『中井久夫との対話~生命、こころ、世界~』中井久夫先生の精神医療思想知見から心の安らぎへと至るヒントを探ります!!

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『中井久夫との対話~生命、こころ、世界~』

本書は共著者である村澤真保呂/和多里氏のお父上と

中井久夫氏にご縁があったことから成立した対話「断片」記録集と

中井思想概略と精神医療知見解析から成る「簡約」集。

この著名な精神科医によって獲得されてきた知見を素材に

皆さんとともに心の安らぎへと至るヒントを探究していきます。

キーワードは「内なる自然」と「宇宙」です。

今回はこの本をご紹介します。

 『中井久夫との対話~生命、こころ、世界~』(村澤真保呂/ 村澤和多里共著、河出書房新社、2018年初版)

本書は我が国の長年にわたる精神医学界における旧態依然たる人権抑圧的風潮に

新鮮な息吹を吹き込むことで新たな精神医療時代を開幕することに

多大な貢献をされてこられた中井久夫氏に関する一般向け入門書であります。

中井久夫氏とご縁あった方によるある種のエッセー風「評伝」であります。

まずは本書<はじめに>(本書5~12頁)で

共著者の自己紹介から本書概略がご紹介されることになるわけですが、

共著者とはそのお父上と中井久夫氏との間に交友関係があり、

幼少期からの家族ぐるみでの交際があったというご縁により

実現した記録集とのことです。

本書の主人公である中井久夫氏については

追って本記事における要約本文内でもご紹介させて頂くことになるわけですが、

「なぜ管理人が中井久夫氏に次第に惹かれるようになっていったか?」から

語らせて頂きますと・・・

前回記事冒頭の管理人自身に関する自己紹介も兼ねた導入記事内

触れさせて頂き、前にもご紹介させて頂きました木村敏氏の知見とともに

管理人自身の抑鬱感情を制御していくうえでの多大なご助力を得ることが

叶ったという<実益>と

このご両人らが中心となって開拓されていかれた

<関係性(あいだ・はざま)>哲学を中核キーワードに据えながら、

従来の固定化・保守化された「障害(者)」イメージによる

差別・偏見がひたすら助長されていく一方の旧態依然たる

我が国の精神医療・医学界に対して革新の気風を吹き込まれたところに

共感を覚えたからなのでした。

中でも<いのちのリズム(躍動感)>を尊重したある種の動態力学風に

捉え直した精神分析診断法がそれまでの無機的・機械的な精神分析手法と

著しく異なる点があり、また日本の風土や平均的な日本人が描いてきた心理的世界観にも

即した独自のものへと仕立て上げられていく志向性に

管理人自身の日頃の問題意識とも共鳴し合うところが多々あったからなのでした。

<関係性(あいだ・はざま)>といったある種の人間が心地よく生きていくうえでの

絶対に犯してはいけない「相互不可侵領域(境界線)」に着眼することは

円滑な「社会」生活を送り、安心した「個人」生活を過ごしていくうえでも

死活的に重要な視点をもたらしてくれます。

この世には様々な悩みや苦しみを抱え込まれた方々がたくさんおられますが、

特に「依存症」治療などの点でも画期的な成果をもたらしてきたといいます。

実際に管理人も心理治癒休暇中に様々な箇所を訪ね歩きながら

路地裏観察などもしてきたのですが、身寄りのない方などが集われるような

地区にあるカフェやコミュニティーセンターなどには

中井先生の書籍などがさりげなく置かれたりもしていました。

例えば、大阪市西成区の通称「釜ヶ崎」地区にある

とあるカフェルームなどにです。

木村敏先生に関しては母校とも何らかの接点があったようで比較的早い時期から

その御名だけは存じ上げていた(もっとも本格的な出会いとなると

前回ご紹介させて頂いた書物が始めてということになりますが・・・)のですが、

中井久夫氏のことについて

ある時に釜ヶ崎にある上記のとあるカフェに訪れた際にたまたまカウンター席に

置いてあったことから手に取ったご縁以来ということになりますから、

つい最近のことになります。

そのような個人的な出会いから

もう少し中井先生の思想や精神医療知見などについても

具体的に深く知りたいと思っていた矢先に専門書店や古書店なども経巡りながら

探していたのですが、どれもこれも入門書としては難解すぎでしたから

適当な中井関連書に出会う機会にも恵まれずにいたところ

ついに本年の晩夏の頃合いに

今回ご紹介させて頂くことになる本書と出会ったという次第です。

一般人としては専門書はやはり何かと取っつきにくいですよね。

そのような一般読者層の潜在的ニーズの「心」も汲み取りまして

本書も決して軽すぎる部類に属する書物ではないのですが、

もう少しエッセー風に軽快な感じで読み進めることが叶う

良質な中井久夫思想入門書として皆さんにもお薦め出来ようかと信じ、

今回はこの本を取り上げさせて頂くことになりました。

互いに揺れ動き続けている社会時間と個人的生命時間との<あいだ>に適切な距離感・同期(調)感を生み出すためには・・・

それでは本書の要約ご紹介へと移らせて頂きますね。

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・「はじめに」

※まず冒頭で共著者による自己紹介と本書成立へと至った

中井久夫氏とのご縁関係が説明されています。

『最初に断っておくと、本書は中井久夫の精神医学を専門的に論じる著作でもなければ、

彼の精神療法をくわしく論じるために書かれた著作でもない。

(中略)

ある意味では成り行きまかせでつくられた本である。』(本書5頁)とのこと。

また巻末の「中井さんと私たち~あとがきに代えて~」でも

あらためて語られておられますように

お父上と中井久夫氏とのご縁はあくまでも

『筆者たちの父は医師ではない。中井さんとは、京都大学の学生時代にともに

結核を患い、闘病した仲間である。』(本書217頁)という同士的出会いから

付き合いが始まったとされています。

そして共著者はそれぞれ現在は社会哲学・思想史(真保呂氏)、

臨床心理学(和多里氏)の専門家だといい、精神科医としての中井久夫氏からは

必ずしも正統な学統を受け継がれた「直弟子」ではないとの立場であります。

そのような経緯とご縁から<はじめに>(本書6頁)でも表明されていますように

個人的な中井久夫氏との定期的交流を得ることが叶ったところから

氏によるご協力の結果、本書成立へとつながっていったということのようですね。

さて、この<はじめに>では本書でこれから語られていくことになる諸テーマに

関する概要が簡約されているわけですが、

ここでは<精神医学の変容>(本書6~7頁)、

<中井久夫について>(本書8~10頁)、

そして<本書の概要>(本書10~12頁)の3大主要項目に絞って

まとめられています。

それぞれで語られている論点はまた以下の関連論考箇所に触れる際に

追ってご紹介していくことになりますので、

本書がまずはどのような趣旨と意図のもとで形成されていったものなのかを

確認して頂くうえで読者の皆様へのガイドともなり得ようかということで

その一端を記させて頂きました。

ですから、中井久夫氏ご本人による直接的専門論考に触れられたい方には

本書巻末にある<著作目録>をご参考に

そちらへ直接あたって頂くほかないとのことであります。

とはいえ、次からの「第1部 中井久夫との対話」から始まる共著者自身による

インタビュー対談記録からも中井氏の<素顔>の一端が垣間見られますので

これから本格的な中井思想の全貌理解へと歩を進められようとされている

読者様におかれましても

本書は程よい手頃な「入門手引き書」となり得ている1冊ではなかろうかと

紹介者としても自負しております。

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・「第1部 中井久夫との対話」

※さて、この第1部のインタビュー対話記録集はわずか20数頁ほどの

短い記事ではありますが、中井氏がどのような問題意識をもって

日々精神医学に取り組み、実際の精神医療現場で患者の方々と

触れ合い向き合って来られたのかが窺える内容となっています。

で、ここでは中井氏によって捉えられた「こころ」に関するイメージ像が

対話の中で浮き彫りにされていくわけですが、

「こころ」とは常に周りの環境状況によって揺れ動きながら

形成されていく性質があるところから単なる<モノ>ではないといいます。

つまり、近現代人の強固な「こころ」イメージに影響を与えた(続けている)

デカルト的な「身心二元論」を超え出た性格を有しているのが

中井氏による「こころ」に対するイメージ解釈だとされています。

このようなイメージ解釈から

「こころ」とは人間を取り巻く外部環境との間に明確な境界線を引くことが

不可能な困難さが織り込まれてしまうという複雑な心理・物理的諸現象の

総体のようなものを意味するようです。

そこから中井氏自身はあまり「こころ」という表現を多用されることに

慎重な姿勢であられたとのことです。

「こころ」と「世界」を内と外とに分離・切断出来るものでは

ないのだと・・・

次の課題としてこのような「こころ」が生み出されていく前景に

広がっている<世界>との関係でありますが、

中井氏による見立てによればこの<世界>といわゆる<宇宙>とは

まるで異なる次元界にあるものと想定されておられるようです。

<世界>とは便宜的に内外を区別することが可能なものとして捉えられることが

一般的にはありますが、<宇宙>とはそうした<世界>をも包含する

内外一体化された多元・多層型時空構造モデルとしてあるもののようです。

共著者によるインタビュー対談によって引き出された中井氏ご自身による

見解はこの<「宇宙」を守ること>(本書20~23頁)をテーマとした箇所で

提出されるわけですが、

ここで管理人自身との<世界>と<宇宙>とのイメージ像との接点からも

本対談箇所は興味深い感触考察が誘発されましたので語らせて頂きますね。

上記<「宇宙」を守ること>(本書20~23頁)対談でも

中井氏によれば患者(ここでは中井氏のご専門である

統合失調症者を引き合いに語られていますが)を無理に「社会復帰」させようと

焦らせることはかえって逆効果になるという点を強調されておられたところに

我が意を得ました。

管理人自身も抑鬱体験や人「間」<関係>上におけるトラウマ体験を

何度も繰り返し経てきていますから、

特にこの「社会」という言葉には過剰なまでの敏感かつ拒絶・違和感反応が

たびたび引き起こされてきたのです。

こうした精神(病理学??)的理由もあってなのか

「社会」主義や「国家」主義という大文字の世界観にも

究極的なところではどうしても馴染めずにいます。

もっとも少し先でも繰り返し触れさせて頂きますが、

個人的な孤「立」感の強まる精神病理的時期に至れば、

そうした大文字の世界観へと「吸引」されかねないような心理状態に

至ることも正直なところあるわけですが、

そうした「世間一般」もしくは「他者」によって共同幻想的に形成されていった

<神話的>世界観へは圧倒的な暴力性が感受されますから

やはりそうした世界観からは終局的には一刻でもはやく逃れ出たいとの

願望も同時に強く募ってくるというわけです。

このような「自己内」<宇宙>観と「自己外」に広がる<世間>共同体を下支えしている

共通<世界>観との<あいだ>における心理的綱引きで

いつも動揺し葛藤状態に入りやすいということです。

つまりは、端的に「集団」行動に極度な苦手意識を

抱えてしまいやすいということです。

とりわけあまり目的意識を問わずに集まっただけの「群衆」や「野次馬」という

「集団」現象に激しい嫌悪感を抱いてきました。

しかしながら一方では個人的な不安感もありますから

やはりどこかに安心出来る何らかの精神基盤(共同体内にもうひとりの

安心出来るより強力な親を求める志向とでもいうのか)の着地点を探ろうとする過程で

共同体との一体感に強い憧れを抱いてしまう誘惑に駆られることもあります。

もっとも最終的にはどこかの地点で「引き返す」ことになるわけですが・・・

特に何かよくわからない共同体のようなある種の「集団催眠」幻影装置に

「同化」することに極度の恐怖感を感じるからです。

その二つの志向性のもとで揺れ動く心理的ジレンマが

管理人自身の「保守的」志向性気質を生み出しているのかもしれません。

但し、ここでいう「保守的」とは

政治的含意のある言葉として使用させて頂いているわけでは必ずしもなく、

心理的気質としてのある種の傾向性を表現する言葉として

使用させて頂いているにすぎないことはご留意願います。

そうした「保守的」気質からか幼少期より1人で何かに熱中することが好きですし、

何かテーマを決めてはそこに粘着していく探究体質といった性格がありました。

そんな気質を抱え込んできたからなのか、

最近の某民放ドラマ僕らは奇跡でできているでも話題となっていますような

とある二人(榮倉奈々氏と高橋一生氏が演じる主人公のことです。)の

圧倒的に強烈な個人的<宇宙>観を抱え込んだ人物を巡る対照的な捉え方でもって

人間関係に対する距離の取り方で周囲に様々な騒動を投げかけるといった

日常生活問題をテーマにした物語があるのですが、

管理人などはどちらが正しい(親しみを感じる)とか

正しくない(親しみを感じない)といった好みの視点よりも

その対照的な二人のどちらの姿勢に対しても

ある意味では共感を覚える点が多々あるのです。

その類似性と相違性に特に関心を持ちながら探求心をもって観察しております。

前者の榮倉奈々氏演ずる歯科医がかつての管理人のエリート的志向性だとすれば、

後者の高橋一生氏演ずるところの大学講師には

幼少期から本当に社会で成し遂げたかったと欲していた

人生願望を「投影」してしまう現在の管理人の心境からすれば

後者の人物像にこそどうしても親近感を強く覚えてしまうようです。

現在の管理人の人生観からすれば、前者のエリート(上昇)志向系人間は

どうしてもかなりの背伸びというのか無理をし過ぎているように感受するわけですね。

もっとも本当にそのような人生志向に意義を見出しており

心の奥底から「納得」しながらそのような人生を過ごされているのであれば

問題もあまり生じないのでしょう。(とはいえ、それだけ上昇志向で

「出世」していくということは誰かを必ず「犠牲」にしているわけで

まったく問題がないとも言い切れませんが・・・。

だからこそ、いわゆる「成功者」には人一倍の社会的責務が課される

というわけですね。また感謝なくしてはすぐにも転落していくことにもなりかねません。)

後者の人物像はしばしば「天才肌」を持った人間に特有な強すぎる「童心」を

そのまま大人世界に持ち込んだような典型的人物像??のようですが

本人は「無邪気」であっても大人世界に属するごくごく一般の人間からの

評価では痛ましく見えるようでまるで<トラブルメーカー>のように

扱われ敬遠されてしまう傾向にあります。

そんなわけで前者の上昇志向系人間も過度に現在の社会風潮に適合させるべく

痛ましい努力を払っている姿には共感するところもあるものの

いつかその「反動」が来る予感もして自分事のように心配してしまうのです。

後者タイプの人間に対してもむしろ現在の社会風潮や

望ましいとされる生活姿勢基準からすれば大変な難題を抱え込んでしまうと

想像されるわけですね。

最近のノーベル賞受賞者のような研究業績も社交的能力の

双方とも兼ね備えた人間像というのは通常はほとんど見られないわけで、

どちらかにどうしても偏ってしまうのがよくあるパターンでありましょう。

だからこそこのような珍しいタイプをメディアも競って取り上げるのでしょう。

このように管理人の場合には

「(どちらかと言えば)保守的・内向的傾向」を

潜在的に宿している気質タイプからなのか

旅行やイベントなどに出かける際も基本的には単独行動を多く好んできたのです。

もっともそこで同好の士に出会えばすぐにうち解けることも多いのですが、

原則的にそこから先の親密なご縁づくりに至るまでには

慎重な姿勢にどうしてもなってしまい時間がかかるのです。

相手に遠慮してしまうことの方が先立ってしまうからです。

とはいえ、最近は旅先などで出会った同好の方々とのご縁結びに

積極的になろうと何とか<心の壁>を乗り越えようと

人間関係の「間合い」の取り方などを研究しながら修行中の身であります。

人間交際の<極意>を学び続けることは仕事ほか日々の生活上の知恵としても

必要不可欠ですしね。

逃げ回っているだけでは積極性も身に付かず、

「世界」が広がることもありませんしね。

今はあたらしくご縁を頂いた方々と共同の夢プロジェクト実現を目指して

試行錯誤・模索中です。

あらたな挑戦はほんと楽しいものです。

面白い「世界」を体験するためには

もっと「人間」を知り、その魅力を探り深めていかなくてはなりません。

こんなわけで、「他者」との距離感における微妙な「間合い」の取り方に

まだまだ難儀することが多々あるのです。

「もっと<自然体>にならねば・・・」とは思いますものの

その微妙な皮膚感覚にどうしても気を遣ってしまうのです。

そうしたこともあって人と人との間における心地よい<境界線>とは

いったいどのあたりにあるのだろうかとの異常なまでの探求心が働くわけです。

このことが管理人自身の<はざま・あいだ>哲学への知的好奇心へと

つながってもいるのですね。

そんなことから人間関係におけるご縁に対する感覚も

世間一般の方々とはかなり食い違う点もあって困惑する事態に遭遇することが

多々あります。

それでも最近はリアル生活上もネット(バーチャル)生活上も

様々な方々と出会う機会も多くなり助けられ、

以前よりも人生を前向きに進めることが少しずつですが

出来るようになってきたようです。

ですから、管理人自身の抑鬱体験も半ニート(失業や心理療養休暇期間生活)体験も

今では本当に人生経験上におけるかけがえのない<財産>となってくれています。

こうした管理人による拙い「極私的」体験ではありますが、

同じような境遇にある(心ならずも至ってしまった)方でも

またいずれご自身の「生きられた(る)」人生時間を必ずや取り戻すことが

叶いますので、ご一緒にその難局を乗り切るための知識、知恵を

今後とも探り続けていきましょうね。

「絶対ご自身の人生を諦めてはいけないのです。」

「人生の先にどんな未体験領域が広がっているかは

危機の最中には視野が狭まりすぎて本当にわからないからです。」

友人のミュージシャンの曲に『一寸先は闇の中のブルース』という

絶品があるのですが、このタイトルも前向きな「心(魂)」を

傾けながら聞き続けていると、『一寸先はまさに光(希望)』の世界へと

誘われていくことになるのです。

「言葉」の力とはかくまでも絶大な威力を発揮してくれるのです。

ある種の「言葉」には警戒心も抱きながら「真に受けてはなりません!!」

「言葉」は決してぞんざいに扱ってはなりません。

大切なことはその「言葉」の背景にある<オーラ(と表現していいのか・・・)>の

ようなイメージとともに反芻しながら感受する工夫と知恵を磨き続けていくことです。

そうすれば日々の人間関係におけるコミュニケーションの際にも

<オープンダイアローグ(開かれた対話)>や<傾聴力>も

自ずと身に付いていきます。

そのためには「他者」よりも「自己自身」の内面(心の奥底に潜む)

<良心(良知や真我といった高次意識)>に五感を傾け続けることも

習慣づけする努力を続けていかなくてはならないでしょう。

そうした意識をお互いに共有しながら良質なご縁結びが広がっていけば、

現在の殺伐とした社会風潮も少しずつではありますが、

必ずや風通しのよい方向へと次第に変化していくものと信じながら

語り綴り続けています。

「皆さん、本当にありがとうございます。」

自分としては人間を含めた世界に対する距離感としては

互いに「犯さず、犯されず」(前にご紹介させて頂いたこともある人間交際上の

黄金律)を暗黙の了解事項に据えて人と人や、世界とのあいだを

行ったり来たりする距離感の方が通常は安心出来るのではないかとも

感受してきたわけですが、友人知人によると「冷たすぎる」姿勢に見えると

誤解もされてきました。

だからといって、自分の中では「他者」を軽く扱っている(きた)感覚など

毛頭ないと信じているわけですが・・・

なかなか人間交際とは難しいものです。

読者の皆さんにおかれましてもこの人間関係また社会関係との間における

微妙な距離感(間合い)の取り方でことのほか悩んでおられる方も

数多くいらっしゃるでしょうから、

少しでも何らかのお役に立てる知見を学び得た範囲でお裾分けしたいとの思いも

強く募って、このような書評形式でお伝えさせて頂いています。

管理人としては『<空気を読む>ことよりも<間合いを取る>』感覚の方が

強くあるようで、前者の「気配」を察する視点よりも

後者の物理的・心理的「時空観」に焦点を当てた人間関係上の流儀に

どうも馴染みがあるようです。

そのような観点からは人間関係においては「唯物」志向なのでしょうか?

一方で極度に神経質な心理をも有していますから、

「唯物」論だけで人間関係を割り切ることも出来ていません。

もちろん「唯心」論だけでも同様ですが・・・

こうした人間交際上の「間合いの取り方」という接点からも

<物心一元化志向論>に興味関心を強く惹きつけられてきたということになります。

ここで本書における中井氏による上記<「宇宙」を守ること>のテーマに戻ります。

こうしたことから

<他者=外的関係>主導型の「社会」復帰重視に力点を置く治療方針よりも

<自身=自己内的深層構造>主導型の「自己内宇宙=自己物語」回復に

力点を置きながら患者とともに寄り添いながら「対話」でもって

少しずつ人間感覚を呼び覚まそうとする治療方針を採用されてこられたといいます。

このインタビュー対談では他に中井氏による従来型の「精神分析」手法に対する問題点や

ラカン派精神分析について>(本書34~35頁)などをテーマに語られています。

特にラカン派精神分析に対する管理人自身による違和感は前回も触れさせて頂きましたが、

その直後にもう一度中井先生の見解が気になって今回の本書ご紹介へと至ったわけですが、

たまたまその自分なりの違和感と中井先生ご自身によるラカン派精神分析への評価も

重なっているようで、どうも人間そのものを無機的・機械的に捉えすぎる傾向を

強く感じられたご様子でそれ以上の関心も持たれなかったと語られています。

中井先生の場合はさらに人間の<関係性>をキーワードに

社会システム論とも合わせて有機的に捉えていこうとする志向性が強くあって

それは中井氏自身による研究出発点でもあったウィルス学研究から獲得された知見や

独自の免疫学的視点とも連動しているようですね。

そこに管理人の中井先生に対するイメージ直観も適合したようで

何となく木村敏先生とともに惹かれていった理由があったのかもしれませんね。

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・「第2部 中井久夫の思想」

①『第1章 「精神科医」の誕生』

※本章からはいよいよ中井久夫先生の思想そのものをテーマに

探究していくことになります。

まずは中井先生が「精神科医」として自立されていくまでの経緯などを

中心とした解説がなされていきます。

中井先生のユニークなところは、奈良県天理市のお生まれであること。

このことが後年の天理教教祖であられた中山みき氏による「世直し」分析に

よって導かれた独特な<創造の病い>(エレンベルガー)の一事例として

捉える分析考察手法など「文化依存症候群」研究へとつながっていた

背景にもなったのではないかということ。

また法学部から医学部へと転入され、まずはウィルス学や伝染病研究から

歩み始められて、精神医学の世界へと徐々に移行されていったところにあります。

中井先生の主要業績『統合失調症の「寛解過程論」である』(本書38頁)

言いますが、このテーマについては次章へと回すといたしまして、

「精神科医」中井久夫が誕生するにはそこに至るまでの背景事情が

当然あったわけですが、その間の模様を我が国の精神医療史とともに

簡潔に要約されているのが本章の役割であります。

このあたりもすでに多くの論者、識者によって語られてきましたように

皆さんもご存じのことと思われますが、

ハンセン病患者に対する扱いに見られるような

「隔離」病棟へと囲い込みながら「監視」する伝統的な保安処分型治療法が

根強く支配してきました。

そのような患者に対する過酷な差別的待遇を強いる人権侵害治療法に対する

反対運動がやがて1960年代頃からの学生運動などを始めとする

反体制革新政治運動とともに歩調を合わせながら進展していったわけですね。

それは同時にいわゆる医学界における『白い巨塔』体制に対する批判意識を

伴ったものでもありました。

そうした問題意識が「精神医学界」にもやがて波及していくことになるわけですが、

そのあたりの経緯は<反精神医学>以後の本書49~60頁までに簡約されています。

この時期における中井先生も学生運動における「自主管理」闘争の渦中へと

巻き込まれることになるわけですが、患者を楯にとる闘争戦術に常日頃から

疑問をお持ちであられたことから、そうした政治運動における管理側とは

一定の距離を置くようになっていったといいます。

<東京大学「赤レンガ病棟」>本書57~59頁ご参照のこと。)

ここに中井先生と患者との間における独自の距離感性や治療意識も

芽生えていくことになります。

そうした問題意識がやがて「寛解過程論」へと結実していくことになるわけですね。

『中井は、このような状況のなかで、統合失調症の治療について具体的な道筋を

示した。しかも、その方法は、個人の「病理」に焦点を当てるアプローチではなく、

看護師や作業療法士などと連携しながら患者の「日常性」に焦点を当てる

アプローチにもとづいていた。これは画期的な考え方であった。

このように患者の日常生活に着目することを重要視する中井の「寛解過程論」は、

後の中井の精神医学における仕事の方向性を決定するもの』(本書61~62頁)

なっていったのだと・・・。

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②『第2章 「寛解過程論」とは何か』

本章では主に統合失調症患者の病状改善過程を分析考察されていく過程において

見出されていった中井氏による有名な「寛解過程論」が紹介解説されています。

この要約では詳しくはご紹介出来ませんが、

その「寛解過程論」の本質を共著者の表現で簡約させて頂ければ、

『「統合失調症はけっして治らない病気ではない。ただし、治るための

障壁が非常に多い病気である」』(本書65頁)とのこと。

この「寛解過程論」における病状改善説明が

統合失調症以外の他の精神病理症状(例)にも共通して適用可能なものなのか

どうかは門外漢なのでわかりませんが、

病状が改善されていく過程で患者の方でも

「社会復帰」への目途が付きそうな時期に至ると

ひとまず安心出来そうになる心理が湧き出てくるわけですが、

ここで一気に病状「発症」以前の状態へ一気に戻ろうと

気ばかりが焦り始めると再発症の危険性が高まり、

ここまでの努力も水泡に帰すおそれもあると警鐘されていることが

ここでの重要点となります。

ここでは一口に統合失調症患者(それ以外の何らかの精神病理を抱え込んだ患者も

含めて)といっても多種多様な人間(気質)タイプがありますので

一概にこれが唯一「正解」だとは断言出来ませんが、

むしろ「病前性格」にこそ着目する視点を持つことが重要だと

強調されています。

患者の方では改善への「自信」が湧き出てくる時期でもありますから

気がゆるみがちになったり、

もうひと安心だから少し「放置」しておいて欲しいとの

治療者への要求願望も出てくるわけですから、

治療者の方でも患者との間の関係において油断しがちな時期となってくるわけです。

どうしても双方とも生身の人間なわけですから・・・

「自由」への希求は人間なら誰しも強く欲するわけだから。

しかし、この時期(本書では<回復時臨界期から寛解期前期へ>と

<慢性化の問題>82~86頁で解説されています。

なお全体のわかりやすい図表は73頁に、

そしてこの時期における気のゆるみ状態を『導きの糸の喪失体験』と

表現されているところです。)こそが患者と治療者双方にとって

もっとも気を付けなくてはならないのだと強調されています。

このあたりは管理人も

中井氏が治療対象とされてこられた統合失調症患者とは異なりますが、

親しくさせて頂いてきた双極性障害(躁鬱病)患者でもいらっしゃる方から

実体験談もお聞きしたこともありましたから同じく的確な判断なのだと思います。

ちなみにその方によれば、アニメソング(その方の場合はかつての教え子によって

紹介されたというアニメ『ドラゴンボール』の主題歌が鬱病には効果的だった

といいます。)もかなりの治癒効果があるそうですよ。

そして患者、治療者にとっても最終的に望まれるのが

完全な「社会復帰」ということになるわけですが・・・。

ここに難題があり、

現代社会の本当の意味での「暗闇」があるようですね。

その問題点が本書最終項目にある

<社会で暮らすようになる>(本書88~89頁)まとめられています。

「社会復帰」のあり方にしても人ぞれぞれであり、

これが「正解」だとか「望ましいあり方」だとかいうことは

本当は「断じてない!!」ということです。

発病前とはまったく異なる再出発をしてもいいわけです。

このあたりは管理人自身も体験していますから断言出来ます。

もっとも人によっては病前と同じ生活状態にいち早く復帰して

それまでの社会生活を取り戻したい方も数多くいらっしゃることでしょうし、

その姿勢を否定する資格など管理人にもございません。

とはいうものの何度も強調させて頂きますように

絶対に無理は禁物だということだけは

ご自身の生命にも関わりますことですのでお伝えしておきますね。

「社会復帰」のあり方や近現代社会が暗黙の了解事項としてきた時代風潮に基づく

「精神病理」や「精神療法」の問題点については、

フランスの哲学者であるミシェル・フーコーなども

大きな問題提起をされてこられたところですので

ご興味ご関心ある方向けにはここで併せてご紹介しておくことにしますね。

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③『第3章 中井久夫の治療観』

本章では中井先生による生命観とそこから立ち上がる治療観について

語られています。

音楽の<リズム>のように生命(いのち)の流れを捉えるところに

その生命観の特徴があるといいます。

それは生命(いのち)の流れや心理的揺れ幅を

「波長」として眺めるということでもあります。

詳しい解説は本書に委ねさせて頂くことにいたしますが、

この「波長」として病状の進行プロセスを捉える視点は

前章でも取り上げられた「寛解過程論」の骨子とも重なり合います。

『中井は、生命をさまざまな「流れ」が絡みあったりほつれたりしていく

プロセスとして捉えている。そこには内部も外部もない。

そこで身体はさまざまな「流れ」が交錯する開かれた場であり、

閉じた統一体ではない。

(中略)

この視点に立つと、「こころ」と「身体」の出来事のあいだに

本質的な区別はなくなる。

身体はさまざまなリズムを媒介する通り道のようなものであり、

そのようなリズムが組み合わさって具体的な形になったものが行動であり、

「こころ」とはこのプロセスの総体である。

中井において、「こころ」と「身体」あるいは「社会」、「世界」は

対立するものでも異質なものでもない。』

(本書114~115頁<身心二元論を超えて>)

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④『第4章 結核とウィルス学』

⑤『第5章 サリヴァンと「自己システム」』

第4章では、中井先生が「精神科医」へと転身されていく前に

すでにそこでの着想点の「原型」となる研究知見が備わってきていたのだといいます。

それが「ウィルス学」であったり、

中井先生ご自身の「結核」体験に基づく「細菌学」や「免疫学」であります。

その「免疫学」の「精神病理学」への応用に至る道については、

<精神の免疫学>(本書138~140頁)をご参照願います。

その内容に関するさらなる深い検討解説が第5章での話題となります。

ここでも「システム論的思考」がひとつの話題となっています。

「自己」内システムと「自己」外(=非-自己)<環境世界>との

関係性を巡る攻撃防御反応がうまく作動しなくなった状態が

ひとまず統合失調症事例だとも言い換えることが出来ましょうか?

つまり、自他弁別機能が正常に機能せず、

境界線が不明確になり精神的な混乱・錯乱状態に陥っている状態だということです。

とはいえ、中井氏のこれまでの議論を追ってくれば、

「こころ」と「世界」のあいだには明確な内外の区別が付かないわけですから、

字義通りの「自他弁別」ということも何か不適当な表現にも思われるところですが、

ここでは「自己」を統御するうえでの「免疫システム」が機能する

身心一体化プロセスの一環として「自己」と「非-自己(環境世界)」との

関係性がうまくつながらなくなったという意味で

その説明をわかりやすく進める便宜上の表現として使用されているものと

理解していくのがよいのかもしれませんね。

統合「失調」症とは文字通りその「自己」と「非-自己(環境世界)」との

整理「統合」に支障を来したという意味で

身心共鳴リズムに「失調」があるということなのでしょうから。

そこで次にこの統合失調症に関する説明に関してですが、

管理人自身言うまでもなく門外漢なので適切な解説をここで試みることも

叶いませんし、もしかすれば誤解もあるかもしれませんので

その点はあらかじめご了承頂いた上で、

この症状に関して管理人がこれまで学び得たうえで

気になった点を少しまとめておくことにしましょう。

それはこの統合失調症を説明するに当たっての

大きな2つの流れが精神医学界にはありそうだということであります。

1つは、「脳科学」による脳のある種の機能障害として捉える見解。

こちらは「こころ」を排除する嫌いが強く見受けられます。

もっとも「こころ」をどう定義するかの難問はありますから、

わかりやすく「脳」の機能障害に特化して説明していく方法にも

一理はありましょう。

またかつては悪名高いロボトミー手術(人間の行動を制御し、正常な認識判断行動を

可能とする前頭葉を「摘出(切除)」する手術)を多発させて

深刻な惨状がもたらされる原因となったことから

現在でもあまり「脳科学」だけに偏重させた説明は分が悪いようですね。

その一方で、「脳」を「身心一元化」の統合機能とする見立てには

共通する視点はあるものの「(脳だけに限定されない)身体」全般に内在し

点在する外部環境との免疫・感受反応をも加味させた

中井氏型の説明方法があるようです。

「自己」と「非-自己(環境世界)」とをどう整理統合しているのか

その「自己(免疫)システム」のメカニズムもまだまだ不分明の領域も

多々残されているといいますが、

ひとまずはこの「自己」と「非-自己(環境世界)」とのあいだにある

<境界線>における「間合いの取り方」をどう設定していけば

適切な「世界」や「他者」との関係性が保てるのかという点に

人「間」関係を安定させる大きな鍵も潜んでいるということを

押さえて頂ければよろしいかと思います。

先程から「自他弁別機能」が正常に機能しないことが統合失調症の原因だと

語ってきましたが、この点で管理人にとって多大な興味関心ある仏教的世界観で

よく語られることのある「自他弁別機能」の「抑止」こそが

修行の極意(悟りへの階梯=導き手)だということとの関係性や如何にということも

管理人同様に疑義を感じていらっしゃる方もおられるかもしれませんので

少しだけ考察しておきましょう。

あくまでも暫定的私見でありますが・・・。

仏教で言うところの「<自他弁別機能>の抑止」とは

あくまでも「自我(煩悩)の計らい」を捨てる方策を

練っていくことで「世界」や「他者」との一体性を

「感受」することで双方を出来る限り

「傷つけ合わない」ための知恵といった文脈で語られているものでしょうから

統合失調症における<自他弁別機能>が正常に機能せずに

「世界」や「他者」とのあいだで混乱が生じている(つまりは、

適切な<境界線>が引けていない!!ということ。)とは

同じ「一体化(=自他弁別機能の<抑止>)」という表現がなされていても

明らかに異なった文脈のものだということです。

仏教での<自他弁別機能の抑止>とは

お互いの「自我」の計らい(偏執性)を出来るだけ制御する知恵を

体認・体得する工夫を積み重ねることで

お互いが接する場を円滑なものに変えるという意味合いが強くあります。

言い換えますと、「一円融合化」(一休さんなどに見られる発想??)ですね。

ですからまとめますと、

仏教が推奨する修行の一過程としての<自他弁別機能の抑止>とは

もちろん自他のあいだにおける適切な距離感を保つという意味で

<境界線>は暗黙の了解事項としてあらかじめ含意されているものと

管理人などは考えています。

そうでなければ、人間関係を「円滑」にして

「自己」と「世界」との「融和」を図ることは不可能だからです。

その<境界線>が崩壊して「自他」とのあいだに適切な距離感が作れずに

ある一定段階において「異常」状態にまで煮詰まっていくと

精神病理ともつながってくることになるのでしょう。

おそらく精神病理と仏教的人間関係(世界との<間合いのはかり方>)との

接合点もそこにあるのだと考えているところです。

ここでも鍵となるキーワードは<境界線=非干渉領域>の適切な位置づけです。

このあたりの双方からの接点に関しては、

木村敏先生などはその著書『分裂病の現象学』でも仏教的世界観に

大変造詣深かった西田幾多郎哲学とのあいだに接合点を

見出した論考も提出されていたそうです。

『精神医学から臨床哲学へ』木村敏著、ミネルヴァ書房、

2010年初版第2刷、196~199頁ご参照のこと。)

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⑥『第6章 ミクロコスモスとしての精神』

第6章では、中井氏の著作論考集『世界における索引と徴候』を手がかりに

中井氏独自の精神医学が形成されていくに当たり

底流にある認知的哲学観について語られていきます。

ここでは日常の記号論的(秩序だった散文型世界観、本書での表現では

<比例世界>)世界観に対する非日常(精神病理学的には分裂病症例を糸口として)の

「非」記号論的(混沌としたイメージとともにある詩的言語型世界観、

本書での表現では「微分・積分世界」を内包させた<メタ世界>)世界観との

対比をキーワードに

時空間の<裂け目>から現れ出る別次元への「窓」を通して眺めた

人間による世界認識のあり方の変化・変容過程について

独自の説明技法が立ち上げられていく模様の一端が描かれています。

通常人も「夢」や「錯覚」、「幻想(影)」に陥る瞬間がありますが、

特に幻覚や幻聴をしばしば体験する統合失調症患者の認識プロセスを

その分析考察の素材に据えることで

人間における認知的過程に対するより一層の理解が深められる利点があります。

さらなる具体的詳細解説は本書に委ねさせて頂くことにいたしますが、

まずは私たちが世界を認識するに当たって

このような普段は逐一その認知プロセスなど意識することはありませんが、

中井氏による以下のような認知プロセスでもって処理していくのだろうとの

見解が示されています。

「予感-徴候-余韻-索引」

この4つの流れを一連のものとして世界を眺めているのだと。

『この組概念のそれぞれは、理解するのにそれほど難しい概念ではない。

たとえば、あるときふと、なにかが起こる「予感」がする。

この予感は、たんなる違和感であることもあれば、不安であることもあるだろう。

その予感に突き動かされるように周囲に注意を向けると、

これまで気づかなかった差異をみつける。

その差異は、これから起こる出来事の「徴候」として捉えられる。

そして出来事が起こり、目の前を通り過ぎていった後も、

その出来事のあざやかな感覚はときおり記憶のなかで現在によみがえり、

リフレインを奏でる。それが「余韻」である。

そのうちに記憶がおぼろげになり、もはや思い出すこともなくなってから、

あるときその出来事の痕跡をみつけると、それが「索引」となって

過去の記憶の書物を広げる契機となる。』(本書178頁)

(※ここでの「索引」とはある種の<記憶喚起の呼び水のこと>でしょう。)

そしてこのような世界に対する認知過程論についての

双対的比較分析手法は代表著作である『分裂病と人類』『治療文化論』

またすでに触れさせて頂きました

「寛解過程論」にも共通して見られる思想だと言います。

精神病理学などと言えば、一般的には私たち通常の感覚では

どうしても「障害」を抱えた異常症状者だけに見られる特有現象だとして

偏見の視線で捉えられてしまう嫌いがありますが、

すでに現在では「健常者(正常)」と「障害者(異常)」との

旧来の差別的人間観で捉えることが不適切な時代なのであり、

連続的なスペクトラム(<連続体>のこと。虹をイメージして頂くと

わかりやすいかと思いますが、それぞれの光の色合いの境目を微細化していけば

少しずつ変化していく様子が判明してくるように

その強弱度合が異なるというだけで全体としては本来的な差別などあり得ない様子。

つまりは全体として調和・統合しているというような質感でしょうか?)として

眺めようとする人間観・世界観の時代でありますから

本書で問われてきた分析論考も誰しもに共通して役立つ視点になるわけですね。

そんな観点からもつい先だっての中央官庁自身による

「障害者」雇用の水増し問題は実に由々しく禍々しき汚点であります。

「一事が万事」

「李下に冠を正さず」

こうした俚諺が今ほど注目されている時期もありません。

「危機(大厄災・国難=内憂外患)の前兆」はこうした問題にも

見事に現れ出てきています。

歴史上かつてないほどの未曾有の危険分水嶺(瀬戸際)が訪れようとしています。

管理人は決して無用な政治的煽動をする意図もありませんし(人生の

貴重な時間を費やしてまでそんなのしたくありませんし、

そのような心理的危機感へと追い込まれた時には

すでに世も最末期状況にあるでしょうから。

幕末の志士や先の大戦などにおける戦没者を始めとする

「国事」殉難者を二度と出し続けてはいけないからです。

だからこそ「戦争」や「抵抗(差別)史」研究もするわけですし、

「平和」を積極的に<創造>していくための知識や知恵を古今東西の

良質な書物や人物と出会うことを通じて収拾し続けているわけでもあります。)

危機感を増長させるような発言も自重すべく願いたいところですが、

現在のこの惨憺たる有り様を眺めておれば「良心(良識)」ある

人間であればあるほど誰しも「心(魂)」が痛むと思うのです。

管理人の場合はどうもその時々の「社会」現状(風潮)と

自身の「心(魂)」が共振共鳴しやすい敏感な神経なのか

こうした時期に「憂鬱」がまた誘発されるようです。

出来れば「大事」を避けるべく皆さんの<避雷針>になりたい想いで

一杯なのです。

そんな時は深刻な情報が満載提供された書物やメディア報道情報を捨てて、

旅に出かけたい気分になるものです。

要するに自ずと「心(魂)」が漂泊し始めるのですね。

何となく西行法師や兼好法師、松尾芭蕉の深い心境が「わかる」ようです。

そうしたわけで後ほどエッセー項目にて

<紀行文>も提供させて頂くことにしますね。

皆さんにおかれましても、

「心機一転」や「気分転換」にもなるでしょうから・・・。

「神は細部に宿る」

これはミクロコスモスの比喩でもありますが、

私たちが世界を眺めるに当たっては

日常(マクロ)と非日常(ミクロ)の双方からの視点を常に持つことが

より豊かな世界観、人間観を構築してうえでも

意義ある営みとなります。

まとめますと、1人の人間も

外部環境と内部環境(身体を媒介させた総合的感受意識装置)が

相互交通しながら成り立っているということで

様々な因縁が寄り集まって生起してくるということですね。

そんなわけで現在では近代的「人間」観(それは<自己同一性>を

固定したものと捉える静的人格観でもあります。)を再考させる

新たな「人間」観が少しずつ浸透し始めてきている時期に当たります。

とはいえ、この<自己同一性>の定義をどのように設定し直していくかという

難問はあるものの、そうした様々な因縁によって成り立つ人間を

1つの<自己同一性>あるものとして捉える統合制御機能が働かなくては

安心した<社会>生活を営むこともままならなくなることは言うまでもありません。

正常に(=社会的に)機能できるかどうかが

1つの精神病理状態にあるかどうかの分岐点だからです。

ここで異常な方向に解(ほつ)れた統御機能を正常な方向(ここでは無理に

<社会>復帰させようとする視点よりもあくまでも本人にとってこの「世界」ないし

「宇宙」内に安心できる<居場所=生活拠点>が作れるかどうかの方が

より重要でありましょう。先程の中井先生の問題提起を考慮するならば・・・。

なぜならば、焦れば焦るほどむしろ本人にとって<世界>との適切な距離感が

ますますうまく作れなくなり最終的な<社会>復帰への道も

ますます困難になろうからです。

これはいわゆる<統合失調症>だけに限らず、

ありとあらゆる<社会>との関係性をうまく取れなくなった状態にある

すべての人間に共通して当てはまる問題でもあるということです。)へと

うまく誘導することが叶えば<統合失調>状態を改善もしくは

そうした状態からの解放に少しでも近づく1つのきっかけとなり、

何らかの手がかりが得られるだろうということです。

それが繰り返しになりますが、

先に触れさせて頂きました中井先生による

『「統合失調症はけっして治らない病気ではない。ただし、治るための

障壁が非常に多い病気である」』(本書65頁)という意味に当たるようですね。

中井氏を始め今日の精神医学の最先端では

すでにこのような「力動」型人間観が有力となってきています。

近未来では「人工知能」との比較でも従来の「人間」観が

大きく変化・変容していくことになりましょうが、

こうした機械技術分野の領域とも異なった「人間」を対象とした

精神医学や心理学、はたまた他のいかなる学問の世界でも

すでにそこで想定される「人間」観が変化・変容してきているという

実際も皆さんには是非ともご了解頂きたいところです。

そんな「人間」の進化論としても本書は何らかの考える素材を

提供してくれましょう。

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⑦『第7章 生命、こころ、世界~現代的意義について~』

最終章では、中井先生が提出されてこられた思想哲学観と

現代哲学の最先端をいく様々な理論との接点を見出す作業に費やされています。

本章で取り上げられている個々の近現代哲学者の思想哲学との

類似点や相違点といった接続論考にまつわる解説は本書に委ねさせて頂きますが、

結局は、現在の「人間」観に多大な損害を与えてきたのが

近代「合理(理性)」主義で割り切るありとあらゆる思想だったということです。

その意味では、経済思想面では資本主義から社会(共産)主義まで。

政治(社会)思想面では左派自由主義から右派保守主義まですべて同罪・同根であります。

近代における特殊な「人間」観が現れ出てきた背景事情や大本の起源にまで

遡った探究をしていくならば・・・。

そうした従来見逃されてきた問題点を摘出される仕事をされてこられたのが

先にも触れさせて頂きましたがミシェル・フーコー氏でもありました。

「理性」と「狂気」の<あいだ>には

巷間イメージされているほど距離感はあまり遠くないということですね。

だからこそ、自分自身を「善人」として「正義」を全面的に押し出すことには

常に警戒心と自己抑制心、知的謙抑心が要請されるわけです。

誰しも何らかの形でそれぞれマイナスの外部的環境条件と内部的身心状態が

噛み合えば、すぐにも「魔道」へと転落する機会に遭遇する可能性は

十二分にあるわけですから。

このあたり、

まもなく三島由紀夫氏の命日である『憂国忌』の季節も巡ってきますが、

管理人などは思想的アプローチは一見異なるように見えても

究極的な問題意識・提起としては

意外にもこの三島由紀夫氏とミシェル・フーコー氏との間には

驚くほどの類似性・共通認識点があるようにも感受されてきたのです。

最近はこうした観点からも三島文学を読み直していく必要があるのではと思う

今日この頃であります。

三島文学にはまだまだ政治的な反応でもって読み込もうとされる方や

多大な誤解がなされていますが、

実は人間の繊細かつ微妙な心理や精神病理論から分析考察する読み方も

あるだろうということを1人の三島文学ファンとしても

是非とも注目して頂きたいと願うところであります。

今年に入って静かなブームが続いているという

異色作『命売ります』(三島由紀夫作)もこのような視点から読まれると

より面白さも増すのではないかと考えております。

そんなことをこれまた異界!?のへヴィメタルバンド『人間椅子』さんの

同名作『命売ります』を口ずさみながらしみじみと

この秋の夜長に思案に耽っているところでもあります。

まとめますと、近現代とは意図的に<狂気>を排除しようとして

極度に<理性>を神聖視してきた時代だったわけですが、

皮肉にも<理性>を究極的にまで推し進めていけば

終局的にはまた<狂気>の「深淵」へと誘われることがままあるという

逆説にこそこれまでの歴史的教訓から私たちが学ばなければならない点が

あるということですね。

そうした教訓を掴むこともまた

全人類が真に「生きられる=カイロス的」時間を取り戻すための

強力な助けとなってくれるのではないでしょうか?

「どうすればこの世界から<支配・被支配欲>といった

人類が太古から抱え込んでしまった最大の悪徳を超克することが叶うのか?」

この問いを解き続ける努力をすることが

「霊的」生物だと信じられてきた

「人類」存続の未来にも関わってきます。

そんな文脈からも良きに付け悪しきに付け、

昨今、現代思想の最先端における議論では

「人間」の<終焉>ということが静かに語られ始めてもいるようです。

より良き「進化」の方向で現生「人類」(人類「前史」)を<終焉>させるのか?

それとも、

より悪き「絶滅」の方向で現生「人類」を<終焉>させるのか?

それはひとえに<考える葦>(パスカル)としての

皆さん1人1人の「人間」としての徹底して考え抜きながら

行動していく姿勢にかかっています。

今回の本書を読み解きながらあらためて気づかせて頂いたことは

「人間」の<こころ>とは共進化の賜物であり、

1人の<こころ>が万人に影響を与え、

その万人の感受を通過したそれぞれの<こころ>が

またあらたな<こころ>を再生産していくということでありました。

数年前に流行した「鏡の法則」という言葉もありましたが、

互いが互いの<こころ>を映し出す「鏡」なのだとすれば、

ますます1人1人の<こころ>の透明度(純粋性)が

厳しく問われることになります。

ここ最近ずっと<生産性>議論の行方が気になって仕方ない管理人でもありますが、

「人間」を道具や機械のように扱う見立てが

世の多くを占める時間が長引けば長引くほど

ますます悪しき<終焉>の方向へと転落していくことでしょう。

そんなわけで「私たち<人類>はどこで道を違(たが)えたのか??」が

ずっと脳裏に焼き付いて寝ても覚めてもこの最重要テーマだけを中心に

あらゆる諸学を再検討していく途上で

自らこれまで積み立ててきた学問も立て直しながら、

世界観、人間観、労働経済観、人生観から死生観・・・などなど

ありとあらゆる「観点(見立て)」の<浄化>を図るべく

厳しい道を少しずつ少数の賢者や覚醒者とともに歩み始めているところです。

管理人もまだまだ悪性の<不純物>の塊です。

そのことを現在好評開催中の『水木しげる~魂の漫画展~』でも

感受してきました。

「書くこと」と「対話すること」。

この2つの営みを継続していくことで

有り難いことにますます多くの陰ながらのご縁を頂いております。

感謝、感謝です。

この両輪がこれからの管理人にとってもますます重要な

人間的成長の課題であり心身共における<糧(栄養分)>となってきています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

・「中井さんと私たち~あとがきに代えて~」

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・著作目録

・略年譜

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というわけで、本書は「精神医学」という観点からですが、

中井久夫氏の優れた知見をこれからの私たちが向かうべき世界を考えていくうえでの

足がかりとすべく、

皆さんにも一度くらいは足を踏み入れて頂くことは決して無駄足にはならないだろうと

確信しておりますので本書をその「入門」ガイド役として

ご活用頂ければとお薦めさせて頂きました。

本当にいつもありがとうございます。

みうらじゅん氏に導かれて甲賀三大佛巡りと飯道山プチ忍者修験体験記~秋の甲賀旅情編パート2~

さて、ここからは話題を転じて

皆さんも何かとお忙しい時節柄に入っていく頃合いだとは思いますものの

これからの<秋の行楽シーズン>になにがしかお役に立てればと思い、

紅葉の美しい近江の隠れた名所・古刹へとご招待しましょう。

この紅葉の時期、なるたけ何かと騒々しい奈良・京都といった「古都」は

避けたいものです。

少なくとも京都・奈良好きの「通」にとっては

観光ガイドに掲載されているような有名どころは回避して

それぞれが確保した隠れた「穴場」を目指すものです。

そういった場所はたいてい交通の不便なところにありますし、

登山などといった手間暇をかけなければたどり着けないところにありますが。

「通」は同じ匂いがする同好・同志による私的ネットワークをフル活用するものです。

こんなところにも「ご縁」の大切さがあります。

意外なところで「有名人」に遭遇することもあるかもしれません。

そのような貴重な体験に巡り会えるかもしれない期待感に

胸をワクワク・ドキドキさせながら歩き巡るのも旅の魅力ですね。

さて、今回訪れた旅先はまたもや「甲賀」です。

滋賀県「甲賀」市を時間と経済力の許す限り堪能し尽くそうという

贅沢な気まま1人旅でした。

そんな一見「孤独」な1人旅に思われるでしょうが、

今回も魅力あふれる地元や遠方からの人々との出会いが待ち受けていたようです。

それでは今回の旅先「甲賀」に

「なぜ管理人がこだわり引き寄せられていったか?」から語り始めましょう。

それは、後ほど詳しくご説明させて頂くことになりますが

俗に言う『甲賀三大佛』のいち寺院である

櫟野寺が33年に一度という「秘仏」一般公開があるとの情報に

前回の岐阜県恵那旅行編でも触れさせて頂きましたが、

帰途の道中に休息させて頂いた新名神高速道路『土山サービスエリア』の

一画に設営されていた甲賀市のミニ出張観光案内所にて接するという

シンクロ(偶然の一致)現象に出会うという誠に稀に見る幸運に恵まれたからでした。

(ちなみに<甲賀市観光ガイド>はこちらのサイトをご参照下さいませ。)

とともに今回の「甲賀」訪問は前回ご紹介させて頂いた

5月以来の2度目となるわけですが、

前回取り残してしまった『飯道山』登山に出かけたかったこととも

重なり合ったからですね。

今年は何かと忙しすぎてこれまた好きな登山もあまり出来なくて

出かけるにしても比較的「低山」しか候補に選ぶことは難しい1年になったのでしたが、

「低山」であってもこの日本国内にはなかなか「歯ごたえ」があり

決していいかげんなルンルン「物見遊山」的気分では登頂出来ない

魅力あふれた山も探せば近場にあるものです。

それは「山岳修験信仰系」の山であります。

管理人の場合、登山にはあまり冒険心を求めません(何よりもそれ自体が

傲慢な姿勢であり<山の神>様のお怒りに必ず触れてしまうことになるからですね。

実際に登り始めは快晴であったのに、急に雲行きが妖しくなり

危険な土砂降りに出会うこともあるからです。

今回の登山でも事前の天気予報では快晴だったのでしたが

前日から当日朝方に少し小雨が降ったために濡れていました。

特に『飯道山』は岩場も多く、いわゆる修験道場としての

<裏行場>もあるわけですがこんな滑りやすい岩場環境では

あまりにも危険すぎますし、1人《途中で地元の方に出会い

同行して頂けるとの幸運にも出会ったわけですが

ご迷惑になるので現地判断をしてから断念することにいたしました。》

でしたから、絶対に無理をしてはいけません。

このことは奈良県大峰山《正確には<山上ヶ岳 >であり、「大峰山」という名称は

あくまでも俗称であり、こんな名前の山はありません。》の

『西の覗き』岩でもヒヤヒヤ体験をしていましたから

慎重に断念判断を下しました。

何事も無理は禁物ですから。

それほど山の天候は移ろいやすいわけですね。

皆さんも絶対に用心に用心を重ねて山登りに備えて下さいね。

ですから管理人などは必ずその山に住まう鎮守の神様・仏様、

何らかのご縁あるご先祖様へのご挨拶を終えてから入山させて頂くことになります。

それが最低限の礼儀・礼節というものだと確信するからであります。)が、

「祈り」を兼ねたいわゆる「信仰」登山として入山させて頂くことの方が

多いですね。

というわけで、今回はこのかつて「甲賀」忍者も修行したという

飯道山』登山と旧東海道筋に当たる『水口宿』~『土山宿(こちらは時間の

都合上、今回は省略させて頂きましたが・・・)』にかけたルートを

中心に「甲賀」市の各地に点在する名所・旧跡巡りをしてまいりました。

それでも今回はじっくり堪能したかったので

某民宿にお世話になり1泊2日の旅計画で経巡ってきました。

そうすると「出るわ、出るわ・・・」の

隠れた「穴場」がそこかしこにあるじゃあ~りませんか?

もちろん様々な方々によって提供されている情報によって

事前の道中計画を立案していたわけですが、

それらはあくまでも参考にしつつ、

やはり旅計画は「独自色」の強いものにしなければ

深い味わいを得ることなど出来ません。

それでは「前置き」はここまでといたしまして、

<秋の甲賀旅情編パート2>へと皆さんをご招待しましょう。

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<平成30(2018)年10月20日土曜>

①旅行計画を立案するに際して天気予報の確認と

事前の現地および道中(道路)交通情報の確認は必須ですが、

今回はこのように宿泊予定でいましたから予約の関係も含めまして

念入りな確認で安心出来そうな段階に電話予約を入れておきました。

それが10月15日月曜日晩頃。

その時は週末の土日は晴れマークだったからです。

登山日和としても「まぁ、よろしかろう♪♪」ということで

当日を待ちわびていました。

今月も生活費獲得のための「労働」は相変わらず忙しく、

同僚の秋祭り準備(大阪・河内地方近辺では泉州地方とともに

だんじりの季節であります。)のため欠勤されるということで

久方ぶり12時間ものの終日勤務を仰せつかったという週でもありましたが、

この旅へと向けられたワクワク感が勝っていましたので

無事に代行勤務を完遂することが出来ました。

そんなわけで翌日に控えて、

仕事を終え帰宅すると軽食と風呂を済ませるとすぐに就寝する予定

(旅装準備や旅費出金準備は木曜日までに済ませておきました。)でしたが、

結局予定が遅くなり午前12時過ぎにやっと眠りにつき

翌朝早朝4時半頃に起床。

道中ゆっくりと立ち寄っていきたい箇所も何カ所かございましたことから

目覚めのシャワーとコーヒー休憩を済ませるとただちに出発します。

ちなみに車のガソリン・空気圧などの確認も用意周到に済ませておくのが旅人の流儀です。

それにしてもガソリン代最近やけにバカ高いものですね。

賃金上昇もまったく諸物価上昇に追い付いていないようです。

よりにもよって「増税」でもってインフレ目標達成へと誘導させようとしているためなのか

奇妙な事態が日本国内至る所で進行中のようです。

だからこそ、管理人などは「増税」反対なわけです。

それでなくとも今月あたりから厚生年金などの社会保険料も

少し上がっているのですよ。

その「少し」も中流「以下」層にとっては誠に厳しいものがあります。

せっかくの官製主導の賃上げ政策が採用されても

これら社会保険料アップと増税効果によって

確実に「相殺(そうさい)」もしくは「減殺(げんさい)」されてしまうわけですから

「今の政府、いったい全体何をやっているのでしょうか?」というのが

一般庶民の生活感だと確信しております。

まぁ、今回はそうした経済談義はおいておきましょう。

さて、気を取り直して「出発(鹿島立ち)」いたすことにいたしましょう。

南河内方面からは新旧170号線(一部区間は旧東高野街道筋に該当)沿いに

ひたすら北上します。

ちょうど楠木正行勢が四条畷合戦におもむくがごとく。

そんな悲壮感はありませんけどね。

ここでなぜ楠木正行公(『小楠公』、地元では『正行さん』という愛称の方が

強くあり、変な政治色など持たせない親しみ感が昔からあります。

もちろん各人各様ですが、普通の地元住民の受け止め方ではそうでしょうね。)に

ご登場願ったかというと地元民なのになぜか一度も訪れたことのなかった

『四条畷神社』に前々から早朝参拝したかったからです。

しかもこの鎮座地に当たる飯盛山に至る途中には生駒山が東側に控えていますし、

早朝ですので天候と運に恵まれれば「日の出」も拝めることが期待されます。

そのはずだったのですが・・・。

この日の早朝は曇りがちでしたから

雨こそまだ降り出していなかったもののその日の「お日様」には

お出まし頂けなかったようです。

②午前6時過ぎには四条畷神社到着。

いつも「生駒越え」に利用する「阪奈道路」に入る手前の

「寺川」交差点を左折すると旧170号線に入ります。

そのまま野崎観音を目印に北上していけば

やがて狭い路地ですが、『四条畷神社』の看板が出てまいりますので

そこを右折して長い表参道をゆっくりと上がっていくと

やがて鳥居に出くわしますので、その真横右側から少し急な坂道を

上がっていくことになりますが数台程度の駐車スペースがございます。

始めて車で訪問参拝される方にはややわかりにくい場所にあるかと思います。

すると、6時過ぎだというのに地元のおじいちゃん・おばあちゃんが

朝のラジオ体操??か何かの準備をしているところでした。

日頃の懺悔・感謝と今回の「道中無事」、

「国家安泰・世界平和」を祈り終えると再出発。

③そのまま少し北上していくと国道163号線(旧清滝街道伊賀越奈良街道を経て

伊賀上野市街地へと入っていく直線道路)に入っていきますので

時短ルートとして今回はこの道筋を利用していきます。

昔の人の旅感覚も少しばかり体感してみたかったですしね。

途中立ち寄りたい箇所もいくつかありましたから・・・。

それでは途中の道中風景にご招待します。

まずはすでに秋ということで「秋桜(コスモス)」が咲き誇る

隠れた新名所??とも「通」のあいだでは囁かれる

恭仁京(山城国分寺)跡地』へ向かいます。

ここもわかりにくいのですが、隣に小学校がありますから

それを目印にして頂くとよろしいでしょう。

とはいえ、国道163号線沿いからは「目印」になる歩道橋がありますので、

その歩道橋を越えた一番最初の信号を左折していかれるとやがてだだっ広い

小学校のあるちょっとした広場に出ますからそこに車を止めて頂ければ

散策することが叶います。

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(上記写真すべて管理人撮影。以下同様。)

この時、午前7時半過ぎ。

コスモスに日頃の傷心を和まされれば「出立」します。

途中に険しい笠置山の山容に出くわし真横にちらっと見やりつつも

安全運転に集中。

そのまま東上していくと『道の駅 お茶の京都 みなみやましろ村』に辿り着きます。

そこで小休憩を挟みながら朝食を購入する予定だったのですが、

残念なことに時間が早すぎたために売店がまだ開店しておらず

そのまま道なりに伊賀方面へと出て行く羽目になります。

④さて、伊賀方面から北東方面に道を「距離優先」で歩を進めていくわけですが、

ここで前から参拝に訪れたかった<射手座の聖地??>『射手神社』

立ち寄ることに。

駐車スペースは下の写真にありますように鳥居の左側の細い道から入っていけます。

駐車スペースはそれなりに広かったですよ。

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意外にも知らなかったのですが、

由緒ある古社のようです。

源義経も立ち寄った故事があるとか。

義仲討伐の途次における参詣だったというのが

個人的には気がかりでしたが・・・。

義経へのいわゆる<判官贔屓>もありますが、

むしろ最近いや昔から義仲公への<判官贔屓>の度が高まってきていますから

何か悲しい巡り合わせに思えたのでした。

カーナビを「距離優先」に設定したためか変な山間の細い路地に誘導されていき

周囲の霊気も次第に冷たくなってきたことから不安になってきましたが、

途中に鳥居がありそのすぐ左側を下っていくと水音とともに

車一台通れるかどうか心細くなりそうな小さな橋があって

ぎりぎり通れそうな幅だったのでハンドル操作が難しかったのですが、

無事渡り終えるとそこは別世界

何とそこが『高倉神社』だったのです。

神武東征のおりいわゆる「やたがらす」とともに先導したという

「導きの神様」でいらっしゃる<高倉下命(たかくらじのみこと)>だったのです。

この神様は神武帝に「霊剣」布都御霊を授けられたとのこと。

これまた奇遇ですが、今回目指す『飯道山』にある飯道神社にも

熊野ゆかりの神様が勧請されている(熊野遙拝所もありました)ようで

このあたり一体には熊野神の痕跡が多々見受けられました。

さらにこの時点では帰りの経路も未定だったのですが、

最後のあたりで触れさせて頂くことになりますが、

帰りは名阪国道を使って「天理東」インター経由で帰途につくことに

なりましたから、『石上神宮』に立ち寄れとの<予兆>でもあったことに

後刻気づかされたわけですから驚きの連続です。

しかも日頃お世話になっている職場の持ち場である「倉庫の神様!?」でも

いらっしゃるとのこと。

奇遇とはこのこと。

不思議な巡り合わせですね。

こんなシンクロ現象の謎を分析考察するのも面白いものです。

『高倉神社』をさらに北上していくと『諏訪神社』の手前に辿り着くわけですが

このルートを『和銅の道』というそうですが、

最近??きれいに整備されたような感じで

山道にしては比較的走行しやすくなかなか快適な通行道でありました。

そのままずっと北上していくと山越え(桜峠)に至り、

国道422号線沿いに走っていくとやがて信楽市街地へと辿り着きます。

ここからは国道307号線に入っていくことになります。

この時点で午前9時過ぎ。

すでに雨がぱらつき出していて『飯道山』登山に不安を感じ、

その日の登山につき決行中止にしようか否かの「見定め」も兼ねて

まだ済ませていなかった朝の軽食と昼食購入のため

近くのコンビニで小休憩することになりました。

すると相変わらず小雨模様でしたが、あまり激しい様子でもなく

曇りのち晴れになりそうな雲行きともなってきましたので

15分ほどの休憩を済ませ「再出発」。

有名な信楽の名古刹『玉桂寺』へと至る小道手前を通り過ぎていくと

このあたりは信楽焼の窯元も多いのですが、

それが「目印」となりつつもさらに新名神高速道路「信楽」インター方面へ

国道307号線を走らせていくと・・・。

少しずつ視界が開けていくと

やがて『日雲神社』の看板が見えてきます。

そこまで至れば『飯道山』は目と鼻の先に眺めることが出来ます。

前回訪れた『紫香楽宮旧跡』の前の小道を高速下を通り抜けていき

ゴルフ場(オレンジ滋賀カントリークラブ)へ向けて走行していけば

ものの15分ほども経たないうちに鳥居が見えてきます。

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その側面に『飯道山・飯道神社』の看板も横たわっていますから

その鳥居脇にある小さな路地を進んでいくと

そこにまた鳥居が見えてきて手水鉢のある狭い駐車スペースに

突き当たります。

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⑤午前9時40分到着。

駐車場はここ(3~5台くらいまで?)と

その小道なかほどに2台ほどでしたか停車可能なスペースがあったような

感じでした。

その鳥居をくぐり抜けると整備された登山道がありますから

登り始めてすぐの『白髭神社』に安全入山祈願を済ませると

そのまま歩を進めていくことになります。

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多少は急な箇所もございましたが、

道そのものは整備されていますし、標識もわかりやすいですから

(それでも念のため『信楽町観光協会』発行の簡易な

<飯道山ハイキングマップ>は便利ですので事前に手配しておいた方が

無難であります。登山はいくら道が整備され標識が比較的明確だったにせよ

「想定外」の事故(道迷いなど)が必ずつきものですので

地図は何通りか信頼できるものをご準備されておかれるのが賢明な

ご判断だと確信いたします。)始めての方でも比較的安心して

登山に臨むことは叶うものと思います。

それでもつい先だっての台風の影響(あとで掲載させて頂く『飯道神社』の

屋根にブルーシートがかかっていることでもご理解頂けましょう。)

所々あり、崩落(危険)箇所もあったようでしたから

くれぐれも十二分にご注意願います。

その日は『飯道山』頂上までしか行きませんでしたから、

途中の『庚申山 広徳寺』へ向かう分岐点から先のハイキングルート事情については

ここで詳細な情報をお届けすることが叶いませんが、

ネット上に散在する情報では多少古くて

現在ではすでに復旧しているのかもしれませんが

所々で崩落(危険)箇所もあるようでした。

心配なようでしたら観光案内所や地元の役場などに

事前に問い合わせされることもお勧めいたします。

このように「低山」とはいえ、

あくまでも修験者御用達の修行場ですから

くれぐれも軽装で来られないようお願いいたします。

管理人も通常用の靴のほかに

登山靴に履き替えて登っていきました。

この駐車場・鳥居のあるふもと(登山道入口)から頂上までは

「七丁」とのこと。

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標高660メートルほど。

その標高標識ある展望箇所まではおよそ55~60分ほど

(途中の『飯道神社』参拝などもせずにそのまま直行するとするならばですが)

たどり着けますが、その頂上からおよそ25分程度下った位置に

鳥居が見えていますからそちらの方(つまり左側)に入っていったあたりに

ひっそりと佇んで鎮座されています。

ちなみに『飯道神社』のご祭神は<飯道権現>様。

いわば<弁天さん>と<お稲荷さん>の合体(習合)神だとのこと。

権現>様ではありません。

とはいえ、この往時の「甲賀」忍者修験の場にふさわしい1曲こそが

『飯綱落とし』(陰陽座)ですね。

今回もドライブ旅のお供はもちろん『陰陽座』さんです。

何度聴いていても聞き飽きないですね。

完全にツボにはまっています。

確かにここにもどこか悲しげな歴史があるようです。

その手前(『飯道神社』へ上がる階段下にある『行者堂』)左手側にある

脇道からが<裏行場>の始まりです。

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ここまででこの日の登山者は管理人1人のみ。

『飯道神社』参拝を懇ろに済ませますともときた参道を

『飯道山ハイキングコース』の標識がある分岐地点にまで戻りますと。

おじいさんがお1人。

そして地元の若いお兄さんがもう1人別々に登ってこられたところでした。

そこでこの若いお兄さんは地元の方でもあり2度目とのこと。

管理人は今回が初登山。

そこでお兄さんもこれから頂上へ行かれるとのことでしたから、

「同行」をお願いしたら快くご案内して頂けました。

ありがとうございます。

単独登山ではよくこのような「同行」をお願いすることがあります。

ご迷惑をおかけしない限り、ベテランの登山体験者の方であればあるほど

よくその事情に精通しておられますからそれが無難な道です。

命に関わることですので妙なプライドや恥ずかしさは

ここでは絶対に禁物です。

さて、この分岐地点である『飯道神社』参道に入る手前の

鳥居が見えている方向の石段(左側)ではなく、

右側の『飯道山ハイキングコース』の標識が出ている方向へ入っていきますと

いったん『庚申山 広徳寺』との分岐点表示のある大きな道路に出ますが、

我々は頂上目指して笹藪の中を上へ少しずつ歩を進めていくことになります。

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(上記写真の<=右側方向>から『飯道山』頂上へと向かう

ハイキングコースになります。)

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頂上までは少しばかりの笹藪に囲まれた小道のアップダウンが続きますが

ここからはものの20分もしないうちに頂上へとたどり着けます。

但し、積雪シーズンは道がわかりづらくなりますから

パーティーを組まれて(複数人行動で)行かれるのをお奨めいたします。

単独行でも行けそうな距離感ではありますが、

初めての方だとおそらく迷い込む恐れもあるかと思われます。

午前11時頂上に到着。

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この日は朝から曇りがちでしたが、

ちょうど頂上にたどり着いた頃から「お日様」もお出ましになられました。

その「予兆」はすでに『飯道神社』参拝直後に

まるで忍者が出現してくるような急な風荒らしとともに

雲の流れも若干速くなったような「気配」を察知した時からあったようです。

さて、10~15分ほど琵琶湖を真向かいにしてその左手に比叡・比良山系を

眺めながらちょっとした小休憩を終えると下山準備に取りかかります。

ふもと駐車場にたどり着いた時は11時50分頃でした。

ちょうどふもとに辿りついた頃にはお昼時で

天候もよくなってきていたのか食事をしていると

後からまた何人か来られたところでした。

12時20分頃『飯道山』ふもと駐車場を出発。

次に向かうは水口方面にある『庚申山 広徳寺』です

ここの山頂展望台も隠れた「穴場」だとかで少し時間がありましたから

寄らせて頂くことになりました。

山門前駐車場までは車で上がってくることは出来ますが、

道路幅が狭く対向車よけもいくらかあるものの慎重な運転が要求されるような

微妙な感じでした。

駐車台数も5台くらいまで(大きさによっては5台でも難しそうです。

行き帰りの車が対向するとなればハンドル操作に多少の難儀を

するかもしれませんから。)だったかな。

車よりもバイクか徒歩で来た方が良さそうな広さでしたね。

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すでに午後13時過ぎでしたので、

この日宿泊させて頂く旅館もチェックイン予定は

一応余裕を持たせて17時としていたのですが、

夕食時間を18時予約としていましたし、

時間に余裕もあるうちに『水口宿』を散策したかったことと

この「甲賀」から「水口」あたりも隠れた地酒の名所らしく

酒蔵巡りもするからには飲酒運転は絶対禁物ということで

運転が出来なくなる前かつ時間があるうちに

今回のもう一つの企画であった『甲賀三大佛』の1寺院である

『大池寺』へと車を走らせます。

この時14時半ちょっと前でした。

駐車場はすでに満車になりかけていましたが

時間帯が良かったのか幸運にもすんなりと停車させることが叶いました。

ここは<臨済宗妙心寺派>の禅寺。

行基さんや織田家ともゆかりのある御寺だそうです。

ですから本尊はお釈迦様です。

小堀遠州作庭と伝えられる<蓬莱庭園>には

七福神を乗せた宝船に見立てて青々と刈り込んだ静かな枯山水を

前景に見やりながら、耳を澄ませば水琴窟の音もかすかに聞こえるような

そのような「風雅」を愛でつつ、和菓子付きお抹茶を頂きました。

抹茶を飲み干した後には

後から続々と多くの方々が入室されてこられたところでしたから

「何とまぁ幸運なことだったのでしょう・・・」と

『かたじけなさに涙こぼるる』(西行)想いで神妙な感覚に

誘われたのでした。

この日はもう時間がありませんでしたから、

あと残り『2大佛』様は翌日にということで

時間も程よい15時頃過ぎになってきましたから

その日のお宿へと直行することにいたします。

⑥旧東海道『水口宿』綾野(あやの)地区にある

とある家族経営の民宿に15時半~16時頃着。

温かく迎えて下さりました。

先にチェックインを済ませて案内された部屋に

荷物などを置かせて頂きます。

この日の自動車運転もここで終了。

そのまま宿の駐車場へ停車させたままにしておきます。

16時過ぎに『水口宿』を散策開始。

途中には『綾野天満宮』『水口石(力石)』を目印に

『五十鈴神社』の一隅にある一里塚を経て車道に出ます。

さらにすぐそばにある『うなぎ屋』さんを目印に右折して歩いていくと

お目当ての酒蔵兼直販店舗『美冨久酒造』さんに辿り着きました。

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お宿からも15分もかからない程度でしたから

有り難かったです。

するとこの日は週末であり

秋の紅葉シーズンの幕開け時。

やはりそれなりにお客様は来店されているようです。

少しだけ試飲させて頂きながら

好みの商品を手みやげに購入すると

すみやかに立ち去ります。

酒蔵の試飲はくれぐれも「居酒屋」ではなく

あくまでも「購入」する場所ですからお間違きよう。

管理人も様々な酒蔵巡りを楽しんできましたが、

やはりいるんですよね。

試飲だけして帰られる方が。

店主・店員に成り代わりまして

そのような心得違いがなきようお願いしたいところです。

読者の皆さんには「釈迦に説法」ですが・・・。

17時直前でしたが、せっかくここまで来たからには

城好きの管理人としては是非訪れておきたいところが。

もう閉館時間(午後17時)間際でしたが、

入館料も大人100円也とリーズナブルでしたから

水口城資料館水口城跡)』を拝観させて頂きました。

資料館管理者の方もご丁寧に説明して下さり

心地よきおもてなしをして頂けました。

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⑦17時半過ぎ頃に宿に戻ります。

今回の宿泊では1泊2食付きで

大人1名個人部屋6480円(消費税込み)也

経済的に苦しい身としては誠にリーズナブルなため

有り難いことでしたね。

せっかく遠方まで出かけてきたわけですから

カウンター席のあるようなオシャレな店で地元や観光客の方々と

談笑しながら食事を楽しむという手もあったのですが

今年から来年にかけては消費「増税」や社会保険料アップ、

諸物価の値上がりなどで将来が心配気味になってきていますから

財布の紐を引き締める事態へと追い込まれてきました。

往年(今から遡ること150数年前の明治維新直前は幕末期)の

東海道筋における<伊勢参詣>などに向かう旅人客の実状も

こんな心境だったのでしょうか?

『もう、ええじゃないか♪♪ ええじゃないか♪♪』な気分ですよ。

『現在にも突如としてお空から<お札(ベーシックインカム)>が

降ってこないかしらん??』

こんな幻想光景を夢見ています。

おそらく来年あたりから(すでに今年もですが)、

日本経済における「金回り」が急激に悪化しそうな悪寒がしています。

もはやオリンピックや万博どころの騒ぎではないでしょう。

「インバウンド(外国人観光客依存症)」効果も

終局へと向かいつつあるようですから。

管理人は何度でも<世論>へ訴えかけます。

「まずは国内労働者に安心できる経済基盤と

ゆとりある余暇生活ができる政治(社会)条件を整えてからにして下さいよ!!」

いうことですね。

「○○も休み休みに言いたまえ!!」であります。

きっと読者の皆さんも同じ残念な思いでおられることと確信しております。

そうした常日頃実感させられてきた悲哀感はさておき、ここは旅先です。

近い将来に過去の<悪夢>(失われた数十年!!)が甦らないように

祈りながら寝床に入ります。

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<平成30(2018)年10月21日日曜>

①翌朝5時半起床。

7時半朝食を済ませると、この日もたくさん充実させた企画コースを経巡りたいので、

『甲賀3大佛』ゆかりの御寺は午前9時あたりからが参拝可能時間となるようで、

その前に少し訪れたかった場所もありましたから

少し遅れてでも早朝散策することにします。

まずは『古城山 水口岡山城跡』であります。

お宿からはもう目と鼻の先。

車で2~5分程度の場所。

駐車場はありますが3~5台程度ですので頃合いを見計らうことが肝要かと。

特に観光シーズンはご注意を!!

頂上まではゆっくりと登っても25~30分程度でしたね。

この日は「快晴」でしたから見晴らしも絶妙。

前日に訪れた『飯道山』ほかの山容もまばゆいかぎりでした。

前日の『庚申山 広徳寺』展望台からもこの『古城山(水口岡山城跡)』を

はるかに眺めることができますが、

ここから逆に眺め返すのも立体感があって雄大な心地にさせられます。

この『古城山』も隠れた「穴場」かもしれませんね。

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(こんなところで我らが『天翔』さんに出会えるとは!!

皆さんにも日々『天翔』の夢が叶いますように・・・。

上から2段目左側の右奥<小高い>山が前日登山させて頂いた『飯道山』です。)

さて、下山すれば車はそのままにして真向かいの『水口小学校』に向かう

坂道を少し降りて2~3分ほど歩けば

もうそこは『大岡寺』です。

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ここも行基さんゆかりの御寺であります。

この信楽~甲賀・水口にかけても行基さんゆかりの史跡が

かなり幅広く点在していますから

『紫香楽宮』関連の当時の政治経済・宗教文化圏の勢力図も

皮膚感覚として体感できます。

この時期は奈良の平城京から最終的な京都の平安京に落ち着くまでの

過渡的大混乱期でもありましたし、

ある意味ではある種の民衆にとってもはた迷惑な大「移動」期でありました。

戦乱や疫病・飢饉なども頻繁に勃発していたといいます。

いつの時代も「庶民」こそが政治(経済・社会)権力の犠牲にされるものです。

この構図は世界各地どこでも変わらずにあります。

こんな不公平・理不尽な世界を「世直し」されようと各地を歩き廻られ

民衆を鼓舞し、ともに勤しまれたのが行基「菩薩」様だったのです。

このような立派なお坊さんは今の宗教界を見渡してもなかなかいません。

そのような「清々しさ」を管理人もともにありたいと願い、

次に向かうは「(伊勢)斎王(宮)」関連遺跡でありました。

最終的な現在の伊勢神宮鎮座地に辿り着くまでに

「倭姫命(やまとひめのみこと)」様がある意味で何かに追われるように

「逃避行」されていたとも囁かれているいわゆる<元伊勢>史跡の1つとも

重なり合う「聖なる遷宮ルート」であります。

この故知の習わしを辿るかのように古代から後醍醐帝の時代に至るまで

「斎王(斎宮)」制度は続いていたといいますが、

なぜ後醍醐帝の御代に途絶えたのかは「謎」でもあるようです。

そんな哀しみを秘めた史跡が『甲賀(可)日雲宮』であり

『垂水斎王頓宮』跡地であります。

いずれも国道1号線沿いにありますが、

一応そのあたりに近づけば標識はあるものの

なかなかカーナビ情報などではわかりにくい箇所に

ひっそりと鎮座しています。

目印はここらあたり一面に広がる「茶畑」であります。

国道1号線から標識ある路地を左折していくと

こんもりとした高台があるところまでは遠目にもおわかり頂けるかと

思いますが、そこに車を乗り入れていくことはなかなか険しい道であります。

茶畑農家の方による車が入れる程度の道幅で駐車場なども特になく

ちょっとした茶畑農家の方向けの駐車スペースのような箇所がある程度。

そんなわけで場所が場所だけにあまり長居も出来ませんので、

少し遠慮気味に短時間参拝ということでご厚意によって停車させて頂くことに。

停車場から少しだけ歩いていくとまずはすぐ右側『甲賀日雲宮』があります。

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その真向かい『垂水斎王頓宮』跡地であります。

いずれも美しく掃き清められていますから恐る恐る踏み跡をあまり残さずに

恭しい心持ちで参拝におもむきます。

まったく別次元の異次元時空間のような神聖なる場所でした。

本来ならば精進潔斎までしていかなくては許されない場所ですが、

本当に申し訳ない気持ちになり日頃の罪穢れを払い除ける気力を込めて

念じます。

すると一陣の清涼な風が吹き抜けました。

(なお、ご参考文献として<『倭姫の旅』乾規江著、ナチュラルスピリット、2010年>

ご紹介しておきますね。今回の旅で大変お役に立ちました。ありがとうございます。

②午前9時半すぎ。

この日の予定である『甲賀3大佛』のいち寺院である『十楽寺』に到着します。

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ここは浄土宗の御寺ですから阿弥陀様が迎えて下さいます。

ただ難点は駐車スペースが前日の『大地寺』や次に向かう『櫟野寺』ほどには

ありません2~3台でもうぎりぎりという感じ車の出入り待機も

なかなかしにくいような国道沿いに面していますので十二分に交通安全確認に

ご配慮されながら停車されますようお願いいたします。)ので

ご留意願います。

入るとすでに参拝客が何人かおられ若い女性の方がご丁寧に説明して下さいました。

ここでは珍しい摩耶夫人(まやぶにん)もお迎えして下さいます。

参拝をすませれば10時半頃。

次は『櫟野寺』『油日神社』に向かいます。

この『十楽寺』からカーナビを「距離優先」に設定し直せば

そこからは20分程度だったかな。

やがて『櫟野寺』へと辿り着きますが、

やはり<いとうせいこう>さんと<みうらじゅん>さんの

『見仏記』効果なのでしょうか

この『櫟野寺』は33年に一度の秘仏<聖十一面観音>ご開帳記念と題した

トークイベント企画も先だってあったようで3大寺院の中では

もっとも「繁盛!?」していたようです。

なお、この<特別ご開帳期間>

本年12月9日(日)までです。

33年に1度しかない本当に貴重な巡り合わせの

ご開帳機会ですから是非ご参拝下さいませ。

(ちなみに、みうらじゅんさんの著書『ない仕事の作り方』、文藝春秋、2015年

創造的仕事へ向けたアイディア満載。お薦めの1冊です。ここまでマニアック度を

高めていけば本格的な稼ぐ<仕事>に至るのでしょうか?

難しい課題ですが管理人も夢だけは持ち続けたいものです。<継続は力なり>と

その過程で得られるあらたな<ご縁結び>とともに・・・。)

観光バスも続々とやってまいります。

お昼前ということもあってちょうどよい時間でしたが、

すぐに駐車できたことは誠にありがたい奇跡でした。

境内へ向けて歩み入っていきますとすでに法要中。

神仏習合方式でなされていたことが感激でしたね。

このあたり一帯の地域では

やはり独自の『修験(神仏習合)文化』が色濃く残されているようでした。

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参拝を無事すませると正午になりました。

とはいえ、管理人は目の行き所が他の参拝客とは違うようで

山門真正面のこんもりとした山林に囲まれた中にひっそりと佇んでいた

とある標識に焦点が当たったのです。

そこで幼少期からまったく好奇心が変わらない管理人は車はまだそこに

停車したまま川を挟んだ橋を渡り、山林内に続く小道を歩いていきます。

とはいえ、『櫟野寺』山門からは徒歩でも2~5分程度。

そこはかの滝川一益ゆかりの『滝川城跡』でありました。

ちょっとした「山城」感があります。

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それでは『櫟野寺』を出発して油日神社へ向かいます。

車を走らせること15分程度。

途中に『油日岳登山口』とある標識が気になりましたが、

そこから少し先に駐車スペースもありましたが、

神社境内脇にある駐車場もありましたから

そこに駐車させて頂くことになりました。

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この日は『櫟野寺』の法要行事に『油日神社』の神主さんも

出仕されているとのことで代わりの方にご説明を授かりました。

ただ1つだけ残念だったことは境内付属施設の

『甲賀歴史民俗資料館』はこの日は<閉館>だったこと。

さらに通常時でも<予約制>であるとのこと。

行き当たりばったりではダメな様子でした。

そしてこの『油日神社』のもう一つの特徴は

数々の映画やテレビドラマなどの撮影舞台地としても

たびたび活用されているそうですね。

小さな<郷社>にしてはなかなか豪勢な門構えでありました。

この門をくぐるとそこは霊験あらたかな拝殿がありますので

参拝します。

確か『鎮護』という扁額が掲げられていたような・・・。

この神社のご祭神は『油日大神(=万有始動の根元神ということは

<天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)>様でしょうか?)』と

その左右で守護されておられるのが

『猿田彦命』様と『<水の神様>こと<みずはのめのみこと>』様で

いらっしゃったこと。

特に日頃の崇敬心篤き管理人自身の守護神(なんせ<和合の神様>ですから)という

こともあって本当に奇跡の連続ということで神妙な面持ちに至らせられました。

有り難いことです。

③参拝を済ませますと13時頃。

ちょっと軽い昼食を済ませますと、

翌日からはまた生活「労働」の時空間へと舞い戻りますから

早めに名残惜しくもこの<甲賀の里>を出立し、

伊賀市街地経由で名阪国道を経て自宅へ帰宅する途次に

時間に余裕あれば『伊賀上野城』と

『石上神宮』~『大和神社』~『大神神社』を

ゆるりと見物参拝しながら帰ろうと予定を急遽立てましたので

そのとおりのルートで車を走らせていくことに。

この『油日神社』がある所から伊賀抜けは道路も完備されていますから

途中のゴルフ場コースを通り抜けながら伊賀市街地方面へと

割と短時間でスムーズに下っていくことが叶います。

国道1号線を使って<鈴鹿峠>越えしていくルートもありますが、

名古屋方面ならともかくも大阪方面へ帰られる方の場合には遠回りにはなります。

ただ時間などに余裕のある方でしたらば

ほかにも観光地が点在していますし、

特に往時の旧東海道をプチ体感するにはよいのかもしれませんね。

さて、次の中継寄港地??を『伊賀上野城』に設定してはいたのですが、

この日は偶然(事前確認していなかったのです。)にも『上野天神祭』に遭遇。

(またちなみにの情報ですが、この伊賀・甲賀周辺領域は

『日本遺産 忍びの里 伊賀・甲賀』としても認定されているようですね。)

このようなわけでその日の周辺領域は大勢の人だかりとともに

駐車場はいずこも「満車」状態。

ですから取りやめにしてさらに名阪国道「上野」インター目指して

さらに南下していくわけですが、

途中でさらに幸運にもこの地「伊賀」でも有名な「だんじり」に遭遇して

通行規制のため一時的に大混雑・停車と相成り候。

『伊賀上野城』見物こそ叶わなかったものの

この「だんじり」見物が叶いましたし、

若者の活気エネルギーを頂けましたから明日への「活力」ともなって

ありがたいことでしたからかえって登城にこだわらなくてよかったのかもしれませんね。

ここでの教訓としてまた1つ学ばせて頂きました。

1つの事柄に窮しても、こだわりにさっさと見切って別の迂回ルートに

回り込むとあらたな思いもしなかった幸運に出会えることもあるということです。

そうした事前予測では未知だった多次元時空間に誘われることもあるということです。

「人生とは<選択>と<決断>ともう一つ<回避>の連続流動体でもある!!」

いうことですね。

「だんじり」が通り過ぎれば、車もスムーズに流れ始めます。

そのまま「上野」インターから途中の『道の駅 針テラス』で小休憩の後

「天理東」インターまで進み、国道から出ます。

『石上神宮』に到着したのが午後14時半過ぎ~15時手前。

意外にも早く辿り着きました。

境内に入ると、鶏の鳴き声でお迎えされました。

『石上神宮』には平成18年頃以来の再訪。

およそ12年ぶり。

この時は司法書士試験合格1年前のかなり心理的・物理的に苦しい時期でもあり、

またこの10年間で様々な人生経験も経て、

「別世界」を体験・体感・体認・体得するなど紆余曲折の変遷も

ありましたから、本当に感慨深いものがありました。

今はまったく「別世界」に至っているわけですが

人生とは誠に面白いものですね。

だから皆さんにも人生の岐路で迷っておられることがあれば、

1つの世界観や職業観、業界にくれぐれもこだわり「すぎず」、

自分が今世において本当にしたいと願ってきたことに

再挑戦することも選択肢の1つとして是非ご考慮頂きたいのです。

そこから始まるあらたな世界もあるということです。

人生においても人間関係においても

「出会いと別れの連続・・・」だからこそ

究極的な幸せ観を獲得するためには

自身の<真心=誠=良心=良知>に何よりも「忠実」でいることです。

それが死ぬ間際に後悔せずに済む唯一の秘訣でもありましょうから。

人はいつその「死」の時が訪れるかわかりません。

されどもその「死」も「生」を燃焼しきった暁には

必ずや燦然と「いのち」輝く瞬間が味わえるはずです。

「人生とはまた苦難の連続」でもありますが、

水戸黄門の主題歌にもありますように

「楽」も必ずあるわけです。

ただ他人と比較せずに自己自身の「心(魂)」のままに

マイペースで自然体で突き進めばよいのです。

「くれぐれも無理と油断は禁物」ではありますが。

そんなことをこの『石上神宮』の神様はあらためて教えて下さったようです。

次に向かうは『大和神社』

ここは始めての参拝。

場所も細い路地に入って行かざるをえず、

わかりにくい位置にありますし、駐車場も狭く

始めて行かれる方には難儀する箇所かもしれませんね。

他ならぬ管理人が迷いましたから・・・。

このところ「地震」を含め天変地異は幾度と無く繰り返されてきていますが、

この神社こそ

この「日(ひ)の本(もと)」における

大「地主神」様の鎮座まします鎮守の森であります。

「戦艦大和」の分霊もここからなされたという由緒ある神社です。

「二度と争いがないように・・・」

戦争や革命を始めとした「流血騒ぎ」はもう懲り懲りです。

人間の悪い欲念を誘発させる根源は「支配欲(=極度の独立心)」であり

また反対の「被支配欲(=極度の依存心)」でもあります。

大切なことは中庸(中道)を志向させた<つかず・離れず>の距離感覚であり

そのことが「一触即発」の惨禍を回避する1つの分水嶺となります。

その意味で今回の書評テーマとも通じ合いますが、

繰り返しとなりますが、<犯さず、犯されず>とは

お互いの「あいだ」に<非干渉領域=緩衝地帯>を設ける知恵を身につけていく

努力をし続けていくことを意味します。

管理人もまったく出来ていない「未熟者」です。

だからこそ、その困難に打ち勝とうとする意欲もまた湧き出てくるわけです。

様々な欲望にそそのかされやすい「人間」であり、

かなりの難易度があるからこそ

それだけの「挑戦しがい」がここにはあるのです。

そんなことを『大和(おおやまと)』の神様に教わりました。

最後に今年最後の締めくくりになるかもしれない『大神神社』参拝です。

「人間」の原点へと立ち返らせて頂ける神社であります。

ここから眺める郷里の方向にある生駒・信貴、二上山を挟んで、

葛城・金剛山系の風景こそ古代人も眺め続けた

「大和」の原風景なのでしょう。

<雅やかで雄々しく>勇気と知恵を授けられる

永遠の若者のごとく「覇気」を感じる気風がここにはあります。

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秋の夕暮れ時、すでに午後16時過ぎ。

この日の帰宅途上、

河内地方でも「だんじり」にわか狂言に遭遇しましたが

何となく「童心(道心)」に立ちかえらせてくれるような

<懐かしさと憧れ>を感じさせられたのでした。

ようやく午後18時前に無事帰宅。

今回の「祈り」の旅も無事果たし終えることが叶いました。

「旅とは<ご縁結び>のきっかけづくり」でもあります。

皆さんも「集団」で「個人」で楽しまれることもおありでしょう。

ですが、やはり旅の醍醐味は自分自身の内面を見つめなおすことに

本質がありますから、出来ることならば<1人旅>をお勧めいたします

なぜならば、畢竟、人生では1人で立ち向かわざるを得ないことが

多々あるからですね。

「その時、あなた(わたし)はどうしますか?」

こうした未知のモノ・コト(事象)への恐怖心を1つずつ克服していく

訓練機会を与えてくれるのも旅の役割です

最後に次の言葉を皆さんにお届けしてお別れいたしましょう。

「また会う日まで・・・」

『真に優れたる冒険者とは常に<未完のプロジェクト>を抱えたまま

やがて死を迎える過渡的存在であり、次世代に向けて<後に続くあるを信ずる>ことが

確信できる忍耐と情愛を兼ね備えた時空を飛び越えて甦る<忍び=偲び>である。』

だからこの厳しく人類相互が誤解のもと、

いがみ合う時代にはひたすら『忍!!』の一字あるのみか・・・。

最後までお読み頂きありがとうございました。

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