高橋順一先生の「ヴァルター・ベンヤミン~近代の星座」希望なき人々のためにのみ、希望は与えられている!?
「ヴァルター・ベンヤミン~近代の星座~」
高橋順一先生の若き日のお仕事です。
「ただ希望なき人々のためにのみ、希望は
ぼくらに与えられているのだ。」
この本は、バブル崩壊・ソ連崩壊の時期に
世に送り出された作品です。
あれから、20数年経ちますが、未だに
長期経済衰退の余波から乗り越えられていない
現状です。
この「失われた20年」には、多くの方々が
精神的苦痛へと追い込まれていきました。
今回は、この本をご紹介します。
「ヴァルター・ベンヤミン~近代の星座~」 (高橋順一著、講談社現代新書、1991年)
高橋順一先生(以下、著者)は、早稲田大学教授で、
ドイツ・ヨーロッパ思想史がご専門です。
ねばり強く時代批評にも優れた思想構築で知られる
ようです。
※著者のブログは、こちらをご参照下さいませ。
今回ご紹介させて頂くヴァルター・ベンヤミン
(以下、ベンヤミン)も、現代のあらゆる時代風潮に
強靱な抵抗力を示してきた思想家です。
特に、有名な「パサージュ論」(未完)では、
現代消費資本主義社会における人間と事物へのあり方に
関する貴重な論考を残されています。
残念ながら、第一次世界大戦から第二次世界大戦に至る
「激動の戦間期」のドイツで生まれ育ち、世の「主流秩序」に
馴染めなかったために、短い生涯を亡命先で客死します。
享年48歳でした。
自分の人生に忠実に、世のために生きようとの意志を
誰よりも強くお持ちでしたが、生来の「不器用さ」のためか
世の中の流れに順応出来ずに、少数の友人知人に見守られながら、
後世に「瞬く星座」として、多くのお仕事を残されました。
さて、ベンヤミンのことについては、本文で追々語っていきますが、
日本ではあまり知られていない思想家であります。
まず、管理人とベンヤミンとの出会いですが、
大学時代に「貨幣論」について考えていた時に、
今村仁司先生の著作に触れたことが、きっかけでした。
「現代社会には、やっぱし何らかの違和感があるよなぁ~」
「俺って、これからの社会でちゃんと生きていけるのか・・・」
と、学生時代から「悩み多き憂鬱な青年」だったので、
将来の「生計」に関わる「貨幣論」にも、自ずと興味関心が
惹きつけられたからです。
さて、管理人はどちらかと言えば
「保守系リバータリアン」的な考えを
持っていますが、一般的には「保守(右派)」の立場の
人々からは、ベンヤミンは嫌われているようです。
なぜなら、ベンヤミンは、左派マルクス主義的な
「フランクフルト学派」の系譜の思想家だと見なされている
ようですし、この「フランクフルト学派」は、日本の戦後政策にも
大きく影響を与えてきたからです。
実は、この「フランクフルト学派」に属するドイツからの亡命知識人は、
アメリカのCIAの全身であるOSS顧問として働いていたことも、
戦後明らかになっています。
そのため、現行の「戦後秩序」に違和感を持つ「保守派」から見ると
当然、評判は芳しくないということになる訳です。
当ブログは、「政治活動」が目的ではないため、党派に関わらず
管理人の心の琴線に触れ、皆さんにも問題を幅広く共有して頂ける
ような「好著」の紹介をしていくつもりですので、その点は
安心してお読み頂ければ幸いであります。
とはいえ、この「フランクフルト学派」の現代思想・文化に与えた影響は
見過ごすことの出来ないほど、今や幅広く社会に浸透しているからには、
無視し得ない思想でもあります。
「知られていないだけに、その影響力たるや凄まじい!!」
ということです。
例えば、現代音楽に影響を与えたアドルノや現代コミュニケーション理論では、
その名を知られるハーバーマスなどがいます。
という訳で、ベンヤミンも参加した「フランクフルト学派」の前置きは、
このあたりで中断しますが、このベンヤミンにだけは、
他の「マルクス主義者」にはない「大いなる魅力」を感じたのでした。
この「フランクフルト学派」は、一般に「批判理論」として知られていますが、
ベンヤミンもマルクスなどの影響を受けながら、独自の「批評理論」を
構築しています。
そのベンヤミンの「批評理論」は、「書評」にも学ばせて頂くところ
「大」でしたので、今回この本を取り上げさせて頂きました。
思想的立場は違えど、昨日ご紹介させて頂いた、俗に言う「保守派」の
福田恆存氏とも 共通する「言葉」の問題を深く考察追究した「批評家」でも
あります。
その意味で、「政治的価値観」の違いにこだわらずに多くの方に
もっと知られてもいい思想家です。
ということで、満を持してご紹介させて頂きます。
希望を求めて、常に「外」へ越境していこうとする「魂」
ベンヤミンの思想は、多岐に渡っており、また難解な「比喩的表現」も
見られるため、未だ「ベンヤミン専門家」にも十二分な共通理解が
得られていないようです。
どういうことかと言えば、管理人は「専門家」でないので、もとより
簡潔にご説明申し上げる言葉を持ち合わせていないのですが、
ぶっちゃけて語りますと、
「妖怪<ぬらりひょん>(鵺的存在)」のような
一見して、とらえどころのない思想家というところでしょうか?
他の思想家のように、いわゆる「明確な形での体系化理論」が
残されていないからです。
ただ、管理人の「つかみ」では、
「事物そのものの背後に隠されている語り得ない
かつて生きており、今はもう失われてしまったイメージ」を
甦らせていくための知恵を、
どのようにして引き出していくのかという問題意識が、
ベンヤミンの生涯の「大きなテーマ」だったようですね。
確かに、「思想」は「思想家自身の生き方そのもの」ではありますが、
ベンヤミンの場合は、より一層深い「生き方そのもの」だったようです。
ベンヤミンは、ユダヤ人なのですが、基本的にユダヤ思想は「対話と緊張」
双方を重んじるところ、さらに「神秘的」なユダヤカバリズムの影響を
受けているようです。
ベンヤミンは、ユダヤ神秘主義思想家であるショーレムや、
有名なカバラの「生命の樹」の独特な解釈で、日本でも「占星術の世界」
などで知られるマルティン・ブーバーとも交遊関係にありました。
ここから、伝統的ユダヤ思考法の「対話術」の影響があります。
※『カバラ・マインドシステム活用術』(斉藤啓一著、学研、2013年)
の「第1章 カバラとは何か?」も参考にさせて頂きました。
ところで、ベンヤミンはショーレムの方に傾いていたようです。
ブーバーとも付き合いはあったのですが、「言葉に対するイメージ認識」で
ベンヤミンとの間には、大きな隔たりもあったようです。
これは、第一次世界大戦における「戦争への評価」を巡っての対立も
あったようですが、長い付き合いでもあったようなので、それだけが
「真相」でもなかったようですね。
なぜ、「戦争」が大きなテーマともなったかというと、
「戦争に対する評価(意味づけ・解釈)」は、まさしく「言葉の問題」も
内在しているからです。
ベンヤミンは、しばしば「世界の切れ目」のことを「危機」というキーワードで
表現していくのですが、この「危機」の解釈にブーバーとの分岐点がありました。
ブーバーには、「戦争」という「究極の危機状態」が、人間の精神を
より一層高めていくとする「苦難の民」のようなイメージがあったようです。
一種の「救済思想(選民主義)」的な考えですが、この点は、
同じくユダヤの伝統的な「救済思想(メシア二ズム)」の影響を受けつつも、
ベンヤミンには、もっと穏健で普遍的な「危機克服思想」を模索していたようです。
冒頭でも触れましたが、ベンヤミン思想を理解するうえで欠かせないのが、
「マルクス主義」と「メシア二ズム(救済思想)」です。
この一見対立するかに見える思想ですが、「普遍主義」を目指そうとする
ことでは、共通の問題意識があります。
もちろん、細かい「分派」はありますが、ここではあくまで
「おおざっぱ」に語っておきます。
そこで、哲学の主題である「人間と世界(事象)」との関わり方を、
ベンヤミンも探索していくのですが、その「関わり方」において、
ベンヤミンは、「危機」を活用していきます。
ここに、「批評的生き方」が立ち上がってきます。
ベンヤミンにとって、「批評=危機」という認識でした。
「事物の裂け目から現れ出る失われた感覚へ!!」
それは、「言葉」でもって直接「語り得ない感覚」を
重視していくということです。
ここで、「失われた感覚へ」というところが、ベンヤミン思想と
その生涯(生き方)を理解するうえで、最も重要な視点となります。
実は、この「失われた感覚へ」は、そのマルセル・プルーストの
著名な「失われた時を求めて」へと通じていくのです。
ベンヤミンは、この作品の一部翻訳も手がけていたのです。
この「失われた事物そのものの生きた魂」に、いかに邂逅して
「生き生きと」復活させていくのかが、フランス現代思想の
主要テーマでもあるようです。
ここで、やっとベンヤミンの短い人生にとって、深い関わりのある
フランスに到着しました。
後に、パリの街で貧しいながらも、崇高な魂で眺めて
優れた文明批評論に仕立て上げた「パサージュ論」の誕生地です。
ここで「不思議な愛のある展開」が待ち受けていました。
ベンヤミンにとって、リルケとの接点とは・・・
それは、リルケが本来なら翻訳する予定だった、
サン=ジョン・ペルスの「アナバーズ」という作品の翻訳を
リルケもまたベンヤミンを評価して、この翻訳をベンヤミンに
回してくれたからでした。
この時、リルケもまた、ベンヤミンと同じく「極貧生活」だったのに。
リルケのパリでの「極貧生活」は、「マルテの手記」の素材でもあります。
この素晴らしい書籍も、また機会あればご紹介したいと思います。
ところで、ベンヤミンは、終生「旅人=遊歩者」でありました。
ここで、ベンヤミンの「旅人人生」ですが、これは何も「富裕な生活」を
楽しんでいたからではありません。
つまり、
「適当に放蕩息子のようにブラブラして遊んでいた訳ではない!!」のです。
ベンヤミンにとっては、そうするしかなかったのです。
ベンヤミンもユダヤ人の「裕福な家庭」に生まれ育ったのですが、
若いときに「すべての財産を捨てた!!」のです。
このあたりは、同じくユダヤ系だったスピノザと似ていますね。
どうやら、伝統的ユダヤ人でも「神秘的求道者」の傾向にある
人間には、どこか「この世から超越した視点で生きる」という方が
おられるようです。
管理人も「異邦人的感覚」を持って生きてきましたので、こうした
「ユダヤ的生き方」には、憧憬しています。
この「異邦人的生き方」が、悲しいことに「ユダヤ人」が
誤解されている点でもあるようです。
誤解から免れ、生き残るためには<対話と緊張>を強いられてきたのが、
ユダヤ人の「真の姿」の一面でもあったようです。
私たちは、世の中の「表層」だけにとらわれずに、もっと「他者理解」に
努めなければなりません。
そのあたりの事情をベンヤミンとの絡みで語ると、同じくユダヤ人の
ハンナ・アレントがいます。
彼女は、ベンヤミンを「オーム・ド・レットル(文人)」と定義されています。
「文人」と言えば、日本では「牧歌的な隠遁者」のイメージがありますが、
必ずしもそのような意味ではありません。
「ジャンルを越境・解体する根本的な批評家」というイメージのようですね。
さて、ここで、タイトルの話題につながりましたが、
この「希望を求めて・・・」の原点も、ベンヤミンが残した
ゲーテの『親和力』についての論考の前後を飾る言葉にありました。
それが、冒頭に掲げさせて頂きました
「ただ希望なき人々のためにのみ、希望はぼくらに与えられているのだ。」
です。
著者の解説によると、この言葉が
ベンヤミンの仕事の意味をすべて表現しているようですね。
ただひたすら己の魂に忠実に生きるために・・・
さて、ベンヤミンの有名な「パサージュ論」に移って参りますが、
この「論考」は、著者の解説を手引きに、各自お時間がおありの方には
「原本」をお読み頂くとしましょう。
結局、ベンヤミンの仕事は、
「自分自身と世界(事象そのもの)との間をいかにつないでいくか?」
という「問い」に対するヒントを示唆することでした。
私たちは、言うまでもなく「現代消費資本主義社会のど真ん中」に生きていますが、
ベンヤミンが生きた19世紀末期から20世紀初頭も、今と同じく
「技術革新と人間の関与の仕方」について不安があった時代でした。
しかも、18世紀の産業革命以来の「技術革新」の成果の果てに、
「二度の世界大戦と左右両翼の革命運動」があったのですから、
当時にとっても「最重要課題」でありました。
ここからが、「ラディカリスト批評家」ベンヤミンの面目躍如たる
ところですが、彼は、マルクス主義の洗礼を受けながらも、
「マルクス主義そのものの限界」をも乗り越えようとする
時代の風説に耐えうる堅固な思想構築を残されました。
まさに、「なにものにもとらわれないベンヤミン」です。
「事象」の表面ではなく、
「事象そのものから抜け落ちていこうとする失われた事象のかけら」を
追憶などの「積極的な精神活動」を介して取り戻そうとします。
これは、「失われた時を求めて」のテーマにも通じますが、
「事象そのものの魂」を「救済」していこうとの試みです。
この考え方の土台に、ユダヤ神秘主義による「救済思想」や、
「事象そのもの=現在」を回転軸に、失われていった<過去>と
将来における復活を目指す<未来>での、「事象そのものの魂」の救済に
関与していきます。
今回は、細かい点は省略しますが、「事象そのもの」の
「イデア(観念・表層的イメージ像)」は、どれほど精密に描写しようと
試みても「言葉」だけでは、語り尽くせません。
そこで、ベンヤミンは「アレゴリー(寓意・暗喩・比喩)」などを
活用した「現象(事象の表面像)と理念(事象そのもの)のズレ」を
取り戻そうとする試みを提供します。
ベンヤミンも「占星術」が好きだったのかどうかは、わかりませんが、
彼は、しばしば「現象(個々の星)と理念(星座=状況)」の
アレゴリー(類推的イメージ)でとらえていたようです。
その「現象(個々の星)」が、「理念(星座=状況)」から
離れていく「危機感」を評して、「危機の星座=状況」と表現したのでした。
さて、そろそろ「締めの時間」です。
この状況を、現代消費資本主義時代における
「個々の商品やサービス(モノとコト)」に当てはめてみますと、
そこには「温もりが消えている!!」ということに類比できます。
いかにして、この「かつて生きていた暖かみを蘇生させるのか?」
それが、ベンヤミンの終生の「問い」でもありました。
このことは、ベンヤミンとも親交があり、前にも当ブログで
取り上げましたバタイユとも共有していた問題でした。
バタイユは、ベンヤミンの未完に終わった「パサージュ論」の
草稿を受け継ぎ、後世に大切な「人類の知的共有財産」として
残してくれた「影の立役者」でもありました。
こうして、今日の記事も終末になりましたが、
ベンヤミンも最期は、ナチスの追跡から必死になって逃れようとしますが、
異国の地にて「異邦人」として「客死」してしまいます。
その痛ましい最期は、悲しいことではありましたが、そのことが
「個々の星(他の亡命者)」を「星座(ベンヤミンの御霊)」の
命がけの「訴え」で、「救済」されることにつながったようです。
このエピソードを知った時、管理人も涙腺がゆるみました。
「人間は、死んだ後も必ずわかる人には想いが届くのだ!!」と・・・
「生前の思想的価値観やあれこれの属性(肩書)など、何ほどの意味が
あろうか」と・・・
「死後は、恩讐の彼方へ」ですが、このことが「生きている間」にも
人類の「相互理解」に役立ってくれればどんなにいいことか・・・
そう考えると、「人間とは、かくまで悲しい性をもった生き物」なのかと
感じざるを得ません。
「失われた時を求めて」・・・
最後にベンヤミンの言葉で締めくくらせて頂きます。
「偉大なものをとり逃がしたと嘆くことなしには、生活は革新できないのである。」
皆さんも、「政治的固定観念」にとらわれずに、どしどし
古今東西の賢者から学んでいきましょうね。
そんなこんなで、今日はいつもに増して力が入りましたが、
そんな魅力あふれるベンヤミンのご紹介をさせて頂きました。
なお、ベンヤミンについてもっと学びたい方へ、
『ベンヤミンの<問い>-「目覚め」の歴史哲学』
(今村仁司著、講談社選書メチエ、1995年)
「ベンヤミン~破壊・収集・記憶~」
(三島憲一著、講談社学術文庫、2010年)
『ヴァルター・ベンヤミン~「危機」の時代の思想家を読む~』
(仲正昌樹著、作品社、2011年)
※仲正先生は、左右両翼思想について、バランスよく紹介されており、
安易な「わかりやすさ=レッテル貼り」を回避する知恵を提供してくれる
先生です。本文でも触れさせて頂いた「ハンナ・アレント論」でも、
優れたお仕事をなさっています。
『ベンヤミンにおける「純化」の思考~
「アンファング」から「カール・クラウス」まで~』
(小林哲也著、水声社、2015年)
※小林先生は、若い方なりに素晴らしい感性もお持ちのようです。
管理人もこの複雑で一読しただけでは、理解困難だった「ベンヤミン論」を
整理するうえで、
「NPO法人京都アカデメイア」さんの動画教材で学ばせて頂きました。
こちらのブログで、小林先生の著書の紹介と解説も閲覧することが出来ます。
この京都の小さな「寺子屋」は、これからもっと成長して頂きたい
優秀な「私塾」であります。
ここに、日頃の感謝を込めて厚く御礼申し上げます。
最後までお読み頂きありがとうございました。
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