リチャード・セイラー教授の『行動経済学の逆襲』主流(合理)派経済学界に挑んだある学者の歩みとともに学ぶ行動経済学入門書

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『行動経済学の逆襲』

今、世界経済が混迷する中で従来型の「合理的」経済人を

大前提として堅固に構築されてきたかのように見える

<主流派>経済学界に挑戦されてきたリチャード・セイラー教授による

行動経済学入門書。

行動経済学とは、人間の心理のうち特に「情動反応」に焦点を当てながら

現実経済社会における「限定」合理的行動形態に力点を置いた

反主流派経済学であります。

今回は、この本をご紹介します。

『行動経済学の逆襲』(リチャード・セイラー著、遠藤真美訳、早川書房、2016年再版)

リチャード・セイラー教授(以下、著者)は、

米国のシカゴ大学ブース・スクール・オブ・ビジネス教授で

全米経済研究所の研究員を務められている行動経済学者です。

とりわけ金融政策を人間行動の側面から解析する

行動ファイナンスをご専門とされているといいます。

著者は、ダニエル・カーネマン氏やエイモス・トヴェルスキー氏とともに

一見して強固な経済学理論を構築してきたかに思われた

<主流派>経済学界の盲点を激しく突き上げながら

新たな経済学理論を模索創造されてこられました。

行動経済学開拓者の一人であります。

2017年現在における世界経済混迷の中で我が国でも注目されている

<情報の非対称性>マクロ経済学者ジョセフ・スティグリッツ教授などによる

従来型経済学理論を批評査定されてきた反主流派経済学知見とともに

少しずつ一般にも知られるようになってきたのが<行動経済学>という

経済学の一部門であります。

そのように今では一般的にも普及しつつある行動経済学ですが、

この学派が形成されるに至るまでは数多くの主流派経済学者との大きな軋轢が

あったといいます。

本書は、そんな黎明期の行動経済学創始の軌跡を著者の学者人生の歩みとともに

ユーモラスに語られた行動経済学「入門書」であります。

その詳細な軌跡については追って本文中でご紹介させて頂くことにしますが、

著者の批判的視点の中核をなすキーワードは、

<ホモエコノミカス(合理的経済人)=著者の表現では略して『エコン』>といった

従来の経済学が設定してきた人間モデル批判であります。

この『エコン』批判を主題に据えながら、従来の主流(合理的期待形成)派経済学モデルの

反証をなす豊富なアノマリー事例を通じて、一般人にとっては取っ付きにくい感のある

難解な行動経済学の概要が解説されていきます。

著者のユニークで面白い点は、

著者自身もその合理的期待形成学派の牙城とも呼ばれる

シカゴ学派の中にいるど真ん中から雄叫びを上げられたことにもあります。

シカゴ学派は今も圧倒的に世界に多大な影響を与えていますが、

その経済学理論がいわゆる「新自由主義」路線の行き詰まりとともに

貧困と格差を押し広げた元凶だとも評されたために

最近では下火になりつつあるようです。

(とはいえ、まだまだ根強い勢力ではありますが・・・)

そんな流れの中で先にご紹介させて頂きましたジョゼフ・スティグリッツ教授などの

批判的反論意見とともにニューケインジアン(現代版ケインズ経済学理論)が提唱してきた

経済学理論も復権してきているようです。

著者もケインズを再評価されておられるようですね。(本書295頁ご参照のこと。)

特に上記シカゴ学派は金融政策(金融市場)重視の立場を採用してきたために

金融面におけるケインズの洞察が軽視される傾向にあるとも

しばしば批判されています。

またシカゴ学派は、法律学と経済学をミックスさせたいわゆる「法と経済学」派を

多数養成し、世界の主立った大学や企業・国家政策機関へと供給されていったことから

今や大きな政治的学派にまで成長するに至っています。

著者は、こうした流れにも異議を提出されています。

とはいえ、著者にも『リバタリアンパターナリズム』といった

興味深い着想をお持ちのようです。

この観点には管理人自身も従来型の保守的温情思想の限界や盲点に対して

常々問題意識も抱いてきただけに個人的には大変参考になった見解が含まれていました。

この『リバタリアン・パターナリズム』から、

著者独自の『ナッジ』(自発的な選択・誘導を促す思考のこと)理論が生み出され、

現在徐々に世界各国の政策理論にも導入されているといいます。

その『ナッジ』理論が日本でも知られるようになったきっかけの書物として

著者の『実践 行動経済学~健康、富、幸福への聡明な選択~』

キャス・サンスティーン氏との共著、日経BP社、遠藤真美訳、2009年)

ございます。

また邦訳されている類書には、

『市場と感情の経済学~「勝者の呪い」はなぜ起こるのか』

(篠原勝訳、ダイヤモンド社、1998年)

『セイラー教授の行動経済学入門』(同上、2007年)もございます。

それでは前置きも長くなりましたので、そろそろ本題へと移らせて頂きますね。

ということで、今回は著者の行動経済学者としての歩みから

本書を通じて現代シカゴ(経済)学派の裏事情や各国の経済政策立案に反映される過程など

行動経済学の最前線を学び始めるに適した入門書の一冊として

取り上げさせて頂くことにしました。

『エコン(合理的経済人)』を暗黙の大前提に据えた従来型の経済学理論に鋭く切り込むセイラー教授

それでは、本書の内容構成に関する要約に入っていきましょう。

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その前に本書を読まれる際のご留意点です。

本書には、著者が

主流(エコン=合理的経済人を経済理論モデルの中核に据えてきた)派経済学者によって

構築されてきた従来の経済理論を反証する数多くのアノマリー事例を

紹介解説することを通じて、行動経済学の誕生によって示唆することが可能になった

経済学の知見が提示されています。

経済学の素養をあまりお持ちでない一般読者さんにとっては、

行動経済学に特有な専門用語が数多く出てきてご一読された限りでは

理解困難な箇所も多々出てくるかと思われます。

本書はあくまで一般向けの書物の性格上、

ユーモア感たっぷりな口語調文体が取り入れられるなど

著者もそれなりの教育的配慮はなされていますが、

それでも説明に難解な点が感じられるかと思われます。

例えば、ゲーム理論などに関する論点です。

その時には適宜ご自身の興味関心あるテーマだけに絞って

飛ばし読みされることもご検討下さいませ。

著者も、読書上のサンクコスト(「機会費用」だとか「逸失利益」と

訳されることが多い経済時間上のロスのこと。

費やした時間の「元を取り戻そう」とする振る舞いをイメージされると

わかりやすいでしょう。詳しくは前にもご紹介させて頂きました

柳川範之先生の『元気と勇気が湧いてくる経済の考え方』の書評記事

ご参考になるかと思います。)の例として、

『本書を読むにあたっては、私から助言したいことが1つだけある。

この本を読んで楽しく感じなくなったら、読むのをやめてほしい。

楽しくないのに読み続けるというのは、それこそ”誤ったふるまい”に

なるだろう。』(本書30頁)とも。

そんな軽いジョークも飛ばしながらの助言ですが、

本書を通じての行動経済学に関する理解が難しかったと思われた読者様のために

本記事末尾にも管理人が読んだ書物の中で

比較的「入門書」として読み進めやすいと思われた

ご参考文献をご紹介しておきますので、

本書を読み進められていく過程で「どうも説明が難解でくどいなぁ~」(笑)と

感じられた論点につきましては、

適宜こうした参考書とともに読み合わせられることもお薦めいたします。

出来るだけカラーの図表入りの「入門書」がいいでしょう。

もちろん、すでに読者様がお持ちの書物でも構いませんよ。

本書は、行動経済学によって導き出された知見の解説よりも

行動経済学そのものが誕生していった経緯や

著者の研究者人生の歩み方に関する記事の方が参考になるかもしれませんね。

(特に学者や一般コンサルタント志望の方など)

あるいは、現代主流派経済学(ことに現在世間を席巻している

シカゴ学派<通称、シカゴ・ボーイズ>の裏事情など)の話題も

面白い論考だと思います。

さて、行動経済学では

このようにサンクコストという考え方が随所に出てきます。

そこで読書上のサンクコストの話題を出させて頂きましたついでに

もう少しだけこのテーマについて語っておきましょう。

読書の方法論には人それぞれの取り組み方があるかと思いますが、

まずはご自身にとって面白く役立つと思われた箇所から読み進められるのが

一番オーソドックス(正統)な読み方ではないでしょうか?

特に本書のような一読して理解が難しそうな書物を読み進められる際には

ざっと最初のまえがきや目次、あとがきなどに目を通された後に

興味関心あるテーマへと移られ、読者諸氏の疑問を感じられた箇所や

理解困難だったと思われた箇所に

いちど時間を置いてから再挑戦されるのもよいでしょう。

是非皆さんに合った読書論を研究してみて下さい。

いわゆる「本の正しい読み方」は難しいテーマですが、

ご参考までに管理人の座右書でもある

①『本を読む本』(M.J.アドラー/C.V.ドーレン共著、

外山滋比古/槇未知子共訳、講談社学術文庫、2016年第58刷)

②『読む技術 考える技術~知識の吸収力を高める、頭の整理法~』

(白取春彦著、三笠書房知的生きかた文庫、1998年第1刷)

③『カリスマ受験講師の論理的に考える、私の方法』

(出口汪著、同上、2001年第1刷)などをご紹介しておきますね。

②と③は管理人の学生時代からの愛読書でもあります。

ということで、皆さんにもサンクコストの考え方を十二分に

ご配慮頂くようお願い申し上げます。

(もちろん、管理人による本記事もですが・・・

本書評記事よりも「わしゃ(儂は)はよ(一刻も早く)、その本を読みたいんだ!!」と

おっしゃられる方には無理には引き留めませんので、

どうぞ本書を読み進められる時間の方を大事にしてやって下さいまし。

あくまで、管理人は読者様への良心的ご奉仕を理念に据えた運営を

心がけるようにしていますので、損得勘定を可能な限り排除した

遊び心を大切にしていますから・・・

ちなみに、本文内でも本書ご紹介とともに語らせて頂く予定ですが、

モチベーション維持にもこの損得勘定抜きの行動姿勢が

意外にも効果的のようですよ。特に、学力や仕事力向上などの点で。

管理人同様にブログ創作などをされておられる方なら

きっと同感して頂けるのではないでしょうか・・・)

まぁ、これ以上のご託を並べることは止めておくことにしましょう。

「じゃぁそれでは、次の曲ならぬ記事に移らせて頂きましょう・・・」

管理人の敬愛するバンドリーダーのMC口調みたいですが・・・

管理人もこのバンドのようにサービス精神を大切にしていきたい

願っています。

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ここからは本題に入りますね。

(いつもながら、前置きが長くてごめんなさいね・・・)

<目次>

・まえがき

<第1部 エコンの経済学に疑問を抱く 1970~78年>

・『第1章 経済学にとって”無関係”なこと』

・『第2章 観戦チケットと保有効果』

・『第3章 黒板の「おかしな行動リスト」』

・『第4章 カーネマンの「価値理論」という衝撃』

・『第5章 ”神”を追いかけて西海岸へ』

・『第6章 大御所たちから受けた「棒打ち刑」』

第1部では、著者が行動経済学に興味関心を抱かれ

この学問分野を職業にされていくきっかけとなった大学院時代のエピソードから

語られ始めます。(第2章)

著者がこのように従来の「合理的経済人(エコン)」を理論モデルに組み込んだ

主流(超合理)派経済学理論に対して異議申し立てすることを通じて

非「正統派」経済学の構築へと立ち上がられた理由は第1章で詳細に語られています。

とはいえ、著者はこの主流(合理=エコン)派経済学モデルから得られた

これまでの知見を全面的に放棄すべきではないともされています。

これまでの経済学モデルの限界・盲点を「より人間的な」観点を取り込むことに

よって、より現実に即した精緻な経済学理論モデルへと高度進展化させることこそが

行動経済学の主要な役割だと本書では繰り返し強調されています。

『私たちに必要なのは、経済を研究するための豊かなアプローチである。

それはヒューマンの存在を認めて、モデルに組み込むアプローチだ。

だからといって、経済や市場はどう動いているかということについて、

私たちが知っていることを全部捨てる必要はない。

人間はすべてエコンだと考える理論を放棄してはいけない。

これはより現実に近いモデルを構築する出発点として使うことができる。

それに、解決しなければならない問題が単純であるとか、問題を解決するのに

必要な高い専門能力を当事者が備えているとかいったような場合には、

エコンのモデルは現実世界のよい近似になるだろう。』(本書26頁)

されど・・・

このような状況は例外的なものである。』(同上)

このように現代主流派経済学理論が対象とするのは、

いわば「エリート(経済)人間」型モデルなのです。

このあたりに、昨今の「格差(経済的不公<正>。不公平ではなく)」問題が

一向に解決・改善し得ない要因も含まれているようなのです。

上記スティグリッツ教授もしばしば用いられる表現のように

「99%のための」経済を取り戻すためにも

行動経済学が得意とするヒューマン要素が不可欠となるということです。

著者はこの行動経済学を開拓する問題意識として下記のようにも

語られています。

『エコンという架空の存在を想定して、その行動を記述する抽象的なモデルを

開発するのをやめる必要はない。しかし、そうしたモデルが実際の人間の行動を

正確に記述しているという前提に立つのはやめなければならない。

そんなまちがった分析に基づいて政策を決めることもだ。

そして、エコンのモデルでは意思決定とは無関係とされている要因

目を向ける必要がある。』(本書28頁)

経済学が「科学」と称するからには、

より現実に即した理論の予測可能性(精度)を高める必要があるからでも

あります。

さて、このように行動経済学が目指す理念を提示された後、

いよいよ第2章以下で具体的にこの分野から獲得されてきた知見が

披露されていきます。

紙数の関係上、詳細な内容は本書の各該当項目をお読み頂くこととしまして、

ここでは省略させて頂くことにします。

まとめますと、行動経済学と従来の「エコン」派経済学との大きな相違点は

前者が、人間とは認知能力に限界のある<限定>合理性を抱え込んだ

生物だということを大前提にモデル設定させた経済学理論だということに尽きます。

この<限定>合理性を提唱したのが、行動経済学の草分け的存在でいらっしゃる

ダニエル・カーネマン氏やエイモス・トヴェルスキー氏でありますが、

彼らが問題提起した理論については、第4章をご一読下さいませ。

また、第6章では著者が従来の「エコン」派経済学者から受けた

主要な批判点が列挙されています。

この批判論点を乗り越えていく論考が本書全体での課題であります。

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<第2部 メンタル・アカウンティングで行動を読み解く 1979~85年>

・『第7章 お得感とぼったくり感』

・『第8章 サンクコストは無視できない』

・『第9章 お金にラベルはつけられない?』

・『第10章 勝っているときの心理、負けているときの心理』

<第3部 セルフコントロール問題に取り組む 1975~88年>

・『第11章 いま消費するか、後で消費するか』

・『第12章 自分の中にいる「計画者」と「実行者」』

※第1部での問題設定から

著者は<メンタル・アカウンティング(心理的会計)>

<セルフコントロール問題>へといよいよ研究の矛先を向けられていくことに

なります。

第2部第10章の論点は後に触れさせて頂きます

第6部における論考と相まって、

特に投資家の方にとっては有益な情報を提供してくれるでしょう。

第3部の主要論点は、経済学と時間に関する重要テーマであります。

時間に関しての行動経済学者からの知見と従来の「エコン」派経済学者との

知見との相違点が詳細に解説されています。

また、第12章では先に少し触れましたモチベーション維持に関する

有名な心理学研究であるマシュマロテストについても解説されています。

ここでは、<現在バイアス>がテーマとなっています。

こうした事例を取り上げながら、従来の「エコン」派経済学によれば

無関係とされていた要因のうちの1つである「選択=意志決定」問題の

重要性について強調されています。

この「選択=意志決定」問題こそ、もっともヒューマンな問題として

行動経済学では探究されています。

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<幕間>

・『第13章 行動経済学とビジネス戦略』

※<幕間>では、ビジネスに役立つ行動経済学の知見を活用した

具体的戦略事例について、著者自身による取り組みについて

語られています。

『スキー場の黒字化作戦』(本書170~178頁)と

『GMの在庫問題』(本書178~182頁)が

その具体的話題となっています。

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<第4部 カーネマンの研究室に入り浸る 1984~85年>

・『第14章 何を「公正」と感じるか』

・『第15章 不公正な人は罰したい』

・『第16章 マグカップの「インスタント保有効果」』

※第4部では、著者とダニエル・カーネマン氏との共同研究によって

獲得された一定の知的成果が語られています。

特に、音楽業界や現在大流行中のシェアビジネス業界で観察された

現象事例を行動経済学の観点から捉えた「信用問題」に関する記事

(第14章 本書197~204頁)などは関連業界に属する方にとっては

大変ご参考になる知見も得られるのではないかと思います。

第15章では「ゲーム理論」における有名なテーマである

<囚人のジレンマ>についての考察も紹介されています。

第16章では、マグカップのインスタント<保有効果>実験

(<保有効果>については、第2章もご参照のこと。)などを取り上げながら、

<損失回避性>と<現状維持バイアス>がもたらす心理的経済効果について

触れられています。

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<第5部 経済学者と闘う 1986~94年>

・『第17章 論争の幕開け』

・『第18章 アノマリーを連載する』

・『第19章 最強チームの結成』

・『第20章 「狭いフレーミング」は損になる』

※さて、この第5部からが著者の面目躍如たる活躍どころですが、

シカゴ学派の牙城であるシカゴ大学での学術会議における

大論争から次の第6部における効率的市場仮説に立ち向かう挑戦が始まります。

ことに「合理主義チーム」の現代シカゴ経済学派の重鎮の1人

<合理的期待形成理論>で知られるロバート・ルーカス氏らとの意見の対立から

「行動主義チーム」の著者らとの間に大きな溝があるかのように

世間では何かと誤解されがちですが、

要は、双方の視点を加味させることによって

より精緻な現実に即した経済学理論を

「再」構築させていく志向性を持ち合おうということに

主要な願いがあったとのことです。

(「行動主義チーム」に経済学分野における不可能性定理を提唱した

ケネス・アロー氏が加わっているのも興味深いところです。

ケネス・アロー氏の「不可能性定理」については、

こちらの記事もご参照下さいませ。)

この大論争の「結論」としては、

次の誤った言明を解消させていく姿勢にあると強調されます。

①「合理的モデルは役に立たない」

②「すべての行動は合理的である」

(本書235頁ご参照のこと。)

この両極端な立場を相互克服していくことが

今後の経済学の課題だと第34章における抱負とともに

最終的には集約されています。

いずれにせよ、双方の見解に固執して他の可能性をまったく考慮しないような

「狭いフレーミング」は大損になるという結論へと導いてくれます。

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<第6部 効率的市場仮説に抗う 1983~2003年>

・『第21章 市場に勝つことはできない?』

・『第22章 株式市場は過剰反応を起こす』

・『第23章 勝ち組のほうが負け組よりリスクが高い』

・『第24章 価格は正しくない!』

・『第25章 一物一価のウソ』

・『第26章 市場は足し算と引き算ができない』

第6部は、

第2部『第10章 勝っているときの心理、負けているときの心理』

(本書124~130頁)や

第5部『第20章 「狭いフレーミング」は損になる』

(本書263~284頁)とともに

特に投資家に対する有益な論考を提供して下さっています。

この第6部は、<行動ファイナンス>学者としての

著者の専門知見がフル活用されているところです。

ここでは、米国住宅市場「価格指数」で使用されている

シラー指数の名付け親ロバート・シラー氏の研究成果が

効率的市場仮説に衝撃を与えた論考内容についても解説されています。

とはいえ、現在でもこのシラー氏の示唆された重大な教訓は

軽視されているようですが・・・

また、第25章では、資本主義では大原則とされる「一物一価の法則」が

意外にも機能していない諸相も提示されています。

日本でも特に「不動産」市場では多種多様な価格設定が存在するように

「一物一価の法則」の例外現象が数多く見受けられることも

かのバブル期以降よく知られるようになってきたところですが、

この第25章では主に「株式(債券等)」市場における価格について

分析されています。

本章では、投資家の間で読み継がれてきたという

「効率的市場派」の立場から書かれた

名著『ウォール街のランダム・ウォーカー<原著第11版>

~株式投資の不滅の真理~』

(バートン・マルキール著、井手正介訳、日本経済新聞社、2016年)

によって示された投資戦略についても紹介されていますが、

その投資戦略が「常に当てはまるわけでもない」例外現象(アノマリー事例)を

著者も発見されたことから、シカゴ学派の金融経済学者マートン・ミラー氏の

逆鱗に触れた内情も明らかにされています。

(なお、上記『ウォール街のランダム・ウォーカー<原著第11版>

~株式投資の不滅の真理~』

(バートン・マルキール著、井手正介訳、日本経済新聞社、2016年)

に関する簡潔かつ優れた書評が、

管理人がいつも陰ながら応援させて頂いている

『京都アカデメイア』様の書評記事に掲載されていますので、

ここで併せてご紹介させて頂くことにします。

なお、当ブログでも積極的な株式等投資を推奨するような勧誘目的から

本書をご紹介させて頂いているわけではありませんので、

投資される方にはくれぐれも自己責任にてお願い申し上げます。

当方では法律や税金面でのご相談にはあずかれませんので、

各自信頼のおける専門家に相談をご依頼されることをお薦めいたします。

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<第7部 シカゴ大学に赴任する 1995年~現在>

・『第27章 「法と経済学」に挑む』

・『第28章 研究室を「公正」に割り振る』

・『第29章 ドラフト指名の不合理』

・『第30章 ゲーム番組出場者の「おかしな行動」』

<第8部 意思決定をナッジする 2004年~現在>

・『第31章 貯蓄を促す仕掛け』

・『第32章 予測可能なエラーを減らす』

・『第33章 行動科学とイギリス気鋭の政治家たち』

・『第34章 今後の経済学に期待すること』

※第7部での「法と経済学」に関するテーマと第8部における

著者の提唱された『ナッジ』理論については項目をあらためて

語らせて頂くことにします。

このように行動経済学によってもたらされた様々な知見は

すでに多くの経済市場やその他の政治・社会文化政策の場面などで

積極的に導入されていますので、

一般の方にとっても、もはや無視し得ない情報であります。

是非この機会に入門書レベルからで構いませんので

仕入れておいても決して損になる知識ではありませんから

各自の「情報リテラシー」能力を養成する一助としても

ご活用下さいませ。

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・「謝辞」

・「図表の出典」

・「参考文献」

・「原注」

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『ナッジ』理論と『リバタリアン・パターナリズム』思想から芽生え始めた新しい経済学への期待

それでは残りの紙数で取り残しておいた「法と経済学」に関する概要や

著者の『ナッジ』理論のアイディアにも反映されたという

『リバタリアン・パターナリズム』について

若干程度触れさせて頂くことにしますね。

第27章では、著者がある学者から自ら主催する学術会議にて

行動経済学を法学へ応用させることに関する基調講演を依頼されたことにより

「法と経済学」という学際分野に興味関心を抱き始めたきっかけなどから

語られ始めます。

日本でも1990年代後半から2000年代初頭頃にかけて

公的部門への民間活用という流れの過程で

多種多様な「民営化」路線の政策効果を効率的に計量させ得る物差しとして

徐々に「法と経済学」というテーマが盛んに議論され始め、

大学などの教育機関でも講義に取り入れられるようになりました。

このようにして今日の規制緩和(撤廃)政策や

公共設備に対する財政・運営面で導入されることが多くなったPFI方式、

経済「特区」構想などでの政策効果評価手法の一部にも

その知見が活用されるようになりました。

とはいえ、近現代社会における政策モデルを形成させるうえで

法学や経済学が提供してきた知見が大前提とする人間像には

現実とあまりにもかけ離れた人間モデルが採用されてきたことから

理想と現実の間に相当な乖離が生じてきた諸現象事実も

多々見受けられたのでした。

その乖離要因の大本こそが、

今回のテーマで語り続けてきました「合理的」人間という

人間モデルだったのです。

このような「法と経済学」が用いてきた伝統的なアプローチでは

数多くの限界点が見出されてきたことから、

それに代替する新たなアプローチが待望されていたのでした。

つまり、現実社会では<神の見えざる手>(自然発生的に社会を微調整してくれる

因果法則が暗黙裏に組み込まれているとする楽観イメージを象徴させた比喩表現)など

存在しないということです。

経済市場に置き換えて表現すると、

<市場に委ねればすべてがうまくいく>ことなどあり得ないということでもあります。

このような従来の「法と経済学」が暗黙裏に大前提としてきた人間像を

転換・修正させながら、より現実社会に合致した理論(政策)モデルの改善を

図ろうと試みるうえで役立つ知見を提供してくれたのが

著者などが取り組んでこられた行動経済学だったのでした。

著者は、『人間の3つの限界』として<限定合理性>、<限定意志力>、

<限定自己利益>という3つの側面から従来のモデルへと挑戦されていったのです。

そのような問題提起を試みた際に法学面から支援してくれた法学者が

著者の相棒(共著者となることが多くなった)となったキャス・サンスティーン氏でした。

このキャス・サンスティーン氏との共同戦線から

この「法と経済学」の世界を新規開拓していこうとされるのですが・・・

そこには、やはり批判派の大きな壁があったようです。

この「法と経済学」での<合理主義チーム>と<行動主義チーム>における

議論上の対立・相違点に関する詳細は本書をご一読して頂くことで

省略させて頂きますが、その急先鋒の学者には

日本でも一般向け啓蒙書が出版されたことで著名になった

法学者リチャード・ポズナー氏や

第29章で触れられている経済学者ゲイリー・ベッカー氏などがいます。

本書における前者に対する反論は<コースの定理>批判、

後者に対する反論は<ベッカー予想>批判として提出されています。

<コースの定理>とは、『取引コストが存在しないならば、つまり、

人々が互いに簡単に取引できるなら、資源はそれを最も高く

評価している者の手に渡る』(本書364頁)というものです。

一方の<ベッカー予想>とは、『競争的な労働市場では、

エコンのように仕事を遂行できる人だけが、重要な地位につける』

(本書386頁)とする仮説であります。

とこのように両「仮説(予想)」をご紹介させて頂きましたが、

皆さんの日々の常識的判断からもすぐに推察して頂けるように

現実社会では、このような<完全(競争)市場>だとか

<完全無欠な豊富な資源(=完全情報や社会的コストを金銭ですべて

賄える経済力など)>を有する条件を兼ね備えた「合理的」人間など

およそ存在し得ないことは容易におわかり頂けるかと思います。

こうした理由もあって、近年では

<情報の非対称性>の側面から

あるべき経済政策(理論)を論じられてきた

ジョセフ・スティグリッツ教授などの見解に

多大な関心が集まっていることもあります。

上記<ベッカー予想>の反証例としては、有名な<ピーターの法則>も

含まれているといいます。(本書406~407頁)

このような視点から「合理的」人間による現実社会形成が

はなはだ非現実的であるのは、各人が持つ社会における「初期」条件によって

すでに最初から「選別」されてしまっているところにもあります。

数多くの社会政策では、この「初期」条件を緩和させることを支援する

政策メニューが用意されていますが、

多くの人間にとっては「狭き門」が待っています。

このような「経済力」の限界だけで、

社会での積極的参加への道が閉ざされてはあまりにも不公正かつ不公平でしょう。

特に、教育を受ける機会が「経済力」だけで閉ざされるようなことが

あってはなりません。

こうした教育政策の改善にも、

行動経済学は様々な知見を提供してくれているようですね。

(本書484~486頁)

最後に、著者が『ナッジ』(自発的な選択・誘導を促す思考のこと)理論を

生み出す母胎となった思想について触れておきましょう。

それが、『リバタリアン・パターナリズム』です。

「リバタリアン」とは、日本では通常「自由至上主義」と訳されることが多い

思想価値であるようですが、必ずしも「自由至上」というわけでもありません。

このあたりは、よく誤解されることもあるところです。

「リバタリアン」の本質は、あくまで<自発的>選択意志決定を

最大限尊重するという点に主眼があります。

ただ、著者も指摘されていますが、

誰もが<自発的>選択意志決定能力に優れた「合理的」人間とは限りません。

社会秩序(「秩序」という表現に強制的なニュアンスを読み取られ、違和感を

持たれる方には「安定(安寧)」という表現の方が柔らかく感じられるのでしょうか?)

の維持を図るうえでは、ある程度の「お節介な」ルール設定も不可欠でしょう。

その「お節介」を難しい言葉で、

「パターナリズム」という表現でもって

法学などの学問分野では通常呼び慣わされています。

訳者もこの「パターナリズム」を「家父長的温情主義」(本書373頁)として

翻訳されていますが、この一般的な「余計なお節介主義??」には

あまりいいイメージがないようです。

著者の両思想に込められた想いを正確に表現すれば、

『私たちがパターナリズムと言うときには、人々が自分自身の目標を

達成するのを支援しようとすることを意味する。あなたが誰かに最寄りの

地下鉄の駅にどう行けばいいか尋ねられて、正しい行き方を教えたら、

私たちの用法では、あなたはパターナリストとして行動していることになる。

また、「リバタリアン」という言葉は、選択肢を制限することなく、

人々が自分自身の目標を達成するのを支援しようとしていることを意味する

形容詞として使っている。』(本書447頁)と・・・

こうした双方のバランスの取れた中道的観点から

著者は、『ナッジ』理論の原型となる価値体系を創出されました。

もっとも、著者も『ナッジによってあらゆる問題が

解決するなどと言おうとしていたわけではない。』(本書448頁)と

捕捉意見も提出されていますが・・・

著者が『ナッジ』理論を推奨される際には、

『私はいつも「よい方向へと導くナッジを」』と書き添えられることが

多いそうで、

あくまで『ナッジ』そのものも『道具でしかない』(本書474頁)と

強調されておられます。

この『ナッジ』理論を実際の政治現場で政策当事者が取り入れる際には、

<選択促進>と呼ばれることもあるようです。(本書453頁)

いずれにせよ、著者が本書の主題である行動経済学の知見の紹介を通じて

強調されたかった最大論旨とは、

「議論が(価値観の激しく対立する中で)噛み合わなくなる状況を

可能な限り回避させることでいかに建設的な対話を

成し遂げることが叶うか」というところにあったように思われます。

まとめますと、著者が言いたかったことも

人間は「合理」的でも「非合理」的でもない<限定合理>的な性格を

保持した存在だということを強調されたかったのだと思います。

こうしたバランス感覚が、

昨今の論壇や実際の政策立案現場などを観察していても

著しく欠けているのではないかと管理人も日々感じられてきただけに

著者が提供して下さった知見には共感することが多々ありました。

とはいえ、著者はこのように行動経済学から得られた知見を

「よい方向へ」活用されることを念頭に提言されていますが、

現実社会では、これを人間の「情動反応」に働きかけることを通じて

悪用される事例が後を絶たないこともまた一面の真実であるようです。

現代社会が、人間の「欲望(情動)」に力点を置きながら進展していった

過程を鑑みると、一度立ち止まって考え直すゆとりが今ほど重要な時期も

ないのではないでしょうか?

そんな意味で、著者自身による『ナッジ』理論へ込められた想いはともかくとしまして、

現状の世間一般的な『ナッジ(誘導)』には十二分な注意を払いましょう・・・

いうところで今回のオチは決まったようです。

ということで、本書は行動経済学の知見を参考に

各人各様に自由に考えながら

現実社会を乗り切るために役立つ数多くの思考実験例が紹介されていますので、

是非皆さんにも本書をご一読されながら、

より良き社会判断能力を高めて頂く一助としてご活用されることを

お薦めさせて頂きます。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

最後にご参考文献を列挙しておきますね。

まず、<行動経済学>に関しての入門書として

①『マンガでわかる行動経済学』

(ポーポー・プロダクション著、SBサイエンス・アイ新書、2015年初版第2刷)

②『図解雑学 行動経済学』

(筒井義郎/山根承子共著、ナツメ社、2011年)

③『「ココロ」の経済学:行動経済学から読み解く人間のふしぎ』

(依田高典著、ちくま新書、2016年)

以上の3点は比較的図表入りでカラー刷りの見栄え良い本ですので、

取っ付きやすいかと思います。

③につきましては、同じ著者の中公新書から刊行された

『行動経済学~感情に揺れる経済心理~』(2010年)よりは

読みやすいかと思います。

このあたりは読者さんの好みの問題ですが・・・

④『行動経済学~経済は「感情」で動いている~』

(友野典男著、光文社新書、2006年)

本書の座右参考書としてご紹介しておきます。

また、投資家さんを対象にした本としては、

本文内でご紹介させて頂いた

①『ウォール街のランダム・ウォーカー<原著第11版>

~株式投資の不滅の真理~』

(バートン・マルキール著、井手正介訳、日本経済新聞社、2016年)

②『投資賢者の心理学~行動経済学が明かす

「あなたが勝てないワケ」~』

(大江英樹著、日本経済新聞出版社、2015年)

そして、教育面での心理学実験として本文内で

ご紹介させて頂いたマシュマロテストについては、

①『マシュマロテスト~成功する子・しない子~』

(ウォルター・ミシェル著、柴田裕之訳、早川書房、2015年)

ご紹介しておきます。

(ちなみに、昨年の春先にご紹介させて頂きました

『マインドセット』に関する本もかなりお薦めです。)

さらに、ジョセフ・スティグリッツ教授の知見に関して

わかりやすい一般啓蒙書として、

①『非対称情報の経済学~スティグリッツと新しい経済学~』

(藪下史郎著、光文社新書、2002年)

②『スティグリッツ教授のこれから始まる

「新しい世界経済」の教科書』

(ジョセフ・スティグリッツ著、桐谷知未訳、徳間書店、2016年)

そして最後に音楽業界からマーケティングが学べる好著として

これまた名著ですが、

①『グレイトフルデッドにマーケティングを学ぶ』

(デイヴィッド・ミーアマン・スコット/ブライアン・ハリガン共著、

糸井重里監修、渡辺由佳里訳、日経BP社、2011年)

も併せてご紹介しておきましょう。

最後までお読み頂きありがとうございました。

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3 Responses to “リチャード・セイラー教授の『行動経済学の逆襲』主流(合理)派経済学界に挑んだある学者の歩みとともに学ぶ行動経済学入門書”

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