アントニオ・R・ダマシオ氏の「感じる脳~情動と感情の脳科学  よみがえるスピノザ」情動(身体)が感情(心)を導く??

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「感じる脳~情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ」

昨今、「脳科学」が大流行する中で、世界的に有名な

神経学者兼神経科医として活躍するアントニオ・R・ダマシオ氏。

「脳科学者の世界観」にも、大きく2つの異なる見方があるようです。

現代「脳科学」の主流は、デカルトの「心身二元論」が底流にあるようですが、

最先端の研究成果では、大きく転換期を迎えているようです。

その過程でよみがえってきた賢者が、スピノザでした。

今回は、この本をご紹介します。

「感じる脳~情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ~」  (アントニオ・R・ダマシオ著、田中三彦訳、ダイヤモンド社、2005年)

アントニオ・R・ダマシオ氏(以下、著者)は、ポルトガル生まれ。

現在、アメリカで、脳と創造性に関する研究をされている

神経学者兼神経科医です。

現代神経科学では「第一人者」として、

国際的にも有名な研究者として知られています。

現代「脳科学」の主流的世界観は、17世紀以来の近代科学を

形成してきたデカルトの「心身二元論」が底流にあります。

この「デカルト的価値観」が、世界(自然)から人間を

切り離すことにより、飛躍的な科学的業績や文明の進歩を

もたらしました。

一方で、この「デカルト的価値観」がもたらした様々な問題点も

多くの論者から指摘されてきました。

今回ご紹介させて頂く著者は、従来の「脳科学的世界観の限界」を

謙虚に見据えながら、もう一人の「忘れられた賢者スピノザ」の

紹介とともに、最先端の研究成果から判明してきた知見を

取り入れながら、あらたな「心身一元論」を取り戻すモデルを

提示します。

著者は、脳と心と身体をそれぞれバラバラにせず、再統合化する

路線を開拓されようとします。

身体(情動)と心(感情)というような素朴な「心身二元論」や

どちらか一方を優位に立たせる従来の見方に異議を唱えながら、

最終的には「再統合」させていこうと試みています。

そのヒントを与えた鍵となる人物が、スピノザでした。

著者は、独自の研究成果とスピノザ哲学を検証していく過程で、

「身体(情動)と心(感情)は同じ実体の平行的属性」という見方も

提示されています。

そのような観察結果から見えてきた「身体の相互関係構造」とは?

また、「情動」や「感情」といった言葉のイメージには、

「理性」とは異なり、常に揺れ動く「気まぐれな因子」のような

マイナスイメージが一般的に付着しているようですが、

そうした見方にも反対されています。

「<情動>も<感情>も生き抜くために必要なプログラム」として

進化の過程で身体に組み込まれてきた「ホメオスタシス機能」であった!!

「ホメオスタシス機能」とは、生物学でよく出てくる専門用語のことですが、

「生体維持機能(アンバランスな状態を常にバランスの取れた状態へと戻そう

とする生命安定装置)」のことを意味します。

著者もこの本で強調されていますが、大切なことは

いかにして「情動や感情の制御能力」を保持することが出来るかにあります。

著者は、この本でスピノザ哲学とともに、実際の観察結果から

「感情よりも情動の方が先に知覚判断しているらしい!!」という

仮説を提起しながら、世間一般の「感情優位説」に挑戦します。

むしろ、著者の「情動優位説」の立場で観察していった方が、

人類の進化過程とも一致し整合性があるだろうと・・・

この「仮説」は、あくまで実際の心身相互作用がどのように機能して

いるのか分析するための中途観測で得られてきた知見であり、

終局的には双方を「再統合」させた見方を提唱されていますので、

読み進めていく際には、ご注意下さいませ。

この「情動と感情の脳科学」の知見を得ることで、

様々な「精神疾患」などの治療にも活用出来るのではないかと、

著者は応用研究の方でも研究を積み重ねられています。

そこで、最先端「脳科学」事情を知ることで、複雑で不安定になりがちの

現代社会の中で生き抜くヒントを学ぶことは、皆さんにとっても

有意義なことだと思われますので、この本を取り上げさせて頂きました。

心(感情)は身体(情動)のために存在する!?

まずは、この本の大まかな見取り図を描いておきましょう。

スピノザの問題提起に触発されながら、

著者の具体的な「脳神経科学」の研究成果と重ね合わせた

考察が深められていきます。

「欲求と感情」や「情動」の働きを慎重に考察しながら、

スピノザ哲学とスピノザの人間像が紹介されるとともに、

最終的にはこれらの知見を活かして、

「より良く生きる叡智」と「現代社会での活用法」

についての提言でまとめられています。

スピノザの主著「エチカ」で主張された

「どんなものも、それ自体の力によって可能であるかぎり、その存在を

保存しようと奮闘する」のであり、「その存在を保存しようとする

その奮闘が、そのものの本質にほかならない」

つまり、存在するもの一つひとつの「自身を保存しようとする執拗な努力」

『コナトゥス(ラテン語)』というスピノザのキーワードを手がかりにして、

従来の「心(感情)が身体(情動)を生み出す」とするイメージ像を

転換させていきます。

言い換えるならば、スピノザも著者も「身体(情動)こそが、心(感情)を

生み出しているのだ!!」ということです。

人類は、「言葉(理性)」から派生していったと思われる

「心(感情)」よりも「身体(知覚・情動)」の方が先に発達進化して

いったのではないか?

そのように考えた方が、合理的に説明することが出来るのでは・・・

つまり、「情動」も「感情」もそれ自体は「よい」とか「わるい」という

ことではなくて、人類が生き抜いていくための絶対的に不可欠な

「心的(身体的)作用」だったということです。

幸せな人生を過ごすための叡智

この他にも最新の「脳科学」に関する詳細な知見が

解説されていますが、そのあたりはこの本をお読み下さいませ。

さて、ここまで読み進めてきて

「結局、何が一番大切な要点だったのか?」ということですが、

「人間は、自然に幸せな方向へと進化していこうとする意志」が

最初から心身に組み込まれていたということです。

「そうは言っても、現実には理不尽や不条理な環境の中では

その意志に反する現象や感情が湧き起こるではないか?」という

当然の疑問もありますよね。

まさに、その心の「感情的な反発」や身体が知覚過敏反応を引き起こす

「マイナスの情動」の原因は、そこにあったのです。

冒頭でも語りました「ホメオスタシス機能」です。

しかし、賢明な読者の皆さんならもうお察しのように、

それこそ「生体安全装置」が健全に働いている証拠なのです。

「トートロジー(同義反復)で答えになってないやないか?」と

反発されるでしょうが、著者の研究成果によると、

それが、「自然な生命を持った有機体の安全防御壁」のようですね。

そのような当然予期される読者の「健全な反応」にも、著者は

この本できちんと回答してくれています。

「もし、記憶も意識も感情も情動もなかった(喪失した)と想像

(仮定)してみたら・・・」

言わずもがなのことですが、人間としての深い喜びを味わうことは

出来ないことになってしまいます。

また、「自己の身心に<感情>や<情動>が内蔵されている」からこそ、

「自己と他者との間に共感覚を結ぶことが出来る」のです。

まとめますと、「自己と他者とは心身を介して共通の社会経験を

生きている」ということでもあります。

ですから、無関心を装うことは自らの生命をも危機に晒すことに

つながりかねません。

このように、すべては一つの有機体としてつながっているとして

見立てる「世界観」こそが、スピノザ哲学でした。

今回は、スピノザ哲学に深く触れることは出来ませんが、

この本を読まれると「繊細にして敏感なスピノザ像」を知ることが

出来ます。

17世紀は、「天才の世紀」だったそうですが、現代社会に至る

主流はデカルト以来の「心身二元的世界観」でした。

一方で、同時代に生きたとされる前にもご紹介させて頂いたライプニッツ

やスピノザの「多元・多層的世界観」が存在していました。

不幸なことに、後者の「もう一つのあり得た近代化路線」は、

前者の強力な影響の陰に隠れていってしまいましたが、ようやく

21世紀になって「再評価」されつつあるようです。

17世紀の賢者の中でも、スピノザだけが一人「孤高・極北の星」を

選択した人生だったようです。

裕福ながらも財産を捨て、レンズ磨きだけで生計を立てつつ、同時代の

人間からは疎外・誤解もされ、一番理解があり親近感のありそうな

ライプニッツでさえ、自ら生き残るためにスピノザから身を遠ざけざるを

得なかったようです。

そのあたりの泣けそうになるエピソードもこの本には描かれています。

スピノザ哲学の強靱さを学ぼうとされるなら、スピノザ関連の各種「専門書」

よりも、この本をご一読された方が「スピノザの真情」にも「感情移入」

出来て、より一層理解が進むのではないでしょうか?

もっとも、あくまで「著者のスピノザ論」ですが・・・

最後に、スピノザの「幸福論」について、この本の末尾で紹介された

文章から引用して筆を擱かせて頂きます。

「希望とは、われわれがある程度その帰結を疑っている、未来や過去の

何かのイメージから生じる、不確かな喜びにほかならない」

(本書369頁『エチカ』第3部定理18備考2より)

管理人の解釈は、「希望は、常に絶望の隣にある!!」

ということでしょうか?

何はともあれ、皆さんもこれからは「情動」と「感情」に

うまく寄り添う知恵を探究していくヒントとして、

この本をご一読されることをお薦めさせて頂きます。

なお、スピノザについては、

「世界の名著 スピノザ」(中央公論新社)

「スピノザの世界~神あるいは自然~」

(上野修著、講談社現代新書、2005年)

「スピノザの方法」(國分功一郎著、みすず書房、2011年)

「スピノザ」(チャールズ・ジャレット著、石垣憲一訳、

講談社選書メチエ、2015年)

をご紹介しておきます。

最後までお読み頂きありがとうございました。

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6 Responses to “アントニオ・R・ダマシオ氏の「感じる脳~情動と感情の脳科学  よみがえるスピノザ」情動(身体)が感情(心)を導く??”

  1. 高橋真矢 より:

    初コメントです。

    私が最近になってようやくスピノザやアントニオ・ダマシオ氏の本を読むようになり、そのことをブログ主に話したところ、そんなものはとっくに読んでいて書評としてまとめてあるから読んでみなさいとのことでした。
    関連するジョナサン・ハイトの書評は以前読んでいましたが、今思えばブログ主がそこで言いたかったことを私はあまり理解できていなかったように思います。
    そして何より今回収穫だったのは、ブログ主の人間性に対する私の理解が深まったと思えることです。
    事実をありのままに見ようとする知的誠実さ、
    他者を最大限尊重しつつ、小さな差異よりも人間の中に大きな共通性を見出そうとする姿勢、そして最終的には楽観性と社会の調和へとたどり着いて行く知的探求心。
    愛すべき友人であるブログ主の文章には、その優しい人間性がくっきりと刻み込まれていると同時に、それらはまさに私が尊敬する科学者や哲学者の像と重なります。

    科学哲学が科学と哲学とに分岐し、グローバリゼーションや戦争が人々の暮らしを席巻した近代社会に対する「もう一つのあり得た近代化路線」を思考するうえで、本書は間違いなく最重要図書であると言えますね。

    最後に、スピノザの「幸福論」について、私も解釈を試みたいと思います(おそらくブログ主の解釈とほぼ同じかと思われますが)。
    私の解釈はこうなります。

    「喜び(という感情)は、“身体と同様に”常に人間と共にある!!」

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