ニーアル・ファーガソン氏の「劣化国家」大いなる衰退論と技術的楽観論への反論から学ぶ社会再生論!!

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「劣化国家」

イギリス生まれのハーバード大学歴史学教授である

ニーアル・ファーガソン氏が語る「衰退社会再生論」です。

21世紀現在、多くの先進諸国家は「定常状態」にある

といいます。

この「大いなる衰退」は、次世代から夢や希望を

剥奪してしまうことになります。

私たちは、自らの力でもって立ち上がるとともに、

社会再生のために相互協力しなければなりません。

今回は、この本をご紹介します。

「劣化国家」(ニーアル・ファーガソン著、櫻井祐子訳、東洋経済新報社、2013年)

ニーアル・ファーガソン氏(以下、著者)は、イギリスの

スコットランド・グラスゴー生まれの

ハーバード大学歴史学教授として著名な方です。

2004年には、アメリカ『TIME』誌の「世界で最も影響力のある100人」

にも選出されています。

著書に、『マネーの進化史』(仙名紀訳、ハヤカワ文庫、2015年)

などがあり、いずれも評価の高い世界的なベストセラーとして、

その名が知られています。

2009年には、そのテレビ番組版がエミー賞の受賞作品

(ベストドキュメンタリー部門)ともなっています。

著者は、歴史学の中でも、とりわけ「経済・金融史」の分野に造詣が深く、

帝国論などの「国家論」からも積極的な提言をなされています。

本書も、そうした「国家論」が色濃く反映されています。

本書は、イギリス公共放送BBC  Radio4のプログラムである

「Reith  Lectures(リースレクチャー)」にて

「法の支配およびその敵」というタイトルで講義された内容が

ベースとなっているそうです。

「なぜ、西洋社会は衰退していったのか?」を主題に、

本書では、「民主主義」「資本主義」「法の支配」「市民社会」の

4つの観点から、「大いなる衰退論」の原因を考察しています。

著者によると、目下、先進諸国を中心とする長期的大不況(停滞)には、

「法と制度の不完全さ」が横たわっているといいます。

現在、先進諸国の経済政策の現場では、「財政緊縮論」「財政出動論」と

目まぐるしく対応に追われていますが、そうした細部の議論だけに

とらわれていると、将来もっと大きな厄災を社会にもたらすだろうとの

警告をされています。

この長期的大不況(停滞)は、そんな「大いなる衰退」の一部

(つまり、<序章>)にしかすぎないとも強調されています。

その目に見える社会現象が、「定常状態」だといいます。

そのような土壌に、既得権益者と大手新規参入者との癒着も生み出され、

その「特殊利害関係」を悪用したレントシーカー(利権追求者)が暗躍する

機会を与えることにもなり、社会の多様性が次第に蝕まれていく過程も

詳細に解説されています。

そうした劣化していく国家・社会を立て直す処方箋として、

著者は、制度史的な立場から、「法と経済」をキーワードに、

各種社会制度の問題点や改善案を提起されています。

終局的には、他人任せにせず、私たち一般国民の諸力や英知を

組み合わせていくことで、再生を果たすべきだとの保守的立場のようです。

(かつての真性リベラリズムの真髄だと表現されていますが・・・)

とはいえ、現在、先進諸国で主流となってきた「新自由主義」の立場とも

大きく異なります。

著者は、イギリス社会の英知を引き継いだ、後に本文でも触れていきますが、

伝統を大切にしながらも、「自律的機動性」に力点を置いた「制度設計・運営」

の原点に立ち返りながら、社会再生論を展開されています。

「西洋の衰退」とはいえ、現代日本もその「西洋の一部」であり、

大いに関係してくるテーマであります。

ということで、次世代に「明日の日本」をいかなる形態で引き継いでいくのか、

皆さんとともに考察していこうと、この本を取り上げさせて頂きました。

形式的な「規制撤廃論」でも「規制強化論」でもなく、「自律的機動性」を中心に制度設計・運用していく視点

著者によると、現代社会(ことに、経済社会)を衰退させた原因

として、多くの論者の強調する「デレバレッジ(債務の圧縮)論」だけに

とらわれた発想だけでは、この「大いなる衰退」から脱却することは難しい

だろうと指摘されています。

また、こうした財政面における経済政策を巡った大きな対立として、

「財政緊縮論」と「財政出動論」がありますが、この視点だけでは

問題を解決していくには、あまりにも視野が狭すぎるとも指摘されています。

1980~1990年代に、「財政出動論者」に対する

「財政緊縮論者」からの揶揄表現として、しばしば「大きな政府論」が

批判的に展開されていましたが、著者によると、そのような近視眼的な見方も、

現役世代優先主義であり、次世代の未来を真剣に配慮した懸命な議論ではないと

強調されています。

著者は、イギリスの「近代保守主義の父」エドマンド・バーク

「世代間の協働事業」という英知の重要性を強調されています。

つまり、「世代間の社会契約が破綻している!!」のだと・・・

ところで、「健全かつ持続可能性の高い安定した民主主義」を堅固に

社会構築していくためには、「法と制度」が複雑すぎてもいけないと

指摘されています。

この点に関して、2007年からアメリカを中心に拡大されていった

金融危機について、法規制が緩すぎたのではないかとの

「規制強化論者」からの批判も相次ぐ中、著者は、規制が緩和されようが

強化されていようが、今回の「企業危機」は起こるべくして起こったのだと

「規制強化論者」だけでなく、「規制撤廃論者」にも厳しい見方を

されています。

「規制強化論」については、「複雑すぎる規制が、迅速な危機への対処法を

遅らせた」のだと。

一方で、「規制撤廃論」についても、その「安易な無責任さ」が、

より一層の危機への深刻度を高めていったのだと。

まとめますと、著者は、「法と制度の設計・運用問題」と

その「監督責任問題」について、警告をされています。

「法と制度」については、イギリスのウォルター・バジョットの知見から

金融危機に対する「自律的機動性」を学び取るべきだと示唆されています。

「適正な法と制度の不備や恣意的な運用」が、今回の危機の大きな要因でも

あると強調されています。

そこで、このウォルター・バジョットの「金融経済論」について、

著者は、『ロンバード街』(バジョット、1873年)からの教訓で

当局者の方にも考察して頂きたい論点があります。

それが、「ゼロ・マイナス金利導入」の今後の方向性とも関連してきますが、

『中央銀行は危機時には懲罰的金利で無制限に流動性を供給すべし』であります。

著者によれば、後半部分のみで、前半部分の「懲罰的金利」の適用が

見送られている点に、将来の不安感があるとも指摘されています。

これは、2007年あたりのサブプライムローン問題とも関連する

貴重な歴史的教訓であります。

「無意味な貸し付けを抑制し、経済の<バブル化>を予防するため!!」です。

(本書85~94頁)

また、今をときめくジョセフ・スティグリッツ氏の「法と経済論」にも

反論を加えられています。(本書119~120頁)

簡単に要約すると、「法と制度を狭い範囲だけでいじくればいいというもんじゃない!!

もっと、幅広い文脈から考えていく必要があるのじゃよ!!」ということです。

この点も、ジョセフ・スティグリッツ氏ご自身は、必ずしも「新自由主義者」では

ありませんが、とかく「法と経済論」を提唱される多くの学者さんは、

「法の経済的コスト」の側面しか強調されないようなので、本来の「法の社会的側面」

からも考え見つめ直して頂きたい論点であります。

管理人も、学生時代から「法と経済論」には、とくに興味関心をもって専攻してきた

だけに、この指摘は、特に強調しておきたいと思います。

このように、現代日本においても、実りある議論の素材を与えてくれるのが、

本書の特色であります。

「法の支配」ではなく、「法律家の支配」こそが、現代「先進国」病!?

さらに、自らも法律実務経験のあるイギリスの著名作家チャールズ・ディケンズ

洞察から、近現代国家に特有な「先進国病」の筆頭に「法律家の支配」

挙げられています。

この論理を押し広げていくと、制度設計・運用を誰に委ねるべきかとの

「民主主義の根幹」にも関わってきます。

一般国民は、もちろん、日々の生業を維持していくだけでも忙しい訳ですが、

民衆が厳しい歴史的な試練から勝ち取った「自治権」を特定の階層に

任せきりにしていくのも、はなはだ危険であります。

ことに、日本社会では英米のような「独立革命」を経ていないだけに、

「法と制度の設計・運用=自治権」を特定の「支配階層」に委任しすぎる

傾向があります。

本書でも詳細な解説がなされていますが、日本は、

英米のコモン・ロー(判例法中心主義)のような法環境にはありません。

代表民主主義に基づく「間接委任方式」による「制定法主義」の国だからです。

そのため、しばしば言及されるように、「立法府よりも司法行政府寄り」に

どうしても偏りがちであります。

裁判官(司法府)と検事(行政府)の強固なつながりである「判検交流」といった

「司法・行政の癒着構造」であります。

つまり、「利益相反状態に対する安全壁が低すぎる」ということです。

ここが、公民教科書的な「三権分立制度の建前」と、現実社会との大きな乖離です。

このことが、「民衆の自立(律)的決定権」を弱体化してきた原因とも言われています。

一方で、著者は、こうした特定階層による、本来の「民主主義の理念」から離れた

複雑な「法と制度」が、社会の多様性まで剥奪してきたのではないかとも

指摘されています。

そのあたりを、著者は、アレクシ・ド・トクヴィルの知見などを紹介しながら

解説されています。

現代先進国社会では、軒並み「孤独なボウリング状態」ロバート・パットナム

に陥った原因も、こうした特定の「支配層」からなる国家に依存し過ぎる姿勢や

逆に極端な個人主義的自立観にも原因があるのではないかとも強調されています。

著者は、このように、アレクシ・ド・トクヴィルやロバート・パットナムの

見解を紹介しつつ、現代のSNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)ネット

文化だけでは、協同的活動の作興にまでは物足りないとも厳しく指摘されています。

(本書146~150頁)

とはいえ、著者が指摘されることも、もっともなことでありますが、

アレクシ・ド・トクヴィルの見た19世紀のアメリカ人社会や

江戸時代の日本人社会と、現代社会とではあまりにも大きな相違点があります。

その「民主主義の原理思想」は、よく分かりますが、

現代社会は高度に複雑化し過ぎるとともに、「経済力」によっても

「余暇活動へのゆとり度」が大きく変わってきます。

現代経済自体が、「万事<金銭的評価>」の価値観を全面に押し立てて

進化論的に、広く社会に浸透させていくとともに、現行の「裁判員制度」のような

「社会参画型司法制度」ですら、今も根強い反対の声があります。

また、現代社会が高度に進展すればするほど、都市社会に人口が集中し、

地方からの人口流出も相次ぐばかりです。

確かに現在、「地方創生」など、地方活性化政策も進展中ではありますが、

「経済力」の前では、必然的に「地方と都市の格差」が開くばかりです。

現代社会の非常に困難なところは、「社会領域の経済化」であります。

しかも、生計を立てる手段も、各種租税手数料を納付するにも、

極度な「賃労働」依存型だからです。

もし、本気で、先進国病を治癒していく生産的な方法を考えるのであれば、

こうした現代「賃労働」型経済社会からの転換点も同時に創出していくことです。

管理人も、多種多様な書物のご紹介とともに、生産的なアイディアを

世に提供すべく努力はしているのですが、「賃金に時間を奪われてしまいます!!」

まるで、ドイツの著名な児童文学作家ミヒャエル・エンデの『モモ』の中の世界ですが・・・

そこで、参考になるのが、上記アレクシ・ド・トクヴィルやハンナ・アレントの知見です。

また、個人的には奈良時代の租庸調といった多種多様な租税制度への組み替えであります。

(もっとも、現代「民主主義」の理念による改良版ですが・・・)

現在・近未来の「大量失業時代」への安全弁として、みなし公務員扱いで「労働そのもの」

を租税納付方法(ある種の相殺法、これも現行<労基法第24条>などに

抵触しかねない施策ですが・・・)

としたり、「半官半民での協働作業に従事する方法」など、

多種多様な緩和措置も早急に準備する必要があると思われます。

こうした取り組みが、「悪質なブラック企業対策」や「各種租税手数料漏れ対策」にも

つながるのではないかとも思われます。

「各種租税手数料未払い問題」も、

「無職・無収入な人からは、取れないものです」し、

「払いたくても、払えないものは払えない」という「自然の道理」も

あるからです。

少なくとも、「生活困窮者」に無用な不安を抱かせる「障壁」は、

取り除いていくのが、「賢策」だと思われます。

ちなみに、悪質な脱税や租税回避行為は別ですよ。念のため・・・

とはいえ、「自治意識をどう育てていくのか」などの視点や「人権面での配慮」も

ありますので、難しそうなアイディアではありますが・・・

いずれにせよ、「自由にも、ある程度の制約が常に付きまとう」ということであります。

極端な「監視社会化」は、もとよりご免被りますが、

こうした施策の是非論争を一般国民の間から巻き起こしていくことも、

「民主主義の原理的思考法」を養っていくためには重要な機会となりましょう。

「民主主義の原点とは、<無用で不安感を煽るような>相互監視を意味するものではなく、

<生産的・必要悪的な>相互監視にしかすぎない」ものだと個人的には信じています。

その意味で、「民主主義の進展は、一人ひとりの<より良きアイディア>次第!!」

なのです。

皆さんにも、ともに「より良きアイディア」を発案して頂ければ幸いであります。

特に、「18歳以上」の方には、「始めての本格的社会参入の機会」が付与される訳

ですから、今からでも「思考実験」をしてみてはいかがでしょうか?

ところで、「雇用労働問題」に話題を戻しますが「賃労働」形態も、

このように「社会領域の経済化」が拡張されていく一方で、

近未来の人工知能開発や諸般の事情で、ますます「賃労働」依存型の生活は

苦しくなっていく一方であります。

こうした社会全般の貧困化にどのように対処すべきか、

日夜「余暇」に考え続けています。

完全な民営ベーシック・インカム路線も、完全な国家によるベーシック・インカム路線も

難しいのであれば、「半官半民型ベーシック・インカム路線」という「第3の道」

も考えられます。

それも、中身の「ブラックボックス部分」は多種多様・自由自在の選択肢を認めるのです。

アレクシ・ド・トクヴィルを始め、良識ある賢者の観察では、

社会における「中間組織の多様化」こそが、「自由の砦(全体主義の防御壁)」

ともいいます。

これが、著者の問題意識ともつながる「定常社会論」への生産的建言ではないかと

考えています。

その他、民間教育論(私学教育論)も共感するところあります。

現政権も、教育バウチャー制度などの導入で積極的な取り組みをしているようですが、

やはり、いつもネックになるのが、「所得制限の厚い壁」であります。

教育医療の「全面無償化」が、コスト面で難しいことは分かり切ったことでは

ありますが、何とか次世代のためにも、この「社会参入基礎部分」だけでも、

経済的負担の壁で、教育を受けられない状態を回避してやれないものかと

真剣に願います。

「子どもの貧困は、子どもの責任でも、大人の責任でもありません!!」

「社会的責任」であります。

「雇用労働問題とて同じ」です。

最後に、著者は、こうしたことも予想されるだけに、歴史的観点とともに、

「技術的楽観論」にも反論されています。

なぜなら、「人間と技術の協働体制」も、

「テクノロジー自体は<価値中立的>」でもあり、

その活用法についても、慎重な姿勢が求められるからです。

『情報の量と速さが増すことは、それ自体よいことではない。知識は必ずしも

解決策にはならない。またネットワーク効果はつねに正とは限らない。』

(本書180頁)とも強調されています。

このあたりも、前にもご紹介させて頂いた

『楽観主義者の未来予測(記事①記事②)』でも触れられていた論点であります。

まとめますと、人工知能分野における2045年問題とともに、

昨日の「エネルギー問題」に加えて、こうした社会の多様性をいかに整理整頓していく

べきか「法と制度の設計・運用」の面からも、早急に取り組んでいかなくてはならない

課題だということです。

こうした「定常状態」から、いかに「突破口」を見出していくべきかが

私たちの知恵(決意)と勇気(覚悟)次第だということです。

ということで、著者の意見も、本書タイトル『劣化国家』だけで判断すると、

暗く重苦しいテーマのように見えますが、あくまで、「現状維持論」ではなく、

「現状改善論」の方向性を示した活気ある好著であります。

皆さんにも、本書を読み進められながら、ともに積極的な視野をもって

次世代のために考察して頂ければ幸いであります。

最後までお読み頂きありがとうございました。

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