番外編:妖怪へヴィメタルバンド陰陽座『甲賀忍法帖』のテーマで♪♪~信楽・甲賀旅情編~

Pocket

いつも当書評ブログをご支援頂き誠にありがとうございます。

今回はしばしの休憩期間をつなぐ紀行文エッセー記事を

お届けしますね。

題して<番外編:妖怪へヴィメタルバンド陰陽座『甲賀忍法帖』の

テーマとともに旅する信楽・甲賀旅情編>であります。

信楽・甲賀の里にも移りゆく時代の変化を実感させられた   <鎮魂巡礼>の旅でした!!

さて、本日は一年に一回相思相愛の運命の人に出会えるかもしれない??

昔ながらのご縁結び祈願の日<七夕の日>ですね。

大阪ではこの祭りが終わればいよいよ夏本番の季節が始まるとも言われている

<大阪3大夏祭り>の1つである愛染祭り

先週末には例年に比べ規模が縮小されたとはいえ無事終幕を迎えて

7月に入ったところです。

ところで、その例年よりもかなり規模が縮小された理由ですが、

四天王寺「愛染堂」勝鬘院の広報担当者の方による声明発表や

マスコミなどの報道によれば、昨今のあまりにも目に余る

主に一部若者を中心としたマナーの悪さが際立ってきており

近隣住民への損害事例も多発してきたからだといいます。

そのような諸般の事情が積み重なって

本年からはかなり規模を縮小したうえで

本来の神仏事としてのあり方から祭りの原点に立ち返って

世間一般に今一度考え直して頂きたいとの趣旨から

<愛染祭>再出発へのご理解とご協力への願いに

立ち至ったといいます。

さすが四天王寺さんです。

昨今は国内の有力寺社の教導者にまで「不倫」報道や

「殺傷」事件などにまで立ち至る禍々しき事例が増殖する中、

四天王寺さんのご決断には多大な拍手を送ります。

さすが有名芸能人など優れた人財を多数輩出されてきた

学校教育機関を擁する日本仏法最初の寺院です。

そう言えば今話題のテレビCMで『紅』(X)を

熱唱されているあの某女優さんも大阪時代の中学生時分には

ご在籍されていたとか・・・

ウィキペディア情報による)

ますますのご活躍をお祈り申し上げます。

人はどのような教育を授けられ、また本人自身も

どのように自発的に学び続けてきたかでその後の人生における

人間的成長過程で多大な影響が現れ出てくるといいます。

「教育とは授け方・学び方次第でいかようにも変化してしまう

ほんと恐ろしいプログラミング手法ですね。」

「皆さんも心して取りかからないとあらぬ方向へと

誘導されてしまうかもしれませんよ。」

「ですから、若い皆さんも教育内容にはくれぐれも敏感に

なって頂くよう真贋(心眼)力をどんどん磨いていって下さいね。」

ところで、祭りの期間中は

昔から<ハレの日>と言われるように

誰しも楽しい時々で特に青少年くらいの年頃であれば

騒ぎ廻りたい気持ちも十二分にわかりますが、

やはりマナーを守ってじっくりと味わいたいもの。

同じ年頃でも静かに祭りの余韻を楽しみたいというカップルの方なども

たくさんおられるはずだからです。

それが<祭り=結び>が含有する本来的意義でもありましょうから・・・

昨今は本来の祭りの意味すら学校や家庭教育で教わることもなく

心得違いした輩が老若男女問わずに増殖中だとか。

本当に悲しいことです。

日本文化の衰退がこんなところにも表出してきているようです。

これも管理人が見るところ、<祭りと宗教行事との関連性>が

戦後「聖俗分離志向型」教育の影響なのか

日本国憲法において定められた政教分離規定の行き過ぎた誤解釈が

効き過ぎた原因なのか

学校現場でも<宗教教育>につながりかねないとの一部の政治勢力からの

批判を恐れた影響なのか初等中等義務教育でも教わる機会が

年々歳々なくなってきた影響なのかもしれません。

先週末6月30日は同じく「夏越の大祓日」。

12月31日の大晦日と同様、

せめて年に二回だけでも日々の己自身の心の罪科と真剣に向き合いながら

「人間とはいかなる存在なのか?」

「それぞれの固有人生に与えられた命題とは何なのか?」など

考えてみたい<節目の時日>でもありました。

もちろん毎日毎秒そのような志向性をもって生きていきたいものですが

人間とは管理人も含めてきわめて意志が弱い生き物ですから

あまり偉そうなことは言えないにせよ、

こうした<祭り>の機会には深く考え味わいながら楽しみたいものです。

そんな説教調から入ってしまっては管理人も興ざめですし、

読者の皆さんも寒く感じられると確信しております(冷や汗)ので

今日はこれ以上の<祭り>にまつわる深い民俗学的詮索は

この程度にとどめておきましょう。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

それでは眠気覚ましの一杯の<コーヒーブレイク>をはさみまして

少しずつ紀行文を立ち上げていきますね。

<5月12日(土曜日)>

①この日も少しずつ日差しが暑くなりかけてゆく最中、

関西圏内で日帰り旅行が可能だろうということで

いつもよりは少し遅めの午前8時過ぎ頃に自宅を出発。

ガソリン満タンとタイヤの空気圧確認をガソリンスタンドで

して頂いてから徐々に国道を北上していきます。

大阪近辺(特に堺など河内・和泉地域周辺)にお住まいの方向けに

道路交通事情のご参考も兼ねましてご案内させて頂きますね。

管理人の場合には国道170号線をただひたすら北上のうえ、

枚方にまで到達した地点から国道1号線沿いから「池之宮北」交差点を

分岐点にやがて国道307号線へと入るルートを辿っていきます。

(ちなみにどうでもよい余談ですが、節約のため有料道路は

今回は一切使いませんでした。)

枚方市から京田辺市へ道沿いに進んでいくと木津川上にかかる

山城大橋に差しかかります。

この山城大橋は初代が昭和の高度経済成長期にかけられていたのを

新道路開設などに伴い新しく補修し直された2代目だとか。

管理人は最近、日本国内の社会資本整備事情にも興味関心が

増してきていることから、このような橋梁施設にもどうしても目移りするらしく

旅する機会には独自の「定点観測」することも多くなったのですが、

やはり老朽化しているところがあまりにも多くなってきているように

実感されます。

今週も水害や土砂崩れなどが各地で目立って生起してきており

報道もされたところでしたが、

「国土強靱化施策」が望まれるもまったく進捗していない様子で

憂慮するばかりです。

また、この木津川や宇治川、淀川あたりは古代から水害の多発地帯で

民衆からも河川改修工事などが強く要請されてきた地域でもありました。

このような歴史とともに現在の公共投資事業を振り返ってみても

その意味付けや位置づけが古代から中世にかけての頃とは

ずいぶんと異なることも知るようになりました。

このあたりの橋梁でかなり歴史的に古いものは(今はもうほとんど

その痕跡も見当たらなくなっていますが)数多くの勧進僧と呼ばれる

方々が民衆とともに架け渡したものもあったといいます。

例えば、管理人が敬愛している行基さんなどによる泉大橋や

今はなき山崎橋などなどです。

この頃の「公共事業(投資政策)」は後ほど少しだけ触れさせて頂く

大仏建立事業と同じく、単なる経済事業を超えた「社会」事業の

側面も多分にあったと言われています。

単なる「景気活性化対策」ではない

本来の「<経世済民>事業」の一環としての

民衆<救済>投資事業だったといいます。

現在の「公共事業」の観点からは、

こうした視点がどうしても抜け落ちてしまっており、

一部の大手ゼネコンなどの専門家任せと

そこに特定の政治経済的「利権」がどうしても結集してしまう嫌いが

ありますが、「それはなぜなのでしょうか?」と問い直してみることも

必要なのではないでしょうか?

そんなことも徒然と考えながらこの橋のたもとにあるコンビニに

車を止めて「小休憩」。

このあたりですでに10時半頃だったでしょうか?

国道1号線あたりがやはり一番混雑しており少し時間がかかったようでした。

それではここから「再出発」。

国道307号線を城陽市方面へさらに東北へと進行していきますと

やがて宇治田原市へと入っていくことになります。

この付近に差しかかりますと道幅も急に狭くなってきたり、

カーブも緩やかではありますが少しずつ増えてきて山裾ラインへと

進入していくことになります。

また左右双方には小さな茶畑も見えてきます。

「宇治茶」や「朝宮茶」などの看板です。

途中で「茶店」などの看板にも遭遇するなど

もはや昼前で少し小腹がすいてきたこともあって

「もしや茶団子など振る舞ってくれるオシャレな店があるかも・・・」などと

期待も高まってきましたが、まだ昼前でもあり日頃の経済需要も少ないのか

「準備中」や開店しているのかどうかさえ定かではない

「半休業中」の店ばかりだったので諦めることになりました。

たまたま夏休みなどのシーズン外れの季節だったのかしら・・・

とはいえ、これまた後ほど書き綴っていく途上で少し触れさせて

頂こうと思いますが、昔バブル時代の1980年代末~1990年代初期の

小学生時分に家族旅行でこの地を訪れた際には

こうした茶店などもかなり繁盛していたような記憶もあります。

少子高齢化の影響や家族形態の変化、はたまた昭和から平成にかけての

文化・経済社会事情の大変動なども相まってなのか

かつてのウソのような賑わいも今は静まりかえっているようでした。

「本当に寂しいですね・・・」

「思い出だけが哀しみを癒すのね・・・」

何かの歌詞みたいですが本当にそのように思われてくるのでした。

特に今回は(も!?)一人旅でありましたから、

余計にそのように強く実感されてきたのですね。

やはり少しでも首都圏から外れると閑散とした経済状況が目立ちます。

「どうすればこのような郊外観光地域にまで景気賑わいを

取り戻せるのだろうか?」などとも地元の方ならずとも

日本各地の商売事情を観察してまいりますと心配してしまいます。

先週末から今週末にかけてやっと話題のベストセラーである

『未来の年表』『未来の年表2』も読み終えたところだったのですが

この本の中でも予想されていた論点ともあわせて再考してみますと

郊外都市における各種産業などを活性化させるに当たっても

「道の駅」や各「名所」に「密集積」させるなどして

多種多様な結合状態からの人的・物的「つながり=ネットワーク」を

回復させるきっかけづくりが不可欠のようですね。

そんなこんなの連想が次々と浮かんできましたが、

車を走らせているうちに信楽中心街へとたどり着きました。

この時すでに11時前後。

意外にもここまで辿り着くのもそんなに時間がかからなかったように

実感されたのでした。

それもそのはず。

ちょうど信楽中心街へと辿り着きつつある絶妙なタイミングで

今回もドライブの道連れに妖怪へヴィメタルバンド陰陽座さんの

『甲賀忍法帖』がかかりはじめたからです。

この時(5月12日)にはまだ新アルバム『覇道明王』も発売前でしたから

「新曲はどんな歌詞で謡い語られるのだろうか?」などと

事前予想を楽しく思い描きながらも旧曲の自作選曲集と

前作アルバム『迦陵頻伽』に聴き惚れていたまさにその時に

『甲賀忍法帖』がタイミングよく滑り込んできてくれました。

『甲賀』が来たら当然次は前作『迦陵頻伽』所収の

『刃』そして『愛する者よ、死に候え』でしょう。

『桜花忍法帖』(この曲は今回の新アルバム『覇道明王』にも

アルバム向けリミックス版として収録されています)もあります。

このように『甲賀』の演奏終了後、

曲目選曲をし直すために少し「小休憩」も兼ねて停車。

地図などを再探索しながら計画を練り直そうと

信楽市街地で食事休憩をと思っていたのでしたが、

今回の最大目的はあくまでも『MIHO MUSEUM』で開催されていた

2018年春季特別展 猿楽と面~大和・近江および白山の周辺から~

でしたので中途半端な時間帯でもありますし、

あまり遅くなるとじっくりと観賞することも叶わず

ここまで来た甲斐もなくなりますから昼食と市街地散策は

時間があったらで・・・ということで後回し。

こうした楽曲たちとともに

車をさらに目的地へと走らせているうちに到着しました。

②時間もちょうどお昼時。

JAF割引も利用できるなど好調な滑り出しでした。

ちょうどお昼時直前だったこともあってか駐車場もまだ空席が

辛うじて残されており無事駐車スペースも確保でき有り難かったでした。

が、駐車して美術館へ向かう途中で続々と観光バスなどが入ってきて

少し時間がずれていたら、

「満車」状態で「立ち往生かつ時間つぶし」ともなりかねない

危ういタイミングだったのでやはり時間にゆとりを持たせて

早めの到着を考えて「正解」でした。

館内にはおよそ1時間半ほどいましたが、

外国人の方も数多く来館されていて各国の言語が入り交じった

国際色豊かな模様でした。

管理人は「面打ち(能面制作)」にまでは現在のところ

まったく余裕もなく「仏像彫刻」に集中したいと考えている

初級段階にいますが、ある方のご紹介とご縁もあって

「いずれは・・・」などとも夢と志を思い描いておりましたところ

展示会場に併設されてあった映像コーナーにおける

とある面打ち作家さんの制作過程ビデオは参考になり

最後まで見入ってしまいました。

見市さんという有名な作家さんですが、

館内にあった映像ビデオは探してもどうやら販売されていないようで

(学芸員さんなどに確認すれば何らかの形で手にはいるのかも

しれませんが)、探した限りでは見当たりませんでした。

とはいえ、ご興味ご関心がある方もおられましょうから

お得な情報をお伝えしておきますね。

一部で話題となってきた龍村仁監督の

ドキュメンタリー映画『地球交響曲第8番』にて

この制作過程の一場面を観賞することも叶います。

作家は見市泰男さんという方であります。

さて、見学後には少しだけ甘味ものとコーヒーを頂いた後、

特別展図録と利休百首に関する解説本をたまたま「発見」したので購入。

(<利休百首>解説本になぜ目がとまったのかですが、

たまたまこれまた知り合いの方のご縁で授かったセンスある扇子の

両面にこの<利休百首>が掲載されていたのですが、

その意味を知ることが叶わなければ、管理人にとっては

文字通りの「宝の持ち腐れ」になってしまいますので、

こうした解説本に偶然出会えましたことは

まさしく「宝船」ならぬ「助け舟」ともなったのでした。

書物といい人といい管理人にとってはなぜか絶妙なタイミングで

こうした事物や人物に遭遇する確率度合がますます高まってきているようです。

<知る人ぞ知る>事物に出会う好運度をアップさせるためには

日頃からの幅広い関心(知的好奇心)アンテナや

心を磨き続けておく必要があるようです。

普通では入れないような場所にも招待して頂くことも多くなったうです。

本当に有り難いことです。

こうした好運機会に恵まれていきますと、

何も目に見える「お金」だけが世渡りに役立つ媒介物ではないことも

次第に判明、より確信度も高まってくるようです。

それにつれて人生に処していくうえでの経済的不安感も

少しずつ軽減されていくようです。

良い意味での<アニマルスピリッツ>を育て上げていくことは

こうした個人的な経済観だけではなく、

マクロ経済における「景気」活性化のためにも必要だと

前回ご紹介させて頂いたご参考文献でも強調されていました。

ちなみに悪い意味での<アニマルスピリッツ>とは、

バブル志向であったり、極端な貪欲的他者排除志向によって

己のみに利益を結集させんとする心情行動パターンであります。

目下の管理人はこのような「魔法」の研究も1つのライフワークとして

課題の中に入ってきています。

あくまでも経済的な「目に見える」お金は副次的産物だということです。

もちろん、「目に見える」お金も大切な虎の子資産ですが、

世の中とはそのような狭い価値観や事物的媒介物だけで成立しているわけでは

ないことも皆さんには是非とも知っておいて頂きたいのです。

管理人は世の中に乱れ咲いている怪しげな自己啓発本や

資産形成本のたぐいにはあまり見向きもしませんが、

何か不思議な「縁」というのか何と表現してよいのかはわかりませんが、

こうした<あなたの知らない世界>も世の裏面にはあることだけは

確かなようです。ただその感じ方は人によって多種多様で

科学的な「再現性」はきわめて困難なだけですが・・・。

逆に言えば、一般的な経済価値には簡単に還元され得ないからこそ

真の価値がそこにはあるということのようで、

そのこと自体がその人自身に与えられた<天運>というのか

<天才>なのかもしれませんね。

やはり経済学的な観点から言っても、

「価格」と「価値」は根本的に別世界に属する異種物のようですね。

その「価格」と「価値」を厳密に釣り合わせる基準など人それぞれで

誰にでも共通する「均衡点」って現実の世界にはなきに等しいのでしょう。

「一物一価」の法則も厳密にはきわめて怪しいもので

あくまで生産者による「希望小売価格(原材料価格などモノの生産過程で

かかってくる諸経費といった確定した部分を除く

ここではあくまでも<付加価値部分>のことを意味させて

頂いています。)」にしかすぎないようです。

こうした世界観を磨き続けていくのも1つの「学問」ですし、

人生や処世のうえでは大変有益な展望をもたらしてくれますので、

皆さんも是非独自の世界観を探究していってみて下さいね。

さすれば、真の意味での「玉の輿」にも乗れるかもしれませんよ・・・

ただし、動機が「純粋」でなければ、

後々悲惨な目にも遭遇することでしょう・・・

今日は<七夕の日>ですので特別にこうした「ご縁」にまつわる

諸現象も考察してみました。)

さて、こんなことを徒然と考えながら考察を加えていても

いつもながら(皆さんには毎回申し訳なく思っていますが、

管理人のサービス精神が本当に魂の奥底から迸ってくるので

どうかご寛恕願います。妖怪へヴィメタルバンド陰陽座さんの

ここからが本番かつ定番<アンコール攻め>の如く。

後ほどご紹介しますが、初めて彼ら彼女に接される方は

きっと<地獄(=極)楽門>に誘われることでしょう。)

一向に前へと進まなくなってしまいますので切り上げます。

③それでは『MIHO MUSEUM』を後にしましょう。

ここらあたりで一旦皆さんにも目の保養に休憩して頂ければと思い

ちょっと一服できそうな清涼な気分を味わって頂くことにしましょうか・・・

それでは、『三筋の滝』へとご招待しますね。

IMGP1091 IMGP1090

IMGP1089 IMGP1088

IMGP1092

(すべて管理人撮影。以下同様。)

この背後には<東海自然歩道>も通っているようでした。

停車させられるようなスペースはほとんどなかったのですが、

小さめの車なら2~3台程度、

バイクならもう少し多めの台数でも停車できそうな感じでは

ありました。

公衆トイレなども整備されており、

そのそばあたりから少し滝側に歩いていきますと、

ベンチなどもあってちょっとした食事休憩ができる程度の

広場はあります。

④この『三筋の滝』を出発する頃はすでに午後14時直前。

軽食をとったくらいで昼食はまだの状態。

急いで信楽市街地へとって返します。

14時半頃に少し遅めの昼食を済ませると、

付近を散策。

さすがは信楽です。

各所に信楽焼の工房がありました。

小学生の頃、ここへ家族旅行で来た際には

1日体験陶芸教室みたいなところでコーヒーマグカップなどを

制作したのも良き思い出で、

この頃に購入したプロ制作仕様のマグカップも今だ現役活躍中。

ミニ信楽狸君も今なお居候中です。

懐かしい思い出の地でしたので少し時間も残されていたことから

おみやげ物屋で掘り出し物がないか物色。

河童のミニ土鈴と信楽狸君のキーホルダー、

そして汽車土瓶(今はもうほぼ絶滅危惧種ですが、昔の鉄道旅客は

この土瓶を水筒代わりに使っていたそうな・・・。

というのも信楽陶磁器は保温にきわめて優れていたからです。)の

3点セットを購入。

それはともかくこのあとこの地の鎮守社でもある『新宮神社』参詣を

済ませると、信楽伝統産業会館(信楽町観光協会などが入る商工案内施設)で

各種観光パンフレットなどを収集。

滋賀県もなかなか力を入れた資料作りに励んでいるようで、

『滋賀ふるさと観光大使』でもいらっしゃる西川貴教さんが

表紙を飾るパンフレットも記念に頂いてきました。

「ほんに滋賀県に皆さん遊びに来てね!!」

「京都・奈良もいいですが、滋賀県にもまだまだ知られていない

<穴場>スポットがぎょうさんあるよってに・・・」

そんな西川さんの声が聞こえてきそうな雰囲気の

好感度が高いパンフレットでした。

ちなみに、皆さんのご参考用として

<甲賀市観光ガイド>サイトをここにご紹介しておきますね。

さて、車をこのあたりに少し停めさせて頂いたうえで、

昔の家族旅行の際に貴生川駅あたりまで往復乗車させてもろた

信楽駅庁舎が今現在どないに変化しているかと思い

徒歩で見学してまいりました。

IMGP1093

この信楽狸君だけは衣装替えはされているものの

あの頃とほぼ同じお姿でお迎えしてくれました。

あの頃とは今を遡ること28年前。

例の信楽高原鉄道列車衝突事故が発生した前年度(1990年)の

夏休みのことでした。

平成3(1991)年5月14日がその日でしたから

再訪した日はちょうど27年前の2日前ということになります。

この間、管理人にも様々な出来事が待ち受けていました。

「月日が経つのは早いもの」とは言うものの

なぜか無性に今生きてあることに関して体の奥底から震えるものが

湧き出てきたのでした。

「<いのち>は大切なものだ!!」とは一般的には観念的イメージで

語られることが多く、普段の日常生活の最中では

こうした事態にでも遭遇する機会がなければ

あまり「実感」しにくいものです。

こうした<いのち>の儚さや尊さを真に「実感」することも

難しくなってきた無機質な世の中だからこそ、

「人間」

すなわち、「生きて在る<現存在>」ときちんと向き合おうと

ここ数年は各地の霊場巡礼に出かけています。

特に前職を辞めた直後の「お遍路」の頃から

そんな「儚さ」や「哀しみ」を感じることも多くなったようです。

その心理的背景には何があったのかと反芻してみると

やはり管理人もまた深刻な抑鬱期を体験してしまったからかもしれません。

あるいは友人知人と死に別れすることも学生時分以来あったからなのでしょう。

管理人は一度「水難」事故に遭遇し生死のはざまを体験したことは

すでに折に触れて語らせて頂いてきましたが、

実は大学生時代に所属していたクラスの同級生が同じく

「水難」事故でお亡くなりになった事件があったことも

余計に強くそのように「実感」される理由となっているのかもしれません。

「運命とはあまりにも壮絶にして過酷な現実」だとは言いますが、

こうした運命の<分かれ道>を体験してみると

あらためて苦痛に満ち悲しみに苛まれます。

管理人もたびたび生死のはざまを体験してきましたが

現実に蘇生するのと犠牲死するのとでは大きな違いがあります。

特にご遺族などのご心中を思うと涙が溢れてくるのです。

大げさではなく本当にです。

そんなあまりにも悲しすぎる現実と向き合いつつ

自分が生かされて今あることの感謝とご冥福をお祈りしたくて

駅員さんに慰霊碑のある場所をご教示頂き、

すでに16時手前の夕暮れ時だったのですが、

哀悼の意を表したくて伺わせて頂きました。

場所は、紫香楽宮(甲賀寺<内裏野地区>)跡地からすぐ近くで

新名神高速道路の信楽インターチェンジの真向かいあたりに

その小さな慰霊碑が建立されています。

そのすぐそば(裏手あたり)に少し空き地がありますから

お車で行かれる際にはそちらに停めて頂くとよいとのこと。

ここからは甲賀忍者修行の地であり修験道ゆかりの

飯道神社が鎮座まします飯道山も見えています。

この神社にも参詣したかったのですが、

時間の都合もつかず断念。

ちなみに、<飯道山観光協会>のサイト

あわせてご紹介しておきますね。

またの機会ということでほんのすぐそばに近接している

紫香楽宮(甲賀寺<内裏野地区>)跡に寄らせて頂いたあと

帰宅の途につくことになりました。

IMGP1097 IMGP1095

IMGP1100 IMGP1099

IMGP1098

ここ紫香楽宮跡地は俗に言う聖武天皇<謎の彷徨>途上の最中に

造営された都だったといいます。

天智朝における大津京や孝謙上皇・淳仁天皇時代の保良宮など

ここ近江国(滋賀県)は大和国(奈良県)とも密接な関係があった

地域だったともいいます。

そしてこの紫香楽宮(甲賀寺)にてあの巨大な奈良東大寺の

大仏の前身となり得る巨大仏が建立される予定だったといいます。

より厳密にはここ紫香楽宮が新都(京)として定着しておれば

ここに巨大な大仏様が鎮座されることになったということですね。

なるほどこの国道307号線沿いは近江国と大和国、山城国などの

境界線上にある国防上も天然の要害拠点ではありましょう。

琵琶湖の水運活用も平城京よりはよりスムーズにいきましょうし、

鈴鹿「関」などの関所なども固守し得る有事の備えには

より確かな場所だったのかもしれません。

木津川・宇治川・淀川水系を駆使・守護すれば難波にも出やすいルートが

確保され、難波の「波打ち際」防御よりも優れた機能が働くかもしれません。

とはいえ、3方から包囲されるとその防御にも弱点が出てくることが

予想されますので一概に紫香楽宮遷都がベストだったのかどうかは

わかりません。

このあたりの都の度重なる遷都・還都の背景事情などを

探るのも歴史マニアの方にはたまらない魅力があるかと思います。

また今話題の地政(形・理)学の訓練材料にもなるでしょう。

「生きた」学問ですね。

こうした「学問」は本当に自然災害大国である日本に住む人間にとっては

死活的に重要な視点を提供してくれることにもなるからです。

例えば小高い段丘はどこにあるのかなどなど

普段からの観察批評眼の養成力が

本当に有事の際には生死の<分かれ目>を左右するかもしれないのです。

ちなみに「試みの大仏殿」は、奈良の喜光寺で、

この御寺もまた行基菩薩ゆかりの寺社です。

今回は時間の関係上そこまで訪れるゆとりもなかったのですが、

甲賀市周辺域にも行基菩薩ゆかりの寺社遺跡や

弘法大師(空海)ゆかりの塩野温泉や宮乃温泉といった古湯も

ありますので、これから夏にかけてご旅行される方には

この「信楽・甲賀~水口・土山・鈴鹿コース」も視野に入れた

ご旅行プランも是非ご参考にされることをお薦めいたします。

鈴鹿スカイラインをも活用すれば湯の山温泉にまで歩を進めることが

叶うでしょう。

そこから養老の滝や岐阜大垣方面へ出るにしても

「北方」彦根・米原経由の関ヶ原ルートを辿るよりも

より速く到着できるかもしれませんね。

今回ご紹介させて頂いた<信楽・甲賀旅情>だけを

満喫されたい方であれば、

一般的な時間と経済上の都合なども加味して

プランを立案するとすれば、1泊から2泊コースがお薦めかと

思います。

大阪(堺・河内・和泉方面)からでも1日では廻りきれないほど

意外な魅力あふれる「穴場」があることもすでにお伝えいたしました。

ですから、今回管理人が実際に訪ねてみた体感覚では

あまり「日帰りプラン」はお薦めできるものではありません。

もっとも各自の好みや行動目的もありますし、

早朝(午前4~6時頃)出発予定なら何とか甲賀市街地まで

たどり着けるかもしれませんが、

お子様連れの家族旅行計画で『甲賀の里忍術村』などまで

経巡るとなればかなり厳しいものがあるかと確信しております。

管理人の<信楽・甲賀旅行>は今回で2度目ということになりますが、

またいずれ近いうちにでも訪れたい箇所もありましたので

そうした機会が叶いましたら別途「別枠」で

<続 信楽・甲賀旅情編>と題したエッセー記事を用意させて

頂くこともあるかもしれません。

その時はまた随時丁寧な見聞記を読者の皆さんの前に

ご披露させて頂こうと願っています。

今週末は大雨警報連発などで、

数々の(ライブ)イベントも(一時)中止・延期された事例も

あると聞きます。

皆さんもこの近日内に開催予定のライブコンサートなどに

参加されるご予定がおありでしたらば

常に天気予報などをご注視のうえ、

くれぐれもお気を付けてお楽しみ下さいませ。

この時節には、「雷雨」も大変危険な状況をもたらします。

本日は、そう<ななの日>でしたね。

7月7日(七夕)の<なな>にゆかりある名前の

アーティストの方、例えば管理人がこれまた敬愛する相川七瀬さんも東京で

そして水樹奈々さんのライブも本日から明日にかけて2両日間

大阪で公演される予定だとか。

管理人も一度は足を運びたいとは思っていましたが、

時間と経済上の理由で今回は断念。

まぁ、大好きな妖怪へヴィメタルバンド陰陽座さんの

大阪公演も9月1日にはありますから、

そちらに向けて歌詞の暗唱と独自の陰陽座研究をしておきましょう。 

妖怪へヴィメタルバンド陰陽座と『覇道明王』の世界へようこそ~『ジャパメタの逆襲』への再逆襲!?~

<平成30年(2018)7月18日(曜日)加筆修正追記投稿分>

読者の皆さんには毎度何度もお待たせして大変申し訳ございません。

それでは、神秘的で情趣深い妖艶なまでに魂を揺さぶられる

<妖怪へヴィメタルバンド>陰陽座さんと新作アルバム『覇道明王』の

世界へとご招待申し上げます。

本年6月6日(水曜日)、ファンの間で長らく待望された

第14弾:新作アルバム『覇道明王』がこの世に降臨しました。

まずひと目見て度肝を抜かれる点があります。

何とそのアルバムジャケット写真には、

まるで不動明王であるかのように凛としたお姿で立ち尽くした

我らが<妖怪へヴィメタルバンド>陰陽座のリーダー兼ベーシストで

いらっしゃる瞬火(またたび)氏の立像が採用されています。

写真撮影者は陰陽座さんとはすでに長きにわたる伴走者でもある

野波浩さんです。

この方が毎回撮影された一枚一枚の写真も秀逸作品ぞろいです。

奇しくもこの日は仏像マニアの方ならご存知だろうかと思いますが、

あの<芸術の女神>であり、

とある美術批評家によれば<東洋のミューズ>とも言わしめた

技芸天で有名なご皇室とも大変ゆかりの深い奈良の秋篠寺においては

大元帥明王」が一般公開された日でもありました。

「天才」かつ大変熱心な「勉強家」かつ大の「読書家」でもいらっしゃる

瞬火氏なら「まさか!?」とは思いますが、

そこまでの符号(だってジャケットがまず<明王>ですし、

後ほどご紹介する<第9曲目:鉄鼠の黶>が示すように

深い仏教的世界観が色濃く表現されているんですもの。

また今の世界情勢を踏まえてのへヴィメタルロックでしか

表現不可能な対社会的プロテスト観に基づく創作者メッセージ性

などなど・・・)まで考えて、

マーケティング戦略上この6月6日にご決定されたということも

十二分に考えられますからね。

まぁ多分、「それはあなたの深読み込み過ぎだと思うよ・・・」なんて

MCの時のノリのように「即、却下!!」されるとは思いますが・・・。

ただ、今回の作品はすでに前作『迦陵頻伽』の段階かそれ以前??あたりから

リーダー瞬火氏の頭の中には大まかな構想があったそうですが、

「地下室」で鋭意、歌詞やその世界観を表現するためのリズムなどの

音合わせを研究研磨するために一時「お籠もり行」をされるとの

事前制作過程発表はされていたので、何か深い哲学的思索に耽りながら

へヴィメタルバンドでしか表現できない様式技法や

陰陽座さんにしか創作し得ない世界観を構築されようと

試行錯誤されているご様子は窺えたのでした。

「そしたら何と・・・」

そのあたりの評釈は後ほどに譲らせて頂きますが、

とにかくこれはやはり数ある音楽ジャンルの中でも

「ロック」にしか出来ない。

また、「ロック」の中でもさらに「へヴィメタルバンド」でしか

表現不可能と思わせる秀逸な一品が出来上がってきたのでした。

ところで、今回の新作アルバムであらたに強固なご決意をされた

陰陽座メンバーの音楽業界における厳しい修羅道に処するそれぞれの魂と

世俗的には今後ますます迫り来る世界的危機が招き寄せる

人類の厳しい道のりに処するそれぞれの魂の行方が

どこかで不思議な整合性をもち、暗示されているかのように感じられたのは

多分管理人だけの妄想にしかすぎない(であって欲しい)ものとは

思いますが、今回の新作アルバムに所収された各楽曲群を

1つ1つ深く味わいながら拝聴させて頂いていると

ますます<鎮魂の祈り>の要素が強まってきているようにも

実感されたわけであります。

「だって、ロックってある種の社会的常識や流行に対する

挑戦的表現技法でしょうよ・・・」

<抵抗の文学>なんていう言葉もありますが、

「ロック」こそまさしく<抵抗の音楽>であります。

もちろん、ジャズやブルースその他いかなる

ジャンルにおける音楽創作表現形態であろうと

人間の魂の奥深くから発してくる情感でもって

世に「訴えかける」わけですから、

それ自体ある意味で「政治的」な含みもありましょう。

それはともかくあまりここでそうした

「音楽(ないしはあらゆる芸術作品)に隠された<政治性>」問題について

語っても初心者の方やバンド関係者、ファンの皆様にもご迷惑がかかりましょうし、

今回のご紹介趣旨からもますます遠ざかっていってしまいますので

慎ましく控えておくことにしますね。

それに管理人自身の姿勢としても別に政治学<帝国主義者>でも

政治至上主義的<原理主義者>でもありませんし、

そのような趣味嗜好性も持ち合わせていませんので・・・

ただ、創作表現を語るうえではやはり外せない

そうしたある種の「観点論」の1つとして

哲学的に分析考察してみる際には是非とも必要となる視点なのでは

ないかというにすぎません。

そのほかの意図は特にございません。

つまりは、<社会システム批評技法論>の1つとしての

「へヴィメタルロック論」を考えてみたいだけなのです。

そんなわけで、

「ロック(なかんずく<へヴィメタルロックの可能性>)」についても

語ってみたいですし、そうした哲学的考察こそ

一般的な音楽雑誌や音楽批評家には見られない

(敬愛する伊藤政則さんのようなごくごく少数の例外はありますが、

むしろ音楽批評なかんずくロック音楽批評家であれば

そうした<政治(世界観)論>や<経済社会システム批評論>

あるいは<思想哲学論>にまで

拡張させた視点があってはいいと思うのですが・・・。

なぜか日本の音楽業界ではロック業界ですら

あまりにも強すぎる自主規制が効きすぎているのかどうか

あまり語られることのない視点ですね。

欧米のロックバンドであれば前にもご紹介させて頂いた

ドリーム・シアター始めキング・クリムゾン他多数

必ず何らかの<対社会メッセージ性>が多分に込められている

わけですから・・・)視点ですので、

是非一度は管理人さんにも聞いてみたかったとおっしゃられる

「超」ご奇特な読者様もいらっしゃることでしょうから、

あまりご迷惑がかからない程度に抑え抑えしながら

少しだけ語らせて頂くことをご寛恕願いますね。

一般的なこうした「創作表現の(政治的)可能性」問題については、

またいずれの機会にでも挑戦してみようと思っていますので

いまはまだ「乞うご期待」ということでお許し願いましょう。

それでは、<本道>に戻りましょう。

「<覇道(邪道、蛇道、けもの道??)>

それとも<王道(本道、正道??)>か?」

この問いこそ、

今回の語りにおける重要キーワードともなりますので

いまはしばらくさておいて次へ進みますね。

実際に陰陽座さんによってそのバンド名へ込められた由来や

コンセプト、想いを探ってみると、

すでにリーダー兼ベーシスト瞬火氏やボーカル黒猫氏によって

「<妖怪>や古代から日本民衆のあいだで

語り継がれてきた説話や謡曲などで描かれた題材を通じて

人間の喜怒哀楽について多種多様な観点から

謡い・舞い・語り・踊る・・・音楽的表現を

へヴィメタルロックの様式・形態美をフルに活かしながら

創作していきたい」との意欲が示されてきました。

先にもますます<鎮魂の祈り>の要素が強まってきているようだ・・・と

触れましたが、実際に陰陽座さんの楽曲には『魂鎮の歌』

『煌』など<霊魂の尊厳や気づき>をテーマにした楽曲も多数ございます。

というよりも、ほぼ100%以上なんですけれどもね。

「だって、<ロック>なんだもん・・・」

またもやリーダー瞬火氏によるライブMCにおける

定番ゼリフのようですけれども。

しかも、最近話題になった某人気ロックバンドとは異なり

(とはいえ、このバンド自体を貶しているわけではなく、

その魅力も例の一悶着を引き起こしてしまった曲によっては

まったく損なわれるものではないと個人的には確信しております。

むしろ一般的ファン<コアのファンではありませんが>の感覚としても

創作者として満を持して自負心たっぷりに世間に公表した

楽曲であってみれば何も謝罪する必要までなかったのではないかと

疑問に思われた方々も数多くおられたように推察いたします。

少なくとも管理人が見聞きした範囲における

この件に関するご意見・ご感想ではということですが・・・

そのような自主規制をしてしまえば常識的に考えれば

創作者としての<自殺行為>になってしまいますからね。

しかも、どのような創作者であれ創作品であれ賛否両論など

日常茶飯事なのですからそうした一部の否定的批評に

一喜一憂するというのもいかがなものなのか?というのが

まず第一報を聞いた時の率直な感想でありました。

また芸術活動と政治活動は一応<暗黙の了解事項>としては

<商業芸術に限定した場合の話として>分離されたものとして

一般に消費されるのが通常でありましょうから、

文字通りああした騒動は多くの良識ある方々から見ても

<異常>事態だとしか言いようがないからですね。

もちろん何度も強調しますが、楽曲や歌詞自体に対する<否定的>評価は

下されても一向に差し支えないでしょう。

それならそれでただ単にその楽曲をまったく無視して聴かなければよい

だけの話ですからね。

日本の言論表現社会ってそこまで非寛容ではないはずです。

少なくともそう信じたいですね。

むしろ昨今ますます厳しくなる外国のような非寛容な

言論表現社会へと退化させてしまってはいけないでしょう。

これが大方の一般的日本人における言論表現観だと

管理人も信じながら創作活動をさせて頂いています。

一定の礼儀作法等はもちろん守る必要がありますが・・・

そんなことをつい最近も音楽好きかつ時事批評もできる友人知人たちと

話していたばかりでした。

このバンドにも深い哲学的・社会的メッセージをのせた楽曲群が豊富ですし、

私たちを普段気付かぬ<盲点次元意識>へと誘ってくれる機会を

提供してくれています。

映画『君の名は』で一躍有名になったテーマ曲も

陰陽座さんと似通った志向性を宿したきょうび失われつつある

純粋な透明感がありましたね。皆さんもちょうどよい機会だと思われますので、

ご一緒にこのテーマを考えてみませんか?

日本の言論表現活動の未来がかかっていますので・・・

歌詞における言葉の使い方も正確ですし、

特に偏向した政治的意図もなく、

ただただ純粋に古人あるいは故人の生きてありし生前世においては

満たされなかった無念な想いに心から寄り添って

詠いあげられていく楽曲群にそうした特徴が現れ出ています。

「百聞は一見にしかず!!」

一度彼ら彼女のまっすぐに謡う姿を見て頂ければわかります。

それでは、今回当書評ブログ<番外編エッセーコラム>にてご紹介させて頂きます

陰陽座というバンドを初めて知ったという読者様も

かなりおられるかと思いますので、

順番が逆になり回りくどくなってしまいましたが

ここから少しだけ簡略にご紹介させて頂こうと思います。

もっとも信頼のおけるバンド<プロフィール>情報は

もちろん公式ホームページに掲載されていますので、

管理人によるご紹介記事よりもそちらのサイトの方を

ご閲覧して頂いた方が最適かつ賢明なご判断であります。

そこにリーダー瞬火氏による今回の新作アルバム『覇道明王』に関する

全楽曲解説記事が完全公開されておりますので・・・

また、先月20日に発刊された『BURRN! JPAPAN   vol.11』

今月15日に発刊されている『We ROCK   vol.65』にも

バンドメンバーによるインタビュー記事が<特集>記事扱いとして

掲載されております。

創作者による解説・評釈こそ第一義的に信頼のおける

情報でありますので、

これからこの場で語らせて頂く管理人による独自論評は

あくまでも一ファンによる雑感だということを

まず始めに断らせて頂くことにします。

他のファンの方にはもっと良質なご感想やご意見もありましょうから

あまり管理人ごときが出しゃばりすぎずになるべく慎ましやかに

司会??進行させて頂くことにしますね。

どうかファンの皆さん、バンド関係者の皆さん、

温かく見守って頂きますように宜しくお頼み申し上げます。

陰陽座さんは来年でバンド結成から20周年を迎えるといいます。

デビューは1999年といいます。

(ご参考までにウィキペディア情報もこちら

掲載させて頂きますね。)

また、「観世流」能楽師を中心とした銕仙会

「金春流」能楽師であられる山井綱雄氏などのご協賛などで

ロックバンドとしては世界初の能楽堂を舞台とした

ライブコンサートも打たれています。

ちなみに、その山井綱雄氏による陰陽座さんへのオマージュは

ベストアルバム『陰陽珠玉』歌詞解説冊子集冒頭における

<高い技術と深い心>と題した推薦文にて捧げられています。

その模様は『幽玄霊舞』(2005年)に記録集として

残されていますが、<限定販売品>だったようで、

現在ではほぼ入手困難品となっています。

謡曲ファンの管理人としても

またいずれの機会にかどこかの能楽堂で

是非「再演」して頂きたいとは思うのですが・・・

日本のアニメなどを通じて日本文化の豊かさを発信させようとの

狙いがあるクールジャパン戦略上も

芸能業界上おそらく惜しまれる「記録集」でもあり

現在あまりにも希少価値が高くなっているようですので

是非とも「復活再販決定」がなされることを切に待望したいところです。

これまた前にもご紹介させて頂きましたように

若手能楽師の方にはかなり潜在的なへヴィメタルロックファンの

方もおられるようにお聞きしておりますので、

新たな若手能楽ファンを増やす意味でも有意義な機会に

なるかとは確信しております。

また基本的に彼ら彼女はあまりテレビ出演されることは少なく

ラジオやインターネットメディアなど

大手マスコミ「主流」路線からは外れた

「脇道」をただひたすら懸命に走りながら

今日まで活動されてこられました。

とはいえ、大手新聞社などによって時々紹介されることも

あるようです。

(ちなみに、彼ら彼女のメディア出演歴に関する

詳細情報もこちらでご覧になれます。

産経新聞紙上でかつて報道された記事『岡田敏一のエンタメよもやま話』

こちらのニュースからご覧頂けます。

2作同時発売アルバム『風神界逅』『雷神創世』期の頃の

音楽批評記事です。)

管理人はたまたま初期の頃に産経新聞でその存在を知っては

いましたが、デビューの1999年から2011年頃まで

このバンドのことをあまり深く知ることもなく

特にその魅力にはまる機会もなかったのでした。

ですからデビュー当時(場合によってはインディーズ時代)から

彼ら彼女に寄り添ってこられたファンの方や

公式ファン倶楽部である『式神倶楽部』にまで入会されておられる

コアのファンの皆さんには叱られるかもしれず

内心びくびくしております。

そもそもこの時代は管理人も将来設計のために必死な想いで

「浪人中」という<地下生活>にほぼ近い生活をしておりましたから

陰陽座さんに限らず音楽どころではなかったこともあります。

むしろ、精神安定剤としてクラシックやジャズ、

環境音楽(いわゆる「癒し系??」)のような音楽しか聴く

気にならなかったのもありますし、

大好きだったビジュアル系(の部類に入るのかなぁ?)

ロックバンド(SIAM SHADEさんなど)も

大学卒業頃から続々と解散していったことも

その大きな理由の1つでもありましたしね・・・

ちなみにこれまた余談で本当に「奇遇」なのですが、

管理人が学生時代から親しませて頂いてきたSIAM SHADEさんとも

陰陽座さんは少しご縁があるようですね。

現在の「サポート」ドラマーでいらっしゃる土橋誠氏が

なんとSIAM SHADEのツインボーカリスト兼ギタリストでいらっしゃった

遠藤一馬氏がソロ活動を開始された時分における「サポート」ドラマーも

されていたからですね。

SIAM SHADEさんのコアファンなら必ず合い言葉のようにして歌う

伝説の名曲『Dear・・・』および『Still We Go』は口ずさむだけで

泣けてきます。

『Dear・・・』など同窓会や同世代での集まりがあった時などには

必ずといっていいほど歌いたい友人への熱い「愛」が込められた

名曲ですよね・・・

SIAM SHADEファンの皆さんなら共感して下さることでしょう。

きっと・・・

またSOPHIAさんなどの例外はありますが、

正直この頃の精神状態ではロックを始めアップテンポな

ジャンルの音楽がなぜか聴けないような心理状態にまで

追いつめられていたのです。

「超就職氷河期」世代でもありましたしね・・・

本当に下手すりゃ、一生涯まともな仕事に就けないんじゃないか・・・

だとか、

「資格」取得できたとしても年齢を重ねる毎に

きちんとした働き口に出会えないんじゃないか・・・

などと毎日絶望的な気分に苛まれていた時期でもあったからですね。

ただひたすら未来の「希望」を信じてひとり前を向いて

進んでいくしかなかったからです。

だからこそ、いつも陰陽座さんもライブMCなどで強調されているように

「上でも下でも右でも左でも後ろでもなく、

ただ前に向かって進み続ける」義や信念といった熱いメッセージに

思わず涙してしまうのですね。

ライブ会場では目立たぬようにひそかに泣いております。

本当に彼ら彼女の音楽からまたMCを通じた言葉からは

そんな想いが自然に魂の奥底からあふれ出てくるのです。

さて、陰陽座さんのことはしばらくさておき(ごめんなさい)、

そんな時にこそSOPHIAさんの名曲『街』『Believe』を熱唱して

青春時代へとフラッシュバックしながら、

「どんな逆境でもまた必ずやり直せるさ!!」と誓うのです。

すると精神的にも落ち着いてきます。

「音楽って本当にすごい癒し効果がありますね。」

(ちなみにボーカリスト松岡充さんも今は舞台俳優などで

大活躍中ですね。

キーボードの都啓一さんも難病であるがんを克服され

私たちに数多くの「希望」を与えて下さっています。

管理人にとってはシャ乱Qのつんくさんと同様に

大変尊敬している方です。

キーボーディスト絡みですが陰陽座のサポート役として

活躍されている阿部雅宏氏も優れた演奏者で、

我らが陰陽座にとってもはや絶対に欠かせない隠れた主役でありますので

一ファンとしても皆さん是非応援をお願い申し上げます。

とにかく着物がよく似合い、その奏でる音がどこか懐かしいのですね。)

同じロスジェネ世代で特に同じような道を辿っているような方だと

こうした心境はわかって頂けるのではないかと信じています。

今は何とかいろんなご縁が重なり合って就職出来ていますが

またいつ何時同じような状況に陥るかと思うと不安になります。

ですので、必要以上に「能力磨き」などに精を出してしまうのです。

「一度落ちこぼれると落ち着く暇もなし」とはよく言ったもので

このような状況に陥って初めて学生時代に落ちこぼれ状態へと

誘導されてしまっていた友人知人の心境がよく分かるようになります。

学生時代からの優等生が陥りがちな傲慢さを削ぎ落としてくれた

良き機会でもあったと今はこの時期に感謝しております。

このように考えていくと現代日本が抱え込んでしまっている課題も

見えてきます。

学生時分なら「学業」や「スポーツ・芸術」などの課外活動だけ、

社会人時代になれば、経済上の「市場価値」だけで

人間評価される社会の恐ろしさと虚しさであります。

このあたりの論点は、

また機会を改めて次回書評記事を綴らせて頂く際の

エッセーコーナーにおいて

<資本主義と愛>に関するお題として

語らせて頂くことにいたしましょう。

今回は<番外編>ですので陰陽座さんのご紹介に極力集中させて

頂くことにしますね。

とはいえ音楽市場におけるへヴィメタル評価について触れる際には

少しだけ語らせて頂くこともあろうかと思いますが、

とりあえずの一般的「市場評価」論および「人間の価値」問題に

ついては次回へ繰り越させて頂く予定としましょう。

そんなこんなで友人知人や家族、同級生などは

「そりゃ、あまりにも考えすぎやでぇ~」なんて

慰みの言葉ひとつくらいはかけてもらうこともありますが、

管理人にとっては、

この雇用「流動化」いや「漂流化」の時代であってみれば

まったく安心も出来ません。

ですから、落ち着いて将来に役立つような

「スキル」を身につけることも10~20代後半ほど

意欲も強くなくなってきています。

「スキル」至上主義(メリトクラシー型選別排除社会)って

心底「嫌な世の中だなぁ~」なんて思ってしまうので。

「闘いすぎて疲れ切ってしまった・・・」というのが

本音です。

「人生とは闘争である!!」という人生観には

まだ何に対しても意欲的だった20代ならともかく

ようやく就職できて数年たった30代半ば、

今度はリーマンショックなどの影響で

仕事柄「後ろ向き」な始末仕事ばかりで

お客さんよりも先に自分の方がやられてしまったようです。

ついに鬱を患うまでに立ち至ったのでした。

鬱を一度でも味わったことがある方であれば

わかって頂けるように急激な勢いで何事に対しても

「やる気」が失せていくのです。

まるで「離人症」か「夢遊病」状態になったかのように・・・

それでも職場に行ったり、家族とともに過ごす際には

そんな変な感覚になった姿勢や

心理状態をさらけ出すわけにはいきませんし、

世間で生きていくためには常に「余所行き姿」を

演じ続けなくてはなりませんので、

ますます疲労感が高まっていくばかり、

恥ずかしくて家族にも職場の同僚や同期の友人、

はたまた同級生などの友人知人にも「本音」を

吐露することが出来ずに、

ますます自分の心の内部の世界だけで閉じていく

負のループ状態に嵌り込んでいったわけです。

この時期は、ちょうど「眠る」時だけが

本当の意味で安息日だったのです。

とはいえ、「鬱状態の時に日々襲いかかり来る希死念慮を

何とかして早く克服したい」し、

また、「自分の能力が活かせそうな職場や職に少しでも早く

復帰したい」と思い詰めることもしばしば・・・

そんな本当につらくて苦しいどん底の心理状態にあった時期に

ふとしたきっかけでこんな世界(<この世>と<あの世>の

はざま・あわい的世界観)もあるんだと出会ったのが

能楽鑑賞だったのです。

そして、ある時に意欲満々で元気いっぱいだった10代の頃の

体感感覚を取り戻そうと必死な想いで

たまたまインターネット検索で『(純)和風ロックバンド』なる

キーワードを探していた時に

ついにそのバンドに出会ったというわけです。

まさしく「奇遇」とはこのこと・・・

それが今回ご紹介させて頂いている

<妖怪へヴィメタルバンド>陰陽座さんだったのです。

そこから管理人の「奇跡の復活劇」が始まったのです。

その日からよほど忙しい日でもない限り、

1日たりとも陰陽座さんの音楽を聴かない日がないと

言っても過言ではないほど親しく「同伴」させて頂いております。

いわば、まさに管理人にとっての「命の大恩人」ともいうべき

ご存在になってきたわけです。

そんなわけで、陰陽座さんが創作された楽曲は

「全曲」聴き尽くしてきました。

そうした日々の視聴経験から感じてきたことは

このバンドの本当のすごさは1つとして

いわゆる「捨て曲」だとか「失敗作」と呼ばれるような

作品がほぼ見当たらないということに気付かされたことです。

テレビに出演するようなたいていの有名な人気ロックバンドでも

ファンから見ても「?」と思わせられる楽曲もある中、

陰陽座さんにはそのように感じられる楽曲がほぼ皆無に近いのです。

そんなバンドは管理人も10代の頃より数々のロックバンドを

観察してきましたが、

「陰陽座って本当にすげぇなぁ~」と実感させられたのは

正直今までの人生の中でも初めての体験でした。

それほど惚れ込むことができるロックバンドになってしまっていたのです。

ですから、陰陽座さんに出会ってからは

ほぼ毎日聴き欠かすこともないですし、

どんなに苦しい場面においても「陰陽座さんの修羅道にかける意気込みに

比べりゃ俺の悩みなんてほんと小さい、小さい!!」と思えることが

出来るようになり人生の伴侶として本当に助けられています。

それほどまでに惚れ込むことが出来た

ほぼ唯一の「ロック」バンドだったからこそ、

皆さんにもこのバンドのご紹介をさせて頂いているという

わけですね。

とはいえ、シングルはあまり集めていないし、

今のご時世、どのアーティストもアルバム中心主義の時代ですので

アルバムには収録されずにシングルのみに収録されている

カップリング(昔で言うところのB面)曲も含めて

「全曲」をカバーしようと思えば『陰陽大全』という

ちょっとした豪華かつ高価なBOXセットしかありませんでした。

でも、もはや躊躇う理由などありませんでした。

「即購入決定!!」というわけで、

それからはDVD(最近は Blu-ray)は残らず入手させて頂いてきました。

またライブも仕事の都合上などでどうしても行けない時を除いては

必ず参加させて頂いています。

そんなほとんどテレビ番組には出演されることもない

かつては<知る人ぞ知る>バンドだったそうですが、

早くから海外公演(ドイツ・ベルギー・フランス・台湾など)も

積極的にされるなど日本よりもむしろ海外で

少しずつその名が知られるようになりつつある勢いにあるといいます。

特にそのヨーロッパ海外公演実績の模様については、

『陰陽座~百の鬼が欧州を行く~』

(ソニー・マガジンズ社、2006年初版第1刷)において

詳しく記載報告されていますのでご興味ご関心ある方や

特に今後積極的な海外公演を考えておられる若手ミュージシャンの方には

ご参考資料にもなり得るかと思われますのでお薦めしておきますね。

この本を読んでいると、文化圏の違いや人種・言語などの壁を

乗り越える力が音楽にはあるのだとの感触も掴めてきます。

つまり、

「優れた芸術(作品)になればなるほど国境などないのだ!!」という

ことです。

日本でもここ数年「口コミ」などで徐々に浸透しながら

ついにオリコンチャート順位でも上位ランキングされるように

なってきているようです。

また日本のへヴィメタルロックバンドとしては

欧米ではよくあるような<コンセプトアルバム>(首尾一貫した

物語性・世界観に基づく楽曲集)をも創作できる稀有なバンドでもあります。

アルバム『鬼子母神』など。

このアルバムは全曲『組曲』という構成であります。

『組曲』形式の楽曲が他にも数多くあるのが

陰陽座さんの1つの特徴でもあります。

管理人は後で少し触れる程度でしか

アニメやゲームなどと触れる機会もなく

日常生活でも無縁な生活を送っていますし、

パチンコスロットなどに行く機会もありませんので

陰陽座さんのすごさを知ることもかなりの「遅咲き」とは

なりましたが、

今はもはや「古参」のファンの方にも遜色がないほど

気持ちのうえではおそらくファン倶楽部に所属されている

「式神さん」以上に「式神さん」化していると

ひそかに誇りに思っております。

まぁ、こんなマニアックな語りを続けていても

またもや一向に前に進まなくなってしまいますので、

他のファンやバンド関係者の方からすれば、

「まだまだ荒削りやん!!」って不満の声が

出てきそうですが、そこは「心ある」陰陽座ファンの

皆さんを信じてとりあえずの大まかな紹介は終えたということで

後は新作アルバムを皆さんにも聴いて頂くか、

この8月末頃から始まるツアー2018年『覇道』に

直接足を運んで頂くなどしてご体験して頂くほかありません。

今回のライブツアー2018年『覇道』は全11公演であります。

それではそんな誠に魅力・活力にあふれた陰陽座さんであり、

もちろんユーチューブでも一部試聴可能ですが、

陰陽座さんは典型的な「ライブバンド」だとの定評もありますから、

やはり直接ライブ会場で触れて頂く方が宜しかろうと・・・

このように管理人は強く思う次第であります。

このように「陰陽座とは一体全体どのようなバンドなのか??」という

<超入門編>極私的レポートを終えたところで、

いよいよ今回の新作アルバム『覇道明王』解説・評釈へと

誘うことにいたしましょう。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

さて、ここからは第14作になる新作アルバム『覇道明王』

収録された各楽曲に対する逐条解説批評を始めさせて頂くことにします。

まず始めにすでに大方の音楽批評家や

陰陽座さん自身によるインタビューコメントなどをお聞きした限りでは

この新作アルバム『覇道明王』明確な特徴としてあげられる点は

前作アルバム『迦陵頻伽』に対して本来の<へヴィー>メタル感が

きわめて強度に凝縮された作品集だということになるようです。

前作『迦陵頻伽』の方はそのタイトル名も示すように

まさに歌を歌うためだけに生まれてきた天女だとされる

雅楽や舞楽では馴染み深い<迦陵頻>のお姿に変化(へんげ)した

陰陽座<紅一点>の「魂を抱きしめる」ボーカル黒猫氏を

より前面に打ち出しながら主人公化させた「物語」をコンセプトに

描かれた巨大な叙情絵巻物でありました。

ちなみにこの<迦陵頻>にちなんだ雅楽や舞楽は

関西地方では春日大社や四天王寺さんなどで観覧することが叶う

機会もあります。

そしてへヴィー感たっぷりの激しくも切ない楽曲があるかと思えば、

透き通った感のあるバラード調の楽曲もあります。

全体的には「陽」風へヴィメタルサウンドだと評価されましょう。

またマーケティング上の特徴としましても、

『刃』『愛する者よ、死に候え』はプロモーション(販売促進用)

ビデオが陰陽座公式ユーチューブ映像によって事前告知されていました。

そのためかアルバム発売前からある程度の方向性に関するイメージ像も

形成されやすく、事前の一般的評価も高かったようで

オリコンチャート順位などでも最高ランキングが獲得されたようです。

それに対して、今作『覇道明王』所収の一部楽曲公開の件にしましても

テレビアニメ『バジリスク~桜花忍法帖~』のオープニングテーマ曲として

『桜花忍法帖』のみがすでに公表済みである他は

公式ホームページ中における

創作者リーダー瞬火氏による制作過程における

ほんのちょっとした示唆というのか

事前の楽曲タイトルリストしか公表されることはなかったので

「マーケティング上、どないなるのかなぁ?」などと

一ファンとして勝手ながら心配申し上げてもいたところでした。

管理人としては、『桜花~』はともかくとしても

この楽曲タイトルリストやアルバムタイトルを見ながら

個人的にはニヤニヤしながら多分こう来るかもしれないなどと

想像しながら発売当日(当日には購入出来ませんでしたが)を

待ち続けておりました。

一部は普段のライブでの志向性発表や

すでに公表されてきた作品群からの陰陽座さんならではの

コンセプトやテーマ意識、世界観、はたまた仕事観などまで

親しみをもって眺め続けてきましたので、

いつもながらのファンへのメッセージに込められた

<暗号>はわりあい解きやすいものが個人的にはありました。

とはいえ、まったく予想外の「そう、来たか!?」と

思わせられた作品もありました。

その曲とは第8曲目:『飯綱落とし』です。

そうした個々の曲目解読批評は後回しにして

ここではまだ<序曲>ということで先に進みますね。

そうでした、まずは『覇道明王』の前作に比べての

全体的特徴の摘出作業でしたね。

すでにお聴きになられた方ならご存じのように

今までの陰陽座さんのアルバム作品群の中では

かなりへヴィーな仕上がりとなっていることは確かです。

要するにアルバムジャケットがイメージ想起させるがごとく、

まるで信念をもって襲いかかってくるような不動明王のような

重厚感というのかズシンと魂にのしかかってくるような

スピーディーなリズム感の楽曲群が大半を占めていると

申せましょう。

管理人はバンドマンでもない

ただの楽器ど素人の一般観客ファンにしかすぎませんので、

ギター奏法などにまつわるあれこれを語れるほどの

専門的知識を持ち合わせているわけではありません。

そのあたりの詳細情報を知りたい方は

すでに本項目冒頭あたり部分でもご紹介させて頂きました

音楽専門雑誌などでリーダー瞬火氏や

その実のご舎弟様でいらっしゃる招鬼(まねき)氏、

そして狩姦(かるかん)氏によってそれぞれの視点から

具体的に深く語られていますのでそちらをお読み下さいませ。

そうした意味でこの新作『覇道明王』は

いわば「陰」風へヴィメタルサウンドだと評価し得ましょう。

とはいえ、陰陽座はそのバンド名が示唆するように

<陰陽の理>

つまりは、<陰陽相補性原理>に基づく楽曲づくりに

励まれてきましたので、

この「陰」風作品のうちにもまるで入れ子の階層上のような

陰陽相交わった交錯作品として仕上がっています。

このようにこれまでの陰陽座さんの作風感からすれば

(もっとも第7作アルバム『魔王戴天』所収の『魔王』における

曲調のようにこれぞへヴィメタル!!という重厚感のある

サウンド曲もありますが・・・)、

やはりかなり異色の重厚感が溢れる曲調から始まりますので

おそらく陰陽座ファンの中にも従来のバラード的メロディというのか

ポップ調の曲も少しは含まれているのではと期待予想されていた方にとっては

なお一層のいい意味での意外性ある作品となっているように思われます。

とはいえ少なくとも違和感というようなマイナスイメージはありません。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

そんな第1曲目:『覇王』も色調転換にうまく成功しているからなのでしょうか?

最初のリーダー瞬火氏のかけ声から出だしが始まるも

徐々にボーカル黒猫氏によるサビ領域へと移りゆく過程で

そうした重厚感も透き通った旋律へと変調されていくことで

その絶妙なバランス配分が生み出されていくようです。

そうして少しずつ聴き慣れてきたところで

リーダー瞬火氏のかけ声とともに管理人も拳を振り上げて叫びます。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

『「立て」 我は 刻(とき)を 告げる

      (中略)

「絶て」 其れは 急を 告げる』

         (陰陽座『覇道明王』「覇王」から引用)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

とね。

もちろん公衆の面前で叫び歌い上げると奇人変人になってしまい

管理人も恥ずかしいので絶対にしませんけどね(笑)

1人でライブ向け予行練習をしている図です。

この程度のことなら多分ファンの皆さんも

ライブへ向けた練習として1人であるいは友人知人らと

されておられることでしょう・・・

多分??ですが・・・

そんな新作アルバム『覇道明王』ですが、

雑誌などですでにバンドメンバーから公開された情報では

今作では「別にバラード曲をあえて特に入れなくてもいいんじゃない」

(黒猫氏)とのご意見があったそうです

(上掲書『BURRN! JPAPAN   vol.11』21頁ご参照のこと。)が、

確かに明確な「バラード曲」という楽曲はないかもしれませんが、

色調としてはやはり黒猫氏特有のきわめて透明純度の高い

バラード「調」と評価してもおかしくない楽曲もあります。

前作『迦陵頻伽』所収の曲調でたとえれば『刃』のような感じでしょうか?

それが、第6曲目:『腐蝕の王』ですね。

タイトルこそすさまじいですが、

曲調は爽やかな感じのスピーディーなアップテンポな

激しい曲になります。

いずれにしましても、この『覇道明王』全体の曲調トーンは

数多くのへヴィメタルロックファンの心を鷲掴みにするでしょうし、

プログレッシブロックファンにとっても垂涎の的となり得る

後世へと語り継がれゆく日本のへヴィメタル史上「秀作」と

評価される一品に分類される名作になるものと

一ファンとしては期待しております。

さて長くはなってきておりますが、

ここからは新作アルバム『覇道明王』の個別楽曲に関する魅力について

語っていくことにしましょう。

今回のアルバムは、いつもと比べて曲数をかなり少なく圧縮させたといいます。

通常であれば、だいたい11~13曲ほど収録されたアルバムが

定番であるところ、アルバム収録用候補曲もこれ以上の

作品があったという中で「絞りに絞って」さらに「凝縮」することを通じて

より強い重厚感、圧力感を醸し出す

つまりは<へヴィメタル>サウンドへと仕上げていったといいます。

その目論見は見事に成功しているものと感じています。

それでは第2曲目以後の解説を展開していくことにいたします。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

第2曲目:『覇邪の封印』

この曲が示す主題は陰陽座さん自体がデビュー当時から手がけてきた

全作品で示されてきており、ライブの際にもいつもその想いを

私たちに吐露されてこられたことでその「初志」にも

まったく変化はないのですが、

第1曲目『覇王』が描くテーマを簡約すれば、

この間の事情がすべて語り尽くされているとおり、

日本へヴィメタル(以下では<ジャパメタ>と表記します。)が

日本音楽史の中ではきわめて認知度が低く厳しい時代を経てきていた

最中の1990年代最末期から2000年初期にかけて

バンド活動を開始された時の想いがそのまま如実に現れ出ている曲

だとひとまずは解釈できそうです。

<ジャパメタ>は実はわりあい早い時期から創造されてきてはいたのですが、

たとえば管理人くらいの世代前後(30~40代あたりの青壮年層)が

子どもだった頃に聴かれたことがあろうアニメの主題歌(通称:アニソン)に

採用されることも多かったそうです。

子どもの頃はへヴィメタの「へ」の字も知るよしもありませんでしたが、

今回の記事を書き綴っていくうえで<ジャパメタ>史を

少しは一般教養としても知っておく必要があろうということで

次にご紹介させて頂くことになる新書本により

初めて本格的な気づきを得たのでした。

その新書本とは事前予告もしておりました最近一部の音楽ファンのあいだ、

とりわけへヴィメタルやビジュアル系ロック愛好者のあいだでは

話題になっている??

『ジャパメタの逆襲』(山野車輪著、扶桑社新書、2018年初版第1刷)

あります。

前回記事末尾にてこの本について「物申したき点」とは

今回ご紹介させて頂いてきた「陰陽座さんの<ジャパメタ>史上に

おける位置づけ問題」でありますが、

その論点は本記事最終段階に差しかかった際に

<まとめ>として再度語り直させて頂くことにしましょう。

この本によれば90年代のビジュアル系ロックバンドブームと

その最盛期によって

へヴィメタルロックというジャンルすら認知されることもなく

かなりの長い年数<陰日向暮らし>を強いられてきたのだといいます。

しかもこの90年代といえばこうしたビジュアル系・非ビジュアル系

ロック音楽に限らず小室ファミリーなどに代表されるポピュラー音楽や

人気ファッション誌情報とともに首都圏ハイソサイエティー文化圏に

親和的でやがてその不思議で独特な曲調が一般社会層にも受け、

浸透していったとされる

いわゆる「渋谷系」ポピュラー音楽(ちなみにこの「渋谷系」音楽に

親しんできた友人知人などの情報では「渋谷系」とは

必ずしも東京の渋谷界隈限定音楽といった意味ではないそうですよ。

ご縁が出来た若手の音楽研究者の方に最近レクチャーして

頂いたところでした。)などを含めていわゆる豊饒な「Jポップ文化」が

猛烈な勢いで隆盛してきた時期でもあり、

垣根を越えた多種多様な音楽ジャンルの巨大供給時期とも重なり合っていたために

さらにへヴィメタルロックの認知度は低下していったのだともいいます。

(日本音楽史上および経済市場史上もこれほど隆盛をきわめた時期は

他にはあまり見当たらないのではないかと思われます。

強いて言えば戦後間もない「焼け野が原」・「闇市」時代が

そうした時期と重なるのでしょうか?

バブル経済は崩壊したというものの音楽(芸能)業界には

まだその「余剰」投下資本が残されていて、

どこかに「夢よ再び」と投資先がないものかと探しているうちに

たまたま市場における<見えざる手>が働いて

音楽市場に経済的「蕩尽」理論が集中的に当てられたのかも

しれませんね。いずれにしましても、「謎」ではあります。

管理人の仮説では、

それだけ世間に「不安」の種が蒔かれつつあった時期であるだけに

「不安」解消の一手段としてたまたま音楽が大量「消費」されたという

だけなのでしょうか?こうした経済分析論とも絡めた音楽批評論も

聴いてみたく個人的には大変興味ある論点です。)

そんな中で日本へヴィメタル音楽史においても画期的かつ衝撃的だったのが

先の冒頭でも触れさせて頂きました『紅』で一躍一般音楽層に有名になった

X(エックス)の存在だったといいます。

そこで、上掲書でも「では、このX(エックス)とはいかなる音楽ジャンルに

属するロックバンドなのか?」という音楽関係者のあいだでは

常に話題となるマニアックな論争があるのですが、

世間的(つまり、マスコミ音楽ジャンル的にはという意味)には

一応「ビジュアル系」扱いされてそのへヴィメタルロック性については

軽視されていく傾向にあったのだといいます。

このあたりの解説ご紹介をしていますと切りがありませんので

ご興味ご関心がある方には上記新書本をご一読して頂くということで

ここではそれ以上の詳細解説は省略させて頂くことにいたします。

いずれにしましても、何をこの曲の解説を通じて申し上げたかったかと

言いますれば、要するにそれほどまでに日本音楽史における

へヴィメタルロックというジャンルに対する認知度は低く、

厳しい低空飛行を余儀なくされてきたということに尽きます。

日本ではロック好きの方でもよほど洋楽に親しかったり、

バンド活動を実際になされてこられた方、

いわゆるハードロック(通称:HR)に通暁され、

普段親しんでいるほどの方でなければ

おそらく「へヴィメタ!?何それ。あのビジュアル系のさらなる過激化した

低俗(と言っては失礼ですが・・・)な悪趣味ロックミュージシャンの一群??」

などとほとんど差別・軽蔑に近い扱いをされそうな(実際にされてきた)勢いで

もって世間一般的には印象付けされていたからでした。

その原因の1つは上掲書でも語られていますが、

やはり大手主流マスコミによる興味本位ありきでの音楽番組編集路線に

あったものと確信されます。

そんなわけで数多くのへヴィメタバンドは一部の例外を除き

ほとんど世の表舞台に出されることも、

またへヴィメタミュージシャンの方でも自発的にあえて出なかったりと

へヴィメタにとっては「冬の時代」が長く続いてきたというわけであります。

また、90年代から2000年代初期は

まだ今日のようにインターネット音楽市場というのも

一般には十分に普及しておらず、ユーチューブなどによる

配信が可能となるインフラ基盤も完全構築されていなかったことも

大きな要因の1つとしてありました。

そうした時期に現在活躍するへヴィメタミュージシャンの大半

どこでどうやって食いつなぎ生き延びてきたのでしょうか?

それはまさしく<地下>にある??「場末」のライブハウスであったり

したのでした。

とはいえ、上掲書にも解説されているように

テレビアニメ主題歌(俗称・アニソン)などで好運にも採用された

へヴィメタ(系??=多くは当時ビジュアル系ロックと称される部類に

音楽業界的には入れられていたロックバンドがそのへヴィメタ的要素を

取り入れていた形でという意味)ミュージシャンももちろん少数ながら

いましたし、有名どころではデーモン小暮閣下が所属されていた

聖飢魔Ⅱ』などマスコミ表舞台で<地下>から飛び出してきた

有名へヴィメタルロックバンドも存在していたことは確かです。

それでも「ビジュアル系とへヴィメタル系、

あるいは、ハードロック系とパンクロック系、

はたまたプログレッシブロック系などの違いって一体何なの??」という

のが概ね世間の反応だったと思います。

つまり、ロック業界の中でもジャンルが「細分化」されていたり

「混合化(こちらの方が多いようですが・・・)」されていたりなど

一般的な見た目にはわかりにくかったこともあるでしょう。

管理人ももちろん今ではへヴィメタが好きですが、

未だに誠に大変お恥ずかしいことですが、

「スラッシュメタルってどんなの?」

「イメージ的にはそれはスピーディーなメタルなの?」なんて

通の友人知人に聞いてしまうレベルしか持ち合わせていません。

実際に陰陽座さんのライブに足繁く通わせているあいだにも

ファンの方の中にはそういった基本的知識について周囲の

へヴィメタ通の方に質問確認されておられるお姿にも

遭遇したことがありましたから、

へヴィメタルがいかに音楽的にマニアックな分野であり

『専門化(山野氏の上掲書<あとがき>では政治学者である

丸山眞男氏の表現を借りて「タコツボ(蛸壺)型」として

ある種の「オタク化」している現実を指摘されておられます。

243頁ご参照のこと。)』しているかがわかろうというものです。

このように第1曲目:『覇王』と第2曲目:『覇邪の封印』解説だけでも

前置きが長くなってしまいましたが、

なぜここまでわざわざ長く語らせて頂いたかと言えば、

それだけへヴィメタ業界は厳しく痛すぎる

過去があったということのイメージ喚起を

皆さんにもして頂きやすいようにとの意図からでした。

陰陽座リーダー兼ベーシストの瞬火氏による解説は

すでにリンク貼りもさせて頂きましたので、

その間の事情や想いはそちらのリンク先サイトで

ご確認頂くとしまして、へヴィメタ自体が世間一般から

また音楽業界からも「異端児も異端児」扱いされてきたことから

その険しい道のりをあえて「覇道」と名づけることで

自身を鼓舞することを通じて

やがて「王道」へとつなげていく

そんな音楽業界における現状の狭き門に

あらたな突破口を切り開かんと欲する志向性が

この曲には秘められているのだと熱く語られています。

なお、すでに雑誌や解説などでも公表されておられますように

この「覇道」ないしは「王道」という区分は

別に政治学的意味合いがあるものではありません。

『魔王』の物語的世界観の中には

そうした政治的文脈での「王道か覇道か?」という

問いかけは込められていますが・・・

もっともあくまでもそうしたイメージ像は

世間一般的に強固なまでに刷り込まれてきた

織田信長的世界観(最近の歴史学では

必ずしも織田信長=覇道VS明智光秀=王道のような

図式はなかったのだというイメージ刷新研究もなされているようですが・・・)

であります。

ちなみに、歴史愛好家的視点になってしまい本道からは逸れてしまいますが、

少しだけ陰陽座ファンの中には数多くの歴史ファンもおられるでしょうし、

かなりのインテリ読書人層もおられましょうから<現に我らが陰陽座

リーダー瞬火氏もボーカリスト黒猫氏も「大の読書家」で有名な方です。

だからこそ、ここまでの高度にして繊細な世界観を描ける数少ない貴重な

へヴィメタロックバンドでもあると管理人が一押しするわけです。

その博学・雑学精通ぶりは作品に見事に表れています。

とはいえ、今作収録作品でもそうですが、必ずしもそこで

語られる世界観や内容構成あるいは文体が「原典」と

厳密に一致しているというわけではありません。

おそらく影響を受けてこられた京極夏彦氏や山田風太郎氏ほかの

独特の文体リズムを取り入れたり、リーダー瞬火氏=今作は

すべての作詞/作曲責任者が瞬火氏。たまに黒猫氏ほかのメンバーが

手がけられることもありますが・・・による独自の文体観も

加味されていることから管理人にとっても

辞書で「この字ってどういう意味なの?」なんて調べたりもしますが、

歴史的旧字もあったり、すでに現在ほぼ使われなくなったような

死語ないしは歴史文献や時代劇、古典芸能に親しみをもった層でないと

にわかには判じがたい言葉もありますので、

歌詞の意味も正直ところどころ理解しづらいところもあります。

とはいえ、口ずさんでいるうちに段々とおぼろげながらも

その意味が「心」でわかってきます。

だからこそ管理人を含めファンおよび一般音楽視聴者からは

その解説が常に待望されるわけですね。

もっとも解説があろうとなかろうと

その歌詞に込められた「心」も<わかる人にはわかる>のでしょうけど、

やはりそのあたりは実際の創作者からの直接の声も

聞きたいところです。

というわけで、瞬火氏もその想いにきちんと応えて下さっていますので

そこは是非ご安心して是非拝聴して頂けますようお願い申し上げます。>、

少しだけ予備的豆知識として補講をしておきますと、

幕末維新期には織豊政権を「反」徳川幕藩体制という

理由だけで織田信長や豊臣秀吉を「勤王家」と捉えて解釈する

見方が浸透していたようです。また一般大衆のあいだでも

浄瑠璃その他の文芸作品内で暗に体制批判がなされていたことも

多々あったといいます。戦前から戦時中には平泉澄氏による

史観<世間ではいわゆる「皇国」史観論者としてだけ誤解も

されていますが、最近では中世アジール研究などの観点から

復権もされてきている歴史学者です。>に代表される

織田信長「勤王家」論で捉えられることも多かったのです。

もっとも確かに「勤王家」の側面もありました

<織田家は伊勢神宮や熱田神宮とも密接な関係にあったことも

その理由の1つでしょう。>から、

その対宮中政策にも大変気配りしていた様子も

少しずつ判明してきているようです。

とはいえ、その「意図」や「本心」となると表面からは

「理解」しづらく、それがために誤解された点も多々あったのでしょう。

いずれにせよ、織田信長という為政者は前々回ご紹介させて頂いた

小室直樹博士などもご指摘されてこられたように

日本史上初めて世界的な基準で「近代化」路線を

採用しようとした第一人者であったことは間違いありません。

このあたりは、第3曲目:『以津真天』解釈内でも

触れることにしますが、今作では『太平記』も題材に

採用されていることとの絡みで楠木正成も

かなり誤解されてきた人物だったということを申し添えておきましょう。

現在、産経新聞が描いているような、

また戦時中に描かれていたような「狭量な」イデオロギーに

矮小化されるような人物ではなかったからです。

このあたりになると河内人として正成公に幼少時から

何の政治的偏見もなく親しんできた管理人のこと

義憤もありますのでどうしても最近の上記新聞社などによって

流布されるイメージ像などに物申しておきたいわけであります。

楠木正成公にせよ織田信長公にせよ「経済とは何か?」ということを

きちんと弁えておられた為政者でした。

そのような理解があるかないかで「経済政策」に対する見方まで

変わってくるのです。

そうした意味で経済的視点抜きで未だに<滅私奉公>的人物像を

勝手に創作し(もっとも、現在は「公」の心を忘却してしまっているがために

今回の自然災害のような非常時に相互協力態勢がどうしても後手後手にされ、

普段からの住民同士のつながりも希薄になってきていることなどが原因で

被害も昔に比べてますます拡大される傾向にあることもあって

確かに「公」の心の復権は大切な課題ではあります。

その意味このたびの自然災害も半分は「人災」の要素も強いのです。

「国土強靱化施策」が待望されるところです。)かねないところもあって

世間への誤解がより強く広まりゆく要因ともなり得てきただけに

その読み方に注意が必要だということです。

そこまでわかっている産経新聞読者や一般国民であれば

まさしく<釈迦に説法>ですが・・・。

何が申し上げたかったかというと、

このような経済的視点が欠けているからこそ、

上記新聞社の「社説」も<緊縮型>に親和的な見解へと

見事に嵌り込んでしまっているというまさにそのことです。

上記新聞社だけではないですが、

現在ほとんどの主流メディアによって

このような「緊縮型」志向の経済報道がなされている(きた)ために

より一層の惨害がもたらされてきたとも断言できるわけです。

つまりは、もちろんあまりにもうがった見方であること

(になりかねないこと)は重々承知のうえですが、

河内人である管理人の見方からすると、

「安易な<滅私奉公>像は国民を貧困と耐乏生活を強いる道へと

引きずり込みかねない危険性がある!!」

言い換えますれば、

為政者による失政責任を意図的に覆い隠す悪因にも

なりかねない」ということであります。

また、一部の左派リベラル層のような「戦争への道」論には

安易に与しませんが、私たちのような<戦争を知らない世代>が

テレビアニメや映画、ゲームなどのイメージだけで

戦争を捉えやすい傾向をさらに補強してしまい

ついには本当の意味での人類の「破滅」へと導かれることに

なりかねないおそれも十二分にあるからですね。

そうした文脈からも「日本にとっての<近代化>の意味・意義」を

再考するうえでも織田信長公や楠木正成公が目指された政治像の

本質を捉え直すことは今この時期もっとも重要な課題でもあると

言えましょう。

このように歴史解釈とは何でもそうですが時代が変われば

コロコロと変わるわけで1つの史観やイデオロギーだけに

縛られていては「見えるものも見えなくなってしまう!!」から

要注意です。

さて、歴史談義はここまでとして本道に立ち帰ります。

すでに瞬火氏の解説でも強調されていたように

世の「王道(正道)」からはまったくと言っていいほど

見向きもされずに冷や飯を食らわされてきたといっても

過言ではない陰陽座さんを始めとする

数多くのへヴィメタミュージシャンにとっては、

自らを「覇道・邪道(げてもの、きわもの)」扱いされてきた

様々な<障害(封印)>を乗り越えんとする力強い決意が

この楽曲には込められています。

ということで、この第1曲目:『覇王』が陰陽座個別的な

宣言だとすれば、対する第2曲目:『覇邪の封印』は

そんなへヴィメタルミュージシャンの声なき声をも

代弁した総体的宣言だとも解釈できましょう。

このミクロ的『覇王』とマクロ的『覇邪の封印』を

合体させて進み往く存在こそが、

我らが陰陽「座」道と信じております。

その相互協力的人間観は、

管理人が今作でもっとも共感共鳴させて頂きました

第7曲目:『一本蹈鞴(いっぽんだたら)』にも

滲み出ています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

第3曲目:『以津真天(いつまで)』

この<以津真天>というのは瞬火氏の解説にもあるとおり

『太平記』に出てくる怪鳥であります。

この<妖怪>に関する詳細解説は

陰陽座ファンなら必携書である(あろう??)

『決定版 日本妖怪大全~妖怪・あの世・神様~』

水木しげる著、講談社文庫、2015年第8刷、

86頁)

『画図百鬼夜行全画集』

鳥山石燕著、角川ソフィア文庫、2010年第17版、

111頁)

ご参照願います。

この妖怪<以津真天>は「いつまで、いつまで・・・」と

啼き叫び続ける怪鳥でありますが、

これは建武元年(1334年)のことだといいますから、

建武の新政成った後に起きた諸騒乱(動)の現実像などを

揶揄したエピソードの1つなのでしょう。

歴史がお得意な方だと分かりましょうし、

NHK大河ドラマ『太平記』を視聴されたことのある世代の方

ならご存じだと思われますが、

要するに実際の建武の「新政」は上は後醍醐帝を始めとする

また下は後世(当時からも??)<悪党>と呼ばれた諸集団層によって

思い描き期待されていた理想像とはほど遠い事態が

すでに早くも招き寄せられていたのでした。

いわゆる「雑訴決断所」における決裁も朝令暮改のごとし・・・

まるでその政務機能を果たしていなかったといいます。

その中心領域で活躍し、こうした事態の進展を

冷静に観察分析していたのが楠木正成公の実像だったのです。

管理人が見るところ、「新政」が失政へと追いやられていった

最大理由の1つがいわゆる<公家一統>の政治社会へと邁進することで

「新政」を下から支えた勢力への恩賞も不公平であったり、

新しい経済制度への移行が大幅に遅れてしまったこと、

その新しい経済制度への移行に当たっては身分制の打破へこそ

向かわなければならなかったところ、

上記政治理念(支配構造)の限界から身分差別が残されてしまったこと

挙げられましょう。

一般にはあまり知られることもなく、

しかも日本経済史上においては最も重要な分岐点になるのですが、

後醍醐帝が「新政」を施行した時期というのは

日本中世期において土地本位主義から貨幣本位主義へと移行せざるを

得なくなってきた時代でもあったのです。

それはすでに日宋貿易以後から日本経済への貨幣浸透が徐々に

始まりつつあった時期から鎌倉末期の元寇時代における

その恩賞問題が大きな引き金となって経済分配面での

各種矛盾が顕著に露呈してきたことにもよりました。

貨幣が経済における本位(主流)になるということは、

経済を活性化させる触媒であり潤滑油となるそのシステムが

きちんと正常に機能していくための整備基盤が

同時に確立していなくてはならないということでもあります。

貨幣<決済>手段は、単なる物流交換を促進させるだけではなく、

その貸借関係をも生み出すことになるわけですが、

その貸借関係において噴出してくる各種紛争問題を解決するに

足る制度が不備ないしは未発達だと

例えば永仁の徳政令(1297年)のように<徳政令=

いわば借金棒引き命令>が乱発されたり、

各種<一揆>が雨後の竹の子のように

湧き起こってくる原因にもなるということです。

またそれまでは原則的に土地が主たる恩賞対象にされたり、

その土地を担保にした補助的貨幣<決済>システムが

少しずつ出来てくる土壌が生み出されつつあったのですが、

元寇問題に見られるように恩賞においても土地不足、

しかもそれに代わる貨幣も外国銭でもって代替するなど

日本国「独自」通貨が極度に不足している状態にあり

慢性的なインフレ状態にも陥りかねない土壌にあったようなのです。

そんな中で独自通貨の発行が決定されるのです。

もちろん現存する通貨ではなく、その鋳造計画も

「新政」の中断とも相まり、

結果的には<幻>になったというわけですが、

実は「乾坤(けんこん)通宝」という新通貨発行計画があったのです。

しかも本来の「新政」が目指すべき経済政策の方向性には

後の織田信長の問題意識とも重なりますが、

各種産業・商業をより活性化させていくための保護育成政策の

一環として関所の廃止などもそこには含まれていたといいます。

とはいえ、そうした本来の「新政」が目指すべきだった理想像も

先の<公家一統>の政治支配理念像のために

次第に「新政」を支えた諸勢力からも不満の声が続発。

ついに瓦解へとつながり、下克上につながる

未曾有の日本国「内乱」という激流へと進展していくことに

なってしまったのです。

織田信長の「天下統一」目前までのおよそ200~250年間、

日本国内は騒然とした雰囲気が上下問わずに生み出され、

一般民衆にとってはこの世の終わりのような時代に

直面させられることになったわけです。

ここに後醍醐帝に始まる身分打破的??な経済面でも

理想型身分撤廃型政治社会へと向かうべきはずだった

<無礼講>が引き起こすであろう「新政」の方向性も融解し、

ついに本当の悪夢としての身内型??<無礼講>

(=お友達の間だけで政治を持ち回る責任回避型

破れかぶれ政治という意味。「もう滅茶苦茶や!!」

ということです。)へと退化してしまったのでした。

なぜ、建武の「新政」と経済問題をここまで詳細に語らせて

頂いたかというと、経済問題に精通しない政治指導層が

己の自己保身のためだけにその効果が疑わしい

「ニセ」経済政策論を採用されたりすれば、

日本国内に再び分裂状態が生み出され、

大混乱に発展するおそれが十二分にあるからですね。

これが、日本中世から近世(近代直前の黎明準備移行期)に

おける経済史から観察した歴史的教訓だということです。

現在もまったく同様の状態に嵌り込もうとしているように

感じられませんか?

さて、そうした「新政」の失政がもたらした大混乱状態を

揶揄した悪戯書き(いわゆる「落書き」ですが)に

かの有名な『二条河原の落書』があります。

これは日本史教科書ほか比喩表現としても世間一般的に

政治・風俗を始めとした「世相」批判文として浸透してきたことも

あって認知度がきわめて高い日本史上名高い「落書き文書」であります。

こうした世相批判の総体を怪異現象として象徴させたのが

妖怪<以津真天>だったようですね。

とはいえ、リーダー瞬火氏そこはどこまでもひねられています。

主題はそこにはなく、

あくまでこの怪鳥が啼く「いつまで、いつまで・・・」にひっかけて

陰陽座の今後の行く末を考えようという素材として

位置づけられているにすぎません。

この発想すごすぎます。

『太平記』好きの河内人である管理人も「そう来たか!?」と

第一印象としてそう感じ思ったのでした。

さて、『太平記』絡みで<妖怪>へヴィメタルバンド陰陽座さんへの

今後の「続編」楽曲もお願いしたい希望があります。

それは、もう1つの有名な怪異エピソードである

大森彦七のこと>であります。

あるいは、『太平記』そのものが日本人に与えた影響もさることながら

『太平記』とはいわば『日本版水滸伝』でもあります。

多種多様な人間像がこれでもかこれでもかと出てきます。

ハードボイルド作家である北方謙三氏などが得意とされている題材

ですね。

現に『水滸伝シリーズ』や『太平記』ものシリーズを

複数冊ものされており、大変に人気高い作品群でもあります。

そうした人間群像自体が怪異現象を引き起こすことは

まさに「日常茶飯事」ですから、

『太平記』を題材にしつつそこで展開されている

一大人間「臨終??」絵巻物としての

『(仮称)組曲 太平記』も一ファンの単なる願望であり

夢物語にしかすぎず陰陽座さんに押しつけることなど出来ませんが、

いつの日にか見てみたいと想像を逞しゅうするのは

管理人ただ1人だけでしょうか?

他のファンの皆さんのご意見・ご感想も是非お聴きしたいところです。

さて、あまりにも度が強すぎる陰陽座愛が迸っていますので

長々とご紹介を続けてきたわけですが、

まさに「いつまで、いつまで・・・」と読者さんに

先を急かされそうで恐縮しますので、

管理人の『以津真天』論はここまでとします。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

第4曲目:『桜花忍法帖』

『桜花』についても語りたいことは山ほどありますが、

すでに冒頭の方でも語り済みですので

この曲は一部だけですが陰陽座公式ユーチューブサイトからも

視聴できるということで

そのフルバージョンを視聴したいと希望される方には

とにかく1日でも早くシングルをご購入されるか

あるいはダウンロード配信などをご活用されることもお薦めいたします。

陰陽座ファンでもないし特にへヴィメタファンでもないし

ただのと言えば語弊がありますが、

いち「アニソン」として消費したいだけで

「アルバムまでは別にいらないや・・・」という方にも

『桜花』を通じて陰陽座さんの幅広い世界観を是非知って頂き

あらたなファンとなって頂ければ紹介者としての

管理人も幸いですので是非宜しくお頼み申し上げます。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

第5曲目:『隷(しもべ)』

はい、次は『隷』に移ります。

すでに瞬火氏も解説記事で強調されていますように

これこそ「創作意欲の虜(とりこ)としての隷(しもべ)」の

ことを表現した作品だそうです。

確かに瞬火氏もそこで語られておられるように

あまりにも度がすぎた創作意欲に動かされている時というのは

頭も体も心もフル回転しており、

作業を一旦中断することすら出来なくなるほどの

「スーパーランナーズハイ」状態に陥ってしまいますよね。

まさに今の管理人状態です。

次から次へと連想ゲームが始まってしまうからです。

思わず、「俺は病気か!?」などとまでは心配しませんが、

何らかの「天」の意思というのか「天運」「天命」に

機械的に操られているだけではないのかという心境に

至ることは仕事が快調に進んでいる時にはままあることですね。

皆さんにもそんな時があるでしょう。

良い意味での「マリオネット」状態ですな。

ちなみに管理人の場合における創作感覚としては

「マリオネット」型体質というよりも

「ピエロ(道化師)」型体質により近いのかもしれませんね。

もっとも、その時のリズム感覚でその双方の体質感覚が

交互に現れ出てくるようですが(笑)。

また、瞬火氏が手がけられる歌詞文体の特徴ですが、

言葉遊びを楽しんでいるお姿が目に浮かぶ場面も

多々出てきます。

今回のこの楽曲でしたら、

『背負う蠅(しょうばえ) 繁冗(はんじょう)す』

(陰陽座『覇道明王』「隷」から引用)

ですが、「商売繁盛す!!」となぜか聞こえるのは

管理人の「空耳」だからでしょうか?

こういう遊び心が好きなのです。

それと同じく

『順慶流』(同上)

という言葉も出てきますが、

これも歴史好きならご存じのとおり

本能寺変後に羽柴秀吉勢と明智光秀勢が

<天下分け目>を競い合った

いわゆる「天王山」の合戦の際に

明智方が援軍を期待した当時は

大和郡山城主だった筒井順慶氏が

両軍相にらみ合っている最中での

「洞ヶ峠を決め込んだ」という故事成語でも知られるように

いわゆる「日和見主義」を皮肉った表現でもあります。

実際にこの時故事成語の由来となった「洞ヶ峠」にまで

進軍着陣していたのかどうかは諸説あるそうで

真実ではないとの見解もあるそうなのですが、

そのことはひとまず脇に置いておくとしまして、

こうした音楽業界内での商業主義(売れるだけの似たような

志向性をもった作品が乱舞するだけで試行錯誤しながら

実験してみようとするアニマルスピリットのない業界体質)に

対する暗にする批判意識がこの歌詞には

暗号として秘められているのではないかとも感じられたのです。

再度、引用しておきますと、

『弄玩 順慶流』(同上)

なのですから・・・

ちなみに、筒井順慶公も多分に誤解された

本当は優れた武将だったといいます。

順慶公の名誉回復のためにお伝えしておきます。

詳しくは奈良の伝香寺さん(三島由紀夫氏とのご縁でも一躍有名になった

大神神社で育成された笹ゆりを持った巫女さんが舞い謡う

<三枝祭>の舞台である率川神社のすぐそば)へ足をお運び下さると

その「心」がおわかり頂けるかと思います。

ここの「椿」も有名で花好きの方にとっては

静かな「穴場」だと思いますが、

仏像(地蔵菩薩像など)に関しては

特別公開日にしか拝観出来ませんので

事前にサイトなどでご確認されてから訪問されることを

お薦めいたします。

そうした歴史談義はさておき、

この楽曲に秘かに盛られた主題へと再び戻りながらも

へヴィメタルロック音楽と商業主義との関連を批評考察してゆけば、

もちろんライブ会場に実際に足を運び体験された方の中で

特に大阪、関西人の方であれば

「陰陽座こそ、商魂逞しいバンドやないの!?」なんて

思われた方もおられたかもしれません。

実際にライブではグッズとして販売されている扇子は必携品ですからね。

あっ、ここで扇子の話題が出たついでに忘れんうちに

語っておきますが、

「陰陽座さんのライブでは扇子必携ですからね!!」

とはいえ、絶対にグッズ品として毎回出品されている

会場限定扇子でなければダメだということはありませんので

そこは「ご心配無用!!」であります。

管理人も時によって販売用グッズとしての扇子と

私物の扇子とを使い分けながら

その時が来たら皆とともに謡い舞います。

多種多様な扇子がひらひらと舞っている方が

よりライブも引き立ちますし、

「購入してくれたらもちろんこの上なく幸せなことです!!」という

ことになりますが、いろんな経済事情を抱えたファンの方も

おられることからして「売りつけ商法」をされるような

ことも決してありませんからご安心下さいませ。

そのことはいつもの陰陽座さんの「心」を観察していれば

自ずとわかることですし、ファンの皆さんも

そこらへんの「阿吽の呼吸」がうまく出来ているようです。

いずれにせよ、この楽曲解説を通じて何を言いたかったのかと

申せば、もちろんプロバンドとして生活されているわけですから

売れるに越したことはなく、

安易にして幼稚な「商業主義型音楽批判」を展開されるなどということは

あり得ないでしょう。

とはいえ、音楽業界の中で特に商業面で厳しい道のりを辿ってきた

へヴィメタミュージシャンとしての「本音」、

あるいはロックミュージシャンとしての矜持(誇り)としての

「ロック魂」からすれば、

ただ単に売れるか売れないかで

「一喜一憂(まさに日和見主義)」するのは

単純にださいですし、よりいい作品が生み出されていく機会や

創作意欲が阻害されるわけですから、

やはりこの楽曲に秘められた「暗号」としては、

そうした長年月厳しい潜伏期間を積み重ねてこられた

へヴィメタ人種としての熱いメッセージが

底流にはあるのだと受け止めました。

「ただ単なる商業主義型世間流行便乗系音楽志向に乗るような

音楽家(業界)姿勢をあざ笑いつつ、

己の信ずる音楽美意識をどこまでも実直に究め磨き続けるバンド活動姿勢を

示すことで、音楽愛好者や業界関係者の芸術審美眼形成力にも貢献したい!!」

そんないわばへヴィメタルロッカーによる<アニマルスピリッツ>とでも

いうべき誇り(矜持)がこの不思議な歌詞からは感じさせられたのでした。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

第6曲目:『腐蝕の王』

この楽曲も陰陽座さんがこれまで歩まれてきた道のりを

振り返った時の強い想い入れが現れ出た1曲ですね。

<腐蝕>とは次の第7曲目のイメージとも重なり合いますが

へヴィメタル(重金属)ということで、

ここではそれぞれの楽器演奏者が互いに「合奏」しあう過程で

より研ぎ澄まされた音色が創造されていくというたとえを

歌ったもののようです。

へヴィメタルのあらたな可能性や

これも瞬火氏がライブMCなどで常に強調されてこられたことですが、

もはや音楽のジャンルにとらわれる必然性すらないとの

強力な宣言も込められた楽曲のようです。

実際に陰陽座さんほどジャパメタの中で

今まで誰もが考えつかなかったほどの異次元分野を

取り入れてこられました。

特に文学作品へのオマージュものも多く、

それは瞬火氏も敬愛するという

同じく異色の和風へヴィメタルバンド『人間椅子』さんにも

通底する創作姿勢にも窺われるところです。

そして、次に引用させて頂く歌詞にもあるとおり

人間の「尊厳」を高らかに歌い上げた楽曲でもあるところに

管理人などは強く高い感銘を受けたのでした。

この歌詞の言葉尻だけを捉えて政治的解釈を施すのは

厳に慎みたいのですが、

この國だけではなく、今地球上あらゆる場所で

<いのち>の尊厳も剥奪されようとしています。

未だに人類はこの次元を克服し得ずにここまで来ています。

「ガラスの地球を救え!!」

この言葉は陰陽座さんも『奇子』などで

オマージュを捧げてきた手塚治虫氏の著書のタイトルにも

なっていますが、本当に心の底から

管理人も強く願うところです。

さて、その歌詞ですが、

『 深い 此の 國の 底で

  腐爛せし 尊厳

  幾億の 障りに 稍 眩いて

  無色の 天の

  腐蝕の 咎を

  誇りと 誉れる 故

  屹度 怺え切る 先に

  不乱たる 尊厳

  追憶の 何彼に 只 泣いて

  勃嚕唵を 極む

  腐蝕の 王に 成れ (陰陽座『覇道明王』「腐蝕の王」より引用)』

と、この楽曲はへヴィメタルの可能性を高らかに歌い上げるだけに

とどまらずに人間の「魂」の奥底から迸る「誇り」を踏みにじろうとする

いかなる勢力にも屈しないという力強い「王(つまりは、1人1人の

かけがえなさ=独立性)」に成ろうとする意志の大切さに

気付かせる、そして人類全体に訴えかけるそのような曲に思われてくるのです。

ところで、ここに引用させて頂いた歌詞で

その意味がよく理解しにくかったのが

『勃嚕唵を 極む』

という箇所ですが、これは前にもご紹介させて頂いた

一字金輪仏頂尊>という仏像を象徴するとされるご真言だと

いうのですが、管理人の解釈ではその仏像が持つ性格像から

想像力を働かせるならば、それはまさしく、

「<極北>を目指してあらゆる努力を窮め尽くした果てに辿り着く

宇宙を根本から支える天空に鳴り響くへヴィメタルロックであり

そうしたバンドであり続けたい」との永遠の祈りや願い

込められたものだと勝手ながら推測させて頂いています。

この解釈イメージが正しいのかどうかは心許ないですが・・・

とはいえ、陰陽座さんやそのリーダー瞬火氏が

常々訴え続けてこられた想いに寄り添って推測するならば、

そうした理想の「極北」像を志向した信念や義といった

感覚なのではないかと恐れながら考えるわけです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

第7曲目:『一本蹈鞴(いっぽんだたら)』

この曲を聴いてまず始めに連想したのは謡曲『小鍛治』だったのです。

ちなみに、『一本蹈鞴』の『蹈鞴』とは、

製鉄技法の1つである<たたら製鉄>の<たたら>のことを

意味します。

まずはこの<たたら>の意味とイメージ像を精確に掴んで頂けないと、

この曲が宿している本当の素晴らしさを堪能することは難しいでしょう。

またこの歌詞に出てくる<喞子(しょくし)>とは、

鞴(ふいご)によって送られた風が引き起こす空気圧によって

上下作動する「ピストン」のことです。

とはいえ、この製鉄技法は現代製鉄技法とはまったく異なる

いわば古典的伝統技法ですので、

現代日本では岡山県北部地域などを除いて、

あまり頻繁に見られる機会は少ないことから

イメージしにくいものがあります。

ですから、イメージ喚起しやすいように

説明して頂くことがなければ、

「なんじゃそりゃ、どんな妖怪やねん!!」などと

思わず突っ込みかねません。

リーダー瞬火氏の責任ではないですけどね。

そうした詳細な解説はすでに瞬火氏もして下さっていますから。

さて、「合槌稲荷」という祠が京都にはありますように

この場合はあくまでも鍛冶師の話ですから

刀鍛冶が刀を打ち合い鍛えながら仕上げていく

「協働作業」を連想させるわけですが、

この楽曲を聴いていると、

人間がおこなう営みには本来何一つとして自力のみで

成し遂げられるようなことなどないのだと・・・

言い換えますと、

自分1人の力のみで万事成し遂げられていくとの

勘違いや妄想についつい嵌り込んでしまう「傲慢さ」を

へし折ってくれる

まさに「道歌」的側面があるように感じられました。

つまり、人間的な「謙虚さ」の原点へと引き連れ戻してくれる

楽曲であります。

ここで力強く歌い上げられていくイメージ像は、

たまたま管理人は

前にも当書評記事内のエッセー項目部分で語らせて頂いたことも

あるとおり、

奈良県立美術館と京都本能寺における展示にて

今をときめく刀剣鍛冶職人でいらっしゃる河内國平氏が

打つ作業工程場面を拝見させて頂いたことで

より鮮明に脳裏に浮かび上がってくることが出来たのでした。

そして、河内國平氏の工房も奈良県東吉野村にあるそうで、

この楽曲『一本蹈鞴(いっぽんだたら)』の出没舞台

(これにも複数の伝説があるそうですが・・・)ともされる

伯母峰峠の近くにあたります。

そして、この伯母峰峠はまた幕末維新史にお詳しい方なら

ご存じのように天忠(誅)組一行が逃避行したルートの

最中にもあたります。

今年は明治維新(1868年)から150年に当たる節目の年だと

言われますものの

今この國に日々続発している惨憺たる現状を見て、

いったい彼らは何を思って草葉の陰から見つめているのでしょうか?

少なくとも管理人にとっては彼らが本来目指そうとした

維新への「志」や「夢」を踏みにじろうとする暴挙には

耐え難い汚辱(濁)感(観)を覚えます。

実際に天忠組総裁の最期と長州藩との関係は幕末最後期における

思想上や藩内政策路線対立などによる錯綜した問題があったにせよ

屈折した因縁もあったのです。

ご興味ご関心ある方には、幕末史の背後に隠されたこうした

あまり一般的には触れられていない暗部についても

各自調べ考えてみられることもお勧めします。

「歴史はまったく同じような形では繰り返さないというものの・・・、

形を変えては同じような方向に進むこともままあるのです!!」から。

最近話題となった例の真偽不明な反長州藩論に関する本にも

掲載されていない論点や盲点が次々と「発見」されるかもしれません。

管理人はこの手の新奇性を狙った本が話題にのぼるたびに

つくづくいつも思うのですが、幕末史が語られる際に

世間では単純な「佐幕VS勤王」論で見る愚論が数多く横行する中、

そのようなわかりやすい図式の術中には嵌り込まないように

十二分に警戒心を払いたいものと考えています。

しかもまた昨今おかしいなぁと感じる政治的風潮に

「英霊」の方々の御霊を変な方向で<一般化>した解釈が横行しており

1人1人の御霊に真摯に向き合おうとする誠実さに欠ける

批評姿勢が随所に見られることがあります。

つまり、それぞれの政治勢力にとって都合の良い形で

彼ら彼女らの御霊を政治利用せんとする浅ましい姿勢に

彼ら彼女らの「志」や「夢」を引き継がんとする管理人にとっても

激しい怒りを感ずるのです。

「清々しき純粋な信仰心なき盲目的崇敬姿勢が一般民衆へと強要される時、

政治は必ず道を誤る!!」とだけ

<神ながら在りし世>から遠ざかろうとする現在に

是非とも強調しておきたいところです。

実際にこうした姿勢が明治維新期にも廃仏毀釈などの形で

現れ出てきたのですからね。

こうした廃仏毀釈の流れの中で

陰陽座さんが語り継いでこられた忍者文化をも形成していた

修験道(神仏習合)文化も形骸化され、

現在にさえその悪影響が至る所に及んでいるというわけです。

なぜここまで廃仏毀釈問題を語らせて頂くかというと、

この悪影響こそが怒濤の近代化の激しい政治経済的勢いの中で

良質な地域共同体が破壊されていくことにつながる遠因ともなり

現在の各被災地の被害をさらに拡大化させていった

一番根本的に重要な本質的問題点でもあったのだと

確信しているからでもあります。

それは同時に人の「真心」を知ろうと努めようとする

日々の人間関係における人情の機微を感ずる際にも

忘れたくないものです。

陰陽座さんの楽曲を聴くたびに管理人も

反省させられることしきりです。

「本当にごくごく些細な人間的感情のもつれが

世に不穏をもたらすきっかけともなり得るのですから、

心してかからねばなりません・・・」

政治指導者の傲慢さと下から変にへりくだった屈辱的忖度(そんたく)。

こういった上下並行的無理な摺り合わせ論法ばかりが続くと

人間の<良心>は麻痺し(させられ)、

まさしく<腐蝕>していくことになるのです。

幕末維新期のような時代の転換期には有名・無名を問わずに

悩み苦しみながら市井にひっそりと隠れながらも

終生そうした実際に成りゆく維新政治体制を問答し続けた

人々もいたのです。

管理人はたまたまこの3連休中に

再び美濃・尾張路~信濃路入り口にまで旅して参ったのですが、

今回初めて『夜明け前』の文学作家である島崎藤村の故郷である

馬籠宿~妻籠宿あたりまで訪ねる機会に恵まれたのです。

そのあたりの<旅情紀行文>も

また追って皆さんにご報告申し上げる予定でいますが、

「故郷を思う<望郷の念>という魂の行方は必ず

<小さき(いたいけな)もの(<もの>とは<物の怪>の<物>でも

あるような人間精神に宿るとても繊細にして微細な魂のことでも

あります)=無名かつ世間一般には告白(吐露)されなかった

心情>を慮る本来の忖度心へと自ずと向かわせられる」ものだと

確信させられたのでした。

そんなことをこの3連休中の日本最大級の猛暑どころと報道された

旧中山道界隈の旅道中に意識が朦朧とする最中、

つらつらと考えていたのでした。

「ほんと、岐阜県から愛知県にかけては猛暑過ぎたのですよ!!」

このように幕末から明治維新黎明期にかけて

天忠組に代表されるように純粋に<一心公平無私>を旗印に民衆の福利の向上を

ただひたすら願いつつ死んでいった「英霊」の方々の想いを

無視し、今生きている人間だけが「我が世の春」を謳歌してきた

ことを管理人自身も深く反省することしきりです。

本当に申し訳ない気持ちで胸がいっぱいになります。

人が生きて死ぬという意味。

特に「死ぬ」という実感が湧かない現代、

見守るべき家族ですら病院(看護施設)死などが多くなり

その最期の場面を見届けてやれないことが多い現実。

私たちがなぜ先人を常に想起しながら

過去を深く哀悼していかなくてはならないのか?

それは過去(つまりは、歴史)を忘却することで

人は何度も同じ失敗を繰り返すからですね。

人間が「協働」してともに苦楽を分かち合い

生かし生かし合うということの意味を

この楽曲を通じて深く味わいたいものです。

先程ご紹介させて頂いた河内國平師匠が

しきりに『心(しん)を叩け!!』というお言葉を

世間へ向けて連発強調されてこられたのも

そうしたことが忘れられがちだからだと思うのです。

『刀匠 河内國平という生き方』写真・文:宮田昌彦、

里文出版、2009年『仕事は心を叩け。刀匠 河内國平

鍛錬の言葉』山本兼一著、集英社、2013年ご参照のこと。

『利休にたずねよ』でお馴染みの山本兼一さんも

早世されたその死が惜しまれる優れた歴史作家さんでしたが、

「いい仕事」をされた方でした。

心よりご冥福をお祈り申し上げます。

『神変~役小角絵巻~』中公文庫、2014年

日本史の陰に刻みこまれた民衆心理を奥深く感じ取る魂を

育て上げてくれるという意味で優れた教材となりましょう。

ちなみに役行者つながりになりますが、

先月30日に京都:金剛能楽堂で公演された

謡曲『谷行』も心に残る一曲でしたね。

宇髙 竜成氏もこれからもっとも注目されそうな優れた

若手能楽師の方です。しかも宇髙氏の系譜は

陰陽座さんとも縁深い愛媛県=かつての松山藩とも

関わりが深いそうです。

宇髙 竜成氏によれば能楽=謡曲をもっと次世代の若い方々に

知ってもらいたいという一心で特に若手能楽師や若者ファン育成

ご熱心であられるようなので是非皆さんも応援のほど

宜しくお頼み申し上げます。

一方の陰陽座さんもこうした過去に生きた先人によって

成し遂げられ語り継いでこられた<いのちのバトンリレー>に

思いを馳せることの大切さへと誘ってくれる

数々の名曲を残してこられた<まれびと>型バンドです。

「ほんと、いい仕事をされておられますね。」

『闇を 覗けば 光を 知る

取りも直さず 陰は 陽の 鑑

(陰陽座『覇道明王』

「一本蹈鞴(いっぽんだたら)」より引用』

「ほんと、いい響きですね・・・」

歴史も光の側面だけではなく闇(暗部・恥部)の側面も

正しく見据えなくてはなりません。

とはいえ、「現実にあった事実をなきものにしたり」

「なかった事実をあるものとしたり、

はたまた現実にあった事実であっても<あるがまま>ではなく

過小評価したり過剰にまた誇張に歪曲したりするような」

あくまでも史実に「基づかない」悪い意味での

歴史修正史観も許されるものではありません。

今の時代、日本はまだ何とか曲がりなりにも

一応「平和」は保てています。

とはいえ、1人1人の心の中の「平和」となればいかがでしょうか?

管理人がこの世に真の平和がもたらされるために最も必要だと

日々痛感している要素は何かというと

まさしく日々の1人1人の心の内面が「健やか」であることだ

確信してきました。

それでは、

「どうすれば心の内面を健やかならしめることが

可能になるのでしょうか?」と問われるならば、

やはり優れた芸術作品(深い哲学的思索へと導いてくれる探求心と

魂磨きに貢献してくれそうな作品)に親しむ他ないだろうということに

尽きるのではないかとお答えするでしょう。

この楽曲はそうした心の奥底に潜む暗部(恥部)にも

厳しく向き合う姿勢こそが、

本来の人間的あり方だと示唆しているかのようです。

そんな管理人自身が感じた評釈はともかく

リーダー瞬火氏による第9曲目:『鉄鼠(てっそ)の黶(あざ)』

おける解説記事でもその点が末尾で強調されていましたことも

申し添えておきます。

瞬火氏の場合には、<濡れ衣>への怒りではありますが・・・

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

第8曲目:『飯綱(いづな)落とし』

この曲は、<飯縄権現>の「飯縄」ではなくて、

<飯>であることがポイントです。

これもすでに公表された瞬火氏の解説によれば、

こちらの「飯縄」(権現)に関する物語を主題とした

楽曲にもいずれ挑戦したいとのことでしたが、

管理人が早とちりの性格なのか題名が発表された段階では

てっきり<飯縄権現>さんの物語なのかと思ってしまったほどでした。

仏像彫刻をしているクセなのか

仏像をすぐに連想してしまうわけです。

また、私事で恐縮ですが、

4月にも伏見にあるご縁深いある寺の『秘仏』特別公開で

この<飯縄権現>様にも面会が許されたからでした。

関西ではなかなかお目に掛かれない珍しい『秘仏』ですので、

このきっかけを逃すまいとの必死な想いに

お応え頂けたのでしょうか?

向こう様からお声がけを頂いたらしい!?のです。

ご縁とは誠に不思議なものですね。

面白いものです。

ところで、この楽曲の底流にあるのが山田風太郎氏による

『くの一忍法帖』シリーズに出てくるような女忍者が主人公だという

その微妙な「抜け忍」心理を描いた物語だというのですから

恐れ入ります。

管理人も山田風太郎氏を敬愛する者の1人ですが、

一連の『忍法帖』シリーズは『甲賀』を含め

まだ1冊も読んだことがないのです(というのも、

『エッセー』や一連の『日記』シリーズにばかり

興味関心が惹き寄せられてしまい、

『忍法帖』シリーズはあくまでも小説=フィクションであり

作品数も膨大ですのでどうしても読む時間を割くことが

出来ずに後回し状態にあり続けているからです。)が、

この『忍法帖』シリーズの1作とされる

『自来也忍法帖』には多大な興味関心が昔からあったのでした。

陰陽座さんともご縁が深いキングレコードさんも

過去に映画化されていたといいますし・・・

瞬火氏による解説によれば、

普通はこの<飯綱落とし>とは『カムイ(外)伝』などの忍者モノに出てくる

忍法の1種らしいのですが、

カムイ(外)伝』とは直接関係はないともいいます。

ちなみに、<カムイ>つながりですが、

管理人は普段あまりアニメやゲームをする時間すらないので、

そちら方面の知識には疎いのですが、

最近人気があり話題になっているテレビアニメ作品に

『ゴールデンカムイ』という作品もあるそうですね。

『カムイ伝』のような優れたある種の学習マンガは

小学生の頃には親しんでいたのですが、

中学生以来はあまり学習マンガの類にも親しむゆとりすらないまま

今日にまで至ってしまいました。

『カムイ伝』を始め陰陽座さんもたびたびオマージュを捧げられてきた

手塚治虫作品なども幼い頃には読み込んでいたのでしたが、

ようやく今になって再び読むきっかけに巡り至ったようです。

そんなわけで『ゴールデンカムイ』の方も面白いそうですから

少しその話題に触れさせて頂きました。

それはともかく最近は幼い頃の記憶がたびたび甦ってきており、

憂鬱な心理から少しずつ脱却する機会も増えてきているようです。

少しでも楽しく生き直すために自ら考案するに至った

「前世(それがあるのか否かは知りませんが・・・)」ならぬ

「童心蘇生」療法によって幼い頃によく旅して廻った地へと

足を運びながら元気を回復させるある種の「活力」蘇生心理療法に

よって次々と明るい展望も芽生えてきており、

その道中で優れた楽しい仲間にも出会う機会が増えてきたのです。

まるで『木枯らし紋次郎』か『大菩薩峠』(中里介山作)に出てくる

主人公:机竜之介になったような感覚なのです。

それは作品によって造詣された主人公イメージ像が提示するような

いわゆる単なる一匹狼やお山の大将的な

<俺について来い>的な傲慢な主人公感覚

(言わずもがなですが、上記各小説によって造詣された

主人公の狂信的ニヒルな性格や猟奇犯罪的衝動行為を

賛美しているわけではありません。特に後者『大菩薩峠』は

結果として<未完>に終わっているために、作者である中里介山氏が

本来志向されたとされる仏教的因果応報論の結末やその教訓像などが

明示されることがなかったために、誤解された勝手な解釈が幅をきかせた

ために1960~70年代には現実世界においても

多大な惨害が引き起こされる引き金ともなったそうな・・・

これは作家の責任ではなく、まったく制作意図からかけ離れた

一部の読者による誤読解釈と世間への悪影響が一人歩きしただけの

出来事だったわけですが、こうした事例を見ても

優れた名作が世に与える<政治的>影響力というものには

決して侮り難い潜在勢力があるもののだと痛感させられます。

いずれにしましても、上記2冊とも今なお絶大な大衆的人気が

ある作品でありますことから、こうした名作品を通じて

哲学的に「人間とは何か?」や「人生をいかに処するか?」など

考えるきっかけが与えられることだけは間違いないところです。

皆さん、本というものは<受け身>ではなく<能動(積極=主体)的>に

深く考え味わいながら読みましょうね。)ではなくして、

1人1人がかけがえのない独立した存在として

この厳しい世間にともに立つといった

<同伴者型>主人公感覚とでも例えればよいのでしょうか?

いわば、この厳しい俗世間の荒海の中で

必死に孤独な世界(人生)観に堪え忍びながら

生きる1人1人がそうした想いを共有しながら

同時代にある様々な社会的課題を乗り越えんと共闘する

感覚姿勢とでも例えられるものでしょうか、

「孤独にして孤独にあらず」というのか、

「風の又三郎」的感覚というのか、

そうした感覚を宿しつつも、

決して虚無感情(ニヒリズム)や冷笑中傷感情(シニシズム)、

攻撃的マイナス感情の発散(ルサンチマン)などに

落ち込まないための人間的知恵を磨き続けるといったような感覚とでも

言い換えればよいのでしょうか、

あの抑鬱期を経て、数年間ほどの休養期間を経て

人生における生き方や働き方を考え直した後に

辿り着いた今日この頃、

そんな人生感覚とともに

世の中の見方もそれまでとはまったく一変したかのように

感じられてくるのです。

それは文豪川端康成氏による『伊豆の踊子』が描く場面のような

まるで『トンネルを抜け出ればそこには別世界が

広がっていたのです・・・』というような心理的色彩感覚なのです。

世の中(世俗)の見方・感じ方については、

あまりにも低俗・安易な方向へと流れゆく動きに対して

激しい静かな怒りは依然として強く残っているわけですが、

最近はこうした心理療法のおかげなのか

落ち着いて冷静に世の動きに処する姿勢へと

導かれてきているように感じるのです。

「怒り(禍)をいかに温かさ(福)へと転じるか?」

これが今の管理人の課題でもあります。

ということで話題があちこちへ飛んでしまっていますが、

そうでした。

『自来也忍法帖』から連想して次の話題へと

展開させたかったわけです。

前にもご紹介させて頂いたあの信楽旅行の頃、

世はまだまだバブル時代というのか

その余勢でもってまだ世の中に対する責任も

強く感じる必要もなかった小学生だったこともあって

すべてが明るく見えていたあの頃・・・

子ども達のあいだで人気となっていた名作アニメがあったのでした。

その作品こそが、今こそ管理人が世の為政者や強者とされる大人方を

含めてすべての地球人へ送り届けたいメッセージを

豊富に提供してくれます。

その作品名とは、『世界忍者戦ジライヤ』であります。

まずその主題歌が素晴らしいのです。

なぜならば、その歌詞の意味するところ

「おまえの弱い心と戦え(真正面から向き合え)!!」と

ストレートに呼びかけるものですから

子どもの「純心」に強く訴えかけるものがあったからです。

再びこの歌詞に触れる機会が叶い、

忘れていた人間としての原点を呼び覚まさせてくれたのです。

というよりもこのテレビアニメの底流にある思想哲学こそが、

いくつになっても管理人の魂の奥底で

いつまでも鳴り響き続けてきたようで

人生でもっとも多大な影響を受けてきたのかもしれません。

幼少期に<幼心>に焼き付けられた世界観や思想哲学の

影響を侮ってはならないのです。

<烏天狗>集団も出てきますし、

後の陰陽座さんとの出会いのきっかけも

すでにこの頃に芽生えていたのかもしれませんね。

世の中また人生とは本当に不思議なご縁で結ばれているものです。

そんな幼き日々に出会った体験を思い出していると

中学生以後のどうでもいい些末な知識だけを競い合うような

ゲーム感覚に秀でた受験技術(知識)競争や

社会人以後もいかに他人より秀でた能力を磨き獲得していくのかといった

そんなどうでもいい世渡り術というのか

あれこれのノウハウなど管理人の人生にとりましては

実はどうでもよかったことなのだと思われてくるのです。

また世俗思想的な右だとか左だとかも本当はどうでもよい

些末な世迷い言だったということにも

あらためて気付かせてくれたのです。

「小さな地球上で争って一体全体何の<御利益>が

あろうと言うのか、お前達は!!」

厳しく迫られているようで本当に恐縮な気持ちになり

身が引き締まる思いに駆られるのです。

本当に優れた名曲とはこのように人類全体へ向けた

大切な気づきを与えてくれる楽曲なのだなぁ~と

思わせられたのです。

そんなわけで陰陽座さんの『飯綱落とし』から

忍者つながりということで

ここまで昔の記憶が蘇生させられましたので

皆さんにも是非お伝えさせて頂くことになりました。

悲しい結末へとやがて落ちてゆく曲ですが、

そこに至るまでの壮絶な心理的葛藤戦のゆくえを

皆さんにもへヴィメタルの旋律でしか表現し得ない

曲調として末永く親しんで頂ければと思います。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

第9曲目:『鉄鼠(てっそ)の黶(あざ)』

この曲も管理人が解説するよりも

作詞・作曲者である瞬火氏による直々の

ご講義をお聴き頂く方が早いでしょう。

楽曲をお聴き頂くと、

いわゆる「学がある」とされる世間一般には

<高潔な>人物でさえ、人間的欲望という

「煩悩=幻影」に激しく動揺させられることが

痛感させられます。

「況や、凡俗をや(ましてや、一介の平凡な衆生ならば

なおさらのこと)・・・」というわけで、

この楽曲が題材としている物語こそ、

当時の高貴な階層間における政治的・宗教的党派争いなわけですが、

むしろこのような高貴な世界での出来事を

私たち一般の普通人の立場から他人事の別世界事と捉えるか

いやいやこれは身分の貴賤を問わず、

誰にでもいつでも起こりえるありふれた真実だと捉えるかで

その後の人間的成長の方向性すら変わってしまうという

「本当は恐ろしい」説話なのです。

その楽曲(物語)をどう受け止め、

ご自身の今後の人生の行く末にもどう反映させるか、

皆さんとともに一度は考えてみたい1曲であります。

また、この物語も『太平記』とゆかりが深いようですね。

あらためて『太平記』を読み返さねばと思われた

河内人の管理人でした。

さらに木曽義仲公の嫡男義高公ともゆかりがあるそうな・・・

ちなみに漫画家である手塚治虫氏のご先祖様も

何と木曽義仲公とご縁深かった配下の武将だったとか・・・

管理人も今回の旅で木曽路を散策してまいりましたが、

あらためて義仲公の「心」に触れたくなり、

さらにその想いを強めてくれそうな楽曲にもなっているようです。

「いやぁ~、今回の瞬火さんによって創作された楽曲群に

取り上げられている主題といい物語といい

すべてこれみな管理人の琴線に触れ、今もっとも大切だと

考えている哲学的主題に直結する問題提起ばかりではないですか・・・」

「怖いほど管理人の心に問い迫ってくるようで

今後の励みになります。」

「あらためて御礼を申し上げます。

ありがとうございます。」と・・・

まるで禅問答における<警策棒>のようなものですね。

「いやはや・・・」

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

第10曲目:『無礼講(ぶれいこう)』

さて、やっと最終楽曲にまで辿り着きました。

先週冒頭(7月9日月曜日)あたりから途中の3連休日の旅行を経て、

この間も日々の生業仕事で多忙な毎日を過ごし、

次々と記事の着想が浮かび書き溜めつつも

なかなか遅々として進まない現実が待ち受けていました。

とはいえ、あえて旅休暇を入れることで

全体の記事の流れに関する整理整頓も出来てきたようです。

皆さんにどう受けとめて頂けるかは

いつもびくびくしながら反応を待ち続けているわけですが・・・

「あっ、最後に忘れぬうちにこの主題歌が語る想いに触れるついでに

どうしてもこの場でお伝えしておかなくてはならぬ御礼の一言を申し上げます。」

「なかなか日々の生活などに追われて多忙な中、

当書評ブログへお寄せ頂いているコメントに一々ご丁寧に

お応えすることも出来ませんで誠に心苦しく申し訳なく思っておりますが、

この連休中にコメント下さった方、

本当に貴重なご意見を頂き誠にありがとうございました。」

「ちゃんとその想いは届いておりますので、

これからもいろいろとご教示下さるとともに

温かいご支援とご愛顧のほど宜しくお願い申し上げます。」

「皆さん、いつも本当に長文を読んで下さっていて恐縮です。」

「本当に心から励みになります。」

「読者様から得られる1つ1つの<声なき声>や

時には<声ある声>が管理人の研究・研鑽の肥やしともなり得ていますので。」

そうした涙ぐむ想いとともに最後のこの楽曲『無礼講』を

皆さんにもともに人生における喜怒哀楽<讃歌>として

歌い上げて頂きたく思い、

今回は陰陽座さんの新作アルバム『覇道明王』

お届けさせて頂きました。

この『無礼講』もまた『太平記』ゆかりの楽曲かよ!?。

今回の陰陽座リーダー瞬火さんによる楽曲ご提供をきっかけに

管理人自身もまたあらたな<太平記読み>の可能性が拓かれたようです。

「今生きてあることの歓び」の意味・・・

管理人にもきちんと伝わっていますよ。

早くライブで陰陽座さんとファンの皆さん、そしてスタッフの皆さん、

すべての関係者(ご縁ある方々)とともに扇子を持って

この『無礼講』を謡い舞いたいものです。

それでは、管理人の陰陽座「愛」をお届けさせて頂きましたし、

陰陽座さんが世間へ問いかける「愛」の本質やその意義・重要性についても

ご紹介させて頂いたところで、

前回末尾で予定しておりました今回のメインゲスト!?でいらっしゃる

陰陽座さんとは別に<資本主義と愛>に関連する話題も

ご提供したかったのですが、

もうあまりにも長くなってしまっていますので、

次回ということで

「もう少しだけお預けとさせて頂くことをご寛恕願います。」

それでは、今回の<総まとめ>です。

「陰陽座<道>とは、その名が示すようにただ単なる道教的タオイズムでも

ありませんし、陰陽<道>的な世界観に包摂しきれるバンドでもないはず。」

また、「陰陽座は確かにある種の<道>歌を演じるバンドではありましょうが、

単なる<演>歌にも属さず、人間の喜怒哀楽感情を妖怪の心にのせて

謡い舞い踊る<艶>歌もしくは<縁>歌であったり、

時には<宴>歌でもあり人生を応援する<援>歌でもあったりする

楽曲を提供してくれるまるで万華鏡のように絶えず変化していく

へヴィメタルバンド」だということに尽きるのでしょう。

つまり、あらゆる<枠=イズム>にとらわれないへヴィメタルロックが

有する無限の可能性をどこまでも窮め尽くそうという志向性を宿した

バンドが我らが陰陽座<道>だということです。

その意味で、「人生を無為に過ごすことへの戒め」を説いた

特殊西欧文化的に近代(現代)化せんとする志向性を

辿り始めようとする明治維新以前までは

一般民衆の心にごくごく日常的に鳴り響いてきた

<語り部>的説経音楽師のような存在だということです。

ちなみに、老子(道教的タオイズム)が説く<無為自然>とは

ただ単に何もせずにあるがままにボーっと人生を過ぎ越すといった

俗受けしている解釈イメージとはまったく異なるようですね。

水木しげる氏が妖怪に仮託して語られているように

妖怪世界のようにボーっとするのも管理人は大好きですが。

一休みした後はまた全身全霊で己に課した宿題に

取り組まなくてはなりません。

「地球(宇宙)を抱きしめるほどの巨大な愛を育て上げるためにも・・・」

『蛟龍(みずち)の巫女』(陰陽座)の歌詞にあるごとく。

もっとも、タオイズムは

儒教的エートスというのかある種の「マッチョイズム」や

「ガンバリズム」とも無縁ではありますが・・・。

そんなあらゆる無限の可能性を秘めたバンドが

陰陽座という存在ですので、

『ジャパメタの逆襲』を世に出された著者が描かれるような

<サブカルメタル>という1つの<枠>内へと

無理に括り込もうとする分類志向に物申したかったわけです。

そんなわけで、陰陽座は

すでに民間消費娯楽志向型商業主義ロックの領域をも

乗り越えんと欲する本来のへヴィメタルロックが志向してきた

<可能性としてのロック音楽哲学>の系譜を辿らんとする

宇宙次元にまで人類の霊性を引き上げんとする<道>を

高らかに歌い上げる日本が世界に誇りたいバンドなのです。

そのことはまもなく大阪の河内地方では8月へ向けて各種「盆踊り」行事が

盛り上がっていく時期にも当たりますが、

民謡的要素も実際に取り入れられた曲調にも象徴されているものと

確信しております。

<天壌無窮のご神(詠)歌>とも例えられそうな楽曲群を

へヴィメタルロックのリズムにのせて謡い舞い踊り語れるバンドを

単なる<ジャパメタ>音楽ジャンルに「定着」させてよいものか!!

それはあの本で<サブカル>メタルの系譜に属すると

狭く分類され名指しされたバンドやアーティストにも

当てはまることだと少なくとも管理人は確信しています。

そのような熱烈な想いで彼らの<尊厳=名誉>を

この場で救いあげたいわけですね。

それが管理人による『ジャパメタの逆襲』への再逆襲宣言であります。

ちなみに山野氏に対する個人的偏見などから語らせて頂いてきたわけではなく、

山野氏ご自身も1人のファン視線からへヴィメタル論を語られるならば、

あの本を読ませて頂いた後に感じた純粋な読後感として

どうしても納得できなかった点について、

当方にも物申させて頂きたいことがある!!との想いだけで

反論させて頂いているにすぎないということで他意はありませんので、

そこらあたりはいち読者の感想としてご寛恕お願い申し上げます。

ということで最後にこの楽曲のこの歌詞を深く噛み締めて頂きたく

引用して今回の<番外編>を閉幕させて頂くことにいたします。

『 然う 斯界は 責めて 択び得る

  夫れ夫れの 行が 道に代わる 

(陰陽座『覇道明王』「覇王」から引用)』

ということで皆さんにも陰陽座さんの第14作目となります

新作アルバム『覇道明王』を是非お聴き下さりますよう

お薦め申し上げます。

やはり音楽は「歌詞」だけではなく、曲調や旋律など

すべての流れを踏まえたうえでなければ

その「魂」もしくは「心」に深く寄り添うことが叶いませんので・・・。

音楽を「味わう」とはそういうことだ信じています。

ということで、単なる一過性の「娯楽消耗」作品として

享受されるような次元にある作品ではないという「心」を

皆さんにも是非感じ取って頂ければ幸いであります。

特に陰陽座さんが奏でるへヴィメタルサウンドの場合には。

ここから楽曲の原点となった「原作」書籍に進まれるもよし・・・

陰陽座さんから始める「読書のススメ」。

こうした音楽作品から入門する読書の世界も

他にはあまり見当たらないご提案だと思いますので、

ますます読書離れが進む??とされるきょうび、

1つの選択肢としても「よいきっかけ」になるのではないでしょうか?

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

陰陽座さんと新作アルバム『覇道明王』ご紹介記事を

締めくくるに当たって最後の最後に再度言い忘れた一言ですが・・・

『ジャパメタの逆襲』への再逆襲ということで。

「なぜ、陰陽座さんや人間椅子さんなどは

ただの<サブカル(=サブカルチャー)メタル>として

(上掲書<あとがき 242頁ご参照のこと。>)

分類されたのですか(怒)」

「陰陽座ファンのみんなも決して納得されない回答だと思いますので、

次回作でのご回答お願い申し上げたいものです。」

とはいえ、こんな厳しすぎる批評も今回あらためて基礎教養としての

<ジャパメタ>入門書をお届け下さった著者への敬意を失することになり、

一方的な感情吐露となり失礼にも当たってしまいますので、

今まであまり一般の音楽雑誌や手軽に読めそうな

音楽関連(特に日本へヴィメタル史について)新書なども

そうそうなかったと思いますので、

この「ニッチ」ジャンルに光を当てて下さいましたことは

素直に篤く御礼申し上げます。

「有り難き幸せにござりまする。」

いずれにしましても、管理人の考え観察するところ、

上掲書の著者がまとめられているように

陰陽座さんを含めて上掲書で軽く触れられていたバンドやアーティストが

単なる<サブカル>メタルとは到底信じられませんので

著者にももっと研究研鑽して頂きたくファンを含めバンドおよび

関係者に成り代わって「代弁」させて頂きました。

上掲書が<労作>であることは認めますし、

以上のように多少の不満足感は残りますが、

「<ジャパメタ>入門書」としては一応その全体像が

よく捉え切れているとは思いますが、

いかんせん、今回ご紹介させて頂いた管理人の当記事にも

当てはまりますが、著者ご自身の趣味性が

どうしてもより強く出てしまっていますので、

もう少し客観的な学術的考察もお願いしたいところだと思われます。

とはいえ、当事者としての客観的対談解説としては、

上掲書にも巻末<特別インタビュー>記事として

影山ヒロノブ氏による貴重な情報が提供されていますので

そちらをご一読して頂くことを皆さんにもお薦めさせて頂きます。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

<ご参考文献>

①『Jポップで考える哲学~自分を問い直すための15曲~』

(戸谷洋志著、講談社文庫、2016年第1刷)

※音楽歌詞を活用した対話的<哲学カフェ>の試みです。

皆さんもライブ終了後の懇親会などで語りネタとして

こうしたアプローチ法もあるよということで推薦させて

頂くことにいたします。

ただし、著作権などには十二分にご留意のうえ

お楽しみ下さいませ。

管理人も今回どうしても解説批評などの点で

『引用』の手法を活用させて頂きながら

語らせて頂いております。

②『Q&A 引用・転載の実務と著作権法 第4版』

(北村行夫・雪丸真吾編、中央経済社、2016年第4版第1刷)

③『文藝別冊 KAWADE夢ムック キング・クリムゾン

~増補新版 21世紀の異常音楽、50年目の戦慄』

(河出書房新社、2018年増補新版初版)

もあわせてご紹介しておきます。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

大変長らくお待たせして申し訳ありませんでした。

管理人も陰陽座さんと同じく今でなければいつお伝え出来るかも

わかりませんので、同じ「志」を宿した者の1人として

『風人を憐れむ歌』や今回の『無礼講』で発せられたメッセージとともに

今までの記事中、

おそらく「最高最大長文」記事となっているかと思いますが、

ここに読者様や広告スポンサー様、

グーグル様や当ブログ創作に関わるすべての関連諸団体様などへ向けた

日頃の感謝と敬愛の念を込めて満を持してお届け申し上げます。

「管理人でした!!」

「ありがとうございました!!」

最後の結びもまるで陰陽座さんのライブ締めくくり文句と

同じようになってしまいましたが・・・

皆さん、お疲れ様でした。

本当に最後までお読み頂きありがとうございました。

心より篤く御礼申し上げますとともに、

今回の西日本を中心として発生した震災や大雨洪水水害などで

被害に遭われた方々へお見舞いと亡くなられた方々およびご遺族の方々には

そのご冥福とお悔やみをお祈り申し上げます。

管理人に出来ることなど所詮は微力でしかありませんが、

またいずれ近日中(7~8月期)には

今回記事中でも予定告知させて頂きましたように

昔から大水害に悩まされてきた濃尾平野は「輪中地域」を

再訪問視察させて頂いた情報や定点観測なども踏まえまして、

水害(国土強靱化施策)問題や

自身も水難事故に遭った体験がございますことから、

命を少しでも取り止めるためにお役に立てそうな情報を

今後とも適宜当書評記事を通じてお伝え・お届けしてまいりますので

どうかご愛顧のほど宜しくお願い申し上げます。

今年も水難事故が例年にない水準で多発しているとお聞きします。

これだけの猛暑日(所によればもはや40℃以上!!)が続き過ぎると、

冷たい水中に入りたくなる気持ちもよくわかります。

また若い方々であれば長期休暇もありますことから

遊びに行きたくなる気持ちも共感します。

とはいえ、本当に水は有り難いとともに恐怖をも与える存在でも

ありますことから、くれぐれも無茶をせず、

異変に気付けば周りの方々も相互協力のうえ

無理のない自然な援助協力体制に即座に入れますように

ご協力お願い申し上げます。

管理人の体験でも特にライフセーバーがいない、

もしくは、いても極度に人手不足で即応体制にない環境、

さらにいても訓練が行き届いていなくて

(単なるバイト生も多いということ)肝腎なときに役に立たない者も

意外なほどたくさん存在しておりますことから、

本当に事前準備と予備知識をお持ち合わせのうえ

楽しんで来て下さいね。

何卒くれぐれも「安全第一」でご注意お願い申し上げます。

それでは本当に最後の最後の結びの言葉となりましたが、

再度くどくなり大変恐縮ですが、

このたびもご一読頂き誠にありがとうございました。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

sponsored link




 

One Response to “番外編:妖怪へヴィメタルバンド陰陽座『甲賀忍法帖』のテーマで♪♪~信楽・甲賀旅情編~”

コメントを残す

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)

サブコンテンツ

このページの先頭へ