宮脇修さんの海洋堂物語「創るモノは夜空にきらめく星の数ほど無限にある」自信喪失からの再起に向けて!!

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「創るモノは夜空にきらめく星の数ほど無限にある」

元海洋堂社長の宮脇修さんが、どん底から立ち上がって

現在の海洋堂にまで発展させていく成長過程の記録を

残されています。

今をときめく「オタク文化の伝道企業」海洋堂も、

創立のきっかけは奇想天外の発想からだったようです。

それは同時に、宮脇修さんの壮絶な人生体験とともに

ありました。

今回は、この本をご紹介します。

「創るモノは夜空にきらめく星の数ほど無限にある~海洋堂物語~」(宮脇修著、講談社、2003年)

宮脇修さん(以下、著者)は、元海洋堂社長であり、

現在は郷里の高知県四万十にて、海洋堂ホビー館館長の

お仕事をなされています。

現在の海洋堂社長は、前にも当ブログにてご紹介させて

頂いたご子息の宮脇修一さんです。

親子2代にわたって、「オタク文化」を継承されてこられました。

さて、現在は「オタク文化の伝道企業」として「オタク」を始めとする

数多くの人々に、その「オタク商品」が愛されています。

もっとも、すでに「オタク」という言葉は死語になりつつありますが・・・

「オタク」=「高度に洗練された道楽人」でしょうか?

いずれにせよ、海洋堂のオタク向け商品が、一般向けにも

爆発的ヒット商品として迎え入れられ、今ではその「オタク文化」への

偏見も和らいできたようです。

ところで、そんな海洋堂ですが、創立は「奇想天外な発想」によって、

決定されたといいます。

著者は、36歳までは、「不定職」だったといいます。

高知県に生まれ育ち、15歳には、当時の日本の国策によって

旧満州国(中国東北部、現在の北朝鮮周辺の広範囲の領域に跨って存在

していた国家)に創設されていた南満州鉄道株式会社での勤務を皮切りに、

終戦を迎え、戦後の大混乱期には30数種類もの職を転々とされながら、

不安定な時期に、家族とともにしのいでこられました。

そして、36歳の頃に、ご子息の小学校入学とともに「不定職」から

身を洗おうと「定職」を求めて求職活動に入りますが、どこも不採用で

「就職活動」自体を断念されます。

そこから現在に至るまでの「海洋堂物語」は、後ほど本文にて触れますが、

海洋堂創業のきっかけは、「奇想天外な発想」でした。

戦後の高度経済成長期に入っていく日本経済でしたが、著者自らは、

その恩恵からは外れて、「どん底」から孤高の険しい道のりを歩んでいかれます。

そこには、どんなドラマが待ち受けていたのでしょうか?

著者は、根が真面目で楽観的な性格であるとともに、神経質なところも

あったそうです。

それでも、何度か人生に危機が訪れています。

一時は、「生死」にも関わる壮烈な体験もされておられます。

現在の日本経済も先行きが不透明で、日々の生計を維持していくだけでも、

精一杯の方々が大多数だと思われます。

そのような時期に、「好きを仕事に!!」という標語ほど、苦しさを増す

言葉もありません。

それでも、著者のように「不定職」経験が多い方にとって、

「パンのためにする仕事」であれ、自らにとって不本意な仕事を続けるほど

苦しいことはありません。

1回限りの人生、一か八か先行きは不透明ですが、仕事を長続きさせ、

自他共に喜んでもらえる仕事に生涯を賭けたいという想いは、人間誰しも

一度は持たれたことがあるでしょう。

今この時も、明日どうしようか悩んでおられる方も多いでしょう。

そのように、日々悶々と過ごす中で「どん底」から這い上がっていくために

ヒントを探っておられるかと思います。

また、そこまで極端ではないにせよ、日々の仕事における意欲が今ひとつ

湧いてこないために、鬱々とされておられる方も数多くおられるでしょう。

そこで、現状がどうであれ、今の「どん底」から再起動に乗せたいと強く願う

方々とともに、著者から「どん底から這い上がるヒント」を学ぼうと、

この本を取り上げさせて頂きました。

強く再生を願い続ける限り失敗という文字はなし!!

著者の人生は、まるでスペインの作家セルバンテス

名作『ドン・キホーテ』のようだと語っておられます。

「一人孤高の道を、風車(世間の荒波)に向かって挑戦するドン・キホーテ」

小説の世界では、どのようにでも描くことが出来ますが、実際にこのような

「世間とは真逆の生き方」をしていくには、余程の覚悟と忍耐が必要です。

著者は、冒頭でも語りましたが、海洋堂を創業されるまでにも、数々の苦難を

経験されてこられました。

そうした中で、自らに生きる勇気を与えてきた趣味があったといいます。

それが、書物でした。

海洋堂創業前には、一時期小説を創作し始めるために、文学書などを

収集され、生計を立てていくために、それを元手に「貸本屋」を

されていたといいます。

ここで書いていて、ふと思い出したのですが、この「貸本屋」で

生きながらえた有名人がいます。

今回の「オタク文化」との関連も多少ありますが、前にも当ブログ

ご紹介させて頂いた「妖怪の大家」水木しげる先生です。

それはともかく、何が人生に役立つか分かりません。

著者によると、結果としてこの「貸本屋」は高度経済成長と相まって、

借り手が減少し続け、わずか1年ほどで店仕舞されることになります。

しかし、著者には読書経験から得た「叡智とイメージ」の「蓄え」が

あります。

それがあったからこそ、現在の「海洋堂文化」が、数々の苦難をも

乗り越え成長し、現在の独特の「経営哲学」として残されました。

創業のきっかけは、「奇想天外な発想」だったそうです。

天井に木刀をぶら下げ、下に「東西南北」の字を新聞紙に描き、

「手打ちうどん屋」か「プラモ屋」のどちらかまでは決めていたのでしたが、

最後まで、どちらに人生を賭けるか決めかねていたのです。

「東西方向へ倒れたら手打ちうどん屋、南北方向へ倒れたらプラモ屋」と・・・

意外に、多くの経営者の自伝にもあるように、このような決定権を

「天に任せる」ことから創業された方も多いようです。

結果は、「プラモ屋(模型屋)」に決まりました。

とはいえ、余程の幸運にでも遭遇しない限り、資金や人脈面で苦労するのは

目に見えています。

「プラモ屋」に決めたのはよいとして、まったくその手の商売には

ずぶの素人だったようです。

そこで、実際に開店する前に、「プラモ」の問屋に調査に出かけ、

親身になって相談して頂ける良縁に恵まれます。

もう一つの難問が、「客集め」でした。

が、ここが著者の優れたカンです。

子ども相手の商売なのだから、「子どもを味方につける」という

方法をひらめかれました。

近所でも評判の子どもの助力を得て、勇気百倍。

同じ小学生のご子息との縁もうまくかみ合い、開店早々から

子どもたちの行列が出来、売り上げも順調良く伸びたそうです。

前職には、看板屋や貸本屋などの経験もあったことから、

人の興味関心を惹きつけるような「標語」を考えついたり、

小説を書くほどですから、イメージ力も豊かでした。

「ただのプラモ屋では、長続きしない。」

ということから、様々なアイディアと工夫を練り、他の同業者には

簡単にはマネ出来ないような企画を実行に移していきます。

1960年代は、高度経済成長期でもあり、良き人間関係などにも

恵まれ「うなぎ登りで」したが、

人生はそうそう「いいことずくめ」が長く続くほど甘くはありません。

1970年代になると、何度か大きな危機に見舞われます。

現在の海洋堂社長であるご子息も中学卒業と同時に「経営修業」を

自ら決断されます。

当時は、今もですが、大半の人間が当然のように「進学」の道を選択していく

中で、ご子息は自らの考えで人生の道を早期決断されました。

著者も覚悟はしていたようですが、親子ともどもの強い絆と信頼関係が

あったからこそ、固い決意も維持出来たようです。

著者は、息子の中学卒業とともに、自転車で、自らの故郷でもある四国を

自転車で息子とともに、「お遍路」に出かけます。

このエピソードなども、新たな人生の門出ということで、

管理人にとっても印象の強く残った箇所でした。

管理人もすでに小豆島でのお遍路経験を済ませていますので、

それまでの人生街道を一度「棚卸し」して、「けじめ」をつけるという点では、

「お遍路」が最適なのかもしれません。

ところで、著者はお遍路から帰宅後、しばらくして、突然の原因不明の病に

倒れます。

8ヶ月ほど、神経が冒され、平衡感覚を喪失されていたそうです。

プラモ屋として、仕事場での製作過程で、どうしてもシンナーなどを

使用することから、それが原因ではないかと疑うのですが、真相は不明の

ようです。

そのような生死の危機にも遭遇し、一時は生きる自信も喪失していた

いいます。

やがて、病状も回復し、再起出来る時期が到来します。

欧米では人気がありながらも、日本では高価格のため、

あまり市場に浸透しておらず、大半の同業者も販売促進に消極的であった

「舶来キット」の商いに挑戦されます。

ここで、ただ単に売ろうとしても、うまく軌道に乗せるまでには時間が

かかります。

ということで、「全国キャラバン」をしながら地道なPR活動に努めます。

とはいえ、情熱の維持も大切です。

そこで、著者は、これも本の効用なのか、親しんできたシュリーマン

『古代への情熱』に触発され、「プラモ屋」という「ホビー(趣味)の商い」を

長く意欲的に続けていくためには、博物学的な勉強も積極的に積み重ねていかれます。

そのこともあり、後年「日本一の奇抜な独立系博物学者」である

前にもご紹介させて頂いた荒俣宏さんとの深いご縁にもつながっていったようです。

ここで、ご両人の縁の話が出たついでにですが、ちょっとした仕事の工夫に関して

触れておきます。

「なかなか仕事の良きアイディア(発想)が、思い浮かばない」

「どうしたらいいものか・・・」というように、悩まれている方も

多くおられるでしょう。

実は、そんなに難しくもないようです。

もっとも、普段からの「知的好奇心の積み重ね」は必要ですが・・・

「複数の知識の組み合わせ(連想ゲーム)を楽しむこと」です。

その意味でも、能動的な読書が欠かせません。

「読書はリスクも低くて、高リターン」の得られる最高に効率の良い

投資です。

「お金の使い方」としては、これほど「生きた使い方」もありません。

「大不況の時こそ、本を読もう!!」(橋本治)と主張される方もいます。

こうした日頃からの「知的発想法の溜め」こそが、いざという時に

身を助けてくれます。

ですから、何事も「偶然」は少ないですし、「すぐに役立つ」などという

「即効性もない!!」のですから、是非どしどし興味関心の幅を読書を

通じて拡げていって頂ければ、新たな仕事のチャンスに恵まれるかも

しれません。

さて、「全国キャラバン」を半分ほど終えて、報告記をまとめた後、

少し虚脱状態に陥っていた際に、これも偶然の巡り合わせなのか、

新聞で、京都美術館で当時開催されていた彫刻家「平櫛田中展」に

出会います。

同じ創作者として触発されたものがあったのか、すぐに美術館に

おもむくという行動力が素晴らしいです。

あらためて、再生の決意を胸に誓います。

「いま やらねば いつできる わしが やらねば たれがやる」

「70、80は、はなたれ小僧」だと・・・

この言葉は、仏像彫刻も趣味とし、文筆業という創作活動を仕事にも

している管理人にとっても、「座右の銘」であります。

108歳まで生きられたというだけあって、管理人も苦しいですが、

希望を持ちながら、長生きして少しでもたくさんの良き仕事を

残していきたいと願っています。

ところで、著者はその後も様々な危機に遭遇したり、仲間との

出会いや別れを数多く体験されていかれますが、その時々の

時代の流れをうまく読みながら、海洋堂を発展させていきます。

「何がヒットするかは、やってみなけりゃ分からぬ。」

試行錯誤しながら、市場の見極めをしていく方法しかないからです。

このように、市場の動向をしっかりと観察しながらも、最後は

自らの感性や理念が重要になってきます。

つまり、「経営判断は、自分しか出来ない!!」ということです。

ここから、「経営判断や自らすべき仕事は安易に外注出来ない!!」と

いう教訓も導くことが出来ます。

海洋堂も様々な苦難に遭遇しながらも、協力者との連携プレーはあったと

しても、安易な仕事の外注だけは、毅然と拒否してこられたようです。

だからこそ、自らの経営理念や仕事哲学を明確に語れる訳ですし、

責任を持ってお客様への対応をしてこられたに相違ありません。

著者も、ご子息の教育から現代経済(企業)のあり方に至るまで、

幅広い角度から「一家言」もあるようですが、地道に努力と工夫、

人との出会いなどを大切にされてこられたからこそ、魅力もあり

多くの方々に愛されているのだと思います。

ですから、皆さんも今現状どんなに厳しくつらい境遇にあるとしても、

最後まで希望と努力を捨てないで頂きたいのです。

管理人も、単純な「夢物語」を安易にお薦めすることは責任上出来ませんが、

「諦めない限り、失敗という言葉などない!!」のだと深く信じています。

オタクの「意外性」こそ、あなたの窮状を救うかも・・・

さて、「個性とは何でしょうか?」

いきなり、「意外な問い」ではありますが、

それは、自ら「発掘」するものでもあり、他人に「発見」されるもの

でもあるようです。

ですから、「個性が大切」と言われても、まずは、自らの人生で

何にもっとも興味関心があるのかを「発掘」することから始まります。

その井戸を深く掘り下げていくことにより、ようやく自らの個性の

「源泉」にたどり着けるのですから。

また、「個性(才能)」の難しく厄介な点は、自分だけでも頼りないという

ところにあるようです

日々の努力は、もちろん大切で「自分磨き」は欠かせませんが、

時には、他人の意見に耳を傾ける勇気も必要です。

商売が難しいのも、「自己満足」だけでは長続きしないからです。

モチベーション(創作意欲)を維持するのも大変だからです。

「稼ぐ力」が、今至るところで力説されていますが、

実際に自ら事業を興し、身をもって経験してみないことには、

いつまでも実感も伴わず、貴重な時間だけが過ぎていきます。

著者も最初は「一坪」から創業されたといいます。

そして、創意工夫を地道に積み重ね、人との出会いや「自己よりも

他者をまず優先」させてきたことが、逆説的に大変重要なところですが、

結果として「早道」だったようです。

著者の人生も、海洋堂自体も紆余曲折だったようですが、

やはり究極的な「商売の極意」とは、「急がば回れ」という点にあるようです。

そのあたりが、お菓子の食玩ブームで、一躍海洋堂の名を全国知名度にまで

高めた「チョコエッグ」の「開発秘話(裏話)」にも、うかがえます。

この同じ大阪を代表する有名な製菓企業ですが、こうした「裏事情」を

読んでいると、「経営トラブルは、まず身内から生じる」との教訓も

得られます。

著者も、自らの経営経験から「人間関係の難しさ」にも触れられています。

「大きいことはよいことだ」と題したメッセージも紹介されていますが、

それも細心の注意を払えばこそです。

企業が大きくなり繁栄すればするほど、油断や隙も生まれます。

その「盲点・弱点」に狙い目をつけている輩も少なくないようです。

著者も、体験されてこられたように、実際に海洋堂も「乗っ取り未遂」に

遭遇されたようです。

それでも、目先の利欲に目が曇らされることなく、わが身と企業共同体を

守りきることが出来たのは、著者自身の「仕事哲学」が明確で確固とした

ものだったからでした。

「仕事は誰のために存在するのか?」

「企業目的は、何であるのか?」

このような「原点思考」を確実なものとしていくことが、危機を乗り越える

秘訣でもあります。

「人間は、誠に弱い存在であり、欲深い生き物」でもあります。

こうした悲劇をたびたび繰り返さないために、著者は「初心」の大切さ

語っておられます。

『(前略)創ったモノが売れるなどとは考えもしないで、一生懸命モノづくり

していた、純粋でひたすらな時こそが初心であろう。”初心にかえれ”はモノづくり

する者だけではなく、世の中のすべてのことに当てはまるのではなかろうか。

わたしを含めて、すべての人々が初心にかえれば、ワンフェスだけではなく、

日本の社会全体が変わるのでは・・・・・・。』

(本書387頁<初心にかえれ!!>より一部引用)

零細創作者の管理人としても、非常に胸に響く言葉です。

「創作には、多様な形態があり、何がヒットするかは、最後まで謎!!」です。

著者も強調されてこられたように、最後は「自分の良心との勝負」のようです。

『創るモノは夜空にきらめく星の数ほど無限にある』

本書のタイトルですが、実際に手を動かしながら「創作仕事」をしていると、

次々にアイディアが浮かんでくるようです。

確かに、誰しもどんな「好きな仕事」でも、常に「日々好日」とは限りません。

正直しんどくて、休みたい時もあります。

そんな時は、無理せずに休養を充分に取ることも大切です。

特に、「体が資本」の零細事業者にとっては・・・

そんな気弱になりそうな時でも、長続きさせるコツとは?

それが、本書には満載です。

著者も、「頭と心と手が大切!!」

中でも、創作者にとっては、「心と手が重要!!」のようです。

皆さんにも、本書と冒頭でも語らせて頂いた現海洋堂社長である

息子様の著書をご一読されることをお薦め致します。

『オタクは、<意外性>こそが勝負』

『商売のマンネリ化を打破する秘訣も<意外性>』です。

「創作者」として、「オタク(古っ!!)」として、

「仕事人(職人)」として、「人間」として、海洋堂さんへの

日頃の感謝と愛情を込めて、一顧客として当ブログより

恩返しさせて頂きます。

最後までお読み頂きありがとうございました。

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