幸田露伴の非戦思想に学びながら「自己努力の大切さ」を知り、希望にあふれた未来を実現させましょう!!

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「幸田露伴の非戦思想」

幸田露伴といっても、今日では知る人も

少なくなったようです。

明治から昭和にかけて活躍した文豪です。

小説「五重塔」や最近では「努力論」などの

「修養もの」の方で有名になっているようです。

幸田露伴は、その名「露伴」のとおり苦労しながら

文筆の道を歩み進めました。

「貧しく苦難に満ちた道のりの中でも、決して希望を失わない」

そんなところに魅了されるのでしょうか?

今回は、この本をご紹介します。

「幸田露伴の非戦思想~人権・国家・文明-<少年文学>を中心に」(関谷博著、平凡社、2011年)

関谷博先生(以下、著者)は、幸田露伴の研究を中心に

日本近代文学をご専門とされている学者です。

著者は、幸田露伴の文学から「非戦思想」という

私たちが見落としがちだった「意外な盲点」を

取り出しておられるところに独自性を感じましたので、

今回この本を取り上げさせて頂きました。

このような時期だからこそ、あらためて学び直してみたい

作家でもあります。

これまで、幸田露伴といえば

小説「五重塔」を始めとして、「努力論」「修省論」といった

「修養もの」にスポットライトが当てられてきたようです。

しかし、「修身修養論」だけに光を当てすぎると、

幸田露伴の本意は理解されなくなるようです。

今回は、そんな現在の世にあふれる幸田露伴への認識像を

少し違った角度から捉え直すことにより学んでいきたいと思います。

そもそも、幸田露伴が「修身修養論」に取り組んでいった理由とは?

決して政治的イデオロギーという「色眼鏡」では、

読み取れない深遠な世界が拡がっているようです。

単なる「反戦論」でも「抗戦論」でもない大切な視点・・・

それが、「非戦論」です。

誰しも好きこのんで戦に参加しようとする人など

いないと思います。

現在あらたな「公共哲学」や「積極的平和主義」という考えが

提起されています。

その「内容」の是非を問うにしても、幸田露伴の「非戦論」は

議論の土台として役に立ちそうです。

世界平和のために、皆さんに「考える素材」を提供させて頂く

ことにより、「新たな視点」を獲得して頂ければ幸いです。

それでは、皆さんとともに考えて参りましょう!!

「児童文学」と「少年文学」って違うの??

今回、この本を読んでいて教えて頂いたことに

実は「児童文学」と「少年文学」って視点が違うのだ・・・

ということがありました。

最初に、幸田露伴の文学思想を考察していく前に、

時代背景を簡単に説明しておきますね。

幸田露伴が生まれたのは、1867年(慶應3年)で

翌年は「明治元年」でした。

幸田露伴が少年期を過ごした時期には、まだ現在のように

「学校制度」は完成していません。

1872年(明治5年)に、いわゆる「学制発布」が出され、

これが「教育令」に代わるのが、1879年(明治12年)でした。

ちょうどNHK大河ドラマ「花燃ゆ」で話題になっている

「富岡製糸工場」の草創時期です。

やがて、大日本帝国憲法発布(明治22年)、教育勅語(明治23年)と

立て続けに、日本の「近代教育の基礎」が創られていきます。

この二つは、「ワンセット」になっていることは知られていますが

現実的には、ここから「本格的な学校教育制度」が開始されていきます。

ですので、幸田露伴が少年期を過ごしたのは、

まだ本格的な「学校教育」がない中で過ごした時期だということに

なりますので、「学制」下における近代初等教育を受けた

「最初にして最後の唯一の世代」ということになるようです。

そんな時期に学んだ幸田露伴でしたので、少年期にたたき込んだ

学習思考は「江戸様式」だったようです。

ちなみに、これから問題にする「児童」という言葉ですが、

これは「学校制度」が出来てから使われ出したそうです。

「児童文学」とは、どうやら「学校児童向け文学」のことらしく

「少年文学」とは重ならない部分もあるようなのです。

実際に、「少年文学」の守備範囲はかなり広くて当時としては

すぐに奉公に出る年頃が対象でしたので、

かなり「大人向け」の内容だったそうです。

そうした事例をこの本では、わかりやすく説明して下さっています。

幸田露伴の<非戦論>と<自己修養論>のつながり

この本で学んだことは、幸田露伴の作品に流れる思想には

明治国家の「公式教育」に対する問題提起の側面もあるらしい

ということです。

特に、この本でも話題にされている「二宮尊徳翁」に関する

イメージ像が、「学校教育」における「修身修養教科書」と

大幅に異なるという点です。

ちなみに、二宮尊徳翁については

こちらのブログもご参照下さいませ。

幸田露伴が、二宮尊徳から読み取ったのは

本来の「自律独立思想」です。

一方で、「修身修養教科書」的イメージ像は

明治国家や近代現代社会にふさわしい「富国強兵・殖産興業社会」

に役立つ人物像でした。

この大きなイメージ像の違いは、実は現代にまで尾を引いている

ようです。

幸田露伴が、ことに嫌ったのが「他人を蹴落としてまで優位に立とう

とする比較思想」でした。

この考えでいくと、「弱肉強食社会」を擁護し「他人に対する思いやり」

の欠けた人間が大量生産されていくことになります。

幸田露伴は、博学でした。

しかし、生い立ちは厳しく、一旦社会に出るも「文学に対する志止み難く」

苦労を重ねながら「文学修業」をしていきます。

一旦社会から降りて文筆活動に入る直前には、「餓死寸前」にまで

追いつめられたといいます。

そんな苦しい時期に立てた志を忘れないようにと「露伴=露のごとく

生きる浮き草稼業?に終生寄り添う」といった感覚でしょうか?

「露伴」という名前を付けたそうです。

そんな幸田露伴でしたので、

「寄る辺なき身の者が、他者と寄り添って生き抜く」姿勢に共感して

作風が確立されていったようです。

まとめますと、幸田露伴の心の奥底に流れる「修養論」は

決して近代社会教育で要求されるような「修身修養論」とは

まったく異なるということだそうです。

幸田露伴は、「道教(老子・荘子思想)」の研究家でもあったらしく

一時は京都帝大の知人の頼みで教師業もしていたようなのですが、

やはり性に合わなかったらしく、しばらくして辞職します。

一方で、明治国家における「理想人物像」は、孔子に代表される

「儒教」でした。

要するに、支配者に都合のよい人物の養成が優先されました。

皮肉にも、この「儒教教育」は

明治国家の否定した江戸幕藩体制を支えた「朱子学」と違わず

また、明治から昭和にかけて激しく敵対していった

隣国(中国・朝鮮)の思想でもありました。

近代化の裏には、前近代的な「異物」が混入していたようで

最初から矛盾が内在されていたことも、その後の日本の歩みを

誤らせた原因の一つでもあるようです。

このことも、現代に至るまで「日中韓、北朝鮮」などの間で

激しく対立してしまう要因のようです。

この本のメインテーマでもある「非戦論」・・・

幸田露伴が、「少年文学」などを通じて積極的に活動した時期は

日清戦争直前でした。

急激に「近代文明化」していく中で、見落とされていく者たちに

最後まで「哀惜の念」を持っていたようですね。

この日露戦争はじめ、すべての「近代戦争」に反対しました。

実は、明治天皇ご自身も最後まで「開戦論」には否定的だったそうです。

なぜ、この国では「上下心を一つに・・・」(五箇条のご誓文、十七条憲法)

出来ないのでしょうか?

あまりにも、「儒教の毒」が効き過ぎているのではないでしょうか?

幸田露伴は、神道・仏教・道教と西洋の学問をバランスよく学んでいったようです。

それが、彼の作品の底流に流れている「非戦思想」です。

つまり、幸田露伴が「修養論」などを通じて伝えたかったことは、

「自ら問い、自ら感じ、自ら考え、自ら悟る(判断する)」能力を

自己修養する過程で学んでいかないと、大変なことになりますよ・・・

ということでしょう。

これから、私たち日本人は「独立精神」を大きく問われる時代に

突入するようです。

「非戦思想を育んでいけるのは、本来の自己修養から・・・」

この本を読むと、イデオロギー的見方にとらわれずに

「人間として大切なこと」が教えられます。

若干難しいテーマかもしれませんが、

皆さんにも必ずお役に立つと思いましたので、お薦めさせて頂きます。

なお、「非戦論」について考えていきたい方へ、

「非戦の哲学」(小林正弥著、ちくま新書、2003年)

「戦争倫理学」(加藤尚武著、ちくま新書、2003年)

をご紹介しておきます。

最後までお読み頂きありがとうございました。

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