絶望から生還!!「フランクル心理学」を諸富祥彦先生に教わる!!
「人生に意味などない。」
絶望のどん底で喘いでおられる方も多いでしょう。
「人生にこちらから意味を見出すな!!」
「人生の意味は向こうからやってくる!!」
と教えてくれる心理学者がいます。
あの悲惨な強制収容所から生還した「ビクトール・フランクル」
『夜と霧』『それでも人生にイエスと言う』で有名です。
今回は、この本をご紹介します。
「ビクトール・フランクル 絶望の果てに光がある」 (諸富祥彦著、ワニ文庫、2013年)
※ この本は、『生きる意味 ビクトール・フランクル22の言葉』(2010年)を改題し、加筆修正して「文庫化」されたものです。
心理学を学んでも、「自己」「自我」に重点を
おいた学者が世の大半を占めています。
「実験心理学」など、「机上の心理学」で
全く「実体験」を伴わず説得力がありません。
「フランクル」と同じオーストリア出身の心理学者たち。
「フロイト」「ライヒ」など、「欲望理論」が中心で
あまりにも極端な感じがします。
最近はやりの「アドラー」にしても「自己中心心理学」
「コンプレックス」をさらに増幅させているような気がするのです。
「共同体理論」といっても、私にはあまりはっきりしません。
一方で、「フランクル」は実際に「強制収容所」の極限を経験しています。
「個人の自我などもろいもの」
「絶望の中では、かえって心の闇が深まってしまう。」
そのような中から、今までの「自己中心」の心理学を転換していったもの
と思われます。
では、どのようにして「絶望の暗闇から生還」していったのでしょうか?
その「エッセンス」がこの本では紹介されています。
「人生の意味は向こうからやってくる!!」
「人は何のために生きるのか?」
それを、こちらで必死に考えたところで「時間」だけが
過ぎていってしまいます。
「人生でもっとも貴重なのは『時間』である。」
だから、こちらから「意味を問う」ことは止めて、一切を
「天」にお任せする。
そうすれば、「自ずと向こうから答えがやってくる」と言います。
人間はどうしても「意味」を問いたがるものです。
なぜなら「不安」だからです。
また、主体(自分)と客体(世界)を二元的かつ固定的に考えてしまう
クセがあるようです。
「言葉」でもって無理に解釈しようとします。
「語り得ないものについては、沈黙しなければならない。」(ヴィトゲンシュタイン)
それに対して、「フランクル」は
「語り得ないものについては、ただ祈らなくてはいけない。」と。
「自分の中にいるもう一人の自分」
それを「神」とするなら「自信」とは、
まさに「神=自分自身を信じること」ですね。
「絶望の果てに光が差し込む!!」
だからといって、「フランクル」は、
「人生に意味などはない!!」とは言っていません。
「孤独を大切にしなさい。」
「孤独と真剣に向き合うことによって、自分と対話する。」
その果てに、おのずから見えてくるもの。
それは、やがて行動によって次第に明らかになっていく。
「人生は向こうからやってくる。」というのは、こちらから
「たぐりよせる」というよりも「たぐりよせられる」という
感覚ではないかと、私は解釈しました。
「人生の意味を疑うのは、その人の高い精神性の証である。」
ここまで来たらもうあと一歩。
「人に喜ばれる喜びが、生きる意欲につながる。」
絶望的な状況が、かえって自分の人生の意味を教えてくれるのかも
しれませんね。
「使命感」
そんな重いものまでは背負う必要はないでしょう。
「いま・ここに」
「現在」の中に、「過去」と「未来」はたたみ込まれている。
「不安やおそれ」とまっすぐに向き合うには「いま・ここに」
集中して生きること。
それが、大きな「勇気」を生み出すコツかもしれません。
「夜明け前が、一番暗い。」
だからこそ、「絶望こそ光に一番近い。」と
発想を転換してみるのです。
「苦しい時は、理屈で考えない。」
「とりあえず信じて行動してみること。」
極々「小さなこと」でいいと思います。
「いま自分にできることは、何か?」
落ち着いて考えてみると、
「出口はすぐそこにあります。」
「自分」だけで解決できる「勇気」がなければないで
いいと思いますよ。
そんな時でも、必ず誰か一人は「助けてくれる人」がいます。
「助けて下さい。」
この一言にかけてみましょう。
無視されるかもしれません。
でも、何度か「チャレンジ」してみて下さい。
「人生には奇跡がある。」
このことが、心底実感できる「瞬間」が必ず訪れます。
その「瞬間」こそ「飛翔のチャンス」です。
最後までお読み頂きありがとうございました。
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[…] 前にも当ブログでご紹介させて頂いた諸富祥彦先生なども […]
[…] 著者のご著書については、これまでもご紹介(記事①、記事②)させて […]
≪…「現在」の中に、「過去」と「未来」はたたみ込まれている。…≫は、
「永遠の今」で、自然数の創生過程に[帯同]している。
フランクルの
「人間学がしてならないことは 人間を中心におくこと、このことである。」
このことで数の言葉に接するならば、四次元までの意味構造を「可視化]で
捉えるコトも無理ではないが、カオス(e π)を受け入れるコトだ。
そうすると、二次元(平面)との繋がりで観る四次元までの意味構造が、0 1 2 3 4 次元の[表象]になっているのは、[既述]の
通り。
[人]は、[正比例]と[反比例]の[量化って]で自然数を[言葉](言語)に仕立て上げた。
特に、反比例曲線の『自然比矩形』への[回収](フラクタル数)が、
オイラーの等式であり、[数学思考]の[時間]が[-1]と[等価]であると[眺望]したい。
[カオス]の[e]の肩の[数]こそ、[人]の手に入れ[無上]の
自然数と・・・