西部忠先生の「貨幣という謎~金と日銀券とビットコイン」アベノミクスの金融政策の将来像を考えよう!!
「貨幣という謎~金と日銀券とビットコイン~」
貨幣論に詳しい西部忠先生が、
今後の資本主義社会における「貨幣進化論」について
解説されています。
2016年現在、世界経済は不透明であり、
現在、日本経済復活のための「アベノミクス」も
最大の正念場を迎えているようです。
特に、「第1の矢」である未曾有の金融緩和に大きく
依存してきた結果、ついにマイナス金利導入へと突入。
今後、私たちの「お金」と「暮らし」は??
今回は、この本をご紹介します。
「貨幣という謎~金と日銀券とビットコイン~」 (西部忠著、NHK出版新書、2014年)
西部忠先生(以下、著者)は、貨幣論に大変詳しい
経済学者です。
ご専門は、その「貨幣論」の他に「進化経済学」や
「地域通貨」にも造詣の深い方であります。
特に、訳書として『貨幣論集(ハイエク全集Ⅱ-2)』
(訳、解説、春秋社)を世に問うておられるだけに、
現在進行中の「貨幣重視」によるリフレーション政策を
採用するアベノミクスの将来を展望するうえでも、
大変有益な問題提起をされています。
現代経済は、複雑きわまりない形に進化発展してきました。
ところで、現在経済はすでに「実体経済」よりも「金融経済」が
優に上回り、あちらこちらで不均衡が生じてきました。
そのため、私たちの雇用も絶えず大きな「景気変動」の影響を
受けています。
なかなか安定した経済生活を維持するのが困難な状況にあります。
さて、そもそも「貨幣とは何ぞや?」という「そもそも論」から
経済の基礎知識を教えてくれる方は、少ないようです。
マスメディアでも、学校でも無視されてしまう問題です。
私たちが、現代経済を生きるために必須の基礎教養だというのに・・・
そんな重要なテーマに触れないで済ませる教育とは、一体どういうことなのか?
皆さんの中にも、相当な疑問をお持ちの方もおられるのではないでしょうか?
今回は、そうした問題をきちんと基礎から学んでいこうと思い、
この本を取り上げさせて頂きました。
貨幣なければ市場も商品もなし!!
私たちは、経済とはどういう形で成り立っているのかについて、
案外知らないようです。
物心ついた時には、「すでにそこにいた!!」という感覚で、
まるで空気のようなイメージで、経済社会をとらえています。
「経済って、一体なんだろう??」という疑問は、
人間が社会で生きていくためには、当然のこととしてあります。
ところが、その最も肝心な「問い」にまともに答えてくれる
機会は、ほとんどありません。
確かに、学校教育では、社会化の授業などで、「経済の仕組み」に
ついてのお話はありますが、中でも、「お金とは何か?」について、
私たちにとって、十分に満足のいく解答は与えられてこなかったようです。
そうした疑問にきちんと答えてくれる好著が、本書です。
「お金は、単なる交換手段ではありません!!」
また、「お金(貨幣)なくして市場も商品もありません!!」
「市場も商品も、貨幣とともに常に創造的進化の過程にある!!」とする
議論が、本書では詳細に語られています。
本書を最後までお読み頂ければ、「経済はまさに生きている」のだということが、
今以上に納得出来るようになっています。
私たちは、「社会」の中で「経済生活」をしながら生きていくうえで、
「お金」は常に大切な存在です。
そんなの当たり前だと思われるかもしれませんが、あらためて
「お金の不思議さ」を考えてみる機会など、滅多にありません。
「なぜ、こうまで毎日お金を稼ぐのに疲れるのか?」
「もっと、他にも人生には大切なことがあるはずだ!!」と、
思っておられる方が、大多数でしょう。
皆さんの中にも、「お金のない経済社会があればいいのになぁ~」と、
一度は、考えられたこともあるのではないでしょうか?
ところが、「経済市場」を通じて生計を図っていくのが、人間の一面だと
すれば、一人で「自給自足生活」をするのでもない限り、
「お金と無縁」ではいられません。
否、「自給自足生活」をすることすら、「お金」なくして不可能なのが、
現代経済です。
著者も、本書で「ロビンソン・クルーソー物語」や「ヤップ島の石のお金」の
事例を挙げながら、「お金の必要性」を詳細に分析されています。
私たちは、「お金よりも先に仕事だ」とするイメージが、無意識にも
刷り込まれてきたためか、「市場のあとにお金がついてくる」との発想があるようです。
また、上記のように「お金」がなくても、大昔の「物々交換」などのイメージも
あるためか、「お金のない市場」も簡単に思い浮かんでしまいます。
ところが、当たり前ですが、「お金」がなくては不便きわまりない生活を
余儀なくされることも、容易に想像がつくところです。
そうした疑問にきちんとした解答を提供してくれるのが、本書です。
「貨幣なくして市場も商品もなし!!」
このような明確な解答を、きっぱりと断言され強調されているのが、
著者です。
ところが、一般経済社会では、意外にも、この「真逆」の考え。
つまり、今まで語ってきました「市場よりも後にお金が発生する!!」との
イメージで考えられてきました。
大学の経済学部で教えられている経済知識や、現在の経済政策でも
主流の考えとされている経済的発想も、そのような「暗黙の了解事項」が
あるようです。
著者は、まず、このような主流経済の見方を転換させます。
「はじめに貨幣ありき」と。
ところで、「貨幣(お金)って一体何?」ということですが、
その詳細な解説は、本書にゆずらせて頂きますが、
少なくとも「単なる交換手段」だけではないようです。
本書では、現代経済における多様な貨幣を紹介されるとともに、
様々な角度から「貨幣という謎」に迫っていきます。
「貨幣(お金)も、常に進化発展する」
「お金が変われば、経済の姿も変わる」
「経済の姿が変われば、お金の形やあり方も変わる」と。
著者によると、経済が進化すればするほど、
「もの」から「こと」へと変化していくのだといいます。
大昔の「石」や現在の「紙幣」や「通貨」、「各種クーポン券」などの
「もの」から、インターネット上の「各種ポイント」や「ビットコイン」などの
「こと」へと進化していく様子が、詳細に描かれています。
つまり、「貨幣(お金)は何でもいい」のだそうです。
そこに、社会における相互「信頼」さえあれば・・・
さて、「お金」もさることながら「市場」も問題です。
私たちは、通常の「市場イメージ」では、学校教育の影響もあり、
「需要と供給の一致」という「一般均衡点」をイメージしてしまいます。
要するに、日本では「定価販売」が多いため、意識的にも無意識的にも
「一物一価」を当然視してしまいます。
少なくとも、「新品商品」においては・・・
このような、「完全市場」を「集中的市場」というのですが、
これはあくまで「架空の市場モデル」です。
ただ、経済学という「学問」では説明しやすいモデルということで、
採用されている「イメージ像」にしか過ぎません。
現実的には、このような「完全市場」など有史以来現在に至るまで
どこにも存在しなかったのです。
そのことは、著者も数々の事例を取り上げながら、「バブル経済」が
発生したり、「詐欺事件」が横行してきたことを解説されていることでも
理解されます。
つまり、昨日も解説しましたが、「完全情報」などないのが、
現実の「経済市場」です。
難しい言葉で表現すると、「情報の非対称性」ということです。
もっとも、皆さんもアマゾンなどのネット市場をご利用された方なら、
イメージしやすいかと思いますが、「中古市場」では、その「中古商品」に
対する「要約情報」も記載されており、可能な限り、「相互不信感」が
払拭されるような仕組みにはなってきています。
それでも、その「中古商品」が手元に届き、蓋を開けて見るまでは
分かりません。
また、その「中古商品」の一覧表をご覧になれば一目瞭然ですが、
「一物多価」です。
そのことは、ネット販売のような「架空市場」のみならず、
「現実市場」における「対面販売」でも同じです。
ただし、私たちが「固定価格(定価制)」をあまりにも重視しているために、
「一物一価」に相当「執着」してしまう訳です。
本当は、「希望小売価格」であり、「新品」でさえ、交渉の余地も
ありそうなのですが、日本人の場合、長年の「奥ゆかしい慣習」なのか
交渉を遠慮するようです。
売り手と買い手の出会いも、偶然であり、圧倒的に「売り手」に情報が集中して
しまっているため、「真の価格一致点」が見えないだけに過ぎないようです。
それは、「時価」で販売する商品を扱っている「市場」にいけば、
すぐにも気付かれるはずです。
特に、寿司などの「なまもの」であれば、時間とともに鮮度は落ちるため、
「価格」は容易に変動します。
「新品」でさえ、「売れ残り」が生じれば「在庫セール」として、
「バザール(たたき売り=露天)市場」では、「相対交渉」で自由な値段で
取引されていきます。
特に、国外旅行されることの多い方なら、むしろ、日本のような「定価市場」が
「世界の非常識」でもあることを「目の当たり」にされるかもしれません。
このように、市場での「値動き」を観察するだけでも、
「貨幣(お金)って、ほんと不思議な存在」です。
しかも、私たちは、「なぜ、お金をお金として受け入れているのでしょうか?」
そこにも、「お金の謎」が含まれています。
「お金は、共同幻想により自己増殖していく!!」から、厄介な存在でもあります。
そのことも、本書では「バブル経済」の事例などで詳細に考察されています。
アベノミクスの未来予想図を占う!!
人類の経済史上、大変珍しく他にも例を見ないような
「経済実験」が、今日本で進行中です。
アベノミクスには、「第1の矢(金融政策)」、「第2の矢(財政政策)」、
「第3の矢(成長戦略)」という幅広い政策がありますが、今回はその
すべてを考察する紙数もありませんので、本書のテーマである「貨幣論」に
絞って、「第1の矢(金融政策)」について語っていきます。
さて、現在「未曾有の量的金融緩和」として、大規模な金融政策がなされており、
「円安誘導と株価上昇政策」、そして、長期金利引き下げを狙って
「既存国債の償還」をしやすく誘導させるとともに、「新規国債」についても
「第2の矢(財政政策)」である「機動的な公共投資」をしやすい環境を創造して
きました。
そのことを通じて、「プライマリーバランス(歳入・歳出の均衡)」も同時に
目指してきたことは周知のとおりです。
そして、ついに世界経済市場でも稀に見る「マイナス金利導入」に突入しました。
このことが、私たちに今後どのような事態をもたらすのかは、今のところ
予想は正直つきかねるところです。
このことによって、実体経済が促進されて景気が回復して
ついに、長期間続いた本格的な「デフレ脱却」につながるのかどうか・・・
皆が、固唾をのんで見守っているところです。
一方で、あまりにも「プライマリーバランス」を早期に回復させようとしたり、
その他の事情(少子高齢化に伴う税と社会保障の一体化など)の理由もあって
なのか、「増税」を導入してきました。
このことが、「景気の先折れ」を招いたとする批判は、多々あります。
管理人も、基本的にはあまりにも軽率な判断だったのではないかと思います。
特に、「失われた20年」で大変な苦境を味わってきた(いる)だけに、
より一層強く感じる訳です。
「お金よりも先に安定した仕事」
そして、「安定したお金」であります。
このことは、皆さんも共感して頂けるものと確信しています。
ところで、さすがに政府も「この厳しい経済状況はまずい!!」と感じたのか、
昨年には、緊急経済政策の一環として、一種の「地域振興券」のような
「地域通貨」も容認したところです。
つまり、本書の関連で語るなら、「中央政府」による「公的通貨」だけでは、
「第1の矢」の促進剤としては足りず、民間などの「私的通貨」などとも
競合させながら、景気回復につなげようとする意図だったようです。
これに対しては、批判的な意見もあるようですが、管理人自体は、
経済効果などの検証は正確にして頂きたいとは思いますが、
「景気浮揚」という「大目的」という点では、肯定的です。
とにかく、今は「景気回復が第一優先!!」なのですから。
まとめますと、「法定(公的)通貨」に固執せず、民間も含めた
多様な「通貨競争」を促進させた「通貨バスケット制」の導入は、
リスク分散(将来予想される行き過ぎたインフレ予防)の対策としても
必要だということです。
著者も、強調されていますように、アベノミクスの「リフレ促進政策」は
ある意味「後のない劇薬=つまり、失敗は絶対許されない!!」ために、
特に、事実上の「複数通貨制」は欠かせないということです。
「法定通貨」のみに依存し過ぎる「未曾有の量的金融緩和」は、
インフレ(今のところ可能性は低いですが、ハイパーインフレ)が発生した時に、
単独通貨だけでは、防ぎきれない点があるからです。
もっとも、そうなれば「預金封鎖」や「新円切り換え(デノミネーション)」
という方法もありますが、「劇薬」で大混乱を招くことは必定です。
そうした事態が、仮に発生したとしても、「法定通貨」以外の「複数通貨制」を
今から早期に「競合通貨」として組み込んでおけば、多少は
将来的に予想される「大混乱」も軽減されるでしょう。
さらに、「マイナス金利」導入は、事実上の「減価する貨幣」なので、
貨幣回転率を高め、景気回復へとつなげていく「促進剤」としては
役立つのかもしれません。
著者も「貨幣論」をケインズ・ハイエク・マルクスという20世紀を
代表してきた経済学者の「貨幣論」を相互に比較考察した結果、
貨幣と資本主義の未来予想図を描いています。
いずれにせよ、「量よりも質」であり、「人々による信頼こそ大切」
だということのようです。
歴史の教訓は、静かにそうだと示唆しているようです。
「信なくば立たず!!」ということです。
とはいえ、「貨幣(お金)のない経済社会(市場)」は、考えられないようです。
「ある貨幣がなくなっても必ず他の通貨が現れる」と、著者は語っておられます。
どうやら、時代は、「地域通貨(自由通貨)の親」シルビオ・ゲゼルや
優れた児童文学「モモ」で有名なミヒャエル・エンデなどの問題提起が
いよいよ檜舞台に出てきたようです。
「お金が変われば経済市場も変わる」
「経済市場が変われば労働観も貨幣観も変わる」ということです。
著者は、それを「進化し続ける貨幣経済」ということで、
解説されてきました。
いずれにせよ、「単純な現行経済批判を繰り返すだけでは無意味!!」で
あります。
「貨幣の質」ということと、「安定した堅固で倫理的な経済社会」を
取り戻すうえで、参考になる事例を最後にご紹介しておきます。
この事例は、本書には記載されていないですが、今後の日本経済を
良い方向へと導く点で、欠かせない歴史的教訓です。
それは、幕末の備中松山藩(現:岡山県)出身の山田方谷です。
山田方谷は、数年前に年末時代劇で、亡くなった中村勘三郎氏が演じられた
河井継之助の師匠に当たる方です。
その「財政政策・金融政策・成長戦略」は、『理財論』として残されています。
江戸時代の「幕末」、全国的に飢饉が発生し、ひたすら質素倹約のみで
多くの藩が厳しい経済環境に置かれていました。
また、江戸幕府はたびたび「貨幣改鋳」を繰り返し、「貨幣の質」を
落とし続けるとともに、借金だけが積み重なっていきました。
当時の「中央政府」である「幕府」だけでなく、「地方政府」である「各藩」も
同じく厳しい状況でした。
一方で、「開国」により金の流出や諸物価の高騰により、
デフレからインフレへと激しく変動していきました。
庶民は、そのようにますます厳しい生計を強いられる中で、支配層や仲介業者は
ますます潤っており、風俗は紊乱していったといいます。
そうした中で、庶民は唯一の精神的安らぎを求め、「お伊勢詣り」が大流行、
職場放棄??という「抜け詣り」も横行したといいます。
上下ともに、道徳の危機(モラルハザード)が起きていたのです。
そのような日本国内の精神的・物質的危機に乗じて、国内外問わず
厳しい環境に導かれていきました。
そのような状況下でも、最終的に生き残っていった各藩には
在野の優秀な志士がたくさん残っていました。
その一人に、山田方谷がいます。
その経済政策こそ、現在の日本経済において、最も学びたいものが
数多く含まれています。
厳しい財政事情を、長期間かけて信頼関係を維持していきながら、解決していく姿。
金融政策で言うならば、「旧藩札」を大規模「公開」焼却という形で、
「新藩札」へと素早く切り換え、地場産業復興と教育再生という形で
積極的な「公共投資・技術開発投資」と「設備投資・人財投資」を成し遂げました。
時間をじっくりとかけながら、中長期計画で経済成長も無事完了させたのです。
しかも、大変興味深いことに、山田方谷の所属していた備中松山藩は、
「旧体制側」であり、今でいう「負け組」でした。
山田方谷自身も、信頼と責任を回復させるために、「質素倹約」に努めながらも、
一般民衆には無理のないような経済再生を考案していきました。
この「経済復興モデル」は、まさしく現下の「アベノミクス」の盲点でも
あるようです。
特に、「中間搾取層(レント・シーカー)の弊害」こそ、
もう一つ国民の信頼を勝ち得ない点でありましょう。
管理人も、批判ばかりでは意味がないので、「生産(建設)的批評」として
責任をもって、語らせて頂いています。
ですから、このことは、当局に対する「応援メッセージ」でもあります。
なぜなら、この経済政策は、「国民待望の唯一の命綱」でもあるからです。
今だからこそ、「上下心を一つにして」(五箇条のご誓文)、
「大事なことは衆議を集めて、独断専行を避ける知恵で」(十七条憲法の趣旨)
切り抜けながら、世界(日本)史上、「未曾有の危機」を克服すべき時期です。
5月には、「伊勢志摩サミット」もあります。
是非とも、この混迷窮まる一方の世界情勢に、日本から「希望の光」を
発して頂きたく、本書の叡智とともにお届けさせて頂きます。
皆さんも、本書には「未来経済のあるべき方向性」と「経済的叡智」が
数多く込められていますので、是非ご一読のうえ、
ともに考察して頂ければ幸いです。
なお、本書でも詳しく触れられている「ビットコイン」について、
さらに知りたい方へは、
『インターネットで変わる「お金」~ビットコインが教えたこと~』
(斉藤賢爾著、幻冬舎ルネッサンス新書、2014年)
『暗号が通貨になる「ビットコイン」のからくり』
(吉本佳生・西田宗千佳共著、講談社ブルーバックス、2014年)
また、山田方谷のことについては、
『財務の教科書~「財政の巨人」山田方谷の原動力~』
(林田明大著、三五館、2006年)
「山田方谷~河井継之助が学んだ藩政改革の師~」
(童門冬二著、学陽書房人物文庫、2002年)
をご紹介しておきます。
最後までお読み頂きありがとうございました。
sponsored link
[…] 前回も当ブログで触れましたが、未曾有の量的金融緩和をしても、 […]
[…] 「貨幣論」については、前にもご紹介させて頂き、本書でも紹介されている […]