金菱清/大澤史伸先生の「反福祉論~新時代のセーフティーネットを求めて」公的救済から漏れ落ちても生き抜ける道を探る!!

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「反福祉論~新時代のセーフティーネットを求めて~」

金菱清先生と大澤史伸先生による

公的救済制度から漏れ落ちた人々の

多様な生活実態を取材し、分析考察された本です。

現代社会福祉の最前線では、常に「財源論」が

限界となり、公的救済対象の幅も狭まる一方です。

そんな中、公的制度救済から漏れ落ちた人間は

具体的にどのような生活防衛空間を

実践構築してきたのでしょうか?

今回は、この本をご紹介します。

「反福祉論~新時代のセーフティーネットを求めて~」    (金菱清/大澤史伸共著、ちくま新書、2014年)

金菱清先生(以下、金菱先生)と大澤史伸先生(以下、大澤先生)は、

ともにキリスト教系の東北学院大学教養学部地域構想学科に

所属される研究者です。

金菱先生のご専門は、社会学・環境社会学。

大澤先生のご専門は、社会福祉学とのことで、

本書でのそれぞれの役回りが、

金菱先生が、「理論面」でのご担当とするなら、

大澤先生は、社会福祉の現場経験を基に、

現行制度に対する積極提言をされるなど

「実践面」でのご担当をされています。

具体的な執筆分担は、

金菱先生が、第1章/第3章/第7章/はじめに/

Ⅰ・Ⅱ プロローグ/おわりに/を、

大澤先生が、第2章/第4章~第6章/

それぞれご担当されています。

(本書冒頭部より転載)

本書『反福祉論』の趣旨は、

あくまで「福祉不要論」といった極論・暴論ではなく、

公的制度救済から漏れ落ちた方々が、

いかに生き抜く道を実践構築してきたのかの

軌跡をともに辿ることで、

いたずらに公的制度に依存し過ぎない生活姿勢を

積極的に学んでいこうとする「新時代の福祉論」であります。

本書における問題意識には、

「公的救済制度が逆差別(弱者)を生み出す」との視点があります。

これまでは、「制度内(上から目線)」から解決策を探る方法論が、

主要な社会福祉論の典型例でした。

そうした主要な議論の傾向性に対して、

本書では、「制度外(現場=下から目線)」から具体的な生活実践課題として、

既存の制度をいかに乗り越えながら、強かに生き抜くことが可能になるのか

その諸条件を見出そうと、

事例研究(フィールドワーク)を通じた

これからの新しいセーフティーネット(安全網)を

どのように構築していくべきか、

いわば動態力学的に探究していこうとされています。

昨今、あらゆる分野で、新自由主義に近しい「自己責任論」から

社会福祉制度「脱」構築論が提言されてきましたが、

本書は、そのような「自己責任論」とは一線を画した

新時代に相応しい「協働自治型ネットワーク理論」を底流とする

社会福祉論への招待状であるようです。

「人は、一人では、生きていけない!!」

そんな当たり前の「人間」感覚から、

柔軟かつ強かに生き抜いてこられた人々による

制度外からの挑戦であります。

このような趣旨もあって、

本書の事例研究中には、非合法な側面から立ち上がり始めて、

最終的には合法化を勝ち取っていったという

法学上の専門用語でいうところの「無効(違法)行為の転換理論」に

近いものも紹介されています。

とはいえ、こうした事例は、何も違法行為を積極的に推奨することを

目的とするものではありません。

人間には、たとえ、制度(合法的枠内)から漏れ落ちたとしても、

生き抜く権利が、当然にあります。

憲法上の生存権をも超越する「自然権(天賦人権)」が

その最たる根拠であります。

共著者は、たまたまキリスト教系大学に勤務されている

研究者でもあることから、

このあたりを歴史的な観点に照らして、

イエス・キリストの生き方などの

紹介も踏まえた考察を加えられています。

その視点は、本書とも関わりが若干あるようですが、

前にも当ブログにてご紹介させて頂きました。

(詳しくは、『釜ヶ崎と福音~神は貧しく小さくされた者と共に~』も

ご一読下さると幸いです。)

ということで、現在、「生活保護バッシング」が激しく展開されるなど、

ただでさえ、制度の活用を必要とされている方にとって、

厳しくなっている現状である中、それでも、制度に依存せずに

生き抜く道は存在するのかを考えておくことは、

決して、「特殊」な人にのみ限定される「特殊」なテーマではありません。

21世紀以後の資本主義経済は、20世紀までとも異質な

新たな局面を迎えようと解される中、

最低限の生活を確保することも困難になりつつあります。

将来的には、人工知能との協働作業が当たり前の時代と

予想されることもあって、必然的に、雇用喪失に伴う

最低限生活所得保障制度(ベーシックインカム)の導入も

期待されています。

とはいえ、現実社会は甘くありません。

私たちとしては、あらたな制度の実現に向けて、

ただ手をこまねいて、期待しているだけでは、

生き抜くことすら厳しくなってしまいかねません。

だからこそ、余裕のあるうちに、

制度外「生活安全保障システム」の可能性を探りつつ、

連帯を幅広く社会に求めつつ、

制度外救済の枠組みを相互構築していく自発的協力態勢が

求められているのです。

今後、大きな経済成長もあまり期待出来ない生活環境の下、

いかに自らの生存基盤を確保していくかは、

すべての人間にとっての最重要課題であります。

ということで、現代人の教養として必須テーマだということで、

皆さんにもご参考になるかと思い、

この本を取り上げさせて頂きました。

高度経済成長期に見落とされてきた最底辺生活者の知恵が、今もっとも「普通の人々」に注目されています!!

まずは、本書の内容構成を要約しておきましょう。

著者は、まず本書冒頭で、一般的な経済指標から

雇用環境の劣化や短・中期的人口構造の変化などから、

「財源面」での制約(この点に関しては、

異論を提出されている論者もおられますが・・・)もあって、

「高福祉」が現実的ではないことから、

できない「理想論」をやみくもに追求する姿勢よりも

誰にでも実現可能性のある「現実面」に即して、

現行福祉制度の中身を

現場(制度外)から変容させていこうと表明されています。

そのためには、具体的事例研究が、

一番の優れた「生きた教材」になってくれます。

ということから、

主に第Ⅰ部では、

<Ⅰ 現代の「忘れられた日本人」-制度外の人びと自身による生活保障>

として、

『第1章 「飛行場」に住まう在日コリアン-不法占拠者による実践』

『第2章 福祉版「シンドラーのリスト」-生活困窮者の最後の拠り所』

『第3章 大津波における「ノアの箱船」-災害被災者の伝統的行動規範』

『第4章 ドヤ街のスピリチュアル・ケア-ホームレスはなぜ教会へ?』

といった4つの事例研究から、

具体的な公的救済制度に生活保障を期待する前に

制度外から自らの生活基盤を立ち上げていくための条件を

分析考察れています。

ここでは、「自己責任」にのみ着目した自助だけではなく、

共助(相互扶助)によって、私的セーフティーネットが

様々に構築されていく様子が活写されています。

とりわけ、第4章における「心のケア(スピリチュアル・ケア)」に

ついては、東日本大震災後に一躍社会的に注目されるようになった

臨床宗教師などの活躍も参考になります。

さらに第Ⅱ部の

<Ⅱ 福祉制度に替わるセーフティーネット>

では、

『第5章 ホームレスとしてのイエス・キリスト-制度からの解放宣言』

として、著者の表現では、いわばホームレスとして「財布を持たず」に

制度的抑圧に抵抗していった生涯から学び得る「人間」としての生き方と

その幸福論について、著者のキリスト教解釈の観点から紹介されています。

このようなイエス・キリストの生き方は、宗教的な側面だけでなく、

哲学的な側面からも、<より良き生き方>を探究していくうえで、

参考にしたいものです。

キリスト教以前の古代ギリシア世界でも、盛んに議論されたのが「幸福論」。

その頃の賢人哲学者たちが語り合った「幸福論」は、

21世紀現在でも、人類における「幸福論」の原型として、

参考にされているところでもあります。

本書では、古代ギリシアの哲人については触れられていませんが、

特にソクラテスや奇人??ディオゲネスが背中で見せた姿勢には、

現代人が、いかに欲望と適切な距離を取りながら生きる術を

取り戻していくべきかを示唆してくれるものがあります。

現代の幸福論は、<欲望>を中心とした幸福<追求論>が主流でありますが、

「幸福」とは、追求すればするほど逃げていくもののように思われます。

日本国憲法の論理も、この幸福<追求権>としての立場から論考されることが

主流ですが、「権利」や「追求」を大前提としない「幸福論」の喚起も

願いたいものです

そうした古典論(つまり、<欲望>に必ずしも依拠しない「幸福論」)から

<より良き生き方>を探究していくのも、今後の長期的低成長経済社会下で

生き抜かざるを得ない現代人にとって、

大切な視点になるのではないでしょうか?

ちなみに、管理人は、<欲望>そのものを否定するわけではありません。

あくまで、日頃の私たち現代人が無意識に志向する<欲望>の内実を

再考することによって、質的に転換させる道を探ってはみませんかと

静かに呼びかける者であります。

「モノ(物質)」ではなく、「コト(精神・心・魂)」に着目する

幸福の内実に関する質感(クオリア)を深く味わいながら、

人生の奥行きを楽しみたいものですね。

そうした姿勢を本書の諸事例とともに、

本章のイエス・キリストの歩みなどと重ね合わせながら、

哲学的考察をご自身の「幸福論」に加えて頂くと、

より実り豊かな人生の幅も拡張されるのではないでしょうか?

読者の皆さんにも、「地の塩、世の光」(マタイによる福音書)として、

「一燈照隅 万燈照国」(最澄)として、

次世代のための<より良き道標>となるために、

ともに高い志をもって、

それぞれのかけがえのない貴重な人生を歩んで頂きたいのです。

その原点へと立ち返ることこそが、

「制度」に依存し過ぎない「相互扶助」社会を再構築していく

第一歩でもあるように思われます。

言い換えますと、

「相互扶助論=協働型自治社会論」であります。

本書では、法制度の限界を乗り越えんとする視点が、

多様な角度から提供されていますが、

民事法的にも、「私的自治」は大原則であります。

極端な「私的空間」でもなく、極端な「公的空間」にも

依存しない「中道空間」とは??をテーマに、

保守的な管理人も、最近は、良質な左派リベラル思想や

アナキズムにも、そのヒントを探究しているところです。

このような既存の自分の価値観を乗り越えようとする

「天翔への意志」を持つことで、

個人的な抑鬱(神経質な保守的)体質も改善してくれています。

同じような悩みを抱えておられる方に対しては、

このような日頃の自身に内在する「知的枠組み(フレームワーク)」を

ずらしてみるのも、個人的な体験からお薦めです。

『第6章 福祉に挑むドン・キホーテ-ある研究者の知的遍歴』

本章では、共著者の実体験から、

「反福祉論」に至る知的遍歴の過程が紹介されています。

ことに、大澤先生の個人的震災体験記は泣けます。

人間は、「どん底」を体験してみないことには、

融和の奥深い理解へと到達することは難しいようですね。

机上の価値観を超克した人間的共助意識の確立・・・

これこそが、あの20世紀の大惨事から学び取ったはずの

人類史的教訓でもあります。

再び、世界に暗雲が立ち込める中、

いかに人類の精神的成長をより良き方向へと促すべきかが

問われています。

『第7章 生きられた法-法外世界の豊饒な議論へ』

本書の最主要論とも目される「生きられた法」論(金菱先生)を

展開されながら、公的救済制度に包摂される「正統的周辺参加」から

包摂ないしは社会的排除の方向へと落ち込まない「異端的周縁参加」を

志向されています。

「生きられた法」とは、『法律としてのルールではなく、

世界の使い方の実践である。』(本書206頁)とのこと。

社会的主流秩序から外された周縁領域から

自生的に生成されていく「再秩序」観が、

具体的な「生きられた法」のイメージであるようです。

そのあたりの詳細は、是非本書をご一読願いたいのですが、

その「世界の使い方」の実践例として、

前にもご紹介させて頂いた坂口恭平さんの『隅田川のエジソン』

(幻冬舎文庫、2012年、本書では186~187頁にて紹介)

などの事例を引き合いに紹介されています。

金菱先生による「生きられた法」論は、

いわば現代のアジール(避難場所)論であります。

ところで、これまでのアジール論と言えば、

網野史学で有名な網野善彦氏などによる論考が知られていますが、

金菱先生の解説では、アジール論は「法外庇護」論として

「避難所」としてのイメージで捉えられています。

一方で、もう一つの「法外」秩序として、

ホモ・サケル(「法外迫害」論)が紹介されていますが、

むしろ、こちらの論理こそ、ミシェル・フーコーなどが

暴露解体した「生権力構造」として、

近現代法秩序に「見えない形」で組み込まれた囲い込みで

あるとされています。

囲い込みは、いわば「収容所」のイメージですが、

こうした目に見えない形態での相互扶助システムには

無意識の領域における差別観も知らず知らずのうちに

醸成されていく陥穽(罠)があるとも語られています。

金菱先生による本書の提言では、

『アジールにおける法外「庇護」論とホモ・サケルにおける

法外「迫害」論との隠された交差に、法外世界の豊饒な議論が

展開できうるという考えに立つ。それは、法律との交渉や

戦術レベルとは別に、法外世界における「剥き出しの生」に

あらがう人びとによる生活実践を問題にしているからである。

そして法律が生活実践によって下支えされていることを

仮定すれば、法秩序の構造的支配の見方と、法の抵抗的構築の

見方とを、どちらか一方ではなく、ともに重要と見て、

その両者を乗り越える試みとして捉えることができる。』

(本書194頁)とされています。

このように本書では、従来の社会福祉論が見落としてきた

「法外」救済論の試みを事例研究とともに分析考察され、

その実態調査(フィールドワーク)から解析されています。

現代は、「保守的リバタリアン」による新たな「社会福祉論」が

世論に多大な影響力を有してきているように見受けられますが、

どうしても、「保守派」の立場は、「持てる者」に偏った視点のように

思われます。(もっとも、「保守派」といっても個人的生活観も多様なので、

一部分だけを取り上げて、このような偏向的イメージ像で語ることは

慎むべきですが・・・)

それでは、世の大多数を占める(管理人もこちら側です。)

「持たざる者」による新たな「社会福祉論」は、

まったく弱々しく見込みのない現実離れした理想論なのでしょうか?

そうした問題意識をもった視点で、本書を読み進めていきますと、

別の地点にたどり着けるようです。

本書の視点とも重なりますが、前にもご紹介させて頂いた

松尾匡先生などによる「アソシエーション(相互扶助組織)論」も

参考になるようです。(『新しい左翼入門』など)

管理人は、保守的な観点から、異色のアナキズム研究者だった

勝田吉太郎先生による貴重な論考などをきっかけに、

社会(共産)主義よりもアナキズム(無政府主義)に

20代の頃から親しみを持ってきました。

管理人は、できるだけ「中道」を理想軸としながら

思索していきたいと念じているだけに、

「自発的主体」としての人間像を理想としています。

世界は、今、グローバリズム(汎世界=地球主義??)と

ナショナリズム(汎国家=地域主義??)が激しくせめぎ合っています。

そうした時代の転換期には、「国家」による社会福祉制度のみに

過度に依存し過ぎることは危険でもあります。

かといって、「持たざる者」にとっては、新自由主義の立場に立つ方や

強固な「個人的」自立志向に立つ「保守的リバタリアン」による

「持てる者」に親和的な生活設計論もあまり参考になりません。

(例:ロバート・キヨサキ氏の『金持ち父さん』シリーズなどが典型)

そこで、「持たざる者」にとって、「第3の道」はないかと探索しているわけ

ですが、ここに、「私的相互扶助」のもう一つの世界観がありました。

おそらく、低成長経済かつ不安定な雇用環境の中で、

「稼ぐ力」を模索せざるを得ない大多数の方なら共通する最重要テーマだと

思われます。

そんなご時世でもあることから、今、巷では、

かつての高度経済成長期に見落とされてきた最底辺生活者の

強かに生き延びる生活の知恵や、

外国人バックパッカー(かつてのヒッピー族??)などの

遊びながらしぶとく生き抜く生活実践術などに

注目が集まっているのだと思われます。

とはいえ、そうした生活の知恵も、自分で実践してみないことには

活用することもできません。

まとめますと、本書では、そんな「公的」救済制度から漏れ落ちたとしても、

「備えあれば憂いなし!!」を志向する『反福祉論』であります。

本書で、著者は、必ずしも、現行福祉制度の恩恵や存在意義を

否定されておられるわけではありませんが、

とにかく、人生には「思わぬ展開」がつきものですから、

急場しのぎの知恵であれ、事前に知っておく価値はあります。

本書には、そのような人生における急展開が生じた際にも、

思考停止状態に陥り、一人で悶々としなくてもよい具体的事例が

紹介されています。

本書の共著者には、そんな意味もあって、わが国のセツルメント活動に

多大な貢献をされた「平成」の賀川豊彦氏を思わせる風貌があります。

今後とも、優れた研究成果を世に還元して頂きたく、

ささやかながら応援しています。

お金に依存し過ぎる経済生活から解放される道を模索しよう!!

さて、ここまでで、本書のあらすじの要約は終了しましたので、

ここからは、管理人の個人的話題を挟みながら、

若干の自省的考察をご参考程度に提示させて頂きます。

(個人的話題は、恥ずかしいことですが、

そこを恥ずかしがることなく、惜しげもなく公開するのが、

創作者人生だと確信していますので、今後とも「個別から普遍へ!!」を

通じた「根源の<事象そのもの>へ!!」を目指していきたいと

考えています。読者の皆さんの声なき(時には、有意義なコメント)支援を

頂けると、より創作意欲も掻き立てられますので、

どうかご支援下されば、これ以上なき有り難さでございます。)

現在、管理人も、世の人の例に漏れることなく、

当ブログ活動の「仕事」外にも、

別の「生業(生活の糧=要は、お金ですが・・・)」を頂いています。

そこで、ここ数ヶ月は、毎日の更新までは完璧に実践できていないのですが、

(その代わり、書ける時間が出来れば、サービスさせて頂く気持ちで、

あまりブログには相応しくないとされる長文でお届けさせて頂く所存です。)

早朝から午後3時過ぎまで、実は「肉体労働」に従事させて頂いています。

「肉体労働」といっても、物流関係での入出庫業務などの

中程度の肉体労働ですが、これが、また当初想定していた以上に、

生活にリズム感をいい意味で与えてくれているようです。

また、内に籠もって淡々と黙々とする仕事にはない心地よさもあります。

よい意味でのコミュニケーションも取れるようになりましたので、

ストレスも軽減され、抑鬱感情もここのところは、

ほとんど消え失せてしまったかのようです。

職場の方々には、ほんと感謝・感激・雨霰であります。

管理人は、これまでの人生では、あまり「肉体」を重視した

生き方をしてこなかった傾向にありましたが、

やはり、「頭でっかち」になりすぎていたのが、

精神的煩悶(抑鬱気質や対人恐怖症=社会不安症)の原因だったようです。

とはいえ、10代から20代前半の学生時代までは、

「肉体」を動かす課外活動もしていたのですが、

その頃のことを思い出すと、

「肉体を動かせば、頭も冴える!!」、

また、「人間関係も比較的順調よく展開する!!」という定理??は、

あながち的はずれでもなかった人生経験もしてきましたので、

「人生で煮詰まった時には、元気だった頃の原点に回帰しよう!!」との

観点から、今は「原点回帰リハビリ中!!」であります。

どうやら、管理人にとって、20代後半から現代の30代後半期に

差し掛かる人生の中でつかんだ教訓は、

「身心のバランス」が何よりも大切だという

人間なら当然自覚していなくてはならない自然の法則だったようです。

肉体を動かしていると、人間関係にも前向きになれますし、

経済的には苦労もあり、活動領域の幅は、

「持てる者」に比較すると、小さすぎますが、

かえって、資源が乏しいからこそ、

知恵も湧いてくるようです。

「お金が無ければ無いなりに、面白い生活の工夫は出来るものだなぁ~」と

昨今は、しみじみと感慨深い思いでいます。

こうして、語らせて頂く「場」を設定させて頂いているのも、

そんな「面白い生活」の知恵と実践の一環であります。

管理人も、「仕事」として、書評ブログを創作させて頂いているからには、

様々な方々の個性的なブログを始めとした情報発信媒体を

研究させて頂いています。

そこで、日々実感もし、痛感させて頂いていることがあります。

それは、「最初から、<稼ぐ力=収益力アップやアクセス数の増加など>を

考えていては、長続きしないだろうという予感」であります。

「まずは、長続きするためには、自分が楽しめなくてはならない!!」という

当然の事理を意識しながら、「継続は力なり!!」を確信して、

事業展開させねばなりません。

その意味で、日々、様々に新しい視点を学ばせて頂いています。

それが、課外での「生業」仕事にも役立っているようです。

読者の皆さんの中にも、ブログ発信をされている方もおられるでしょうし、

未体験の方もおられることでしょう。

未体験の方にもお薦めですが、

たとえ、最初は「バーチャル空間」からであれ、

現代は、インターネットを活用したビジネスも盛んです。

とにかく、ビジネスでは、結果(収益)も大切ですが、

「働き=みんなを楽しませようとする動機的生活行動」の方が、

さらに大切であります。

今後の長期的低成長経済と人工知能との協働社会を鑑みると、

後者の視点(つまり、「働き=みんなを楽しませようとする動機的経済活動」)が、

より前面に押し出されていくのではないかと予想もしています。

「資本」主義と言えば、長らく「貨幣」資本主義時代が

続いてきましたが、今後の数十年内外には、

「貨幣」の役割(意義)自体が激変する予感もします。

「ビットコイン(仮想通貨)」などの出現もそうでしょうし、

地球上の生態系の激変が、逆に、これまでの人間的経済活動の

制御へと強く働きかけてきているようにも感じられます。

そんなこともあり、今更皮肉なことでもありますが、

保守的な管理人が、「マルクス」などを紐解くように

なってしまったようです。

彼が生きた時代の限界や、変革の方法論には難点もあり、

歴史的総括として、実際に世に現れ出た「革命騒ぎ」が、

結果として、大厄災をもたらしただけに、

「取り扱い要注意!!」ではありますが、

その考え方の究極的理想論には興味関心があります。

ただ、社会(共産)主義思想にも多様な考え方があるようですが、

当初予想されていた「水平」運動が、

「階級闘争」といった「垂直」運動に展開していったことは、

反対の思想的立場から見ても、残念でありました。

今後の未来社会では、「持てる者」と「持たざる者」の邂逅と

文化的成熟度が資本主義の次なる革新のキーワードとなるようです。

そんなことを、先週末に読了した

ガルブレイスの『悪意なき欺瞞~誰も語らなかった経済の真相~』

(ダイヤモンド社、2004年)から考えさせられたところです。

まとめますと、近現代社会の思想原理(理念)が、

「利益共同体」に偏重した「個人的利害関係」を

極度に依存させてきた人間関係社会だったことが、

多くの人びとに「不和と憂鬱」をもたらしてきた原因だったということです。

宇宙的次元から考察してみると、

やはり「不自然きわまりない」世界観だったようですね。

ということで、今回は、ここまでとさせて頂きますが、

皆さんにも本書『反福祉論』を参考に触発されながら、

今後、短い期間に予想される時代の変化に賢く柔軟に適応し得る

生活防衛の知恵と知識を学んで頂きたいと思い、

本書をご一読下さることをお薦めさせて頂きます。

最後までお読み頂きありがとうございました。

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