臨床哲学の視点から~西川勝さんの著書を読み「尾崎放哉の島」へ導かれて考えたこと!!

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人間は完全に「一人にはなりきれない」存在です。

「無縁社会」という言葉が流行語になっています。

「つながり」とは何か?

「一人にはなりきれない自分とサシで対話する」

人間は誰しも「対人関係」で悩むものですが、

そのことは同時に「自分自身の内面に出会う恐ろしさ」でもあります。

それは、「完全に孤独な時間」です。

今回は、この本をご紹介しながら「孤独と向き合う」をテーマに

考えていきます。

『「一人」のうらに~尾崎放哉の島へ』          (西川勝著、サウダージ・ブックス、2013年)

著者は、看護士や介護士の現場経験をしながら、

「臨床哲学」を学んだ経歴をお持ちです。

現在は「哲学カフェ」などの活動を通じて、

「コミュニケーションのあらたな形」を模索されています。

コミュニケーションといえば、普通は「対人間」での

会話を真っ先に思い浮かべてしまいますが、実は

「自分自身の内面との対話」でもあります。

対人間コミュニケーションが困難なのは、

視点を変えると、「自分自身との対話」がきちんと出来ていない

ということを意味します。

「一人にして一人にあらず」

私たちは、この言葉を理解するのが難しいようですね。

今回は、放浪の俳人で有名な尾崎放哉の句などの紹介も兼ねて

「コミュニケーション」について考えていきたいと

思います。

誰にでもドロップアウトするきっかけはある!!

「自分のことは自分が一番よく知っている」

と強がってみても、ふと「一人」になってしまうと

途端に分からなくなるものです。

「本当に自分という存在はあるのだろうか?」

そのような「不安」に襲われた方もいることでしょう。

人生がすべてうまく回っているように見える「順境」の

時には、こんな厄介な難問に遭遇することはありません。

しかし、何らかのきっかけで「社会の主流」から

はずれてしまうような「逆境」に見舞われると急激に

「寂寥感」が迫ってきます。

現代社会は、ひたすら「効率性・生産性」を求めて

突っ走ってきました。

便利になった反面、一人一人がバラバラになる

「孤独な無縁社会」になりやすい環境にいます。

このような社会になると、どんな強靱な人間でも

簡単に「ドロップアウト」してしまいます。

それも「ごくごく些細なこと」をきっかけに。

そのような環境に置かれた時に、人間はどのような

心理状態で「人生に立ち向かえるのか」?

そこで、この本の主人公でもある尾崎放哉の

歩んだ道を一緒にたどりながら考えてみたいのです。

「同行二人」で風のごとく歩む

人生は、しばしば「登山」や「遍路」にたとえられます。

ことに「遍路」は、「これまで歩いてきた人生を見つめ直す機会」

でもあります。

実は管理人も、退職前にこの本を読んだことや以前からの念願である

「お礼参り」を兼ねて「尾崎放哉の島=小豆島」へ「遍路」に出かけました。

去年の春のことです。(小豆島八十八カ所霊場のご案内)

(ちなみにこれから遍路に行かれるなら、春と秋が最適です。)

尾崎放哉のことは、高校生の時から知っていましたが

まさか自分がこんな境遇を経験するとは、露とも思っていませんでした。

当たり前といえば当たり前ですが・・・

ドロップアウトすることなんて出来れば避けたいですもんね。

とにかく管理人の当時の心境では、「ドロップアウトのイメージ」

が悪かったのです。

進学校に通っていましたし、社会に出てからは「出世街道」を

歩むことに何の疑問も持っていなかったのですから。

それが、「安定した大人の生き方」みたいなイメージでした。

今から考えたら「恐ろしく鼻持ちならないエリート意識」ですが・・・

その後、「超就職氷河期」で様々な紆余曲折を経ましたが

一応かねてからの念願の「就職」をすることがかないました。

しかし、実際に社会の洗礼を受けると「頭の中に描く甘いイメージ」など

いとも簡単に吹っ飛ぶようなものでした。

数年間働いた後、前にも語りましたが「うつとの出会い」がきっかけで

一旦「社会の主流からはずれる」ことになりました。

このことをきっかけに真剣に「自分の人生と向き合うこと」を

考えるようになりました。

そこで、ふと記憶に甦ったのが「種田山頭火」であり、

「尾崎放哉」でした。

彼らも「エリート意識」を持った「自意識過剰」に悩まされていました。

周りから見ると「鼻持ちならない人間」だったのでしょう。

「俳句という作品」だけを見れば、世の中には「麗しい評価」も

ありましょうが、「実人生」は破綻していました。

それでも、彼らが「余生」を生き抜くことが出来たのは

周りの人の「支え」があったればこそです。

尾崎放哉の句に、

~山に登れば淋しい村がみんな見える~

~とんぼが淋しい机にとまりに来てくれた~

が、あります。

「一人淋しくたたずむ」心細さが痛く伝わってきます。

冒頭でも語りましたが、

人間は「一人きりになれない」存在です。

そんな彼も師匠であり友でもあった荻原井泉水

西田天香を始め「小豆島の人々」に

支えられて生きることが出来ました。

現代社会は、「貨幣経済」が極度に発達してしまったために

かえって「生身の人間とのコミュニケーション」が希薄になってしまう

世界であります。

このことで考えさせられたのは、「遍路」で経験する「お接待」という

文化でした。

「交換経済から贈与経済へ」とは、よく話題にされますが

それも実際には「生身の人間同士のコミュニケーション」の賜物です。

一方、「評価経済」なんてことを簡単におっしゃる方もいるようですが、

ある意味「人間のランキング付け」という恐ろしい思想だと思うのです。

最近の世の中が、ますます殺伐としてきたのはこの安易な「ランキング化」

にあるのではないでしょうか?

「インターネット社会」をより開かれたものとするために、

「現実の社会」でも皆が「生きやすい」社会にするために、

私たちは「コミュニケーションのあらたな形」を模索していかなくては

なりません。

「答えは一つではありません」

「価値観が一つに統一されるのではなく」、

「共生可能かつ多様性豊かな価値観の尊重」を

目指していきたいものですね。

皆さん一人一人が「生きやすい」世の中になるべく、

ともに歩んで参りましょう。

なお、尾崎放哉の句について

「尾崎放哉全句集」(村上護編、ちくま文庫、2008年)

を挙げておきます。

最後までお読み頂きありがとうございました。

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One Response to “臨床哲学の視点から~西川勝さんの著書を読み「尾崎放哉の島」へ導かれて考えたこと!!”

  1. […] 尾崎放哉については、前にも当ブログで取り上げさせて頂きました。 […]

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