山竹伸二先生の「心理療法という謎~心が治るとはどういうことか」<心の病>から人間の本質に迫る「心理療法総合案内書」!?

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「心理療法という謎~心が治るとはどういうことか~」

哲学・心理学をテーマに、

独自の批評活動をされている山竹伸二先生が、

現代社会病理現象とも評される「心理療法の謎」を解析されながら、

多種多様な「心理療法」の整理整頓をされています。

「心の病」をテーマに、人間の本質探究にも踏み込みながら、

心理療法の共通原理について分析考察された

「心理療法総合案内書」!?

今回は、この本をご紹介します。

「心理療法という謎~心が治るとはどういうことか~」    (山竹伸二著、河出ブックス、2016年)

山竹伸二先生(以下、著者)は、哲学・心理学をテーマに

様々な切り口で、独自の批評活動を展開されてこられた著述家であります。

著者には、前にもご紹介させて頂いた哲学者:竹田青嗣先生との共著書

『フロイト思想を読む~無意識の哲学~』(NHKブックス、2008年)

始めとした数々の著作があります。

本書のテーマとも重なる

『「本当の自分」の現象学』(NHKブックス、2006年)

『「認められたい」の正体』(講談社現代新書、2011年)などと

ご併読されながら、本書を読み進められると、

本書解読に際しても、より理解が促進されるものと思われます。

また、インターネット上での言論活動として、

山竹伸二の心理学サイトもお持ちであります。

本書は、もはや、<現代社会病理現象>にもなってしまった

「心理療法」による<心の癒し>を求め続ける現代人の精神不安など、

心の内面から湧き上がってくる深層心理に寄り添いながら、

『果たして、<心の病>とは、どのような条件下にて、発生してくるものなのか??』を

各種「心理療法」の背景にある「人間観」を分析考察しながら、探究していきます。

また、「無意識」の本質を明らかにする知的<精神分析>作業を通じて、

『<心の病>を通じて、「人間のあり方」の本質に迫ろう!!』を最終地点に、

『<心の病>が治るとは、どういうことなのか??』について探究していく過程で、

複雑多岐にわたる現代心理療法の総合案内書の役割も果たしています。

このような<心の病>は、人間の多種多様な感受性から

複雑に進展していくこともあって、すべての人間に当てはまるような

治療法はほとんど存在しないと言っても、過言ではありません。

著者も本書で解説されていますが、

「<心の病>が治りさえすれば、個々の治療理論など、

あまり気にしなくてもいいのでは??」という見方も成り立つのが、

<心理療法>に対する一般的イメージでもあるようです。

とはいえ、現代の心理療法は、社会の複雑化とともに、

まだまだ発達し続ける状況にあり、

いわゆる<心の病>を抱えてしまった患者にとっても、

自分の「心理状態」により適した<心理療法>に関する

総合案内書がないと、さらなる迷いを深めることにも

なりかねません。

そうしたことから、そんな<心理療法>に関する総合案内書を

必要とされておられる読者も少なくないものと思われます。

一方で、そのような<心理療法>の多様な概要を知り尽くした

いわゆる<心理療法巡回者>になったとしても、

自分の<心の病>を分析観察する力を含めた「自己内省力」を

深める知恵や向き合う勇気がなければ、

精神科医や心理カウンセラー、

はたまた、怪しげな民間療法や霊感商法などに騙されるなど、

自らの人生を棒に振ってしまう危険な生活を強いられることにも

なりかねません。

つまり、<依存症>の恐怖であります。

そこで、本書の出番というわけです。

後ほど、本文内でも解説ご紹介させて頂きますが、

著者は、上記共著でも解説されていたフロイト精神分析手法や

フッサールハイデガー哲学の分析手法でもある「本質観取(直観)」といった

現象学的発想法にヒントを得た独自視点での<心理療法>解読をなされています。

そのあたりは、本書144~157頁で、詳細な解説が展開されていますが、

最終的には、著者の独自視点をも離れた、

各人各様における自前の<心理療法>が可能になる<考え方の道筋>をも

提示してくれているのが、本書の面白さでもあります。

本書の特徴は、著者も<売り>として強調されておられるように、

いわゆる「専門家目線」ではない点にあります。

つまり、素人だからこそ、あえて大胆な見方も提示可能というわけで、

独自分析による問題意識も、

一般人の目線とも重なり合った心理的次元における問題意識を

共有することが可能だということであります。

ということで、何をもって、<心の病>と定義するかは、難問ですが、

少なくとも、日々、激しい社会変動に晒され続ける現代人の<心の悩み>を

ご一緒に少しでも解きほぐして頂こうと愛を込めて、

今回は、この本を取り上げさせて頂きました。

各種心理療法の背後に控える「人間観」の違いを知ることで、 専門家の世界観に振り回されなくても済むようになるかも!?

それでは、本書の内容構成の要約

入らせて頂くことにしましょう。

<第1章 心はいかにして治されてきたか?-心理療法の理論と歴史->

①「心理療法の歴史」

②「深層心理学的な心理療法-精神分析の系譜」

③「実証科学的な心理療法-認知行動療法の系譜」

④「実存主義的な心理療法-パーソンセンタード・アプローチの系譜」

⑤「構成主義的な心理療法-家族療法からナラティヴ・セラピーへ」

⑥「どの心理療法が優れているのか?」

※本章で取り上げられています上記項目のような

比較的知名度の高くて代表的な各種心理療法の詳細解説については、

煩瑣にもなり、紙数面の制約もございますので、

今回は、省略させて頂くことにします。

ちなみに、各心理療法について、

本書では、かなり詳細な解説がなされていますが、

折に触れて、わかりやすく図表形式で、整理整頓されていますので、

文字情報だけで、四苦八苦されておられる方(管理人もですが・・・)には、

まずは、図表による全体的イメージ像を掴まれてから、

各自でご興味関心あるテーマの解説へと行きつ戻りつしながら、

読み進められると、理解も促進されるのではないかと思われます。

さて、本章の主題は、

「心理療法」の歴史的変遷(宗教時代~科学??時代まで)を

踏まえながら、現代の代表的な心理療法の概要について、

解説されています。

いわば、「心理療法入門」であります。

一般人にとっては、

結論的には、⑥のテーマのように、

各種心理療法の「優劣問題」にご興味関心がおありかと思われますが、

それは、各種心理療法の背景にある「人間観」やセラピー受診者の

各人各様の「心理的世界観」との相互交流度合次第だということや、

そもそも、現代「精神医学」や「心理学」が、

<心の世界>を取り扱う以上、純然たる「科学」と呼べる学術なのか否かも

見解の相違があって、万人にとって、

一律・一様な「効き目」があるのか否かの判断を安易に下すとともに、

<一般的>な批判論にも慎重な姿勢でいることが、

各メニューを選択される際の注意点でもあるようです。

あくまで、こうした心理療法を形成してきた理論も

「仮説」だということを考慮されながら、

まずは、各種心理療法の背景思想や治療法などを各自で比較対照されつつ、

実際に試されながら、自らの<現在の>心理境遇に

より親和的な診断メニューを

受容していく他ありません。

要は、著者も、強調されていますように、

<心の病>を抱えている当事者にとって、

「<心の病>が治った!!」と実感出来るようになる方が、

最優先課題ですので、

「理論」の差異は、「治療効果」さえあれば、

別段、問題視する必要もないのでしょう。

とはいえ、著者が、本書を通じて、一貫した

各種心理療法の背景にある「人間観」や「世界観」の<共通項>の

割り出しに拘っておられるのには、きちんとした理由があります。

つまり、上記に表記しましたように、<現在の>とは、

当面の心苦しさが凌がれただけで、当人の生活状況の変化次第では、

すぐにも、「再発」する事態に遭遇することが多々見受けられるからです。

そうした「限界」から、「個別性」から「普遍性」に向けた

各種心理療法に共通する「人間観」や「世界観」を

出来る限り、科学的に探究していこうと模索されています。

<第2章 心が病むのはなぜか?-人間の存在本質と心の病->

①「心の病はなぜ生じるのか?」

②「心の病の本質論-フロイトから現象学へ」

※特に、②では、近年、人気が高いアドラー派やラカン派の

精神分析理論も詳細に解説されていますが、

こうした「自我(自己・個人中心型)」心理学の盲点を

鋭く尽きながら、独自路線を歩んできた精神分析医に、

前にもご紹介させて頂いたコフートがいます。

コフートは、「自己愛性人格障害」などの研究から

独自の「自己心理学」を創始された人物ですが、

「解釈(知的論理的理解)」よりも、「共感(感情体験感覚)」を

より重視したことで、従来の客観的・自然科学的観点を

心理学(精神医学)に安易に持ち込む風潮を一転させたことでも、

革新的な精神分析者とされています。

現代心理学(精神医学)が、厳密な意味で、純然たる「科学」と

呼べる代物なのか否かは、後に触れさせて頂く予定の

精神医学者から出発した異端児の「哲学者」カール・ヤスパースも

分析考察されていますが、「科学」と称するからには、

心理療法についても、万人にとって、

「再現性」の高いものである必要があります。

そのような心理療法の特異性に注目しながら、

より普遍度の高い<共通原理>を探究考察していくのが、

本書の趣旨であります。

③「<心が病む>とはどういうことか?」

④「<自由の主体>の発達」

⑤「不安からの脱出と自由への道」

※本章では、前章の問題意識を引き継いで、

より具体的な<心の病>の本質を追究することで、

<人間の存在本質>に迫られています。

「人間論」が、本章での主題であります。

本章では、現代では、何かと敬遠されがちなフロイト精神分析手法を

著者独自の解読から再評価しつつ、

現象学的視点も加味させた分析方法論にて、

「不安」と「欲望」のせめぎ合いの中で葛藤する心理状態から、

<心の病>が、「不安への防衛反応」の一面だと捉える考え方に

有効性を見出します。

著者は、こうした<心の病>の発生起源を「不安の回避」という側面から

考察されていますが、より詳しく「不安」の種別について、

下記の3部類に分類されています。

①「身体不安」

②「関係不安」

③「承認不安」

こうしたそれぞれの「不安」を克服していく過程で、

著者の表現では、

①<感情の主体>

②<欲望の主体>

③<理性の主体>といった

いわば「三位一体」が確立して始めて、

<自由の主体>として、

身心ともに健やかなる人間存在へと発達していくとの見立てを

提示されておられるのですが、

<心の病>とは、

こうした発達過程のどこかで歪みが生じてしまったが故に、

<心>が発育不全に陥り、不安定な精神状態に晒されてしまった

心理病理現象だと仮定されています。

そこでは、「自己ルール」と社会における「一般ルール」との

心理的乖離も発生しています。

では、

「どのような志向性を持てば、<不安からの脱出と自由への道>を

確保出来るようになるのか??」

ここに焦点を当てながら、

「個別的次元」を超越していく「一般的他者の視点」を

少しずつ取り入れながら、心理的不安を克服していく道筋を

提案されています。

まとめますと、<心の病>を克服していくための条件として、

①「自己了解」

②「他者の承認」

③「自己ルールの修正」

④「一般的他者の視点」が

必要不可欠だということになります。

著者は、本書にて、各種心理療法の個別的次元にとどまったままの

多様性に満足することで終わるのではなく、

「成功」した心理療法のモデルを詳細に検討される過程で、

誰しも共通して有しているであろう根底に存在する人間的本質に

含まれた「一般存在様式」にこそ、注目すべきだと提唱されています。

その先に、次章でも、さらに一段と再検討されていく果てに

<心の病>に対する「安定」した心理療法の確立にも

つながり得る道筋を提示していかれます。

<第3章 心の治療とは何か?-心理療法の本質と原理->

①「多様な心理療法に共通する要因とは?」

②「心理療法にとって無意識とは?」

③「各種セラピーの再検討」

④「心理療法の本質とは何か?」

⑤「現代社会と心理療法」

※本章では、第1・2章を総合的に踏まえたうえでの、

著者独自の心理療法の謎解きの暫定的試論を提出されることに

なるわけですが、

とりわけ、どの学問でも迫りきれない「無意識」の存在にも

焦点を当てた分析考察が展開されています。

とはいえ、「無意識」の「実在」にのみ焦点を当てた科学的研究では、

「袋小路」に陥るだけであります。

本書の目的は、あくまで、<心の病>を治す道筋と

「<心が治る>とはどういうことか??」という

実践的アプローチに最重点が置かれています。

ということから、

著者は、

『私たちが考えるべきなのは、無意識が実在するか否かではない。

「無意識だった」と感じるときの、その経験の意味をこそ

考えるべきなのだ。これこそ、「無意識」という概念の本質を

考察することにほかならない。』(本書230頁)と強調されています。

本書全体のまとめとしましては、究極のところ、

「他者の承認を介した自己了解」が、

各種心理療法に共通する治療原理だということが、

あらためて「再発見」されることになりましたが、

それは、「治療者」と「受診者(患者)」の<あいだ>における

狭い世界観でのことで、必ずしも、この2当事者間で生み出されてきた

共通了解された<物語>は、真実ではなくてもいいのだというところに

現状のところ、多くの心理療法では落ち着いているようです。

とはいえ、この世界観は、狭く「閉じられた」ものであるが故に、

当人としては、当面、心理的に納得が出来、

<心の病>も、一見して「完全治癒」したかに思えますが、

「患者」を結節点とした「関係性」が、変われば、

その「固定的安心感」も、瞬く間にゆらいでしまい、

他者の「世界観」とも衝突し、<心の病>も

容易く「再発」してしまうことにもなりかねません。

というよりも、その可能性は、かなり高いものと考えた方が、

当人の今後の「生きやすさ」を、

安定的に実現させていくためにも、不可欠な視点となりましょう。

結論的には、従来型の心理療法の「限界」には、

「二者関係における自己了解の限界」という難点を

抱え込んでいることが指摘され、

もう一次元踏み込んだ、「一般的他者の視点による内省」(本書272頁)が、

とりわけ、最重要だと強調されています。

そのような理想案も、最初から、誰にでも「確保」し得るものでもないので、

著者は、少しずつの「心理的階段」を歩む過程で、

「心理的不安」を慣らしていくことを勧められています。

やはり、<心の病>とは、一朝一夕に、「完全治癒」するものでもなく、

また、項目を変えて、語らせて頂きますが、

「完全」治癒にも必要以上に拘り続ける必要などないのかもしれません。

そして、ここにこそ、

「対話的コミュニケーション(臨床哲学など)」の有効性も、

近年、日増しに注目されるようにもなり、

著者も本書276~283頁で触れられておられるように、

看護・介護現場や保育・教育現場への導入を積極的に推進されている

事業体やコミュニティーも少しずつ増え続けているようです

そこで、現代社会病理現象とまで評価されることが多くなった

<心の病>ですが、その治癒過程には、

人間なら誰しも避け得ない「<言語使用>における知恵と工夫」及び

「<身体感覚>の回復」が鍵となります。

そこで、次項目からは、管理人自身の体験談も踏まえながら、

再検討して参りましょう。

究極の結論:自らの生命力を信じながら、人生を実修実験する「求道的生き方」の過程でしか、<心の病>は治せない!!

以上で、本書の「超」約を、一応、済ませましたので、

ここからは、管理人の個別体験とともに、

<心の病>について、ご参考になるかどうかは、

心許ないところではありますが、

皆さんにも何らかの形で、

お役に立つだろうと信じていますので、

恥ずかしがらずに、参考事例として提出させて頂くことにしますね。

その「恥ずかしさ」こそ、人類後進にとっての「宝箱」でもありますので、

ここは、古今東西の賢者の伝統に従って、

「哲学的考察」の観点から、「精神病理現象」についてまで、

立ち入ることにしましょう。

今回は、これまでの記事でも折に触れて、

個人的体験記を小出しさせて頂いて参りましたので、

必要程度に抑制させて頂くことにしますが、

管理人も、生まれてこの方、

世の大多数の「社会人」と同じく、

<心の悩み>で、一人悶々とする日々を過ごす時期がありました。

現代社会の最大の「精神病理」だと確信することに、

人間の「個別分離化」現象に由来する

「(良質な)コミュニケーション不足問題」があります。

その背景には、現代社会が、本質的かつ深刻な人間心理問題から

注意を逸らす巧みな社会文化的娯楽装置が組み込まれてきたことや、

人びとの時間意識を歪めさせる近現代特有の経済的制度基盤が存在しています。

ために、良質な「対話」を持つ機会も減少の一途を辿り、

社会の隅々で、コミュニケーション不足に由来する

深刻な不協和的事態が続いて参りました。

戦争や差別、深刻なまでの経済格差の背景にある

「社会的構造暴力」が、未だに無くならないのも

そのあたりに原因があるものと確信しています。

そのような現状認識を強く持つことから、

<人間らしい>時間の回復をテーマに、

「暇と退屈の人間倫理学」を、

皆さんとともに探究し、「再発見」しようと

静かに呼びかけてきたのですが・・・

「小さな」対話の積み重ねを軽視してきたツケが、

「討議的」ではない「闘技的」な厳しい戦闘的なコミュニケーションに

基づく「民主主義観」にまで進展してしまっていることは、

誠に残念な社会現象だとの思いを、日に日に強く実感してもいます。

すべてのコミュニケーションを、

一義的な政治的観点に集約させることには、

もとより、慎重でなくてはなりませんが、

コミュニケーションが、

人間における「関係性(時間-空間性)」の回復を

図る機能を有しており、

関係性の<微調整>という折衝能力も要請されることから、

何らかの政治的意思が含まれていることは、

間違いないところでありましょう。

とはいえ、現代社会では、

このような政治的微調整が、

とてもうまく機能しているとは言えません。

「ミクロ」は個人から、

「マクロ」は、人類の存在する時空宇宙間にまで。

そうした<言語的生態環境>悪化を少しでも軽減回避したいと、

「(良質な)コミュニケーションを取る機会や場が欲しい!!」と

誰よりも強く実感してきたからこそ、

余生のライフワークとして、

次世代に語り残すための素材を、

当ブログから発信していくことを思い立ち、

少しずつ、生ある限り、積み重ねて参りました。

管理人は、上記のように、

「いかに志向(イメージ思考)すれば、世の中から、

<社会的構造暴力>を軽減消滅させることが叶うのか??」

そのための「哲学的考察」もしてきましたが、

これまでの人類の教訓では、

「平和を叫べば叫ぶほど、なぜ、事態は、もっとも忌み嫌うはずの

暴力へと誘導されていくのか??」という

人類最大の<社会的謎>の解明と解決には届いていないようです。

そのあたりを、直近の話題にもなったオバマ大統領の最後の国連演説や

我が国の総理大臣自らが、これまで幾たびも世界へ向けて宣言されてきた

演説『力による現状変更は認めない!!』とともに、

「理性」による「法による平和的解決」志向という視点を、

日々、注視しながら、

管理人の哲学的師匠であるカール・ヤスパースの著書などを

あらためて紐解いて、考察もしてきました。

「政治的論評」は、本書ご紹介の主題ではありませんので、

このあたりで止めさせて頂きますが、

現代のあらゆる「精神病理現象」の大本に、

深刻なコミュニケーション不足があることは、

何度、強調しても強調し過ぎることはないでしょう。

ここまでは、<心の病>考察に至る導入部でしたが、

先に、「哲学者」カール・ヤスパースを

引き合いに出させて頂いたのも、

ヤスパース自身が、もともとは、「精神医学者」でも

あったことから、その独自哲学には、

「精神病理分析」手法が色濃く残されているところに

特質があったからです。

本書でも、精神医学の歴史的変遷の解説の流れの中で、

ヤスパースのことに若干程度、触れられていましたが、

管理人としては、

ヤスパースこそ、「20世紀最大の哲学者」とも、

高校生の頃から魅力を感じ、敬愛の念も抱いてきたことから、

再度、世界が混迷と非常事態を迎えようとしている「今」だからこそ、

もっと、世界の多くの方々に知って頂きたいとも思い、

ヤスパースの存在意義を強調させて頂いています。

ヤスパースについては、語りたいことも多々ありますが、

「全体主義」や「反知性主義」、

「<真理>や<信仰>といった人類の希望を現代思想が打ち砕いてきた

混迷状況から、人類よ、目を覚ませ!!」と力強く呼びかけられている点に、

もっとも共感共鳴をしてきました。

やはり「歴史的教訓」の忘却が、

人類に<心の病>を「再発」させる原因になるようです

そんなヤスパースは、本書では、詳細に触れられていませんが、

著者がヒントを得た「現象学的視点」や「精神分析的視点」にも

批判的な「記述精神病理学」を打ち立てられていたようです。

「記述精神病理学」とは、

「ひたすら患者の言葉の正確な記述に徹する」(ウィキペディアの解説から引用)

患者の「主観的内面」を重視する精神医学のようです。

本書でも触れられていますが、

ヤスパースも、一般的には、「実存哲学者」と評されているようですが、

ヤスパースの見方とは異なり、

現代の「実存主義」的精神医学の系譜では、

現象学的視点の影響が強いようです。

前にもご紹介させて頂きました木村敏先生も、

そうした影響を受けられているようです。

この「現象学的視点」の特徴は、「間主観性」といって、

主客構造を超越した、

いわゆる、<あいだ=関係性>に注目した分析手法が

採用されている点にあります。

現代の良心的な学者は、「身心一元論」を回復させる過程で、

「<人間らしさ>の問い直し」を図っていますが、

まだまだ、世の中の「主流派」は、

「唯物論」か「唯心論」かに極端に偏向した

研究者が多いように見受けられます。

「主流学者の精神模様が、社会に投影される<合わせ鏡>」だと

常々、観察している管理人としては、

憂慮の念に絶えないところでもあります。

それはさておき、ヤスパースの思想的特徴は、

人間の精神力が試される場面を、

「限界状況」から立ち上がってくるところに

見出したところにあります。

つまり、「身体感覚」に寄り添った

知的思考の枠組み「再編」という回転軸の発見であります。

ヤスパースは、精神科医の経験も踏まえつつ、

<他者依存型>の「全体主義」に批判的な眼差しを向けられてきたところから、

患者自身の「自己内省力」をきわめて重視されたようです。

そんなこともあって、従来の科学的とまでは未だ言い難い

「心理学」や「社会学」にも批判的だったようですね。

(『哲学の学校』:松浪信三郎訳、河出書房新社、1980年、

172~191頁ご参照のこと。)

つまり、<心の病>を治そうと本気で願うならば、

治療者のアドバイスにも、全面的に依存することなく、

自前の「生命力」を信じながら、

哲学的に考え抜く「自己内省力」を高める自己努力が

不可欠だということでもあります。

という視点を強調させて頂く趣旨で、

タイトルに温かい想念を込めさせて頂きました。

『人生を実修実験する「求道的生き方」』と表現すれば、

縮めて、「修験道」をイメージされる方もおられるかもしれません。

そのように表記させて頂いたのにも、理由があります。

なぜなら、先にも触れましたように、

現代のあらゆる学問の方向性が、

「人間性」を剥奪していくという壮大な矛盾劇を引き起こしてきたからです。

つまり、人間から、<真理>探究の道を諦めさせ、

人生を強く確信しながら生き抜く勇気という名の<信仰>面からの

生命力を剥奪し去ったように感じられてきたということであります。

それが、「何が<正解>か真偽不明」という心理状態へと陥れ、

(もっとも、何が<正解(真理)>かと、一方的に決定することは、

今日では、難しいことは事実ですが、生きるという面での<存在根拠>まで

薄められてしまったことが、由々しき事態だということは、

「心ある」方なら誰しも認められることでしょう。)

現代人は、今や、ある種の「精神錯乱状態」にあることは否めないとの

現状認識であります。

このことから得られる教訓は、「盲目的な<信仰>」も、

「盲目的な<理性崇拝>」も危険な心理状態へと導くということであります。

重要な視点は、「<信仰>と<理性>のバランス」ということになりますが、

ヤスパースの著書にも触れられていますが、

近代「啓蒙」主義哲学の父であるカントの問題意識の原点にも

立ち返りながら、「近代的理性」の「限界」をも再点検し直す必要が

あるということです。

カントには、優れた名著『永久平和のために』がありますが、

現代の世界情勢を鑑みた上では、

何かと誤解も付きまとう箇所のある思想とも思われていますが、

こうした「近代的理性」の「限界」を踏まえた上での

『永久平和のために』ということで読み返すと、

何にも増して、人間と世界を<より善く>していこうとする

理念型信仰こそ、今もっとも欠けている視点だとも言えましょう。

と、ここまで語ってきて、<心の病>という個人的主題からは

外れていっているように思われるかもしれませんが、

個人的な「想い(思いよりも、ここは、想いでしょうね・・・)」の

積み重なりが、安易にユング的「集合的無意識」論を持ち出すことには、

慎重な姿勢も必要ではありますが、

徐々に、人類総体の「精神意識」を変化・変容させていくことは

間違いないものと、管理人自身は、確信しています。

なぜなら、管理人も含めて、人類は、「類的存在」であるため、

「個体的努力」だけでは、「限界」もあるからです。

だからこそ、良質な「対話」的コミュニケーション技法を

各自で意識的に身につけていく「生涯学習」が必要となります。

そうした<仲間>とともに、真剣に、自分の人生を試行錯誤しながら、

地道に「理想像」を自他ともに創り上げていく過程でこそ、

<心の病>も、少しずつ、軽減されていくのでしょう。

とはいえ、必要以上に、<心の病>を恐れる必要もないでしょう。

なぜなら、<心の病>こそが、「賢者の石」であり、

あなた自身の人生の「道標」に気付くためのきっかけと

なってくれるからであります。

その意味では、より一層の深刻なノイローゼになるまで、

知的に「思い詰めて」しまわない知恵と工夫は要求されますが、

「哲学的物語創作型<心理療法>」をお勧めさせて頂くことにします。

管理人は、これまで何度も<精神的危機>を迎えてきましたが、

その度に、可能な限り、他者に依存せずに、

様々な古今東西の賢者の知恵にヒントを借りつつ、

「哲学(論理的)」に考え抜くことで、

人生における修羅場を局面打開・敵中突破して参りました。

その意味では、ある種の「認知行動療法」を

ある時は、意識して、ある時は、無意識に採用してきたのかも

しれません。

おかげで、精神科医や心理カウンセラー、似非占い師や霊感商法とも

無縁で、貴重な時間と費用を喪失させずに、

生き抜くことが叶いました。

そんな意味も込めて、読書(知的教育機会)こそ、

何よりも「安上がり」だと確信しています。

(とはいえ、自力脱出だけでも、人によっては、

相当な危険領域へと誘われてしまいますので、

その時は、信頼のおける専門家のアドバイスは有益であります。

その際にも、なるたけ、自力判断が叶うように、

専門家主導の心理的支配に陥り、さらなる<たらい回し>される

状況を抑止するためにこそ、本書での事前学習が役立つものと確信しています。)

それに加えて、「肉体的鍛錬」も日々の生活メニューに取り入れるようになり、

良質なコミュニケーションが図れる人間関係を構築しようと

努力する機会が増えたことも、管理人自身の<心の病>からの

脱却に役立ったようです。

管理人自身は、「自力脱出型生真面目人間」が陥る典型例に

たびたび、遭遇して参りましたが、

それが、憂鬱な心理状態を常態化させてしまった要因でもあったようです。

そんな時には、いかな「自力脱出型」と自認している人間であれ、

いとも容易く「他者依存型」に陥ってしまいます。

その深刻な心理環境も、

真剣な脱却へのステップを歩む<求道的生き方>によって、

少しずつ少しずつ回復させていくことが叶いました。

そのヒントが、アルコール依存症などの患者に

よく利用されている12のステップであります。

この「12のステップ」というアイディアは、

管理人個人の趣味で大変恐縮ですが、

米国の「ドリームシアター」というロックバンドが

作曲した歌詞の中で、知ることになりました。

このアイディアをもっと知りたいというところから、

「12のステップ」をさらに学習していくきっかけとも

なったわけですが、

これは、「グループ療法」の一種です。

ただ、日常的に絶えず「グループ療法」を行うことも

難しいので、このアイディアを自分なりに修正しながら、

「想像力」を駆使して、自分の脳内に

「仮想グループ」を集め、思考実験していく過程で、

<心の病>に陥っていた時期の、

心の「分裂意識状況」を整理整頓する処方箋を思いつきながら、

「物語」構成形式を創作していくことで、

徐々に、心の落ち着きを取り戻していくことになりました。

その大本の原因は、もちろん、自分の心の弱さにもありますが、

悪化する一方の現代経済環境が無理強いする<不機嫌な職場>に

由来する<深刻なコミュニケーション不足問題>が存在していたことも

否めません。

読者の皆さんの中にも、

日々お過ごしになられている生活環境で、

このような<精神社会病理現象>

心苦しく思い悩んでおられる方も

数多くおられることと思います。

まとめますと、「関係性」回復の大前提には、

良質なコミュニケーションを図る場の設定が不可欠だと

いうことであります。

このような問題は、

汲めども汲めども尽きない超重要テーマではございますが、

今回は、このあたりで筆を擱かせて頂くことにします。

ということで、本書も、一般向け「新書」形式にしては、

300頁もあるちょっとした「大著」ですが、

現代心理療法の全体像を掴まれるとともに、

各人各様の<心の病>が治るきっかけ作りにお役立てて頂く

1冊として、ご一読されることをお薦めさせて頂きます。

なお、上記「12のステップ」については、

「つながりの作法~同じでもなく違うでもなく~」

(綾屋紗月・熊谷晋一郎共著、NHK出版生活人新書、2010年)

の151~155頁に簡潔に要約されています。

また、「当事者研究」が一躍世に広まるきっかけとなった

「安心して絶望できる人生」

(向谷地生良著、浦河べてるの家協賛!?、

NHK出版生活人新書、2011年第5刷)

も併せてご紹介しておきます。

最後までお読み頂きありがとうございました。

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