河合隼雄先生「明恵 夢を生きる」から学ぶ「夢学事始め!?」 人生は、「夢も現(うつつ)も!?」

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この世は、「夢か現(うつつ)か?」

「夢を生きるのか?」

「現(うつつ)を生きるのか?」

そのような問いは、実は無意味のようです。

河合隼雄先生の「明恵 夢を生きる」を素材にして

考えていきたいと思います。

人生は、思っているより長くはありません!!

迷いも悟りも、すべては「生きる糧」です。

人生は、しばしば「旅」にたとえられますが、

「旅路」は人それぞれです。

「個性織りなす網の目」

それが、私たちが生きる世界であるようです。

「明恵 夢を生きる」                   (河合隼雄著、講談社+α文庫、1995年)

著者は、前にもブログでご紹介しましたように「ユング派臨床心理学者」

にして元文化庁長官です。

スイスへ留学の後、「ユング研究所」から

ユング派の心理分析家の資格を取得します。

いわば、日本の「ユング派心理学」の草分け的存在です。

今では、「臨床心理士」の資格も世に知られてきましたが、

著者は、その資格制度の基礎を築かれた方でもあります。

今回は、「夢」に比重を置いて、再度検討していこうと思います。

母なるものを求めて・・・

現代社会では、絶えず「生存競争」が繰り返されており

日々「悲劇」が生じています。

あまりにも「男性(父性)原理主義」が強まりすぎたせいか、

「生きづらい」世の中になってしまいました。

人類は、いうまでもなく「父」ではなく「母」から生まれてきました。

太古の昔、人類が地球上に出現し始めた「黎明期」には

「女性(母性)原理」もバランスよく機能していたようです。

つまり、「陽(男性・父性)」「陰(女性・母性)」がそれぞれの

役割をきちんと果たし、「果てしない生存競争」から

自らを防衛する「装置」を発動させていました。

その後の人類史の展開を振り返ってみると、「闘争の歴史」かと

思えるほど、「非情な醜い争い」が繰り広げられてきたようです。

おそらく、人類が「言葉と道具」を手にした瞬間から

「自然の一部である」人類と世界の距離に亀裂が生じ始めたのでしょう。

人間は、「万物の霊長」などとおごり高ぶってきたツケが

いよいよ私たちに回ってきたようです。

そろそろ私たち人類も目覚めなければならないようです。

「決して投げやりになって、滅亡の道をこのまま進む訳にはいきません!!」

では、私たちは今後どのような「進化の方向性」を辿っていけばよいのでしょうか?

それは、行き詰まったときには「原点に戻る」ということです。

ここで注意しなければならないことは、「いたずらに不安や恐れを煽ることなく

冷静になって一歩一歩小さな改善をしていくこと」です。

現代人の悪いクセは、急いで結果(結論)を出そうとすることにあります。

そのような「思考癖」で突っ走ると、本当に危険な状態になります。

「人類は、万物の霊長」と自負するのであれば、それにふさわしい

「知性・感性・霊性」を行動により示さなければなりません。

そのためには、明恵上人の教え「すべては、ただあるべきようわ・・・」に従って

バランスよく物事を見つめ思い定める視点を持つことが役立ちます。

「陰と陽のバランスある交わり」

そこに、偏った父性に「母なるもの」を調和させていかなくてはなりません。

「夢を生きること=現実を生きること」

「すべては、ただあるべきようわ・・・」(華厳の教え)については、

前回も語りましたので、今回は省略します。

「夢を生きること=現実を生きること」

この意味は、二元的に分けて生きることなど出来ないということです。

つまり、どちらかという「一方通行」ではないという意味です。

夢(あの世的世界観)にも、現実(この世的世界観)にも偏らない「生き方」を

求めていくことで、「迷いと悟りの境界」を打ち消すことが出来るのです。

「いま・ここに」生きるとは、「あるべきようわ=その場その時に応じて

真剣に集中して生きる」ということです。

過去も未来も現在に「畳み込まれている」イメージを持つのが、

うまく生きるコツでもあるようです。

さて、こんなことを語れば「しんどいなぁ~」という

ため息も思わず出てしまいますよね。

実は、その「しんどいなぁ~」という率直な感覚こそ「まとも」なのです(笑)

でないと、気詰まりして本当に「あっちの世界」に逝ってしまいますからね・・・

このように、「いま・ここに生きる」ということにこだわるのも意味があるのです。

というのは、私たちはとかく「世間が決めたルール」(本当は幻想なのですが・・・)

に囲まれて「一定の枠の中での思考」しか出来なくなっているからです。

人生に、何か「あるべき」姿を想定してしまうようですね。

そのため、「目的・意味づけ」を無理矢理あてはめてしまうようです。

人工知能と同じように、人間にも当然

「人間は、自分の見ることの出来る次元でしか世界を認識出来ない」

いわゆる「フレーム問題」という限界があります。

そこから、「執着・偏見・妄執・・・」などに取り憑かれてしまいます。

では、もし「人生は未完でもいい!!」

そして、「この世」だけでもなく「あの世」だけで生きるのでもない

「悠久の時空を超えた世界」に生きるのだと想像してみましょう。

そうすると、いかがでしょうか?

「この世」でも「あの世」でも真剣に楽しく生きることが出来るという

イメージが湧いてきませんか?

何だか「気が楽」になりませんか?

「夢」のことについて、結局あまり触れることは出来ませんでしたが

一言まとめておきますと「夢の解釈は自由であり、一つの答えなどない!!」

ということです。

著者もこの本で、明恵上人の「夢記」を題材にして様々な分析をしておられますが、

「夢と上手に接することが、幸せに生きていくコツ」のようですね。

難しい「夢の解釈」は、とりあえず脇に置いておきましょう。

皆さんも、自分なりの「夢解釈(占い?)」を楽しんでみませんか?

すべては、あなたのイメージ(夢)次第で、現実(うつつ)を刻一刻と変化させる

ことが出来るのです。

いつもながら、「結論」は刻一刻変化するのですが「書くこと」も

「生きる」ことに似ていますね。

だから、人生の一瞬一瞬における決断(結論)も常に「暫定的なもの」という

ことを意識して頂ければ、多少は「生きやすく」なるのかもしれませんね。

最後までお読み頂きありがとうございました。

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3 Responses to “河合隼雄先生「明恵 夢を生きる」から学ぶ「夢学事始め!?」 人生は、「夢も現(うつつ)も!?」”

  1. akayama より:

    本書の、
    ≪…『華厳縁起』は、・・・石の中に閉じ込められていた情念の火が、あるときに突如として燃えあがり、自らを焼きつくしてしまった・・・ 石化していた善妙を活性化することに成功・・・…≫の、文脈を「レンマ学」中沢新一著のレンマ的数論【ニュメロイド】に、レンマ的知性とロゴス的知性に[善妙]の[石化]の[活性化]の場面を想い描きたい・・・
     
     カタチ(〇△▢)と言葉(点線面)と数の言葉ヒフミヨ(1234…)と数学(符号)の世界(+ - × ÷ = √ ・・・)を結び付けているモノ(縁起)について、[石化]を真っ黒ろな●として[活性化]を、●から〇へと導くことで、
     〇△▢ 点線面 数学符号 ヒフミヨ(1234…)の繋がりの風景が醸し出せそうだ・・・

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