恩師伊藤一彦先生に堺雅人さんが「まろびの美学」を学ぶ!!「ぼく、牧水!」に憧れる!!
来年の大河ドラマ「真田丸」にご出演される堺雅人さん。
堺雅人さんの母校の恩師が「伊藤一彦先生」です。
そんな伊藤一彦先生は、歌人「若山牧水」の研究者
としても知られざる顔をお持ちです。
高校生の時に、お世話になって以来、郷里に帰るたびに
相談にも乗って頂いているそうです。
若山牧水といえば、「酒と旅と歌」に憧れた歌人です。
穏やかな人生を歩んでいくヒントとして、「まろびの美学」を
学びましょう。
今回は、この本をご紹介します。
『ぼく、牧水!~歌人に学ぶ「まろび」の美学~』 (伊藤一彦、堺雅人共著、角川ONEテーマ21、2010年)
高校時代の恩師で歌人にしてカウンセラー・教師の伊藤一彦先生との
対談形式で構成されています。
優れた「若山牧水入門書」でもあります。
この三人に共通するのが、「宮崎出身、早稲田大学、芸術家」だそうで、
見事なまでの「魂の連携」がなされています。
堺雅人さんといえば、大の読書家でもあり
「変わった俳優」さんとして近年人気上昇中です。
役作りには、そのドラマに関する資料は読み尽くすという
すさまじい「役者魂」を秘めておられます。
そんな個性派の堺雅人さんは、「文筆家」としての顔もお持ちです。
そうした「堺雅人さんの原点」が、この本にはあります。
一見すれば、暗いように見える現代社会もこの本を読めば
希望をもって明るく人生が乗り切れそうです。
若山牧水の「あくがれ(憧れ)」と「まろび(円(まろ)やか)」を
キーワードにして、その「美学」を学び取っていきましょう。
それでは、3日間の「舞台対談」のはじまり、はじまり~
「あくがれ」と「まろび」の美学
若山牧水は、明治後期から昭和初期に活躍した歌人です。
代表的な歌として、
~幾山河(いくやまかわ)越えさり行かば寂しさの終(は)てなむ国ぞ今日も旅ゆく~
~けふもまたこころの鉦(かね)をうち鳴しうち鳴しつつあくがれて行く~
が、知られています。
「あくがれ(憧れ)」とは、「ここではない、どこかへ離れる」ことが
原義だそうで、希望をもって前に進んでいく志向のようです。
「現実逃避」の感覚とは違うようですね。
「まろび」とは、「円やか=円満」を意味するようで、変転きわまりない
世の中をまろび転びつつも「自由自在」に歩き続ける動きを表します。
若山牧水は、恋多き歌人だったようで数々の「恋歌」を熱唱しています。
旅と酒が好きで、
どこかに「まほろば(素晴らしく住み心地の良い場所を探して旅する)」
意識を持った「懐かしさ」を感じさせる歌人でもあります。
若山牧水の名は、「牧=母親の名「まき」から」と
「水=近所の遊び場であった渓や雨から」付けたそうです。
どこか、母性感覚があるようですね。
「まろびの美学」
それは、どんな困難な状況でも笑って生き抜く覚悟も込められているようです。
口癖は、「どうでもしなはれ」だったそうで
「厄介なことは手放す」ことにより軽妙な生き方を選択してきた性格が
伺われます。
永遠の生命を生きる!!
若山牧水は、飄々とした性格からか
うまく「自意識」と付き合ってきたようです。
あえて弱い自分をさらけ出して見せることによって、
「自然と一体=ゼロ」になる姿勢を取りました。
「弱い自分を見せる」ことは、そのまま「歌の心」につながっています。
創作表現活動は、自分の「影」と向き合うことであります。
こんなことを表現したら恥ずかしいなぁ~だとか思ってしまえば、
およそ「創作表現」など出来ません。
「書く」ことは、その最たる例ですね。
誰でも自意識と向き合うことまでは出来ても、その内容を人前に
さらけ出すのは勇気のいることです。
でも、「傷つき傷つかされる」ことを恐れていたら「人生街道」を
自然に歩くことが出来なくなってしまいます。
現代人は、この自意識(要は、かっこつけすぎ)のため
苦しみ悩み続けるようですね。
でも、若山牧水の歌の心や生き様を知ってから
「もう、そんなちっぽけなこと」は気にしなくても済むように
「自意識の取り扱い方」の知恵がついたようです。
皆さんも、恥ずかしがらずに「表現」してみませんか?
「そんな奴おらんやろ~」と言われても気にしないことが大切です。
面白いことに、「世の中には自分と似た人間が最低3人はいる!!」
のだそうです。
「ウソか誠か?」
知るよしもありませんが、この言葉を信じた方が
心が楽になると思われませんか?
「天地(あめつち)とともに窮(きわ)まること無し」
まさに、宮崎(日向)の高千穂から下された「天壌無窮の神勅」です。
現代日本では、すでに死語になりかけていることが残念ですが、
この言葉は何も軍国主義を思い出させるような「おどろおどろしい」こと
ではないようです。
「いつまでもいつまでも魂は永遠に生き続ける喜びの歌」
が、本来の意味です。
今から70年前までは、それを「悠久の大義に生きる!!」と
表現されていたことは、皆さんも映画などで聞いたことがあるかもしれません。
「永遠のゼロ」です。
若山牧水は、「短歌は命のかけら」だとして、しばしば
「よるべなき生命(いのち)」を「きはみなき生命(いのち)」へと
昇華させることを祈った歌を好んだそうです。
神話には、生きる勇気を与えてくれる栄養が豊富に含まれています。
古来日本では、歌に祈りを込めました。
「言霊(ことだま)」として・・・
過去も現在も未来も循環した時間であると心底思えた時こそ、
「不安やおそれ(自意識や影)」などと決別出来るのでしょう。
私たちは、こうした時間感覚を取り戻すことから再出発しなくては
なりません。
現代社会の「一直線的時間」は、終着駅に到着しつつあります。
皆さんも「いのち」を大切に「あくがれ=愛」の種をともに蒔いていきましょう。
なお、若山牧水記念文学館はこちらのサイトです。
若山牧水について、
「あくがれゆく牧水 青春と故郷の歌」
(伊藤一彦著、鉱脈社、2001年)
「若山牧水歌集」
(伊藤一彦著、岩波文庫、2004年)
「若山牧水 流浪する魂の歌」
(大岡信著、中公文庫、1981年)
をご紹介しておきます。
最後までお読み頂きありがとうございました。
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