『時間の矢、生命の矢』ピーター・コヴニー&ロジャー・ハイフィールド氏による現代物理学の盲点を突く衝撃書です!!
2018年戌年。 謹賀新年あけましておめでとうございます。
ピーター・コヴニー&ロジャー・ハイフィールド共著
『時間の矢、生命の矢』
人生にとって最重要問題は言うまでもなく<時間>ですね。
20世紀物理学が開拓してきた領域をひとまず総括すれば、
時空に絡む物理学だと評されるようです。
しかし・・・
本書をご一読されれば次第に驚くべき真実へと導かれます。
今回は、この本をご紹介します。
『時間の矢、生命の矢』(ピーター・コヴニー&ロジャー・ハイフィールド共著、野本陽代訳、草思社、1995年第4刷)
平成30(2018)年戌年。
謹賀新年、あけましておめでとうございます。
本年も当ブログをご愛顧のほど宜しくお願い申し上げます。
さて、皆さんは、年末年始をいかがお過ごしになられましたでしょうか?
管理人の場合は、
一昨年(2016年)末同様に大忙しな日々を過ごすことになりました。
昨年内も29日夜遅くまで仕事。
本年始も4日からが仕事始めでした。
とはいえ、今回は多少の変化もありまして、
読者の皆さんとご神仏のおかげさまとで少しばかりの休暇を頂きまして
久方ぶりの「遠出」が叶いました。
そのあたりの模様は、本書評後のエッセー項目部にて、
今回もまた<紀行文>形式でお伝えさせて頂くことにしますね。
ところで、一昨年(2016年)とは事情も打って変わり、
日々の生業仕事(生活費獲得稼業)のかたわらで
個人的な仏像彫刻修業(行)や読書会での出会いなどを通じて
あらたに形成されてきたご縁などの伝手で様々な活動にも
参加させて頂いていることから、
本書評ブログ更新も<月1(ひと月に一記事)>程度に
大幅に減少させて頂くことになってきてしまいました。
しかしながら、その更新日時までの「空白期間中」もただ遊んでいるわけにはいかず、
書評記事に関しても日々研究するなど、この分野での修業(行)も
怠るわけにはまいりません。
皆さんの首を長くして楽しみにお待ち頂いているご様子を想像しつつ、
次の一手へと着実に進展することが出来るように技磨きにも
余念無き日々を過ごさせて頂いております。
こうした私的事情のため、
読者の皆様方には何かとご心配とご迷惑をお掛けしておりますが、
年末年始もおかげさまで無事に過ごさせて頂けていますので、
ここに身辺事情のご報告とこの更新日時までの「空白期間中」も
ご支援を頂けていますこと誠に有り難く篤く御礼申し上げます。
ここでいきなり個人的な音楽趣味で恐縮ですが、
この年末年始もまた<妖怪へヴィメタルバンド>『陰陽座』さんと
『水樹奈々』さんの楽曲たちにも支えられてきました。
そんな楽曲たちとともに後ほど<紀行文>のテーマとも重なりますが、
『愛とは何だろうか?』という深い哲学的テーマも考えてきました。
殺伐とした世界情勢に移行しつつあるかに見える今だからこそ、
生真面目に考えておきたい永遠の古典的哲学テーマが
『愛』であり『慈悲』であります。
抽象的なイメージ像として理知的に分析考察する方向にではなく、
具体的な実践倫理哲学としてどのような行動が要請されるべきか、
さらに強調させて頂くならば、
「いま・ここに・この場面の局面状況下で
私なら・君ならどう行動する!!」ということを常に思い描きながら、
「<おかげさま>と<おたがいさま>の心でたとえ相身互いの事情を
完全には理解できずとも、可能なかぎり互譲しようと歩み寄る日々を
真剣に生きる姿勢の中から<おなじきもの>である理想の人間像が創造されゆく」との
<一念>を強く意識することが、
今まさに世界で強く求められていることだということであります。
それは、「生きる(生ききる)こと」であると同時に
「死ぬる(死にきる)こと」をも意識することを意味します。
現代の価値観では、「生きること」のみに特化・偏重した思考法が
優勢であり賛美されますが、本来の人間であれば、
「生きること=死ぬること」の両面を厳しく見据えた
「死生観(生死一如観)」を確立させようと意志するところに
より良く生きる「道」も開拓されていく秘訣があったのではないかという
大切な「真実」が科学(医療)技術の発達などにつれて
年々歳々ますます忘却される傾向にあるからです。
前回も語らせて頂きましたが、
皮肉にもこうした科学技術の発達によって人類の長年の夢が
叶おうとしている先には、人生そのものの質の低下が
必ず招き寄せられるに違いないだろうとの予想図も
少しずつですが出始めているように見受けられます。
哲学界でも、今までは「生」の哲学に偏りすぎた嫌いがありましたが、
今後は「死」の哲学にまで深く想像力・思考力を及ぼしていく必要が
あります。
今回ご紹介させて頂く本書の主題である「時間」のテーマでもありますが、
人間もまた「生」と「死」のつかの間を生きる存在であることを
片時も忘れるわけにはまいりません。
そんな死生観について徒然と思索しているうちに
人生における<ご縁>というのは本当に貴重かつ不思議なもので、
ますます<一期一会>の出会いの大切さを深く思い知るようになりました。
『縁尋機妙 多逢聖因』という有名な言葉がございますが、
最近の管理人などはますますそのような思いに駆られています。
もし、自分あるいは大切にしている人が今日、明日にでも
この世からいなくなってしまうと思えば、
それはそれは本当に愛おしく感じられてくるのです。
おそらくこのような実感が深まりゆくことによって、
抽象的な「愛」だとか「平和」だとかいう言葉も
具象化していくのでしょう。
やはり人間関係とは一朝一夕に形成されていくものではなく、
「匿名」ではない「直接対面接触」によってこそ
良質な言論(人間関係)空間も生み出されていくことになります。
最近の若者コミュニケーション文化の中で
「SNS疲れ」という言葉も流行しているそうですが、
直接会って語り合えば、双方に生じた誤解も深刻な度合にまで
発展することなく抑制できた可能性があるにもかかわらず、
相手の「面影・眼差し」を思い浮かべることもなく、
ただ自分と価値観が異なるという理由だけで排除するような
傾向もあると聞きます。
そうしたバーチャルなネット空間における「匿名」コミュニケーション文化の
悪影響が、リアルな「実名」世界にも如実に表れてきているように思われます。
やれ、「印象操作」だとか、「フェイクニュース」だとかいった話題も
こうした「匿名」コミュニケーション文化がますます浸透していく過程で
深刻さを増してきた現象なのではないかとも感じます。
今の時代は「フィクション(虚構)」が一人歩きしながら、
生身の人間を拘束する傾向がさらに高まってきています。
「フィクション」と言えば、「貨幣」などもそうですが・・・
要するに、「貨幣」にせよ「言語」にせよ
単なる<記号>レベルのものとして扱われているようです。
「フィクション(虚構・偽装)」によって成り立っている(きた)のが
近現代社会の本質的傾向だとすれば、こうした「擬(もど)き」には
かなりの思慮深さでもった警戒心が要請されるということになります。
そんなわけで言論の質の向上にも
どうしても身体言語的質感覚を高める姿勢が必要となります。
そのことによって抽象言語から具体言語へと昇華されていくのではないでしょうか?
「フィクションの力をうまく活用する必要がある・・・」とは
本日また参加させて頂いた読書会の司会進行役の先生のお言葉ですが、
その場ではそれ以上の突っ込んだ話題にまでは至りませんでしたが、
家に持ち帰って、この「問い」を反芻しながら
今この文を綴っているわけですが、
「そのフィクションの<内実>をさらに検証しながら、
フィクションはフィクションとして知ったうえで、
どのような方向性に位置(色)づけるかが、
実は最も大切な作業なのではないかなぁ~」などと
考えているところです。
人類史をあらためて眺め直してみますと、
この「フィクション」を操作させる力には
凄まじいまでの創造力ないしは破壊力が込められていたということが
言えそうですね。
「いやぁ~、フィクションを思い込む力とはかくも恐ろしい反面で
希望の源泉ともなり得るものだったのか・・・」と。
本日もそんなことを読書会後の懇親会の場で語り合ってきたところです。
そんなことを日々実感している中、
いつもご一緒させて頂いているある方に
下記のようなイベント企画があることもご紹介して頂くことになりました。
それは今何かと話題の小沢健二さんによって
『子どもと昔話』(小澤昔ばなし研究所発行・季刊)という
児童文学専門雑誌に創作連載されている
『うさぎ!』という童話詩をテーマに同好の仲間たちとともに
様々な観点からざっくばらんに語り合う
『うさぎ!を読む会』という活動でございます。
ご興味ご関心がおありの方には、社会常識など最低限のルール・マナーを
守って頂ける方であれば、どなたでもご参加歓迎だとのことですので、
この場をお借りしてご紹介させて頂くことにします。
なお、詳しい告知内容・スケジュールなどは、こちらからご参照頂けます。
管理人にとりましては、一昨年までは書物を対象とした読書会もさることながら
こうした有名なアーティストやミュージシャンが創作された歌詞などを素材に
語り合える「場」を提供して頂ける
ある種の哲学??(的)朗読カフェの企画イベントなどに
積極的に参加させて頂く機会もなく人生初の試みでもあったことから、
初参加時には緊張感もありましたが、皆さん気さくな方ばかりで
アットホームな「場」の雰囲気も自然に形成されてくるためなのか
こうした「場」へ積極的に出かけていく以前の頃に比べれば、
毎回新鮮な感覚が呼び覚まされるようで
渡世のうえでも大きな精神的糧となっています。
「みんな、ほんまにありがとうね・・・」
読書にせよ、好きなアーティスト論議にせよ、
人はたいてい1人の趣味的世界のみに没頭し過ぎると孤立無援の状況に
陥ってしまいがちです。
なぜならば、自分自身の脳内だけに勝手に思い描かれた世界観に
親和的な独断と偏見の塊に即座にも固まってしまうからです。
そうした極端に凝り固まったイメージや解釈像を少しでも打開していく手がかりこそが、
同好人・非同好人の輪などを通じて
あらゆる角度から一度徹底した哲学的考察の対象としても
アーティストなどの偶像(まさにアイドル!!)を相対化して眺めてみる効用だとも
言えましょう。
特にアーティスト談義のあらたな形態として
ライブコンサートなどでまったく見ず知らずの方とのあらたなご縁も
うまれるきっかけづくりの「場」ともなりましょうから
ライブコンサート後の二次会・三次会などの企画としても
面白い試みではないでしょうか?
(※但し、芸能人関係も含めてこうした企画を立案、開催される場合には
言うまでもないことですが、くれぐれも著作権関係にはご注意下さいませ。)
同好人であれば、好きな著者やアーティスト・ミュージシャンの世界観を
より多くの人々に知ってもらいたいと思うはずでしょうし、
その際に必然的に立ち現れるだろう同好人同士のみに通じる<閉じた>言語では
未だ見知らぬ非同好人へその魅力をうまくお伝えする難しさも実感されるでしょうから。
他人に自らが大切にしている価値観をうまく伝える知的訓練にもなるでしょうし、
異質(未知)なモノ・コトとの出会いにあっても冷静に対処し得る
体感訓練になるのではないでしょうか?
昨年暮れに放映されていた
『100分de名著 スタニスワフ・レム NHKテキスト12月』
(沼野充義先生ご担当)でも
<わからなさを引き受ける>大切さなどがテーマになっていましたね。
さて、管理人もこの書評ブログを立ち上げてから
すでに早いもので2年数ヶ月が過ぎましたが、
日々その難しさを実感してもいて、伝える力・語る力というのは
本格的にやってみると相当な骨の折れる仕事だとも学び得てきました。
そんなこんなで最初は軽い気持ちで始めてみたものでしたが、
人生の様々な場面でそこで獲得された知恵や知識、またあらたにご縁を頂くことになった
方々のおかげでまたひとつ自身の中で何かが育ってきているようです。
今回は『新年第1回目』ということで、皆さん自身におかれましても
各人各様のあらたな課題や抱負に取り組んで頂けるきっかけ作りにもなればと
誠に勝手ながらで大変恐縮ではありますが、
この場をお借りして上記のような試みも面白いのではないかと
ご提案させて頂くことにしました。
このように様々な表現形態・創作物を媒介として
より良く生きるための思考力や想像力、創造力を
触発して下さるすべての方々へ
いつもながら感謝申し上げます。
それでは、前口上もこのあたりまでといたしまして、
早速、本年第1回の「本題」へと入らせて頂くことにします。
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ピーター・コヴニー氏は、本書刊行時のプロフィールによると
ウェールズ大学の物理化学講師であり、
プリンストン大学で理論物理学を専攻ののち、
オックスフォード大学キーブル・カレッジなどで研究員を務められた方だそうで、
本書の<序文>を書かれたイリヤ・プリゴジン氏とはブリュッセル自由大学で
協同研究をされていた仲だといいます。
世界的には科学界を代表する専門雑誌『ネイチャー』などに数多くの論文を発表。
邦訳論考文としては、
『カオスの素顔~量子カオス、生命カオス、太陽系カオス・・・~』
(ニーナ・ホール編、宮崎忠訳、講談社ブルーバックス、1994年)所収の
<カオス・エントロピー・時間の矢>が公表されているといいます。
また、もう1人の共著者であるロジャー・ハイフィールド氏は、
本書刊行時のプロフィールによると『デイリー・テレグラフ』の科学記者であり、
<サイエンス・ジャーナリスト・オブ・ザ・イヤー>(1988年)などを
受賞された方だといいます。
邦訳書には、『ハリー・ポッターの科学~空飛ぶほうきは作れるか?~』
(岡田靖史訳、早川書房、2003年)などがあります。
ところで、
本書における各著者の執筆役割分担が具体的にどのように配分されているかは
明瞭ではありませんが、ご両人ともに現代物理学の最先端分野には大変造詣が深く、
本書においてたびたび話題とされる<カオス>や<時間の矢>といったキーワードを
拠り所にしながら、日本ではいわゆる「複雑系科学」などと称されることが多い
分野の解説紹介に挑戦されています。
本書全般を通じて主張される最重要論点とは、
現代物理学(科学界全般に幅広く見受けられる傾向か?)の本質的部分において
私たちのような生命を宿した存在であるならば当然意識するであろう
「時間の不可逆性」についてかなり意図的な軽視(場合によっては、捨象=無視)をしながら
無理な理論構築がなされてきたのではないかという問題提起であります。
ニュートンにせよ、アインシュタインにせよ、
はたまた量子論に立つ物理学者にせよ、その多くが暗黙裏に想定する
時間へのイメージ像には「相互転換可能性(つまり、過去・現在・未来のあいだを
自由に行き来できると見立てる互換可能性仮説理論のこと。)」があるといいます。
とはいえ、現実の自然界で観察される経験的事象からは、
どう考えてみても「時間は過去から未来へと一方通行に流れているはず・・・」。
そうした<時間の矢>を考えることは同時に<エントロピー(熱力学第2の法則)>の
本質を解読することでもあると強調されています。
<いのち>あるモノ・コトにせよ、<いのち>なきモノ・コトにせよ、
時間が経てば立つほどやがては崩壊していく運命にある中で、
<いのち>あるモノ・コトであれば、崩壊(死滅・老化)に少しでも
打ち勝とうとする性質としてこのエントロピー増大則を最小限化する機能もまた
組み込まれているといいます。
それが、「自己組織化作用」であったり、
「混沌(無秩序)からの秩序化をもたらす(生み出す)作用」であったりします。
本書では、このような複雑系秩序を解読してきた現代科学(主に物理学・生物学・化学を
テーマに)の最前線から次第に解明されてきた知見の紹介解説とともに
従来の現代科学が抱え込んでしまった限界点や難問に挑戦する視点を提供する
一般向け科学啓蒙書として優れた教材となり得ているように評価しました。
こうした従来の現代科学が潜在的に抱え込んできた時空論のうち、
今回は「時間」が主題となりますが、こうした時間論(観)を
本書を手がかりに分析考察していくにつれて、
現代物理学が導いてしまったいくつかの「パンドラの箱」(例えば、
特異点やブラックホール、タイムトラベルなど)を再び「封印」する方向で
軌道修正が施され、科学の未来を本来のまっとうな「正道」へと歩み直させるための
道標となってくれるかもしれません。
なお、管理人が本書を取り上げさせて頂くことになった問題意識の根底にも
これまでの書評記事内でもそれとなく示唆させて頂いてきましたが、
現代物理学が想定する世界観や背景思想に何となく虚無観を直観してきたことも
ありますし、物理学の統一理論へ向けた流れにあっても
「なぜ、これほどまでに<相対論(マクロ的世界)>と
<量子論(ミクロ的世界)>を架橋するのに文字通り<時間>が掛かりすぎているの
だろうか?」と素朴な疑問点や違和感を抱えてきたこともあります。
この<時間の矢=過去から未来への直線的一方通行観>は、
確かに生身の<いのち>ある観測者である人間から見た
ある種の「主観的」幻想なのかも・・・といった
もともとの科学の志向性が、
観測者としての人間が存在しようとしまいが
普遍的に通じる宇宙に隠された「法則」(別名:「宇宙原理」)を探究する営みだとすれば
まさしくその趣旨・目的に叶った志向性だとは言えるわけです。
(ちなみに、「人間原理」や「宇宙原理」に関する詳細な解説は
こちらの記事をご参照下さいませ。)
とはいえ、あらためて考えてみると
科学も含めてあらゆる「学問」的営みが、
きわめて「あまりにも人間的」な営みであることに鑑みれば、
科学もまた人間抜きにしては成り立たないはずで、
『人間抜きの「宇宙原理」に立脚し過ぎた方向で科学的探究を
推進してみてもその存在意義が果たしてどこまであるのだろうか?』との
当然湧き出てくる疑問点を皆さんもお持ちになられたことが
幾たびかおありなのではないかと推察いたします。
この<人間原理(偶然論=非決定論=自由意志論)>VS<宇宙原理(決定論=必然論)>と
いった二項対立観のみで「この世界」はおそらく出来ていないのではないか・・・
真実は、その<あいだ>にあるのだろう・・・
本書の共著者も最終的な時空観をその領域に設定されておられるように
見受けられます。
その論旨要約ご紹介は、後ほど本文内『第9章 終わりのない探究』箇所で
触れさせて頂くことにします。
それでは、本書の総頁数はおよそ400頁もあるちょっとした大著ですが、
内容的には現代科学の複数領域に跨る解説書として評価してみると
「かなりのお得感!!」があるものと思われます。
<索引>や<参考文献>、<用語解説>欄も充実しておりますので、
「複雑系科学」や「現代科学の最前線」などに関する<入門書>として
この分野にまつわるちょっとした下調べやさらなる専門領域への手がかりを
見つけ出したいというニーズをお持ちの読者様には
きっと何らかのお役に立つ書物ではないかと思い、
今回はこの本を取り上げさせて頂きました。
現代物理学「理論」に内在する憂慮すべき問題点~<時間の一方通行性>原理を軽視(捨象・無視)しつつ発展してきたとする驚愕的見解を紐解く!!~
それでは、本書の要約ご紹介へと移らせて頂くことにしましょう。
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・<序>(イリヤ・プリゴジン)
本書において<時間の矢>と<生命の矢>に関する謎解きをしていく過程で
必要不可欠となる物理学的知見において多大な影響を広範囲に及ぼすことに
なった物理学者兼化学者による<序文>が提供されています。
イリヤ・プリゴジン氏は、非平衡熱力学に関する研究者として著名な科学者であり、
散逸構造の理論でノーベル化学賞も受賞されています。
イリヤ・プリゴジン氏によると、エントロピー概念(熱力学第2の法則)に関しては
今もって知られていない領域があるとはいえ、
かなりのことが判明してきたといいます。
このエントロピー概念が示唆する本質的知見とは、
物理的世界にも<時間の矢=時間は過去から未来へ向かって一方向に
進むといった性質がある>ということにあります。
このエントロピー概念については、
主に本書第6章と第8章でも語られることになりますが、
このように未開拓領域もあるために、
現時点において本書の共著者が提示された見解と
イリヤ・プリゴジン氏が思い描かれている見解には
幾分か異なる場面もあるとされています。
とはいえ、『時間の矢は力学系の非常に重要な特性である、という著者の
全般的な主張には、私もまったく同感である。』(本書2頁)とのこと。
そして、このエントロピー概念をさらに深く探究していくことで
「なぜ、この世界(宇宙)には時間的起源が存在し得る(た)のか?」という
最大の謎にも触れることになるといいます。
それは『宇宙の誕生と生命の出現』(本書3頁)への旅立ちでもあり、
『私たちが知る限りでもっとも決定的な出来事』(同上)だと・・・
さらに、イリヤ・プリゴジン氏は
私たちが物理学的世界観を解明していくうえで大切な視点を
注意深く示唆して下さっています。
つまり、この世界(宇宙)を解析するに当たっては、
「法則」と「事象」の両側面から総合的に捉えることが
きわめて最重要だという視点であります。
言い換えるならば、「法則」とは理論的仮説であり、
「事象」とはおよそ私たちが観測可能な実験的事実。
実証<可能性>により比重を置いた視点とも言えましょう。
この両側面において常に揺れ動きながら
多種多様な物理学的世界観が描写・構築されてきたのが
19世紀末期から20世紀を経て、
現代までに至る物理学の大まかな流れでもあります。
その流れ図は、次章以下の要約で追々触れさせて頂くことにします。
・<プロローグ>
ここに現代物理学に多大な影響・貢献を与えつつも、
なかなか理解されずに悲劇的結末へと追い込まれた優秀な物理学者がいます。
彼の名こそ、「統計力学の父」ルートヴィッヒ・ボルツマン。
現代「素粒子(量子)」物理学の源流となっていく発想である
「原子論」や「確率・統計力学的検証方法論」を
確立・提唱していくことになる物理学者であります。
彼の最大の論敵は、前にも少し触れさせて頂きましたが
錚々たる面々であったことから、いかに20世紀初頭における
あらたな物理学的世界観が創成されていくに当たって、
「実在主義」や「実証主義」の壁が大きく立ちはだかっていたかが
わかろうというものです。
このマッハ「理論」も今日では一部の極端な論者によって曲解されたり、
誤解されている場面もあるようですが、
アインシュタイン氏などにも一部影響を与えており、
またそのアインシュタイン氏自身の世界観への誤解なども重なって
正確には今なおその全体像を捉え切れていないところもあるようです。
確かに、科学の重要な利点とは曖昧模糊としたいわゆるニセ科学的見解を
判別査定することを通じて混乱した思考内容を整理整頓し、
より明晰な理解に至ろうとする姿勢にあると言えましょう。
とはいえ、明らかに社会に害を与えるニセ科学的知見の断定的提供は論外だとしても、
科学的研究の対象がすでに「目に見えない」領域に突入してきたことから
何度も触れていますように、観測技術における進展の限界問題もあって、
現在では、「実証」よりも「理論」が先行している模様であります。
つまり、実際の「検証」作業に至るまでには
かなりの時間差を要することになるわけです。
そのために、従来の科学的検証方法論やその解釈面を探究する学問分野である
科学哲学の領域でも百家争鳴・大混乱の状況にあるといいます。
また、科学的成果発表に関する先陣争いといった世界的世俗競争も背景にあり、
「実証」作業につきましても捏造や論文剽窃(盗用)問題の増加が
加速する一方だという憂慮すべき事態も頻発してきています。
悲しくも残念なことに、今週もまたその話題が世間を震撼させてもいましたね。
そうした時代になりますと、どれほど「実証」が重要だと強調されましても
(もちろん、科学にとって「実証が命!!」であることは論を待ちませんが・・・)
あまりにも厳格すぎる「原理的」実証主義や実在論に拘泥し過ぎるのも
また科学的発見の<糸口>を妨げる要因ともなりかねません。
現に今ではその実在が当然視されている「原子(素粒子)論」こそが、
そのことを如実に証明する事例だったのでした。
そんな黎明期における悲劇的犠牲者がボルツマン氏だったのです。
そんなボルツマン氏が後世に残された遺産を素材に
次章以下で様々な場面展開を経ながら本書は開幕されていくことになります。
先に触れさせて頂きましたような昨今の憂慮すべき学問環境を眺めていますれば、
ボルツマン氏のようにあらたな物理学的世界観を築き上げることになる
大本の仮説的理論に関する実証成果が出るまで
周囲の無理解や誹謗中傷を受けながらも世俗の虚栄心に惹かれることなく、
ただひたむきな情熱を傾けた研究姿勢にこそ
私たち現在を生きる学問者も見習いたく思われるところであります。
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①『第1章 時間のイメージ』
※本章は、物理学的時間の分析考察へと至る前の序章に当たりますが、
まずは、物理学以外の分野ではどのようなイメージ像が時間に与えられていたのかが
それぞれ<文学のなかの時間>(本書17~18頁)、
<文化に見られる時間>(本書18~20頁)、
<哲学における時間>(本書21~23頁)で素描されています。
今回は、あくまで「物理学的側面」に即した時間論(観)考察ということで
時間の実在論や非実在論などに関わる哲学的解説は最小限に抑えさせて頂くことに
いたしますが、文系的視点・理系的視点を問わず、
現在までに至る大まかな時間論(観)の系譜を簡略化してみると
無限(時間には始まりも終わりもないと見立てる)循環型構造観に立つ流れと
本書の主要論点である<時間の矢=一方通行性>を強く志向する
有限(時間には始まりと終わりがあると見立てる)直線型構造観に立つ流れが
あるように考えられてきたようです。
(さらに詳細な差異イメージ像は省略したあくまでも大雑把な理解です。)
ところで、物理学における時間観はどのように描かれてきたかというのが
本書の主要考察論点でありますが、時計という技術が発明されることにより、
時間の概念に関しても「機械的」操作が可能であるとするイメージ像が
次第に科学界では浸透していったといいます。
『17世紀と18世紀に出現した「古典」科学は、自由な意思やでたらめな
偶然の入る余地のない宇宙、宇宙機械ともいえる宇宙を描きだした。』(本書23頁)と。
ここにニュートンが登場し、ニュートン力学大系が世に提出されていく土壌が
生み出されました。
第2章~第4章でその拡張型あるいは修正版が徐々に様々な「理論」的立場に
立つ物理学者から提出されていくことになるわけですが、
いずれも時間の「相互互換性=時間を過去・現在・未来間で自由自在に
操作可能である!!」と見立てた本書内でも紹介されている
アインシュタインの手紙の事例にもあるような
『物理学の法則の「超時間性」への全幅の信頼』(本書25頁)のもとに
その後の「理論」物理学における時間論(観)が展開されていくことになります。
本書における最強調論旨ともなりますが、
ずばり結論としては、ニュートン以来「相対論」、「量子論」を問わずに
あくまで主流の「理論」物理学者が見立てた時間論では、
時間の<不可逆性=過去から未来にしか時間は流れない!!>とする
私たちの一般的な直観・経験的イメージ像に反する形式で
組み立てられてきたということであります。
確かに、時空論を巡っては、「相対論」・「量子論」の立場的違いを
問わず、ニュートン型「古典」的世界観がかなり修正を余儀なくされてきており、
そのイメージ像をこれら物理学「理論」が大きく転換させてきたことも
間違いない物理学史的事実ではあるのですが、
根本的な見立てとして、このような問題点とそこから派生してきた
諸難題(いわゆる「特異点」問題など)を抱えてきたことが
本書の著者などによって摘出提示されていくことになります。
「では、そうした現代物理学の主流理論が生み出してきた諸難題を
時間論との絡みでどのように解決していく志向性が要請されるのだろうか?」
ここに、エントロピー概念(熱力学第2の法則)の再評価とさらなる解読作業が
必要とされる所以だと特に本書第5章以下で論じられています。
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②『第2章 ニュートン力学の台頭~時間がその方向を失う~』
③『第3章 相対性理論~時間はいかにしてアインシュタインを負かしたか~』
④『第4章 時間と量子跳躍』
※第2章~第4章は、ニュートン型「古典」物理学モデルや
アインシュタイン型「相対論」物理学モデル、「量子論」物理学モデルから
見たそれぞれの時間論(観)とその概要解説に当てられた章です。
紙数の関係上、この第2章~第4章までの要約は大幅に省略させて頂きます。
その概要解説にご興味関心がおありの方には、
すでにご紹介させて頂きました書評記事(書評①、書評②、書評③)などを
ご覧下さいませ。
とはいえ、それだけでは不親切なご案内になってしまいますので、
若干程度の補足とユニークな解説記事だと思われた箇所を提出しておきますね。
第2章のニュートン章では、ニュートン力学には時間の方向性がない
(つまり、すでに先に触れさせて頂きました相互転換可能性のこと。)という
性格と<ポアンカレ循環>(本書70頁)とを重ね合わせた延長上には
時間の無限循環構造が出現してくるために、
『時間の矢という概念を意味のないものにし、進化の概念を否定してしまう。』
(同頁)という難題が自ずと導き出されてしまうという限界点があるということです。
第3章の「相対論」章では、アインシュタインの『時空』(本書92~94頁)観の
解説を中心に特殊と一般にわたる「相対性理論」の概要が示されています。
この「相対論」から導き出される結論として
いわゆる「特異点」や「ブラックホール」問題がことに有名ですが、
この難問の解題作業に勇敢にも挑戦された物理学者がホーキング博士や
ロジャー・ペンローズ博士であります。
このペンローズ博士には、管理人も特に注目しながら
その研究業績を追跡探究してもいますが、
「相対論」からこの「特異点」が出てきたこと自体は、
何ら問題ではないと一定の評価を下されています。
しかしながら、アインシュタインが示した方向性のみでは、
宇宙(時空、はたまた生命)の起源を解読することは難しいだろうと
強調されています。
「では、この起源問題解題の限界突破をどのように図るべきか?」
ペンローズ博士によれば、やはり時間の非対称性(つまりは、一方通行性=
時間の矢)を十二分に考慮加味させた理論構築から始めるべきだとの
一応の志向性を示唆されています。
それが、現代物理学の最前線であるいわゆる「万物(大統一)」理論と
される「相対論」と「量子論」の歩み寄り統合の「場」をなす
文字通りの「量子重力(場)」理論であります。
本書における共著者も管理人同様にペンローズ博士に着眼されているようで、
力点を置いた紹介がなされていますが、
第4章の「量子論」に関する本書169頁や175頁あたりでも
さらに触れられています。
なお、ペンローズ博士の研究内容にご興味ご関心がおありの方には、
最近<増補新版>が出た定評ある
『ペンローズのねじれた4次元~時空はいかにして生まれたのか~』
(竹内薫著、講談社ブルーバックス、2017年第1刷)も
併せてご紹介しておきましょう。
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⑤『第5章 時間の矢~熱力学~』
※さて、この第5章からが本書の真骨頂が発揮される場面であります。
この<時間の矢>を理解する手がかりが熱力学にはあるといいます。
ところで、熱力学研究から得られてきた最大の成果が
エントロピー概念(熱力学第2の法則)だったということは
すでに何度も強調させて頂いてきたところであります。
ここで再度、エントロピー概念をおさらいしてみます。
これまでも触れましたとおり、
このエントロピー概念についても諸説あり、
完全解明にまでは至っていないのが現状だということですが、
物理的現象の変動過程を観測して得られた結果から
最大公約数的に解釈されてきた定義によると、
一般的には下記のように解されています。
『熱力学において、孤立した巨視的系がどれだけ変化できるか、という
容量を表わす。』(本書巻末<用語解説>371頁)
つまり、最単純化した言葉では、「(物理的)変化量」のことであります。
どのような「変化量」を意味するのかは、上記<用語解説>の定義だけでは
皆さんもすぐにはイメージ理解し難いものがあると思います。
そのあたりの具体的イメージ像解説は本書に委ねさせて頂くことにします。
現時点で管理人が理解し得た範囲内でのイメージでは、
「秩序ある(平衡)状態から無秩序な離散分散(非平衡)状態」へと
「拡散」していく「一方通行のエネルギー変化作用(量)」のことを
一般的に総称する物理学用語として使用されているようです。
また、ある一定方向へのエネルギー変化「量」の<単位>を指すものとして
使用されることもあるようですね。
言い換えますと、熱力学における文脈から見て
その物理的変化の過程で使用できるエネルギー量が
一方的に発散・減少していく模様全体のことを表した
物理学的表現であります。
裏から言えば、
「使えない(えなくなる)エネルギーが一方的に増加し続ける
物理的現象総体」のことを意味します。
この現象過程を指して、「エントロピー法則(熱力学第2の法則)」と
いいます。
特に地球のような「閉じた生態系」において、
外部からあらたなエネルギー源を取り入れることが難しい環境下にあっては、
エネルギーを一度使用してしまえば原状回復が不可能になるというイメージですね。
では、熱力学とボルツマンに始まる統計力学的知見とは
一体何に役立つのかというのが本章におけるテーマになります。
『熱力学は、時間の矢を含んでいる不可逆過程の科学理論であり、
統計力学は、微視的な量子の世界と巨視的な熱力学の世界のあいだに
橋をかけようとするものである。』(本書176頁)
この「エントロピー法則」を十二分に理解することで、
現時点での科学理論及び科学技術では
「なぜいわゆる<フリー(無限循環)>エネルギーを
この地球上から抽出することがなかなか難しいのか?」という
最大の理由も見えてきます。
ですから、一般消費者の視点からも世の中に出回る怪しげな
「フリーエネルギー」商品詐欺被害に遭われないための必須的科学知識にも
なります。
本来ならば学校教育の現場でこのような文脈からの
科学知識と消費者教育の接点を教わりたいものですが・・・
そして、このような一般的なエントロピー概念へのイメージ像も
少しずつ変化が見え始めてきている様子が描かれている解説箇所も
本章におけるもう1つの非常に大切な主要論点であります。
上記のような「平衡(秩序)状態から非平衡(無秩序)状態へ」といった
従来の見方も現在では大幅な書き直しが迫られているといいます。
それが、本書<序文>を書かれたイリヤ・プリゴジン氏などの
研究成果から次第に判明してきました。
つまり、
「カオス(無秩序)からも(あるいは同時進行的に??)秩序があらわれる」と
する見方です。
これが、「不可逆的非平衡熱力学」であります。
『宇宙論における時間の矢』(本書217~221頁)で解説された
ペンローズ博士の見立ても本章における読みどころ。
現代宇宙「起源(時空構造)」論には多種多様な見方がありますが、
このペンローズ博士の見解も従来描かれてきた宇宙に関するイメージ像を
覆すきっかけにもなりそうな予感もします。
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⑥『第6章 創造的進化』
※第6章では、前章で提出された「カオス」という概念を巡る
詳細な議論が丁寧に説明されている箇所であります。
とはいえ、いわゆる「複雑系科学」の世界でも
この「カオス」という用語表現が濫用されていますが、
著者は厳密な物理的現象過程を記述イメージする目的からは
こうした安易な使用のされ方には
「十分な用心をするに越したことはない!!」と
警鐘乱打されてもいます。
このように「カオス」という物理的現象の実体像を
定型的に理解することは難しいことですが、
いずれにしましても、物理的変動過程をより微細構造にまでわたって
緻密に解析していくことが今後の熱力学分野解明における
最大の鍵を握るだろうとの趣旨は十二分に伝わってくる論考となっています。
ちなみに、本章タイトルに『創造的進化』とありますが、
本書はあくまで物理学的観点からの時間論(観)を論じたものですので、
この『創造的進化』という言葉で有名な哲学者アンリ・ベルクソン氏に
ついては論じられていませんのでご注意下さいませ。
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⑦『第7章 時間の矢、生命の矢』
※本章では、前章までで見えてきた現在の熱力学的知見を踏まえながら、
さらに「生命」の領域にまで跨った世界を探究します。
その過程で「進化論」との接点にも言及されていくことになります。
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⑧『第8章 統一された時間観』
※本章では、いよいよ本書の各章で示されてきた各種知見とともに
提出されてきた批評解説・著者独自論考も踏まえた
現時点までに判明してきた理解を大前提に今後予想される
暫定的な物理学的時間論(観)の見取り図が描かれることになります。
本書では、ニュートンに始まる「古典」的理論モデルや
「相対論」、「量子論」ともに提示されてきた理論モデルの背景にあった
時間論(観)がたびたび批判の俎上にあげられてきたことは繰り返しません。
本章における論考からは、その時間論(観)を数理的に表現してきた方程式モデルに
組み込まれてきた従来の数学的視座(思想)の限界が示されることになります。
つまり、「決定論(単純な因果法則仮説理論)」の崩壊をもたらすきっかけとなった
「カオス(非平衡)的秩序」をうまく説明づける数学的理論が
本章における話題の1つとなります。
ニュートンはライプニッツとの間でそのアイディアを巡る先陣争いでも
有名となった数学者としての面影も持つ人物ですが、
彼の開拓した数学的アイディアに「(微)積分的発想」があります。
ところが、この「カオス(非平衡)的秩序」に関する
物理学的説明方法に「(微)積分」による数学的記述表現方法を
そのまま適用することには難しい場面も多くその限界点が提示されます。
詳細な解説は現代数学のいわゆる幾何学的階層構造を解析するうえで
必要な視座を提供する「位相(幾何学)」数学(=時空間の「階層」構造を
数学的に記述説明する分野を取り扱う)などの話題に触れることになるため、
管理人の手にはおえないため本書の解説に委ねさせて頂くことを
ご了承願いますが、
その模様が「エルゴード理論」として紹介されています。
要するに、管理人の理解し得た範囲でのイメージ像では、
最単純モデルにおける「微積分モデル=(直)線形系」に対する
このことは集合論や(宇宙や生命の)起源論とも重なりますが、
「始まりと終わり」における<初期条件>の設定問題に絡む難問のようですね。
まとめますと、「エルゴード系」内では
この<初期条件>を従来の一般的なニュートン型
(ここまで触れさせて頂いてきた主流の「相対論」や「量子論」も含めて)
「決定論」方程式で正確に記述することがきわめて困難だということになります。
なぜならば、こうした「決定論」方程式からは
<時間の矢>が存在するとの視点が見事なまでに捨象されてきたからですね。
そのことは何度も繰り返し本書で強調されてきたところでありました。
そのあたりの数学的表現技法の話題は、
<カオスと時間の矢>(本書348~~351頁)を
ご一読下さいませ。
方向性としては、結局のところ従来方式ではどうしても「特異点」問題が
出てきてしまうところをいかに解消克服し得ていくかが問われることになります。
宇宙誕生に当たっての「特異点」。
つまりは、「有限」領域と「無限」領域の境界線設定問題と絡めて
なお検討すべき難題が数多く残されているとだけ指摘するに
止めさせて頂きます。
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⑨『第9章 終わりのない探究』
※本書最終結論部であります。
共著者が本書にて問題提起されたかった最大論旨は
下記に集約されています。
『非常に単純な、あるいは理想化されたモデルを過度に強調する
物理学者の伝統的なやり方では、あまりに視野が狭いために、
ありふれた現象でさえ理解することができない。
私たちは現実に本来備わっている複雑さを認識するとともに、
概念の根本的な再構築を行わなければならない。
(中略)
時間の矢は、科学を完全な状態に保つために、
欠かすことができない。
時間の矢は、創造の媒質であり、それがなければ生命を理解することが
できない。
これらの事実を認識して初めて、私たち人間の経験と科学の経験の
あいだに知的な橋をかけることができるようになるだろう。』
(本書370頁)と・・・
まとめますと、管理人自身も本書を一読した限りにおいて、
その理数的解説部分をすべて即座に十二分な理解が得られたわけでは
ありませんが、どうやら<初期条件=私たちが存在するに至った分岐点=
時間の矢が始まる一瞬地点>を解明するに際しても
私たち自身が存在し得ているという事実が最大限の関門に当たるようです。
それは、別名「観測問題=人間原理問題」でもあります。
物理学の探究も哲学の探究も私たち「人間」が存在し得る限り、
まさしく果てしなき探究が続きますが、
物理学がその本質上、観測者である「人間」という存在を抜きにした
飽くなき「普遍的」法則の探究を志向するものであったとはいえ、
現在までに判明してきたところでは、
やはり「人間」的限界を抱え込んでいることを軽視(捨象・無視)することは
もはや出来なくなったということが言えましょう。
とはいえ、それはあくまでも「実証」を至上命題としてきた
「物理学」に関することであって、「数学」となるとまた異なるようですね。
「理論」物理学者の中でもより数理的解釈を尊重して
宇宙(時空)の実体解明に及ぼうと欲する学者さんの場合には
そうした傾向が強いようです。
そうした傾向とは、「実証」をどう定義して位置づけるべきかという
問題意識の方向性を巡った見解の相違であるようですが・・・
言い換えますと、「宇宙原理」を優先する視点を採用する立場であります。
「証明」問題を巡っては、「自然的観測実証」を重視する物理学的証明法と
「形式的公理体系内において矛盾が生じなければひとまず証明目的達成!!」とする
数学的証明法とでは大きな相違点もあるようですが、
そうした解説も本題からは外れますので、
この場では省略させて頂くことご了承願います。
さらに詳しく専門的な理解を得たいと意欲ある方には、
『数学はなぜ哲学の問題になるのか』(イアン・ハッキング著、
金子洋之・大西琢朗共訳、森北出版、2017年)などの
大変骨のある専門的啓蒙書をご紹介しておきます。
最近のNHKドキュメンタリー番組『モーガン・フリーマンの時空を超えて』でも
紹介解説されていたマックス・テグマーク博士のように
「宇宙の背景に存在する時空構造はすべて数学化できる!!」と
強く宣言される方や「情報理論」からその方向性を正当化される
猛者もおられるようですが、
この「物理学(実証=人間原理)VS数学(理論仮説=公理体系=宇宙原理)」という
互いに一見して相容れない論争に終止符を打てる日はいつ来るのでしょうか?
それは、誰にもわかりませんが、
こうした「謎解き」も「時間=生命リズム=いのち」を宿した
私たち「人間」自身の人生にとって意味あるものでなくては
何ら意味を持つものではないことも確かなことであります。
意味があるとしたら・・・
それこそ、人類絶滅後も膨大な「情報」として残された
<ビッグデータ=壮大なエントロピー増大の結果として
残された宇宙の粗大ゴミ!!>でさえ
必要としてくれる何らかの「知的」存在でありましょうか?
それこそ、本書冒頭<序文>でプレゴジン氏も紹介されている
アイザック・アシモフ氏の『最後の問い』とも重なる問題であるようです。
果たして、「人工知能あるいは人工生命」や
<不老不死>を実現させた「サイボーグ型人造人間」は
この難題をいかに受け止めるのか?
あくまで「いのち」に限りある「人間」でありたいと強く望む
管理人のような志向を持つ者には
そんな遠い未来のことなど知るよしもありませんが、
すでにこうした問題も私たち「人間」世界に
少しずつ浸透してきている文化・文明的現象であるからには、
もはや誰にとっても他人事として済ますテーマではないことだけは
確かなようです。
皆さんなら、この問題をいかに解かれますか?
答えは、皆さんそれぞれの日々の生き方の中で
見出していく他ない問題だと思われますが、
最終的には、皆さんの「心」の志向性自体が
その答え=道を導き出していってくれるものと確信いたします。
「人間」のあるべき姿を巡っての価値観はもちろん人それぞれで
管理人は尊重する立場です。
難しいテーマですが、「人間とはいかなる存在か?」を
問い続けるに当たっては、この「時間論(観)」は
必ず避けられない最重要課題でありますので、
今後とも管理人自身の「いのち=時間」が許される限り、
皆さんとともに考えていきたいと思います。
ということで、今回も重いテーマかつ理系書のため
書評要約に手間取りましたが、とりあえず今回の年頭書評は
「これにて一件落着!!」ということで閉幕させて頂くことにいたします。
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・<用語解説>
・<訳者あとがき>
・<参考文献>
・<索引>
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ということで、本書もまた「時間論(観)」を考えるに当たっての
手がかりとなる好著だということで、
皆さんにもご一読されることをお薦めさせて頂きました。
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※なお、当初は冒頭で触れさせて頂きましたような<紀行文>エッセーも
予定させて頂いていましたが、今月末までにそのエッセー項目まで
追加編集している作業が難しくなってきましたので、
近々追々に2月分書評記事投稿までの合間を見計らったうえで
追記再投稿させて頂く予定でいますので、何卒ご了承下さいませ。
もはや力尽きてしまい、本日の読書会でも楽しみにお待ち頂いている方の
応援にも励まされましたので、
書評記事項目だけでも先投稿させて頂くことにします。
重ね重ねになりますが、力が及ばず申し訳ございませんでした。
現在、粛々と編集作業も続行中ですので
今しばらく楽しみにお待ち頂ければ、
これに勝る喜びはございません。
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なお、「複雑系科学」の世界について
もう少し学んでみたいと思われた読者様向けへは、
①『複雑系の意匠~自然は単純さを好むか~』
(中村量空著、中公新書、1998年)
②『カオスとフラクタル~非線形の不思議~』
(山口昌哉著、講談社ブルーバックス、1996年第23刷)
③『時間とはなんだろう~最新物理学で探る「時」の正体~』
(松浦壮著、講談社ブルーバックス、2017年第2刷)
を差し当たりあわせてご紹介しておくことにします。
最後までお読み頂きありがとうございました。
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[…] 前回ご紹介の書評記事内にて触れさせて頂きました […]
[…] ご興味ご関心ある方は前にもご紹介させて頂きましたので、 […]
[…] 前章要約記事内でもすでに触れさせて頂いた当ブログ記事内での […]
[…] 前にもご紹介(『時間の矢、生命の矢』と『時間と空間の誕生』を […]