前田英樹先生の「宮本武蔵『五輪書』の哲学」から、「実の道」を学ぼう!!人間と道具の共存のコツとは!?

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「宮本武蔵『五輪書』の哲学」

前にも当ブログで、ご紹介させて頂いた

「独学の精神」の著者である前田英樹先生が、

さらなる「研ぎ澄まされた独立哲学」を考察されています。

2016年現在にも、宮本武蔵の活躍した時代の世相と

類似した点が多々あります。

多くの独立行動家に時代を超えて読み継がれてきた

宮本武蔵の「五輪書」には、今なお人気があるようです。

宮本武蔵が考案したとされる「二天一流」は、

現代社会における「人間と機械との関係」をも示唆していた!?

今回は、この本をご紹介します。

「宮本武蔵『五輪書』の哲学」               (前田英樹著、岩波書店、2003年)

前田英樹先生(以下、著者)は、2015年末の最終日の

当ブログ記事でもご紹介させて頂きました。

ご自身も「新陰流・武術探求会」を主宰されている学者です。

フランス文学思想や芸術・芸能分野の研究成果とも絡めて、

今回は「五輪書」を「実用的観点(プラグマティズム哲学)」から

見直そうと、自らの「武道体験」とも重ね合わせながら考察されて

います。

著者の問題意識は、常に「実践的独立型思考」にあるようです。

混迷を増し続ける社会において、「近代の始まり」に活躍した

宮本武蔵の「剣の流儀」には、目を見張るような「革新的意義」が

ありました。

戦乱期から平和期に移行していく中で、大方の「武士」は

失業浪人生活を否応なくされていきます。

また、その頃の大幅な技術革新がそれまでの「戦い方」にも

大きな変化を促すことになりました。

そのことが、武士の価値観にまで影響を与えるのには、

あまり時間を要しなかったようです。

そうした時代変化の中で、「生産活動を主生活としない武士」にとって、

いかに生き抜いていくべきかの模索が始められました。

失業浪人生活を余儀なくされた武士にも、様々な人間がいました。

早くから、新しい時代の変革を見定めて「己の身の処し方」を

探ってきた者は、「柳生家」のように新しい時代の体制に

順応していくことが出来ました。

一方で、心ならずも「新しい時代環境」にうまく適応出来なかった者は、

どのようにして生き抜いていったのでしょうか?

今回ご紹介させて頂く宮本武蔵は、そんな「敗者」を痛烈に経験した

人物でもありました。

宮本武蔵の「人間像」は、決してテレビドラマなどでは描き切れない

複雑なものがあります。

その複雑な「人間心理」の一端を読み取れるのが、「五輪書」です。

「五輪書」は、厳しい実体験から編み出されてきた書物であるだけに、

単なる「文字解釈」だけでは、理解不可能です。

「心眼」で読もうとしなければ、なかなか実感することの出来ない

部類の書物です。

つまり、「武蔵の心と読者各人の心」を邂逅させながら読まなければ、

「武蔵の方でも心を開いてくれないでしょう!!」ということです。

だからこそ、「五輪書」は暗中模索しながら必死に生き抜こうとする

「孤独な独立行動家」の間で、静かに読み語り継がれてきたのでは

ないでしょうか?

皆さんも、時代の「移行混乱期」における「身の処し方」で

日々悩んでおられるかと思います。

そんな真摯に「己の道」を歩もうとされる方とともに、あらためて

著者の力を借りながら、「五輪書」を読んでいこうということで、

この本を取り上げさせて頂きました。

宮本武蔵の求めた「二天一流」の心とは??

ここでは、数々の「歴史・時代小説」や「講談・講釈」、ドラマなどでの

人工的に造形された「武蔵像」や「各種剣術流派」の話はしない予定です。

著者もそのような話題には、直接触れることなしに、

著者なりの人生経験を踏まえながら「五輪書」だけを頼りに、

宮本武蔵の「人間心理」に迫っていきます。

小説の世界では、「求天記」などに代表される「武蔵像」が

知られています。

宮本武蔵自身が、「道を求めた一生」だったことは間違いない

ところでしょうが、実際の武蔵はドラマ以上に「孤独」だったようです。

「二天一流」とは、通称「二刀流(二刀遣い)」のイメージが、

ドラマなどの影響であるようですが、「五輪書」や

著者などの「武道家」の立場から検討していくと、どうも違うようですね。

「五輪書」を読んでいくと、武蔵は「生きた道具の活用法」について

探究していたようです。

つまり、孤独な武蔵にとっては「刀と友だち」であることが、

刀を単なる「道具」に貶めるのではなく、もはや「生き物そのもの」だった

様子が浮かんできます。

また、当然「生き死に」の中で駆け抜けざるを得ない武士にとっては、

剣術という「技術」だけを磨けばよい訳ではありません。

「五輪書」でも、そのような「当世剣術処世事情」には否定的のようでした。

かといって、「剣禅一如」のような「精神主義一辺倒」の「剣道」を理想

とした訳でもありません。

「物(道具)と人(心・意識)の一体化」を現実的に実用化させていったのが、

「二天一流」の心だったのでしょうか?

著者も、小林秀雄の「私の人生観」(1949年)という有名なエッセーの中

にある「短い武蔵論」に触発されながら、「武蔵の思想の革新性(新しさ)」

再発見していきます。

今なお常に真新しさを突き付ける宮本武蔵

著者は、西洋近代哲学思想との関係性なども考察しながら、

「武蔵の革新性」を解釈されていきます。

著者は、「近代哲学者の雄」デカルトの「方法序説」を取り上げながら、

宮本武蔵の「五輪書」とを対比しつつ考察されている点が、

著者ならではの卓見だと思われます。

面白いことに、東西の孤高の思想家が生きた時代は、ほぼ重なっています。

「近代の黎明期」とは、東西を問わずに「機械と人間の違い」について

注目していった時代でもあります。

デカルトは、「近代科学の夜明け」を築いたともされる有名な「心身二元論」を、

宮本武蔵の場合は、「実践的な心身一元論」を構築していったようです。

単純な「比較論」は出来ませんが、デカルトを始めとした「西洋近代思想家」には、

「知性と感性の切断作業」を伴って発展していったようです。

東洋の「近代黎明期」の日本では、幕府公認の学閥「朱子学」により、

違った形での「窮理学(物理学)」の発展になっていったようです。

そのことが、日本のいわゆる「近代西洋化路線」を促進させたのか、

遅らせたのかは正直言って分かりません。

「思想の革新性と実用化に由来する社会への影響」は、常に「歴史の審判中」だと

管理人は考えていますので、安易かつ早急な結論は下せません。

ただ、歴史に特徴的な性質が「流動的」だということです。

20世紀になり、急激な技術革新が社会にもたらしていった荒廃への反省から、

「近代科学や近代人間像からの転換」が始まっていったことです。

著者は、この本で宮本武蔵の「実の道」(五輪書)とともに、20世紀初頭に

拡がっていった「プラグマティズム哲学思想(実践的方法論哲学)」に注目されています。

著者の考察では、「プラグマティスト」は概して「反デカルト」の立場だったそうで、

近現代における「世界観の転換」をこれからも模索していく中で、

重要な視点として問題提起されています。

こうして、この本を読んできて考えさせられた「武蔵の革新性」とは、

「時代を超えて常に真新しさを突き付けてくる思想」だったことです。

今後、「人間と機械(人工知能)の共存関係」を生きていかなければ

ならない人類にとって、「五輪書」は大きなヒントとなるかもしれません。

この問題は、これから何度も数々の書籍のご紹介とともに考察を深めて

いきたいと思いますが、この点は読者の皆さんにも

ともに考えて頂ければ幸いです。

なお、「五輪書」については、管理人も読みやすかった

「新訳 五輪書~自己を磨き、人生に克つためのヒント~」

(宮本武蔵著、渡辺誠編訳、PHP、2013年第1版第3刷)

をご紹介しておきます。

最後までお読み頂きありがとうございました。

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