ヴィクトール・フランクル&ピンハス・ラピーデの信仰をめぐる対話「人生の意味と神」対話の世界は奥深い!!
ヴィクトール・フランクル&ピンハス・ラピーデの
信仰をめぐる対話「人生の意味と神」
お二人はユダヤ人です。
ユダヤ人の伝統的世界観は、「対話による霊感獲得」から
導かれてきたそうです。
21世紀現在、物質的には豊かな社会に進化していく一方で、
精神的には「孤立感や虚無感」に人類は悩まされ続けているようです。
このような時代だからこそ、「有意義な対話」を積極的に学びたいものです。
今回は、この本をご紹介します。
「人生の意味と神~信仰をめぐる対話~」(ヴィクトール・フランクル&ピンハス・ラピーデ共著、新教出版社、2014年)
ヴィクトール・フランクル(以下、フランクル)は、
20世紀の惨劇「アウシュビッツ」を体験された「夜と霧」などの
著作で知られている精神科医です。
最近は、「自我(個人)中心」の心理学や精神医学が厳しく批判に
晒されている中、「超人間的心理学(トランスパーソナル心理学)」に
脚光が集まってきているようです。
フランクル自身は、この対談でも語られているように、誤解を避けるためか
意図的に「超人間的」という言葉を使わないそうですが、「超人間的」な次元に
人間の心を開かせる「ロゴセラピー」という手法を取り入れています。
「人生に意味や目的を感じられない!!」という虚無感に苛まれる方も
増加しているのか、「意味は人生の方からやってくる!!」という
ある種の「コペルニクス的転回」による「心理療法」に人気があるようです。
そうした時代の流れもあってか、再びフランクルに注目が集まっているようです。
前にも当ブログでご紹介させて頂いた諸富祥彦先生なども
フランクルが創始したとされる「ロゴセラピー」を心理療法に取り入れて
おられます。
「トランスパーソナル心理学」は、徹底的に「対話を重視」した患者の
「心の声」を大切にしており、「強制的な解決法」には断固として反対のようですね。
「人工(強制)治癒」というよりも、「自然治癒」を非常に大切にしているそうです。
そして、この本でのもう一人の対談者がピンハス・ラピーデ(以下、ラピーデ)です。
ラピーデは、ユダヤ人の宗教哲学者にして、敬虔なユダヤ教徒・神学者としても
知られているそうです。
イスラエルの外交官としても活躍され、日本では「カバラの世界」でも有名な
マルティン・ブーバーにも師事を受けたことのある方です。
ユダヤ人の伝統は、前にもご紹介させて頂いたレヴィナスなど「対話哲学」によって
堅固に構築されてきたようです。
ラピーデは、ユダヤ教だけでなくキリスト教にも理解のある神学者です。
人間の奥深い深層心理を理解し共感していくには、信仰の世界に触れざるを得ません。
そうした実際的な要請から、「対話」は私たちの現前にやってきます。
「対話」は、単なる「日常会話」とは違って「奥深い精神世界」へと
私たちを導いてくれます。
現在、「広漠とした空虚感」とともに「精神的飢餓感」に
さらされて苦しんでおられる方も多くいらっしゃることでしょう。
そんな方にこそ、是非触れて頂きたい
「ヴィクトール・フランクル&ピンハス・ラピーデの対話集」です。
少しでも、心に潤いを取り戻して頂き「常なる再出発の糧」としてお役に立つかと
思い、この本を取り上げさせて頂きました。
神なき時代における「神との対話」とは??
信仰心ある方も、信仰心なき方であれ、人間が生きていくためには、
「日々何かを信じつつ歩かざるを得ない」のが本音だと思われます。
いわゆる「特定の神や仏など」への信仰心がなくても、
「生きている限りは、何かを信じているからこそ生きている!!」ことに
相違ありません。
この本では、お二人ともユダヤ人でもあり、日常的に「聖書」に親しんで
おられるようで、ユダヤ教やキリスト教の「神学問答」から得た知見も
対話の中に出てきます。
管理人は、寛容性を大切にしたいので「教理問答」などには興味ありません。
なぜなら、「争いからは何も生まれない!!」と深く信じるからです。
むしろ、各宗教の深い「叡智」にこそ学びたいものです。
この本を読んで、あらためて「ユダヤ的世界観」の奥深さにも学ぶことが
出来ました。
私たち日本人は、通常「世界宗教=一神教的世界観」だと安易に
刷り込まれてきたようですが、ここにはそんな「わかりやすさ」とは
無縁な「多様な世界観」がありました。
「深く掘り下げていくと、ある種の汎神論的世界観にたどり着く!!」
ようですね。
「抽象的な世界観ではなく、具体的な世界観を感受する対話」
この姿勢が、「神々との対話」にも共通するようです。
この本でも、ラピーデが指摘しているように、ニーチェの問題意識でもあった
「神は死んだ」時代に、「人間はどう生きるべきか??」という問いに
あらためて光を当てています。
「偽装的な偶像崇拝(ニーチェ的に表現すると、奴隷的信仰??)」ではなく、
もっと「生身の実感ある真剣な祈りと信仰」が必要となる視点を提供してくれた
からだそうです。
このことは、私たちが「あらゆる森羅万象とともに」生きていく視座を
与えてくれます。
「共感共苦」の皮膚感覚を取り戻すことこそ、
「自らの乾いた心に、再び潤いをもたらす呼び水(きっかけ)」
になるからです。
世界の終わりではなく、世界の再起動に向けて・・・
私たち人類は、より高度な次元での「視座」を獲得すべき時期にあります。
そのためには、現実世界に投影された「影」にも勇気を持って
立ち向かわなければなりません。
それは、「新たな対立」を呼び込むことではありません。
そのためには、「言葉を取り戻す」ことが大切になってきます。
また、「人間は、常に<認識や表象の限界>を抱え込んでいる」ことにも
注意を向ける必要があります。
「違いは違いとして、もう一段高い次元で活かすことは出来ないだろうか?」
私たちは、どうやら「違い」を無理に「統一」させる方向性こそが、
「歴史(世界)の進歩」だと信じ込んできたようです。
それも、一見すれば「誰もが反対出来ないような善意」によって
力づくでの解決方法が提示されてきたところに、「正義と正義の対立」を
招いてきたのではないでしょうか?
この本では、「信仰とは、盲目的な崇拝ではない!!」ことにも
気付かされます。
「信仰とは、常に自覚的な自分自身の偏見(影)との対話」でも
あるようですね。
「日々迷いながらも、自問自答を繰り返す中でこそ、新たな視点が
向こうからもたらされる」と信じながら生き抜く姿勢が、
「人生の意味(目的)も向こうからやってくる!!」という回答を
呼び込むようです。
「意図的な意志よりも、より高い志向性を持った次元で生きるとは
どういうことだろうか??」
管理人も、日々「とつおいつ」考えあぐねながら生きていますが、
皆さんも同じ苦しい思いで悩んでおられることでしょう。
現代社会は、「自我(欲望)」をさらに焚き付けるような舞台装置を
用意しながら進歩してきました。
そのような「苦しみ」から逃れる簡便な方法は、容易には見つかりませんが
そんな現実にも「希望」はあります。
それこそが、「闇を深く見つめ、正々堂々と真正面から真摯に生き抜く」
勇気と知恵を与えてくれる「対話術」です。
この本で、特に印象に残ったフランクルの言葉に、
「ホモ・サピエンス(知恵ある者)」という「水平的次元=挫折(否定的)と
成功(肯定的)のあいだを動く、いわゆる有能な者と成功した者の次元」ではなく、
「ホモ・パティエンス(苦しむ人)」という「垂直的次元=意味充足の次元」を
取り入れた視点を提供されています。
この視座を獲得することにより、「苦しむことにおいても、すなわち挫折する
ことにおいてもみずからを充足できます。」と・・・
今までおそらく、「心ある人」や「本音で薄々感じていた人」に
フランクル心理学が受容されてきたのも、「絶望(影)と希望(光)とともに」
生きる視点を提供してきたからではないでしょうか?
「安易な二元的対立」や「わかりやすい世界観」は、そろそろ止めにしませんか?
私たちは、この狭い地球上で「たった数年間しか生きられない」存在なのですから・・・
欲深く他者を支配しようとするのではなく、お互い協力していきたいものです。
そうした「人類の宇宙的視座というヒント」を提供してくれている点も、
説得力があるのでしょう。
皆さんにも、フランクルが創始したロゴセラピーを取り入れた
「トランスパーソナル心理学」は管理人一押しのお薦めです。
「何よりも時間をかけて待つこと・対話することを重視し、先を急がず
意図せず結果として自己実現する」という「現実的(実践的)心理学」だからです。
今流行の「個人心理学」のアドラーとも袂を分かつこととなったフランクルには、
「誠実さと真面目さ、愛がある!!」のですから・・・
結局、人生では「即効性を求めても、実現した暁にはすぐに不満足感が襲ってくる!!」
のですから、「熟して待つ、待ちながら熟させる歓びを深く味わう」方が、
「人間らしく」てよろしいのではないでしょうか?
真摯に人生を深く味わおうとされる皆さんにこそ、この本をお勧めします。
最後までお読み頂きありがとうございました。
sponsored link
[…] (ちなみに、フランクル心理学と宗教者との対話は、こちらの記事も […]