スティーヴンスンの「ジーキル博士とハイド氏」を読んで「影との向き合い方」を考える!!

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イギリスの児童文学作家

「ロバート・ルイス・スティーヴンスン」

今回ご紹介する作品は、「ジーキル博士とハイド氏」です。

彼は、終生「少年の心」を忘れず「人間の心の影(闇)」

と真正面から向き合い優れた作品で世に問いかけてきました。

私たちは、世の中が用意した「分かりやすさ=二元的対立思考」

によって「自分の心の複雑な内面」から目をそらせようとします。

その結果、どのような顛末が訪れるのか?

「ジーキル博士とハイド氏」(ロバート・ルイス・スティーヴンスン著、海保眞夫訳、岩波少年文庫、2002年)

ロバート・ルイス・スティーヴンスン(以下、著者)は、

イギリスの絶頂期であるヴィクトリア朝時代に活躍した作家です。

日本では、幕末から明治後期にあたります。

代表作は、「宝島」

そして、今回ご紹介する「ジーキル博士とハイド氏」など

「児童文学」や「冒険小説」を書き残しています。

弁護士資格を取得するも、生来病弱だったため開業はせずに

「小説家」としての道を歩みました。

転地療法を繰り返しつつ、旅を続けながら最後は「サモア」にて

短い生涯を遂げました。

44歳でした。

「サモア」といえば、当ブログでも取り上げました「パパラギ」の

舞台でもあります。

最期まで、「少年の心」を忘れず「島」の人々の相談などに乗りながら

晩年を過ごしたといいます。

そんな著者は、人間の心の内面の複雑さを問い続けてきました。

現在、世界にあらためて「暗い影」が忍び寄りつつありますが、

このような悩ましい時期だからこそ、再度「人間の心の影(闇)」に

ついて考えていきたいと思います。

そこで、現代心理学の「原点」ともいえる

この本を取り上げさせて頂きました。

誰にでも「複雑な人格」は存在する!!

まず、簡単なあらすじをご紹介しておきます。

弁護士アタスンは、二重人格を持った「ジーキル博士兼ハイド氏」から

遺言状の作成と管理を託されています。

内容は、

①「ジーキルが死亡した場合、財産のすべてを友人であり恩人

でもあるハイドにゆずること」

②「ジーキルが3ヶ月以上も行方不明ないし予告なしに不在と

なった場合にも、ハイドがただちにジーキルの財産を相続すること」

③「その際には、ジーキルの召使いたちに贈る多少の財産を除き、

ハイドは一切の支払い義務を持たないこと」

ということになっています。

ここで、弁護士の「勘」としておかしな点に気付きます。

特に、①と③は明らかに矛盾します。

財産を贈与される側の人間が、なぜ「支払い義務」などという

利益相反する内容を残したのか???

さらに、「ハイド氏の正体」が名前以外ほとんど不明なこと。

しかも、相続人である「ハイド氏」が急に姿を現したことも

不信感に拍車をかけました。

ここから、弁護士の推理が始まっていきます。

ある日、カルー殺人事件が起きます。

そのことで、ジーキルに尋問していくのですが、

挙動不審な点や、ジーキルの残した手紙にも

疑問が湧いていきます。

そして、推理を重ねていくうちにジーキルとハイドは

「二重人格者」であることが、「ジーキルの告白」により

最後には判明していきます。

「告白」によると、ジーキル=ハイドは自らの抑圧された

心理願望に耐えかねて「ジーキル博士(純粋な善人格=表の顔)と

ハイド氏(純粋な悪人格=裏(影)の顔)」を分離しようと、

薬物を使って自らを実験台にします。

そうしているうちに、「人格」がおかしくなっていきます。

ついには、自らの「仮面」を取り繕うことが出来なくなり

死んでしまう結果に成り果てました。

簡略してまとめると、おおよそこんな感じのストーリーです。

問題は、「ジーキル博士の告白」です。

著者は、この「告白内容」を提示することで、

私たちに人格についての問題提起をされたことです。

「人間誰しも内面に複雑な心理を抱え込んでいる」

「いかに複雑な心理とバランスよく付き合っていくのか?」

ここに、著者自身の問題意識があったようです。

「影」といかに向き合っていくべきか?

人間は、「自分の良い部分」しか見たくない生き物なのかもしれません。

「影」の部分には、出来れば「目をそむけて封印しておきたい」

そうした願望が働くようです。

しかし、この抑圧された心理を隠し通して「純粋な善人」として

生きていくのには、どうしても無理が生じます。

人間は、「善悪二元論」で区別出来るほど単純な存在ではありません。

むしろ、人間誰しも「二重人格、いや多重人格」者として認識していた方が

無理がないようです。

もっとも、うまく人格をコントロール出来なければ統合失調症などの

症状で苦しむことになりますが・・・

この小説が、評判になった19世紀後半のイギリスは「ビクトリア朝」

という絶頂期の狭間にありながら、異様に「保守的(厳格な社会)」

だったとされています。

そうしたことから、偽善傾向が進み人々は「悪(影)の部分」について

心理的抑圧状態に置かれていたようです。

そうした時代の風潮に対して一石を投じたところにも、

この小説の独自性が伺われます。

後に20世紀になり、フロイトユングなどが「心理学」を開拓していく

ことになるのですが、この時代には「人間の複雑な人格」については

未知の領域でした。

そうした意味でも、この小説には先駆性・斬新性があります。

現代心理学でも、まだまだ人間そのものについて未知の領域は

たくさんありますが、総じて人間心理における「影(無意識)」の

部分との接し方が最重要の課題とされているようです。

特に、ユングは「影と投影理論」を提出しています。

人間の暗い内面をいかにコントロールすべきか?

その「影」を各人が自らの力でコントロールせずに

社会に投影してしまうことにより、この小説の結末や現代社会の

様々な「不協和」につながっていくことを防ぐには、

どうすればよいのか?

私たち人類に課せられた難問は、厳しく一人一人に迫ってきます。

「単純な答えは、得られないかもしれません」

そうしたことを覚悟しながらも、いかに自らの「内面の複雑な心理」と

向き合っていくのか?

これが、私たちに残された「宿題」であります。

最後までお読み頂きありがとうございました。

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