小野田寛郎さんの『生きる』を通じて<恩讐の彼方へ>を志向した未来創造の道をともに開拓していきましょう!!
本年度は改元年。
新元号『令和』に込められた祈念の想いとともに
あらためて<戦争と平和>について冷静に見つめ直したいものです。
またぞろ国際情勢がきな臭くなる潜勢力が発動し始めているかに
感受される時節柄に人間の尊厳や先人に対する懺悔・感謝の誠意を
忘却することなく日々の生き方を再検討してみませんか?
今回は小野田寛郎さんの『生きる』を皆さんにお届けいたします。
「生きる」(小野田寛郎著、PHP研究所、2013年)
※本書評は当ブログ第1回記事(平成27<2015>年10月2日投稿文)を
加筆修正したうえで再投稿させて頂くものとなります。
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この試みは今回が初めてということになりますが、
あらためて当書評ブログの最主要命題である
『何が何でも<天命>の許す限りは最期まで<天寿>を全うできるよう
生き抜いていこう!!~誰もが生まれてきてよかったと思えるために・・・~』の
「原点」に立ちかえることにいたします。
世の中が豊かになればなるほど逆説ながら、
どうも人類は生きる意欲に乏しくなったり、
<暇と退屈>を持て余すあまりに自身の人生に対する意義や
その<かけがえなき命>を使って社会への積極的な責務を
果たすことから逃れ出ようとする弱さが
どうしても強くなってしまう性質が出て来るようです。
もちろん豊かさだけがそうした性質を誘発させるわけではなく
貧しさもまた同様ではありますが・・・。
要は世の中の客観的状況がどうであれ、
すべては『ご自身の<心のあり方・用い方>次第』で
いかようにも人生における「いのち」の使い道はあろうというものです。
『平和は尊くて戦争は野蛮だ・・・』。
常人はその次元で思考停止するのが通常のあり方でありましょう。
それが戦後だけではなく思想的な左右問わずに無意識に共通する
近現代特有のいわゆる「進歩」的見方だと信じて教育されてきたからです。
そのために極限状態における人間の生き死にの場面で
現実的にいかに凄まじい「生き残りを賭けた」闘争感を抱きながら
「生き抜こうと必死になってきた」かを知ることも
想像することすら出来なくなってしまいました。
なぜならば、『暴力は野蛮だ!!』とただ単に叫び続け、
『戦争(差別などのあらゆる暴力形態)反対!!』を叫び続けていれば、
それだけで「天」から「平和」という名の<干天の慈雨>が
得られるものだと信じて疑わないような
いわば<安全装置>が「啓蒙」教育という名の「似非進歩」思考法とともに
埋め込まれてきたからです。
このように表面的な『暴力批判』論だけで
身体感覚(真の意味での<痛み>)を喪失させていくような
近現代「啓蒙」教育観だけでは
「いのち」を危険な状態に晒すことになります。
さらに自分こそは『暴力』には一切関与することなどあり得ないと
意識的・無意識的に無自覚にも思い込んでしまっている
<善人>らしくあろうとする者ほど
『暴力』に知らず知らずのうちに加担していることに
気付かなくなってしまうのです。
「人間」が「社会」でともに暮らすということは
必ず何らかの形で「自己」と「他者」とが出会う過程においては
どうしても摩擦対立が生起してくるものです。
たとえ互譲の精神をもって思慮深く<人間づきあい>をなそうと
欲していても、親しく深く付き合おうとすればするほど、
否、そうであるからこそ、
このような摩擦対立という『暴力』発動現象事態を
回避することが出来ないわけであります。
もし、「社会」において「人間」が
完全平和かつ円満に共生しようと願うならば
(言い換えれば、社会参加や人間づきあいを面倒くさいことだとする)、
逆説ですが、それは完全「ひきこもり」状態になるほかありません。
しかし、そのような「ひきこもり」でもって
一生を無事太平に乗り切ることが叶うかと言えば
それは叶いません。
なぜならば、当たり前ですが、
「ヒト」は完全に1人のみでは自己完結した
生涯を全うすることが出来ないからです。
「他者」の関与なしには生き抜くことが叶わないのが
人「間」という生物の宿命的性格だからです。
だからこそ、人間同士の分断をもたらすような
あらゆる現象には警戒が注意なわけですね。
こうした人間関係における<交通=コミュニケーションの
原理的不可能性>(今村仁司氏による炯眼的洞察による)が
存在しているからこそ
「多(異)文化共生」論にも
もう少し深く思慮された議論が要請されてくるのですが・・・。
我が国の一般的論壇状況では
あまりにも楽観すぎる見解が浸透していて
「本音」で語り合うことさえ、
すぐにも「差別」感情が発生するから
「臭い者には蓋」感覚でタブー視されてしまう風潮になってしまいがちです。
むしろ、より深刻な摩擦対立状況を回避するためにこそ
「多(異)文化交流」や「移民」政策論にも
抑制的な問題提起をしようと呼びかける真摯な言論批評家も
いるわけですが、我が国では政治的立場にかかわらず
どうでもいいような些末なことをネタにする扇情的論考が
多すぎることには誠に辟易とさせられるものがあります。
「心」あり、まともな「良識」ある人間であれば
このような扇情的浅薄論考文には見向きもしないでしょう。
管理人は基本的に新聞広告欄や大手マスコミ「社説」や
有名・無名問わずの交流サイト(SNSなど)における
議論内容を厳密に比較考量調査したうえで
現在の我が国における「民度」を計測するのが
皮肉なことですが目下の知的趣味みたいなものになってしまいました。
「学問」的関心とは別に
このような「情報分析」といったような
まさしく著者のような任務もまた
自己の隠れた「仕事」なのではないかと強く感受してきております。
管理人なりの『忍道』に磨きを掛けるべく励んでいる途上にあります。
こうした知的思考訓練「ゲーム(というのかな?)」も
またバーチャルな「オンライン」ゲームなどとは異なった
「リアル」ゲームであり面白いですよ。
しかも「ゲーム(ある種のシュミレーション思考実験を伴う知的作業)」とはいえ
「リアル」を対象にした遊び!?ですから
いざという時に本当の「サバ(イバル)ゲー(ム)」として
役立つものと確信しているからです。
実はこの「リアル」ゲームを教育現場に取り入れているのが
単なる「ディスカッション(雑談)」ではなく
「ディベート(賛否両論交代立脚型対論=討論・闘論・倒論!?
どこかのインターネットチャンネル番組の議題タイトルみたいですが・・・)」なのです。
こうした知的思考「ゲーム」を真剣に楽しんでいると
日頃の自身が親しんでいる(きた)価値観をも
揺さぶる優れた効果も発揮されてくるのです。
贔屓の批評家に対する「主観的」思い入れも
距離を持って俯瞰的に眺めることが出来るようになることから
より公平・中立的かつ客観的な平衡感覚も生み出されていくからです。
少なくとも論者の見解を鵜呑み(信仰)することなく
多角的な「検証」もしておかなくては・・・と
反対意見にも自ずと目配せするようになっていくからですね。
これもまた「良識」あるメディアリテラシー能力を高めるための
強力な知的思考訓練となり得るのです。
学校教育の現場でも新聞メディアなどを活用させた
『NIE』教育という手法もあるそうですが
是非世の教育に関心あるすべての方々には
注目して頂きたく願います。
大学受験制度も今後AI(人工知能)の普及などで
大きく変化していくでしょうし、
「社会」が要求する知的能力もそれに伴い
進化変容を否応なしに遂げるでしょうから・・・。
また一方で政治的現場では
現代「戦争」の実態が「熱い(いわゆるドンパチ)」戦争ではなく
こうした検証裏付けの乏しい妖しげな言動が飛び交う
<情報戦><思想戦><心理戦>となってきております。
皆さんご存じのいわゆる「フェイク(虚偽=真偽不明)」報道問題の
ことでもあります。
こうして見てくると教育「内容」が人間の死命を決しかねない
重要問題だということをご理解頂けるのではないでしょうか?
学校教育の最終課題は
何も「お受験」や「社会」で優位に立つ消耗品的人「材」を
育て上げることにあるわけではないはずです。
「人間」を1人1人輝かす「活(生)かす」ための
前途有為な人「財」教育こそが最大目的のはずだからです・・・と
少なくとも管理人は幼少時から
「大人」を信じ込んできたのでしたが・・・。
現実の「社会」では悲しい場面を見せつけられるばかりで
「自信」も喪失してしまいます。
そのあたりの現代的問題点も本書では詳しく語られています。
またそれに付随する論点を
後ほど「特攻隊(特に学徒出身兵)」論を語らせて頂く際に
さらに探究してみることにいたします。
ですから、ここでの重要な視点は『暴力』という言葉にまとわりつく
一般的な負のイメージ像を一旦「白紙撤回状態」に仕切直したうえで、
そのよって来る潜在的原動力や根本要因を摘出したうえで
未然に回避する術や知恵を見出す継続的努力をするとともに
実際の『暴力』発動現場では戦争と同様に<正しい/間違っている>などといった
区別も明確には付けがたくなる判定不能なグレーゾーン領域があり
それは2当事者間だけの決着に委ねるには相応しくないということを
まずは確認しておく必要があるということです。
だからこそ、その『暴力』闘争過程における「正当化」論と
その勝敗帰結がもたらしたその後の対立/非対立当事者間に及ぼす
いわば「政治的」影響力に対する第3者判定(つまりは、公平な仲裁役による判断)が
必要不可欠となるわけですね。
この第3者にいかなるメンバーを擁するかによっても
その後の闘争後秩序に「負」の禍根を残す原因にもなりますから
よほどこの判定役の選出には注意を要します。
つまりは、ここが一番大切な着眼点となるわけですが、
未熟な「人間」であれば誰しもが
「潜在的」には何らかの『暴力』発動要員となり得るということを
きちんと理解しておく必要があるということです。
そうでなければ「傍観者(自分は当該紛争にはまったく関係ないわい!!という
態度を決め込む者)」が<見て見ぬふりを決め込む>ことで
抜本的な紛争解決の目途がいつまでもつかなくなるからです。
管理人の人間「観」では真実のところは確かに不明な点もありますが、
基本的には<純然たる>善人も悪人も
始めからはこの世にはいないものと考えています。
言い換えるならば、人間とは「非善非悪」にある存在であり、
その人間に与える周辺環境次第の相関的「変数」次第で
いかようにも善人にも悪人にもなり得る
いわば「流動的」存在だという立場であります。
こうした「人間」に対する見方を精密に理解していこうとする
問題意識をもって世に立つのと立たないのとでは
その後のご自身における幸/不幸感すら大きく変わってきますし、
社会へのご自身による信頼評価感情も大きく変わっていきますから
本当にこうした問題意識の「習慣化」訓練は
人生における厳しい分岐点になるかもしれない
最重要な「社会的」人間学習課題だということです。
例えば「いじめ」にせよ「引きこもり」バッシング問題にせよ
いつも同じような表層的議論と解決法で片づけようとする
場当たり的発想法の限界には
こうした問題点が潜んでいたというわけですね。
(いじめ論について『いじめと戦う重要性を教えよ』
産経新聞『正論』令和元年8月30日金曜日付け 入江隆則氏によるご提言
ご参照のこと。)
まとめますと、これから本書解読を通じながら
管理人が評釈していく作業課題の最終目的地点は
<戦争と平和>を真摯に再検討することで
<性善説かさもなくば性悪説か>といった
人間「観」にまつわる単純粗暴きわまりなき
二分的思考法を乗り越えていく視点をご提供させて頂く
きっかけになればということです。
それだけが管理人が当書評ブログでの論考を通じて
皆さんにも共有して頂きたく思い続けてきた「願い」なのでした。
すでにここまで読み続けてきて下さった良識ある読者様には
<釈迦に説法>であらためて恐縮いたしますが、
管理人がこのように戦後教育によって授けられてきた
一般世間において通常共有されているだろう通俗的価値観を批評するからといって、
そのまま戦前・戦中の「過激」思想教育観を肯定する者でも
積極的に「暴力」を擁護肯定してきた(いる)者でもないことは
ご理解して頂けるものと信じて
ここまで書き綴ってまいりました。
そうした趣旨から『暴力から決して目を背けた<綺麗事>』言論に
惑わされることなく真に皆さんお互いの「いのち」をご自愛のうえ
人類相互の協力「愛」を育んで頂く基礎土台を創造していくための
「種(考えるためのヒント)」を多種多様な観点から
お裾分けしていこうとの想いで
書物のご紹介を積み重ねてまいりました。
前回の今村仁司氏による<媒介形式>論をご紹介することで
これまでの書評で本当にお伝えしたかった「心」を
ひとまずお届けする責務を果たし終えることが叶いました。
この<媒介形式>論とは私たち「人間」が「社会」の中で
安心して生きていけるための<距離感(緩衝領域)>を
どこに設定すれば最適解が得られるのだろうかと
問題提起されたものでした。
そんなわけで管理人の志向性もある種の<生(実存)の哲学>と
<関係性の哲学>を縦糸・横糸としながら
物理学的には力学的「中間」場設定仮説と
精神心理学的には「中庸(道)」志向を伴わせた
独自の<超時空哲学>解読を試みてきたという次第になります。
とはいえ、もちろん管理人もまだまだ「人生修業の身」ですから
「自我(思い込み)」という罪業を強く抱える「人間」道にいますから
当然ながら世俗思想的に言えば左右をふらふらと漂いながら
辛うじて過激な方へと流されぬように必死に棒きれにしがみついている
最中にある身であります。
思えば「言葉」という<媒介>道具も
人類が発明した中ではある意味で「凶器(狂気)」ともなり得る
両義的「武器」であることは日常生活の中では
忘却しがちであります。
ですから、今回も本書を通じて恐ろしげな戦場で使用される
特殊「兵器」とはまた違った意味での
平和時においても十二分に「武器」となり得る
通常「兵器」である「言葉」についても
あらためて再考する題材としても
本書を読み進めていくことにいたします。
あわせて著者は戦場下においては特殊任務を得た
「陸軍中野学校」出身者でもありますから
当時の「捕虜待遇」問題との対比から
現在ただ今においてこそ
あらためてホットな話題となってきている
ジュネーブ諸条約ほかの「国際人道法」と
国際法遵守(憲法<前文>の国際協調主義)の精神的意義についても
皆さんとともに考えてみたく思います。
ちょうど人工知能を伴ったいわゆる「無人型致死性」ロボット兵器への
規制問題がジュネーブにて「国際人道法」問題として
引き続き協議続行とのこと、
今後の宿題として残されたところで
「中間」報告書がまとめられた段階だと報道もなされたところでした。
憲法「改正」問題を含めて我が国内外を取り巻く国際環境は
ますます嫌悪な「空気」が流れつつあるようですが、
管理人もまた「理想(左)」と「現実(右)」との
「中間」場(はざま)で今後とも呻吟しながら
皆さんとともに誠実に書評を通じて考え抜いていく
「誓い(掟)」を再確認しているところです。
今回は<戦争と平和>を通じて人間の「死生観」を考えるが
本書を読み解く際のキーワードとなりますが、
あわせて管理人がすでに読者の皆さんにお約束しておきながら
しばらく果たせないで申し訳なく「心残り」でもあり続けてきた
連休中の九州旅行(主に今回の関連で『知覧』が主舞台となりますが・・・)で
再確認してきたことなどを題材に<紀行文>エッセーも
皆さんにお届けさせて頂くことにいたしますね。
「後ほど乞うご期待」という「イントロ」まとまりがついたところで
それでは本書ご紹介へと移らせて頂くことにいたしましょう。
『死ぬことは、負けること』~武士道ならぬ「忍び」道とは <生きることとみつけたり!!> 生死対立観でなく一如観に立ってこそ人生を高貴に輝かすのです~
まず、戦後世代の若者にはあまり記憶されていない方なので
小野田寛郎さん(以下、著者)に関する簡単な経歴をご紹介します。
大正11年(1922)、和歌山県出身。
ご実家は和歌山県では有名な『宇賀部神社(通称:おこべさん)』だと
いいます。(本書213~214頁)
戦前のスパイ養成学校として有名な『陸軍中野学校』を出た後の
昭和19年(1944)、フィリピンのルバング島へ出征します。
以後、終戦後も作戦解除命令を受ける機会がなかったため
一人になるも最後まで戦い続けます。
昭和49年(1974)に、ようやく祖国の土を踏みます。
しかし、戦後の価値観とのギャップからブラジルへと移住されています。
その間、戦後教育への疑問から日本の子供たちに「生きる勇気と知恵」を
授けようとの使命感で『小野田自然塾』を開きます。
平成26年1月16日永眠。
この『小野田自然塾』は令和元(2019)年8月末現在は
『一般財団法人 小野田記念財団』として運営されているといいます。
この間の事情はドラマでも放映されたので、ご存知の方もいるかもしれません。
また管理人も最近知ったのですが、
イギリスの『キャメル』というロックバンドが
著者の生き様に触発されて楽曲制作のうえ
<コンセプトアルバム>として創作されたというエピソードもあるそうですよ。
著者や当時の日本(だけではなく世界各国)の戦時体制下の価値観には
もちろん今も昔も賛否両論あることは間違いないところですが、
そうした後世(当時も含めて)からの批評論はここではひとまずおきまして
当時は否応なくいずこの国に属する人々も「生き残る」ために
必死な想いで壮絶な闘いを繰り広げざるを得なかったのが
実際の歴史的実態だったということです。
ですから直接の戦時生活体験者という「当事者」でなければ
決して皮膚感覚として「わからない」し、
ましてや後世に生きている私たちには「伝えきれなかった」悲痛な想いを
抱え続けてこられたことは忘れてはなりません。
その痛切な哀しみに寄り添うように私たちも
同じ「人間」としてあの時代を懸命に生き抜いてこられた
彼ら彼女らの「声」に耳を傾けずに
ただただ現代的価値観や「啓蒙進歩的」<上から目線>で
頑なに拒絶する姿勢で向き合うことは
人にも歴史に対しても傲慢かつ冒涜する態度というものです。
本当に私たちが結果としてあの時代のあり方や
あの時代を生き死にされた方々のあり様を批評的に
あるいは教訓的に反省材料として活用させて頂くことが
万が一にももしも許して頂くことが叶うならば、
ただただあの時代を生きた先人を否定、罵倒する態度に出るのではなく、
正しく『後に続くある者を信ず』としてお亡くなりになった方々の
想いを汲み取ったうえで真の意味での平和建設創造事業へと
邁進していく他ありません。
過去の経緯にいかなることがあったにせよ
もちろんこのような歴史的「真実」からは
決して目を背けてはならないことは論を待ちませんが、
いつまでも過去を引きずって<未来志向>へと勇気を持って
再び歩み出そうとする姿勢なくしては
永遠にすべての人類が協和(協力愛)への道をともに
歩み始めることは叶いません。
何のために「平和」条約という国際法規範が
先人による涙ぐましい努力によって形成構築されてきたのか、
とりわけ近年某国との間で多大な懸念事項から
国交「断絶」事態にまで進展しかねず、
地政学上も再び『国策の誤りによる戦争の惨禍』(憲法<前文>の趣旨)を
招き寄せかねない危険事態にまで進展してきている現況を観じると
今ほど深く国際法遵守の精神的理念に立ちかえる時期だと
言わざるを得ません。
過去に遡及してまで賠償請求していくと
相互憎悪感情はいつまで経っても解けませんし、
現実的にも賠償請求権を「相互放棄」して
別形態で事実上の補償対策を採用しながら
これまで両国が前向きに歩んできたと信じるならば
現在の事態は世界でも稀に見る「奇態」だとしか評価せざるを得ません。
我が国はすでに『(暴)力』による現状変更を決して容認することなく
『法』による秩序回復志向を国際社会に力強く「宣言」したからには
今後ともその国際法遵守の道でもって
紛争解決を良識ある国際司法裁判所に委ねるほかないわけですが
現代国際法の指針では
おそらく某国のような過去に遡及して賠償請求を許容するなどという道は
採用しないでありましょう。
なぜならば、そのような解決策ならば
間違いなく未来にまで「禍根」が持ち越されるものと確信するからです。
ちょうど過去にもこれとはまた異なった問題意識からではありますが
『ハーグ密使事件』という歴史的事件もありました。
国際司法裁判所並びに現代国際法による解決指針が
いかなる結論を導くかは我が国に有利になるとは限らず
楽観的な「予断」など許されることではありませんが、
いずれにしましても双方当事国ともに
少なくとも現代国際法理念が到達し得た
最良の「知恵」だと信じる道へと
「互譲」し合うことが叶わなければ
何ら歴史的教訓に学ぶことなく
最悪の結末を招くことだけは
全世界に散在する良識ある人類ならば
誰もが深い憂慮をもって
この問題を注視していることだけは間違いないところでしょう。
とはいえ、国際法規範に備わった「実力」が
どのようなものなのかを計測することは
整備された国「内」法とそれに内在した具体的「執行」力以上に
想像以上に脆弱さが残されている(きた)ことも
忘れてはなりません。
我が国としては現代国際法によって暫定的にも到達し得た地点をも乗り越えた
今後の人類が進むべき最高理念だと信じるに足る
解決指針を拠り所としつつも
国際法規範が国際「世論」によって
容易に「形骸化」されてきた歴史的事実も踏まえたうえで
「理念(国際法規範)」と「現実(政治的動向)」の間で
絶えず揺れ動いている(きた)実情をも加味したうえで
冷静に「理性」的政治判断を下されることを
世界平和を祈念するいち国民として強く願います。
この難題についてはまた後で少しテーマ内容を変えたうえで
あらためて探究していくことにいたします。
それはともかく本書から
著者のご経験を通じて
私たちに託された言葉をいくつか「選出」ご紹介させて頂きながら
この場の語りを続けさせて頂くことにいたしますね。
「生きるとは絶対諦めずに自分を信じること」
ところで、21世紀の現代「先進国」社会では、
一般的には経済状況がいかほど悪いと言っても多くの方々におかれましては
戦争中や戦後の混乱期ほど死線を彷徨うことも
過酷な環境下に晒されることもあまりないことでしょう。
もっともその生活「質(実)感」は人それぞれでありますから
ここであまり軽々しく論評することには謙抑的でなくてはなりません。
人によっては文字通りに
この飽食「日本」であっても「死線」すれすれの
いわゆる<アンダークラス(最下層)>生活を余儀なくされて
毎日が心底苦しく感受されている方も
間違いなくおられることと推察いたします。
管理人もまさにこのブログを始めたきっかけが、
プロフィールにも書きましたが
病気や失業で苦しんだ経験から少しでも多くの方のために役立ちたいという
思いからでした。
もっとも本当に「最下層(死線を彷徨うほどのどん底)」生活にまでは
至っていませんが、前にもご紹介させて頂いた
橋本健二氏のご著書によれば
経済的にはすでに管理人も
この<アンダークラス>に属す階層だそうですから
(とはいえまだこのように冷静に自身の社会的立場を評価しながら
自己検証出来る心の余裕が残されているだけ幸せな立場であります。
だからこそ他の方々に比べれば幸せな部類に属するだけに
申し訳なく感受されるからこそ
今週発表された年金に関する財務検証にも激しい憤りを覚え、
他人事とは思われないからこそ、
このような厳しい経済生活環境の下でも
仕事をいくつも掛け持ちされている方や
危険ないわゆる「3K」業務現場に日夜就かれている方々に想いを馳せながら
同時代をともに懸命に生き抜く「同志(仲間)」として
何か皆さんの心の支えになる言葉はないかと
書物を通じて探ってきたのでした。
管理人は幸いなことに一応「高等」教育とやらを授けさせて頂く機会を得て、
人としての「道」や「志」を捨てずにここまで生きながらえさせて頂いてきたからには
「天」に「世間様」にご恩返しをしなくてはなりません。
その種の<ノーブレス・オブリージュ=恵まれた者に課せられた義務>は
持ち合わせているつもりです。
ちなみに例の年金の財務検証に関する管理人自身の評価ですが、
これは財政制約論=緊縮思考法によって痛みを強いる解決姿勢に
いつまでも身を委ね続ける発想法で考えるべき問題ではないということです。
このような消極的発想法を続ける限り、
若者はますます未来への希望と大人への信頼感を喪失させていき
ひいては社会存続すらも危ぶまれていくからです。
こんな事態にならぬよう私たち『ロスジェネ』世代は
歯を食いしばって闘い続けていきますので
次世代の若い方々にも是非ご協力・ご声援を頂ければ
ますます励みとなります。
とにかく「緊縮志向」戦争を早期終結に向けて
圧倒的に数の足りない若者の意思を結集させていかなくてはならない時期なのです。
と同時にこれまで「緊縮」志向をよしとして
結果として若者世代に多大な犠牲を強いてきた
与野党問わずの政策当局者には「敗戦」責任をまずは取って頂かなくてはなりません。
現在においてかつての戦争から学ぶ教訓を活かすならば
この問題にこそあります。
なぜならば、「平時」においては経済政策のあり方を巡る論争と実行過程こそが
人命問題に直結するまさに生死を分ける「戦争」だと
考えるからです。
飽食で「平和ボケ」してしまった身体感覚では
こうした「いのち」を賭けた闘争観といった本能的攻撃防御方法や
立論はなかなか戦後常識的発想法からは出てこない
限界=盲点となります。
つまりは、人の「いのち」を「お金」の問題で節約するなという立場です。
日本国憲法第13条(幸福追求権)や第25条(生存権)の趣旨に叶った
経済政策を採用したうえであらためて持続可能な社会保障制度を再強化せよという
課題なんでしょう。ですからいつものような「財源」論で国民に
無用な不安心理を与え、社会に混乱と無秩序化を招きかねない発想を拠り所にした
政策案も大手マスコミ「社説」が説くような「説法」も
<そもそも論>のところで大きくピントがずれているわけです。
こうした問題意識を改善していく処方箋やきっかけづくりとしても
前回お知らせさせて頂きました『MMT(現代貨幣理論)』の発想が
皆さんにもご再考して頂くきっかけとなりましょうから
次回の書評ではその主題を課題図書予定とさせて頂きます。
次回はこの課題書でまた読書会討論をして研鑽してきますので
その成果を皆さんに公表すべく鋭意準備していますので
今しばらくお待ち頂ければ有り難き幸せにござりまする。)、
管理人もまた自身の将来における「道行き」に
多大な不安感を抱えていることも正直なところです。
『ロスジェネ』階層はみな大なり小なり
この手の将来への悲観を抱えていらっしゃることでしょう。
にもかかわらず、
事情をあまりご存じない心なき
上の世代の方々からは頑張りが足りない(つまりは、「自己責任!!だろ」)と
「指弾」されて何かと社会の「お荷物」扱いされてきたのです。
ようやく「中高年引きこもり(80・50)」問題の
予想外なまでの深刻さについて認識されて
政治課題にまで採用されてきましたが
正直「遅すぎる」感を強く感受されている方々が
ほとんどだとお見受けします。
また『例の<再チャレンジ>制度とやらの二の舞となるんちゃうやろか・・・』というのが
大方の『ロスジェネ』階層の「本音」とも言えるのではないでしょうか?
そのように管理人も推察いたします。
さて、ちょうど2年ほど前(注:当書評ブログ開設時の
2015年時点)に「半自発的」失業状態へと誘導されていき、
年齢的にもまともな勤め先には
たとえ今後いかに能力を磨いていっても再就職は厳しいだろう。
とりわけ日本社会では個人の努力をあまり評価せず、
集団的組織活動に馴染めない者には厳しすぎますから・・・。
これが「(オタク的)職人」でもとりあえず
社会的居場所が与えられていた前近代以前の生活環境と異なる
近現代高度「分業」組織系列型経済社会の「現実」的問題点なのです。
すなわち、学校での成績と社会での稼ぐ力や肩書きに
「比例的」相関関係は必ずしもないということです。
こんなことは管理人も幼少時から薄々感受しており、
学生(思春期)時代の「いじめ」問題よりも
はるかに「社会」に出た後の不安感の方が
より大きかったことを今なお感受しております。
そんな不安から(実は就職中もずっと不安でした・・・)精神的に追いつめられ
家族や周りの人に対してもどんどん負い目を感じている自分がいつの間にか
できあがっていました。
そんな時に昔から尊敬していた小野田寛郎さんのこの本を
何度も何度も読み返していました。
「目的をもって最後まで自分を信じて生き抜くこと!!」
このメッセージがすっと我が魂に共鳴を呼び起こしたのでした。
どん底に陥った人間にとってはこのシンプルな言葉こそ確かなる真実なのでしょう。
最悪な状況の時には、「今がどん底。もうこれ以上落ちることはない。」
この言葉が今では管理人の心の支えになっています。
「平和であることは本当に尊いことだ。」
このことは多くの方にとっては当たり前のように感じていることでしょう。
しかし、小野田寛郎さんもおっしゃられる。
「本当の危機に際してはその当たり前が油断となり命取りとなる。」
「それでも油断せずに最後まで生き抜くことを信じる」
小野田寛郎さんは、「陸軍中野学校」で学んだ異色の経歴をお持ちです。
当時の軍国日本では、「生きて虜囚の辱めを受くることなかれ!!」が当たり前でした。
「陸軍中野学校」では「任務遂行なるまで最後まで生き抜け!!」が至上命題の教育でした。
まったく世間一般の教育・風潮とは反対でした。
そんな教育で何よりも重視されたのが「情報こそが命綱になる」ということでした。
ただ、「情報」といっても「正しい情報を見抜く知識・知恵」こそが命綱になる
ということです。
「最後まで諦めずに自分を信じて決定した目的を継続すること」
本書は人生の危機に遭遇した時には
何度でも読み返して頂くと得るところの多い
<万華鏡>のような「鏡」本だと評価いたします。
<万華鏡>のような「鏡」本とのたとえは
その時々におけるあなた様ご自身の
精神的状況レベルが厳密に診断できるということであります。
ある種のまさしく<サバイバルブック>ですね。
本書には<珠玉の言乃葉>で満ち溢れているために
どれもこれもその一言一言がご紹介させて頂きたい言葉なのですが、
紙数と皆さんへの楽しみを奪ってはならないという関係上、
最後に管理人が本書を通じて
一番感銘を受け、著者らしさが滲み出ているなぁ~と
愛着感情を覚えた一節を数点ほど引用して
今回の書評要約をひとまず終えることにいたします。
手当ての本質は
手当ては、前途に夢を持っている人間が大切にしている行為では
ないかと思う。
小さなことを意識していないと「手当て」は疎かになる。
自分の夢を実現させたいのであれば、「手当て」は怠るなと言いたい。
小さなほころび、その時、「手当て」していれば、
ほころびはかえって強くなる。(本書71頁)
毎日の積み重ねが宝となる
夢はたとえ、アリの歩みであっても、続けていれば叶えられる。
私は、自分の人生を諦めなかった。
毎日の生活は、あの苛酷な状況でも続けた。
人間らしく、自分らしく生きるために。
食事に、歯みがきに・・・・・・どんな小さなことでも、
人間たらん生き方を続けた。
「宝」は、日々の積み重ねが力にかえてくれる財宝である。(本書163頁)
「生きる」か「死ぬ」か、戦場を「逃げるか」
そこに正しい判断の基準がひかれる
「正しい」「悪い」の基準は何だろう。
こんなことを聞かれたことがあった。
戦争中に人を殺すという感情はどうですか、と。
なんと愚かな質問だろうか。怒ることより、そうした表面的な
物の捉え方をする人に説明する気力が失せた。
「生きる」か「死ぬ」か。
「戦う」か「降伏する」か。
戦うとは、その時の自分の位置がわからなければ、
生きることすら見失ってしまう。
非現実的な世界での正しい判断は、自分の業務遂行。
もっと冷酷に言うならば、「殺すか」「殺されるか」、
「死ぬか」「生きるか」、「逃げるか」「戦うか」の
選択しかない。
自分のこの位置、立場での中途半端な決断こそ、
一生罪悪感で苦しむのではないかと思う。(本書187頁)
もはや読者様には<釈迦に説法>で繰り返しませんが、
「戦争(平時においても飢餓などの生死ラインにある場面)」という
「人間」らしさが剥奪されていく極限状況における
「正しい」か「間違っている」かの判断基準では
ただひたすら「生きたい」のか「死にたい」のかという
精神志向のあり方次第とともに
その場の物理的状況次第だということに尽きます。
このような極限状況では「平時」における
「正しい」か「間違っている」かとの判断基準とは
異なるものが要請されるのは
これまた「理」の当然でありましょう。
著者とて何も「戦争」や人間同士の醜い闘争を
嬉々として受け入れたわけではないでしょうし、
無事太平の世の中で幸せに過ごせれば
どんなにか喜ばしかったことでしょう。
「狂人」でもない限り、
誰が好きこのんで「戦争」に勇み飛び込んでいくでしょうか?
現代の理性的学問の知見からは
様々な「人間」の「戦争」を始めとした
「暴力」誘発要因を探究することで
未然に回避する方法論などが提案される試みがなされてはきておりますが、
そもそも「人間」には誰しも<自己保存機能>という性質が
潜在的に備わっているために
完全回避することは著しく困難だという
悲観的な研究データもあるようです。
楽観的な研究データでは
これまでも当書評ブログでご紹介させて頂いたある書物のように
『ヒトはそもそも相互協力するように出来ている。
「自滅」を回避するためにも・・・』との見解もあるようですが、
真実はいつも「中間」領域にあるようで、
「人間」のこの<自己保存機能>に由来する
攻撃防御本能誘発を抑止するためには
主観的には「理性」的教育が必要不可欠となりますが、
それだけでは足りずに客観的には
「人間」を取り巻く生存に適した
良質な物理的環境条件を確保整備していく他ないということに尽きます。
このような「人類」が共倒れせずに
共生可能な生態環境を実現させる哲学が
カント(『永久平和のために』)を始めとする
数多くの賢者によって探究提起されてきましたが、
いずれもきわめて一般人にとっては
水準が高すぎてにわかには無理難題だったのです。
そんなことをすでに予見していたかのように
別論を提起する賢者がいました。
それが老子や荘子、釈迦(ブッダ)でありました。
双方に共通する合い言葉・発想法は、
もっと徹底的に「世俗」に学べ。
身近なところから「隗より始めよ」ということで、
「頭(理性=知性)」にのみ頼りきることなく
「感覚(情動・本能・知<覚>)」といった
身体(皮膚)感覚とともに
全身全霊で「つかむ(わかる)」
自己統御法でありました。
「人間」はこのように「主観」と「客観」という両輪で
成立しているからです。
そんなわけで管理人は最近また
手塚治虫氏の『ブッダ』や『火の鳥』、
白土三平氏の『カムイ外伝』などを
暇を見つけては読みなおしつつ
いわば『<野生「智」>とは何か?』をも
探究し始めたところです。
『生きるとは決して<綺麗事>だけでは貫き通せないものだ!!』と
いうことを再認識し、「開眼」させられました。
ということで本書『生きる』もまた「生きるとはどういうことか?」を
考えさせてくれる必読書であります。
こうして再び「何としてでも最期の日まで油断せず、
力を抜かず生き抜こう!!」との決意と勇気が湧き出てきました。
「背中で<示唆>する生き様」
言うまでもなく「言うは易く行うは難し」の難事業が
「人生」というものですが
諦めずにともに手を携えながら
時に「摩擦」はありながらも
より良き道を開拓していこうではありませんか?
より良き道を開拓しようと思えば
古人もそうであったように
どうしても『百家争鳴 百花斉放』といった
路線対立も生起してまいります。
それはそれで各々が「最良」だと信ずる道を
開拓するわけですから「否定」しようとも
それを「否定」してでも「肯定」の道を
ひたすら邁進していくことでしょう。
こうした「摩擦」がどうしても生起してくるのが
「人の世」というものです。
そうした「人間」の性格を踏まえたうえで
歴史からいかなる教訓を学ぶべきかが
今も昔も今後も問われ続けていくことになります。
思想の「一元化」は不可能であり、
「多元化(摩擦対立の契機)」は
「一元化」による誤謬大破局という
「リスク」分散のためにもどうしても要請されてきます。
問題は「一元化」と「多元化」の
いずれの誤謬混乱の方がより大厄災をもたらしてきたのかという
比較考量の視点だということです。
そうした人類のこれまでの歴史知的教訓から汲み取られてきた
叡智により数学的「集合」や「関数」論、
「プラグマティズム」や「功利主義」哲学が生み出されてきたのだと
現在の管理人は理解するに至りました。
「これから将来どうなるんだろう?」
「私はこれからどうやって生きていこうかしら?」など
お悩みの方は是非一度本書を手にとってお読み下さい。
きっと、なにかしらの「生きるヒント」や「生きる勇気」が得られることでしょう。
『知覧特攻平和会館』探訪記~青年学徒兵の真摯な想いに佇み「慟哭」します~
ここからは「神様」との対話を通じて身をあらためて引き締めて
語り始めることにいたします。
今回の<紀行文>はテーマが重いだけに
通常のワクワク旅情文は少し控えさせて頂くことを最初にお断りしておきます。
『「神様」の前では、私たち「俗人」の批評など塵芥のごとし・・・』ですから
変な現代的価値観や個人的な政治観を交えずに
感受した虚心坦懐な想いと神妙な面持ちで語り続けます。
そんなわけであらためて身を鎮めて
語り始めるに当たって、
奈良県桜井市にある『大神神社(三輪さん)』に
身内の安産祈願と日頃の報恩謝礼も兼ねて
再度訪れてきました。
夕刻の日暮れ時の厳かなひととき・・・。
いつもの「神様」との「対話場所」である
とある水面のそばのベンチで「御神水」で身を清めつつ、
1人静かにいつものように瞑想、沈思黙考してきました。
たまたま知人のご紹介で謡曲『三輪』と『俊寛(鬼界ヶ島)』を
奈良にて久方ぶりに観能させて頂くことが叶った直後でもありましたから
いつも以上に「思い入れ」も深まっていました。
「あいかわらずに(茂山)逸平ちゃん、ええ味出てきていますなぁ~」
同級生ながらいつも応援させて頂いています。
ちなみに今回の観能は『なら燈花会能』でした。
それはともかく・・・。
ここからはいよいよ「不浄(俗)界」から「浄(聖)界」領域となります。
『瞑目合掌』
たまたま今回の記事創作前に定期購読している
『表現者クライテリオン9月号』が届き、
読み進めていたところ
いつも楽しみにしている異色の<対米従属文学論>が
『第8回 鹿児島特別編~「特攻文学」をめぐって~
吉田満『戦艦大和ノ最期』/島尾敏雄『出発は遂に訪れず』』というテーマで
対談されておりましたので
まさしくグッドタイミングということもあり、
管理人も『平成』から『令和』にかけての最後の連休中に
かねてよりの念願だった『知覧』に訪れさせて頂くことが叶いましたので
上記対談者とはまた異なった視点から感受したことを
語らせて頂くことになりました。
ちなみに管理人自身は上記の双方課題書は未読なわけですが、
大岡昇平氏の『俘虜記』や『野火』、
渡辺清氏の『戦艦武蔵のさいご』(小学校高学年の頃に
図書館にて借りた思い出があります)、
野坂昭如氏の『ホタルの墓』などなどは既読してきました。
人生最初のいわゆる『戦記物』読書体験は
幼稚園児時代に借りた
絵本『デゴイチものがたり』だったはず・・・。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
<ここからは余話です>
今夏は『令和』元年という特別年でもあり
管理人も別の課題書を実は用意しており
途中まで書き進めるための構想まで練り始めていた矢先だったのですが
この本の視点こそ面白いのですが、
他の批評家(アマゾン書評など含めて調査させていた雑感では)も
批評されていたように文体があまりこなれておらずに
初学者にはあまりにも専門的すぎて取っ付きにくかろうとの感を
管理人も正直抱え込んでしまったことから
途中で「断念」する決断に至りました。
今回は当書評記事における最近の傾向である
隔月毎に「文系」「理系」書をわけてご紹介させて頂く試みをしてきましたから
「理系」書をそろそろ取り上げる時期に入っていました。
ご紹介予定だった課題書は
『量子力学が描く希望の世界』(佐藤文隆著、青土社、2018年)でありました。
一応念のため骨子だけ少しご紹介しておきますと、
現代「理論」物理学の背景をなす
世界「観」を巡る哲学的対立から見た
科学界の現状・・・のような内容であります。
すでに現代「理論」物理学の世界を楽しく遊んできて
おられる方々にとっては確かに面白くマニアックな視点が
多々学べる好著ではあるのですが・・・、
『如何せん』上記に語らせて頂いたような○○文であるために
まとまりがイマイチしっくり来ないために
評釈しづらいのが正直な「心」だったのです。
○○文などとぼかした少しばかりどぎつい表現には
なってしまいましたが、著者には敬意を表しておりますし、
また新たな視点を得ることが叶いましたので感謝しております。
他意はなくただ評者(管理人)の力量が至らなかっただけです。
ですからこの点は管理人の限界です。
いずれにしましてもこの予定本での論旨では
現代物理学(科学)界でも
実際には何らかの政治力学関係が働いているということが
示唆されていて興味深く読ませて頂き、
「科学」と言えども
こうした世俗的政治「観」が反映されているわけですから
今後は一見政治的イデオロギーとは関係なさそうな
「理系」書を読み解く際にも注意深くあらねば・・・と
学ばせて頂くことが叶いました。
そうした文脈からこの上記ご紹介本は
読んでおいて損はない書物ではあります。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
さて、いよいよ本題に入らなくてはなりません。
今回ご訪問させて頂いた場所は
『知覧特攻平和会館』であります。
まず前置きとしまして
一度も行かれたことがなく、
今後行ってみたいと思案予定中の読者様向けに
若干程度「道のり」のご案内をしておきますね。
とはいえ、管理人は大阪在住ですので、
大阪(主に関西圏)からの出発ルートということにはなりますので
ご寛恕願います。
まず関西圏から九州へと向かう交通手段には
幾通りかあると思われますが、
『知覧』への最短(かどうかは断言出来かねますが)ルートとして
船とお車で行かれる場合を想定したものをご紹介しておきましょう。
①大阪「南港」から鹿児島「志布志港」へ向かう
『フェリーさんふらわあ』をご利用されるか
管理人が今回利用させて頂いた
②兵庫「神戸港」から宮崎「宮崎港」へと入る
『宮崎カーフェリー』をご利用される方法があります。
今回は超大型連休中で特別年でもありましたから、
かなり早めの予約だったにも関わらず、
①は「キャンセル待ち状態」で「満席」だったようでした。
そのため代替手段として
こちらも「ほぼ満席状態」で大変危うい空席状態だったのですが
何とか②の予約を取ることが叶いました。
ですから、皆さんも「連休中」にご訪問される際には
是非ともお早めにとともに
昨今の九州地方における異常気象情報にも
十二分にご注意されたうえで予約されることをおすすめいたします。
神戸港出発までの待機時間に相当なゆとりがございますから
両親をフェリーターミナルに残して、
管理人はただ1人で
「道中(航海)安全祈願」と「日頃の報恩謝礼」のために
神戸港を午後19時前後に「離岸」した後に
宮崎港には翌日午前7時前頃に「着岸」いたしました。
(以下すべて管理人撮影)
さて、宮崎港到着後にはすぐにも最近整備が進んできた
九州自動車道を利用することになります。
途中少しサービスエリアなどで休憩しましたが、
その日の目的地『知覧』までは距離が遠すぎることと
その日の散策予定地『仙巌園』(午後15~16時頃着)を経て
40分ほどで『霧島温泉郷(霧島ホテル=
坂本龍馬・おりょうご夫妻が宿泊された旅館で有名)』に
辿り着く強行旅程だったからです。
翌日は朝食後にすぐ近くの『霧島神宮』を参拝してから
熊本阿蘇(途中の『通潤橋(なぜか工事中で
橋上は渡れなかった!!)』を経て、
その日の宿泊地である『黒川温泉郷』へと向かいます。
「プラネタリウム」併設の素晴らしいお宿でした。
ここで何と『春の大三角形』の講義を受けることが出来、
この日は雨だったので天体観測こそ叶いませんでしたが、
日頃贔屓にしている『京風』メタルバンド様の『アルバム』コンセプトのような
ロマンチックな世界観にしばし耽ることが叶い、
幸せな時間を過ごすことが叶いました。
このような長時間旅程でしたから
事前情報ではガソリンスタンド設置状況なども確認しつつ、
不安になる一幕もありましたが、
最近の車は燃費もよく
安全第一で高速に入る前に「満タン」にしておきましたから
『知覧』までの道中では何とか保つことが叶いました。
とはいえ、今回の<紀行文>では『知覧』に特化いたしますので
そのほかの名勝などのご紹介は残念ながら省略させて頂きますが
(とはいえ、一応雰囲気だけはお伝えできるように
道中の風景写真だけは掲載しておきますね。)、
今回の九州旅行では帰宅までに
それでも計2~3回程度は「注入」が必要だったようです。
何せ九州は範囲も広く、
高速道路網が整備されているとはいえ、
山間部を通行する場面も多いですから
やはり結構な燃料を消耗してしまいます。
それとともに今回の九州という「地方」を訪問して
実体験したことは、
やはり「社会インフラ」充実政策が
いかに地方経済にとっても外部からの来訪者にとっても
最重要課題かということでありました。
しかも最近も以前からも九州に居住されておられる方々にとっては
度重なる「台風」の通り道でもありますから
本当に「死活」問題なのです。
身内にも何人もの九州出身者がいますから
本当に「他人事」ではなく
そのように関西在住の人間にとりましても
「確信」いたしました。
『国土強靱化政策』こそは
あの<悪夢>の「事業仕分け」対象に
再びしてはいけません。
「断じて!!」
それはともかく・・・。
宮崎港を出てからは
『宮崎自動車道』の<宮崎インターチェンジ>から
途中の<えびのジャンクション>を経て
『九州自動車道』を南下して
<鹿児島インターチェンジ>を経て
『指宿スカイライン』へと入り、
<知覧インターチェンジ>へと直接向かうルートもあるのですが、
管理人一行はその手前の<川辺インターチェンジ>という
中継地点で降りて、
そのまま『国道225号線』沿いに
車を走らせていきます。
ちょっとした峠道を上がり下がりする感覚で走っていくことになります。
お昼前でしたので、
途中の峠にあった『そば茶屋 吹上庵 川辺店』に立ち寄ります。
その水車が回る茅葺き屋根の古民家風の
懐かしい風情が食欲をそそります。
お値段もリーズナブルで味は抜群。
是非ご訪問される際には「お試しあれ」でございます。
この道すじには『道の駅 川辺やすらぎの郷』を始め、
数々の観光名所も点在していますし、
展望台もありましたよ。
時間の都合上、展望台までは行けませんでしたが、
『開聞岳』も眺めることが叶うのかどうかは不明です。
管理人も『知覧』まで訪れるからには
この『開聞岳』も眺めたかったのですが、
途中の峠道を下っていく最中に
それらしき「三角形」の山並みがちらっと見えたような感じが
一瞬したのですが、それが『開聞岳』なのかどうかは、
すみません、確かなことをお伝えすることが叶いません。
『開聞岳』はまだ『知覧』よりも先で
あの砂風呂で有名な指宿温泉や
かつてのネッシー騒動で有名になった池田湖のある
『指宿』寄りの南方に当たります。
ちなみに管理人は小学校時代に
国語の教科書で椋鳩十作品『大造じいさんとガン』に触れたあたりから
動物小説やいわゆる「マタギ」小説を好んで読むようになりましたが
あちらの舞台地もこの『開聞岳』と『池田湖』と
すっかり思い込んでいましたが、
今回の記事創作にあたり
あらためて正確性を期すために調べ直してみたら、
どうやらこことは違うようでした。
さて、『国道225号線』から南薩縦貫道を経て<知覧>で降りると、
『まもなく目的地周辺です。お疲れ様でした。』との
カーナビゲーションの声が出てまいりました。
『知覧特攻平和会館』の駐車場はそれなりに広かったです。
(『知覧特攻平和観音堂』手前の遅咲きの桜です。)
この後には『富屋食堂 ホタル館』と
すぐ隣の『知覧武家屋敷街』を少しばかり散策しました。
ちなみに『南九州市知覧観光協会』のサイトも
ご紹介しておきますね。
(こちらが『富屋食堂 ホタル館』です。)
(こちらは『知覧武家屋敷街』になります。)
さて、この資料館情報については
事前に前にもご紹介させて頂いた
大阪『ギャラリーよみうり~知覧特攻平和会館企画展 大阪会場~』で
<恋人への最後の手紙~穴澤利夫大尉と智恵子さんの記録>展を
観覧させて頂いた際に資料を頂いていましたから
すんなりと辿り着くことが叶いました。
これもたまたまの<シンクロニシティ>現象だったので
まさに「神様」のお導きだったのかもしれません。
ちなみにこの『ギャラリーよみうり』周辺には
かの大塩平八郎さんの墓所や堀川戎神社、
あの『曽根崎心中』の舞台で有名な
<縁結び>の露天神社もほど近い場所にあります。
その堀川戎神社をお詣りさせて頂いた際に頂いた
「神様」からの<言乃葉>をついでに
皆さんにお取り次ぎご紹介しておきましょう。
欲深き人の心と降る雪は
積もるにつれて道を失う(高橋泥舟)
『大阪府神社庁』
とこのように『知覧特攻平和会館』や
『特攻隊』や『戦争』関連書につきましては
幼少期の頃より
すでに大量に読み込んではきましたが、
やはり「神様」の前では
余計な推測を交えた感想や評釈を垂れるべきでもなく、
虚心坦懐に落ち着いて
「神様」のメッセージと向き合いたいために
それはそれで一旦「水に流して」脇に置くことにしておいて
素直な「心」で「覚悟を決めて」入館することにいたしました。
すでにご紹介させて頂いた上掲雑誌の対談者の方々も
それぞれにお感じになったご意見・ご感想もあったでしょうが
管理人には「理屈」が過ぎるような気配が
どうしてもしてしまうのでした。
別に対談者の方々のご意見・ご感想を
「否定」するわけではなく、
確かに戦後教育と戦前・戦中教育では
180度「価値観」も変わってしまいましたし、
人間「観」や世界「観」にも
どことなく違和感を覚える場面は
対談者同様に
正直管理人にも感受する場面はありました。
要するに『変な解説やナレーションを入れるなよ・・・』(大意)という
ことですね。
とはいえ、そのお怒りになるお気持ちは
管理人も共有いたしますが、
ここはもう少し頭を冷やして、
ナレーション氏に突っ込むのではなく
「神様」と直接向き合いましょうよ・・・。
と感受させられたのが管理人の偽らざる
対談を読み終えた後の率直な気持ちでした。
まぁ、現代人は「神様」と向き合うにも
理知的過ぎるようになってしまい
素直なメッセージの受け取り方が難しくなってきているのでしょう、
きっと。
現代教育は豊かだったはずの幼少時には
備わっていただろう「想像力」や「繊細な感受性」を
剥奪してしまいますからなぁ・・・。
それは例の偏向展示物で物議を醸した
愛知県の「似非」芸術企画展でもそうでしょう。
この企画展に対しても
管理人自身にも一家言あるのですが、
話題が逸れて今回の「本街道」からは外れてしまいますので
今回は省略させて頂くことにいたします。
この『知覧特攻平和会館』で感受した「心」をご披露させて頂いた後に、
「心」の汚れを取り除いた後に、
冷静な感情を回復させた後に
少しばかり触れさせて頂きましょう。
まず始めに言えることは
どのような資料展示物においても
その主催者や資料館によって
人間が関与する限りは
何らかの企画「意図」という汚れが
どうしても混じってしまうことです。
それとともに事前学習の弊害でもありますが、
どうしても余計な「先入観」や「予断」めいた
異物が混入してしまうことは致し方ありません。
とりあえず今は「芸術」論はひとまず置いておきましょう。
今回は「芸術」作品などではなく
まさしく「神様」が私たち後世に生きる者たちに
遺された神聖なる「遺品」であります。
ですから、単なる「鑑賞」作品でも
ましてや好奇な眼で眺められるような「弄び物」などではありません。
この違い感覚も戦後教育(なかんずく健全な宗教観が育まれることなき
<情緒不安定>平衡失調教育)だけを素直に信じて育ってしまいますと
ついぞ身に付くこともなく
素直な「心」でもって
このような「遺品」と向き合う姿勢が養われることもないからです。
管理人が「遺品」と向き合う時には
神社仏閣で「神様」や「仏様」に、
また、墓地で「ご先祖様」に向き合うような神妙な面持ちで
向き合うようにします。
すると、いわゆる「批評」めいた「雑感」など出てこずに
『ただただありがとうございます。
今ある私たちの日々の生活態度を申し訳なく思います。』の一言しか
出てこないはずなのです。
また「願い(小欲=俗次元)」をするのではなく、
「祈り(大欲=高度聖霊的次元)」に入っていき、
深い「禅定(黙想)状態」へと誘われていくはずなのです。
そうしていくと、
「神様」のお声が素直に入ってきます。
『俺たちも貴様らも生きている間には
何かと人間同士憎しみ合うことも愛憎半ばすることもあろうが、
時が経つにつれてやがて<恩讐の彼方へ>と落ち着かざるを得ないじゃろ・・・。』
『でないと、永遠の<地獄>じゃよ・・・。』と。
管理人には少なくともこのように一瞬聞こえたような気がしたのです。
今回の展示「遺品」の中でとりわけ
個人的に「魂」を引き寄せられたひときわ強烈な<言乃葉>に
『地獄の閻魔よ、待っておれ・・・』(大意)というのがありました。
メモに写してきませんでしたので
精確な<言乃葉>でもってお伝えすることが叶いませんが、
この強烈な「遺言」からは
ただ『平和は尊い』だとか
『平和でありさえすれば万事結構』だとかといった
通り一遍な表層的感性では捉えきれない
異常な精神状況を強いられた戦時下に暮らした方々が
真実、切実に後世の私たちにお伝えしようとされた
「魂」の<慟哭>の声が聞こえてきました。
「平和」といっても
その<状態>の中で
「では、貴様はいかに生きるんだい」と厳しく問い詰められていくような
激しい「気迫」を感受させられるからです。
『その「平和」とやらの状態での貴様らの過ごし方如何では
すぐにもその好運な時空環境はもろくも崩れ去るのだぞ』と
現在の私たちの生き方そのものに迫ってくるのです。
ここまで深く「神様」の御霊と素直に対話していくと
短絡的な思考次元で<戦争と平和>論を
語ってはいけないのだと「悟る」ことに至りましょう。
「神様」方はそこまでの「覚悟」と「気迫」でもって
『後に続く者あるを信ず』と念じられて
散華されて逝かれたことを
「平和」のうちに暮らすことが叶っている
私たちは片時も忘れてはならないのです。
ここまでの深い思考次元にまで下りていって
初めて「国防(安全保障)」や「国家存続」の重要性が見出されてくるのです。
なぜならば、「国防(安全保障)」も「国家存続」もなし得なくなれば
無事太平に私たちは「平和のうちに生存する権利」すら剥奪されてしまい
<社会福祉>ですら「絵に描いた餅」になってしまうからです。
想像力をもっと広げて下さい。
管理人も最終的には「人類」相互が高度な霊的次元にまで進化し遂げ、
相互不信感が解けた後にあるだろう軍備縮小(廃絶)や
極端に「自我」を抱え込んでしまった歪んだ「主権(絶対的至高権)」国家概念も
いつの日か解きほぐされることを望む者の1人ではあります。
とはいえ、その強烈なまでの「自我」意識を抱え込んだ
「主権」国家概念が徐々に軽減されていったとしても
それはある特定の支配層にとって
都合のいいようなよりどぎつい「一元的統合化原理」思想で
一色にまとめあげられればよいという代物ではないでしょう。
多種多様な「自我」を抱え込んだ強烈な「個性」的集団も
<他者危害>原則なくしては、
とうてい存続し得ることはありませんが、
そうした集団をまとめあげる「統制原理」も
そうした強圧論理に反発するさらなる圧政への抵抗から来る
無秩序化へと転移していかない次元での
「理性」的論理を知恵を振り絞って
皆で築き上げていかなくてはなりません。
あるいは現行の国際連合が
未だに過去の禍根を残したままの
「機能不全」状態に事実上陥ってしまっていることから
特定国家の「思惑(政策的意思)」に
自国の安全保障を依存せざるを得ないのが実情であります。
「有志連合」とはそのような代物であります。
最近のホルムズ海峡において話題になっている
国際法上認められている<航行自由の原則>を保全するにも
現実的には各国間での政治的力学関係次第で
すぐにも緊張感が高まり、
資源を他国に依存している日本のような国家においては
誠に「死活」問題となっているからです。
こうした現状の中で
今後いかにして国際間での安定的相互協力関係を
堅固に構築形成していくべきかが問われているわけです。
只今現在の国際関係とはこの段階に止まっているからです。
さて、再び「神様」の<言乃葉>に向き合いましょう。
こうした深い「禅定」感覚の下で
先の「神様」の強烈な<言乃葉>や
さらにより強烈な闘争心を抱え込んだまま
『必ず仇を討て』というような<言乃葉>を遺された方々の
本心もただただ低次の憎悪心のみだけで
そうした言葉にマイナスの「念」を込められたわけではないと感受するのです。
なぜならば、この強烈な文字通りの「怨念」を抱かれたままでは
「あの世」で苦しみ続けられるからであります。
そうした強烈な言葉も字義通り受け取るのではなく
さらなる行間に隠された「想い」を汲み取っていかなくてはなりません。
とはいえ、管理人も勝手な推測混じりの「雑感」が
お約束を果たせずにすでに入れ込んできてしまっていますが、
この言葉を管理人自身が素直に受け取るには
やはり「生死」が掛かっており、
さらに『特攻隊』という性格上、
「決死」である以上は、
自身の五体を引き裂かれることに対する
「不条理」や「無道」への強い憤りが
込められていることは当たり前の事理でしょう。
ですから、こうした言葉は逆から読み替えていくと、
我々が『仇を討つ』というような「想い(強い怨恨感情)」を
抱かなくてもよい世の中になるように
「貴様たち後世に生き残った者には
是非そのようにしてくれ・・・」との
強い「祈願」が練り込まれているものだと感受するのです。
それが先にお亡くなりになった方々への
最大の供養だと信じるからです。
この地点に立って、
「神様」と私たちが霊的次元での深い対話を交わす時、
歴史的「連続性」や世代(三世=過去・現在・未来)を超えた時空間に
おける「一体感覚」を取り戻すことが叶うのだと信じています。
『太平の世(永遠平和・平安)』の「種」は
こうした精神感覚を取り戻してこそ「宿る」のではないでしょうか?
ここに管理人は仏教哲理が説くところの
<怨親平等>観や
神道哲理が説くところの<水に流す>観が
要請されてくるのだと考えています。
人類の「良識」者が古来より
こうした宗教哲理や覚醒倫理観を導出してきたのも
この「理」にあったからだと思うのです。
『特攻隊』と言えば、
どんな言葉をまず皆さんは思い浮かべるでしょうか?
管理人などは楠公さんのお膝元近くの住民ですから
やはり『七生報国(七度生まれ変わっても朝敵を滅ぼさんと欲す)』が
真っ先に思い浮かんでくるのですが、
『太平記』を深く読み込んでいくと
この言葉ももともとは仏教哲理が深く滲み出たところに
原義があるそうですから、
この報国思想もあの弘法大師「空海」さんの
いわゆる「四恩」思想とともに
「小我」としてのいわゆる<煩悩>を滅したいとの念願が
同時に込められた言葉だと感受するのです。
ところがこの言葉を
こうした仏教哲理ではなくして
儒教哲理(大義名分論)で再定義し直すと
まったく意味が変わってくるようなのです。
それも「恐ろしい」ほどの決定的違いが出て来るのです。
楠木正成公とご舎弟の正季公が互いに最期の一念を
語り交わすこのあまりにも有名な『太平記』の一節ですが
古来から様々な解釈がなされており、
1つには定まらないようです。
しかしこの一節の解読こそが、
人類の今後のあり方までも左右してしまうほど
最重要な「暗号」的メッセージだと
管理人もここまで読み返してきて年々歳々強まってきています。
『人は<怨念(敵愾心)>だけで永遠に生き続けることが
果たして出来るのでしょうか?』
そんなことを会館を出てからも考え続けてきました。
たまたま現在読み進めている新書に次の1節があったことも
「まさに今の俺の心境にぴったりで我が意を得たり!!」と
激しく共鳴共感した言葉がありましたから
それをここで引用しておきますね。
『宮沢賢治は輪廻転生を信じていたという人は多い。
彼は両親への遺言のなかでも、
「今生で万分一もついにお返しできませんでした。
ご恩はきっと次の生、又その次の生でご報じいたしたいと
それのみを念願いたします。」と書き残している。
このように何回も生まれ変わって恩に報いるということは、
七度生まれ変わって国に尽くす「七生報国」といって、
前大戦中は特に強調されたことである。
思想やことばはそれを使う人の心によって
美しくもおぞましくもなるものである。』・・・と。
(『宗教詩人 宮沢賢治~大乗仏教にもとづく世界観~』
丹治昭義著、中公新書、1996年、53~54頁)
この新書も大阪『四天王寺』さんの
『古本市 通称:べんてんさん』で出会ったものでした。
後ほどふたたび触れることにいたしますが、
『知覧特攻平和観音像』は奈良の法隆寺の
<夢違観音像>を模刻したものだそうです。
聖徳太子様の想いも思えば『救世(ぐぜ)』にあったように
我が国で初めて深刻な「国際化」と「国粋化」の
激しい争いの<はざま>で深く苦しみを味わわれた
為政者でありました。
翻って現代日本および世界の為政者(各界指導者)に
これだけの崇高な感覚を宿して
日々の生活や仕事などに取り組んでおられる方は
どれほどおられるでしょうか?
それと『学徒兵』が数多く戦没されていることに
深い悲しみと憤りを感受してきました。
中には独自の「自由主義」理論によって
「敗戦論」まで説かれた上原少尉様のような方もおられました。
この遺書は確か管理人が訪れた
特攻隊員を最後までお世話され、
テレビ番組放送で一躍有名人となられた
あの鳥浜トメさんゆかりの
『富屋食堂 ホタル館』に展示されていたと
記憶いたします。
他にも朝鮮出身の光山少尉様のような方もおられました。
『学徒兵』による「遺書」はほんのわずかしか
この場ではご紹介出来ませんが、
この記事末尾にご参考文献を掲げておきますので
「心」ある読者様には是非ご一読願えれば幸いであります。
これだけの当時の日本最高峰の優秀な頭脳と精神力を
有しておられた方々を喪失させていったのが
「戦争」だったのです。
ここまでに至らせた政治「指導者」には重大責任がありますが、
いつの世も上層部こそ
一部の「心」ある方々を除いては
大切に「温存」されていくのですから
「人の世」とは無惨なものでしかありません。
現在ならば、
この「失われた○○年」を延々と築き上げてきて
この期に及んでもまだ経済を悪化させることに
恬として恥じない無責任者が
政財官界、マスコミ界に大勢いらっしゃいますし、
国民も含めて「長い物に巻かれろ」的な
日本型『事大主義』を決め込んでいる者が大勢おられるようです。
自分で責任をもって考え行動することの出来る
『独立』志向型日本人を育成していく継続的努力を
「心」ある日本人同士で取り組んでいきませんと
またあの「地獄」へと引きずられていくことになりましょう。
日本人にはどうも「外圧」に弱く、
本当のギリギリになってからでしか
立ち上がろうとしない弱点があります。
管理人は戦没者の「願い」と同様に
日本人と日本国家の本来的強靱性を強く信ずるがゆえに
日本人の「覚醒」と「奮起」を促す者であります。
この『学徒兵』に対する扱いに見られるように
「学問」を軽視し、
真の国力(供給能力)を見誤ったからこそ
多くの貴重な人「財」を消耗品扱いにしていったのです。
その点では「ただお金(予算)を創造すればよい!!」というものではなく、
それに見合った「供給能力」やそれを担保する
エネルギー資源などの生活物資が必要不可欠だということも
ご理解頂けましょう。
いみじくも現在上映中の映画『アルキメデスの大戦』も
ただ単に「美談」として視聴されるのではなく、
「学問」の使われる場面によっては
人間における「生死」の分岐点をも決定づけるのだということを
感じ取って頂きたいのです。
この映画では日本側の視点がもちろん中心ですが、
当時敵対していた米国側においても
『特攻機』を迎撃するために
<線型計画(オペレーションズ・サーチ)法(これは大砲の射程距離を
計測したりするために発明された射影幾何学の高度更新版だと
イメージ下さい。)>という
現代数学「理論」が開発されていたことも同時に
この機会ですから知っておいて頂きたいのです。
現代インターネットにもその時に開発されてきた
「暗(復)号」情報理論や
レーダー予報にも
こうした戦時下で活用されていた学問的知見が
現在の「民需」に転用されているわけです。
先の戦時生活体験者ではない管理人が
このように語るのも烏滸がましく
身の程知らずだということも重々承知しておりますが、
今傍らにこれから死地に向かう出撃前の
超緊張感の最中にあるにもかかわらず
私たちに向かってほほえみかけて下さっている
「神様」の満面の笑みと深夜に1人で向き合いながら
書き綴っていますので
どうしても涙があふれ出てきそうになり、
強い「荒霊」が管理人にも降りてきてしまうのです。
「荒霊」が「和魂」に移りゆくためにも・・・。
再度、「神様」と今を生きる皆様方に
感謝と懺悔の「誠」の意を表して
最後に「国際人道法」を創造するのに
超貧窮状態の中においても最期の日まで
多大なご尽力をされ生涯を全うされた
「国際赤十字社」とその精神を
後世に遺されたアンリ・デュナン氏の次の言葉を
引用させて頂き今月書評の閉幕の「辞」に代えさせて頂くことにします。
『私はこうしてわずかではあったが、暗い裏町で、
むしろ家畜の小屋を思わせるような住まいの中を支配する
不幸と悲惨を知った。われわれの真の敵は隣国ではなく、
飢え、寒さ、貧しさ、無知、迷信、先入観、ありきたりの生きざまで
あることを・・・・・・。
そして個人が如何に無力かということも・・・・・・。
この恐ろしい貧窮を克服するためには、
全人類が立ち向かわねばならないことを理解した。』
ですから、
『「平和は人道の必要条件であり十分条件ではない」という
考え方』をなされていたといいます。
(以上2引用箇所『赤十字とアンリ・デュナン~戦争と
ヒューマニティの相剋~』吹浦忠正著、中公新書、1991年、
26頁より)
ということで、本当の本当に最後の締めとなりますが、
日本国憲法第9条を「護憲」するにしても「改憲」するにせよ、
現代国際法と現代人類の「極北」にいる
最高知性が到達し得た地点を参照したうえで
議論とあらたな「改憲(するのであれば)」の指針となる草案を
練り上げていかなくてはならないということであります。
それと特に自称保守派論客の方にお願いしたいのですが、
ついつい忘れがちな重要論点なのですが、
この憲法第9条はいわゆる『国体護持』条項である
第1条とのバーター取引が背景にあったことをお忘れなきようにと
いうこと。
軽々しく第9条を取り扱うと、
「男系/女系」論問題以上に
先に第1条の「天皇」に象徴結集させた「国体」まで
吹っ飛んでしまう強い危機感と悪寒(予感)を覚えるからです。
この問題こそ大いに語り合うべきはずでしょうに、
現在の我が国論壇では
誠に希少価値になった良質な記事をご提供下さっている
上掲「保守」系雑誌ですらも
まだあまり深く触れられていない模様ですので
是非『表現者クライテリオン』編集部様には
こうした観点からの議論を期待致しております。
それと最近いわゆる憲法第9条第2項における
いわゆる「芦田修正条項」の真相や
「緊縮」財政条項が設定された財政法の制度趣旨や制定経緯に
ついても少しずつ「良識」ある国民の皆さんにも
知られるようになってきております。
「戦争」に懲りたために
国債発行を必要以上に恐縮し過ぎる発想も
「平時」においては足枷となり
むしろ「デフレ経済不況」をさらに悪化させ、
これこそ「戦争への道(いつか来た道!?)」へと
いつの間にか辿り着いてしまうことになります。
「デフレ不況」克服の道を
是が非でも「民需」主導型でつけていくためにも
こうした「緊縮」発想を転換していく議論を
喚起していかなくてはなりません。
現在の「平時」においては
「デフレ経済不況」こそが「有事」なのです。
このことを当局者には片時もお忘れなきよう願います。
これ以上、「若者」を「死地」へと追いやるような
「失政」を続けてはならないのです。
もうあまり時間の猶予も残されていません。
『特攻平和観音』様に「祈り」を託して
<悪夢>を<よい夢>へと転じますように・・・。
この観音様をお祀りされているお堂内には
奈良在住の仏師の方が奉納されていた仏像もございました。
このような「祈り」を込めた
<宗教芸術>作品こそが
ほんまもんの「芸術」であり「芸道」でありましょう。
今回はもうこれ以上触れたくありませんが、
あまりにも酷すぎるあの愛知県の展示作品でありました。
そもそも国際問題にも進展した例の
『慰安婦像』こそ某国の国民を
最大「侮辱」するものではありますまいか・・・。
「良識」ある日韓両国民なら
そう思わざるを得ないほど
首をかしげる「作品」とやらでありましょうよ。
なぜならば、双方の憎しみをより一層煽り立てるだけで
双方ともに深い嘆きをのみ残すだけでしょうから。
真面目に論評するまでもありませんから
もうこれ以上は語りません。
「法律(憲法)論」以前の非常識きわまりない
日韓両国民にとって大変失礼な展示物だと
「良識」ある人間が見れば
誰しもがそう感受するのではありますまいか?
しかも一部の展示作品は
故人を侮辱するような刑法犯すれすれの「物」だと
評価されますからね・・・。
「心」ある読者様になら
管理人のこの深く傷ついた「心」の内を
ご理解して頂けるものと信じて筆を擱くことにします。
いずれにしましても、
この東アジアに隣り合わせに住む者同士が
いつまでも喧嘩していてよいことなどあろうはずがありません。
真の友好関係を願うのみです。
『令和』の初夏には
このようにいろいろと考え、感じさせられる問題がありました。
「国際法」の理念と現実政治とのギャップを
どう知恵を使って
この難局時を無事乗り切っていくべきなのか?
『国際法秩序の攪乱要因の1つに東アジアにおいては
儒教的弊害(『儒禍』黄文雄著、光文社、2014年初版第1刷)も
大いに関係しているのかもしれない・・・』と。
<大義名分論>に由来する「面子(体面)」に拘りすぎる姿勢が
両国関係を「冷却化」させている(きた)のではないか・・・と。
我が国には『名を捨てて実を取る』という俚諺文化があるものの
かの国にもこのような知恵はあるのだろうか・・・などとも
考えたりもしていました。
何とか現在の両国間の苦しい関係を「打開」出来ないものか
管理人も「心」ある人間の1人として真剣に悩み憂慮します。
なぜならば、先に触れさせて頂きましたように
先の大戦では<内鮮一体原則>により
朝鮮半島出身者の方々も従軍して
ともに我が国と闘って下さっていたからですね。
その「御霊」を汚すような振る舞いを
両国は決してすべきではないものと信ずるからです。
また、産経新聞(令和元<2019>年8月11日(日))の
社会欄21面に掲載されていた
<戦後74年 記憶をつむぐ>特集の
いらっしゃる京都府ご在住の加藤昇さんの
「語り部」としての体験談には
特に感慨深いものがありました。
なぜならば、個人的なことで恐縮ですが、
管理人の母校を繰り上げ卒業されて
「戦場」へとおもむかれたからです。
戦争体験者にも様々な思い入れがありますでしょうから
一概にこれが決定的な「真実」だと
軽々しく「断定」するようなことは許されないでしょうし、
「証言」の信憑性と言っても、
もはや『死人に口なし』ですから、
その現場に居合わせた者同士でしか
心底「わからない」事情もあったと思われます。
現在、世に流布している戦争体験談も
時間が経つにつれて「伝聞推定」にどうしても
なっていくことは否めません。
実際の司法裁判における「事実認定」作業も
難しいからこそどこかに<時的限界>を設けているわけですし、
後から事後改変出来ないような法的ルールを
過去の先人たちは創造し積み重ねてこられたわけです。
『完全かつ不可逆的解決』の知恵もここに存します。
なぜならば、人間の「記憶」とは
どうやら頼りなく、悲しいですが
自分に都合がよい方向へと
どうも「改竄」されていく機能があるらしいからです。
あまりにも凄惨な「記憶」があると
それを忘却するための生命維持制御機能が
どうやら発動するらしいのです。
歴史の「風化」は避けられない人間的な生理現象なのかもしれませんが、
歴史を語り継ぐということがいかに困難を伴う作業なのかということも
あらためて身に染みて感受させられました。
管理人の今は亡き父方の祖母も
戦前・戦中は軍関連の施設内で理髪業の修業や実務をこなしてきた
体験者だったのですが、
よくその時節の悲哀感を語り聞かされたものでした。
祖母が勤務体験ある
旧伊丹飛行場(中部軍第11飛行師団飛行第56戦隊)においては
直接「特攻隊」が編成されることがなかったようですが、
この飛行場も何らかの形では
「特攻隊」に志願された方々が途中休憩(給油)したり
<中継地点>ではあったのかもしれません。
詳細はわかりませんが、そんなわけで
「特攻」、「一般」戦没者の髪の手入れをされていた時の
祖母の「心」を想像すると
この時代には兵隊さん、「銃後を守る」一般民間人とを問わずに
本当に「必死」な想いで「御国」に協力されていたのです。
今も昔も「国策」に対する批評はなんぼでも出来ましょうが、
「その時その場面」の<生死を決する真剣勝負>の「はざま」では
みな一様に悩みながらも懸命に生き抜いてこられたということは
絶対に忘れ去ってはならないのです。
ということで今回は「神様」から授かったご伝言を
畏れ多くも管理人自身がところどころで
自分なりに感受し考えさせられた「実感」も語ってしまいましたが、
「いのち(御霊)」と向き合う姿勢においては
どこまでも誠実かつ謙虚なものが望まれるということです。
管理人も自他ともの「いのち」を疎かにせず、
みなが「平時」において微笑みながら
幸福に満ち溢れた社会を再建できるように
今後とも微力ながら尽くしていく所存です。
それが「生き残った(生かされた)」者の
先人から託された厳しい任務だと確信しているからです。
『「批評」にも情愛感覚がなければ、
いともたやすく平衡感覚を喪失してしまう』ということを
あらためて「神様」から教えられました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
<九州旅行風景写真一覧>
(名勝『仙巌園』の風景です。
ここから眺める桜島のある錦江湾こそが
薩英戦争の舞台ともなった場所で
様々な国際関係の軋轢が生じたところから
近代日本の歩みが少しずつ始まります。
とはいえ、まさに『賠償金問題』こそが『不平等条約』改正時に足枷となり
いわゆる<攘夷>の代償が高く付きまとい
やがては未曾有の大戦乱を招き寄せることにもなったのでした。
前にも語らせて頂きましたが、
国際交流における最大の障壁は
やはり文化風習や言葉の違いが大きく横たわっています。
現在の日韓関係でも揉める原因となっているのが
この『賠償金問題』とともに相互不理解にあるという点では
あまり過去の歴史的教訓から学べていないようです。
国際法理解と外交交渉の難しさを知る上で
特に<攘夷>から<開国>へと絶え間なく揺れ動き続ける中で
双方の時の政府が国民に徹底した説明をしたうえで
あらたな門出へと出発する方針を採用することが叶わなければ
後々にまで禍根を残すということを知る資料として
当記事末尾に<ご参考文献>として⑬~⑮をご紹介しておきます。
坂本龍馬や榎本武揚などは『万国公法』のいち早い受容とともに
理解を求めていたのでしたが、
結局最終的な<開国和親>と<万国公法>遵守の
公的布告が大幅に遅れたことが
『神戸事件』や『堺事件』などの悲劇、惨劇をもたらしたのでした。
特に政権交代時における路線転換が
一般国民に周知されず政治権力者同士の党派的争いだけが
先行していくとその陰で犠牲になるのは
一般国民でしかありません。
そのうえで時の為政者が責任を取ることもないのです。
こうした諍いの根本原因を絶つにも『儒禍』と縁を切る必要がありそうです。
日本も韓国も影響力の多寡こそ異なりますが、
「(特殊)儒教」における洗礼を受けてきた国同士、
近代国家に移行するには多大な難関が待ち構えていたことを
よく理解したうえで、現代国際法秩序といっても
これまた「特殊」西洋文明思想が色濃く反映されたルールを伴った代物では
あります。
しかしながら、
そうした問題点はありながらも
きちんと国際「世論」に示し合わせたうえで、
あらたな全地球規模で共有し得る
より信頼可能な国際法秩序を構築形成する継続的努力を
この機会に双方が力を合わせて行っていくべき時期だということを
認識しなくてはなりません。
崩れかけた<未来志向>を過去の歴史的教訓とともに
今からでも遅くありませんので相互に学びつつ、
あらたな力強い第一歩を踏み出していくことを願ってやみません。)
(『阿蘇』の眺めです。この『阿蘇』もそうですが、
今回訪れた『霧島温泉郷』周辺域を車で流していただけでも
窓を閉め切っていた状態ですら
強烈な<硫黄臭>が車内に流れ込んできました。
それほど九州地方は<火山国>だということも初めて実感させられました。
やはり直接「現地」を訪れて実情見聞してみないと
部外者(被害対象地域外の人間)には肌身で実感が持てないものです。
人間にとって「身体感覚」の伴わない「批評論考」には
魂も宿らずに説得力に欠けることも感じ入りました。
今回の行く先々の旅程では反省させられることが
しきりにありました。
未だに熊本大震災の復興も進んでいない山奥や山裾などに点在する
過疎の集落もあるといいます。
東北大震災ですらすでに「風化」する流れに入りつつある最中、
なおのこと、この熊本大震災を始めとする日本国内において
発生した罹災地域の現状報告もほとんどなされず、
活かされることも少ないこの現実・・・。
『平和ボケ』とはかくも恐ろしい生理現象です。
マスコミとは、大きなニュース(『原発』問題など政治的に
センシティブな内容が絡む領域へと極度に偏向させた災害報道傾向が
あるようですね・・・。)にしか報道を特化集中させずに、
熊本などを始めとするあまり大きなニュースへと発展させにくい
地域の被災現状にはまったく視野が行き届かないという
深刻な実情もよく理解される旅でもありました。
人間は「旅」から学べることがたくさんあります。
日常生活では「盲点」となってしまっている領域に
視野を広げる知的訓練も「旅」の醍醐味ですね。
皆さんも「旅」を単なる物見遊山の<娯楽遊興>で
貴重な人生の時間を浪費されることなく、
その後の日常生活に戻った後にも役立つような
知「見」や知「恵」を汲み取っていただけるような
学びの「場」にされることをおすすめいたします。
あらためて1日もの早い「完全」復興がなされますこととともに
罹災者の皆様にはお見舞い申し上げます。
そしてお亡くなりになられた方々へのご冥福をお祈り申し上げます。
『瞑目合掌』)
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≪ご参考文献≫
本文中にてご紹介させて頂いた書物以外に
①『陸軍特別攻撃隊の真実 只一筋に征く
~愛するものを護るため、大空に飛び立った若者たち~』
(苗村七郎氏監修、株式会社ザメディアジョン、2018年第8刷)
②『いざさらば我はみくにの山桜~「学徒出陣50周年」特別展の記録~』
(展転社、平成8年第4刷)
③『日本人の味~荘八ざっくばらん~』
(山岡荘八著、太平出版株式会社、昭和44年)
④『人生に迷ったら知覧に行け~流されずに生きる勇気と覚悟~』
(永松茂久著、きずな出版、2014年第1刷)
⑤『ほんとうの憲法~戦後日本憲法学批判~』
(篠田英朗著、ちくま新書、2017年第4刷)
⑥『憲法学の病』
(同上、新潮新書、2019年7月20日発刊分)
⑦『「反戦・脱原発リベラル」はなぜ敗北するのか』
(浅羽通明著、ちくま新書、2016年第1刷)
⑧『100分de名著 ロジェ・カイヨワ 戦争論』
(西谷修著、NHK出版、2019年8月)
⑨『人と思想 ロマン=ロラン』
(村上嘉隆・村上益子共著、清水書院、2015年新装版第1刷)
⑩『できる大人はこう考える』
(高瀬淳一著、ちくま新書、2008年第1刷)
⑪『知的複眼思考法~誰もが持っている創造力のスイッチ~』
(苅谷剛彦著、講談社+α文庫、2004年第3刷)
⑫『京大的アホがなぜ必要か~カオスな世界の生存戦略~』
(酒井敏著、集英社新書、2019年第1刷)
⑬『堺港攘夷始末』
(大岡昇平著、中公文庫、1992年)
⑭『神戸事件~明治外交の出発点~』
(内山正熊著、中公新書、昭和58年)
⑮『非命の譜~神戸・堺浦両事件顛末~』
(日向康著、毎日新聞社、昭和60年)
⑯『憲法第9条 大東亜戦争の遺産
~元特攻隊員が託した戦後日本への願い~』
(上山春平著、明月堂書店、2013年)
⑰『仏教徒 坂本龍馬』
(長松清潤著、講談社、2012年第1刷)
⑱『榎本武揚から世界史が見える』
(臼井隆一郎著、PHP新書、2005年第1版第1刷)
⑲『敗者の戦後』
(入江隆則著、徳間文庫教養シリーズ、1998年)
どれもこれも優れた視点を提供してくれる好著です。
以上を掲げておきますね。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
最後までお読み頂きましてありがとうございました。