ルトガー・ブレグマン氏の『隷属なき道~AIとの競争に勝つベーシックインカムと1日3時間労働』BI制度導入後の諸問題についても考えておく必要あり!!(20世紀の歴史的教訓より)

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『隷属なき道~AIとの競争に勝つベーシックインカムと1日3時間労働~』

今年のTEDカンファレンスでも注目された

ルトガー・ブレグマン氏による著書です。

現在は第4次産業革命が進行中ですが、

最も人類の労働史上において

厳しい局面が訪れるだろうと予想されているのが、

汎用型AI全面導入後の第5次産業革命だと言われています。

人類社会はどう激変するのでしょうか?

今回は、この本をご紹介します。

『隷属なき道~AIとの競争に勝つベーシックインカムと1日3時間労働~』(ルトガー・ブレグマン著、野中香方子訳、文藝春秋社、2017年第1刷)

ルトガー・ブレグマン氏(以下、著者)は、

オランダ出身の歴史家兼ジャーナリスト。

世界に新たな視点を届け、各国における今後の政策にも

多大な影響を及ぼすとも評価されている米国のTEDカンファレンス講演で

本年、一躍<時の人>となった新進気鋭の若手論客であります。

(なお、著者によるTEDカンファレンス講演については、

こちらからYouTube動画のまとめをリンクしておきますので

各自の学習にご活用下さいませ。)

ユトレヒト大学やカリフォルニア大学ロサンゼルス校では

歴史学をご専攻されたとのことです。

これまでにも4冊ほど著作があるそうで、

ベルギーでは、その1冊『進歩の歴史』が

2013年における最高ノンフィクション作品として表彰されたとも

いいます。

日本における邦訳書としては、本作品が第1作となるようですね。

ジャーナリストとしては、「不偏不党」の立場から自由報道し得る立場を

確保するために、広告収入に一切頼らない純粋な購読者収入で運営された

ジャーナリストプラットフォーム『デ・コレスポンデント』の創立メンバーの

一員として活動されているといいます。

本書が邦訳されるまでの流通経路(経歴)も興味深く、

著者の出身国オランダにおいて上記媒体から出版されるや

たちまちベストセラーに・・・

その後、アマゾンの自費出版サービスから英語版を出版したところ、

とある大手リテラリー・エージェントに注目されて、

各国で続々と出版が決定されていったようです。

このあたりの書籍出版のあり方も今後の先駆的事例となりそうです。

さて、本書を今回ご紹介させて頂こうと思った管理人自身の

背景事情や動機についても少し触れさせて頂くこととします。

ここでは、未だ導入部にしか過ぎませんので、

さらなる具体的詳細などは

いつもながらの本記事エッセー部にてご紹介させて頂くことにしますが、

ここにも不思議なご縁がありました。

普段から問題意識を抱えていると、絶妙なタイミングで

優れた著作や人とのご縁が取り結べるという典型的事例だと

実感されたことからここに特筆させて頂きます。

それは、管理人自身が<失われた20年世代(ロストジェネレーション世代)>でもあり、

絶えず経済生活上の安定策を試行錯誤しながら将来像を考えてきたところに、

ここ数年内で、

たまたまAI(人工知能)とBI(ベーシックインカム=最低限所得保障制度)の

話題が一気に高まってきたことに興味関心が惹きつけられて

期待と一抹の不安感も抱えながら、

とあるホームページに掲載されていたご案内により

ある方の講演会へと出かけたご縁がきっかけとなって、

本書へと誘われる不思議な回路が開かれたことです。

それもお寺でです。

これを<ご仏縁>とか<ご神縁>というのでしょうか?

去年の11月頃に、大阪の下寺町にある(ちょうど背後が生國魂神社でもある。)

今もっとも若者に注目され人気があると評価されている

應典院というお寺で開催されたベーシックインカム・実現を探る会という団体が

主催された関 曠野さんという元ジャーナリストの方の講演会からでありました。

そこからベーシックインカム勉強会関西の方々と出会いまして、

前にもご紹介させて頂いたこれまた本邦にて今もっとも話題となっている

新書『人工知能と経済の未来~2030年雇用大崩壊~』(ちなみに

これまたご紹介させて頂いた中野信子さんもご推薦されているから不思議なご縁です。)の

著者でいらっしゃる井上智洋先生に

上記記事で掲げさせて頂いた質問をさせて頂くことを通じて、

自らの疑問点解消にも資するだろうと思われたことや

非礼をお詫びの上、感謝の気持ちもきちんとお伝えしたくて、

上記『ベーシックインカム勉強会関西』の方々によるお招き講演会が

開催されるとの個人宛ご案内を頂いたことから

通常であれば難しい状況のところお会いすることが叶いました。

本当に感謝・感激・雨霰でございます。

ありがとうございました。

その模様は、後日、NHK『おはよう日本』でも放映される予定とのことです。

(編集後の放映予定時間は、10分程度だとのことだそうで、

上記団体者様によると秋頃の予定だとされているようです。

ちなみに、実際の講演会は3時間程度でありました。)

その講演会後の懇親会での和気藹々とした模様も「後ほど・・・」ということで、

乞うご期待下さいませ。

その時に配られた読書会のご案内(ちなみに、管理人が<読書会>なるものに

参加するのはこれが始めてです。<読書会>に関する体験談や私見も

後ほど語らせて頂くことにいたします。)こそ、

ちょうど今回取り上げさせて頂こうと前々から予定していた本書でしたので、

久方ぶりの祇園祭真っ只中の「上洛」ということで、

京都まで出かけ、本記事作成のご参考にさせて頂こうと思い、

今回ここにその勉強の成果をご披露させて頂こうというわけであります。

ちなみに今回ご紹介させて頂く本書は、

井上先生が講演会でも絶賛評価されていた書籍でもありました。

現在進行中の第4次産業革命後の汎用型AI全面展開後の第5次産業革命後の

人類社会はどのように激変していくのだろうか?

その時の社会像とは前回記事でも懸念していた超「管理型」社会で

人類にとって居心地の悪い状況をもたらすものなのか?

また、ベーシックインカム制度にまつわる様々な誤解や

当然予想されるだろう懸念なども

20世紀における国家「社会」主義の大失敗などの歴史的教訓を踏まえながら、

皆さんとともに後ほど考えていきたいと思います。

さらに、21世紀に入ってからますます強まってきている

只今現在も社会実験途上にある国家「資本=民営化」主義路線による

社会福祉制度改変に伴う問題点なども同時に検討していこうと思います。

ところで、今後のベーシックインカム関連の話題の方向性としては、

このBI導入後社会の「青写真問題(どのような社会を人類共通の理想郷と据えるのが

より望ましいのだろうか?)」という論点に主軸が徐々に移動していくのではないか

個人的には感じています。

また、すでに諸外国では実験例から獲得された知見(肯定例・否定例ともに)も

少しずつ積み重なりつつありますので、

今後は日本でも本格的な制度立案と導入へと向けられた実践段階へと

移行すべき時期が到来したものと考えています。

実際にも世界に目を転じますと、スイスやフィンランドなど

国情が日本とは異なることは十二分に考慮しなければなりませんが、

実践段階に達しているとも聞きます。

日本におけるベーシックインカム制度に関する早急な全国共通制度実現は

現在の政治状況では難しそうですが、

これこそ「特区」構想の具体案として検討すべき課題ではないかと

直近の国会審議でも見られるような「本質」とは

かけ離れた「水かけ」議論を超え出た次元問題として、

まずは試験導入してみるべき価値はあるように思われます。

とはいえ、その際の注意点は、現在大論争となっている最大要因でもある

特定階層への利益誘導へと発展しかねない(もしくは、そのように疑われる)ような

制度上の抜け道をいかに抑止すべきかの手だても同時に講じておく必要が

不可欠になりましょう。

そうした観点からする「特区」制度全体にまつわる根本的な問題点に関しましても

「そもそも論」にまで遡った検証を議員諸氏には是非ともお願いしたいところであります。

いわゆる利益相反問題(新制度導入の裏に潜む

新旧<利権追求者(レントシーカー)>の発生現象)の抑止策は

まさしく喫緊の課題でもあるからです。

このような理由から私見では、

「特区」制度の一環として「特定」地域のみにベーシックインカム制度を

導入する手法では、それこそ「不公平」な状況を招くものと強く考えていますので、

まずは過去に全国民を対象に実施された「地域振興券」や

「所得倍増計画」による経済効果が実際のところどのようなものだったのかを

再検証し直すことから始めるべきだと思われます。

その検討資料を基に具体的な素案へと進展させていくべきだと思います。

とはいえ、こうした国家的プロジェクトとしての「特区」構想とは別に

独自財源を十分に捻出し得るだけの地方自治体であれば、

試験的に導入しながら、検証結果を積み重ね、

将来的な国家全体レベルでの制度実現へと向けられた先駆的政策を

採用する方途もございましょう。

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なお、当書評ブログはあくまで政治活動を目的とするものではなく、

様々な書籍のご紹介を通じて、現在世界中で話題になっている諸問題について

幅広い層の方々を対象に

ともに自由闊達な議論を喚起して頂くため、

民主主義の成熟度を高めるのに資するご参考資料として、

毎回試行錯誤しながら取り上げさせて頂いております。

ベーシックインカム制度導入というと、

まさしく政治的争点となってしまうことは否めませんが、

以下で語らせて頂く問題提起もあくまで私見ということで、

必ずしも先にご紹介させて頂いた上記組織団体の公式見解と合致するものでは

ありませんので、そこは皆さんにもご安心してご一読下さればと願っています。

「政治」的価値観となると、読者各人それぞれでありますので、

当然、私見に賛同できない方がおられても構いませんし、

むしろ、そうでなければ、より有意義な議論にも発展しませんからね。

人間なら誰しも「盲点」があるということを大前提としながら、

皆さんとともに共有可能な部分を今後とも探究していこうと思います。

上記組織団体における理念も

様々な価値観を有した論者をお呼びすることで

ベーシックインカムを主題に自由闊達な議論が喚起される

きっかけづくりの「場」として、

ゆくゆくはベーシックインカム制度「実現」へと向けられた

幅広い国民世論として共有される状況が期待されているようです。

従来の市民運動に欠けていた点なども総括しながら、

政治的立場を乗り越えた国民共有の経済的「人権」あるいは「自治」を

いかにして実現していくべきかを考え、実現に向けて活動している団体であります。

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さて、経済的「人権」は、すべての国民に保証された憲法25条の理念でもありますが、

現在の通説的な社会福祉国家の考えでは、

どうしても経済「成長」と連動した政策傾向となりがちでもあり、

また、勤労の「義務」(憲法27条)観を

無視しては成り立たない論理ともなっています。

非常に興味深く重要な論点ですが、

国民の経済的「人権」であるはずにも関わらず、

こと勤労や納税に関しましては、

「義務」のみが極端に強調される傾向にあり、

その「権利」観について語られることが

絶望的にまで少ないということは

やはり何か異常なものを感じさせられます。

こうした限界点や通説的見方につきましては、

管理人自身にも私見がございますが、

とりあえずは、ベーシックインカム議論の利点には

こうした従来型の勤勉観などをも再考させ得る「哲学」的含みも

あるということだけをここでは指摘させて頂くことに止めておきます。

ということで、長々となりましたが、

本書要約へと移らせて頂くことにいたしましょう。

BI実現後社会も<バラ色>ばかりではないだろう論もきちんと考えておきたい(20世紀の歴史的教訓より)

さて、それでは本書要約ご紹介へと移らせて頂くことにしますね。

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まず最初に本書を読み進められる際の要点ですが、

ぶっちゃけて言いますと、本書ではご丁寧にも、

各章末尾に<まとめ>記事がございますので、

お時間がない方は、とりあえずその部分のみを

ざっと読み流して頂いたうえで、

各自ご興味ご関心あるテーマから

読み進められることをお薦めいたします。

とはいえ、ただ要約に当たって、

<まとめ>記事を流用するだけでは「能なし(笑)」となってしまいますので、

私見を交えた批評とともに各章の概要を独自視点で要約してみることに

させて頂きますね。

さらに、本書をきっかけにさらに専門的に突っ込んだ議論に

ご興味ご関心がある方向けには、

本書末尾に<ソースノート=著者による論旨補強源メモ書き>

(本書274~302頁)も充実しておりますので、

語学にご堪能な方には、是非「原典」にも挑戦して頂くと

さらに理解度も深まるものと思われます。

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①『第1章 過去最大の繁栄の中、最大の不幸に苦しむのはなぜか?』

※本章では、「先進国」であることが大前提ですが、

中世に比べればこれほどまでに豊かな社会になったにもかかわらず、

なぜ多くの人々が希望を喪失し、挙げ句の果てには、

精神的病理状態にまで落ち込むまでに至ったのかを問い直すことから

語り始めます。

重要点は、豊かになればなるほど未来への期待感(本書では、

<ユートピア>と表現)がなぜか薄れていくことと

それでもなお「欠乏感」から逃れ出られないという病理現象にあります。

政治的対立に関しても、こと経済政策を巡っては、

所得税率の違いだけが争点とされ、分配比率についても

似たり寄ったりな状況になってきていることが強調されます。

それでは、「なぜ、現代資本主義を大前提とする限り、

<欠乏感>から逃れられないのか?」

それは、まさしく人々の欲望を駆り立てる装置が巧妙に発達してきたことから

生活の「質」よりも「量」に比重を置く経済環境に絡め取られていることに

あります。

このような豊かさの中で生活することが可能になったにも関わらず、

「なぜ、モノやサービスも陳腐なものばかりが増加し続ける傾向にあるのか?」

本書の例で言えば、『アプリケーションソフトやガジェットが経済成長の希望を

象徴する』(本書24頁)というように

各種商品も「バージョンアップ」することだけが

目的となってしまっている現状をある若者の嘆きの声を紹介しながら

問題提起されています。

その問題意識は、そのまま第7章のテーマとも重なり合うことになります。

本章では、本書巻末扉にあるとおり、

もともとの英語版原書での副題が、『Utopia for Realists~』とあるように

『現実主義者のための理想郷』(本書<解説>307頁による訳)であるように、

あらためてこのような希望を無くした現代社会の中で、

ユートピアが投げかけた問いを再考し直すことで

<想像と希望を生む21世紀のユートピアを>(本書26~27頁)と

呼びかけられています。

まとめますと、著者によれば、

ユートピアとは、『正しい問いを投げかける』(本書19頁)ものだとの

再認識が必要だと語りかけるところに本書全体に流れる思想があります。

「現実味なきユートピア観から現実味あるユートピア観へ!!」

まるで、マルクスの標語のように

「空想的社会主義から科学的社会主義へ!!」を想起させますが、

「まずは、ここから再出発しましょうよ!!」というところに

本書の狙いがあります。

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②『第2章 福祉はいらない、直接お金を与えればいい』

※本章からが本題となりますが、

このタイトルだけを見れば、かなりの誤解を招くおそれがあります。

著者はヨーロッパ人であり、ことに福祉に関しては

革新的な取り組みがなされてきたオランダ人ということも

考慮に入れながらも、

管理人が今回執筆に当たって参加させて頂いた読書会でも

1つの争点となったテーマでありますが、

日本の福祉制度の現状を見る限りでは、

違和感のある主張とも評された章であります。

とはいえ、社会福祉制度やその思想内容の具体的中身については、

論者によって、意見の相違があるにせよ、

著者が本来的に強調されたかった論旨は、

あくまで、「現代福祉国家制度を支える思想では、

人間の尊厳がかえって損なわれることが多々ある」ということであります。

この問いかけは、いかな論者と言えども、

一応は共有し得る主張だと思われます。

「では、端的に言って、なぜ現代の社会保障制度(特に日本における

現状の生活保護制度が典型例)が槍玉にあげられるのでしょうか?」

それは、「所得<格差>」に応じて差別化されていくからです

この制度思想に対する批評はひとまず横に置いておくとしましても、

このような仕組みである限りは、「審査」に時間がかかりすぎ、

受給者の生活実態調査にかける様々なコスト(特に人員面など)が

かかりすぎることになります。

また、受給者には絶えず「スティグマ(社会的偏見を助長させるレッテル貼り)」が

付きまとうとの問題点もよく指摘されるところです。

現実的な所得調査も難しいうえ、

特に、この制度の受給資格対象者においてグレーゾーンにある層

(例えば、ワーキングプア層=本来的には制度上受給可能であり新規参入者に

なり得る層)と既存の生活保護受給者との間での線引きも難しく、

本当に「公平」な制度と成り得ているのかなど

様々な疑問点も提示されてきたことは皆さんもご承知のところでしょう。

(ご参考文献として、『生活保護VSワーキングプア~若者に広がる貧困~』

<大山典宏著、PHP新書、2011年>などが好著です。)

こうした問題点を数多く抱えている現行社会福祉制度だからこそ、

「条件付き」から「無条件」へと発想を逆転させる

いわゆる「ユニバーサル(無条件・全国民一律という意味)・ベーシックインカム」が

1つの局面打開策になるのではないかと提案されています。

とはいえ、当然出てくる「反論」があります。

それも、かなり根強い「反論」です。

特に「保守的」な管理人もこれまで強く感じてきた疑問点であります。

それこそが、「こんな過激な制度を導入すれば、

誰もまともに働く奴なんかおらんようになるんちゃうやろか・・・

(大阪弁でスミマセン)」との当然強く予想される「反論」ですね。

しかしながら、この「ユニバーサル・ベーシックインカム」のアイディア自体は、

何も「左派リベラル」だけではなく、ハイエクフリードマンといった

いわゆる<経済的>「右(保守)派」からも

幅広く支持されている発想だとも紹介されています。(本書38~39頁)

(なお、<経済的>な意味での左右両翼の違いについては、

一応の見取り図としては参考になるだろうと思われる

『経済倫理=あなたは、なに主義?』

<橋本努著、講談社選書メチエ、2008年>をご紹介しておきます。)

また、

この「ベーシックインカムなんか与えたら怠ける奴ぎょうさん出てくるで!!」論に

関する「反証」事例も数多く紹介されています。

例えば、本書で紹介されているカナダの「ミンカム」という制度など

(本書39~44頁)が挙げられます。

また、管理人自身も興味関心が強く新たに勉強になったことでもあり、

後ほど第4章の要約でも再度語らせて頂く予定ですが、

アメリカ「共和党(一般的には保守派と評される)」の

ニクソン政権においても大統領自ら提案されたこともあったようですね。

詳細は第4章に委ねますが、

とりあえずのここでの結論としては、

働いて所得を獲得することに「重きを置く」保守層だから、

こうした「ユニバーサル・ベーシックインカム」制度のような

「所得にかかわらずに<無条件に>給付する最低限所得保障制度」という

発想が必ずしも強く拒絶されるとは限らないという事例が

過去にあったということだけは

強調し過ぎてもし過ぎることはないでしょう。

とはいえ、実際には、この法案も、「最強硬」保守派に

拒絶され、「廃案」に追い込まれてしまったわけですが・・・

こうした一般によくある根強い誤解への回答が

本章の主題であります。

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③『第3章 貧困は個人のIQを13ポイントも低下させる』

※著者の強調点であり、貧困の定義では、

上記TEDカンファレンス講演でも語られているように

『貧困は「人格の欠如」ではなく「金銭の欠乏」である』ということに

尽きます。

本章では、貧困について陥りがちな「欠乏の心理」について

心理学者の知見などを紹介しながら、

長期的な視野を奪い、冷静な思考力や知的判断能力を低下させていくとする

実証例が取り上げられています。

著者によると、『貧困とは、お金が足りないこと』(本書72頁)に

由来するものであることから、貧困解消の手段としては、

当然ながら金銭的手当(それもより安定的な形態での現金ないしは現物給付)が

政策手段としては適しているとされています。

その具体的政策事例とその効果についても紹介されています。

(本書72~74頁)

また、早期における金銭的援助介入がかえって財政コストを引き下げるで

あろうことも強調されています。(本書75~76頁)

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④『第4章 ニクソンの大いなる撤退』

※本章では、現代の米国<保守派>に浸透していると評価される

経済学面における主流イデオロギーである新自由主義とは異なる

経済観が、かつての保守政権にはあったことが例示されています。

もちろん、時の米国ではヒッピーブームに象徴されるような

「反体制」運動に対するある種の「飴」を与える政策との評価も

ありましょうが、必ずしもそうではなかったことも

公平な見方として抑えておく必要があります。

もっとも、このニクソン自身が提案したベーシックインカム類似

(本書では、『無条件収入を保証する法律』本書82~83頁と

表記されていますが・・・)法案は、先にも触れましたように

「最強硬」保守派によって否決へと追い込まれることになりましたが・・・

その否定根拠として最大限活用されたのが、

19世紀のイギリスで導入されたスピーナムランド制度に対する

負の側面の誇張でありました。

簡潔にその要点をまとめますと、

当該制度は、「貧乏人を怠惰にさせて、生産性を低下させるもの!!」とする

やはり今日に至るまで根強く半ば信仰のようにある

「所得は働いてこそ得られる権利である!!」とする立場からの

批判であります。

後にこの批判は、多大な誤解(それもスピーナムランド制度に対する

王立委員会の報告書が捏造されたもの)に基づくものであることが判明しますが、

それでもなお、現在でもこの批判を擁護する意見が圧倒的大多数であります。

こうした否定的評価は何も保守派だけではなく左派リベラルにも

根強く継承されてきたことも指摘されています。

(本書90頁ご参照のこと。)

あのカール・マルクス(左派)やアダム・スミス(右派)などが

強く固執していたいわゆる労働「価値」論がそれです。

こうした考えに対して、著者が本書全編を通じて強調されているのが、

『資本主義者であれ共産主義者であれ、貧困者を区別するのは無益だ』

(本書100頁)との見解であります。

さて、先に本章こそ、管理人にとって最も印象深く残った章だと

語らせて頂きましたが、それはニクソンに対する否定的評価が

これまで数多くなされてきたことと、

その政治(ことに外交面)での評価しか取り上げられてこなかった嫌いが

あったと思われてきたからです。

今回あらためて新鮮に感じたのは、もちろん、

ニクソンの内政面、ことに経済政策について

詳しく解説されていたことによります。

管理人もニクソンについては、多大な関心をもって

学生時代から研究してきましたが、

その否定的印象を一変させてくれた書物に

学生の頃、親しく拝読させて頂いた

『戦略家ニクソン~政治家の人間的考察~』

(田久保忠衛著、中公新書、1996年)がありました。

この本によって、ニクソンが苦学生出身であり、

そこから這い上がっていくうえでの壁(特に、東部エリート層との

軋轢など)を乗り越えながら、大統領にまで上り詰めていった様子を

知ることになりました。

このように、おそらく、ニクソン自身が経済的に苦労者であったがために

貧困者への配慮に共感・共鳴するものがあったのではないかと推測しています。

とはいえ、苦労者であるからこそ、かえって、

苦労を乗り越えるためには、「何が何でも勤勉(勤労)第一!!」とする

価値観に傾きやすいことがあるのも確かなようです。

ここが管理人にも十二分に頷けるところです。

とはいえ、どんなに勤勉で勤労生活を送り、

誰よりも生真面目に生活に取り組んだとしても、

「稼ぐこと(所得)」に関しては、また異なるセンスが必要となります。

つまり、勤勉で勤労であろうが、

この資本主義社会(それも、金融・情報資本主義により傾き続ける一方の時代)に

おいては、ほとんどが運によって左右されることも多くなります。

言い換えると、どんなに高等教育を受けることが叶う好運に恵まれたとしても、

「稼ぐこと(所得収入)」については、

常人ではいかんともし難いものがあるということであります。

このような状況であれば、なかなか才能を活かす機会すら奪われてしまうでしょう。

それは、ほとんどの階層に属する方なら共感して頂けるものと

確信しております。

十二分な経済力がないために、社会に自身の才能を提供出来ないとなると、

社会全体にとっても不幸ですし、自身の自尊心や幸福感も低下させる

要因となりかねません。

このような観点から、想像力を羽ばたかせていけば、

すべての人々の経済生活力を押し上げるための施策が

何らかの形で必要不可欠になる理由があることも

ご納得頂けるのではないでしょうか?

第3章でも著者によって強調されていましたように、

「稼ぐに追い抜く貧乏神」であれば、長期的な不安感に苛まれることになり、

精神疾患の重大要因ともなりかねません。

(平成29年8月9日PM18:55訂正:

当初「稼ぐに追い付く貧乏なし」としていたところを

稼ぐに追い抜く貧乏神」へと訂正させて頂きました。

管理人の<重大ミス>です。

1人校正・校閲作業とは恐ろしいものですね。冷や汗です・・・。

意味がまったく正反対になってしまうことに

今朝仕事出がけの待ち時間に読み始めた本

『「お金」と「経済」の法則は歴史から学べ!』

<渡邉哲也著、PHP研究所、2016年第1版第1刷>

冒頭まえがきにより気付かされましたので、

ここにお詫びと訂正を申し上げます。)

また、安定した長期的見通しが立たなければ、

資本主義に内在する限界も即座に現れ出ることになります。

なぜなら、資本主義の論理とは、原則的に絶えず「成長」し続けなければ、

投下資本を回収することが出来ず、利潤を生み出すことが不可能になる

システムだからですね。

市場経済面に置き換えれば、将来の「需要」も予想が立ちにくいために、

過剰在庫や資源の浪費につながるきっかけともなります。

つまり、「ムダ・ムリ・ムラ」が多くなる『「くだらない仕事」に

人生を費やす』(第7章、166~168頁ご参照のこと。)羽目に

陥ることになります。

そうした問題意識からニクソンが提起したこの法案の意義には

文字通り、これまでの労働観や資本主義的経済観をも乗り越える予兆があったと

評価することも可能であります。

とはいえ、実際のニクソンも、先の「バカの壁」(養老孟司氏)に

阻まれたわけですが・・・

今後、人類が、この「壁」を乗り越えていくためには・・・

おそらく、その鍵を握っている生物??こそ「人工知能」でありましょう。

まとめますと、人工知能が人類に逆転の発想のヒントを与える

いうことになりそうです。

ここで「人工知能」が出てきたついでですが、

先程来、管理人「も」この第4章に特に注意が惹かれましたと語りましたが、

実は今回、管理人自身がお目にかかることの叶った

井上智洋先生ご自身もこの章に多大な興味関心を抱かれたそうです。

この労働「価値」論の壁こそ、「岩盤」なのかもしれません。

「働くことは、<美徳>」とまで持ち上げられてきた経済観は

なかなか払拭出来そうにもないようですね。

もちろん、管理人も「働くこと」自体が無用だとか、悪いなどというつもりは

毛頭ございませんが、重要な視点は、働き方やそこで得られる成果に

有意味性を持たせることが可能か否かでありましょう。

そうした視点を持つことで、

労働「量」から「質」への転換が促されていくものと考えています。

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⑤『第5章 GDPの大いなる詐術』

※本章の要点が指摘するところによれば、

結局、現代経済を評価する物差しが、

目に見える数値としての「定量」分析しかないというところに

問題があるようです。

本章では、現在、この評価方法(ここでは、GDPが典型例)に代わり得る

指標作りがなされている事例が紹介されていますが、

いずれも、「質」を計測すること自体が、「定性」分析になってしまいますので、

どうしても各人の「主観」的見方が加えられてしまい、

マクロ経済全体の指標としては、安定性に欠けるものとなってしまう難点が

あるとも著者は示唆されています。

また、GDP指標の限界は、常に「成長」が大前提とされることであり、

現行の福祉制度も経済「成長」とリンクされてしまっているところに

難点があります。

管理人自身は、到底、「脱」成長路線(無責任な「脱」原発と同様。

ちなみに、今あるような原子力エネルギーには多大な誤解もあるようですが、

現行の原発装置以外にも安価でクリーンな原子力エネルギーも

試験開発中なことから、「原発」と聞いただけで、

すべて「悪」と決めつけるような愚かな判断は

エネルギー供給の多様性と自給率を確保する観点からも

危険だと考えています。)には与することが出来ませんが、

世の中「諸行無常」である限りは、

常に「成長発展し続ける」という保証がどこにもない以上は、

「停滞」や「衰退」状態にある経済環境の中でも、

一応は、経済動向(景況感)とは切り離して、

社会福祉制度を再設定し直すための方策を立てておく意義は

十二分にあるものと考えています。

こうした役割もベーシックインカムにはあるといいます。

また、GDP指標による経済コントロールの手法として、

国家による通貨発行「特権」のフル活用。

されど、経済的に濫用され、

経済が大混乱に陥らないための工夫。

通貨発行の役割を「政府」に持たせ、

行き過ぎた通貨発行の歯止め役を

国債発行などによる吸収操作などで管理する「日本銀行」の役割。

それは、利益相反状況を防ぎ、収拾がつかない想定外の事態に

備えるための「ファイアーウォール(リスク分散用の防御壁)」機能を

持たせるために必要だといいます。

ご一緒に勉強させて頂き、いつも優れた知見を提供して下さる同志の方と

話していて、この「政府」と「日本銀行」をバランスシート上は

ある種の連結決算処理が可能となるのであれば、

実は、国債すら不要になるのではないかとの有意義なご意見を

頂いたこともありましたが、

その時は理解したつもりになっていたのですが、

後からじっくりと考え直してみると、

どうしても得心出来ない「もやもやとしたもの」が浮かんできたのでした。

そんな疑問点を抱えていたことから、

いつもながら、無理に理解したつもりになるのを止めて、

あらためて諸文献などを再読しながら、

つらつらと考えていると、

やはり、国債が、通貨の「無限」発行の歯止め役になっているのだなぁ~という

理解が一応得られました。

別に「国債」でなくとも

他にもっとベストな方法があるのかもしれませんが、

浅学非才の我が身には思いつきません。

どなたか、よくご存じの方がおられれば、

優しくご教示願えれば幸いであります。

要するに、資産:「通貨」量と負債:「国債」量の相関関係次第だと

いうことで、そのバランス加減で調整していくのが適切なようなのです。

(少なくとも、現行の仕組みではの話になりますが・・・)

資本主義の論理が、経済「成長」を促し、

より社会を豊かにしていく志向性にある限りは、

景気の動向に合わせて貨幣「量」も調整しなくては、

一定限度以上は、「成長」することが叶わないことも理由の1つだとも

考えられます。

とはいえ、ただ通貨を発行するだけでは、

市中に無限に増殖し続ける(中央銀行と民間銀行に利子付き<信用創造>機能を

許容し続ける限りは・・・)ため、何らかの形で吸収策を講じなければ、

インフレ・デフレの懸念は常に付きまとうことになってしまいます。

そこで、その懸念を払拭する1つの方策として

国債による吸収策が採用されたものと思われます。

よく巷間あるような「子」である国民資産による担保で

「親」である負債を支えているというイメージは、

どうもちょっとずれているようだということも

見えてきたようです。

もちろん、間接的には関係してもいるようですが、

国家が通貨発行を管理し得る範囲においては、

その直接的な通貨発行分でもって、

不測の事態が生じた際には、国債償還に振り当てることで

数字上は「相殺」することが可能です。

ですから、問題は、こうした「お金」の量と実体経済がかけ離れた際に

起きるバブル経済が発生した時及び崩壊した時に生じる

国民の経済生活上における心理的動揺の方が、

より重要な問題となりそうです。

経済の「肝」とは、

畢竟するところ、国民「心理」の壁を

どこまで理解しているかに尽きるようですね。

この「心理」的不安こそ、

「経済生活を持続的に営むために必要となる<お金>を

死ぬまで稼ぎ続けなければならない!!」とする

強迫観念にこそあります。

現代資本主義社会では、経済生活の大部分の指標が、

金銭評価となってしまいがちですので、

「お金」が足りない人間は、

何か働いていない「怠惰」な人間ではないかとも

評価されがちです。

とはいえ、金銭評価をまったく捨てることも危険なようです。

いわゆる「評価」経済の闇の部分であります。

なぜなら、特定の「人気」を集めた人間にのみ

経済的安定が許されるからですね。

前にも語ったことですが、

貨幣廃棄論は、ろくな結果をもたらさないようなのです。

『貨幣とは何だろうか』今村仁司著、ちくま新書、1994年ご参照のこと。)

こうした「評価」経済系論者もベーシックインカム論を

唱えられているようですが、

どうも新自由主義的発想の傾きがありそうです。

そんなことも個人的には感じます。

「なぜ、人々は、必要以上に<働くこと>を求められ、

過剰労働から過労死や自殺、うつ病などの精神病理状況へと

いとも容易く誘われるのでしょうか?」

このカラクリにも、「欲望」と「自尊心」が

現代資本主義社会の仕組みを大前提とする限り、

強く結びつき過ぎているからのように思われます。

ということから、

著者は、以下の言葉で本章を締めくくられています。

『今、わたしたちはこれらの古い問いについて再考しなければならない。

成長とは何か。進歩とは何か。より基本的には、人生を真に価値あるものに

するのは何なのか、と。』(本書127頁)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

⑥『第6章 ケインズが予測した週15時間労働の時代』

⑦『第7章 優秀な人間が、銀行家ではなく研究者を選べば』

第6章と第7章では、20世紀初頭にケインズによって予言された

未来の労働時間に対する展望からますます遠ざかっていく

現代の経済生活環境をいかに改善し、抜本的に革新していくかが

問われることになります。

ケインズ予言の要旨は、技術革新によって労働時間の短縮が叶うことによって、

捻出された「余暇」(この発想自体にも大いなる違和感がありますが・・・)を

どのように有意義に活用することが出来るかという課題であります。

本来、「働くこと」は、日本的な文脈から考えるならば、

「傍を楽にすること」ですから、働くことによって生産性を高めて、

豊かな環境をともに創造することを通じて、余裕を産み出すことこそが

本旨であったはず・・・

江戸時代の勤労観と言えば、どうしても二宮金次郎さんのようなイメージが

強いように思われますが、一説によると、これも明治時代以後の勤労観に

都合の良いように「創作」された見方だと評価される研究者もいるようです。

管理人も専門家ではありませんので、詳細な批評は出来ませんが、

江戸時代と明治時代の境目で、何か大きな勤労観に関する転換が

あったようなのです。

勤労観の違いは、庶民の学問への姿勢にまで大きな影響を与えたとも

言われています。

「自発的」な姿勢から「(半)強制的」な姿勢へと・・・

これが、何か急き立てるような強迫観念を

人間に押しつけるきっかけになったように思われます。

そして、「実学全盛時代」へと移行していく原動力となっていたようにも

思われます。

こうした流れからすると、技術革新も良い側面ばかりではないようです。

ですが、技術革新の本来の目的に立ち返りながら、

「働き方」や「学び方」を再点検し直してみると、

その良い側面を活かすことも可能になります。

「余暇」という言葉に違和感を覚えるのも、

労働時間にだけ異常なまでの高い価値意識を置いてきた考えにあります。

その考えでいけば、労働時間以外の各種「生活(まさしく生命活動)」時間には

価値がない、もしくは、薄いことになりそうですが、

人生における時間自体には、本来、区別などつけようもないはず・・・

つまり、「人生にリハーサル時間などない!!」あるいは、

「人生二度なし!!」のはずです。

その生きた時間の希少価値をこそあらためて再認識させてくれるきっかけこそが、

今、ベーシックインカムを考えることの効用であります。

第7章も、「働き方」を見直すきっかけとなるヒントが

紹介されています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

⑧『第8章 AIとの競争には勝てない』

※本章では、AI(人工知能)の進展から予想される未来の人間による

労働の減少といったお馴染みの論点が取り上げられていますが、

この論点は、これまでも当書評記事で様々にご紹介してきましたので、

ここでは省略させて頂くことにします。

具体的な詳細を再度おさらいされたい方には、

「人工知能」を検索キーワードとして、当書評記事を

探し出して、ご再読下さると幸いです。)

いずれにせよ、井上智洋先生の書評記事でも語らせて頂いたことの

重複ともなりますが、著者もまた、

AIによる技術革新の恩恵を手放したくなければ、

最終的にはベーシックインカムと時短労働こそが、

その具体的な解決策となるだろうと提案されています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

⑨『第9章 国境を開くことで富は増大する』

※さて、最大の「異論」、「反論」が起こりそうなのが本章であります。

本章も、第2章同様に、読書会で争点となったところです。

いわゆる「移民受け容れ政策」にどれほどの利点があるのかを

論ずるに当たっては、経済学者の方の場合には、

どうしても社会(文化)・政治面をあらかじめ捨象して

「純粋」な経済効果だけでモデル化して説明される嫌いがあるようです。

曰く、「移民労働者を受け容れた結果、既存の受け入れ国側の

労働者や労働環境に悪影響を及ぼしたとする詳細な実証例は

あまりない!!」だとか・・・

とはいえ、その伝でいけば、

「好影響を与えた実証例もほとんどない!!」とも言えそうです。

というのも、あまりにも政治的リスクが大きすぎるために、

現実の移民による経済効果を計測することが、

予想以上に難しいからでもあります。

これは、経済学者が悪いというよりも、

その経済面だけに特化した方法論からでしか

「定量」的な分析が出来ないために仕方がないことであります。

その点、著者は「歴史」学者でもあります。

「歴史的」な観点からの評価も加味させた経済効果を

論証されています。

とはいえ、後に触れさせて頂きますように、

一抹の不安感もあるわけですが・・・

なお、「経済」学者からの移民受け容れによる経済効果分析については、

下記の書籍がご参考になるかと思われますので、

ここで併せてご紹介しておきますね。

『移民の経済学』(ベンジャミン・パウエル編著、藪下史郎監訳、

佐野綾野・鈴木久美・中田勇人共訳、東洋経済新報社、2016年)であります。

この著者はどちらかと言えば、移民受け容れ「拡大」を支持する学者であるようですが、

これまでの移民受け容れによる経済効果に関するデータが

『条件付きの研究の結果』(上掲書、282頁)にしか過ぎないことも

認めつつ、「批判論」者にも配慮しながら、

基本的には市場の価格調整メカニズムに信頼を置いている論者であります。

詳細は是非、上掲書をご一読頂きながら、

皆さんにもともに考えて頂きたいのですが、

現在までに至る代表的な移民に関する経済学知見については、

『第9章 結論:代わりとなる政策的視点』(279~310頁)が

簡潔に要約してくれています。

「拡大」支持者においても基本路線としては、

「高度熟練」労働者に重点を置きながらも、何らかの「割り当て」制度も

不可欠との見立てが多数を占めているようですが、

論者によっては、さらに「過激な??」方向を示唆している識者も

いるようです。

上掲書の論者の立場では、

『移民の大量増加によって「鍵穴的解決策」では対処できないほどの

悪影響が引き起こされている証拠が得られるまでは、国際的な移民は

数量制限のない世界に向かって進むべきであり、またそれも急ぐべき

であると、私は考えている。』(308~309頁)と・・・。

ここで、著者と上掲書の論者パウエル氏の見解が出そろいましたので、

取り残しておきました一抹の不安感について語っておきましょう。

上掲書の解説によると、

移民政策論議の多くが「感情論」が先行しており、

きとんとしたデータに基づく冷静な学術的研究に基づいた議論が

少ないと言いますが、学術研究といったところで、

その志向性の中には、「無意識」な好みという「感情」が

入り込んでくるはずで、まったく、「価値中立」的な立場でもって

「客観的」な分析結果を指し示すことなどおよそ不可能ではないか

思われます。

それほど、統計資料分析は難しい作業なのです。

ですから、賛成派であるか反対派であるかを問わず、

「感情論抜き」の冷静な議論など実際の政策現場では

むしろ酷というものでしょう。

なぜならば、現実的に生活を侵害されるおそれから来る不安感情は、

むしろ、自然な反応だと思われるからです。

もちろん、逆の立場である移民にとっても同様のことが成り立ちます。

最終的に、どのように折り合いを付けていくかは、

各国・各地域における歴史・文化的背景事情や各民族が有する深層心理の

差異によって決定づけられていくことになるのでしょう。

このように見てくると、やはり、

「純粋な」経済学的観点だけからする移民の経済効果論には

重大な疑問符が付くように個人的には思われるのです。

特に、読書会でも話題となりましたが、

積極的か条件付きかを問わず「賛成派」に近い方でさえ、

上掲書で紹介されていた拡大容認論者の中にもおられるように

高度熟練労働者と低技能労働者を一応は区別して論じられる方が

多く見受けられるように、その区別を撤廃して一律に「賛成」するとなると、

いわゆる労働力価格に対する「底辺への競争」現象が起こり得るのではないかと

懸念される問題が発生します。

そこで、ベーシックインカム制度についても、

国内レベルの「ナショナル・ベーシックインカム」に止め置くべきか、

それとも、国際レベルの「グローバル・ベーシックインカム」にまで

拡大させて考えていくかで、その方向性は違ってきます。

通常のベーシックインカムで想定される経済規模は、

国内を対象としたレベルを大前提とした議論が多いように

見受けられますが、ベーシックインカム制度における給付額も

景気変動に合わせて「固定型」にするのか「変動型」にするのかでも

制度作りの難しさが出てきます。

ベーシックインカム制度が景気変動と連動させた設計とする以上は、

その微調整をどこで、いつ、どの機関が行うことになるのかも

重要な論点となってきます。

それはまた、現代福祉国家が「肥大化」してきた歴史的教訓を

踏まえるものでもなくてはならないでしょう。

つまりは、本タイトルにも掲げさせて頂いたように

20世紀における歴史的教訓を十二分に踏まえたものでなくてはなりません。

それは、「官僚制の肥大化(つまりは、独裁化=政治経済権力の暴走)」を

何らかの形で抑制するための歯止めが必要になるということでもあります。

言い換えますと「民主的統制」の仕組みづくりであります。

こうしたことを丁寧に考えていけば、

国内レベルでも前途多難な現状にもかかわらず、

ましてや国際レベルにまで拡張させた「グローバル・ベーシックインカム」と

いう仕組みはまだ時期尚早なのかもしれません。

とはいえ、そのアイディア自体は、

昨今の租税回避行為に由来する「国内」経済レベルでの打撃解決策としても

一考に値する貴重な考えではありましょう。

トマ・ピケティ氏が提案されたような「グローバル資産課税」分を

原資としたものと想定すればよいのでしょうか?

ただそのような提案をされたとしても、各国における物価比率に応じて

各国民経済の実状に合わせた再分配計算をし直さなければならないわけで、

これはこれで二重の計算コストがかかりそうですが、

どのように調整していくべきだとお考えなのでしょうか?

各国における為替レートを参考にする?

とはいえ、未だ全世界共通通貨が存在しない以上、

事実上の政治経済大国の力学関係に依存するしかないわけで、

難しそうですね。

また、仮に全世界共通通貨が可能として、

現代のEU圏内で起きている現象をどう解釈すればよいのでしょうか?

為替問題はあるにせよ、複数通貨が存在した方が、

リスク分散としてもより望ましいのかもしれませんね。

皆さんならどうお考えになられるでしょうか?

素人ながら率直な疑問点を提示しておきます。

いずれにしましても、国内における分配政策と国際間での分配政策とは

一応区別して考える必要がありそうです。

しかし現在では、国内経済と国際経済はかなり密接に結合しているために、

完全に切断してこの問題を考えることも不可能ですが、

今後は、各国における為替調整のような「協調合意」が

「グローバル・ベーシックインカム」制度が

仮に実現された場合でも必要になるだろうことが予想されます。

現状を鑑みれば、前途多難ですが、仮に「グローバル・ベーシックインカム」が

実現したとして、是非とも真剣に考えておかなくてはならないことがあります。

それは、世界統合政府に過大な権力が集中しかねないことという懸念事項であります。

こうなると、著者や著者が本書タイトル名を付ける際に

着想を得たとされるハイエクが懸念した『隷従への道』での問題提起も

きちんと見据えておかなくてはならないでしょう。

特に「集産主義」への懸念であります。

このように本章は、従来の<移民にまつわる7つの誤謬>

(本書226~232頁)に対しても

1つ1つ丁寧に分析解説されていますが、

このあたりは、「感情論」にも配慮しつつ、

もう少し慎重に建設的かつ安全な方向で

解決し得る方策を練っていく必要もあるように思われました。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

⑩『第10章 真実を見抜く1人の声が、集団の幻想を覚ます』

⑪『終章 「負け犬の社会主義者」が忘れていること』

第10章では、私たちが新しい考えに馴染むまでには、

克服すべき心理的壁があることが再認識させられます。

ここで重要なことは、

「歴史とは常に思想(アイディア)が動かしてきた」という事実に

目を向けることであります。

かつては、突拍子もないアイディアだと思われていたことでも

現代では、ほぼ自明(当たり前の社会常識)のこととされていることは

山ほどあります。

例えば、奴隷制度の廃止や女性参政権の容認などなど・・・

それでは、困難な関門を人類はどのようにして

一歩ずつ乗り越えてきたのでしょうか?

それこそが、歴史的視点で物事を見ながら、

来るべき未来像を想像し、予想される事態への

予防策を考えておく利点でもあります。

著者の歴史眼からは、「歴史という学問は、

単に未来を予測するための道具ではなく、過去の叡智から

現代に実現し得なかった多種多様な可能性にまで目配せすることで、

より望ましい未来を導き出すための知的学習帖」とでも

いうべき見方が学べそうです。

「私たち1人1人に実践可能なこととは何だろうか?」

まずは、大多数が反対する中でも、純粋な気持ちで

何がより望ましいことなのかを問い続けながら、

逆境にも挫けずに挑戦し続けた先駆者から叡智を汲み取り、

いつの時代もこうした勇気と知恵を兼ね備えた先駆者によって

新たな道は開拓されてきたということを再認識し、

ユートピア実現へと向けられた意志を

強く持ち続けることからそれぞれの再出発が始まるということです。

「青年よ、大志を抱け!!」(クラーク博士

そう、キーワードは今話題の『大志』であります。

そして、それは、もう一度、個人主義を乗り越えた

人類全体の「大きな物語(本書では<大文字の政治>)」を

回復・復権させることであります。

世界は、陰と陽で成り立っていると

古来から考えられてきました。

それは、世俗的観点から再解釈し直せば、

左右対称性であり、

どちらの価値観から見た視点も必要だということのようです。

だとすれば、それぞれの長所を活かしながら、

人類がともに共生・協力し得る環境作りに役立つアイディアを

出し合っていく他ありません。

「対立から和解へ・・・」

口に出して言うのは簡単ですが、

実際の行動は本当に難しいことですね。

しかし、人類史の観点から大きく現代までの軌跡を総括すれば、

これまでの歴史的教訓を踏まえながら、

一歩一歩その反省のうえで、新たな解決の道が

模索され、不可能と思われてきたことも

着実に実現させてきたからこそ、

今なお私たち人類は存続し得ているということを

忘れてはなりません。

再度の繰り返しになりますが、本書の副題は、

『現実主義者のためのユートピア』であります。

ですから、かつての社会主義や共産主義がなぜ失敗したのかを

丁寧に総括しておくことが、

ベーシックインカム実現を目指す運動にも

実現後の社会構想にも常に欠かせない姿勢となります。

思想自体がどんなに素晴らしいものであっても、

想像力が乏しければ、実現後の社会は惨憺たるものになることも

これら20世紀の教訓は教えてくれています。

すなわち、ベーシックインカムさえ実現出来れば、

後は<素晴らしき新世界=バラ色のお花畑>とはならないだろうことにも

目配せしておく必要があるということです。

それは、只今進行中の国家「民営化」主義でも同様でありましょう。

前回記事でも語らせて頂きましたように、

すべての人類の趣味・嗜好が、

「ビッグデータ」一色に塗りつぶされてしまった社会を

想像してみて下さい。

そんな社会では、

「暇と退屈」を持て余し、

自ら自由を放棄するか、自暴自棄になって

自他ともに危害を加えるような人間も一定程度出てくることが

予想されます。

「小人閑居して不善をなす!!」

「そうならないためには、では、どうすべきか?」

それは、まさしく各自で考えて頂く他ありません。

つまりは、「粘り強く考え抜き、納得できるまで学び問い続けること」でしか

「暇と退屈」を乗り越え出ることは出来ないということに他なりません。

そうした知的遊びを楽しめるかどうかが

これからいよいよ迫り来る人工知能によるシンギュラリティー(技術的特異点)の

時代には、不可欠な心構えとなるのではないかと

管理人には強く想像されるのです。

「人間に出来て、機械に出来ないことは何か?」

今後とも管理人は折に触れて、このビッグテーマを追跡していきますので、

皆さんにも幅広く知的議論を盛り上げていって頂ければと願います。

終章では、そんな過去における「社会主義者」の失敗要因を分析考察しながら、

右派・左派といった政治的立場を超え出た「大文字の政治」を

取り戻すためのヒントが提示されています。

特に、「なぜ、従来の左派リベラルが停滞していったのか?」

その1つの理由仮説が、

<オヴァートンの窓(許容性の窓=柔軟な政策拡大の余地)>理論であります。

現在、世界中で右派によるポピュリズム路線(大衆迎合主義??)が

浸透しつつあり、左派エリート層からは強く懸念された論調がありますが、

この現象を深層心理の側面から分析してみると、

「集権」体制への強い誘因が無意識に潜んでいることも

多くの人々から支持が得られなくなった要因ではないかと

著者が提示された<オヴァートンの窓>理論を前にして

管理人自身が実感してきたことでもあります。

そんなことをちょうど考えながら、この書評「案」を練っている最中、

まさに時宜を得た評論がありましたので、

ここで皆さんにご紹介しておきますね。

『日本人は学ぶよりも考えよう』と題する筑波大学大学院教授

古田博司先生による問題提起です。

(平成29年7月26日水曜日付け産経新聞『正論』欄より。

こちらのサイトからご一読頂けます。)

この評論は社会系ブロガーをも勇気づける内容となっていますので、

当該論旨に共鳴・共感される方は、是非ブロガーの座右論として

ご活用下さいませ。

管理人もここで指摘されるようなダメな部類のブロガーにならぬように

より一層の考え抜く訓練を積み重ね、

皆さんの前で進化した姿をご披露出来るように、

精進に精進を重ねていく所存であります。

乞う、ご期待のほど宜しくお願い申し上げます。

それでは、

「万国のユートピアンよ、ともに楽しい夢を見れますように・・・」ということで

いったん、要約記事コーナーを締めくくらせて頂きます。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

・謝辞

・ソースノート

・解説

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

<読書会>のススメとBI導入後社会が提起する<居場所づくり>問題について

さて、ここからは、しなやかな姿勢で語って参りましょう。

特に読書人や書評ブロガーへのオススメであります。

それは、著者との出会いが叶えるならば、

直接お会いしてお話を聞くことや

著書を読んでいて率直に疑問に感じた内容などを

質問してみることです。

おそらく、優れた著者であればあるほど、

「反論」「異論」であっても、

そこまでの熱心な読者であれば大歓迎して下さることでしょう。

但し、著者への敬愛の念はお忘れなく・・・

単なる批難中傷は御法度(厳禁)です。

また、「論破」を目的としないことです

なぜなら、どのような意見であれ、一考すべき価値はあり、

持論の「盲点」をつく視点を提供してくれる貴重な機会だからですね。

言論活動に携わるほどの者であれば、

決して忘れてはならないルールであります。

質問することのメリットは、

より深く掘り下げた勉強へと誘われること。

そのことを通じて、理解力もより一層深められ、

幅広い角度から自説を相対的に批評する立場(もう1人の自分)を

獲得できることです。

また、こうした有意義な「対話」の機会を得ることで、

日本人の勉強観に強い影響を与え、

勉強嫌いを増やす要因となった

教壇からの「上から目線」的視座から抜け出る思考回路も

確保されるからです。

だいたい、管理人もこの「勉強」という

努め強いるというニュアンスが強い言葉が嫌いです。

だからこそ、「自発的」に学び問い続けるというニュアンスの強い

「学問」という言葉を好んで使用させて頂いてきたのです。

この「自発性」の養成こそが、

成熟した民主制(政)の発展には不可欠だと深く信ずるからであります。

また、「自発性」は、「同調圧力」ではない

真の意味における「協調性」をも育成します。

この延長先で、いじめや差別といった暴力の抑止にもつながり、

戦争廃絶の道へと結びつきます。

かくまでに、自主学習の教育的効果は大きいのです。

そして、先の要約記事末尾でも触れさせて頂きましたように、

この間違った「勉強」観から無意識に誘導されていく

「上から目線」的視座こそが、

日本人だけではなく、

世界中の多くの「サイレントマジョリティー(もの言わぬ大多数)」から

強く嫌悪されるようになった要因だと思われます。

また、従来の左派・右派を問わずに、

いわゆるプロ市民活動が敬遠された最大の理由だとも実感しています。

管理人もこうした「バカの壁」を乗り越えるための

「対話」論に関する著書もこれまでご紹介させて頂いてまいりましたが、

その趣旨もここにこそあります。

読書会や井上先生との懇親会でも教えて頂いたことですが、

①「語り合うこと」

②「書くこと」で、

普段、自身が思ってもみなかった新たな思考回路が開かれるといいます。

つまり「新発見」への誘導回路が脳内に形成されるというわけです。

そうした「対話」に触発されて管理人が最近考えているテーマがあります。

それは、

「人工知能」における「深層学習(ディープラーニング)」と

「人間」における「積極的主体学習(アクティブラーニング)」の

決定的相違点であります。

このテーマはまだ思案中でもあり、紙数の関係上、

そろそろ終幕に近づきつつありますので、

追々その一端を少しずつご披露していこうと思いますが、

皆さんもシンギュラリティー後の時代を見据えて、

ご一緒に考えて下さればと「宿題」とさせて頂くことにいたしましょう。

それは、BI後に予想される「暇と退屈」な時間を

いかに過ごすかの<思考実験>ともなりましょう。

今回の書評では、一般向けへのベーシックインカムのご紹介と

実現後にこそ考えておくべき課題を主軸に語ってきましたが、

ベーシックインカムが実現するという意味は、

従来の社会福祉観とは異なる視点や生きる姿勢が要請されるという

意味でもあります。

つまり、次に語るような方向でのベーシックインカムの実現は

管理人も望むものではありませんが、

ある種の世界で力を持った超巨大権力機関から

「わかった、わかった、結局はあんたたちの願いは、

生活に不安を感じない程度に潤沢なお金が欲しいというわけだ・・・」という

思想で、生活を全面的に支配され、

無気力・無感動・無節操な精神状況へと誘導させられるという懸念も

あるということであります。

新自由主義的な発想で、この世のすべての

人間における価値付けが金銭評価される方向へと移行するならば、

必ずこのような問題点が出てくると思われます。

そこで、懸念されるのは、

いわゆるフェミニスト系によるベーシックインカム論であります。

例えば、今までまったく評価されてこなかった領域の

仕事(例えば、「家事」など)にも正当な金銭的評価を与えよとする姿勢が

この新自由主義的な発想と驚くほど親和するのではないかということです。

女性の解放を願った発想であることは、

管理人も十二分に理解出来ますが、

物言わぬ女性の声が世間には数多くあることも

無視してはならないでしょう。

要するに、「金銭的解決」だけが、女性を解放するというわけではなく、

正当な評価が与えられることで、その尊厳が報われることの方が

はるかに重要だとの意見も耳にします。

要するに、フェミニスト系理論が、

女性の意見をすべて代弁しているというわけでもないのです。

逆もまたしかり。

「男性中心主義(マッチョイズム)」ですね。

フェミニスト系によるベーシックインカム論が、

これまでの社会に根強く蔓延ってきた

いわゆる「性別役割分担」からの解放を目指し、

女性だけではなく、結果としての男性の解放をも促すものであるならば、

共感出来る側面もあります。

とはいえ、女性の社会進出が、

単なる経済的理由からの男性の「人手不足」解消の手段として

利用されるならば、また、女性の「男性化」を促すものであるならば、

(管理人は現にこのように動いてきた傾向にあると思いますし、

女性の立場からもフェミニスト的視点に大反対する声が

かなり多いようですね。)、

生物学上の差異を軽視し過ぎているようにしか思われません。

社会学的に見れば、「家族」や「国家」の概念を

拡張させる視点と言えなくもありませんが、

現実の世の中ではさらなる摩擦と混乱の種蒔きになるとしか

思われないのです。

つまりは、各人の好み(世界観・価値観)との折り合いが

その歯止めとなるということです。

昨今の「主流」経済学では、「計量(数理・定量)」型経済学が

左右問わずに花盛りのようですが、

そもそも経済とは、「経世済民」であり、

金銭的評価だけで貫徹し得る営みではないはずです。

このように、ベーシックインカムにも各論者によって、

意図する世界観の違いが反映されるために、

すべての人間に共有し得る「デフォルト・ルール(初期設定)」としての

標準的ベーシックインカム制度でさえ、

なかなか設計することが難しいようです。

とはいえ、そうしたベーシックインカムの背景にある哲学観や世界観の

違いはあっても、最低限のプラットフォームが

必要となる時期が到来してきていることだけは相違ありません。

ということから、制度としてベーシックインカムを実現させようと考えれば、

あくまで、この「初期設定」に比重を置きつつ、

前回記事でもご紹介させて頂いたようなヒントを手がかりに、

各自で自前のベーシックインカムへと改変させ得る自由も

残されていなくてはならないでしょう。

それでは、最後になります。

再度、問いを投げかけさせて頂くことにしますね。

「あなたは、究極のところ、BI実現後の社会をいかに過ごされますか?」

金銭面での社会経済福祉手当分は解決し得たとしましょう。

とはいえ、その社会では、

本書第2章が投げかける問いとも関連しますが、

「自前の福祉は、あなた次第!!」ということで、

もはや、従前の国家が支援してくれる領域は

著しく狭められていくことになりましょう。

読書会でも大きな話題となりましたが、

もちろん、現行の社会福祉国家の長所も取り入れつつ、

いかに理想のベーシックインカム社会を実現させていくかが

今後の残された課題でもあるようです。

いずれにせよ、来るべき近未来では、

面倒臭いことを厭わない姿勢をより強く持った人間に

有利な方向へと進展していくことになるのでしょう。

その時に、あなたの「居場所」をどう創造していくべきか?

これが、ベーシックインカムが投げかける最大の「問い」で

あるように今のところ管理人は考えています。

それでは、

「ベーシックインカムは、人々を怠惰にさせ、

まったく<仕事>をしない状況へと追い込むか?」

管理人は、そのようには思いません。

また、ただ単に「お金」を配りさえすれば、

「万事解決!!」となるかと言えば、

そういう問題でもありません。

なぜならば、「お金」は単なる人間が生活するうえでの

触媒(道具)にしか過ぎません。

もっとも、実際に配られる金額によって、

ベーシックインカムの試験国でも大失敗例があるそうですが、

本書でも紹介されていた大多数の事例では、

今まで「お金」が欠乏していたがために、

実現出来なかった「起業」に挑戦したりする人々が

数多く出現してくるだろうことは確かでしょう。

「やりたくない仕事からやりたい仕事へ」や

著者が表現されたような「くだらない仕事」などと書くと、

誤解もありますが、

少なくとも、今あるような形態での仕事上の非生産性の改善や

人間関係などのストレスに由来する仕事の本質から

かけ離れたところでの悩みを軽減し得る方向への

動機付けとはなりましょう。

また、管理人も強調させて頂きたいところですが、

人間何らかの形で程度の差はあれども、

<働くこと>を止めることは決してないものと強く推測します。

なぜなら、現代「先進国」で享受し得ているような

経済的「豊かさ」を決して手放しはしないでしょうし、

人工知能により「モノ」に関しては潤沢に供給され、

もはや「タダ同然」となっても、「サービス」に関しては

人間の趣味嗜好が強く反映されることから、

おそらく人工知能よりも人間味を重視した選好が続くだろう。

また、人間の「欲望」には限りがなく、

常に「新奇」なものを追求せざるを得ない

経済的本能のようなものが強く組み込まれているものと思われるからです。

要するに、新たなモノやサービスを人間の趣味嗜好に合った形で

絶えず創造し続けなければ、飽きがすぐにもやってくる性質があるとの

推論であります。

さらに前にも触れましたように

社会インフラ整備(絶えざるメンテナンス作業)も不可欠ですし、

人工知能にとって<働きにくい>領域もまだまだ数多く残されているからですね。

長期的貧困を招き続けたデフレ経済脱却の処方箋としても、

井上先生が『ヘリコプターマネー』論で提案されたように、

著者も貧困の定義を、「金銭の欠乏」と位置づけている以上、

直接的な国民全員への無条件な(←ここが肝心な所。なぜなら、

現行のアベノミクス的処方箋=未曾有の量的金融緩和とマイナス金利政策では

民間に「資金需要」がない以上は、市中銀行に貯め込まれ、

結果として国債を含めた債券、株券ないしは不動産などの

実体経済とは無関係な資産投資へと振り向けられ、バブル経済を

誘発しかねないからですね。また、「信用創造」機能が濫用されることも

懸念されます。この間接的な金融・財政政策に由来する民間銀行への

「信用創造」枠の拡大許容こそが、現代資本主義経済自らを崩壊させかねない

要因となってきたのです。さらに、富裕層から貧困層への資産移転=

いわゆる<したたり落ち効果=トリクルダウン機能>も十分に働いているとは

言えず、実証も難しいからです。)潤沢な金銭的配当でもって、

経済生活支援をするしか今や他策がない状況にまで達しています。

「お金だけ与えても、すぐに貯蓄へと回し、経済活動へと振り向けられないのでは?」と

懸念する声も根強くありますが、貧困層こそ、

そうした憂慮は「杞憂」というものでしょう。

もし、経済活動に回らないと心配するのであれば、

同時に貨幣改革も推し進めて、ある種の「減価」貨幣(一定期間に使用しなければ、

どんどん貨幣価値が落ち、貨幣そのものが無価値になる性質を持たせたもの)に

革新させる手法も考えられるでしょう。

これならば、無理なインフレ目標を設定せずとも、

すぐにも経済活性化につなげ得る回路が形成されましょう。

インフレが起きることを待つのは、あまりにも時間がかかり過ぎますし、

その間の経済効率もますます低下していく一方だからです。

財政的にもコストがかかり過ぎます。

つまり、リスクが高すぎる政策だということです。

政治は、決して、国民を飢えさせてはならないのです。

それが、「経世済民」の本旨というものです。

そんなことを管理人も考えているうちに、

ただ「お金」だけを配っても、実質所得を持続的に産み出し続ける

雇用創出がなければ「絵に描いた餅」ではないか、

また、公共投資に絡む誤解があるのではないかとする懸念を

井上先生のご著書を拝読させて頂いた限り、強く疑問点を持ちましたので、

直接この疑問点を解消しようと、

懇親会からの帰路の途上で、率直に聞いてみました。

すると、まずは、「財政政策=公共事業=公共投資」とは

必ずしも一致しないという定義上の問題点や、

文春新書の文面からは、「金融政策」にあまりにも傾斜し過ぎで

「財政政策」を軽視しているかのように読み取れましたので

(管理人の不勉強による「誤読」も原因していますが・・・)、

このことも確認させて頂くと、「金融政策」と「財政政策」の

適切な組み合わせ(ポリシーミックス=混合政策)で構わない

おしゃっておられましたので、多少は疑問解消にも役立ったようです。

先程の「財政政策=公共事業」ではないという意味は、

必ずしも政府は「事業」を起こさなくても、

必要な「投資」を行う余地はあるとのことでした。

デフレ不況下では、投資不足(総「需要」不足)状態であるため、

民間に余裕がない以上は、政府自らが公共「投資」せざるを得ないというのが

ケインズが20世紀初頭に「発見」した知見でありました。

とはいえ、その意味も誤解され、

当時は限られた情報しかなく(何せケインズ的処方箋の初実験の頃でしたから)、

まさか、戦後のインフレ期にまで拡大適用されるとは、

ケインズ自身も誤算だったようです。

実際にケインズ自身も警告してきたにもかかわらず・・・

しかし、今は戦争という「スクラップ&ビルド(破壊と創造の繰り返しなどという

人為的野蛮事業)」を行う必要性もありませんし、

少なくとも、倫理的に許容される時代ではありません。

こうした時代においては、自ずと公共「事業」の性格も変化せざるを

得ませんし、社会インフラ整備に向けられた平和的公共「事業」そのものの

必要性は変わりませんが、狭義の公共「事業」概念を超えた

公共「投資」のあり方に関するアイディアを出していかなくてはなりません。

それが、直接的な貨幣の家計への「割り当て」であります。

具体的には、それこそ「児童手当」などの拡大型給付金制度などが

イメージされているようです。

「信用創造」に関する説明は、なかなか一筋縄ではいかないのですが、

イメージ的には、私たちが日々、現実的に手元に有している「現金」とは

異なり、銀行などに預け入れた「預貯金」の方が、

資産比率的には「量」が大きいということであります。

その「預貯金(もともとは、国家が無償同然に景気変動に合わせて発行した

通貨であり、実際上は電子信号により計算上デジタル処理されたもの

にしか過ぎませんが)」も、

国民の<働き>によって現実的所得の一部となり、そのうちの余剰分を

民間市中銀行に仮預けしたものにしか過ぎないにも関わらず、

その一部分を他に貸し出すことが許容されていることによって、

利子機能の優位性をフル活用することを通じて、

「実需」以上に増幅された「お金」があらたに産み出されるというわけです。

この増幅された分の「お金」のことを、「信用創造」と言います。

しかも、他人から預かった「お金」を流用することには

何らかの歯止めが必要である以上、他への融資も自ずから

「選別」しなくてはなりませんが、

これも現場の行員による恣意的「審査」の入り込む余地が

あまりにも多く、まったく信用出来るレベルではありません。

いわゆる「選別的」融資であります。

それは、「融資」に絡む杜撰な取引事例が後を絶たないことを

見ても、賢明な読者の皆さんであれば、すぐにもご理解頂けるかと思います。

つまりは、「融資」に際して、厚遇されるか否かは、

まったくのところ、「運」に頼るしかない側面も

多々あるということであります。

なぜならば、まさしく、

「金融とは、<信用創造>を産み出す源泉情報」だからですね。

ここでも情報の「非対称性」が絡んできます。

ここに「差別」が産み出されるわけです。

では、この本来であれば、「実需」を産み出す実体経済に

関係ないところで増殖された<信用創造>分をどう処置すべきか?

ここに、経済民主化とも絡んで、

隠された「暗号」があります。

この部分が悪用・濫用されて、経済コントロールが

恣意的になされることによって、

私たちの生活が侵害されないための処方箋こそが、

この増殖分の分け前をいかに公平に全国民に分配するかという

課題であります。

この<信用創造分>の公平な配当を「国民配当」として

説明される論者もいます。

とはいえ、このような方法ももともとがこのような仕組みですから、

迂遠ですよね。

そこで、市中銀行を介さずに、

直接、国民に振り込んだうえで、

非営利のある種の「公益」金融仲介機能を国家が用意する

「公益」資本主義が話題になってきたというわけです。

そうすると、「民間銀行の役割とは?」

「現行の中央銀行の役割とは?」など

数多くの問題点も出てくることになりましたが、

今回はそのような技術論は煩瑣となりますので、

これ以上は触れないでおこうと思います。

まとめますと、あらためてベーシックインカム論が

問題提起する論点からは、

「お金にコントロールされた身心を解放する」役割が

期待されているということに尽きます。

ということで、まだまだ語り尽くしたとは言えないところで

筆を擱かせて頂くことになりますが、

本書が、ほぼ一般向けの「ベーシックインカム入門書」としては、

今までに日本国内で公刊された中では、

「異色の出来映え」に属する書籍だと強く感じさせられましたので、

皆さんにもご一読されることをお薦めさせて頂くことにします。

なお、今後とも書評活動を通じて、

当ブログではベーシックインカムの最新状況や企画のお知らせ、

ベーシックインカムに関係なく、各種読書会などのご紹介にも

積極的に取り組んでいこうと予定していますので、

今後とも楽しみにご愛顧のほど宜しくお願い申し上げます。

ちなみにまったくの余談ですが、

今回の記事は、

「集産主義」への懸念も隠れたテーマでありましたので、

米国のロックバンド『DREAM THEATER』さんの

アルバム『THE ASTONISHING』を聴きながら執筆を進めていたわけですが、

その思想哲学にも触発されて次々と着想を得ることが叶いました。

上記バンドの皆さんと日本版解説者の敬愛する伊藤政則さん(なかなかの勉強家で、

ロック音楽が産み出されてきた思想背景やその社会哲学を語れる

数少ないロック音楽批評家の方であります。)にも

篤く御礼を申し上げるとともに、

今回の書評記事を創作するに当たってご協力頂いた

すべての親愛なる友人知人、井上智洋先生や

読書会の主催者である三室勇先生にも

あらためて御礼申し上げる次第であります。

ちなみに、読書会でお世話になった三室勇先生は、

一般社団法人 大阪自由大学という場で

<読書カフェ>も定期的に開催されておられるといいますので、

関西圏で身近なところに読書会の場がなくてお困りで、

ご興味ご関心ある書籍が取り上げられた際に、

「輪読」しながら考えてみたいと希望される方には

お薦めの場としてご紹介しておきますね。

三室勇先生ご自身による井上先生のご著作である大ベストセラー

『人工知能と経済の未来~2030年雇用大崩壊~』(文春新書)

関する書評動画は、こちらからご閲覧出来ます。

(何て、豊かな社会なんだろう・・・、ネット文化も半ば善意の

ボランティア精神により成り立っていることを実感。

感謝・感謝・感謝です。)

いずれにしましても、今回初めて<読書会>に参加させて頂いた

感想は、「読書は1人だけで楽しむものではない!!」という

新たな「発見」でもありました。

また、いずれ参加させて頂く際には、宜しくお願いいたしますね。

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なお、本文内でご紹介させて頂きました井上智洋先生の

新著である

①『人工超知能~生命と機械の間にあるもの~』

(秀和システム、2017年)

※これまで語られることの少なかった人工知能が

人類に対してあらたに問いかける

<生命哲学>をも絡ませた書籍とのことです。

また今後、<第4次産業革命>によって来るべき予想図として、

その名もズバリ、

②『第4次産業革命~ダボス会議が予測する未来~』

(クラウス・シュワブ著、世界経済フォーラム訳、

日本経済新聞出版社、2016年)

さらに、「汎用型AI」全面展開後の<第5次産業革命>と

ベーシックインカム論にまで触れられた話題書として、

③『生産性向上だけを考えれば日本経済は大復活する

~シンギュラリティーの時代へ~』

(三橋貴明著、彩図社、2017年)

などもともにご紹介しておきます。

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最後までお読み頂きありがとうございました。

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One Response to “ルトガー・ブレグマン氏の『隷属なき道~AIとの競争に勝つベーシックインカムと1日3時間労働』BI制度導入後の諸問題についても考えておく必要あり!!(20世紀の歴史的教訓より)”

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