ジェイムズ・D・スタイン氏の『不可能、不確定、不完全~「できない」を証明する数学の力』「不可能証明」でも「転用可能」!?
『不可能、不確定、不完全~「できない」を証明する数学の力』
「プターク=スタインの定理」として知られる
ジェイムズ・D・スタイン氏が、
「知り得ない」や「できない」領域に焦点を当てた
物語風の数学啓蒙書です。
法学の世界では、「消極証明」は、「積極証明」よりも
絶望的に困難な証明法と言われますが、
数学の世界では必ずしも当てはまらないようです。
「予想外の効用?」
今回は、この本をご紹介します。
『不可能、不確定、不完全~「できない」を証明する数学の力~』(ジェイムズ・D・スタイン著、熊谷玲美・田沢恭子・松井信彦共訳、早川書房、2011年再版)
ジェイムズ・D・スタイン氏(以下、著者)は、
アメリカのカリフォルニア州立大学ロングビーチ校の
数学教授を長年務められている数学者です。
「プターク=スタインの定理」を発見されたことで、
その名が知られるようになったそうです。(本書191頁より)
本書は、そんな数学者である著者が、
数学的証明法、中でも「できない(消極)証明」が、
他分野に絶大な影響力を及ぼす事例を「わかりやすく??」
物語風にユーモアたっぷりの調子で解説されています。
『「できない」証明なんて、一体何の役に立つって言うんだい??』
おそらく、「数学者」以外の研究者や一般人なら、
そのような第一印象を抱くのではないでしょうか?
なぜなら、管理人を含め、人間的直観に反するように感じられるからです。
それは、同時に「この世界」に「不安定感」を持ち込むことにもなるため、
人間が、無意識にも警戒心を抱くからのようです。
とはいえ、人間は、どくまでも飽くなき挑戦を続ける生物です。
人間が、他の生物との分岐点で、大きく異なるものと
勝手に思い込んでいる!?点があります。
それが、「知性(知的判断能力)」であります。
しかし、もし、人間自身の「知性」によって、その「知性」自体に
「知り得ない」、「できない」という領域があるのだと証明されたならば・・・
これを、専門用語では、「メタ認知能力の限界」だとか、「フレーム問題」と
いうようですが、仮に、そうした「知性の限界」にぶち当たったとしても、
「心配はご無用!!」です。
その「証明」自体が、将来的に「無用」どころか「有用」なものとして、
大きく化けるかもしれないからです。
「限界」を予め「知る」ことで、「ムダな思考の節約」になったり、
よくわからない事物(事象・現象)に対する不毛な論議や
無用な不安感や不信感すら回避出来るといった現実的な「効用」もあるからです。
このように、「できない(消極)証明」を可能にする数学の力には、
大いに興味関心がそそられ、「できない」を「できる」に変える「不思議な力」も
備わっているようです。
人類が、有史以来、探究してきた「数学史」とは、そのまま「知的格闘史」でもあり、
現代人にも大いなる勇気を授けてくれています。
ということで、本書を読み進められる過程で、一見無味乾燥で理解困難だと
思われている「数学の力」の意外な側面を皆さんにもご紹介させて頂くことで、
「この世界」に隠れた暗号がまだまだ多く残されていることを知って頂きたく、
この本を取り上げさせて頂きました。
そのことによって、読者の皆さんの「世界観」をさらに拡張してもくれるでしょう。
なお、本書は、「数学啓蒙書」であり、典型的な「文系人」である管理人にも
理解不十分であったり、日常生活では、あまり知り得ないことも多々出てきます。
よって、数学にご興味関心がある「理系人」以外の一般的読者層にとっては、
読みづらい点も多々あるかと思われますので、その際には、
ご自分にとって、面白そうなテーマだけに絞って、適宜「飛ばし読み・拾い読み」
されることをお薦めさせて頂きます。
というわけで、以下のご紹介を兼ねた諸考察も、管理人にとっての関心分野に
絞らせて頂きますので、予めご了承下さいませ。
数学的に「できない」証明も、様々な分野に「転用可能」!?
本文に入る前に、本書の内容をざっと<訳者あとがき>などを
参考にしながら、おさらいしておきます。
①「前置き~序論」
日常生活上の難題や一見すると簡単そうに思われる問題も、
実際に取り組み始めると、予想外に手こずる事例などを挙げながら、
「思考や時間の節約」につながる有益な視点を予め発見出来るならば、
便利ではないかとの問題意識から、「数学的証明」の奥深さへと
自然に導かれていく「導入部」となっています。
しかも、この「数学的証明」の歴史を観察すると、
様々な数学者の人生がかかった壮絶なドラマが背景にはあったのだと・・・
②「第1部:宇宙の記述」
ここでは、「第2部:不完全な道具箱」における第6・8章、
また、「第3部:情報-ゴルディロックスのジレンマ」における第10・11章の
「現代最先端宇宙論」を考察するうえでの「知的道具」を、
数学者のヒルベルトやカントールの「集合論」や「連続体仮説」、「選択公理」に
求めながら、本書全体の「準備作業」をされています。
そして、本書の主題「できない」における「物理面」における
ハイゼンベルグの「不確定性原理」などが解説。
なお、ハイゼンベルグの「不確定性原理」については、
前にもご紹介させて頂いた記事をご参照下さいませ。
③「第2部:不完全な道具箱」
上記「宇宙論」に関わる諸論だけではなく、
「方程式の歴史」や
一般的には「決闘」のエピソードで有名な数学者ガロアの「群論」、
ロバチェフスキーらによる「非ユークリッド幾何学」から、
本書の主題「できない」における
「論理面」における「限界」を証明したとされる
ゲーデルの「不完全性定理」について解説。
なお、ゲーデルの「不完全性定理」については、
前にもご紹介させて頂いた記事もご一読下さると幸いです。
④「第3部:情報-ゴルディロックスのジレンマ」
「マーフィーの法則」・・・著者の一言要約では、
「失敗する可能性のあるものは、必ず失敗する」(本書265頁)から、
コンピュータアルゴリズムに関わる「P=NP問題」や
「確率・統計問題」、「カオス(複雑系科学)理論」、
昨日も触れさせて頂いた
「熱力学第二法則(エントロピーの法則)」などについて解説。
⑤「第4部:到達できないユートピア」
こちらは、数学者から鞍替えした異色の経済学者である
ケネス・アローの「不可能性定理」の解説を中心に、
「政治面」では、今もっとも話題の「投票行動の<限界>」や
「経済面」における「情報の非対称性理論」
(本書では、上記「政治面」主体の解説ですが・・・)といった
いずれも「現代民主主義の<限界>」の諸問題について解説。
そして、終局に向けて、今後の「数学と物理学の未来」から
「現代最先端宇宙論から見た人生観(世界観)」、
「最後は<好きなものこそ大切にしよう!?>の世界へ」など、
「できない」証明から得た知見を各人各様で活用していこうとの
見果てぬ知的探求心の「旅」へと誘導されていきます。
なお、ケネス・アローの「不可能性定理」については、
こちらの記事もご参照下さいませ。
以上、本書の内容の<あらすじ>をご紹介させて頂きました。
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このように、400数頁ほどもある「長編モノ」ですが、
先程のリンク先記事でもご紹介させて頂いた
高橋昌一郎先生の「限界シリーズ(ゲーデル含む)」
新書解説本4冊分にも匹敵する大変密度の濃い作品を
これ1冊で吸収出来るのですから、贅沢な本であります。
とはいえ、一般向け読み物としては、断然あちらの方が
「対話形式」の語りで「わかりやすい文体」なので、
本書の要点がもう一つ飲み込めなかった方には、お薦めです。
後で、ゆっくりと復習してみて下さいね。
特に、大学生の一般教養課程や公務員試験、
司法試験対策などで、これらの「一般教養」を学ぶ必要がある方には、
是非お薦めしておきます。
まとめますと、本書では、「証明法」に関する数学と物理学における
扱い方の違いの要約から、数学的証明により「できない」ことが、
たとえ証明されたとしても、将来的には多方面での活用も
十分に考えられるとのことで、「できない」証明にも利点が多々あることが
様々な事例とイメージを使った語りで解説されています。
特に、数学的証明と物理(科学)的証明の相違点は、必読です。
このあたりを読まれると、数学がいかに「積み重ねの学問」であるかが
理解されることでしょう。
管理人が昔お世話になった「法律学」も「積み重ね学習」が重要でしたので、
やはり「法律学」をこれから学ばれる方にとっても、
「数学的証明(推論)」は学んでおいて損はないと思われます。
まぁ、数学が苦手でも、法律学の理解は可能ですが・・・
とはいえ、「(法的)三段論法」は、「数学的証明」や「科学的証明」よりは、
はるかに簡単ではありますが、実務家を目指される方にとっては、
「えん罪防止」のためにも、厳密な証明トレーニングを十二分に
積み重ねられることを願います。
こういった分野は、「人工知能」でもまだまだ難しいでしょうから・・・
このところ実務でも、こうした「証明トレーニング」が疎かにされていると
見受けられますので、「慎重な姿勢とはいかなるものであるか?」を
予めイメージトレーニングするうえでも、数学は大層役立ちます。
このように、「できない」証明は、守備範囲がかなり広いようですね。
「連続体仮説」と「離散構造仮説」の合体こそ、宇宙の真相!?
さて、「できない」証明に関する詳細は、
本書をお読み頂くとして、ここからは、
管理人の興味関心ある「宇宙論」のテーマへと移らせて頂きます。
やはり、管理人にとっては、「宇宙第一」なのですね。
もっとも、「この(現実)世界」とて、「宇宙の一部」です。
ただ、いつも「宇宙論」を探索していると、
ものの見方の変化が、人間の意識次元の領域を押し広げるのだという
視点が、勉強になるのです。
私たちは、普段の日常生活では、狭い世界での視野しか
持ち合わすことが出来ないよう誘導されているような時空間にいますので、
折に触れて、意識を高めていく努力をしていかないと、
人間としての成長も望めなくなるからです。
そのことで、現在只今まで、この地球上でどれほどの惨禍があったかと
思うと、胸の痛みを覚えます。
そうした観点から、この「宇宙の成り立ち」を観察してみると、
不思議なことに気付かされます。
先程、「第3部:情報-ゴルディロックスのジレンマ」として、
「ゴルディロックス」と出てきましたが、
これは、童話『3びきのくま』を引き合いにしたタイトルのようですが、
「宇宙論」では、「人間を含めた生物にとってちょうど住みやすい時空間」と
いった意味があるそうです。
本書でも多少関連のあるスティーヴン・ホーキング博士だったか、
私たちの住む「地球」周辺領域のことを、よくこの言葉で表現されていますが、
本当に「地球」とは、「奇跡の星」であります。
地球生態系は、地球外の宇宙空間とも異なり、適切なバリアーが
張り巡らされているといいます。
私たちは、このバリアーのお蔭で、生存可能な状態を許されています。
にもかかわらず、私たちは、自らの拙い「知性」によって、
何でも「できる」と豪語しながら、この地球環境を破壊してきました。
挙げ句の果てには、上記のホーキング博士に対する批判という訳ではないですが、
一部の宇宙物理学者の中には、地球外に脱出場所を求めようと主張する方まで
すでに出始めているそうです。
しかも、「地球外生命体」に遭遇せずして・・・などという
「条件付け」まで考慮されていると言うのですから、
なんたる人類の傲慢さよ・・・と、
「宇宙人」の一員である「地球人」である管理人などは、
いつも悲しく感じるのです。
「宇宙人」も「地球人」も、同じ「宇宙時空間」で
共存共生しているわけですから、
「なぜに、地球人だけが特別扱いされるのでしょうか??」
まったく、理解すら出来ません。
もちろん、「肉眼」では、「地球外生命体」をこの目で
しかと見たことはありませんが、「心眼」ではすでに捉えています。
それが、「生命のようなもの<意識の流れ>」であります。
「心」と「意識」では、厳密な言葉の定義は違うようですが、
「心とは、鏡のようなもの」、
「意識とはイメージ(想念)のようなもの」と、とりあえず定義しておきます。
この「意識の流れ」とは、超微細構造のようで、
日常生活では、なかなかお目に掛かれない次元にあります。
もちろん、生きている限り、「意識はある!!」のですが、
こうした「宇宙論」の視点から「意識」を考察していくと、
この「意識の流れ」も、それぞれの「次元」によって、
大きく変化していくことが察せられることでしょう。
何も、「科学的に正しい言葉(<政治的に正しい言葉>をもじっています)」で
表現しなくても、「この世界(宇宙時空間)」を表現する術は、
いくらでもあります。
ここから、本書「できない」とも関連しますが、「できる」「できない」を
確かに「知的レベル」で証明考察している限りでは、
当然「限界」も出てくるという視点をともに想像・考察して頂きたいのです。
このような考察をすれば、本書の領域を優に超えてしまいますが、
著者も、数学者としての感性から「真善美」といった「究極の問題」に
触れられて、本書を閉じられています。
こうして見ると、数学者と物理学者(科学者)のもう一つの相違点が、
この「感性・霊性」の視点が豊かであるかどうかにもあるようです。
上記ホーキング博士とも共同研究されてきたロジャー・ペンローズ博士も
「数学者」でありますが、「真善美」意識を明確にお持ちであるようで、
いつも共感しながら、
あの難しい「宇宙論」に親しませて頂いています。
ただ、その難しいというのも、「物理学者」としての
宇宙の「物理学的構造」の説明が、難解なだけであって、
問題意識の根本には、「美意識」があるようです。
そこで、やっと、宇宙の「物理学的構造」の話題に追いつきました。
「宇宙の時空構造の真相はどうなっているのだろうか??」という
難問のことです。
数学と物理学の知見では、本書でも詳細に解説されてきた
「連続体仮説(マクロ)」と「離散構造仮説(ミクロ)」の
双方で、激しいバトルが展開されてきたようですが、
このところは、この両極端に偏った「宇宙時空構造理論」は、
下火になってきたようです。
(とはいえ、管理人の管見の範囲ではの話ですが・・・)
どうやら、この「中間場」である双方の折衷説こそが、
もっとも合理的な説明がつく仮説ではないかと、
様々な学者が、様々な表現で、「宇宙のイメージ」を
描かれているようですね。
本書でも、例に漏れず「多宇宙論」も紹介されていますが、
たまたま、私たちが現在持ち合わせている「数学」や「物理」による
「宇宙方程式」が、
これまでのところ「アインシュタイン=マクスウェル領域」に
うまく合致しているからではないかと著者もマックス・テグマーク氏の
見解を紹介されながら解説されています。(本書240~243頁)
「アインシュタイン=マクスウェル領域」とは、言い換えると、
管理人の理解の範囲では、「安定的宇宙秩序観」のことです。
なるほど、アインシュタインは、生前、最期まで「離散的宇宙観」に
馴染めなかったエピソードも有名なだけに、
宇宙に対するイメージにも、
「連続的実在観」に、より親しみを感じていたようです。
この「価値観(イメージ感)」は、個人の身体感覚や
生活感なども絡んでくるだけに、
一概にどれが正しいということもないのですが、
物理的構造という点では、正解もどこかにあるはずです。
とはいえ、「人間」には、その「宇宙微細構造」が
どのような時空間構造で成り立っているのかについては、
今のところ「完全証明」出来ていないといいます。
本書でも触れられている「ブラックホール解題」が、
宇宙微細構造を解読する鍵だとも目されていただけに、
その矢先の衛星「ひとみ」の故障事故は残念でした。
(ちなみに、現時点における衛星「ひとみ」の状況は、
こちらの記事ご参照のこと。)
一刻も早く、各界・各国の協力の下、
再び、「宇宙の謎解き」が叶いますよう、
お祈り申し上げます。
このように現状では、宇宙の暗号解読には前途多難も
待ち受けていますが、ポジティブに解釈すれば、
現時点では、まだまだたくさん
「<宇宙論>には、ロマンが残されている!!」と
いうことです。
この「宇宙論」には、まだまだ本書での考察も絡めて
面白いテーマがいくらでも語ることが出来るのですが、
本書のご紹介の目的は一応果たしましたので、
またいずれ「宇宙論」について語りたいと思います。
最後に、「できない」証明の教訓を強調しておきましょう。
「人間の知能では、<近似値>までが限界」
「ほどほどで妥協する」
「<近似値>でも、十分に実用に耐え得る」などなど。
とはいえ、「できない」から「できる」領域へと
飛躍し続けたいのも、生物たる人間の「宿命」・・・
「まぁ、ぼちぼちいこか(大阪弁=少しずつ行きましょう)」と
いうところが、本書の「オチ」でもあるようです。
ということで、皆さんにも、本書は多少難しく感じられるかもしれませんが、
著者のユーモラスな解説によって、どんどん読み進められますので、
ご一読されることをお薦めさせて頂きます。
最後までお読み頂きありがとうございました。
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