渡辺京二さんが語る「もうひとつのこの世~石牟礼道子の宇宙」豊かな世界観を取り戻すために・・・

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「逝きし世の面影」で有名な渡辺京二さんは、

石牟礼道子さんと二人三脚で創作活動をされてきました。

「現実は、決して一つではない!!」

心の内面の豊かさ次第で「厳しい現実社会(この世)」も

再構成することが出来ます。

「ファンタジーの世界」は、現実逃避ではありません。

私たちは、普段「言葉の持つ多層構造」に気付かないまま

人生を通り過ぎていきます。

今回は、この本をご紹介しながら「豊潤な魂の世界」を

見つめ直すヒントを探っていきます。

「もうひとつのこの世~石牟礼道子の宇宙~」        (渡辺京二著、弦書房、2013年)

渡辺京二さん(以下、著者)は、石牟礼道子さんとの出会いが

きっかけで独自の創作活動をされてきました。

石牟礼道子さんと二人三脚で、現代文明の根底を問い直す

意欲的な作品を共同製作されてこられた方でもあります。

中でも「逝きし世の面影」は、それまでの江戸時代に対する

一般の認識(単純な貧農史観)を根底から覆しました。

現代に至るも、世の中には単純な「二元対立史観(善悪史観)」が

満ちあふれています。

こんな無意味なイデオロギーとは、そろそろ決別すべき時期が

到来したようです。

私たちは、個人の内面にある「影」に向き合うことなく

社会に「影」を投影してきました。

こうした結果、現実社会に創造された「この世」はあくまで

「幻影」だということに気付くことが大切です。

現実社会に映し出された鏡像は、集合的無意識(ユング)のなせる技か?

個人の意識の力では、集団心理の前では「なすすべもない」のか?

著者も石牟礼道子さんも「水俣病」の発生した熊本県で活動されてきた

ことから、世間一般には水俣病をテーマに描かれた作品「苦海浄土」の

イメージで固定されてきたようです。

戦後長きに渡って、「保守対革新」という政治的対立が続いてきました。

こうした保革伯仲といった「政治的季節」の過程で

石牟礼道子さんは「熊本県人」として、

水俣病被害者を支援する活動に長年月関与されてきたことから、

世間一般的には「反体制運動の旗手」といったようなイメージ像で

マスコミなどによってしばしば語られてきたことも多かっただけに、

彼女の本心の底流にある「創作原点・問題意識」への深い理解が

妨げられてきたように見受けられます。

そのため、一般には「きわもの扱い」されており

彼女の本来の「思想」がうまく伝わっていないのが残念です。

昨日のブログでも、お伝えしましたように政治的イデオロギーにとらわれて

見ていたのでは、優れた作品も「死蔵」されてしまいます。

現実世界は、決して「固定した一つの世界」ではありません。

今回は、現実世界と向き合ううえで各自「もうひとつのこの世」を持つことに

より「人生を再創造するヒント」を探っていこうということで、この本を

取り上げさせて頂きました。

アニミズム的世界観の豊かさを取り戻す試み

昨日も「宮崎駿アニメ」に関する記事で取り上げさせて頂きました

「アニミズム的世界観」・・・

「森羅万象に精霊が宿っていて、人間も世界(自然)の一部」

であることを自覚して、世界との一体化(和解・調和)をもたらす

「世界観」を取り戻すために、

私たちは今後いかなる視点を持って生きていけばよいのか?

ここに、人類の再生はかかっているようです。

幼少時からこのかた「社会」で刷り込まれてきた考えは、

あくまで「一つのものの見方」であり、未来永劫不変のものではない

ことに気付くことから「もうひとつのこの世」は始まります。

「自ら感じ自ら考える創作活動」は、人生に豊かな指針をもたらしてくれます。

著者も石牟礼道子さんも「近代・現代社会」を根底から見直す視点を

豊富に提供されてこられました。

お二人の場合には、「水俣病」がその大きな文明批評の題材となっています。

また、水俣市の地域形成史も複雑・多様な「世界観」を混在させてきたことから

単純な「反近代論」から免れてこられたのでしょう。

著者や石牟礼道子さんの「反近代論」は単なる「善悪史観」ではありません。

「現実(この世)で言挙げできなかった魂の奥底からのうめき声」に

そっと耳を傾けること・・・

そこに、お二人の「創作原点」があります。

言葉では伝えきれない「未明混沌」の世界観(イメージ)をいかに

表現していくのかに心血を注いでこられました。

言葉によって「世界は切断」されます。

このことは、人間の実存感の危機を招くことでもあります。

言葉以前のイメージの実在感を取り戻していくこと。

ここに、各人の「固有性」である「もうひとつのこの世」に

接続できる契機があります。

「あの世観」をひっくり返す創作活動

私たちは、「あの世」を何か別の世界(例えば、死後、来世)の

ものとして、イメージさせられてきたようです。

宗教は、いうまでもなく「救済がテーマ」です。

「この世で満足出来なかったことを来世に希望を託す!!」

ここにおいて、「政治と宗教の癒着」が始まりました。

「満足とは、そもいかなる心的状態か?」

この重要な問いから、逃げたところに

「この世」における支配・被支配という罠が待ち受けているようです。

「誰かのせいにしている限り永遠の安らぎはあり得ない!!」

という意味はこのことです。

西洋哲学の世界では、

「哲学は神学のはしため(下僕)」(トマス・アクィナス)とされてきました。

この考えが、聖(あの世)と俗(この世)を切断する仕組みを準備しました。

つまり、「あの世」を「この世」から切断して生きるということが

逆説的ですが、「生きづらさ」を招くようです。

「もうひとつのこの世」とは、「あの世」を「この世」と同一線上に

再設定することです。

「救済は、自らの意思によって来迎させるもの」です。

この本では、「世界再創造の視点」を学ぶことが出来ます。

「世界観を自らの手元に取り戻すこと=生きる」ということに、

真正直に向き合うことが出来るようになった時から、「この世」は

希望に満ちたものになることでしょう。

その点では、「絶望は、希望の肥やし」でもあるのです。

それにしても、「言葉とは不自由・難儀なもの」ですね。

伝えたいことは、いつも「この世の表層をなぞるだけ」に終わるのですから・・・

石牟礼文学は、「自己救済の創作作法」を教えてくれます。

説経節に似た「語り」なのだそうです。

著者もこの本で語っていますが、石牟礼文学が「理解されにくい」のも

言葉が「形容過多」になりすぎるからだと・・・

そうはいってもねぇ~

それでも「創作(表現)を諦めずに根気強く語りかけること」が大切なのです。

管理人の力量では、十分に伝えきれなかった嫌いもありますので、

ここは、直接この本から著者の声をお聞き下さいませ。

この本が、「石牟礼文学の優れた入門書」となってくれることでしょう。

なお、石牟礼道子さんの「世界観」を知りたい方に、

「石牟礼道子の世界」(岩岡中正著、弦書房、2006年)

「石牟礼道子(KAWADE道の手帖)~魂の言葉、いのちの海~」

(河出書房新社、2013年)

をご紹介しておきます。

最後までお読み頂きありがとうございました。

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