サイエンスライター吉永良正さんの『「複雑系」とは何か』「複雑系」だけに、複雑な世界!?

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『「複雑系」とは何か』

サイエンスライターとして

著名な吉永良正さんが、20年前に

世に問うた渾身の1冊です。

今から、20年前・・・

それは、ロスジェネ世代にとっても

まだまだ「インターネット超黎明期」でした。

「失われた20年」の原因は、「複合不況」だとする

いわゆる「複雑系経済学理論」も話題となっていたのが、

今では懐かしい思い出です。

「複雑系」は、複雑なだけに厄介!?

今回は、この本をご紹介します。

『「複雑系」とは何か』                  (吉永良正著、講談社現代新書、1996年)

吉永良正さん(以下、著者)は、サイエンスライターとして

著名であり、前にも当ブログにてご紹介させて頂いた

「自然の中に隠された数学」(イアン・スチュアート著)の翻訳者でも

あります。

著者は、文系と理系双方とも経験された方でもあり、非常に分かりやすい

文体の「理系エッセー」には定評があります。

管理人と著者との出会いは、学生時代に購読していた「(受験用)数学雑誌」でも

有名な東京出版が発刊している「高校への数学」か「大学への数学」だったか

どちらかは忘れましたが、そこに寄稿されていた「エッセー」でした。

受験勉強で疲れた時など、ちょっとした「コーヒーブレイク」として

楽しく読ませて頂いたのが、今となっては「良き思い出」です。

現在、管理人も「文理双方の書評エッセーブログ」を運営させて頂いておりますが、

「わかりやすく伝える方法」など研究させて頂いています。

また、高校時代とは一味違った「読み方」をさせて頂いています。

さて、今回ご紹介させて頂くこの本は、前回の記事の末尾でも「予告」させて

頂きました「複雑系入門書」です。

「複雑系」は、現代ほとんどの学問分野に取り入れられつつある

「21世紀の先端学問」でもあります。

この本が出版された1996年から、今年でおよそ20年になります。

それは、「失われた20年」とも重なります。

管理人が大学生だった1998年は、「インターネット本格元年」とも

「日本版金融ビッグバン制度(フリー・フェアー・グローバルを旨とする

新しい金融制度)」、「消費税5%導入(1997年4月から)」など

「波乱と希望の年」で開幕したようです。

当時(今もですが・・・)、好んで学ばせて頂いていた小室直樹博士の

経済関連本で紹介されていた『複合不況』(宮崎義一著)や

『「大恐慌型」不況』(侘美光彦著)などを読みながら、「複雑系経済学」なる

世界を知ることになりました。

その頃から、「複雑系」に興味関心を持つことになりました。

1998年当時も、相変わらず「厳しい経済情勢」だったそうですが、

(「だったそうです」とは、管理人は当時学生だったので、アルバイトでしか「社会」を

実感していなかったためです。)社会の「IT元年」でもあり、これからの

経済は大きく変化していき、従来の「経済学の手法」では容易には制御不可能に

なるかもしれないとの悲観的な「講義」を聴いていたことも「きっかけ」でした。

とはいえ、「複雑系科学」とは言っても、「失われた20年」を経てもなお、

「確立された学問」ではないようです。

厳密に言うと、「今なお確立へ向けて奮闘中の未開科学」でしょうか?

「複雑系」だけに、従来の「科学的思考法」では研究するのが困難なようです。

そのあたりの事情が、本書ではわかりやすく解説されています。

これからも、ますます「社会の情報通信化(サイバネティックス化)」は

広く深く浸透していくことが予想(いや、ほぼ確定!!でしょうか?)されています。

そんな時代には、今ある学問体系では「追いつけない日」がやって来るかもしれません。

ということで、今「科学の最前線では、何が起きているのか?」を知ることは、

皆さんの未来にも直接関わってくる情報だと思いますので、

この本を取り上げさせて頂きました。

「複雑系科学」前史

「世界は、ゆらぎという未明混沌の状態から生成消滅を繰り返しながら、

複雑な渦巻き螺旋階段を上るようにして進化発展していく構造体!?」

この本でも、「複雑系専門用語」の詳細な解説がなされていますが、

それは「サイエンスライター」の著者にお任せします。

というだけでは、「無責任」になってしまいますので、おおよその

ところ、管理人の拙く未熟な頭を振り絞って理解した「複雑系世界観」を

読者の皆さんにイメージ喚起して頂くとするなら、上記のような「定義」が

「複雑系」を端的に表現しているものと思われます。

この「複雑系」の世界を解析するための、最良の科学的手法は「万年??開拓中」

のようです。

「複雑系」の「場」は、ミクロとマクロが交錯する「中間場」に秘密があるようです。

現代までに、物理学の世界では、マクロな世界を記述する「ニュートン的古典力学」と

「アインシュタインの相対性力学」の組み合わせとミクロな世界を記述する「量子力学」に

よって「現代科学」は切り開かれてきました。

21世紀の最先端科学のさらなる「最前線」では、「いのちの起源」が

ひたすら解析され続けています。

「宇宙論」でも「自然生命論」でも「人工知能(生命)論」でも・・・

特に、昨今の「脳科学」の研究から得られた知見を組み込んだ「人工機械技術」の

発展には、目を見張るものがあります。

つい先日の「アルファ碁」という「人工プログラミングソフト」が、生身の人間の

知力を打ち負かしたりと・・・

その技術の大本にも、この「複雑系科学」が絡んでいそうです。

生物の定義は、「①代謝機能・②自己生成増殖複製機能・③進化機能」とされていますが、

すでに一部は実現しつつあるようです。

「自動学習機能」が、今回も話題になっていたところですが、

「どうやら現在のスパコン能力は、人間の能力(頭の回転力)を優に上回るらしい!!」

との、「何とも言えない無言の圧力」が実感されたのではないでしょうか?

この「自己複製能力」は、ある「臨界点」を超えると「制御不能」にも

なりかねないようです。

たとえ、「試験中の実験用機械」でも油断がならないようです。

そのことが、この「複雑系科学」の前史として、この本でも描写されています。

「たまたまの遊びが、どえらい事態に発展した」事例も紹介されています。

そうした研究中に、「電子生物」は「自己増殖」していったようです。

実は、それが「悪用」されると大変厄介で「修復困難」になる事例もあります。

まさに、「アノニマスハッカー」のような「悪夢」です。

「複雑系科学」は、現在のコンピュータ科学を研究していた若きヒッピー学生からも

絶大な支持を得て発展していった様子も描かれています。

そのあたりの詳細な事情が、「サンタフェ研究所創世記」で活写されています。

この「複雑系科学」には、もう一つの「裏面史」もあるようです。

もともとは、ある気象学者の研究調査から始まったそうです。

それが、現代広告でも一躍有名になった「バタフライ効果仮説」です。

現代の「複雑系科学」の基礎を担ったとされる「カオス理論」の一例です。

カオス理論自体は、フランスの大数学者アンリ・ポアンカレが「先駆者」だそうです。

一方で、ポアンカレと並んで「先駆者」とされるソニア・コワレフスカヤ。

そのソニアの師匠がカール・ワイエルシュトラス。

その愛弟子の一人がレフラーであり、このレフラーという人物は「ノーベル賞」創設者

であるアルフレッド・ノーベルとは「不仲」だったそうで、それが「ノーベル賞」に

未だ「数学賞がない理由!?」だそうな・・・

「なんや、個人的な逆恨みかいなぁ~」とまあ、以前

「なぜ、ノーベル賞に数学賞がないのか??」疑問に思っていた謎が解けたのでした。

閑話休題・・・

それはともかく、このような「人物の初期連鎖」こそ、「複雑系科学」の

もう一つの「隠された面白いテーマ」でもあります。

話を「バタフライ効果仮説」として後世語られるようになった、

気象学者エドワード・ローレンツに戻しますが、彼が気付いたのも

上記の「初期条件に対する鋭敏な依存性」という発見でした。

やがて、「リー=ヨークの定理」で有名になる二人の学者から

数理生態学者のロバート・メイを介して「カオス・ブーム」に点火されていった

ことが、後に始まる本格的な「複雑系科学の夜明け」でした。

「3人ではなく、4人とは・・・」

前にもご紹介させて頂いた物理学者「パウリの迷い!?」ではないですが、

数字も不可思議な点が、個人的に妙に感じたのでした。

複雑系科学の未来

というわけで、この本では「複雑系科学」の前史とともに

本場アメリカの「カオス研究」と日本の「複雑系研究」の様子が

紹介されています。

アメリカで始まった「カオス理論」は、やはり「近代科学の残滓」を

なかなかぬぐい去ることが困難なようです。

「複雑系は、複雑なだけに厄介!?」と、冒頭でも語りましたが、

「科学的に」研究していく限りにおいては、非常に「高いハードル」も

あるようです。

日本でも、従来の「科学的研究手法」を何とか克服しようと

あらたな挑戦をされているようですが、なかなか「複雑さを複雑さのままで、

あるがままに記述する科学的手法の確立は前途多難!!」のようです。

この「複雑系科学」には、魅力がありすぎる反面「何でもあり」に陥りがちな

「倫理的な難点」も抱えているので、慎重に進めざるを得ません。

つまり、研究方法を一歩踏み外すと、「科学と擬似(ニセ)科学の境界線」が

ぼやけてしまい、「科学的研究」としては収拾がつかない状態にはまり込むからです。

そのことで、無理をしすぎると「理研問題」や「ソーカル事件」のようなことにも

つながりかねません。

そのことも、著者は複雑系科学を単に期待するだけでなく、

厳しい現状と問題点も指摘されています。

何はともあれ、数学の世界でも「非線形・非連続型の有限離散アナロジー数学」が

「現代数学の最前線」にもなってきているようですが、「数学的」には記述出来ても、

「科学的」に記述することは、現段階では厳しすぎる道のりのようですね。

なぜなら、複雑系科学の世界では、明確な形を持たず曖昧な領域をどうしても

残してしまうからです。

このように「複雑系科学」の世界を観察してきましたが、「全く希望なし」でない

ことは確かなようです。

個々の複雑な現象を「科学的分析手法」でもって記述することには、まだ成功して

いないようですが、「応用研究」の分野では、先程の「人工知能(生命)」のように

あたらしく世界に生み出されてきているからです。

しかし、この発明・発見に不安やおそれを抱くのも、人間としては自然な反応だと

思います。

「複雑系科学」が、克服しようとしてきた「近代科学の元祖デカルトの亡霊」と

いかに戦っていくか?

再び、悪夢「人間機械論」(ラ・メトリー)のような「古典的な機械的人間観」も

甦ってきているように思われます。

また、不安を感じてしまうのは、言うまでもなく、

現実の自然(世界)も人間も「有機的な生命体」であり、

単なる「からくり仕掛けの機械人形」ではないからです。

そのような「機械的・目的的な人工組織論(人間観・世界観)」こそが、

20世紀の悲劇を生み出してきたことも、「貴重な教訓」として、

決して忘れることは出来ません。

そのことは、著者も特に「計画(統制)経済の失敗」として強調されています。

「空想から科学へ」の標語の厳しい現実的教訓は、「空想から科学的空想へ」に

すぎなかったわけだと・・・

「複雑系科学」から出現してきた「創発的な自己組織化」の原点が、

フリードリッヒ・ハイエクの「自生的秩序」などのアイディアに由来するか否かは、

なお慎重に考察すべしと、著者も見ておられるようですが、上記の「計画(統制)経済」

の批判者でもあった彼なら「現代経済」の「カオス状況」をどのように解決されるのか、

興味もあるところです。

ある意味、「創発的自己組織化」はある「臨界点」を超えると「制御困難」になることは、

冒頭でも考察してきたところです。

2016年現在、今までにない「実験」が、「経済の現場」で大規模に行われている真っ最中

ですが、どのように「制御」していくのか、「複雑系経済学」の視点から見ても

興味ある課題です。

いずれにせよ、「安定的な経済秩序が戻ってくることを祈るばかりの日々」です。

かように、「複雑系科学」の世界の守備範囲は広いようですが、「悲観・楽観」

双方の視点をバランスよく持ちながら、学んでいきたい「新しい学問分野」です。

最後に、何度も確認の意味を込めて恐縮ですが、

「複雑系は、複雑なだけに厄介!!」だからこそ、「取り扱い注意」の学問であることも

忘れないで頂きたいところです。

「安易で恣意的な拡大解釈は、ろくでもない結果に導かれることは歴史の証する教訓」です。

『「複雑系」とは何か』

読者の皆さんは、いかがでしたか?

管理人も理解が難しく、皆さんに正確にお伝えできたかどうかは、心許ないですが、

そんな時は、是非この本を入口として「複雑系の世界」を覗いてみて下さいね。

そこには、きっと、未知の不思議な世界が広がっていることでしょう。

最後までお読み頂きありがとうございました。

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4 Responses to “サイエンスライター吉永良正さんの『「複雑系」とは何か』「複雑系」だけに、複雑な世界!?”

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