坂口恭平さんの「独立国家のつくりかた」本書を読むと、いかに日頃「想像力・創造力」を死蔵させているかが判明します!!

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「独立国家のつくりかた」

ユニークな視点で、日常社会の盲点をつく

様々な創作活動を展開されている坂口恭平さんに、

現代では忘れ去られた「一国一城の主」の原点を

聞いてみましょう。

21世紀に入り、急激に上昇を続ける「情報経済社会」。

私たちは、このあらたな経済社会に潜在的に組み込まれた

「未来経済の先駆性」について、未だ気付いていないようです。

未来経済の「夜明け眼」を、本書で一気に開眼させましょう。

今回は、この本をご紹介します。

「独立国家のつくりかた」                 (坂口恭平著、講談社現代新書、2012年)

坂口恭平さん(以下、著者)は、1978年生まれ。

『職業はいまだによくわかっていません。なので、僕はいつも

「あなたは僕が何者だと思いますか。それが僕の職業です」と

言うことにしています。でも、やっている仕事自体は

はっきりしている。』(本書3頁<まえがき>冒頭分より)

と自らの存在を定義付けられておられます。

日常生活が、当然に未来永劫「固定したものとして」続くものと

「共同幻想」に身も心も侵食されてしまった人間にとっては、

「完全に人を食った奴だ!!」との感情も湧き上がるでしょうが、

管理人にとっては、むしろ著者こそ「現代のソクラテス」だと

感じています。

「無知の知」・・・

この深い神秘的な響きを頭で理解することは出来ません。

体(魂・心)で直感的に感じ、体認・体得する姿勢からでしか、

この奥深い叡智と自らの全身とは共感共鳴し得ないようです。

管理人も、「自由」を追究(念のため、<追求>ではありません。

なぜなら、<追求>路線を志向し始めた瞬間に世界との間に<亀裂>が

生じるものだと、強く確信しているからです。)する共有生命哲学的人生を

理想としていますが、本書にも私たちが普段忘れてしまっている

「哲学的生き方」の叡智に満ち溢れているようです。

著者は、本書によると、躁鬱的な感覚(著者は、あえて<病気>ではなく、

<状態=ある種の精神的・肉体的スペクトル>として、ご自身の躁鬱感覚を

位置づけておられるようです。)と表現されておられるように、

ご自身を「現代社会に対するセンサー」として、現実世界で生起する

あらゆる現象を体感しておられます。

管理人は、1979年生まれで、躁鬱気質や神経不安症などを幼少の頃から

抱えてきましたが、そのあたりも著者の思考法に共感共鳴するところであります。

管理人は、著者のような創造力あふれた<活動家>ではありませんが、

いつも陰ながら応援させて頂いている<市井に埋もれた人間>であります。

前にも当ブログで語らせて頂きますように、管理人にも「躁鬱病」を抱えた

生涯の恩師であり、年輩の友人がいますが、「躁鬱病」の苦しみは、

不定期に「躁鬱状態」が表出するために、絶対的な安心感が得られない点に

あります。

著者も、本書で「躁鬱気質的人間」の処世について、語っておられますが、

「絶望眼の使いかた」という貴重な論考は、

管理人にとっても「命の安らぎ(糧)」となっています。

なるほど、こんな見方・感じ方・使い方もあったのか?

ならば、「着眼点」をどこに据えるかの日常的練習を積み重ねればよいのか・・・

と、学ばせて頂きました。

また、ことに「神経不安症」に悩まされる人間にとって、社会の視線というのは、

たとえそれが<共同幻想=自意識過剰反応>だと、頭では理解出来ても、身体感覚が

硬直してしまうことは否めません。

そんな時には、本書によると、「自分を一個の機械」と考えつつ、自分の姿勢を

全身感覚で、「絶対肯定(断定)」することが必要なのだと、これまた、

世間一般の論理とは異なる「解答」を提出されています。

なぜなら、著者によると、自らの信念でもって立ち位置を決定し、

現実社会での処世に自信をもって生き抜くことこそが、「かげないのない人間」の

この世における役割だからです。

この姿勢は、<交換>に力点がある現代経済から、<交易>に支点を移動させることが

常に要請される<未来経済>にも通じるようです。

著者の表現では、「態度経済」ということです。

「無責任体系社会から責任体系社会への書き換え上書き保存」が、

これからの社会では、ますます一人一人に要求されるのだといいます。

本書は、そんな意味で、私たちが通常感覚では見落としている「盲点」に

気付かせてくれるとともに、自らの全人格をかけた生き方を覚醒させてくれる

好著です。

ということで、皆さんとともに、「日常社会の中で、常識(固定観念)に

凝り固まってしまった全身を解凍していきましょう!!」との観点から、

この本を取り上げさせて頂きました。

なお、本文に入る前に語り忘れましたが、前にも当ブログで著者の別著である

『現実脱出論』(講談社現代新書、2014年)

すでにご紹介させて頂いておりますので、

そちらの記事もご一読下されば幸いであります。

昨日の記事で、「社会をつくる自由」について考察していた際に、

本書を再読させて頂き、あらためて「盲点」が浮かび上がってきたこともあり、

本書をご紹介させて頂きたく思いましたので、

今回ここでご紹介させて頂く運びとなりました。

「独立国家」から「独立国家共同体」へ向けた試案

さて、前置きが長くなってしまいましたが、本文に移らせて頂きます。

まず、本書のタイトル『独立国家のつくりかた』とあることから、

過激な思想言論が展開されるのではないかと憂慮・誤解された方も

いらっしゃるかもしれません。

「大丈夫ですよ、杞憂です。」

ただし、本書を最後まで丁寧に読み進められた後には、

「現実感覚(認知的歪み)が、相当矯正されますので、そのあたりは

各自ご注意願います(笑)」

ところで、『独立国家のつくりかた』ですが、管理人も学生時代

一応「法学部」に所属しており、社会人になってからも、

実際に数年間「法律実務経験」がありますので、この点も加味しながら、

本書を独自性の視点も取り入れながら、ご紹介しながら

考察していくことにいたしましょう。

その根本は、やはり今も昔も「土地問題と税金問題に尽きる!?」

ということです。

著者は、理工学部建築学科ご出身の、いわゆるプロとしては

「建築しない創作的建築家」としてご活躍中とのことです。

その意味では、「総合芸術家」であります。

この「プロかアマか??」論争も興味深いところですが、

(何だか「アナ(ーキスト)かボル(シェビキ)論争みたいですが・・・)

ここにも、大きな難題が控えているようです。

かえって、アマの視点からプロの問題点を鋭く精確に分析され、理解されて

おられるだけに、かつては「実務経験」のあった管理人にとっても、

あらためて反省させられました。

やはり、「プロ」の悲しい性は、他人がすでに創造してしまった

「プラットフォーム内での思考法」に限定(枠付け)されてしまう点に

「限界」が生じてしまうのでしょう。

本来は、プロ業界内での「自浄作用=つまり、日頃から疑問点を持ち、

日々現状を更新していく、それもスピーディーに鋭く!!」が機能しておれば、

業界内外での「常識のズレ」から生じる事件(事故)を未然に防止することが

叶うのでしょうが、現実的には業界内の「横並び意識」に遮られ、どんなに

個人的に優秀であっても、様々な「しがらみ」から抜け出せないようです。

こうした角度から観察しても、今ほど「独立意識の芽生え」が

重要な季節も前にも後にもありません。

著者も、「プロの肩書き抜き」で実際に「創作建築」に取り組まれる中で、

日本の法体系の「あやふやさ」や多層構造(層=レイヤー)という視点を

獲得していきます。

その「盲点」を視覚化・言語化することで、「抽象的なイメージ像」を

「具体的な鮮明画像」へと変換されていきます。

ほとんどの人びとが、薄々感づいていても、気付かぬふりをして

通り過ぎるところ、著者は立ち止まり、根本から考察されていきます。

とともに、改善点なども、自らの「創作活動」を通じて、明確にしていきます。

そうした著者の「哲学する実践活動家」として、生計を立てつつ

一歩一歩、社会を改良していこうとされる覚悟に敬愛の念を抱きます。

とはいえ、著者も「才能に上下はない!!」

「隠れた才能は誰しも所有していても、その固有性に気付かず磨かず、

その使い方の方向性がまずいのだ!!」との哲学をお持ちのようです。

つまり、自分なりの独自の世界観を明確に表現する術と生計術などが

噛み合っていないために、「骨折り損のくたびれ儲け!!」の念に

駆られるのではないかと指摘されています。

その著者なりの、具体的な方法論が、「実録・僕の態度経済」という

形で、詳細に活写されています。

また、未来へ羽ばたく若者向けのアドバイスには、

①「人生はやり直すことができない」

②「自分のやりたいことなんてどうでもいい」

③「創造とは疑問を問いにすること」

④「死ねない環境をつくる」という視点を提供してくれています。

特に、④「死なない」ではなく「死ない」というところに

重要なヒントが隠されているようです。

だからこそ、②「自分のやりたいことなんてどうでもいい」という

アドバイスが、魂の奥底に響いてくるのです。

『自己実現をするのではなく、社会実現に向かっていく。

それをまず決めるんだ。』(本書163頁)と語ります。

まさに、

「かくすれば かくなるものと 知りながら

やむにやまれぬ やまと魂」(吉田松陰という情念(パトス)こそが、

「生き抜く原動力」になるということです。

戦後は、この逆ばかりで、政治的立場を問わず、「現実社会の共同幻想」を

そのまま「真実!!」とする硬直した見方と引き換えに、

一人一人の「かけがえのない人生(いのち)」が空洞化させられていったようです。

今たまたま和歌に話題が及んだついでにですが、どうしても個人的に

ぬぐい去れない悲しみというか、若者の怒りを代弁させて頂くことを

お許し願いたく存知奉り候・・・

表現は、古風でユーモア感も込めていますが、真情(誠)は、

真剣であります。

先だって、たまたま某新聞の論壇に目が触れたのですが、

「最近の若者は、低欲であり内向きだ!!」と評する

某著名作家のコラムがありましたが、管理人個人としては

「決して(断じて)、否!!」と申し開きしておかなくては

それこそ、「やむにやまれません!!」

この方は、日本の高度経済成長の象徴である壮大な企画を演出されて

こられたことでも有名ですが、このご時勢に

「何とピントはずれなことを・・・」と、静かな(いや熱きか?)怒りを

覚えたのですが、これからの<未来経済>を見据えたうえでは、そもそも

1970年代~1990年代の日本および世界と現在では、比較しきれないほど

「経済観念における世代間の断絶」が感じられるからです。

「誰しも、この急激な時代の勢いには逆らえないのですから・・・」

「いかなる人間も、時代の制約を逃れきれないからこそ、生きている間に

道端に咲いている可憐な草花を見つめて、勇気をもらうのでしょうに・・・」

この厳しい経済環境の中でも、何とか死なずに、また、

なるたけ自他共に無用な摩擦を回避しながら、必死な思いで駆け抜けようと

している若者(老若男女)に対して、

「なんとまぁ~、無慈悲なお言葉よ・・・」と感じさせられたのです。

そこで、本書と個人的な絡みで、大変恐縮ですが、是非とも強調しておきたかった

ことですが、この論考を「躁状態」の時に読んだと仮定すれば、多少は「感じ方」も

変化したのかもしれませんが、この時たまたま「抑鬱状態」に管理人もあったので、

ものすごい悲しみに襲われたのです。

そんなこともあり、あらためて「言葉(表現)とは、恐ろしいものだ!!」との

自覚に駆り立てられた次第です。

「デフレ期(人間の健康に例えれば、抑鬱期)」に、

「低欲社会から高欲社会」という方向性で「インフレ期(同じく、躁状態期)」へと

誘導させたいとの経済観念も、この某著名作家には

おありだったのでしょうが、管理人から見て正直つらく痛いものを感じました。

いずれにしても、「欲」に対するイメージ像が、異なるという訳です。

(長々と、個人的な陰鬱な文章を綴ってしまい申し訳ございません。

ここの文章にお気に召されなかった方は、無視して頂いても構いません。)

閑話休題・・・

ここで、心機一転しましょう。

本書の原点『独立国家のつくりかた』の源流となる「独立精神」と

先程語り置いて中断していた「土地問題と税金問題」について、

考察していきます。

まずは、本書の主題「独立国家のつくりかた」を考えていくうえで、

最大の社会的壁が、「法律の壁」であります。

先に断っておきますが、本書は現体制を「不法に否定」する視点を提供するような

「革命文書」ではありませんので、あしからず・・・

むしろ、現実世界との協和を目指すものですが、現実社会における

様々なしがらみによって絡め取られた「社会的盲点」を指摘し、

あらたに再構築する「問題提起の書」であります。

著者の表現では、現実社会に隠れて不活発な「潜在的経済活動=態度経済」を

活性化させ、多様な層(レイヤー)を創造的に組み替えようという思想です。

著者は、本記事末尾でご紹介させて頂くように、

これまでも様々な「0円生活・0円ハウス」など、ホームレスの方々などの

ご協力の下に、「視点をずらす多様な生き方」に関する書籍を刊行されてこられました。

これらの書籍は、「ミニマリスト(最小限生活主義者)」にも参考にされてきたようです。

こうした著者の一連の書籍の中で、具体的な「家のつくりかた=モバイルハウス(動く家)」

を学んで、過酷な路上生活から脱却された方もおられます。

要するに、「実用書」でもあります。

こうした「モバイルハウス(動く家)」という考えは、

若くて貧しい日本人の経済観念を大きく揺さぶったようです。

「不動産」でもなく、純然たる「動産」でもなく、「可動産」・・・

一見、「部外者」が読むと、思わず「こんなの大丈夫かよ、笑っちゃうよ!!」ですが、

いやはや、これが法律上の難点もクリアした<つわもの>なのです。

もっとも、粗製濫造したような「にわか作りのモバイルハウス(可動産)」では、

公道(私道もですが・・・)を悠々と通り抜ける訳にはいきませんが、

本格的なキャンピングカー(トレーラーハウス)などに模した「手作り可動産」なら、

移動も自由自在・・・とまではいかないようですが、

一定の居住区域を移動生活する程度なら、法律上の壁にも引っ掛からないそうです。

事例としては、家庭用菜園が可能な程度の若干広めの土地だけ購入しておいて、

「可動産(モバイルハウス)」を設置しておくという活用法や、

土地をわざわざ購入せずとも、人との縁しだいで、移動家屋として

様々な活用(例えば、移動販売車など)も出来そうです。

そのあたりは、アメリカと異なり、国土面積の極めて狭い日本のことですから、

実用的には、「かなり厳しい!!」ところもあるようですが、

著者も強調されていますように、「要は、考え方(頭の働かせ方)次第!!」

ということです。

本書を読むと、プロの「法律実務家」でさえ、

「そんなのアホらしくて考えたこともない!!」ということになりそうですが、

ここには、「法律の盲点=社会(人間)の盲点」も読み取れて勉強になります。

「土地問題」から考察すると、確かに日本だけでなく余所様の国でも、

人類史の流れから見れば、「公有(共有)から私有(所有)」であります。

現行民法でも、法人格や共有のあり方には様々な形態(そういや、

昔<総有=入会権>や<合有=組合財産>なんていう法律用語もあったなぁ~)

が存在すると解釈されてきましたが、ここで面白い視点が得られるのは、

必ず「法律実務は、習慣的事実を後から追認する!!」という性質があることです。

ただ、問題は、その「習慣度数=社会的認知度」なのですが、

ここに大きな隠されたヒントがあるようです。

「独立国家のつくりかた」という観点から語れば、

著者も大まじめに(こうした点にも魅力を感じるのですが、

だって、これこそ「常識人」が出来れば厄介な問題を

避けて通りたいテーマですから・・・)

「国家の成立要件」として国際法上のモンテビデオ条約を読破しておられる

ようですが、一定の「国家承認要件」を満たせばいいのですが、

現実的な「規模の経済」が、政治上でも働くことは否めません。

法律を学んでいたこともあり、若干は一般の方より事情を知っていますので、

もう少し突っ込んでみますと、「不動産」には「時効取得制度」が現に存在しますし、

「動産」についても、「無主物先占法理」が存在します。

こうした「法理(制度)」を見ても、法律は「慣習=既成事実の積み重ね」を

重視していることが判明します。

こうしたことは、普段の日常生活を無難に過ごしていれば、「プロ」でも

実際的な相談があまりないものですから、忘れがちになるものです。

その意味で、「プロ」も何でも即座に応答出来る訳ではないのです。

という訳で、法律相談に出かけられる方は、一応そのような「人間的事情」も

知っておいて下されば、幸いです。

かつての同業者や、法律家の知人友人の声を愛情を込めて代弁しておきます。

それはともかく、「不動産」については、「動産」とは異なり、

「無主物先占」が認められていない点に注意が必要です。

「無所有不動産は、国庫に属す。つまり国有財産なのです。」

この応用バージョンが、

日本の「領土確認懈怠問題(あえて、領土問題とは言いません。)」ですね。

「実行支配」されてしまえば、個人でも恐ろしいことになるのに、

国家間だとさらにややこしくなるからです。

言うまでもなく、「最悪の事態」にもなりかねません。

だからこそ、「火種は小さいうちに消しておこう!!」なのですが・・・

いずれにしても、これほど「空き家問題」が社会問題になる時代なのですから、

もっと「国有財産(無所有物件)の有効活用法」のアイディアを

民間にも募ったらよいのではないでしょうか?

但し、歴史的な教訓から、昨今大流行の

「官有物払い下げ=安易な民営化路線」は、考え物だと思われますが・・・

「汚職問題が後を絶ちません」

「公共空間(一部、私的空間も)の有意義な活用法」とともに、

「景観に配慮した美しい歴史的まちづくり」にも関心を払いたいところです。

それにしても、最近の建築家のレベルが低下したと感じるのは、

管理人だけでしょうか?

「感性・霊性、そして知性の劣化も疑います!!」

そんなことも本書を読みながら、あらためて考えさせて頂きました。

「税金問題」についても、「代表なければ課税なし=納税自主申告制度」が、

「民主主義の原点」なのですが、この問題はまた今度にしましょう。

ということで、「土地問題」に絞りますが、このように現実的な摩擦を

避ける知恵を、著者はホームレスの方に学んだといいます。

それが、多様で豊かな空間活用法の様々な事例です。

このあたりも、法律上は「区分地上権(空中権・地下権)」など

法律実務上は、様々な難題を抱えているのですが、

本書では、そういった現実的な法律活用の話ではなく、

「視点をずらす創作力」が主題であります。

「豊かなイメージ形成能力によって、現実を操作処理する」

そうした「レイヤーライフ(層生活)」の話であります。

ここでは、現実的な摩擦回避術が詳細に触れられていますが、

この点は本書や巻末文献をご一読下さることをお薦めします。

そういった各人による「体感的空間処理能力(創造力・想像力)」が、

著者の語るところの、「独立国家」です。

その各人の「独立国家」の多様な交流によって、拡張された意味空間が

管理人がこのタイトルに込めさせて頂きました「独立国家共同体」であります。

DIY(自分でやり抜く精神)が創造していく共有経済

ということで、今日は(もちろん、日々一記事一入魂ですが・・・)

力が入っています。

著者も語っていますように、「書くことが、躁鬱状態のバロメータ」になるようです。

だいたい管理人の場合は、木曜日あたりから日曜日午前中までが、「躁状態」のようです。

日によって、バラツキがあるのです。

そんな感じで、「また日は昇る!!」を信じて続けましょう。

本書を読み進めていくと、理解が拡張されていくのですが、

現実社会でも仮想現実社会(実際には、この情報経済社会では

あまりこだわる必要はないと個人的には感じていますが、

要は、著者の言葉をお借りすれば「態度経済」との付き合い方の問題です。)

でも、一定の「スペクトル状態(ミクロ=離散的+マクロ=連続的??)」の中で

人間が生きていることが、物理学的にも判明してきているからです。

最近の流行の表現をお借りすれば、「アバター的拡張現実体」でしょうか?

管理人は、そんな器用な生き方は出来ませんし、

ただでさえ、混乱を来してしまいますから・・・

そういうこともあって、多くの方々が、精神的に不安定な状況に

追い込まれているのかもしれません。

ですから、「情報経済社会」をうまく生き抜くためには、

逆説的ですが、「人や自然(世界)との付き合い」が大切になってきます。

無理をせずに、各人の許容範囲で、少しずつ歩を進めればよいと思います。

そのためには、一見矛盾するようですが、

「孤立(孤独)の中で、自分磨きもする必要がある」ということです。

それが、上記の「DIY(独立ハングリー)精神」です。

そして、孤独な「静寂の時間」に養った英気が、人との縁を通じて、

開花していくのです。

「断じて行えば、鬼神もまた避く!!」

「論語」でしたか、そんな言葉もありましたが、

著者も本書で強調されているように、

「ただひたすらに、己の道を信じて、断定することが大事!!」と

いうことです。

そういう点も踏まえて、ここは言うまでもなく「日の本(日本)」ですが、

アメリカの建国理念(独立精神)にも、ここのところ興味関心があって

色々調査しているのです。

と同時に、「日本の建国理念(独立精神)とは何か?」についてもです。

私たちの日本は、「人工国家」でも

「亡命(移民)国家(昔の故事には例外もありますが・・・)」としても

建国されたとは一般的には思われていないようですが、

最近の様々な「世界史から見た日本史研究」の成果からは、

こうした長らく信じられてきた「幻像」も崩壊しつつあるようです。

管理人の調査した範囲では、まだまだ学びは当然不足していますが、

日本人のご先祖様も、様々な地域からこの「列島」に集まってこられたそうです。

アルフレッド・ウェゲナーの「大陸移動説」を持ち出すまでもなく、

太古は大陸から渡ってきたことは、十二分に考えられますし、

(もっとも、専門学者から見れば原日本人類とマンモスなどが生きていた時代との

厳密な時代区分に違いがありすぎる!!と指摘されましょうが・・・)

時代が手前に下って(現代に近づくという意味です。)からでも、

海を航海しながら日本に渡来上陸されたことは、古い神社仏閣の痕跡から

確認されます。

残された「歴史的文献」だけの「実証史学」だけからは

見えてこない世界です。

こうした「歴史的盲点」も「社会的盲点」と対応させながら、

私たちは学んでいく必要があるようです。

その意味で、本書は「常識を揺さぶってくれる好著」であります。

映画『マトリックス』に出てくるような

「マトリックスの住人」になるだけの

「外の世界」との接点が切断されたような人生で

貴重な生涯を閉じないためにも、

日々お互いに積極的に学び合いながら、いずれの日にか

読者の皆さんとも、どこかで縁がつながれば幸いであります。

まとめますと、「純粋な私的空間(私人)から純粋な公的空間(公人)の

境界上にも、多様な<層=レイヤー>が存在する!!」ということです。

その様々な場面(層)で、お互いの「交換」ではなく「交易」経済生活を

交わしていくこと。

それが、著者の言う「態度経済」であります。

この「態度経済」は、必ずしも「評価経済」ではありません。

今流行の「評価経済」も、一応は「脱貨幣(情報)経済」を目指しているようですが、

管理人の見るところ、あれは「完全な幻影であり、単なる知的遊戯のレベルにとどまる

ものではないか・・・」と感じています。

なぜなら、あちらは基本的に「バーチャルな記号(情報)経済」を想定して

論じられているようだからです。

「記号(情報)」ではないんです。

著者の「態度経済」に込めた想いも、そんなところにあるようですね。

「生き生きとした人間として、想像力(創造力)を駆使した超情報経済」でしょうか?

ですから、<未来経済=情報経済社会>と一口に表現しても、

多様な「切り口」があるのです。

著者は、最後に「芸術とは、生きること=もっとも純粋な政治活動」として

とらえられているようですが、おそらくここから

日本人にもあった「独立精神」が

芽生えてくるのではないでしょうか?

また、著者への好感度を上げた点に、

著者の「芸術(創作活動)観」もあります。

先程の「評価経済」との関連で最近よく耳にする

「芸術起業論」でもないからです。(本書102頁ご参照)

このあたりも前に当ブログでご紹介させて頂いた

ジョン・ラスキンの『芸術経済論』に通じるものも

感じられたからです。

何でもかんでも、「ランキング化(マネタイズ=金銭評価志向)」

しようとする、昨今の軽薄な風潮にも異議申し立てされているからです。

最後に、著者の言葉をお借りして筆を擱かせて頂きます。

「鬱が起点になる」

「絶望眼が目を覚ます」

「死にたい時はとにかく見る」

(本書<絶望眼の使いかた>181~190頁から)

人間による、ある現象に対する認識は「4つの視点」

つまり、個別具体的に矛盾対立する角度から切り分けてしか

見ることが出来ないといいます

管理人が個人的に私淑させて頂いている

今は亡き「飛騨の仙人」にそのように教えて頂きました。

わかりやすいたとえとして、京都にある弘法大師ゆかりの

「東寺」の「立体曼陀羅」、そのうちの「六大仏」が

そのことを表現しているといいます。

そのことを知っておれば、

現象界における分裂像を一つの焦点へと統覚を結ぶような

動態的(有機的)な見方を身につけることが出来るのかもしれません。

「相互誤解を少しでも軽減する秘訣もそこにある!!」ようです。

また、語り合いましょう。

なお、著者の別著として、

「ゼロから始める都市型狩猟採集生活」(太田出版、2010年)

「TOKYO0円ハウス 0円生活」(河出文庫、2011年)

「隅田川のエジソン」(幻冬舎文庫、2012年)

「TOKYO一坪遺産」(集英社文庫、2013年)

「モバイルハウス三万円で家をつくる」(集英社新書、2013年)

「坂口恭平躁鬱日記」(医学書院、2013年)

をご紹介しておきます。

最後までお読み頂きありがとうございました。

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