松原隆彦先生の『目に見える世界は幻想か?~物理学の思考法』 数式・図表を一切用いずに優しく解説された文系向け物理学入門書

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『目に見える世界は幻想か?~物理学の思考法~』

松原隆彦先生による文系向け物理学入門書です。

今月はノーベル賞授与式が話題になりました。

ノーベル物理学賞に限っては、

昨年の<重力波>検出成功に多大な貢献をした

3博士に受賞が決まりました。

とはいえ、重力波実測に成功したとされるものの

重力波の真相や重力そのものの謎解きが完全解明された

わけでもなさそうですね。

今回はこの本をご紹介します。

『目に見える世界は幻想か?~物理学の思考法~』     (松原隆彦著、光文社新書、2017年)

松原隆彦先生(以下、著者)も前回ご紹介させて頂きました

松井孝典先生同様に著名な

宇宙論、天文物理学をご専門とされておられる理学博士のお一人で

いらっしゃいます。

一般向け「啓蒙」書には、本書の他に

『宇宙に外側はあるか』(光文社新書、2012年)

『宇宙はどうして始まったのか』(同上、2015年)など多数あります。

また、研究者向け「専門」書としては、

『現代宇宙論~時空と物質の共進化~』(東京大学出版会、2010年)

『宇宙論の物理(上)(下)』(同上、2014年)などがあります。

「専門書」の方は、もちろん理系向け研究者やその志望者向けであるため

数式や図式もふんだんに多用されながら現代宇宙論の最前線の現状分析解説とともに

著者独自の宇宙論が展開されています。

管理人自身も、本書をご紹介させて頂くに当たりまして、

いつもながら著者の周辺文献にまで調査検討させて頂きながら、

要約記事に仕立てる下準備をしてきたのですが、

参考文献として活用させて頂いた

『現代宇宙論~時空と物質の共進化~』(東京大学出版会、2010年)

文系人にとって、数式(図表はともかく)はあまりにも馴染みが薄く

難解でしたが、数式に関連する解説部分を大幅に省略読みしながら

文章だけを中心に全体像をざっと追って読み進めていけば、

何とか大まかな理解ができました。

<共進化>をキーワードに語られる物理学的宇宙論は

なかなかユニークな発想でした。

その問題意識には、管理人も日頃から心惹かれるところが多くて、

多大な興味関心のある話題でしたので、

個人的には面白い視点が満載で、かなり「専門」色が濃すぎますが、

好著だと感じられました。

さて、管理人は、この書評ブログを通じながら、

「見えない」世界や「はざま(あいだ)」の観点から

数々の分野を架橋する「接点」あるいは

私たち人類の「起源」探究をさせて頂いてまいりました。

「そもそも、なぜ<見えない>世界に着目するのか?」ですが、

私たち人間は日頃<見える>世界に囚われすぎて、

自分目線を主軸として周りを取り巻く世界をどうしても

固定して見「定める」傾向になりがちだからです。

そのために、私たち(管理人も含めて)は、

動体視力を喪失し、「わかりやすい」言説に振り回され、

また、文脈を無視した一般的言説風潮に流され、

多種多様な観点から冷静に分析考察する視点を見失いがちであるからです。

そうした物事を一面的に固定して捉える静止型姿勢(思考クセ)から

すべての「錯覚」が生み出され、人類相互の「誤解」も深まり

対立と不和の源を創出していく原因となってきたものと

強く確信してきたことから、

どのような学びをすれば、人類の霊的進化に寄与し得るか、

そのヒントを様々な分野の書物を紐解きながら、

皆さんとともに生産的「対話」の土壌を築き上げていこうとの趣旨から

当書評ブログを運営してまいりました。

そのような趣旨から「わからないことは、わからないなりに、

安易な断定や早急な結論を避けながら、粘り強く疑問点や違和感に

向き合っていこう!!」を合い言葉に、

皆さんにも学校で教わったような「勉強」もしくは社会人になってからの

各種「研修」とはまた異なる視点をもたらしてくれる「学問」の意義を

積極的に語らせて頂いてまいりました。

それでは、今回の話題へと移らせて頂きます。

今回は、前回ご紹介させて頂いた松井孝典先生の書評記事内でも

触れさせて頂いた<重力>問題について、

ちょうどノーベル物理学賞で話題となった<重力波>とも重なり合いましたので、

これを機会にもう少し本書などを参考に現時点で一応解明されたと

思われる知見とともに考察を深めていきたく思い、

前回の疑問点でもあった『<重力>に関して、現在までに物理学が把握し得てきた

<4つの力>をさらに縮約させ得る志向性を持つ

いわゆる「繰り込み」理論設計は可能なのか否か?』という問題意識を抱えながら、

自らも探究を続けていたところ、

本書内にその疑問点解消に若干程度は応えてくれる手がかりも見出しましたので

同様な問題意識を共有されておられる読者の皆さん(特に理系の方には是非とも

その解明を進めて頂きたく期待と声援を送らせて頂きますが・・・)にも

是非ご検討をお願いしたくて、

今回はこの本を取り上げさせて頂くことになりました。

さらに今月は、このノーベル物理学賞授賞式と相まって、

たびたび<重力波>実測に「大成功した!?」や

これからは<重力波>天文学の新時代だとかいった

ビッグニュースが次々と飛び込んできて

ちょっとした科学ブームで世間は盛り上がっているようですが、

正直な感想として「そもそも論」として現代物理学の最前線でも

この「重力」の謎があまりにも多すぎる現状下に、

「なぜ、断定的な<重力>波の検証実験に大成功した!!」などと

大はしゃぎできるのか、何も「トンデモ科学」的な興味からでなくとも、

純粋な科学的好奇心の観点からも「何かおかしくないか??」と

思われた方も結構な比率でいらっしゃるのではないでしょうか?

例えば、学校の先生などは、生徒たちにこの<重力>波問題事例を

どのように精確に授業などで伝えることが出来るのでしょうか?

仮に管理人が現役の塾講師などに従事していたならば、

「わからないものは、やはりわからないのだから、

とりあえずこの事例が本当に正しいものなのか否かわかるまで

徹底して疑問は疑問として取り組んでいきなさい。

それこそが、強靱な知的頭脳を鍛え上げる格好の素材だから・・・」

生徒にエールを送ることでしょう。

なぜならば、このように伝えられた生徒の中から

こうした授業で触れられたエピソードに触発されて

将来、誰もがなし得なかった科学上の大発見を実現させる

天才科学者が現れ出るかもしれないからです。

あらたな日本人ノーベル物理学賞受賞者の育成誕生へと

つながるかもしれません。

「教育人財育成立国、科学技術立国」を目指すというからには、

こうした若者たちの才能を根絶やしにするような

従来型教育手法のあり方をこそ猛省しなければならないでしょう。

大上段に「<正解>はこれだ!!」と断定して、

生徒が自ら伸びようとする才能の根元を断ち切る資格など

誰にもないからです。

この点では、安易に「正解」を鵜呑みに出来ない

いわゆる「ものわかりの悪い」学生さんの方が

前途有望でしょう。

歴史上の大発見を成し遂げた「天才(単なる<秀才>止まりではなく)」には

このような人物が数多く見受けられることも勇気づけられます。

もし、「理系畑」の読者様の中にご親切な奇特な方がおられましたならば、

このあたりの教育上の配慮問題や重力理論そのものの謎解き問題などの

ご意見やご感想などご教示頂けるならば誠に幸いであります。

いつでも喜んでお待ちしておりますね。

(ちなみに、ノーベル「物理学」賞受賞内容につきましては、

<国立天文台>ホームページ内の関連記事

<日本科学未来館~科学コミュニケーターブログ>様の関連記事も

皆さんのさらなる理解を深められるご参考になるのではないかと

ここにご紹介させて頂きます。

さらに、理系ブログ『とね日記』様の記事からも

ご教示頂きました。

この場で篤く御礼申し上げます。

また、本書そのものの話題からは外れますが、

ノーベル「経済学」賞受賞者に、当書評記事でもご紹介させて頂きました

リチャード・セイラー教授の『行動経済学の逆襲』にも

数多くの読者様から好評を頂くことが叶い、

この場をお借りして誠に篤く御礼申し上げます。

管理人自身の創作意欲をますます高めてくれていますので、

皆さん、本当に重ね重ね有難うございます。

そして、理系文献は

「私にはちょっと敷居が高すぎて、正直言ってあまり興味関心が

ないんだけど・・・」とおっしゃられる方向けに

今回も特別バージョンをお届けします。

それをテーマに実際に現地取材までしてまいりましたので、

今回も乞うご期待でございます。

その予告ですが、映画『関ヶ原』にちなんだ

「紀行文」エッセーを後ほどじっくりと皆さんにご披露させて頂く予定であります。

前回の滋賀県観光紹介の<続編>として

「物語」設定させて頂いた「紀行文」にも当たるものですので、

しばし楽しみにお待ち下さいませ。

「歴史好き」や「旅好き」の読者様には、こちらの記事から読み進められた後、

本書の話題にもご興味が湧き出して頂くことが叶いましたら、

再度、前段の書評項目にも目配せ頂けるならば、

管理人にとっても最高に感謝・感激であります。

<重力波>問題の謎解きから迫る現代物理学へのご招待状!!

それでは、本書の要約ご紹介を始めさせて頂きましょう。

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・まえがき

まず最初に著者は、本書<まえがき>にて一般読者向けに

あらためて物理学「入門書」を上梓するに至った問題意識を表明されています。

それによれば、文系人だけではなく、意外にも「物理学」専攻学生を除き、

理系一般学生にさえ、「物理学」には大層な苦手意識がみられるといいます。

特に受験勉強でその数式計算に苛まれたことや

高校生以上ともなれば、抽象的世界観の理解力・想像力が試されるために

なかなか「物理学」が解析・提示してきたところのイメージがつかめないところに

諸悪の根源がどうもあるらしい・・・

このような問題意識から、著者は大学での講義においても

まずいきなり計算とともに物理学の世界へと招待しては

必ず消化不良に陥る学生が一定数生み出されてしまう要因となるため

教育伝達技法にはくれぐれも配慮すべきよう注意を促されています。

そのような著者自身がこれまでにご体験されてこられた教訓から

物理学の世界へと誘うための教育的配慮が格別に必要不可欠だと

強調されています。

このあたりは、高校生・大学生ならずとも、

「物理学」に限らず、幼少期からの「理系離れ」をいかに食い止めるかで

日々、授業の工夫で悩んでおられる各種教育関係者の方には

大変ご参考になる有益な視点を提供して下さっていると思います。

管理人も幼少期から今日に至るまで特に理系分野が極端に苦手だと

いうわけではなかったのですが、高校時代の文理「選別」過程で

受験失敗に由来する経済的リスク

(ちなみに、うちの家庭では浪人は絶対に許してもらえませんでしたので・・・)

やら何やらで

わりあいに理系思考に近いとされ、

将来的にも実益があるだろうとの評判から

「<法学部>はつぶしがきく!?」との言葉に騙され??

結局は、文系学部の<法学部>へと進学することに至りました。

とはいえ、理系分野への興味関心度は高く、

なかなか理系学部への未練も断ち切れませんでした。

とくに本当の「心」は、文系的「哲学」志向にも近い

「理論」物理学や「純粋」数学に多大な興味関心が当時はあったのです。

とはいえ、高校時代のずば抜けて優秀な友人と比較して、

「こりゃ、ダメだわ(・・・)」と断念することに。

また、前にも書評記事内で触れさせて頂いた

中学時代に通塾していた頃に出会った

今に至るもお世話頂いている複数の先生方が

いずれも理系畑出身だったことも関係しているようです。

そんなこんなで理系分野には大変な興味関心度があることから

知識に限界があることを承知のうえで

理系書に関する書評も積極的にさせて頂いています。

文系人の管理人のことですので、ところどころで間違いが

多々あることもあると思われますので、

もし「心優しき」理系の読者様がおられれば、

重ね重ねですがご教示下されば幸いです。

さて、「理系離れ」を食い止めるコツですが、

著者によれば、『まずは十分に物理学という学問の意味を

平易な言葉で説明する必要がある。』(本書4~5頁)と強調されています。

最近になって物理学や化学などを通じた

この世界に関する理系的記述表現にようやく馴染んできましたが、

それは迂遠なようですが、文系的視点でも主に「哲学」的分析考察や

その問題意識からあらためて時空構造の成り立ちに関する謎解きに

接近していく知的動機付けがあったからだと思っています。

その迂遠な回り道を通じて再確認出来たことは、

この世界を説明するための理系的記述表現の背景にも

何らかの哲学や思想、つまり世界観が潜んでいたということでありました。

これまで有史以来、数多くの自然科学者が多種多様な理論を

試行錯誤しながら設計することを通じて、実験・観察を繰り返してきた成果が

現代物理学には込められています。

ということで、管理人もこうした体験から

著者の教育的技法(配慮)には十二分に納得・信頼出来る者ですから

皆さんにも是非本書を紐解いて頂いて、

「理系嫌い」を払拭して頂けるきっかけになればと、

あらたな物理学「入門書」を取り上げさせて頂きました。

このような著者の問題設定から本書は開幕していきます。

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①「第1章 物理学の目的とは何か」

※本章では、物理学が志向してきた学問的目的意識について

簡潔に要約されています。

私たちが住まうこの世界(宇宙時空間)が

まずはどのような成り立ちになっており、

私たちがどこから出現してきて、

どのような役割を果たし、

最終的にどこへ向かおうとしているのかを

「哲学」的にも問うためには、

必ず、人間存在(主観的視点)を取り巻く客観的環境条件について

把握する志向性が必然的に生まれてきます。

なぜかと申せば、

そうした私たちを取り巻く周辺環境を解析出来なければ、

予測不可能で不安定な「社会」に身を置くことから、

人間の根源的生存不安に絶えず苛まれ、耐えられなくなるからですね。

そうした観点から、

『1・2 複雑な現象を単純な要素に分解する』

(本書21~25頁)学問的方法論が要請されてきたわけであります。

このことが、究極的には「物理学」の最大の役目になります。

ここから、この宇宙(人類を取り巻く周辺環境)に潜む「暗号」を

いかに解読するかが課題となってきます。

いわゆる「法則性」の<発見>への誘惑であります。

とはいえ、誰にも共約可能(共通した約束事として受容・認識可能)な

現象(観察的事実)として記述・提示することは、

一言で簡潔に表現出来るほどには、生やさしくはありません。

そこで、その現象なり、観察的事実を語る説明が

多種多様に出現してくるわけですが、

その解釈イメージが、「理論的仮説」であります。

この「理論的仮説」は、当然に各人の主観的問題意識や質感によって

立てられていくわけですから、この宇宙における<あるがままの姿>とは

必ずズレ(誤差)が生じてくることになります。

そこで、各人各様の「理論的仮説」と宇宙における自然な姿との照合確認作業を

数多く積み重ねていくことで、最大公約数的に「もっともらしい」と

思われる「理論的仮説」の選別作業が要請されるわけであります。

こうして、「理論」はいつもあくまで「仮説」として提起されながらも、

少しずつ「荒削り」な部分を削ぎ落としながら、

より実相に近似した洗練された「事実」へと収斂されていくことになります。

しかし、「理論(的仮説)」と「実相(事実)」との距離は

少しずつ縮小していくものの、その距離はなかなか埋まらないところに

<人間>が探究するところの物理学的探究の難しさがあるということに

なります。

学問は、ことに現代物理学は、私たちが普段当たり前として

受容している(きた)常識的世界(社会)観を見事なまでに揺さぶります。

そのために、ちょうど私たちが住まうこの時空間の

極限の果てを示す超巨大なマクロ的世界観を記述説明する「相対論」や

超微小(微細)なミクロ的世界観を記述説明する「量子論」が示すところの

世界像解釈にどうしても馴染むことが難しいために

簡単には受容し難くなるというわけであります。

まとめますと、文系型「哲学」が、<日常>言語による語りを用いた

世界像探究だとすれば、理系型「(ある意味では科学哲学の変種とも言える

物理学的解釈という名の)理論的仮説解析学」は、

<日常>言語に頼り切るだけでは曖昧な領域を残す余地があまりにも多いために、

その曖昧さを実験・観測度数を限界まで高めながら、

事物そのものへと緻密に接近していくことで

より精確さを確保する学問技法だということになりましょう。

ということは、物理学の発展のためには、

観測技術の向上が相伴うことも必要不可欠ということになりますが、

ここにきて、「理論」と観測技術の進歩との間にも

距離が出来つつあるところに

現代物理学の難関が待ちかまえているという現実が

さらなる解明の壁となっていることが明らかになりつつあります。

そんな最中に飛び込んできたビッグニュースが、

昨年から今に至る<重力波>や<ブラックホール>などの話題ですが、

ここに潜む難題にも「第7章」を要約させて頂く際に

<重力>問題をキーワードに後ほど考察させて頂くことにいたします。

いずれにせよ、物理学を学ぶ意義は、何も巧みな物理学的計算が出来るように

なることが最終目的ではなくして、自然界に潜む謎解きをするに当たって、

たまたま「数学的」記述方法が、「日常言語的」記述方法よりも

より洗練さに勝るだろうということで、

著者も『計算は道具であって、物理学の本質ではない』(本書40頁)と

本章の結論をまとめられています。

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②「第2章 天上世界と地上世界は同じもの」

※本章では、人類における物理学史が天体運動の観測とともに

進展してきたことをテーマに解説されています。

その天体「運動」の観測から私たちの住まう地上界と天上界との

物理的「差異」に人類はやがて気付くことになります。

本章でも解説される『2・2 天動説地動説』(本書45~48頁)は

前回記事とも重なりますので詳細な説明は省略させて頂きますが、

この天体「運動」の観察から次第に判明してきたことは、

「見かけ」の現象に人間は惑わされやすいという教訓でした。

天体「運動」を「見かけ」だけで即断すると、「円」運動をしているように

見えますが、実際には「楕円」運動をしていたのです。

ここまでの天文学史の概要も本書解説に委ねさせて頂くことにしますが、

ケプラーからガリレオ・ガリレイ、やがてニュートンへと引き継がれていきます。

そこであらためて見えてきたものとは・・・

それが、現代物理学の黎明期を飾った「近代」物理学誕生の原動力となった

ニュートンのいわゆる「万有引力」の発見でした。

著者によれば、

『そもそも、なぜ惑星は太陽の周りを楕円運動するのか。この問いこそが、

天上世界も地上世界も同じひとつながりになった世界の一部であることを明らかにし、

近代物理学の誕生につながった。』

言い換えると、

『すべての物体は引き合っているという万有引力の法則で説明できることが

明らかになったのだ。』(本書54~55頁)と。

この天体「運動」の解析結果から、

「運動」すなわち、運動の推進力となっている「力学」解析に

物理学の関心が集まっていくことになります。

この万有引力」と「重力」は厳密には必ずしも同じ概念ではないようですが、

ともかくも、このニュートン「力学」が示した問題意識から

<重力>概念が世間一般になかば<常識>のごとく広く浸透していったのでした。

ですが・・・

今月の観測は、<重力>に注目が集まっているわけですが、

「そもそも論」として、「<重力>とは何ぞや??」という問題は

「わかったようで、わからない」難問だということ自体、

世間一般にあまり浸透しているようにも思われません。

大抵の読者の皆さんならば、管理人もそうですが、

この一般的な<重力>に対するイメージ像は、中学2年生あたりで

このニュートンのエピソード説明とともに印象づけられたかと思われますが、

本当に「<重力>って何なのでしょうか?」とあらためて問われれば、

なかなか答えに窮するのではないでしょうか?

「そんなの当たり前じゃないか!!」レベルで思考停止してしまうようでしたらば、

厳しい表現で大変恐縮ですが、

あなたの「学問」センスに大いに問題があろうというものです。

「勉強」が有無を言わせぬ「洗脳」を誘発させ得るものだとすれば、

「学問」とは疑問点・違和感を徹底的に問いつめていくことによって、

結論を急がずにじっくりと検討しながら「納得(得心)」に至る知的営みであります。

この「勉強」習慣によって、私たちは<常識>という名の

自明論理へと容易く誘導されてきました。

ですから、一見して「自明」と思われる諸現象についても

絶えず検討し直すという知的構えが習慣付けば、

世間的にどんな「もっともらしく、わかりやすい」言説が溢れかえっているにせよ、

独力で落ち着いて考えることが出来るようになるでしょう。

さて、<重力>ですが、

ニュートンのエピソードにあったような

「リンゴの木からリンゴの実が落ちる」現象を皆さんなら

幼少期に正直どのように実感され、その謎を考えられましたでしょうか?

管理人の場合は、この時点で、<重力>という概念(いくらその定義を

先生に教わっても、得心出来なかったのです。イメージとして<重力>とは

このことだと言葉で定義説明されたところで、もちろん、受験対策用には

鵜呑みにしたフリで「勉強」物理学はやり過ごしましたが、

今に至るも十二分にはどうしても得心出来ないのです。)に

何か重大な疑惑が潜んでいるのではないかと直観するものがありました。

と言いますのも、<重力>と<磁力>の違いを

この中学生時分にはまだまだよく理解出来ていなかったこともありますが

(そのことは現在もですが・・・)、

子供ながらに素朴に考えても地球が巨大な「磁石」だとは誰でも知っていることだと

思いますが、この地球磁石によって引き起こされる「磁力」によって

単純に引き寄せられているからではないかと思ったからです。

そこで、もし、地球「磁石」の方があまりにも強すぎれば、

地球そのものがつぶれる。

であるならば、人間も地殻を打ち破って、

どこまでもその「磁力」によって落ちていくだろうと思いきや、

実際にはそうなっていない現実をどう解釈すればよいかという疑問から

<重力>と<磁力>に関する物理学的探求心が湧き出てきました。

このこととニュートンの「作用・反作用の法則」と重ね合わせて考えると

「磁力」面(相互に引き合いながらもあるところで均衡する力)からは

何となく、私たちがそのまま地球内部へと落ちていかない理由も

地球そのものがつぶれない理由もわかる気がするわけですが・・・

どこかで帳尻の合う謎の力が、「磁力」もしくは「重力」の反作用力として

働いているとしか思われませんが、ニュートンの事例からは

「重力」と称される力のように下へ下へと落ちるイメージのみが強すぎて、

「そもそも論」として「なぜ、人はある地点において

均衡する力学作用を保持しながら立てているのか?」といった素朴な疑問点が

知的好奇心が強い方であれば必ず湧き出てくるはずです。

教科書的には、どれもこれも

「<重力>とは異常に微力な力である」とか

何とか記述されていることが多いのですが、

「質量との相関関係でたまたま人間が地球よりも異常に軽いから

そのように実感されるにすぎない」と説明されれば、

「そのようなものなのかなぁ~」で通常人であれば思考停止してしまいます。

それでも、<重力>単体のみに焦点を当てて分析考察してみると

謎だらけであります。

「もしかして、<重力>とは<磁力>のある強弱面から説明出来る

部分現象なのではないか?」とも思えてくるのですが、

結論は急がずに、今後とも管理人なりに様々な先生方が獲得されてこられた

物理学的知見とともに考察を粘り強く深めていくことにいたします。

一応のところ、<重力>と<磁力>の共通点や相違点などについては、

様々な一般向け啓蒙書(例えば、『重力とは何か』大栗博司著、幻冬舎新書、

2012年第7刷など)を読み比べながら独自でも検討してきたのですが、

どの1冊をとっても、良心的な科学者になればなるほど、

「いやぁ~、実は<重力>の正体はまだ掴めていないのだよ・・・」

『あくまで、その前段階として、<場の量子論>や

何やかやの「理論的仮説」で一応理屈づけながら、

実証的観測データを待っているところなんだよ・・・』というのが

オチのようです。

著者自身は、自然界には<4つ>力がある派で

「電磁力」と「重力」は一応わけて考えるべき力として

次章以降も解説されていかれるわけですが・・・

いずれにしましても、<重力>の定義やイメージは

ひとまず脇に置くことにいたしましても、

この宇宙時空間のどこにでも働く「万有引力」についての

謎解きから地上界と天上界に共通して働く物理的力学法則が

探究されてきたということでまとめておきましょう。

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③「第3章 すべては原子で作られている」

④「第4章 微小な世界へ分け入る」

⑤「第5章 奇妙な量子の世界」

第3章から第5章はいよいよ「現代」物理学の幕開けであります。

様々な科学者の努力によって、物質の構造について探究されていきます。

19世紀末までは、「理論」物理学よりも「化学」工業の方が

先に発達していったようで、

「化学」的観点からする物質の構造解析により

現代物理学が徐々に形成されていきました。

ちょうど、天体学においてもガリレオの望遠鏡の発明や

顕微鏡の発明など「鏡(拡大レンズ)」の進歩こそが、

その進展を促したように

「現代」物理学の主流である素粒子物理学の端緒が開かれたのも

こうした科学技術の恩恵があったからですね。

この物理学黎明期の頃は、まだ未開拓の余地が大きく

技術先行型の時代でしたが、

ある時点から「理論」に次第に重点が移っていくことになります。

それが、原子「核」物理学であります。

この「核」を相互に連結している「力」とは何ぞやといった

問題意識から<電磁力>の次世代である

「原子同士をつなぎ合わせるに必要な力としての」<弱い力>や<強い力>といった

触媒エネルギーといってもよい「相互作用力学」に解析の焦点が

移っていくことになります。

特に、現代物理学の2大巨頭は「量子論」と「相対論」ですが、

今でこそ、「量子論」が「相対論」に優位しているように思われがちですが、

もともとの「量子」仮説における着想の原点には、

光の性質解明を「相対論」的立場から迫る光学探究からも始まったのです。

それが、アインシュタインの「光<量子>仮説」です。

ですから、アインシュタイン自身は、まずは光のミクロ的側面から

後のマクロ的「相対論」構築への第一歩を踏み出したというところに

物理学史上における皮肉というか逆説があります。

この光の<量子=粒子=物質>説と同時並行的に

<波>の性質もあるという<波動>力学もアインシュタインとは

別の観点から生み出されていくことになります。

それが、現代「量子」物理学の原点であります。

「それでは、後にマクロ的相対論を開拓していくことになるアインシュタインと

ミクロ的量子論を開拓していくことになる他の物理学者との間で

その物理的世界観を巡ってどのような齟齬が生じていったのでしょうか?」

この問いを考え続けていくことで、

次章で説明されていく<時空>の物理学における謎解き問題も

楽しさが倍増することでありましょう。

つまりは、アインシュタインの時空観にこそ、

他の「量子論」の立場にある物理学者とは異なる

かなり独自性の強いイメージ像があったことから、

現在までにその特異な時空観が理解されにくい要因と

なっていったのではないかと推測する問題意識とも

重なり合います。

あるいは、アインシュタイン博士の名誉を傷つけるような表現になり

誠に恐縮ですが、

ひょっとしたら、博士の時空認識そのものに重大な「誤謬」が

含まれていたのかもしれないのです。

そのために、現代物理学の最前線でも、その宇宙の森羅万象に共通した

物理的統一原理の発見に苦慮しているのかもしれないからです。

そうしたアインシュタイン型「4次元時空間」モデルを

さらに超克・改善しようと志向するモデルこそが、

次章でも触れさせて頂きます「量子論」からの超弦理論などであります。

本書では、この超弦理論を中心に「量子論」系宇宙時空間モデルが

説明されていますので、ここでもそのあたりを主軸に周辺状況を

ざっと要約してみることにいたします。

そこで、この「相対論」的時空「観」の真偽を問い質す絶好のチャンスが

今回の<重力波>や<ブラックホール>問題には含まれていたということで

あらためて、これまで「量子」物理学者に比較して分が悪かった

アインシュタインの「相対論」に注目が集まりだしたというところが

最前線にある現代物理学の面白さであります。

この第3章から第5章で個人的に勉強させて頂いた点は、

やはりアインシュタインの時空観の大前提にあるとされる<実在論>の問題や

<量子論>が示唆したあらたな世界観に対する多元的解釈の可能性および

マッハ主義に関する解説でした。

マッハ主義とは、

『簡単に言えば、直接的に経験できることを超えた実体を想定すべきではない』

(本書87頁)という立場に立つ科学的経験論のような世界観であります。

このマッハ主義が、ニュートンが提示したような「絶対」時空を否定する

きっかけとなって、アインシュタインの「相対論」的時空観や

人間の観測とは無縁ではいられない「量子論」をもたらしたとされています。

また、「量子論」とアインシュタインの時空観が想定する<実在論>の

相性がきわめて悪いことから、「量子論」の立場から

この<実在論>を救う手だてを「理論」的に構築してみせた

前にもご紹介させて頂いた米国の物理学者デヴィッド・ボームによる

ボーム理論(本書154~158頁ご参照のこと)も興味深く読ませて頂きました。

ですが、このようなマッハ主義と「相対論」や「量子論」が創始された

20世紀初頭の黎明期時代における物理学との相関性も

現代ではますます乖離していき、経験的事実(実測)に先立つ

「理論的仮説」に基づく「理論」物理学が突出してきたのが現状であります。

現状では、この「理論」的予測が果たして事実(実測内容)と適合するか否かが

信頼できる物理学「理論」の試金石となっています。

こんな観点からも、今回の<重力波>現象をいかに解釈するか

なお「確定」作業までには時間がかかりそうです。

まぁ、私たち素人としては、この先の研究動向を

落ち着いて観察していくしかないのですが・・・

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⑥「第6章 時間と空間の物理学」

※本章では、ニュートンが提示した「絶対」的時空観から

アインシュタインが提示した「相対」的時空観へと移り変わる過程において

それまでの「電磁力」研究の末に獲得された知見とともに

エネルギーの時空間における「伝わり方」に焦点を合わせていく解説を通じて、

現代物理学における「波動」力学探究がさらに深まっていった様子が

簡潔にまとめられています。

真空」でも電磁気(電子)が伝わることは、

皆さんも中学校レベルの理科の授業で教わったかと思いますが、

このことを宇宙空間にまで拡大させていけばどうなるかと

思考実験をしていくと、

今回の<重力波>の話題にも興味が湧き出てくるでしょう。

この「真空」というイメージも

現代物理学(ことに「量子」宇宙物理学)では一般常識とは異なる

イメージ像が続出してきましたが、

マクロ的(もしくは私たちの住まう「この時空間」)においては

「あたかも」連続的に見える現象もミクロ的に観測を進めていくと

泡状の粒々状態(これを「離散」状態とも言います)に

どうやらなっているらしいことが判明してきたといいます。

すなわち、時空間は凸凹に歪んでいるとの物理学的知見であります。

それも、この粒々(粒子=物質=量子)が瞬間的に他の素粒子と衝突を

繰り返すことで対生成・対消滅するとの知見も獲得されてきました。

そして、エネルギー状態も完全には「0」にはならないらしいと。

もし、完全に「0」になれば、人間にとってはマクロ的には悲惨な状態を

もたらしましょう。

とはいえ、このことはあくまでミクロレベルでのそれも瞬間レベルだと

想定されているので、現時点での私たちが住まうこの宇宙では

問題にはなりはしませんが、

こうした問題をさらに深く探究していくと宇宙の「原初」状態や

それのモデルではないかと予測されるブラックホール解題とも重なり合っていきます。

というわけで、宇宙は(少なくともこれまでの物理学が対象としてきた時空間範囲では)

完全な「真空」ではない(つまり、部分的には「真空」領域はあれども、

巨視的には「真空」ではないということ)ということです。

この「真空」領域の分析も現在、「ダークマター(暗黒物質)」や

「ダーク(暗黒)エネルギー」の解読作業とともに進められていますが、

<重力波>以上に未発見・未解決だといいます。

今回は、この「ダークマター(暗黒物質)」や「ダーク(暗黒)エネルギー」の

話題は省略しますが、今は「真空」状態に絞って考察することにします。

それでは、「波動(エネルギー波及振動現象)」力学の話題に戻りますが、

「真空」でも力が伝わるという事実をどのように説明するのでしょうか?

ここで、エネルギー(ここでは光や重力を主に想定)が「真空」を伝わるには

何らかの「媒質」が必要ではないかという問題が出てきます。

もっとも、先程も語りましたように

時空間には物質の固まった「局所」もあり、まったくの「真空」ではないことも

説明しましたが、「真空」領域である(つまりは、隠れたダークエネルギーや

ダークマターの話題はとりあえず除きまして)「非局所」領域では

「媒質」がなければ力が伝わることをうまく説明できないとの難問が出てきます。

とはいえ、「真空」ですから言葉の定義上、「何らかの物質媒体」があるはずもなく、

あるとすれば、「物質」ではない「エネルギー」ということになりそうですが、

アインシュタインの「相対論」からは「物質=エネルギーの等価法則」との

理論的整合性とも相まって、話がややこしくなってきましたが、

「真空」状態においても「エネルギー(力)」を伝える

別の??「エネルギー(媒質あるいは媒体??)」が必要なのではないかなど

いろいろと厄介な難問が出てくるようです。

そこで、「媒質」問題が出てくるわけです。

この「媒質」の存在を確かめる実験として、

かつて「エーテル」という仮想媒体をイメージした

有名なマイケルソン=モーリー実験で検証されましたが、

このような「エーテル」といった「媒質」はついに検出出来ませんでした。

それでは、エネルギー(力)が「真空」をなぜ伝わることが出来るのでしょうか?

1つの理論的可能性としては、空間そのものが「媒体」になっているという仮説が

考えられます。

もしくは、「エネルギー(力)」ですから、

文字どおり、エネルギー自身の「力」でもって、

あたかも生命体のように自発的に「振動」しながら

「真空」全体に伝わっているのではないかという仮説も考えられます。

いずれにしましても、こうした現代物理学が導き出してきた

様々な「理論」的説明と私たちが日常的に経験する常識感覚との間には

かなりの隔たりがあることは確かであります。

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⑦「第7章 時空間が生み出す重力」

⑧「第8章 物理学の向かう先」

第7章から第8章にかけて、最後まで「相対論」と「量子論」の

折り合いの悪さがあらためて示されています。

つまり、宇宙の森羅万象を司る物理的法則を解明する

いわゆる「大統一(万物)理論」への期待ですが、

その結合を阻害するのも、

現代物理学がここまで辿り着いてきた力学解析の中でも

最後まで取り残された<重力>の正体であります。

現在、<場の量子論>からは、重力「子」なる存在も仮定しながら

様々な「理論」構築がなされていますが、

重力以上にその重力の量子化(つまりは、素人イメージでは

重力というエネルギーの物質的側面のことか??

ちょうど、光には「物質」と「波」の性質が兼ね備わっていたように。

前者の光の「物質=粒子」的側面をアインシュタインは、光「子」と名づけました。)された

重力「子」はもちろん未発見であります。

超弦理論にせよ、あくまで、理論的仮説段階であります。

どうやら、現代物理学もここに来て「袋小路」に陥ってしまったようです。

この第7章と第8章を読み解く際のキーワードも<重力>です。

要約記事に紙面を費やしすぎましたので、

そろそろ要約項目の閉幕へと向かわせて頂きます。

専門家である著者による<重力>に関する詳細な解説は

本書に委ねさせて頂くことにします。

素人解説により、さらに読者様の頭を混乱させてしまうといけませんので・・・

ただ素人である管理人がこれまでのところ<重力>の謎を追ってきた中で、

冒頭の問題意識の箇所や前回の松井孝典先生の書評記事内でも少し触れましたが、

こんなに説明に手間取る<重力>であるならば、

思い切って、<重力>抜きの節約思考は出来ないだろうかとの

素朴な疑問も湧き出てきたわけですが、

どうやらそのような「繰り込み」思考は<重力>に限っては難しいようなのです。

この「繰り込み」理論と量子重力問題の解題の現状や

突破口となり得ると期待される超弦理論との関係性については、

大栗博司先生による『重力とは何か~アインシュタインから超弦理論へ、

宇宙の謎に迫る~』(幻冬舎新書、2012年第7刷)における

<朝永=ファインマン=シュウィンガーの「くりこみ理論」>

(205~208頁)

標準模型の説明に必要な道具立てがすべて揃った>

(222~225頁)もご参照下さいませ。

なお、大栗博士によれば、超弦理論の長所は、

従来の素粒子力学や旧「弦」理論では

文字通りの静止した粒子状の「点」や「ひも(状のようなもの)」を

想定していたのに対して、

旧「弦」理論の拡張バージョンでは

<振動した状態>をも含めた広がりある「超」弦と想定することで、

こうした従来の「繰り込み理論」が有していた無理な計算

(専門的には、無限大への発散というそうです。)を

回避し得るところにあるといいます。

本書における「繰り込み理論」と<重力>との相性の悪さに関する

解説は、第8章『8・4  重力を量子化できるか』(本書251~

255頁)にてなされています。

また、第8章では物理学の未来について語られています。

先程も「大統一(万物)理論」への期待が物理学者の長年の夢だったと

語りましたが、著者によると、どんなに頑張ってみたところで

すべてを説明し尽くせる理論を完成させることは

ほぼ不可能に近いものだとされています。

というのも、「理論」自らの正当性を自己証明する方法が

限りなく難しいことも数学的に証明(ゲーデルの不完全性定理など)

されているからとのこと。(本書270頁)

さらには、管理人自身が考えるところ

仮に人類がこの宇宙森羅万象をすべて知り尽くせるように

なったとしたら、退屈になり暇を持て余すばかりで、

その時点から人類の「退歩」、「衰退」が始まることも予想されます。

その意味では、人類に知的好奇心欲求が備わり、

どこまで突き進んでも「神」のような全知全能ではない不完全さや

不可知性の余地が残されているのも

<人類存続の原理>のためではないかと推測しています。

「神」を信じるか否かは別としても、

人類が「神」という概念を必要とした科学的理屈を強いて付けるならば

ここらあたりにも理由があるのかもしれませんね。

今後ますます迫り来る「人工知能」との共存のあり方を考えるうえでも

大切な視点となるのではないかとも確信しています。

さて、今回は<重力>をキーワードに本書を読み進めながら、

あらためて現代物理学が問いかける難問解読に挑戦してまいりましたが、

「知れば知るほど、学べば学ぶほど」次から次へと未知な領域に

遭遇するものです。

「学問」とはこうした一歩一歩の積み重ねであり、

副次的に活用し得る科学技術の粋も

最初から「役に立つ・立たない」という判断から

生み出されてきたものではないことがおわかりになったかと思います。

まとめますと、本書からあらためて学び得たことは、

「即効性だけを追い求めても、より望ましい科学技術は

決して生み出されてこないよ!!」ということに尽きます。

だからこそ、「基礎研究」への積極投資や産業構造の転換期には

「学び直し」が可能となる時間的・経済的余力を生み出せる

多種多様な働き方が許容されるとともに安定所得が保障される

経済社会実現へと向けた絶えざる挑戦も同時に必要となるわけです。

また、先に触れましたように18歳時における人生選択は

ますます先行き不透明な時代、困難を窮めるもの。

浪人せざるを得ないなどの経済的リスクを負うゆとりのない

一般家庭では事実上「一発勝負」のリスクを犯すことになり、

著しく将来の進路選択の幅が狭められてしまうことになります。

しかも、現下の日本経済における産業構造の変化と

中長期的な少子高齢化社会への推移傾向を鑑みると

「高等」教育受給対象年齢を過ぎた20代~40代前後でさえ、

試行錯誤しながら自身の進路や人生設計を再構築していくための

長期的構えも必要とされます。(『ライフシフト』ご参照のこと。)

そのためにあえて、働き方が柔軟な「非」正規雇用により近いような

準正社員(中長期雇用契約)を選択されておられる若者世代も多いことと

思われます。

管理人の理想像を語らせて頂けるならば、時短労働によって、

かつての1950~70年代の優秀な諸先輩方が

大学などの「2部夜学」に通学しながらも、

「今日よりも明日と日に日に生活がよく(明るくかつ楽しく)なっていく・・・」

いう夢を描きながら、

勉学し得た経済環境が再び実現可能になる近未来社会を願います。

今後の人工知能(AI)開発によっては、時短労働も可能になる経済構造になるとする

楽観的な意見もある一方で、AIによっても深刻な人手不足問題が

起きるだろうとするやや悲観的な意見もあるようです。

この議論は、来るAI経済社会の行く末を占ううえで

なかなか本質を鋭く突いていて、

皆さんにも是非ご検討願いたいのですが、

ご参考までに下記の情報をご紹介しておきます。

『AIでも人手不足』平成29年10月15付け産経新聞朝刊

<日曜講座 少子高齢時代>河合雅司論説委員のご意見です。

『未来の年表~人口減少日本でこれから起きること~』

講談社現代新書、2017年などで

今もっとも話題の論客であります。

とともに、当書評ブログでもご紹介させて頂き、

お世話にもなっている井上智洋先生との『文藝春秋2017年11月号』での

ご両者のご対談も必読文献としてご推奨しておきます。

今後の議論の叩き台として、学校現場における新聞などを積極活用した

NIE教育教材としても最適かと思います。)

そうした<居場所づくり>によって、単に直接的な仕事能力に

直結し得るようなテクニックやノウハウの伝授をやりとりするレベルに

終始することなく、文字取りの「同じ釜の飯」を食することを通じて

良質な社会的コミュニケーションも成り立つような経済社会像を期待します。

そのような現実的な観点からも、

切実に要求されている高等教育「無償化」政策などを

積極的に政策反映させようと実現に向けた取り組みをして頂ける

各政党関係者の皆さんには是非ともお願い申し上げます。

ベーシックインカム(最低限所得保障制度)の早期実現は難しくとも、

某政党が政策提案されているような<全世代型社会保障制度>の

詳細な具体的全容を

この総選挙後にでも早期に国民の現前に明示して頂きたく願います。

今回の選挙における最大争点でも安全保障政策の現実的実効性だけではなく、

こうした教育社会福祉や雇用制度改革の行方に

より多くの若者の関心が集まっているともいいます。

マスコミ以外の各種NPO法人や選挙関連ボランティア団体などによる

若者向け街頭アンケート調査などでも、

そうした統計結果が出ているとも伝え聞くところです。

特に、前回から今回の総選挙では18歳~20代の若者が

早期の期日前投票を利用されるなど、従来には見られない政治的動向も

少しずつ出てきているといいます。

そんなことも投票期間中だからこそ、考えてみました。

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・あとがき

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・参考文献

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ということで、理系書の要約記事をまとめる作業は

いつもながら難しく時間もかかりましたが、

皆さんにも科学的テーマだけに限らず、

いつもながら繰り返し強調させて頂いてきたことですが

疑問点や違和感は徹底して考え抜く姿勢を養う糧となる

好著として、本書をご一読されることをお薦めさせて頂きます。

※ちなみに、本記事を読み進められる際のご注意点を何度も繰り返し

申し上げておきますと、理系知識に疎い管理人のことですので、

多々、科学に関する理解に初歩的なミスがあるかと思われます。

そのあたりは割り引いて、読者様の方でも各自信頼のおける文献なり

科学情報に当たって頂くことをお願い申し上げます。

その限界点は、管理人も今後とも理数系の研鑽に努めてまいる所存ですので、

この「志」にご配慮頂くことでご寛恕願います。

映画『関ヶ原』に触発され、秋の<関ヶ原合戦祭2017>イベントに初参加しました!!

それでは皆さん、大変長らくお待たせいたしました。

『秋の関ヶ原慕情編2017』の始まりです。

まずは、管理人がなぜ関ヶ原へと引き寄せられていったかですが、

すでに『真夏の近江琵琶湖旅情編』の頃に

「関ヶ原」という地名がなぜか脳裏に強く焼き付いてしまったのです。

直接のきっかけは、滋賀県司法書士会(滋賀県だけではないそうですが・・・)の

広報ポスターに映画『関ヶ原』が採用されており、

彦根駅あたりで魅入ってしまったからでしょう。

それもありますし、昨年のNHK大河ドラマ『真田丸』や

本年の『おんな城主直虎』(こちらは、一度も視聴していませんが、

昨年春に浜松市に家族旅行した際に、井伊氏の発祥由来等には興味が湧きました。)の

影響なのか、なぜか無性に「関ヶ原」の現地へ訪れたくなったようです。

ブラタモリ』の影響も多少あるかも・・・

『そういや、子供の頃より切望していたわりには、

一度も「関ヶ原」の現地に降り立ったことがなかったなぁ~』と

あらためて気付いたこともあります。

新幹線や在来線といった電車や名神高速道路を走る車窓からの景色は眺めたことがあり、

子供の頃より、陣地跡地からひらひらと軍旗がはためいていた光景は

瞼に焼き付いていました。

また、登山好きでもある管理人にとっては、

伊吹山系や鈴鹿山系にもいずれ挑戦したく、

このあたりの山々の天候が古代より激しく移り変わりやすいとも

聞いていた(ヤマトタケル命の故事など)ので、

一度、予行演習としてでも現地の天候状況や見通しなどを

確認しておかなくてはと思ったこともあります。

そんなこんなで、まずは、これは絶好の機会だからと

映画『関ヶ原』を旅行決行日(10月14日土曜日)の前週である

三連休のど真ん中(8日日曜日)に四天王寺で開催されていた

『秋の古本祭り』からの帰路、久方ぶり(何せ普段は映画など

ほとんど観ませんので・・・)にあべのアポロシネマに寄って

1人寂しく(笑)観賞してまいりました。

映画『関ヶ原』を観賞しての感想は・・・

大が付くほどの歴史好きの方なら同意して頂けると思いますが、

「歴史考証的に非常にまずいんじゃねぇか・・・」だとか

一部シーンに違和感を感じたことなど多々ありました。

管理人の敬愛する島左近殿の最期のシーンや

今回の<関ヶ原合戦祭2017>の主役:島津義弘殿以下の

薩摩軍団のいわゆる「敵中突破」シーンが漏れている・・・

このシーンは、映画描写的にも絶対外せないでしょうよ・・・

普通に考えたらね・・・、というように

個人的にはあまり感心出来ないものでした。

さらに、原作が管理人があまり好きではない司馬遼太郎氏というのも

なぜか腑に落ちません。

もし、原作が『島津奔る』(池宮彰一郎氏)などだったら

(上記池宮彰一郎作品には司馬遼太郎氏との類似問題があり

いわゆる「盗作疑惑」問題発生により絶筆に追い込まれたといいますが、

管理人が読ませて頂いている(今年の四天王寺『秋の古本祭り』で入手。

只今、堪能中!!)限りでは、そもそもが関ヶ原という有名史実を題材に

資料読み込みした結果、創作されていくのが「歴史(時代)」小説だと思いますので、

素人的に同情を禁じ得ません。

「歴史(時代)」小説を書く際における著作権問題とは

一体全体どこまでが許容範囲なのか、

このあたりも是非読者の皆さんに大いに議論して頂きたいところです。

というのは、今後とも「歴史(時代)」小説に挑戦されていく

現役作家や未来の作家が続出していくでしょうから・・・

この著作権問題で萎縮するようなことがあれば、

良質な「歴史(時代)」小説作家の誕生が阻害される懸念があるからですね。

大作家先生のご威光とはそんなにも強いものなのでしょうか?

以下にご参考資料として掲載させて頂く写真に関する

管理人の説明文内でも触れさせて頂くように

司馬氏ご自身の歴史的検証力にも公開情報などを判断材料に

推察させて頂くと様々な問題もあるようですから・・・

昨今は、アカデミズム的にも

かくまでも世間に多大な影響を与え続けている

司馬「作品」や「史観」に対する徹底した厳密な批評検証研究も

なされているとも聞きますから、このあたりも加味しながら

冷静に再検討し直すべき時期ではないかとも感じられます。)、

また違う面白い展開があったかもしれません。

もっとも、各俳優さんの演技は石田三成役の岡田准一氏や

島左近役の平岳大氏以下素晴らしかったのではありましたが、

「う~ん、これはちょっとまずくないかい・・・」なんて思われる

シーンがいくつも見つかったのです。

ですから、各俳優さんにはエールを送ります。

「お疲れ様でした」

映画だけに史実とは別にもちろん脚色はあってもいいとは思いますが、

史実を下手にいじって、単純な恋愛(お色気)シーンを入れたりすると

正直、興ざめというものです。

管理人は、「歴史考証」に厳しいのです。

その観点から言えば、NHK大河ドラマなど???ですね。

近年の歴史・時代劇モノはあまりにも酷すぎて

かえってリアリティーにかけるようです。

つまり、歴史通からすれば、「面白ないなぁ~」です。

やはりと言うべきか、「関ヶ原」の現地にまで訪れる熱心な歴史ファンの方の

ご意見などを耳にすると、案の定そうした感想も結構多かったようです。

ご一緒させて頂いた東北は福島の地からはるばるやってこられた

大変ユニークなおじさんなどもこの話題でしきりに同感されていたご様子。

この日のイベントには、原田眞人監督の特別講演もあり

おじさんに出会う前は参加する予定だったのですが、

積もる話に興じているうちに双方とも今後の予定時間が差し迫ってきたために

急遽、参加予定を取りやめ(雲行きが怪しくなりつつあったのも原因)、

各自それぞれの別行動ということで関ヶ原駅まではご一緒して

そこからはお互いに別れることになった次第。

おじさんは反対側のホームから石田三成の居城である

彦根「佐和山城址」へ・・・

(ちなみに、福島会津の方だから「東軍」寄りかと思いきや

大の「西軍」ファンだとか。三成の<義>に心惹かれたそうです。)

管理人は、大垣方面へ。

というのも、映画中に突如現れ出た大垣城をこの目でしかと

見届けておきたかったことや前回も訪れたことから

大変気に入った場所だったからです。

ちなみに、関ヶ原古戦場跡地からは大垣城は

どう考えても見えないような気がするのですが、

映画だけを観て、瞬間的に大垣城のシーンを見せられると

錯覚してしまいそうです。

少なくとも、管理人が現地確認した限りでは

かなりの無理がありそうですね。

当時と今の風景や大垣城そのものの規模や位置関係が

異なるということを考慮すれば、「もしかして・・・」という

可能性もなきにしもあらずですが・・・

読者様の中でどなたかご存じの方がいらっしゃれば、

貴重な情報をご提供下さると誠に有り難く存じます。

そうした映画そのものの感想はこれくらいに止めておきましょう。

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それではここからは、こちら方面へ訪問される予定がある読者様のために

まずはご参考程度に旅程を語らせて頂くことにいたします。

管理人は、大阪からの日帰りコースでした。

かなり厳しいスケジュールで、

始発の5時45分の乗車で関ヶ原駅着がおよそ9時45分くらいでした。

(途中、電車を数本逃したり、弁当購入やトイレ休憩も挟みましたので。)

大阪南部からの場合だと、およそ3~3・5時間。

大阪市内からでしたら、およそ3時間程度だと思われます。

あくまで寄り道せずに、電車の乗り継ぎもスムーズにいった場合ですが。

天王寺あたりからだと新快速で大阪駅~京都駅経由で

まずは米原駅まで直通ルートが最速かつ安上がりです。

ただ、米原駅から大垣駅方面(途中に「関ヶ原」駅あり)へは

1時間に2本程度で急に本数が少なくなりますので

予め時刻表などでご確認願います。

これからの冬場(ここ例年は暖冬の影響で雪の日も少なくなっているようですが、

昔も今も伊吹山系に挟まれた盆地に「関ヶ原」があることから

豪雪地帯だと一応は覚悟しておいた方がよいでしょう。)は、

新幹線もしばしば急停車する魔の地帯ともなり得ますので、

くれぐれもご用心下さいませ。

ですので、春先か秋先の行楽日和の頃が適当な時期かと思います。

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① 9時40分過ぎ 関ヶ原着。

この日は朝方から雲行きも怪しく、夜半にかけて雨が降り出すとの

事前の天気予報でしたが、関ヶ原あたりに接近するにつれ、

急に「天照様」がご出現。

今回の旅行の前途を祝福してくれていたようです。

すぐに駅前の「関ヶ原駅前観光交流館」へ。

(なお、関ヶ原観光案内に関するウェブ情報サイトはこちら

ご参照願います。)

ここには、関ヶ原観光のあらゆる情報が揃っています。

土産物なども豊富に取り揃えられており、

歴史ファンにはたまらないマニア向けグッズもありますよ。

とはいえ、荷物にもなるし、

今回は全予算締めて金1・5万しか持ち合わせがなかったので

金1500円位に抑えた結果、1500円以上??だったか

購入された方向けに頂けるジビエのスープ割引券で

少し冷えた体を温めてから、イベント会場入りへ。

やはり関ヶ原に入ると

(特に米原駅以降、急に体感温度が下がったような気が・・・)、

若干肌寒く感じられるようになります。

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②すでに10時過ぎ。

会場ではオープニングセレモニーも開幕。

全国からの老若「歴男(れきお)」「歴女(れきじょ)」さんが

押し寄せていました。

映画『関ヶ原』効果と出演俳優や監督のトークイベントの効果か

14日と15日の2日間に渡ってのイベントだったのですが、

やはり初日は天気も何とか行楽日和となり結構な賑わいを見せていました。

11時からは映画『関ヶ原』では、島津義弘役を演じられた

俳優:麿赤兒さん(若い方向けには、あの『龍馬伝』他で

数々の話題をさらっておられる大森南朋さんのお父上と

ご紹介した方が世間的には通りがよいのでしょうか?)の

トークイベントに参加するため、

長い時間並びたくないので早めに着席して待ちました。

そのおかげか、最前列で傾聴させて頂くことが叶いました。

その間にも様々な方々のお話が聞けて楽しかったです。

内容は、著作権絡みでお伝えすることが出来ませんが、

様々な人生遍歴のお話などから参考にさせて頂くヒントが

多々ありました。

麿赤兒さんは有名な「舞踏家」でいらっしゃいますが、

土方巽さんなどに影響を受けられたそうです。

「舞家」ではなく「舞家」としては、同じく上記NHK大河ドラマ『龍馬伝』や

NHK朝ドラ『まれ』などにもご出演され、

一躍<時の人>として話題になった田中泯さんなども

近年に有名になりました。

著書には、『意身伝心』(松岡正剛氏との共著、春秋社、2013年)

などもございます。

また、今回のテーマであった<重力>をキーワードに

「舞踏家」としての身体哲学から語られている天児牛大さんの

著書『重力との対話~記憶の海辺から 山海塾の舞踏へ~』

(岩波書店、2015年)もご紹介しておきますね。

管理人自身における最近の哲学的問題意識でも、

この「三位一体(心・技・体=頭・体・心)問題」に

格別に興味関心の幅が、

人工知能と人間の協働(棲み分け)問題とも相まって

拡がってきていますので、未読状態ではありますが、

興味津々な書物でありますので、

ご興味関心がおありの読者様向けにご案内させて頂きました。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

③その後、トークイベント会場脇で、

<3州同盟会議&仙巌園「島津義弘のふる里展」>を観覧。

土産物には、勇ましく馬上で疾駆する島津義弘公のお姿が

描かれたクリアファイル1枚と

卓上ポストカード1セットを購入することに。

それほど、ひと目に「凛」とした勇姿だったのです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

④その後、このトークイベント会場を出て、

例のおじさんと初対面することになります。

石田三成の本陣跡地「笹尾山」へご同行することに。

IMGP0871

(見えにくいですが、手前の前方に旗印が翻っている

小高い山が、その「笹尾山」です。

その背後には「伊吹山系」が押し迫るようにして存在しています。

以下、すべて管理人撮影。)

IMGP0880

(三成本陣跡地の真下に盟友:島左近の陣地があります。

例の映画『関ヶ原』の爆死??シーンのあった舞台か?

注:島左近の関ヶ原戦役後の消息については諸説あるようです。

ちなみに、島左近の出身地は大和平群の地。

あの戦国の梟雄:松永弾正久秀の信貴山城下ですので、

その「剛」の精神を受け継いだのかもしれません。

また映画内では、柳生家との関わりも描写されていましたが、

このシーンも新鮮でしたね。

とはいえ、上記ウィキペディア『島左近』情報では

<要出典>とされていますので真偽のほどは不確かだそうです。

さらにマニアック過ぎる情報ですが、島左近の陣羽織や軍旗には

『鎮宅霊符神 鬼子母善神十羅刹女 八幡大菩薩』と刺繍されていたことも

新発見。

おそらく、島左近も北辰妙見信仰者だったのかもしれません。)

IMGP0875

(「笹尾山」から眺めた小早川秀秋の陣地があった「松尾山」方面です。

この後で、島津義弘公が「敵中突破」して逃れ往くことになる

「伊勢街道」方面の写真と徳川家康陣地「桃配山」と

その背後にある一段と高い山並みが毛利秀元らが陣取る「南宮山」方面の

写真を並べますが、この3枚の写真を並べて立体的に比較検証してみると

一目瞭然ですが、徳川方は見事に「西軍」に包囲されてしまう形態だった

ことがわかります。

ちなみに後世の第一次世界大戦時の某ドイツ軍人が

この布陣体系は誰がどう見ても「<西軍>絶対優位」だと言ったなどという

まことしやかなエピソードが有名となり一人歩きしていますが、

管理人もこの記事を書くに当たり、より正確性を期すために

調べてみたのですが、どうやらこれも「創作」らしいようですね。

いずれにせよ、三成もまさか秀秋が裏切ろうとは「想定外」だったのか

「想定内」だったかにせよ、

関ヶ原の歴史的教訓から言えることは、

結局は人員や武器弾薬の多数によって勝敗が決するのではなくして、

今も昔も巧みな外交戦略によって決着がついてしまうということです。

すなわち、心理戦・情報戦・思想戦の優劣によって決着されるものと・・・

ですから、絶対に「油断大敵」なのです。

かくまでも「人心」とは読みにくく恐ろしいものなのです。)

IMGP0874

(島津軍団が「敵中突破」して落ち延びていった

「伊勢街道」方面です。

この写真をご覧になられると、東西大混戦の最中に

いかに「剛」の島津軍団であろうと、そのど真ん中目がけて

「兵法36計逃げるに如かず」を地でいくのが難しいものかが

おわかりになるかと思います。

真正面の東西から迫り来る山際あたりから「伊勢街道」が

始まるのですが、細い道であり「烏頭坂」と呼ばれる地で

激戦があったことも目に浮かぶようです。

嗚呼、瞑目合掌。)

IMGP0877

(真正面の高い山が「南宮山」で、

その真下の小高い山が「桃配山」です。

この写真だと、曇りがちだったこともあり

きわめて不鮮明で見えにくいのですが、

家康本陣だった「桃配山」に沿って、新幹線がちょうど走行中でしたので

記念にシャッターを押してみました。

このJR「関ヶ原」駅周辺に沿って、旧中山道の街道筋もあったと

いいます。

現在は往時と異なり、このあたりの宿泊施設は数少なくなりましたが、

その当時は、関所も近いことから、宿場町としても

大いに賑わったようですね。

ちなみに、「関ヶ原」をじっくりと散策されたい方には、

大垣周辺か米原・長浜・彦根あたりのいずれかで

宿泊される方も多いそうですよ。ご参考までに・・・)

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④14時~15時前後 関ヶ原駅を出発し、大垣駅へ。

およそ15分~20分程度で大垣駅着。

大垣城の最終登城受付時間は16時30分だったので、

少し急ぎ気味に。

少しだけ時間に余裕がありましたので、

次回の大垣市内観光の参考として、

郷土館と大垣城の共通入場券金150円で

大垣の歴史と文化に触れることにしました。

IMGP0883

 

IMGP0884

(上の写真が大垣城天守閣。

下の写真が大垣城の城門です。

大垣城内は、市民の憩いとなる公園となっています。)

IMGP0881

(最後の1ショット。

大垣城天守閣最上層から「関ヶ原」方面を眺めた写真です。

すでに夕方で日が暮れかける時間帯になってしまいました。)

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⑤17時~18時30分頃まで

事前に下調べしておいた地元の経済界の方などに

評判の良い家庭料理を用意して下さるママのいる店があるとの情報を

キャッチしたので、電話予約しておいて(席数が少なく、週末にも

なると、<知る人ぞ知る>名店としてすぐに満席になるとか・・・)、

その予約時間までに市内の水場を散策。

地元の神社や路地裏の仏様のいらっしゃるお堂などを経巡り、

「湧き水」も豊富なので、「和らぎ水」用として

少し多目に汲んだりしていました。

大垣は、「水都」で知られる町なのです。

また、大垣は松尾芭蕉の「奥の細道」ゆかりの地でもあります。

(ちなみに、「大垣観光協会」のサイトはこちらから。

西美濃観光案内所」は、JR大垣駅南口を出てすぐ真横にあります。)

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⑥19時30分過ぎ

名残惜しくも、ママやご同席させて頂いた地元の常連客の

皆さんらとお別れし、店を後にすることになりました。

だいたい1時間くらい居たかな。

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⑦20時前後

店から大垣駅までは徒歩でおよそ10~15分程度。

ちょうどほど良い時間に電車に飛び乗ることが叶い、

予定通りだったのですが・・・

少しだけハプニング。

多少の飲み過ぎで眠り込んでしまい、

米原駅で少し寝込んでしまったようです。

近くの親切なおじさんが起こして下さって、

「気を付けて帰るんやで・・・」と声をかけて下さいました。

瞬間、切符をどこに入れて(置き忘れて)しまったのかも忘れてしまい、

急激な不安感が襲ってきたのですが、

何とか必死で探しているうちに何とか無事に見つかりました。

もし、紛失していたらと思うと(冷や汗)

というのも、予備の持ち合わせが足りなさそうな状態だったからです。

皆さん、こんな事態に遭遇しないためにも、

余分に経済的余力を持たしたご準備で出発しましょう。

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⑧23時30分過ぎ

無事、帰阪。

帰宅することが出来ましたとさ。

このような超私的な旅行スケジュールで

ざっくばらんな体験記となりましたが、

これから冬にかけての美濃・飛騨・尾張方面、

あるいは、近江方面も意外な「穴場」かもしれませんよ。

地元の「銭湯」などを発見して頂くのもありかと思います。

(ちなみに、大垣の銭湯情報はこちらをご参照願います。

但し、銭湯業界受難の時代ですから、

2017年10月現在すでに廃業されている浴場もあるかと

思いますので、各自でのご確認をお願い申し上げます。

管理人も大垣へ再訪する機会などあれば、

地元観光案内所などで確認しておきますので、

より正確な銭湯情報など確保・判明いたしましたならば、

いずれ追加更新情報を皆さんへお届けさせて頂く予定でいます。

次回の更新がいつになるかは確約できずに申し訳ございませんが、

お待ち下さると幸いであります。)

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ということで、『秋の関ヶ原慕情編2017』はいかがでしたでしょうか?

あまり皆さんのご参考にはならなかったかもしれませんが、

皆さんには皆さんの独自の志向性で

これからの「旅路」を楽しんで頂ければと思います。

それでは、今回はこのあたりで閉幕させて頂くことにしますね。

<追伸>

皆さん、この数日間は超大型台風が押し迫っているといいますので、

十分な身元安全にご配慮のうえ、お過ごし下さいませ。

明日は衆議院議員総選挙最終日。

投票がまだお済みでない方には、

台風情報に十二分なご注意のうえ、

「社会的意思」のご表明をあらためてお願い申し上げます。

<居心地良い>社会は、皆で協力して生み出すものです。

それが、本来の政治的「自治」のあり方だからです。

宜しくお願い申し上げます。

いつもながら最後までお読み頂きありがとうございました。

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2 Responses to “松原隆彦先生の『目に見える世界は幻想か?~物理学の思考法』 数式・図表を一切用いずに優しく解説された文系向け物理学入門書”

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