宮川康子先生の「自由学問都市大坂~懐徳堂と日本的理性の誕生」経済と人心の復興は<遊び学問>から甦る!?
「自由学問都市大坂~懐徳堂と日本的理性の誕生~」
近世日本思想史がご専門の宮川康子先生とともに
これまでの学問観や仕事観から越境する精神を
学んでみませんか?
日本の近現代史の一連の流れには、
「西洋に追いつけ、追い越せ!!」をスローガンとする
<坂の上の雲>を志向する傾きがありました。
その行き着いた果てには
生きるための手段と目的が転倒してしまう現状が・・・
今回は、この本をご紹介します。
「自由学問都市大坂~懐徳堂と日本的理性の誕生~」 (宮川康子著、講談社選書メチエ、2002年)
宮川康子先生(以下、著者)は、
近世日本思想史や文化理論をご専門とされている
研究者です。
(ぺりかん社、1998年)などがあります。
今回ご紹介させて頂く本書でも
近世(江戸期)大坂の有名私塾であった懐徳堂や適塾などでの
学問講義風景や人間模様が活写されていきますが、
この両塾には共通する点があります。
それは、現大阪大学の前身であり、
かたや福澤諭吉の慶應義塾大学など
官立・私立を問わずに近現代教育の原点・源流でもある
<学問所>だったということであります。
著者は、そんな近現代教育の源流の交差点に位置する
大阪大学大学院文学研究科博士課程をご修了されたことから
このテーマを語られるに相応しい適任者でもあります。
今回は、前回のエッセー項目の続編としても
さらなる語りを加えさせて頂こうとの試みですが、
まずは、本書をご紹介させて頂く前の
管理人自身の問題意識から語り始めさせて頂くことにしましょう。
それは、現代日本社会の人心や経済の荒廃状況に
きわめて深刻な危機意識を抱いてきたからでもあり、
近現代の<実用偏重型教育>が
人々から豊かな情操観を育んでいくための
精神的ゆとりを生み出すために必要とされる土壌基盤が
剥奪されていく教育方針に有害性を感じてきたことにあります。
特に、ここ数年間の管理人自身の個人的体験談としても
姪っ子の教育支援に関与させて頂く機会が増えてきただけに、
幼少期からの<実用偏重>型養育法への
違和感を覚えることも多くなってきたこともあります。
幼少期こそ、<人間>として安定した成長を果たしていく原動力となる
「情操」意識が芽生えていくための教育的配慮が不可欠となります。
現代社会における学校(社会人)教育での教育成果(評価)法では、
あまりにも<生産性>や<効率性>に重きが置かれすぎているために
じっくりと情操感豊かな創造的アイディアを生み出すための
時間的ゆとりがありません。
そのため、中長期になってようやく種蒔きの成果が出始める
基礎研究から発芽していく研究開発もなかなかうまくいかないとの
心ある企業人の声もよく聞きます。
つい最近もこの件で
東大阪のとある中小企業経営者の方とお話させて頂いたこともありました。
また、管理人自身の拙い人生体験からも
正規の学校教育を受ける前に
幼少期に仕込まれた「情緒」の発露となってくれた家庭内情操教育が、
その後の人生においても
とかく「魂」が押し潰されそうになる精神状況下に置かれても
自力回復を側面から支援してきてくれたことから、
その情操教育「効果」に絶大な信頼感を寄せることが出来ています。
最近も若き優秀な方が「過労」のためにお亡くなりになられた
悲しくも痛ましい社会的事件がありましたが、
このような過酷な労働環境を鑑みますと、
優等生として誰よりも熱意をもって真面目に生き抜いてこられた
意欲抜群の方々ほど<社会的いじめ>に遭遇しやすくなります。
このように日頃の身内体験や社会現象を観察分析考察しながら、
子供の育児教育に関与させて頂いていると、
「情緒」教育の大切さにあらためて気付かされます。
そんなこんなで、このところ本書以外にも
「情緒」や真の豊かな「知的好奇心」を育むアイディアとなる
教育関連書を読み続けているのですが、
その中でも特に皆さんにも是非お読み頂きたい「情緒」を育む
教育法の豊富な参考事例集として、
我が国が世界に誇る数学者である岡潔先生の一連のエッセー作品集があります。
このエッセー作品群を読み続けるだけでも、
他のあまたある教育(育児)専門書が不要に思えるほど
珠玉の知恵が授けられます。
ところで今回は、近世大坂が主舞台となる本書でありますが、
そんな岡先生も生まれは大阪市だったそうです。
そのようにして教育的配慮に関する気づきを真剣に模索していく過程で出会う
日々の子供たちの成長そのものが、
管理人自身への人間的反省の糸口をも与えてくれています。
子供たちには、日々感謝の思いで一杯です。
ありがとうね。
さて、世には様々な教育評論家諸氏による<英才??>教育論なるものが
まことしやかに生い茂っているようですが、
そうした<科学的??教育技術論>に果たして根拠があるのだろうかとも
日々の子供の成長進化を見守り観察する過程で疑問を感ずることも多くなりました。
「あまりにも欲張りな教育法が多すぎるのではないか・・・」
「果たして、自分自身が子供だった頃には、こんな腹一杯のメニューを
消化吸収し切れただろうか??」
そのように多くの心ある皆様も実感されるであろう
素朴な疑問点が次々と湧き出てきます。
とりわけお子様のいらっしゃるご家庭の親御様におかれましては
強く共感共鳴して頂けるものと確信しております。
また、子供たちの健やかなる人間的成長を真剣に祈られている親御様であれば、
「英才」よりもまずは「情操」に力点を置いた教育的配慮をしてあげることが
子供たちの未来にとって、人生を歩くうえでの
より確かな総合的学力となってくれるのではないかと
お考えの方も多くおられるものと思います。
とはいえ、現代教育事情では、マスメディアでも実際の教育現場でも
そのような「情操(情緒)」が育ち上がるための土壌作りが疎かにされている
ような気がしてなりません。
「教育の主目的とは、<野獣>ではなく<人間>になるための知恵を
育て上げること」にこそあるはずです。
「<競争・排他感情>の育成ではなく、
<切磋琢磨・共生協力感情>の育成」教育が
豊かな人間力や世界観の形成に多大な影響力を与えることになりましょう。
そのためには、近現代型(明治期以後)の強制的「集団」萎縮教育環境から
近世型(江戸中期から後期にかけて日本各地で叢生していった)の
いわば<草の根教育ネットワーク>とも称される
自発的「個性」発育開花教育環境へと視点を切り換えていくためには、
これまでの近現代「機械・技術志向型機能教育」発想からの脱却が強く求められます。
つまり、こうした教育思想の本質を捉え直すことと同時に
その教育思想変遷史を辿り直すことで
これまで刷り込まれてきた大人自身の<社会的常識>の見直しをも
迫られる利点も得られます。
こうして一人一人の個人的発想の転換が呼び覚まされ
社会にも幾層にも積み重なっていくことが実現されていくと、
現状の過酷な生活観や人間観から職業・学問観、
はたまた世界観にまで幅広く及んで
<社会的常識>像が改善されていく「余白」も
創出されていくことにつながるでしょう。
そうした今ある社会の現状を進化・改善させ得るための打開策も
近世の「自由学問都市大坂」をテーマに考えることで
現代にも役立つ数多くの優れた知見が得られるのではないかとの思いで
この本を取り上げさせて頂きました。
近代西欧「啓蒙」教育の限界を乗り越えんと欲する 近世大坂「寺子屋」教育の魅力
それでは前置きはこの程度にして
本書の内容構成の要約へと移らせて頂くことにしましょう。
その前に特に高校生諸君に対する
本書から学べる読書メリットを掲げさせて頂きますと・・・
①「日本史」選択の方にとっては、
江戸期の有名思想家における思想的相違点や
思想変遷史などを横断的に復習することが叶うことです。
②「世界史」や「小論文」を選択される方にとっても
<啓蒙>思想(近代的知性の軌跡)というテーマで、
18世紀の近代西欧と近世日本における比較考察という視点を獲得することが叶い、
こうしたテーマの論述問題が出題された場合には
何らかのお役に立つかもしれません。
(ちなみに、小論文試験問題に「自由題」形式が採用されている大学等を
受験される方には、このテーマは面白いでしょう。)
③「古典(擬古文なども含めて)」や「現代評論文」対策としても
あらかじめ本書でその思想内容などのあらすじを
ざっくりとだけでも掴んでおくと、
極度に緊張感を強いられる入試環境の下でも
比較的落ち着いて問題文を読み進めることが叶うでしょう。
(ちなみに、現在は、管理人の高校生時分とも異なって、
高校生向けの各種「新書」も多数ございますので、
それらも大いにご活用されると学力向上に少しは
寄与してくれるのではないかと思います。
「評論文(小論文)」対策では、いわゆる<キーワード本>が
役立つことでしょう。
管理人の頃は、社会人向けの『現代用語の基礎知識』や『知恵蔵』などを
代わりに活用させて頂きましたが、ただでさえ忙しすぎる
現代の高校生事情では、そこまで手を回す必要もないでしょう。
そのあたりは、各自の学力事情を考慮されながら、
独自の学習メニューを工夫考案してみて下さい。
この独自の工夫考案技法の養成が、後々の人生の諸場面で
必ず生きてきますから・・・
もっとも、管理人もそうでしたが、
この時期は(現役・浪人生ともに)
もはや「追い込み」の時期ですし、
読書のゆとりなどもありませんでしょうから、
本書を読む時間がない方にもおおよその概要把握が
出来る程度にはご紹介させて頂くことにしますので
どうぞご安心下さい。
まぁ、受験勉強に疲れた時の<コーヒーブレイク>程度に
読んでやって下さいまし。)
閑話休題。
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それでは本書のご紹介を始めさせて頂きます。
①「はじめに~よみがえる近世大坂の「知」」
※本章では、本書で解き明かされる主題:日本の「近代的知性」が
窺える各思想家の思考の片鱗や軌跡を辿ることで、
本書で「ねらい」とされる問題意識が掲げられています。
「近代を準備したのは、実は近世であった!!」
「それも、近世日本の<自由学問都市 大坂>が発祥地!!」との仮説を下に、
著者の独自知見が次章以下で披露されていく序章に当たります。
ちょうど、NHK大河ドラマ『真田丸』が閉幕したところですが、
日本の「近世」は織豊政権(安土桃山)時代の武士の世から
徳川幕藩政権(江戸)時代の町人(商人)の世へと移行していきます。
もちろん、支配体制側の視点から見れば、
「武士」の世であることには変わりありませんが、
もはや、「力でもって現状変更させていこう」とする生き方は
許容されない時代へと徐々に時勢は移り変わっていった移行期にありました。
この背景には、「貨幣経済」の芽生えも潜んでいました。
奇しくも、織田家の軍旗には「永楽通宝」が、
真田家の軍旗(家紋)には「六文銭」が採用されていましたが、
軍事的観点からも経済合理的発想が芽生え始めた頃が、
戦国最末期のあり様でした。
上記ドラマ内では、経済的観点からのより掘り下げた描写は
少なかったことが残念でしたが、
中世以来の「自由交易都市 堺」や畿内の「寺内町」などの
<自治都市>の繁栄が従来型の「農本主義」型政治支配体制を
少しずつ切り崩していったのが実状でした。
このあたりの詳細な「裏」実状こそ、
学校で教えるべき優れた生きた教材だと思うのですが、
現在に至るまでなお、「表」舞台では、
<教科書が教えない(教えても決して本質には触れさせない)歴史>と
なってしまっているようです。
ここまでは、本書の主人公である「町人」に活躍の場が与えられていった
序幕解説にしかすぎませんが、
ここに「武士」の世が終わりを告げることによって
大量に発生していった「浪人問題」の本質があったのです。
ですから、『真田丸』を「武士」の視点だけから見ていては、
あの頃の「歴史的本質」がわからなくなってしまうのです。
物事には、何事も多面的な見方が必要です。
それだけに単純な「勧善懲悪」史観や
「勝てば官軍、負ければ賊軍」史観には
大いに問題ありと言えましょう。
確かに、「ドラマ」ですから
「ドラマ」として楽しむ分には結構なことですが、
「歴史的視点には、(編纂者の)思想も入り込む」だけに、
見方には絶えず注意を払っておかなくてはなりません。
ことに、「映像」教育(「活字」教育もですが・・・)には
「無意識」面に働きかける恐ろしさも含まれているからです。
それはともかく、
こうして「大量失業」していった「武士」の中で、
「仕官」の望みが断たれた者たちは、
どこに「活路」を見出していったのでしょうか?
それが、ある者は「宗教者」に、
またある者は「商売人」に、
さらにある者は「教育者」への「第二の人生」を求める生き方に
次第に辿り着いていったようです。
その「職業替え」の効果が出始めたのが、
ようやく「元禄」あたりだったようですね。
あの有名な『忠臣蔵』の隠れた真相のひとつには、
「<江戸対大坂>の経済戦争」の側面もあったと言われています。
「真説」はもちろん「ただひとつ」だけではないようですが・・・
江戸時代を舞台とする「時代モノ」に、
「浪人さん」が大量出現するのにもきちんとした理由があったのです。
そのような角度から分析観察すると、
今までとはひと味違った見方もできるでしょう。
そして、「文化・文政」期のいわゆる「化政」文化において
江戸時代における最大の経済的爛熟期を迎えることになりましたが・・・
いつの時代も同じような経済思想変遷史の流れがあるようで、
「田沼意次(インフレ)」型と「松平定信(デフレ)」型の思考形式を
行ったり来たりするようですね。
江戸期の三大改革は、すべてことごとく「大失敗」だったというのが
大方の研究者の評価だそうです。
つまり、一般的には、「デフレ型」思考は、世の中を暗くする・・・と
いうことになりそうです。
もっとも、管理人は、何が何でも「インフレ」型が最善の道などとの
「極論」を主張する者ではありません。
あくまで、それぞれの時期に生起する経済現象にとって「最適」な解を
採用していく処方箋こそが、「賢者」の道ではないかと提案する者でしか
ありません。
そこで、重要となるのが、「武士」的思考法と「町人(商人)」的思考法の
相違点ということになります。
本書の主題「地域」は、「上方=<天下の台所>大坂」であります。
この地域には、太古以来、「最先端情報集積センター」であるとともに
「富の集積(仲介)地」という地政学的特徴がありました。
そうした「場」では、「自由」な空気が不可欠となります。
そうした「自由」な交易拠点だったからこそ、
古代から国際色豊かな文化・文物が流入してくることになりました。
そのような伝統から「近世」から「近代」にかけても
「自由」な発想を持つ様々な「文化人」や文化人を陰から支える
「経済的パトロン(スポンサー)」が同時に生み出されていきました。
そこに、近世大坂の「活力」の源泉があったようです。
その「活力」の源泉に
そうした「自由」な発想から豊かに発芽させられていった
「学問」や「芸能」がありました。
「教養」志向型「近世」の黎明期中の出来事でした。
一方で、時代の推移とともに、
「実学」志向中心型の発想が
やがて世の主流へと移行展開していく過程で、
『最終章』でもまとめられていますように
「自由学問都市」は終焉を迎えることになります。
と同時に、政治経済の中心拠点も「一極集中型」の「東京」へと
移行していくことになりました。
面白いことですが、
江戸「近世」期は、「政治」の江戸と「経済」の大坂と
「政経分離」していたのですね。
つまりは、江戸「幕藩」体制とは、
その名のとおり、「幕府(中央都市)」と「各藩(地方都市)」との
相互依存関係でうまく成立していたのが実状だったところに
特色があるようです。
その絶妙なバランス生態系を突き崩していったのが、
「貨幣」経済の全面的展開ということになりますが、
「幕末動乱」の真相は、
何も「外圧」だけに限定された現象ではなかったのだという点は
いくら強調してもし過ぎることはないでしょう。
あまり一般には知られていませんが、
江戸期を通じて、「貨幣」は「改悪」されていった
「改鋳史のオンパレードだった!!」のが
経済面から見た江戸時代の実相だったのです。
こうして「現代」から「近代」、「近世」へと振り返って
あらためて見直していくと、「現代」では見失われてしまった
様々な盲点が本書から浮かび上がってきます。
まとめますと、本書の「ねらい」とは、
『私が問題にしたいのは、私たちが立っている近代の地平からその歴史を
振り返る視線そのもの』であり、
『近世大坂の知識人たちは、私たちに具体的な進むべき道を
教えてくれるわけではない。しかし彼らの知的な創造力は、
私たちの近代的思考のあり方そのものに、問いを投げかけてくるだろう。』
(本書16頁)と。
ここから、私たち「現代人」自身が「近現代<啓蒙>主義型」教育によって
見失われてしまった柔軟に自分自身の頭と心と体をフル活用させ得た
かつての「知・情・意」教育への「復権」へと
蘇生させられていくことになります。
つまりは、失われた「真・善・美」の「復活」であります。
このように教育の底流にある思想的本質を転換させることで
人間の「活力」が生き生きと甦っていく契機が生み出されていくことになります。
それでは、本書の主舞台「懐徳堂」へとタイムスリップします・・・
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②「第1章 町人学問所懐徳堂」
※本章では、18世紀初期に「町人」の手によって
大坂で産声を上げた「懐徳堂」での学問風景や
その「場」を取り巻く様々な人物描写がされています。
開校されていったのですが、
『第4章』でもさらに踏み込んだ解説がなされていますが、
幕府公認の学問所として「官許」を得るか、
誰もが自由闊達に学問を楽しめる「場」として
民間「私塾」としてとどまり続けるべきかを巡って
兄弟間にも深刻な教育思想の対立があったことが示されています。
また、創設者のこの中井兄弟だけではなく、
学生たちの間でも様々な教育的価値観の並立があった様子が
うまく描き出されています。
そのような個別学生のうち、特に歴史上有名だった人物群が
次章以下で<懐徳堂周辺の人々>として解説されていきます。
このあたりの消息事情を読み進めていると、
現代でも「官」か「民」を巡る教育的価値観における
政治闘争劇が今に引き継がれてきた様子が思い浮かびます。
特に、現代の「大阪」でも「公立」と「私学」の
教育面における経済的「格差」を可能な限り解消させていこうとの
動きがありますが、もちろん、その点では長所があるものの
「個性」的教育が許される「場」としての「学問所」としての
意義から見ますと、もうひとつ教育的配慮が少ないように
見受けられます。
管理人は、特段、裕福な家庭で育った者ではありませんが、
小学校から中学を「公立」、高校から大学を「私立」で
学ばせて頂いた体験からすると、そのように強く思われます。
教育体験には、個別の主観が伴うだけに、
「これが<唯一正しい>教育法なのだ!!」などとは
軽々しく断言出来ませんが、
教育行政に携わるお役人や政治家の個人的経験も
複雑に絡むだけに、
何がより「公平」な教育政策なのかを巡っては、
より多種多様な経験を経てきた人物の議論も
大いに参考にして頂きたいと思います。
ことに、昨今の「フリースクール」などの議論では、
「エリート層」として幼少期からこれまで
失敗や挫折体験を経てきておられないような方々による
表層的な教育議論が幾通りも見受けられるだけに
憂慮すべき事態が深く進行してきているように思われます。
おそらく「フリースクール」教育活動に携わっておられる方なら
ご賛同頂ける有益な視点が、本書からいくつも発見されることでしょう。
管理人も学校教育や企業などが用意した自前の社員研修には
ほとほとうんざりだけれども、知的好奇心に優れた読者さんのために
このような書評ブログの「場」をお借りして、
ささやかながら、「在野研究のススメ」をご紹介させて頂いています。
そんな「在野研究」にもご興味関心がおありの読者さんであれば、
本書からはより多くの有益な視点が獲得されるものと思われます。
こうした現代教育が持つ諸々の問題点を改善していく視点としても
本章におけるこうした解説記事は何らかのお役に立つことでしょう。
いずれにせよ、こうした「公」の政治的利害関係が入り込まない
「私」的教育の「場」でこそ、
自由な学問や文化芸術が開花発育されていくことは間違いないことでしょう。
ここで管理人自身の体験記ですが、
「公立」と「私学」の違いを経て得たメリットとして、
「私学」では、世界史などの授業で、
憲法上の「政教分離」規定にあまり拘束されずに
自由な講義を聴くことが叶ったことがありました。
また、学校の属する「宗派」に対する信仰心の有無にかかわらずに
「宗教」教育の「場」における徳育・情操教育を授かることが
叶ったことなどがありました。
ということは、結局は、教育の「経済」的格差が、
「公立」と「私立」の教育格差における大きな「壁」となって
立ちふさがっているということになるようです。
本章の最終箇所でも「江戸」の学問と「大坂」の学問とで
学問する姿勢の大きな相違点として、
権威や権力との関係性が解説されていますが、
より健全な「批判」精神を育む教育学問の
「場」としても「私塾」と「官許」とでは
かなりの隔たりがあったと言えましょう。
そういう意味で言えば、近世大坂における「懐徳堂」での実験的試みは、
今現在もなお生き続けている議論を思い起こさせます。
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③「第2章 江戸対大坂~知の権威への反抗」
※本章では、そんな大坂の<懐徳堂周辺の人々>が
当時の江戸で一世風靡を博していた荻生徂徠が創始した
「徂徠学」という名の知の権威への反撃の烽火が
高々と上げられていった模様が描かれています。
江戸時代は、幕府の「公認」学問が「朱子学」とされ、
それに反する「異学」は、ことに松平定信による
「寛政異学の禁」あたりから厳しく排撃されていく気運が
創り出されていきます。
本章では、そんな「徂徠学」の具体的解説は
最小限に抑制されていますが、
著者の本章における解説趣旨は、
『江戸における徂徠学の大流行という現象が何を意味したのか、
徂徠学が当時の人々にどう受けとめられたのかということ』
(本書38頁)にあります。
もっとも、当時「江戸」にて大流行した「徂徠学」に対して、
「大坂」の知識人は「反論」していく姿勢を見せるわけですが、
そのような「徂徠学」にも長所があったことは否めません。
その具体的内容に関する解説は本書をお読み頂くとしまして、
「大坂」の知識人が激しく「反撃」した点は、
その<知の傲慢さ>にあったようです。
そうした<知の傲慢さ>に対する具体的批判内容につきましては、
著者によると3点ほど列挙されていますが、
本書53~58頁にそれぞれ紹介されています。
ただ、そのように「批判」された「徂徠学」ではありましたが、
彼が残した「言語学的視点」の重要性は、
『第3章』でも詳細に触れられることになる富永仲基などの
「学問魂」を触発したようですね。
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④「第3章 富永仲基~夭折の天才学者」
※本章では、その富永仲基が主人公となりますが、
当時の知識人であれば、必ずといってよいほど強い影響を受けていた
神道・儒教・仏教のいわゆる3教に対して、
総合的批判を展開していった思想家として有名であります。
とりわけ、<加上の法則>の発見は
当時の学問的方法論としては画期的だったようで、
まさに「コロンブスの卵」とも評されるものだったといいます。
この「加上」の法則の発見も、富永仲基自身が、
若き頃には、「徂徠学」の多大な影響を受けたことから
見出されていったようです。
著者の解説によると、
『実は仲基の「加上」の法則は、徂徠の「勝上」という概念に
その発想を得ている』(本書68頁)のだとされます。
この富永仲基と荻生徂徠における学問的問題意識の共通項には、
先程もご紹介させて頂きましたように「言語的転回論」がありました。
両人における「言語的転回論」の詳細解説につきましては、
本章をお読み頂くとしまして、
こうした言語分析哲学の萌芽が、すでに江戸期に開花しつつあったことは
当時の「訓詁学(文字の原義的解釈にあくまで拘って一字一句その意味を
解き明かしていく言語解釈論のこと)」的解釈が主流だった朱子学学界においては
かなり衝撃ある出来事だったようですね。
現代でも、このような言語の起源や構造にまで遡った原義的解釈の手法は、
決して意味のない学問(それなくしては、意思の統一が図れませんから)
ではありませんが、
言説とは、人々のコミュニケーションによる「文脈」によって
絶えず揺れ動きつつ、動態的に解釈が生み出されていくという見方も
言語理解においては重要な視点を提供してくれます。
このように言語の「文脈」に力点を置いた言語解釈論を見ていますと、
現代フランス思想哲学のロラン・バルトなどをも
思わせるような鮮やかな分析手法であります。
その意味では、近世大坂の知識人は、「先駆的」だったとも言えましょう。
こうした富永仲基の視点は、後に「幕末思想」に多大な影響力を
及ぼしていった本居宣長のような「国学」への批判をも用意していくことに
なりましたが、通俗的「国学」がその後イデオロギー化していき
国内外に血なまぐさい現象を生み出し、今に至るもその後遺症に
世界中が悩まされ続けていることを思うと、
今一度この富永仲基思想を再評価すべき時期であります。
「硬直性から柔軟性へ」が、富永思想の本質を十二分に咀嚼するうえで
大切な要点となりそうです。
なお、本居学と富永学の相違点の解説は、
本書81~86頁にて展開されています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
⑤「第4章 中井履軒と上田秋成~夢と虚構の世界」
※本章では、中井履軒と怪談『雨月物語』で有名な
上田秋成の世界観について触れられています。
今回はいつも以上に長文となってきていますので、
<中井履軒論>の解説については、
本書に委ねさせて頂くことにしましょう。
管理人は、特に上田秋成の世界観が大好きなので
よく親しませて頂いていますが、
ことに『雨月物語』中では、『蛇性の婬』が好物(笑)でして・・・
この内容は、謡曲『道成寺』などにもつながる系譜であり、
似たような筋書きの作品は、文楽や歌舞伎の題材にも
よく取り上げられているのですが、
永遠の男女が持つ「情愛」の執念が生み出す苦しみに関する
心理的描写が反映された作品であります。
その上田秋成ですが、
著者の解説では、
中井履軒と<相似形のメンタリティー>を共有していたと
語られています。
もっとも、後には絶えず「すれ違い」の人生を
互いに歩むことにはなるのですが・・・
似たような世界観を共有していたことは
間違いないようですね。
ただ、妖怪変化に対する見方から観察すると
人間の認識論や学問的方法論などで
大きな視点の違いがあったようですが、
中井履軒の見方に関しては、「無鬼論」として、
『第8章』で解説される山片蟠桃の「無鬼論」にも
受け継がれていった様子が本書では描かれています。
この中井履軒は、すでに触れましたように、
兄の竹山とは異なり、理想の世界に住む「夢見る」住人だった
ようですね。
つまり、「官許」の道をひた走りながら、
俗世間での「箔」を付ける生き方をする兄竹山の歩みとは対照的に
超俗的な生き方を好む人生だったようですね。
そのことが、
『履軒の場合には、それは「華胥国」という夢の空間であり、
秋成にとってそれは怪異な物語の世界であった』(本書89頁)として
解説されています。
このように<懐徳堂周辺の人々>を眺めてくると、
この「学問所」には、「理想」と「現実」の<はざま>を
生きる豊かな世界観を持ち合わせた多種多様な人物の宝庫で
あったことが窺えます。
さて、その上田秋成ですが、またしても本居宣長との間で
激しい知的バトルがあったようです。
その解説は、本書106~113頁あたりで展開されています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
⑥「第5章 心学と懐徳堂~二つの『かわしまものがたり』」
※本章では、石田梅岩のいわゆる「石門心学」と
懐徳堂における学問流儀・風土の相違点が解説されています。
同じ「町人」学者ではあっても、「石門心学」が道訓などを
重要視する<求道的精神>を発揮させた学問流派だとするならば、
懐徳堂は、より知識人好みの<科学的精神>に比重を置いた
学問流派だと一応のところは要約できましょう。
それぞれの学問流儀には、一長一短ありますが、
ともかくも、この「石門心学」も当時の京阪地方の「町人」の間では
大いなる賑わいを見せ、「懐徳堂」門徒にとっても、
かなり手強いライバルだったそうです。
その「心学」に対しては、本書122頁の小見出しでは、
『反知性』として解説が始められていますが、
もちろん、昨今大流行語ともなった『反知性』主義と
同様・同義の底の浅い思想ではありません。
あくまでも石田梅岩の考えでは、
「上から目線」の「啓蒙的学知」姿勢に
対する反骨精神を理由とするものだったからです。
このあたりは、「反徂徠」「反宣長」学の系譜を辿る
「懐徳堂」精神ともつながる要素があったようです。
とはいえ、「石門心学」と「懐徳堂」の学的精神には、
大きな相違点があったことは否めません。
そのあたりの事情が、中井竹山の『草茅危言』において
かいま見られることが著者によって解説されています。
(本書125~132頁あたりご参照のこと)
このように同じ畿内の「町人」学問思想といっても、
幕藩(封建)体制下の身分秩序を前提とした「分限」哲学と
それをも乗り越えんとする後の「体制変革」思想へとも連なる
社会改革思想の芽生えが「懐徳堂」流派にはあったことが
「石門心学」などの他の「町人」思想との分岐点だったことが
解説されています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
⑦「第6章 武士無用論~中井竹山の『草茅危言』」
※本章では、このように「体制変革」思想へと連なっていくのが
「懐徳堂」流儀ですので、やがては、身分「差別撤廃論」へと
突き進んでいくことになります。
幕末に「大坂」で学んだ「志士」には、
洋学・国学・儒学などその学問流派にかかわらず
数多くの先駆者がいますが、
このような従来の社会常識にとらわれない柔軟な見方を
身につけていったのが、今も昔も時代の先駆者には
変わらない特徴があるようです。
また特に、現在再び国際的紛争の危機感情が高まる情勢下で
再評価すべき視点が、懐徳堂の蝦夷「非」開発論などにあるようです。
要約すると、<非侵略主義外交論>とのことです。
このあたりの優れた論考は
今回管理人は始めて知ることになりましたが、
坂本龍馬を始めとする幕末の論客には、
蝦夷「開発」論が多く見受けられ、
その種の政策論だけに偏った本を読んできただけに
新鮮な学びをすることが叶いました。
「力ではなく、法という名の<道理>こそが再び試されようとしている
21世紀現在」だからこそ、あらためて大切にしたい視点であります。
実はこの系譜は、あの熊本が生んだ「奇才」横井小楠(小説などで
描かれる俗説では、坂本龍馬が「先生には二階ででも寝て??
見物しておいて下さい!?」なる無礼な言葉を吐かれた人物として有名ですが)や
最近の管理人が贔屓にしている中江兆民にも受け継がれた考えだと
言います。
まとめますと、「国防論」にも「科学的合理精神」が不可欠だということです。
この視点がなければ、再び「反知性」的な心理感情が高ぶって、
「神懸かり」な破局へとつながりかねないからです。
非現実的な「空想」的平和論も困ったものですが、
「理想」追求の視点を忘却した(あくまで極端すぎる)
「積極的」国防論にも注意の目が必要不可欠であります。
管理人はいつも思いますが、この年頃になると、
10~20代の頃と違って、
「中道」志向になってきます。
どなたかが、「若者が中心になりすぎる世の中も困りものだ!!」と
言及されていたことがありましたが、
まさしく、今こそ大切になってくるのが、
「大老」のご意見に真摯に耳を傾ける姿勢であります。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
⑧「第7章 近代的知の濫觴~懐徳堂の洋学」
※本章では、その後の「科学的合理精神」が受け継がれていった
懐徳堂知識人の模様が描かれています。
特に、「大坂」洋学者の中からは、
天文学者を始めとする自然科学哲学者が
数多く輩出されていったことは特筆に値する事績であります。
昨今は、江戸期の「天体学者」を主人公とした小説や映画も
話題を博しましたが、こういった「科学的合理精神」を
宿した知識人の生き様を知ることは皆さんの<知の研鑽>にも
大いに役立つことでしょう。
話題となった『天地明察』や鳴海風さんの優れた歴史評伝などは
是非ご一読下さることをお薦めします。
そんな数多くの知識人の中で、
懐徳堂にまつわる「洋学者」として著名な人物に
麻田剛立がいます。
麻田剛立の業績は、当時の西洋天文学の最先端にも達し得た
独自の発見を生み出したことにあります。
もっとも、すでに西洋では既知だった知見もあったようですが、
彼が書物から知り得なかった当時の知的状況下においても
営々と苦心惨憺たる努力の過程で、「別の道筋」から
その「解法」を導き出した姿勢は見事であります。
こうした学問姿勢を身につけることは、
現代の時間的に限られた教育環境では
はなはだ困難な道ではあります。
だからこそ、「受験」学習教育には失敗された方にも
「望み」を捨てて欲しくはないのです。
「納得出来ないことは、教科書や学位取得の機会を
投げ捨ててでも、とことん追究して下さい!!」
前にも語りましたが、世の中には、
「学校」教育には向かなかった世間的には要領の悪い
いわゆる「頭の悪い」天才もたくさん在野に埋もれています。
そうした事例が数多くあったことを、
こうした優れた評伝で知っておくことは、
人生を前向きに自尊心を失うことなく有意義に過ごすためには
よい先導役となってくれます。
「学ぶのに遅い年齢などありません!!」
「今からでも十分間に合いますとも。」
「ともに、結果を気にせずに学び続けましょうよ。」
本章の話題に戻しますが、
ここからやがて「朱子学」的世界観からの脱却が果たされていきます。
ここで「朱子学」と「物理学(当時は<窮理学>)」との関係性ですが、
この「朱子学」の思考形式が、
『事実を基にした条理の追究』(本書167頁)を可能にさせたことが、
その<新たな知>を受容させ得る母胎となったことです。
加えて、「懐徳堂」精神の特徴には、
学派流儀に拘らずに柔軟な<学際的知>を養うことが叶う
学的精神土壌にあったことがその大きな発芽の要因となったことも
上げられます。
人間の飽くなき<知の限界>への挑戦こそが、
新たなる知見を創作させ、
前人未踏の領域を切り開くことになるのです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
⑨「第8章 理性と合理主義~山片蟠桃『夢の代』の世界」
※本章では、同じく「科学者」山片蟠桃の業績が
解説されています。
その「科学的合理精神」は、「死後の世界はない!!」とする
「無鬼論」へと直結していくことになります。
従来の仏教や儒教の「方便(たとえ話)」としては、
「魂」の存在は「無記」として扱われてきましたが、
ここで明確に科学的観点から「断言」していったのが
山片蟠桃の真骨頂でした。
「魂」や「心」、「意識」の世界を
科学的にどう扱うべきかの難問や
その宗教観の違いに関しては、
現代でも錯綜しており、
これが「真相だ!!」などとは到底「断言」することなど
出来ないのが、心ある「科学者」の姿勢だと
管理人の知る限りでは信じています。
とはいえ、「物質からエネルギー」へと科学が研究考察の対象とする
領域も移ってきています。
最先端の「量子論」でもここから先へは攻めあぐねているのが
現状だとも言います。
管理人などは、「量子」物理学者のデヴィッド・ボームなどの
世界観に心惹かれるところがあるのですが、
出来るだけ曖昧模糊とした「不純物」の入り込まない知的世界を
確保しようと努力するのが<科学者精神>と申せましょう。
その意味では、この山片蟠桃の業績にも学ぶべき点が多々あります。
「迷信」や「疑似科学」へは懐疑的姿勢を持つ管理人ですが、
すべてが「科学」で説明出来ないことも十分承知しているつもりです。
そのあたりの学問状況は、今も昔も変わらないようですね。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
⑩「おわりに~懐徳堂から適塾へ=「自由学問都市」の終焉」
※やっと、「最終章」にまで辿り着きました。(フー・・・)
このような自由闊達な「学問所」が江戸期から
正式な「学制発布」が出されるまでの明治初期にまでは
存在し得たのです。
同じ「大坂」からは本書の主舞台である「懐徳堂」や
「適塾」などが濫觴していったわけですが、
その後の我が国における学問動向という観点からは、
「中長期」的な業績成果志向から
「短期」的な「実利」志向へと
大きく変質していったようです。
それには、本記事冒頭でも触れましたように、
いち早く西洋の先進事情を取り入れなければならなかった
過酷な国外情勢が存在していました。
そのことに対する問題意識の違いが、
福澤諭吉と中江兆民の学問的方法論の志向性の違いにも窺えます。
両者とも「洋学」の視点を持ち、若い頃には
「漢学」の素養も身につけてきた知識人でした。
そのように方向性は変わっていった両人でしたが、
ひとつだけ共通すると思われる姿勢がありました。
それは、「外国かぶれ」にも極端な「国粋かぶれ」にも
偏らない学的精神を身につけていたことです。
福澤諭吉などは、我が国で始めて「討論(演説)」といった
概念を学問教育の現場に取り入れた教育者でしたが、
今もって、「討論(演説)」や「対話」の重要性には
イマイチ気付かれていないフシが多々見受けられます。
私たち現代の日本人が学ぶべき姿勢を一言でまとめるとすれば、
「無理に<わかったつもり>で推し進めることなく、
じっくりと考え煮詰めながら
頭で<理解する>だけで満足することなく、
腑にも落とし込む心底<わかった>へと
熟成させていく知的姿勢」であります。
こうしてまとめてみますと、
やはり管理人の解説もどこか<啓蒙じみて>いることは否めませんが、
強調させて頂きたかったのは、
<啓蒙的学知>に主眼を置いてきたこれまでの近現代教育手法に
拘泥しない姿勢に学び取ろうとの趣旨に尽きます。
そんな柔軟な知的発想を皆さんとともに学んでいこうと
本書からその一端をご紹介させて頂きました。
本書『最終章』でも著者が強調されていますように
今後、教育現場から<失われた「対話」>(本書214頁)を
いかに復権させていくかが課題であります。
そこに、本書から学び得た<「大坂の知」の可能性>
(本書215~216頁)も残されているようですね。
ということで
いつも以上に長々と綴ってきました本記事ですが、
本書のご紹介は、これで一通り済ませましたので、
あとは息抜きがてらざっくりと読み流して下さい。
「受験生」の方や、年末の大変お忙しい方(管理人もですが・・・)は
ここで静かにご退席して頂いても構いません。
(途中退席するも、またお暇な折にでも「再読」して頂けたなら
あり得ない・有り難いことこのうえなき幸せですが・・・)
そんな方の中にも
なかなか面白いじゃないかと思って下さる奇特な方がおられましたならば、
あともうしばらくのお付き合いをして頂ければ幸いです。
(今回は、先週忙しすぎて「空白」を空けてしまいましたので、
ちょうどクリスマス前のまとまった休暇が得られたということで、
この絶好のチャンスを見逃さずに、皆さんへのお詫びの気持ちも込めて
いつも以上にご奉仕させて頂きます。)
「一生にして二世を生きる」(福澤諭吉)人生!?
さて、ここからは、心機一転気軽なエッセーを綴らせて頂きましょう。
このタイトル「一生にして二世を生きる」は
激動の幕末から明治を駆け抜けた教育者福澤諭吉の
よく知られた言葉ですが、
この「失われた20年」を何とか生き抜いてこられた
管理人の実感でもあります。
おそらく、同じ世代の方ならば
多大な共感を頂けるのではないかと誠に勝手ながら思われます。
というのも、私たち30代~40代が受けてきた教育による成果と
社会で求められる成果が、あまりにも極端にかけ離れすぎてしまったように
実感されてきたからでした。
この「失われた20年」には、様々なことがありました。
社会現象も「極端から極端」であり、
今の20代の方であれば、
「教育改革」で翻弄された人生を過ごされてこられたのでは
ないでしょうか?
そんなこんなで、管理人もたびたび「学び直し」や
「職業替え」をしてきたわけですが、
こうした経験もなかなか出来ない時代に
生まれ合わせたのかもしれないと、
「前向き」に再チャレンジの日々を送っていると、
悪いことばかりでもないようです。
特に、良かったことは、
これまでの<社会常識>が通用しなくなってきたことが
否が応でも明確に判明してきたことでした。
いよいよ、自分の「頭」で考えて生きていく時代になったのです。
つまり、もはや、誰かの敷いたレール上を歩く時代ではないということです。
このあたりの発想の転換は、「優等生」タイプの人間にとっては、
なかなか難しいことと思われます(不器用で要領の悪い管理人がそうでしたから・・・)。
ですが、その難しい心理的状況もよく理解することが出来るつもりですが、
見方を変えれば、
いよいよ自分自身の「羽」を思う存分に伸ばせる時代が到来したということでも
あります。
最初の第一歩は、世間体などで極度に気にしすぎる嫌いもあるかもしれませんが、
一歩「外界」へと飛び出してみれば、
意外にも世間体など「幻想の束」だったことに気付かされます。
同じような失敗や挫折を味わってこられた方が
たくさん存在することにです。
そうした過程があったからこそ、
今、ちょうど「働き方」改革などの話題が本格的に出始めてきたことに
敏感になっています。
また、社会保険の面では、「非正規社員」にとっても、
待遇改善の余地が出始めてきたようです。
たまたま、管理人の場合は、
とある医薬品卸商社にご縁を頂いて、
従業員数が多いこともあって、その恩恵を受けることが叶いました。
こうした意外な展開もありましたから、
ただひたすら「待ち」の姿勢でなかったのが功を奏したのかもしれません。
まったくの「好運」としか言えませんから、
本当に感謝の気持ちで一杯です。
とはいえ、「非正規」であることから、
いつ「雇い止め」に遭遇するかもしれません。
かといって、「安定志向」で「正社員」の道を歩もうとも
考えていません。
ただただ、この「好運」へのご恩返しを深く胸に噛み締めながら、
「いま・ここに」集中しながら、
自分の目指すべき人生を歩み続けることしか考えていません。
幸いなことに、管理人には、
こうして自ら打ち込める「仕事」を持つことが叶いましたので、
今後は、そのさらなるスキルアップのために研鑽を積み重ねていく日々を
続けることでしょう。
また、管理人は「射手座」でもあり、
欲張りですが、この「短い」人生にやりたいことが山ほどあります。
たまたまですが、昨日は仕事帰りに「虹」を見ることが叶いましたが、
最近は、「虹」や「龍」のような形をした雲を見ることも多くなりましたし、
夜空の星々や月をじっくりと眺める機会が多くなりました。
そんな個人的な考えや想いで、自分なりの「働き方改革」の一環として、
現在、「時短労働」に挑戦中です。
これからの「人工知能」時代のことも考えて、
微力ですが、様々な「実験」を試行錯誤繰り返しているところです。
そんなことが叶ったのも、
やはりきちんと「勉強」してきたからかもしれません。
その「恩恵」は計り知れません。
今後、「人工知能」の浸透で、
人間の「記憶力」を鍛えるような学習法は不要だとの「極(暴)論」まで
一部には出始めているそうですが、
管理人は、その説には絶対に与しません。
なぜなら、「記憶力」が豊富でなければ、
そもそも「創造的」かつ「想像力」豊かな
人間にしか可能な「仕事」は出来ないと思われるからですし、
「語学翻訳」の分野に関しても、
人間同士の微妙なコミュニケーションに支障を来すことが
まだまだ多いものと思われるからです。
ですから、若い読者の皆さんには、周りのあれこれの真偽不明な情報に
惑わされ振り回されずに、どうか落ち着いて勉学に励んで下さいね。
そして、想像力を絶えず働かせて、考える癖を身につけて下さいね。
「何が後になって功を奏するかは、誰にもわからないからです。」
このように「時短労働」のおかげで
管理人にも「考える」ための時間的ゆとりが生み出されてきました。
そんな「好運」が重なったことから、
今週の火曜日(12月20日)の仕事帰りに
管理人が敬愛する
とあるへヴィメタルバンドの「大阪」公演に出かけることが叶いました。
その話の前にですが、ちょっとだけ本書の話題に絡むネタを
一つだけご紹介しておきましょう。
どうしても「大阪」の地霊(地力・磁力)の強さを知って頂きたいからです。
それは、そのバンドの「大阪」公演はNHKホールであったのですが、
その会場近くの地下鉄谷町線「谷町4丁目駅」へ向かう大阪府警本部がある
向かい側の道を途中ビジネスホテルへと向かっていく最中に
楠に囲まれた祠のようなものがある石碑にぶち当たります。
(ちなみに、詳しい地図は、こちらの大阪市のホームページをご覧下さいませ。)
その石碑こそが、「大阪舎密(せいみつ)局」跡地であります。
この「舎密局」とは、化学講義所のような「学問所」であったようですが、
子供の頃から不思議に思っていた場所でもありました。
というのは、管理人の祖母がこのあたりで働いていたこともあり、
このあたりを連れ歩いてもらったことがあったからです。
この「舎密局」こそが、大阪で始めての「官立」学問所だったことは
後に知ることになりました。
このように「郷土史」にも嵌っているのですが、
「旅好き」の管理人にとっては、
大阪「再」発見の散策も趣味に入っています。
こうしてみると、大阪の「学問所」の共通点として
本書で紹介された「懐徳堂」にせよ、「適塾」にせよ、
「権威」や「権力」には容易に屈しない「科学的合理精神」が
根付いていたようですね。
また、本書の主舞台である「懐徳堂」における学問方針が
①「学派流儀に拘りすぎない自由な学問研究が許容されていたこと」
②「身分(今ならさしずめ<肩書き>)差別をせずに、
意欲的に学びたい者には広く門戸が開かれていたこと」などが、
その<新たな知>や<豊かな人間関係>を生み出していったことも
その特徴でありました。
こうして近世大坂の学的風土を観察してきてみれば、
現代の大学アカデミズムや企業研究、義務教育の惨憺たる現状など
「近現代」教育手法の「限界」や「盲点」が見えてきます。
どうすれば現代日本社会の閉塞性に「風穴」を開けることが叶うかを
考えていくための「叡智」の結集が、本書には満載されています。
それでは、「導入部」はこれまでとして
そのとあるへヴィメタルバンドのご紹介です。
とはいえ、本日も横浜で公演開催予定ですので、
現時点では、他のファンの方やバンド関係者に
多大なご迷惑がかかるといけませんので、
最小限に抑えさせて頂くことにします。
その答えは、前々回の「なぞかけクイズ」の「正解」となりますが、
『妖怪へヴィメタルバンド 陰陽座』であります。
世間的な知名度は、前にもご紹介させて頂きましたが、
主流メディアに出演される機会など滅多にありませんので、
「知る人ぞ知る」へヴィメタルバンドです。
とはいえ、12月第1週の産経新聞に掲載されていた
「オリコンチャート」順位では、上位ランキングに表示されていましたので、
ご覧になられた方は、
「なんじゃこりゃ、このアーティストは!?」と思われた方も
予想外の「出現」に戸惑われた方も多かったことと推察いたします。
そこが、またすごいところなのですが・・・
その新作アルバムのタイトルこそ、
「調和の美声」こと『迦陵頻伽』であります。
そうです。
仏教的世界観にお詳しい方ならご存じだと思いますが、
あの「半人半鳥」の美しい鳴き声を囀る想像上の鳥の名前であります。
この世界観を「孵化」させたボーカリストの「美声」も
優れたものがありますが、
このバンドの結成地が「大阪」だったことも
「大阪人」の管理人としては誇りに思うところです。
このバンドの基本コンセプトは、
「妖怪」に「人間」の喜怒哀楽感情のあれこれを象徴させた
題材の楽曲が満載だということです。
その題材には、謡曲などでお馴染みの「組曲」も
含まれています。
本書ご紹介の本文内でご紹介させて頂いた
『道成寺』関連の曲もございます。
「新曲」アルバムを引っ提げた公演ツアーですが、
是非この機会に触れてみて下さいませ。
来年以後も別立てのライブツアーがある予定ですので、
この機会を逃された方にも是非その世界観に触れてみて下さいませ。
と本書の話題からは大幅に逸れてしまいましたが、
この項目は、関連する素材を扱ったエッセーコーナーという趣旨で
ご寛恕賜ります。
いずれにしましても、
「大阪」は、「学問」にも「芸能」にも「食べ物」にも
何に対してもシビアな評価を下す土地柄です。
そこから生み出されてきたバンドですので、
その「洗練された」力量は抜群であると
一ファンである管理人は自負しております。
これを機会に是非多くの方々に知って頂きたいバンドです。
そのことは、バンドリーダーの「願い」でもあるようです。
日本ではあまり知られていなくても、
海外(過去には、ドイツや台湾などの実績例あり)では
積極的に公演されることも多く、
日本びいきの海外のお客様にはとても大好評でもあるようです。
ということで、いつも管理人に前に進む勇気と知恵を授けてくれる
「陰陽座パワー」をお借りすることも出来たことで
今回はいつにも増して(もちろん、いつでも・どこでも・
誰に対しても「一記事一入魂」の精神で作成させて頂いております。)
「情熱」を込めさせて頂きましたが、
もはや2万字にも達しようとしていますので、
今回はこのあたりで筆を擱かせて頂くことにします。
本書もまた、そんな優れた「浪速学芸」の真髄が
心を込めて解説されていますので、
これからの学問教育の方向性を考えて頂くうえでの
「珠玉の1冊」として、ご一読されることをお薦めさせて頂きます。
なお、「在野研究」に関わる優れた紹介本として、
『これからのエリック・ホッファーのために
~在野研究者の生と心得~』(荒木優太著、東京書籍、2016年)も
併せてご紹介しておきます。
※この本の「帯」にもありますように、
『勉強なんか勝手にやれ。やって、やって、やりまくれ!』がモットーの
これからの意欲的な若者向けの1冊です。
なお、これまた管理人一押しの
『京都アカデメイア』様のブログでも
上記書籍はご紹介されていますが、
<「在野研究者シリーズ」のコーナー>として、
今後続々とご紹介されていく予定だそうなので、
そちらのブログ記事もご愛顧頂けると
紹介者として幸いです。
(ちなみに、管理人は自由気ままな「員外」応援団の一員にしか
すぎませんので、上記団体が企画された各種イベント情報などに関する
詳細なお問い合わせは、そちらへ直接お願いします。)
また、江戸時代における貨幣改鋳史がわかる「新書」としては、
『家康くんの経済学入門~お金と貯蓄の神秘をさぐる~』
(内田勝晴著、ちくま新書、2001年)
※本書は、幕府の経済政策に携わった人物による「対談型物語」によって
わかりやすく江戸期を通じての貨幣改鋳史を学べる本です。
「日本史」論述対策としても威力を発揮してくれるかもしれません。
さらに、江戸時代の「私塾」研究としては、
『私塾の研究~日本を変革した原点~』
(童門冬二著、PHP文庫、1993年)
「適塾」研究としては、
『「適塾」の研究~なぜ逸材が輩出したのか~』
(百瀬明治著、PHP文庫、2015年)
加えて、江戸期の「寺子屋」教育に学ぶ<幼児教育>書として、
『「座右の銘」が必ず見つかる寺子屋の人生訓451』
(齋藤孝著、小学館、2010年)
※齋藤メソッドは、<幼児教育>にも大人気!?
『金言童子教』という道徳教本をタネ本とした教材です。
「親子」でご一緒に音読しながら読み進められることで、
双方共に豊かな情操力が少しずつ芽生えていくという優れた1冊です。
を本書関連本としてご紹介しておきます。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
<平成28年12月31日追記>
2016年、本年も当ブログをご愛顧頂き誠にありがとうございました。
本年度末は昨年度とは打って変わり、私的生活環境も激変しましたことから、
なかなかブログ更新も当初予定通りには進捗せずに停滞してしまったため、
楽しみにしてお待ち頂いている読者の皆様には
ご迷惑とご心配をお掛けしましたことが心残りであります。
誠に申し訳ございません。
とはいえ、ただでさえ自他ともに忙しい中において、
ノルマ的に当ブログでの「仕事」を推し進めても粗製濫造になるだけで、
当ブログ理念に悖るだけの<やっつけ仕事>になってしまうことだけは
是非とも回避したいと考えているのが正直な気持ちであります。
なぜなら、お忙しい中にもかかわらずに、丁寧にお読み下さっている
読者様の「心」を踏みつけるようなことだけはしたくないからです。
それは、当ブログにおける「仕事論」でも
たびたび言及強調させて頂いてきましたように、
皆様の貴重な人生における<かけがえのない>時々を
大切にさせて頂きたく考えてきたからでもあります。
それはそのまま文字通り<有り難い>ことでございます。
というわけで、来年度以降も、
丁寧な「仕事」を鋭意進展させて頂く所存でございますので、
2017年度もご愛顧のほど、宜しくお願い申し上げます。
来年度以後も適宜「不定期」更新にはなってしまう私的事情ではございますが、
<面白くてためになる>記事を積み重ねて参る所存でございますので、
読者の皆様方におかれましては楽しみにしてお待ち頂ければ、
管理人としては有り難いことこの上なき幸せでございます。
それでは、皆様のご多幸と森羅万象の弥栄を祈願して
本年度末のご挨拶に代えさせて頂くことにします。
平成29(2017)年は、まさしく「酉年」。
管理人がご推薦させて頂きました『迦陵頻伽』(孵化)の本命の年ですね。
そのことは、当ブログタイトル『双龍天翔』にも通じる「魂」です。
最後になりましたが、新年を言祝ぐ和歌として一献。
『酉年に 響き渡りし 鐘の音は 弥栄弥栄と 啼く羽根の舞』(管理人)
「酉年」は、「不動明王」の守り年でもあります。
大晦日から新年未明にかけましては、
寒風すさまじい日和になるとのことですが、
「初詣」などにお出かけになるご予定がおありの皆様には、
「厚重ね」であまりお体にご負担をお掛けになりませぬように
ご留意下さいませ。
それでは、「酔い(ではなく、飲み過ぎにご注意!?)よいお年を・・・」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
最後までお読み頂きありがとうございました。
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[…] 前にも触れさせて頂きましたように管理人自身は、 […]
[…] 前回は、昨年末記事でもご紹介させて頂きましたが、 […]
≪…「魂」や「心」、「意識」の世界を
科学的にどう扱うべきかの難問や
その宗教観の違いに関しては、
現代でも錯綜…≫を、数の言葉の自然数に希求し、
『自然数は、幽霊(妖怪)である。』と言ってしまった。
『コスモスのようで コスモスでない
カオスのようで カオスでない デンデン 』で、
『HHNI眺望』で観る自然数の『オモカゲ』を持ち合わせた3冊の絵本が見つかります・・・
「こんとん」夢枕獏文 松本大洋絵
「ゆうかんな3びきとこわいこわいかいぶつ」スティーブ・アントニー作・絵 野口絵美訳
「みどりのトカゲとあかいながしかく」スティーブ・アントニー作・絵 吉上恭太訳