笑って元気を出していこう!!野村萬斎さんの「狂言サイボーグ」!?全身コミュニケーション術を身につけよう!!
いきなりですが、皆さん最近「笑って」いますか?
世の中は、「気の流れ」で動いています。
元気が出てこないことには、景気も良くなりませんね。
元気がないのは、気が一カ所に滞っているためです。
「知性偏重社会」
頭だけで世の中を渡ろうとしても、行き詰まるだけです。
だからこそ、「全身コミュニケーション術」を学んでみませんか?
それには、まず「型」から入らなければなりません。
そこで、今回はこの本をご紹介します。
「狂言サイボーグ」(野村萬斎著、文春文庫、2013年)
※ 2001年に日本経済新聞出版社から刊行された単行本を「文庫化」したものです。
野村萬斎さん(以下、著者)は、狂言方和泉流に所属する「能楽師」であり、
俳優です。
俳優としては、やはり映画「陰陽師」「陰陽師Ⅱ」の主人公「安倍晴明」の
印象が強いですよね。
和泉流といえば、「狂言」に興味関心がない方でも「和泉元彌」さんの
「和泉流宗家継承騒動」でご存知かもしれません。
実は、現在も「和泉流宗家」は空位だとか・・・
それはともかく、野村萬斎さんの人気は絶大なものがあります。
管理人は「能楽・狂言観賞」も趣味なので、正月の「翁・三番叟」などを
見るときは「緊張感に満ちた新鮮な」気分を味わいます。
そんな著者が、今回は「狂言師から見た身体論」を語っています。
一読されれば、またひと味違った著者の素顔や考え方に触れることが
出来るかと思います。
さて、現代日本には「元気がない」ような感じがします。
「気の巡り」が悪いのでしょうか?
景気の方も「にわか景気」のようで、まだまだ世間一般に
活気が湧いてくるのには時間がかかりそうです。
ところで、皆さんは最近「笑って」いますか?
元気が腹の底から湧いて来ないのは、気が一カ所に滞っているからだといいます。
現代社会は、頭を使った「仕事」が増えてきているためか
頭に血が上って「イライラ」する人も多いようです。
そこで、今回は凝り固まった頭をほぐし、笑いによって全身を柔らかく
していこうとこの本を取り上げてみました。
自由に振る舞う術は、「型」から!!
著者は、「狂言方」の家に生まれたことから幼少時より
狂言の「型」を仕込まれて育ってきたと語っています。
著者自身は、今もって「僕はどうして狂言師にならなければならないの?」と
自問自答しながら「狂言師像」を日々模索中だともおっしゃっています。
「答えは狂言をやり続けることでしか得られない!!」と・・・
そうはいっても、何だか楽しそうな様子が伝わってきます。
「能楽師(狂言師)」として生きていくためには、芝居のために
様々な「型」を身につけなければなりません。
題して「狂言サイボーグ」
著者は、面白いたとえをしておられます。
コンピュータでいうなら「型」は「プログラミング言語」のようなもの。
その「型」を使って「いかに自分なりのオリジナル」も組み込んでいくか?
「型」なくして、自由な表現は出来ないのではないかと語っています。
俗に、「守・破・離」とも言われますが、自由な表現が出来るようになる
ためには「一定の手順」により段階を一歩一歩踏んでいく必要があります。
著者は、高校生時代「へヴィメタル」に凝っていてバンド活動もしていたと
言います。
そのような時に、意外と「型」の練習が役に立ったかもしれないとも・・・
「発声練習」
「へヴィメタル」だと「デスボイス」といって「声をつぶした」ような
ものすごい「発声法」があるのですが、なるほど「狂言や能楽」では
「低くて重い声」も使いますもんね。
ちなみに、面白いことに若手の「能楽師(狂言師)」の中には
「へヴィメタル」などの「きわもの系?ロック」が好きな方も多いみたいですね。
多分、ビジュアル面とかの独特な「世界観」や「様式美」が似ているからでしょうか?
全身を使った表現法という点では、お互いに学ぶべき点も多いのでしょう。
全方位に感覚を張り巡らせた「全身コミュニケーション」
一つの視点にとらわれず空間を全身で受容するような感覚で、
コミュニケーションする。
私たちは、「頭」で認識する「知性偏重型コミュニケーション」に
依存してきたようですね。
最近、管理人が興味関心を持っているのは「知・情・意の三位一体論」
いかにして、この三者のバランス感覚を養っていくかです。
脳と身体と心の関係は、「脳科学」をどれほどいじっても分からないでしょう。
意識はどこから浮かび上がって来るのか?
物理的(物質的)に、脳の生理作用を研究しても見えて来ないと思うのですね。
なぜなら、脳は全身の一部であり、脳(一応ここでは<もの>と定義しておきます・・・)
から<こころ>が生み出されるとは思えないからです。
「神は細部に宿る」とも言いますが、脳単体を取り出したところで
何かが分かるという話でもないと思うのです。
俗に言う「第六感」などをどうやって説明するのか?
内臓(ハラ)を据えるとは?
全身で感じる微細なエネルギーは?
「唯脳論」の盲点ばかりですね。
脳を切り離せば人間ではないのか?
脳死の議論とも関わってきますが、腑に落ちないことはたくさんあります。
管理人は、「脳死」を認めるためにだけ正当化された「唯脳論」には反対です。
人間の尊厳を、そんなヤワな議論で貶めたくないですから・・・
皆さんにも、おそらく皮膚感覚という「全身コミュニケーション」を是認して
頂けるのなら、理解されるのにさして困難なことはないと思います。
まぁ、こんな重い議論は差し当たり脇に置いておきましょう。
「ニッコリ笑って人生を楽しみましょう!!」
著者の「狂言師から見た身体論」・・・
なかなか奥深くて、いろいろと考えさせられました。
軽いエッセーもありますし、このような重厚な「論考風エッセー」もある
「狂言サイボーグ」
是非、皆さんにも一度紐解いて頂ければと思いご紹介させて頂きました。
なお、「身体論」については「文庫本」の解説者である
齋藤孝先生の以下の本
「身体感覚を取り戻す(腰・ハラ文化の再生)」(NHKブックス、2000年)
「上機嫌の作法」(角川ONEテーマ21、2005年)
また、「狂言」についての入門書として
著者の「野村萬斎What is狂言?」(檜書店、2003年)
漫才師「ウッチャンナンチャン」の南原清隆さんの著書
「狂言でござる~僕の「日本人の笑い」再発見
ボケとツッコミには600年の歴史があった」(祥伝社、2010年)
をご紹介しておきます。
最後までお読み頂きありがとうございました。
sponsored link
[…] それは、前回の「狂言」の「型」を身につけるプロセスと似ています。 […]
[…] これまた前にもご紹介させて頂きましたように […]
≪…「気の流れ」…≫で捉える『身体がする数学』からの贈りモノの自然数は、『式神自然数』と呼びたい。
『式神自然数』は、『HHNI眺望』の⦅自然数⦆で、
ヒューリスティクス( Heuristic) で ホリスティック)(Holistic) な
Nested structure(入れ子構造) として Interact (相互に作用する)
とのコトで物事(事象・現象)を捉える言葉(数学)なのです。
『式神自然数』は、『かおすのくにのかたなかーど』から・・・
令和2年5月23日~6月7日 の間だけ
射水市大島絵本館で・・・
『式神自然数』の原型は、有田川町電子図書館「もろはのつるぎ」 あり。