せますので難しいですが・・・

(憲法判断・解釈と似ていて、なかなか厄介ですね。)

もちろん、人によって、価値観は多種多様であって一向に差し支えありませんが、

価値観論争に絡め取られた結果、本質的議論とそこから得られる具体的解決策を離れて

「座して自滅する」ことだけは是が非でも回避しなくてはいけません。

「人類存続の原則」であります。

こうした問題意識を学生時代から保持してきましたので、

大学時代におけるいわゆる「平和学」研究に物足りなさを感じてきたわけであります。

大学時代は、一般教養科目の「平和学」には何かイデオロギー的な違和感や胡散臭さを

嗅ぎとっていましたので、講義にはあまり積極的には出席せず(それでも単位が

頂けましたので今でも不思議ですが・・・)、図書館で1人夜遅くまで籠もり

石原莞爾思想が志向する「平和学」や

湯川秀樹博士やアインシュタイン博士なども加わった世界連邦運動思想が志向する

「平和学」など様々な思想を参考に渡り歩きながら、

今に至るまで独自思想の研究・構築を積み重ねてきています。

まだまだ「不完全」ではありますが・・・

そこで見えてきたのは、やはり科学と宗教の相互交流こそが不可欠だという

視点でありました。

昨今、何かと話題になる大学アカデミズム機関での<軍事研究>の是非に関しましても

<軍事>研究という字面レベルで思考停止状態に陥ることなく、

恒久平和はいかにして担保し得るのか、その条件設定を科学的観点から

粘り強く探究していく姿勢さえ見失うことなければ、

もっと積極的に試みられてもよいのではないかと管理人は考えています。

すなわち、ハードパワー(技術)面のみに偏重・依存することのない

より大きな次元から練り上げていく思想面も考慮したソフトパワー(教育啓蒙)が

含められた<安全保障研究(<軍事>と表現すれば、世間的には無用なアレルギーを

引き起こしましょうから・・・)>の積極的ススメであります。

とはいえ、人間に付着した「価値観」や「イメージ像(偏見)」の壁を

乗り越えるのは本当に難しく厳しい道ですね(溜息)。

物理学や数学といった自然科学以上に社会科学研究は難しい・・・

それでも、志高い皆さんとともに

より良き・善き(望ましい)世界へと進化発展を遂げていくべく

励まなくてはなりません。

今回は、物理学でも話題が「力」に及びましたので

ついつい軍事面での「力」にも話題がぶっ飛んでしまいましたが、

もはや「暴力」の時代ではありません。

国防(安全保障)の世界においても、物理的なハードパワー戦術・戦略の時代から

精神的なソフトパワー戦術・戦略の研究へと進展していかざるをえない時期であります。

すなわち、戦端が開かれる前に「戦意」を完全喪失させる。

つまりは、「戦闘行為にまったく意味を見出させない」発想であります。

言い換えるならば、「戦う事自体がまったく無意味」となる思想構築と

現実的手法の早期確立および

前回も語りましたように「洗脳」ではなくて、

「洗心」を志向した弛まない学術技芸(芸術活動を含めて)・教育啓蒙活動の

継続的努力の重要性であります。

そうした思想的文脈から、昨今はリベラル派の人文学者(内田樹先生など)からも

本来の「武道(合気道など)」の精神に注目が集まっているのでしょう。

(ちなみに、内田先生つながりですが、管理人お薦めの大阪の「下町」

谷町6丁目筋<地下鉄谷町線:谷町6丁目駅7番出口の真向かい>の

長堀通に面した素晴らしい書店がございます。

近辺には『大槻能楽堂』などがございます。

『隆祥館』書店さんです。

管理人も幼少期から高校時代を過ごした谷町・空堀商店街界隈。

今はもう小学校時分に通い詰めた「銭湯」<桃谷湯>は

のう(なく)なってしまったのが残念だけど。

昨今は、ブラタモリの地形・地理学ブームと真田丸効果で

このあたりも大変盛り上がったそうです。

現社長の二村知子さんも知る人ぞ知る著名人。

こちらの書店では、

有名な作家さんによるトークイベントなど様々な面白い試みをされています。

管理人も当書評でお世話になった<陽明学研究家>林田明大先生の講演会で

今月1日(金)に始めて参加させて頂きました。

過去には当書評ブログ第2回記事でご紹介させて頂いた

小説『地球先生』でお馴染みの宮下隆二先生など数々の著名人が

講演などをされているようです。

宮下先生最近どうしていらっしゃるんだろう・・・

ブログ更新も最近ずっとないみたいだし。心配です。

本業(文筆活動)以外のお仕事でお忙しいのかなぁ~

先生の小説に励まされて、社会復帰を何とか無事に果たさせて頂いただけに

今後の著作に期待しています。待ってま~す。

ところで、内田先生も来月講演される予定とのことで、

「世界史」ブームを仕掛けられたライフネット生命保険株式会社

代表取締役会長様でいらっしゃる出口治明さんの講演会も

今月末日(9月30日土曜日)にあるそうですよ。

各作家さんや講演者さんの価値観にかかわらず、

相互交流し得る<場>があることは平和な社会維持のためにも不可欠です。

書店さんにこそ、こうした<居場所>づくりを積極的にして頂きたいと

思います。

どうかご自身の書店経営に自信をお持ちになり、

この経済・経営的に厳しい時代ですが、つぶさずに生き残って頂けるように

いち書籍愛好者としてお祈り申し上げます。

「全国の書店と書籍愛好者よ、団結せよ!!」

ついでに、この場をお借りして『隆祥館』書店様の宣伝と

先日お世話になった御礼を申し上げる次第です。

また、宜しくお願いしますね。)

もっとも、武道「観」やその思想性評価に関しては、

賛否両論渦巻くそうですが・・・

とはいえ、武道の究極目的は「合気」であり、相互敬愛の精神を養うことであり、

敵対心(敵意)を殺ぐことに主眼があるとも言われています。

そうした思想上の対立を招き寄せてきた根本原因となる

人類相互に長年月巣くう「恩讐」感情をいかに克服していくか、

まさに今こそ「克己」が強く問われる時代の一大転換期に当たります。

確かに現状の世界情勢と人類の「霊的進化」レベルを観察する限り、

管理人自身も含めて前途多難な道のりではありますが、

皆さんとともに少しでもこの世の中を改善し得るような「叡智」を

これまでの人類史から導き出していくべく

今後とも多種多様な観点から書籍のご紹介とともに考察を深めていきたいと

思いますので、皆さんのご協力も頂けますよう宜しくお願い申し上げます。

管理人の唯識「物理学」(科学と哲学の接点学)の探究目的も

そうした人類の霊性面での知性向上を志向するものであります。

閑話休題。

このような問題意識も含めて

地球生態系の持続可能性を考えるに当たっては、

生命にとって正反対のエントロピーの解明やその制御方法を

「発見」しなくてはなりませんが、そうした観点からの詳細な解説は

紙数の関係上、本書に委ねさせて頂くこととします。

(詳細は本書221~233頁をご参照下さいませ。)

この最終章こそ、本書で著者も

もっとも力点を置かれて語られているテーマですので、

最後に先程来から積み残してきた課題とともに

本書でご紹介されてもいたバックミンスター・フラー氏の思想などを手がかりに

項目をあらためて、さらに考察を深めていきたいと思います。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

・結びにかえて-我々は何者なのか?

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「重力」(物理学)といわゆる「引き寄せの法則(偶然の一致 現象を招き寄せる<見えない力>)」(超心理学??)の謎解きが今一番面白いかも・・・

さて、ここからは再び先程来からの積み残し課題に取り組んでいきましょう。

まずは、本書第2章及び第3章から現代物理学が積み残している

最大の謎に迫ります。

すなわち、「重力」の謎であります。

「重力」を主題とした書籍は前にもご紹介させて頂きました

こちらの記事『「重力の再発見~アインシュタインの相対論を超えて~』

ジョン・W・モファット博士著)をご参照願います。

ところで、この記事をご紹介させて頂いた直前に、

重力波」を直接検出することに成功したとの報道が世界を駆けめぐりました。

ところが、『この「重力波」の真の正体とは何か?』という

本質的問題については、以後も科学者のあいだで論争が続いているようで

その「重力」波という名称そのものも科学的に妥当なものなのか否かを

巡っては、「異論」「反論」も続出中だと伝え聞きます。

というのは、「そもそも論」からして、

「重力」そのものの正体が未だ解明されていませんし、

アインシュタイン博士が、その存在を予想したと伝えられる「重力」波を

どのように定義づけるかを巡っては、物理学者のあいだにおいてさえ、

決着済みだとはとても断言できるような現状にはないからです。

「そもそも論」として、この「重力(万有引力)」問題を提起することになった

ニュートンやその延長線上のアインシュタインの「改良型」モデルには

大きな欠点があることからして、

「相対論」と「量子論」の接合がうまくいかないのだと仮説を立てられる

勇気ある物理学者もいるといいます。

というのも、ニュートンやアインシュタインが想定する「理論」では、

「力」を伝達する媒質とされる「エーテル」の存在を否定してしまっているからです。

それ以前のデカルトやケプラーなどはこの「エーテル」の存在を大前提とした

力学モデルを考え出し、宇宙論においてもその角度から検証を始めていたことは

ニュートンの登場とともに現在ではほとんど忘れ去られてしまったことも問題です。

本書における解説でも、この「エーテル」の存在自体が、

マイケルソンとエドワード・モーリーの有名な実験結果から

「エーテル」は存在しないものと断定されたとはされていますが・・・

『マクスウェルの論考と合わせて考えれば、空間には、エーテルといった媒質は

存在しないという結論が得られます。しかし光、すなわち電磁波を伝える、

空間としての性質は持ち合わせているということになります。』(本書112頁)

解説されています。

この「性質」をどのように解釈するかという問題と

その「性質」を有した<何らかの媒体(媒質)>が実際に検出可能なのか否かといった

最大の難問は取り残されているようです。

この難問に関しましては、現在、「相対論」から「量子論」まで

いわゆる<場>理論を想定することで

『数学的に記述される物理的な存在』(本書112頁)として

超弦(ひも)理論など多種多様な「理論」的仮説が提出されていますが、

どれもこれも肉眼的に捕捉可能な領域にあるものではありません。

つまり、現在の科学技術水準では、検証「不能」な次元問題だという点が

最大の難所だというわけです。

現実の「物理的」時空間を記述するに当たっては、「数学的」モデルとの関係を

必ずしも一致させて「信じる」必要はない。

著者の解説では、現代の<ゼノンのパラドックス>解題への1つの解答として、

『運動の数学的な時空表現において、任意に小さな空間と時間の間隔に

物理的な意味があると信じる理由はまったくない』

『数学モデルは、ある領域の経験による(これまでの観測にかかる範囲に

収まっていた運動に基づく)事実をもとに、そこから外挿したものに過ぎない

ということ』(本書35頁)だとも評価されているともいいます。

そうとすれば、現代物理学は一体全体何を目指しているものなのか

もはや現実の人間が住まう時空間(3次元+時間を導入した4次元)を

超えた想像上の領域世界で知的遊戯をしているに過ぎないのではとの

一般社会からの批判が当然出てきてもおかしくありません。

想像上の<見えない世界>を「検証」するに当たって

「存在するか存在しないかも不明な」謎解きに

莫大な研究開発予算を割く必要が果たしてあるのか否か

政治的立場からの根強い批判の声もあります。

こうした現実的批判には、案外、「専門家」にとっては

「盲点」でもあることから真摯に耳を傾ける必要もあるものと思われます。

つまり、昔から「シンプル・イズ・ベスト」と言われているように

「理論」的仮説を打ち立てるにおいても

「人間」原理(すなわち、およそ「人間」にとって予測可能(<見えない世界>を

対象とした探究なので、必ずしも肉眼での捕捉可能性を即座に要求することは

酷ではありますが・・・)」に対応し得る「予見」可能度につき

高度な蓋然性までは考慮しておく必要があるものと思われます。

そのあたりは、現代科学者の中でも「心ある」学者の方なら

共有されておられるものと信じています。

そういう意味では、「理論」設定における「数学的記述の美しさ」なるものも

最単純化モデルが要求されるのではないでしょうか?

「記述」レベルを超えた詳細な「説明」面はともかくとして・・・

前にもご紹介させて頂きましたスティーヴン・ワインバーグ氏による

『科学の発見』における問題提起も

そのような観点からなされているものと

少なくとも管理人は読解させて頂きました。

ところで、上記モファット博士自身も、

アインシュタインに触発された「相対論」の立場から

この「重力」の正体解明を志してこられたそうですが、

現在までに一応のところ主流の物理学界で認められた

自然界に潜む「力」は「4つだとされています。

モファット博士による書籍紹介の記事で紹介させて頂いたように

博士自身は、この主流派の「4つ」説に対して「5つ」目の

「ファイオン<場>」なる存在をあくまで「理論」的に仮説提示されていましたが、

それも従来の物理学が示した「力」解明の限界を補うための

便宜上の「理論」的説明にしかすぎない難点があります。

博士の見解を批判・揶揄する意図でこのように物申すわけではなく、

純粋な科学的観点から

この自然界における力学関係を吟味すると

「重力」以外の現在までのところ一応の解析がなされてきており

明確化・決着の目途が付きつつある(とはいえ、未解決問題も

あるそうですが・・・)という「3つ」の力である

すなわち、

①「電磁力(自然界における力の場として原子核と電子、

原子同士を結合させる電磁的相互作用)」

②「強い相互作用(原子核自体を崩壊させないように

核子同士をつなぎ止めている強い力)」

③「弱い相互作用(中性子のベータ崩壊を引き起こす弱い力)」

に関しましては、それなりの研究成果が積み重ねられてきたと評価されています。

説明が煩瑣になってきておりますが、

いずれにしましても、

現代物理学における一般的「力学」関係の解析された結果から

今後どのように残された難問を「説明」するかに当たりましては、

<場>の理論を用いざるを得ない段階にあるというところまでは

ある程度までの共通了解が出来つつあるように思われます。

とはいえ、「重力」解題が現代物理学の最大障害になっていることは

確かなことであり、この「重力」問題を何らかの形で

「捨象(無視すること)」が出来れば、

学問上も研究開発費上も大幅に節約出来ることは間違いないことでしょう。

ワインバーグ博士にご登場願ったついでに

厳密にはまったく領域が異なる説明として、

このたとえ話を提出するには慎重でなくてはなりませんが、

ある種の「繰り込み」理論と同様な手法を「力学」解析においても

用いることは可能なのかどうか・・・

このあたりも「心ある」物理学者の方がおられましたらば、

ご教示願いたいところであります。

そこで、「重力」解題に関して、

とある理論物理学者の見解も2010年頃に

提出されていたそうですのでここにご紹介しておきましょう。

それは、『「重力」とは<見かけの現象>にしか過ぎないのでは??』という

重要な問題提起であります。

こうした「仮説」に近似または類似した「理論」を提示されている物理学者は

他にもおられるようですが、

代表例として、

この記事創作に当たって以下にご紹介させて頂く博士による見解が

ざっと見渡した限りでは

邦訳された信頼のおける一般向け啓蒙書ないしは専門書も公刊されていないようで、

管理人もその信憑性の確証を巡っては苦労させられていますが、

インターネット上の簡潔な情報ソースですので

誤解もあることをご了承のうえで、

2010年頃にオランダはアムステルダム大学の理論物理学者である

エリック・ヴァーリンデ博士が提出されたエントロピック重力>理論

挙げておきます。

詳細は、こちらの記事をご参照願います。

また、今までに提出・解析されてきた自然界の「力」については、

「4つ」の力ではなくて、実は「3つ」の力ですでに説明可能であり

必要十分条件を満たしているかもしれないとの見解を提出されておられる方も

いるようです。

つまりは、『「重力」も大きくは従来確認されてきた「3つ」の相互作用力の1種であり、

ことに<電磁気力>の領域問題として取り扱うことが可能なのではないか??』とする

「仮説」であります。

と言いますのも、重力作用探しに拘りすぎると、

現在までに提出されてきた宇宙論モデルとの説明に矛盾が生じ、

整合性も取れない難問で思考停止した状態が

今後とも続くだろうことが予測されるからといいます。

言い換えますと、この「重力」解題に関しましては、

「ニュートン=アインシュタイン」モデル以前の「エーテル」の存在が

肯定されていた頃に立ち戻って、再出発しようではないかという

呼びかけであります。

「エーテル」の定義やその実体はともかくとしましても、

先に触れさせて頂きました繰り返しになりますが、

著者自身も

『しかし光、すなわち電磁波を伝える、

空間としての性質は持ち合わせているということになります。』(本書112頁)

という解説部分をどのように解決していくかは

なお課題として残されているからです

紙数の関係上、「重力」問題はこのあたりで止めておきますが、

現代物理学が抱え込んでしまった重大な「理論」的混迷の原因となった

要素が今後何らかの形で大幅に修正を余儀なくされることだけは

間違いないところかもしれませんね。

ということで、今回は、もはや紙数を費やすことも読者の皆さんに

ご迷惑をおかけしますので、

「重力」という物理的解明が比較的なされやすいと思われる

領域の話題で筆を擱かせて頂くこととします。

この項目タイトルに掲げさせて頂きました

精神(超心理学??)レベルが絡む

俗に言う「引き寄せの法則」など人間の「意識」を対象とした

物理学的観点からの考察も当初予定していましたが、

今回は省略させて頂くことをお許し願います。

とはいえ、それだけでは、逃げと思われても仕方ありませんし、

熱心な読者の皆さんにあまりにも不親切となりますので、

面白くて考える手がかりとなる書籍をご紹介しておくことにしますね。

管理人一押しのミチオ・カク博士が著された

『フューチャー・オブ・マインド~心の未来を科学する~』

(斉藤隆央訳、NHK出版、2015年第4刷)であります。

「NHK」が出たついでですが、

別に「回し者」ではありませんが、

今回の記事創作に当たっての着想に関しても

モーガン・フリーマンさんの『時空を超えて』で

放映されていた<重力は幻想なのか?>に触発されて

語りを進めさせて頂いたことをご報告しておきます。

また、予定していました<バックミンスター・フラー氏の思想>の

ご紹介とそこから触発された考察についても

その志向性と共通する管理人自身の想いの一端だけは

すでに要約部末尾で語らせて頂きました雑感記事内で

提出させて頂きましたので、ご寛恕願います。

要するに、未来科学の方向性には、

「超」物質的な思想が厳しく問われるとともに

倫理的規範を取り入れていく必要が大いにあるということに尽きます。

ことに、「経済」や「政治」分野における科学的知見の活用においても・・・

参考までに本書における<バックミンスター・フラー氏の思想>の

一端に関する解説については、本書190~200頁あたりで

触れられていますのでご一読願います。

本書でご紹介されていたフラー氏の提案である

『超物質的な富(ノウハウ)』を最大限活用しようとの呼びかけは

まさしく「ソフトパワー(思想性)」の重要性を問いかけたものだと

管理人は解釈しています。

この「人間」を含めた生命が住む宇宙空間の中では、

放置しておけば、自然の法則に従って、エントロピーが増大していくだけです。

すなわち、「無秩序」の拡散現象化であり、

画一的な「平均(平衡)」現象化であります。

その自然現象を完全制圧までは不可能にせよ、

一時的または局所的に制御可能な「力」を有しているのも

知性を宿した「人類」の知恵と工夫次第だということを

結びの言葉として強調させて頂きながら、

本記事を閉幕させて頂くことにします。

ということで、本書もまた皆さんの知的好奇心を満たしてくれるだろう

珠玉の1冊。

秋の夜長の1冊として、

是非皆さんにもご一読されることをお薦めさせて頂きます。

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なお、宇宙次元から俯瞰した「生命史」に関するご参考文献として、

①『宇宙からみた生命史』(小林憲正著、ちくま新書、2016年)

※現在続々と提出されている宇宙論の中でも

とりわけ「多次元」宇宙論(マルチユニバース説)が

もし本当に正しいとするならば、人類が長年かけてきた

物理学の「普遍化」の夢も途中で「断絶」してしまうかもしれないことを

教えてくれてもいる1冊です。

『もしマルチユニバース説が正しく、私たちの「宇宙系」以外の

「宇宙」があるならば、そこでの物理学は「宇宙系」での物理学と

異なると考えられる。』(上掲書21頁)

私たちが思い描いてきた壮大な学問体系も

「もしかしたら、幻想かも!?」

いずれにせよ、ここでも「人間」原理の壁があることだけは

確かなようですね。

②『地球・生命-138億年の進化~宇宙の誕生から人類の登場まで、

進化の謎を解きほぐす~』(谷合稔著、ソフトバンク・クリエイティブ

<サイエンス・アイ>新書、2014年)

③『宇宙史の中の人間~宇宙と生命と人間~』

(海部宣男著、講談社+α文庫、2003年)

また、「次元論」につきましては、

わかりやすい??図解式で解説してくれています

①『次元とはなにか~0次元から始めて多次元、余剰次元まで、

空間と時空の謎に迫る!!』

(新海裕美子/ハインツ・ホライス/矢沢潔共著、

ソフトバンク・クリエイティブ<サイエンス・アイ>新書、2011年)

を併せてご紹介しておきますね。

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最後までお読み頂きありがとうございました。

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One Response to “松井孝典先生の『文明は<見えない世界>がつくる』 現代科学は<見えない世界>をどこまで解明し得てきたのだろうか?”

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