ダニ・ロドリック著『エコノミクス・ルール~憂鬱な科学の功罪~』犠牲者を拡大増殖させ続けないためにも必要適切な経済政策の即時実現を要求するとともにこの絶好の機会に経済学の活用注意点について学びましょう!!

Pocket

新年を言祝ぐ間もなく厳しい災禍が世界を侵襲中。

新型コロナ感染拡大とともにこれまでの不適切な緊縮経済政策の続行により

経済/医療難民救済がひたすら後手に回る失政のつけで無辜の民が

ダブルパンチに見舞われています。その根本原因とは?

現実世界において利用可能な経済学理論の取り扱い方に問題があるからではないか?

学問一般への信頼性を回復させる処方箋も提示する好著。

今回はこの本をご紹介します。

『エコノミクス・ルール~憂鬱な科学の功罪~』(ダニ・ロドリック著、柴山桂太/大川良文共訳、白水社、2018年)

ダニ・ロドリック氏(以下、著者)は、前にも書評記事内にてご紹介させて頂いたことのある

『グローバリゼーション・パラドクス~世界経済の未来を決める3つの道~』

(柴山桂太/大川良文共訳、白水社、2013年)

『貿易戦争の政治経済学~資本主義を再構築する~』(岩本正明訳、白水社、2019年)

話題となった経済学者です。

著者は好むと好まざるにせよ

もはや現代経済の主流規定路線となってしまっている感のある

ハイパーグローバリゼーション(超国際相互依存<脱国境・国民国家>化現象)によって

誘発されてきた諸現象を摘出分析されるとともに

現在の政情不安定化要因の根源を探究する視点をもって

再び世界に安定をもたらすためにはいかなる具体的処方箋が

必要とされているのかを独自の政治経済学知見に基づいて

問題提起してこられました。

さて、現代経済政策論争において何が最大の争点となっているのでしょうか?

論者によって様々な見解があるとはいえ、

やはり一番大きな話題をさらっているのが

マクロ(=国家)経済政策における『超緊縮』財政に基づく各種投資=消費不足による

ミクロ(=民間)経済部門の縮小化や貧窮化から帰結される生活不安を

今後いかなる処方箋でもって軽減解消させながら、

再び安定した経済成長軌道へと回復させていくべきかという論点でありましょう。

経済『成長』がいかに大切で必要であるかにつきましては、

またの機会に別書評にて分析考察させて頂く予定でありますので

乞うご期待願います。

と同時に現実的観点からの『成長』に伴う歪み問題も

その際に引き続き分析考察してまいります。

差し当たっては現在只今の世間を賑わせ震撼させております

コロナ禍と『緊縮』経済政策路線とが重なり合わさることによって

いかにこれまでの『脱』成長論や曖昧模糊な『成熟』経済論のような

平和ボケした議論に基づく歪んだ経済論説や不十分な現実施策によって

多くの人々にどれほどの犠牲を強いてきたか

むしろ明白にされたことがこのたびの重大な教訓であります。

とはいえ、このような悲惨きわまりなき生活状況に

追い込まれてしまわれた読者様におかれましては

誠にもって不謹慎な語弊ある表現となり恐縮の至りであることは

十二分に承知のうえで

このような稀に見る『非常時(有事)』だからこそ

心底わかりあえ、分かち合える重要な知見というものもあります。

適切な情報に触れて冷静に対処し得る姿勢を整えることが叶えば、

過剰萎縮効果による集団パニック現象から

一挙に社会崩壊へと至りさらなる犠牲者(コロナ感染症による傷病死や

経済恐慌苦による自殺死以外にも各種暴動発生による社会混乱過程での

トラブル事故・事件死などといったことも十二分にあり得ます。

コロナ禍による社会混乱が長引けば・・・。

関東大震災後や第二次世界大戦敗戦後における

日本社会の各種混乱・狂騒現象を想定した備えが必要不可欠であることも

貴重な歴史的教訓として想像できる読者様であれば

ご理解頂けることでしょう。)が増殖し続けるといった

最悪の事態軽減抑止することも出来ましょう。

このような問題意識から以下において

独自論評展開させて頂くこともご了解して頂いたうえで

あえて『絶好の機会がまさに今!!』という時節柄を踏まえ、

本書解読を通じての現在の経済政策やその中核部分を形成構築してきた

現代経済『学』の具体的問題点を提示することで

読者の皆様とともに考えながら、

日々の生活維持や再建にお役立てて頂こうとの趣旨

今回は本書を取り上げさせて頂くことにいたしました。

ただ本書の内容もかなり高度な学術的関心をもって

日々の経済政策を眺めていらっしゃる読者様でなければ

難易度の高い議論もあるかと思われます。

そのあたりは管理人の理解し得た範囲において

適宜丁寧に噛み砕きながら説明要約していく所存ですので

ご安心下さいませ。

なお、管理人は常々真に明るき希望ある未来を自他と世界に引き寄せるためには

むしろ『どん底(最低最悪の超絶望=悲観状況)』を想定するところから

出発すべきだと確信しております。

この苦難の連続の中で読み進めていかれることが

正直つらく感受されることもあるかと存じますが

管理人もその苦痛を皆様方と共有しながら

明日への希望の光を見出すひとつの道筋を開拓すべく

今後とも努めてまいります。

『なぜ超悲観(絶望)姿勢から今生起している社会現象に対する

分析批判探究を始めなくてはならないのでしょうか?』

それは悲惨時においてこそ

その心境に<同期化>する道を辿ることでしか

現実的な立ち直りを期することができないからですね。

そのような教訓を

管理人も過去の抑鬱状態から学び取ることが出来た体験があったので

読者の皆様にもこの未曾有の不安定期における日々の過ぎ越し方の

助力にもなろうヒントをご提供できればと願っております。

現在、世間ではどこもかしこも『自粛』という悲観的ムードに包まれております。

『愛する者をともに護り合う』ためにも

『死なばもろとも』を決行いたすわけにはまいりませんから、

『自粛』には相互協力させて頂くことは当然でありますが、

一方では皆が皆で自宅内勤務(テレワークなど)をするというわけにも

いかぬでしょうから、感染拡大防止には十二分に努めつつも

正しく怖れるというためにも

同時にリスクマネジメント(危機管理)』についても

ご興味ご関心をもって頂くことで適切な日常生活を

健やかにお過ごしされることを願う次第です。

特に<不要不急>の外出を控えることはもはや当然といたしましても

必要事のためにどうしても外出せざるをえない局面は

どなたにでもあることです。

(例えば、買い出しや銀行、役所などでの各種手続きや

物流などの現場仕事を抱えておられる場合)

そうした場面で感染経路も不明で

もしかすれば自身も感染するかもしれず、

他者に感染させてしまうという恐怖感と常に闘い続けざるをえない

場面に立たされることこそ最大の恐怖だと思われます。

つまり、どのような『強権』や『諸方針』を発したにせよ、

人間がこの世界(社会)で生きていくためには

『完全ひきこもり』状態になることなど不可能事で

<完全制御・制圧>など無理な相談なわけです。

こうした状況の時にご活用して頂きたいのが

先にも触れさせて頂きました

『リスクマネジメント(危機管理)』という知見というわけです。

あくまでもこの世では絶対安全・安心という場面はあり得ないにせよ、

およそ科学的=確率・統計学的に考えられる限りでの

生活対応策としては最善とまではいきませんが

次善の知恵というものはあるようです。

感染拡大と経済打撃の『最小化』をいかに図るべきかは

なかなか調和点も見出しにくく、

現在の政府による政治判断をただ待っているだけでは

『行くも地獄、退くも地獄』というトレードオフ関係の

<ジレンマ>に立たされてしまうと警鐘乱打されている

論者もおられます。

そうした批評活動自体はこれ以上の犠牲者を増殖させないためにも

是が非でも政府に適切な対策の早期実現をなさしめるためにも必要不可欠な

姿勢にはなるわけですが、

より現実的な姿勢としては、

とりあえず政府が現時点でも即座に利用可能にしてくれている

各種制度の積極活用を検討して頂くのも

より一層の群衆『恐慌(パニック)』を防ぐためにも

提示しておくのが良心(識)ある批評家の役割でもあるでしょう。

少なくとも管理人自身はそうした警鐘乱打型の批評家の役割も認めつつも

このように前向きな知見もご提供させて頂くことで

可能なかぎり皆様方にご安心して頂けるような情報発信を

自らの信ずる優れた書籍批評を通じて今後とも継続してまいります。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

『新型コロナウィルス 支援情報まとめ』サイトが

マネーフォワード様によって開設されていますので、

お困りの読者様は是非ご参考までにとご紹介させて頂きます。

その他にも<お役立ちサイト>が出現してまいりましたら

随時ご紹介させて頂きますね。

それとそろそろ政府からの『マスク』郵送配布や

『給付金』に絡む申請書一式(郵送の場合)が届く手続きも

順次準備されていくと思われますが、

この機会に便乗した悪質な詐欺も出現してくると

『必ず(ほぼ十中八九確実に)』予想されますので

くれぐれもご注意下さいませ。

気になることがございましたらば『必ず』

下記のような信頼できる公的機関などにご確認下さるよう願います。

『独立行政法人 国民生活センター』

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

相次ぐ『自粛』要請や『緊急事態宣言』で緊張が続く毎日。

皆さんにも生活稼業以外で愉しみたい行楽行事も

本来ならこの桜咲く春先のウキウキ時ですから

たくさんおありだったことでしょう。

管理人も各種イベント事の『延期』や『中止』で

各種『ひきこもり型娯楽』方法を模索探究中です。

もちろんその第一候補こそ『読書』なわけです。

とはいえ、今は公設図書館などは『閉鎖中』で

書店も『営業自粛』で調査探索活動も外出出来ないために

不便極まりなき生活を過ごしております。

作家やジャーナリストの方々もこのような状況では

取材活動など<自粛>せざるを得ないので大変でありましょう。

特に『情報の受け手』の立場からは

より質の高い良質な情報も得られにくくなり

その機会に便乗した『悪質デマ』情報が拡散していかないかだけが

大いに憂慮されるところです。

このように取材者も被取材者もなかなか取材には応じにくい時期だとは感受しますが、

不安に駆られる時期だからこそ感染対策にはお互いに十二分に注意配慮しながらも

積極発信されることにご協力下さるようにお願いいたします。

また取材対象者の方でなかなか取材者と接触しづらい環境下

是が非でも社会に訴えかけたい事項がございましたらば、

是非インターネットメディアなどを通じて

積極発信されるべくお願いいたしたいところです。

いつ・いかなる時でも社会を動かす力は

みなさん1人びとりにしかないのですから・・・。

一方で『音楽』好きの管理人でもありますから

各アーティスト様やバンド様の新たな活動形態の『発明』や

『発見』という文字通りの<暗中模索>ぶりに共感を覚えつつ、

陰ながら応援させて頂くとともに

またの逢える機会を『今はただ・・・』

ひたすら待ち続ける生活に徹するのみです。

コロナ感染を始めとする犠牲者が止まることなく続出している

恐怖の日々を過ごしていると

『今を生きる』ことの絶望的な困難さや

『いのち』の重み、人生において残された時間の希少価値や奇跡を

いつにも増して実感させられることになります。

そうした身辺事情に絡めました話題も

後ほどエッセー記事項目内にて語り綴っていきましょう。

年明けから3ヶ月間も辛抱強く楽しみにしてお待ち頂いている読者様には

欲求不満感を抱かせてしまいましたことをお詫び申し上げますとともに

それにも歴とした理由(『言い訳』ではありませんが・・・)がありまして、

その機会に体験させて頂いたことで

きっと読者の皆様方にもお役に立てるだろうこともございましたので

そのあたりの事情模様とあわせてご披露させて頂きますね。

それでは『備えあれば憂いなし』を合い言葉に

『前を向いて歩こう』といたしましょう。

一見現実離れしたかに感受される経済学『理論』も正しい活用法を習得することが叶えば世を救う『経世済民』学として甦る!?

それでは本書要約ご紹介へと移らせて頂くことにいたしましょう。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

・謝辞

※前書きにも触れさせて頂きましたが、

本書は普通の書店ではいちおう経済学『専門書』棚に配置されている

学術的論考書の体裁をもった一般向け啓蒙(入門=概説)書という部類に

属する書籍に当たります。

ですので、経済学の専門的素養がないうえ、

さらにそもそも論として現在の経済政策が『なぜこれほどまでに

人々の生活向上を阻害してしまっている状況にあるのだろうか?』といった

政策創造機関である学界(大学などの高等研究教育機関)や

政府機関へのかなり強い批判意識をお持ちである読者様でなければ

『現代経済学<理論>の現実に生起している経済的社会現象に対する

<適用>のされ方が果たして適切妥当なのか否か』問題にまで

興味関心を抱かれることはかなり稀なことでしょう。

とはいえ、現代民主主義国家の建前ではそのような『専門家』の判断も

私たち一般庶民生活に与える影響力は甚大でありますから

当該政策の適正さや適用すべき決断時期の妥当性などなど・・・を

選挙時において『吟味選択』する権利資格が付与されているわけです。

もっとも身近な問題である各種税金制度や

社会福祉・雇用労働政策のあり方などがまさにそれに当たります。

『大不況』時や今回のような『非常』時における

消費『増税』措置の継続が適切なのかどうかや

各種税金・保険料支払いに関しましては

猶予と免除のいずれが現在の生活実態に照らして

適切妥当なのかどうかなどがそのような例であります。

現代文明社会はますます高度に発達していく途上にありますので

その文明を構成する各種制度やその背景思想・理論も

複雑になってきております。

このようなわけで『専門家』の判断を仰ぎ、

ある程度までの信認を付与しなくてはならないわけですが、

『専門家』といえども人間ですから

当然ながら間違いも多々あるわけです。

ましてや個々の『専門家』自体は優秀かつ適切な認識判断能力を

有していたとしても巨大な組織集団ともなれば

ここにも独特な群衆心理バイアス(専門家の『認識共同体』と

表現される識者もおられます。)が働くことも

当然ながら予想されますし、

過去の歴史に鑑みてもかなりの確率度数が高いことも

判明しています。

このように私たちが享受している文明度が進展すればするほど

それにあわせて教育制度やその内容も高度複雑化していかざるを

得ないということになります。

まとめますと、私たちが現在共有している高度文明社会において

民主主義に基づく政策判断『選択決定』制度を前提とし続ける限りは

本来ならばどなた様にでも興味関心を抱き続けて頂かなくてはならない

重要問題であるわけですね。

とはいえ、世の中とは誠に不公平です。

それぞれの成育事情によって異なった教育環境を経て

社会へ巣立っていかざるを得ないのが

悲しいことですが現実であります。

そのようなわけで教育成熟度に幅がある人間によって構成されているのが

実社会なわけですから

『専門家』と『一般人』との<架け橋>となる仲介者にも

需要が出て来るというわけですね。

ただし、この有識仲介者(俗に言う『評論家』という種族)にも

これまた『専門家』同様に

品質的に<ピンからキリまで>なわけですから

最終的には私たち一般人の真偽や信頼度を見抜く勘(独特の嗅覚や目利き力)が

厳しく問われてくるわけです。

このような社会構造になっていることから

『専門家』でありながらも『一般人』へ適切にわかりやすく噛み砕いた

説明をすることができるある種の<仲介>能力がきわめて高い

有識者に需要が集中するというわけです。

今回の経済学問題の内情について

その役割を見事に果たして下さっているのが著者になります。

そのような趣旨がまず本書冒頭の<謝辞>において

絶妙なナビゲーター役として開示されています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

・<はじめに>『経済学の正しい使い方、間違った使い方』

※<はじめに>では経済学研究によって抽出されてきた知見が

実際の場面においては具体的にどのように活用されてきたのかが

描写されています。

ここではそれぞれ

①世界経済

②都市交通

③貧困対策

の3事例に絞って

まずは『正しい』適用のされ方という文脈で紹介されています。

一方で、『経済学者はよく間違える』(本書14頁)という点にも

注意を喚起されています。

その具体的事例は次章以下で展開されていきます。

本書の主題(中心テーマ)はあくまでも

経済学という学問『一般』に当てはまる批判的論考ではなく、

その学問特有の『理論』の扱われ方(『研究手法に焦点を当てたもの』

本書16頁)を対象に批判考察を加えていくことにあります。

この研究『手法』のあり方を様々な観点から批判検討を加えることを通じて

経済学以外の諸学問分野においても共通する

『そもそも<科学>とは何ぞや?』という問題にも

皆様の興味関心具合が必ずや深められていくことになりましょう。

そこではひとくちに<科学>といっても

学問分野には大きくわけて『自然』科学と『社会』科学に二分されるわけですが、

それぞれにおける科学の<定義>が異なるということを詳細に分析提示することを通じて

その奥義に触れていくことになります。

そのテーマに関しましては、

具体的には『第2章 経済モデルの科学』で触れられていますので

その際に追って要約ご紹介させて頂きます。

さて、<謝辞>と<はじめに>で著者が本書で主張されている

骨子が提出されたわけですが、

終局的な<まとめ>としては本書<おわりに>で

経済学者(プロの専門家)と『非』経済学者(アマの一般人)の

それぞれに向けた『戒め』として提示されていますので

お時間もなく、次章以下の各論考文まで精読するまでの

興味関心度がない読者様には

この<おわりに>だけでも目を通されると

著者が本書で伝えたかったエッセンス(本質的中核部分)だけは

十二分にご理解頂けるようになっていますのでご安心下さいませ。

そのうえで少し理解しづらい『戒め』が出てきましたら、

適宜各章でそのテーマが扱われている論考箇所に

集中して攻略されることが一番のオススメかと思われます。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

①『第1章 モデルは何をするのか』

※本章では現実社会において生起してくる諸現象(本書では『経済』社会領域に

ひとまず限定特化)を厳密に把握することを通じて

私たちが具体的にどのように対応すれば生活安定感を獲得され得るかという

人間への効用を大前提に『モデル(仮説設定=ある種の問いかけ)』が

いかに重要な道具として必要とされるべきものなのかという問題提起から

その役割について考察を深めていくことになります。

そのうえで『モデル=抽象的理論像(※本書で著者は『モデル』と『理論』を

厳密には適宜使い分けされていますが、

その詳論は第4章要約時に再説いたします。)など現実社会に何の意味が

あるのか!?』といったよく指摘される批判と

その誤解に対する回答が提示されることになります。

言うまでもなく、現実社会で生起してい(く)る諸現象は

誠に複雑怪奇でどこに原因があってどのような結果が出現してくるのかは

場面によって大きく『変化』してきますから

その<因果関係>を一義的に「これだ!!」と確定する作業は

著しく至難の業ということになります。

そこでただでさえ『複雑』なものを『複雑』なままで

把握しようとすればいかなる<天才>であろうと

頭が大混乱状態に至ることは必定だということは

皆様も容易に想像することが出来ましょう。

そこで学問における作業「操作」法としては

まずは『最単純型』モデルをその作業仮説として置いたうえで

様々な条件(数理的モデルでは各種『変数(<考慮素材>とでも

イメージして頂ければわかりやすくなりましょうか?)』を

次々に付加していくことで

より社会実情に接近していくことになる精密なモデルへと

修正創造していくということになるわけです。

その『モデル』が現実社会を解読するうえで

有用であればあるほど秀逸な『モデル』だということになるわけですが・・・。

ここによく陥りがちな『罠』が潜んでいるといいます。

経済学は『社会』科学の一分野であり、

数理学(数学や物理学といった理系学問分野)知見を活用しながら

<科学>的に分析考察していく手法でもって発達してきた学問であるために

そこには<明快さ>という名の美しさに深く足をすくわれてしまうといった

『罠(というか知的思考癖とでもいったもの)』が仕掛けられています。

ここから経済学者は本来は『ある』局面(条件)でしか成り立たない『モデル』が

その「当てはまり方(フィット=ぴったり感)」が強ければ強いほど

その『モデル』が『いつ・いかなる』場面においても

<普遍的かつ一律的>に成り立つものだと<錯覚>して

強引に適用してしまおうとする誘惑に駆られる・・・というわけですね。

こうした知的錯覚により早まった『モデル』活用のされ方に対して

『学問の王道』という原点に立ち返って「ちょっと待った!!」を呼びかけるのが

著者の主張だということになります。

『モデル』とはあくまでも『ある』場面を把握するうえで役立つにすぎない。

『経済学のモデルは唯一無二ではない。多種多様なモデルがある。

経済学という学問は、モデルの種類を増やしたり、現実世界にモデルを

適用する方法を改善したりすることで進化している。

経済学のモデルは、現実社会が変化していくのに合わせて

多様にならざるをえない。

異なる社会状況では、異なるモデルを使う必要がある。

経済学者が普遍的で万能なモデルを発見するなど絶対にありえないことだ。』

(本書14頁)

『あるモデルが役立つのは、現実のある側面を捉えたときである。』

(本書18頁)

『一つのモデルはいつも他のモデルより優れているとは限らない。

覚えておこう。それは一つのモデルであって、唯一のモデルではない。』

(本書44頁)

そして、その『モデル』が依拠する大前提となる<仮定>は一見すると

<非現実>的であっても構わないが、

その<仮定>が『重要』であればあるほど<非現実>的であってはならない。

『モデルの適用可能性は、重要な仮定がどれくらい現実世界と

近似しているかにかかっている。そして仮定の重要性は、そのモデルが

用いられる対象に半ば依存する。』(本書33頁)

経済学者が現実世界を解析する際に用いる『モデル』を選択する

判断力や洞察力といった才能はむしろ<技芸>的なものに近いのだ・・・とも

いいます。

このような学者がよく使用する『モデル』に対する

世間一般に根強くある誤解や偏見、批判への

適切な回答を提示していくのが本書全編に漲る著者の主張ということになります。

ふたたび本章の骨子をまとめますと、

『モデル』を現実社会で有用に取り扱えるためには

上記のような<錯覚>に陥らないように常に注意して思慮深く目配せする

知的姿勢が望まれるということになります。

そこでは『モデル』の<多様性>の効用がひとつのキーワードになります。

管理人が本章で特に一般読者様に問題関心を持って頂きたいと願う論点は

よくある最大の誤解点でもある『モデル(仮定)』の<非現実性>という

論考文であります。(<非現実的な仮定>本書30~33頁)

そのあたりを重点的にお読み頂ければ

なぜ経済学(学問一般にも当てはまりますが・・・)においても

作業仮説としてまずは『最単純型』モデルから分析考察を

開始しなくてはならないのかが次第にご理解頂けるようになります。

要するに、学問するに当たっても『地図(マッピング化)』を持つことが

必要かつ重要な準備作業となるということですね。

そんな心構えを著者も本章末尾において

アルゼンチンの小説家ボルヘス氏による『科学の厳密さについて』と題する

物語を象徴的素材にイメージ喚起の補強資料とされています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

②『第2章 経済モデルの科学』

※本章では経済学といった人間が介在する複雑な『社会』現象を取り扱う際において

分析手法として使用される<科学>という言葉に注意するように

豊富な事例問題を通じて解説されています。

本章の読みどころは<はじめに>の要約時においても予告しておきましたように

数学や物理学といった『自然』を対象とする学問である『自然』科学と

経済学といった『社会』を対象とする学問である『社会』科学とで用いる

<科学>観やその定義、活用法が著しく異なることに注目させる点にあります。

『自然』科学においてもその科学『観』については日進月歩の勢いで

大きく変容を遂げてきていますが、おおざっぱには

まだまだ『実証(実験・観察といった<実測>)』可能性をもとに

将来の検証が待たれることを大前提としていることは

これまでの書評記事などでもご紹介させて頂いてきたところです。

それは同時に将来も同じ現象が継続して生起してくるだろうといった

<予見>可能性と<反証性(反駁=絶えざる批判に晒されることで

対象観測から抽出される当該『仮説理論』がさらなる解析道具として

よりベストに近いものなのかどうか日々検証に耐え得るものとして

テストされていくこと)>を含意しています。

本章<科学的進歩、一つの時代に一つのモデル>(本書64~72頁)内に

適宜挿入されている脚注(*)にも過去の書評記事でもご紹介させて頂いた

物理学者スティーヴン・ワインバーグ氏の言葉が引用されていますが、

『いつ・いかなる』時にでも適合する『一般』法則といった

従来の科学的イメージも厳密なテストに晒されながら

狭い領域において成立するものとして絞られていっています。

いわゆる『万物の大統一』理論ともまた異なった志向性で

個々の『自然』現象から抽出されてくるいわゆる<法則性=安定性??>とは

このようなものとして日々『書き換えられて』いるというわけですね。

つまり、『教科書に書かれている(従来教えられてきた)ことも

<確立>されたものとして何でもかんでも信じ込んじゃならない!!』という

教育効果も同時に示唆されているわけですね。

そこがいわゆる学校での<勉強>と<学問(絶えず疑問をもって問い・学び

続ける知的営み)>との大きな分水嶺なのです。

というわけで、本章において経済学において使用されている<科学>の

取り扱い注意点を引用しながらまとめておきましょう。

『経済学では、状況がすべてなのだ。ある状況において正しいことは、

別の状況においても正しいものである必要はない。』(本書66頁)

(管理人注:著者はこうした見方をいわゆる<セカンド・ベスト>の理論

呼称されています。<セカンド・ベスト>の理論に関する解説は

本書末尾の<「狐」の経済学的方法論-訳者あとがきに代えて>

(本書191~196頁)においてなされています。

詳細はそちらをご一読頂くとしまして、

ここで管理人なりの理解要約言葉で噛み砕いて解説しておきますね。

要するに、経済学者が理想的な『モデル』として描いている

すべてが最高・最適な理想としてある<完全競争>市場社会というのは

現実にはあり得ないのであり、どこかで歪みが潜んでいる・・・といった

あたりを指摘して<セカンド(『次善の』という意味)・ベスト>

表現されているというわけです。ですから、皆様方も初等中等義務教育段階の

社会科や公民・政治経済分野で頭に刷り込まれた

有名なあの<需要-供給曲線グラフ>をそのまま字義通りに鵜呑みにして

信じ込んではいけない!!ということになります。

そんなことをすれば『作ったものはすべて必ず売れる=売れ残ることなど

有り得ない!!(専門用語では<セイの法則>といいます。)』という

いわゆる直観的錯覚の『罠』に容易に嵌り込んで壮大な経済的損害を

被ってしまいます。

また、すべてを<自力救済=自己責任>の世界で処理せよとの強迫観念に

追い込まれ、ご自身の力だけでは(どんなに努力を尽くしても)手に負えない

<他力(外在的制約条件)=その時々における社会全体における景況指数という

『外生変数』>までの社会全体責任についてまでも転嫁される恐れがあるからです。

その意味で『政治によるマクロ(国家)経済政策の失敗という<外生変数>』による

影響力はかくも絶大な圧力となって押し寄せてくるのです。

コロナ禍による過度な『自粛要請』とやらの手当てが適切になされていませんと

現在のような苛酷きわまりなき凄惨な状況へと駆り立てられていくわけです。

最近でこそ<科学>に基づく政策立案なる言葉が

政界でも大流行のようですが、

『本当に事の重大性をわかって発言なされているのでしょうか!!』と

その姿勢に疑問を感じてしまうのは管理人だけでしょうか?

『失政』による<アノミー(社会秩序の崩壊=無連帯状態)>現象の

恐ろしさを今こそ知るべき時でしょう。

このままではさらなる絶望的大惨事(恐慌)へと引きずり込まれていきかねません。

為政者には是非とも『異色』の碩学であられた

小室直樹博士の名著『危機の構造~日本社会崩壊のモデル~』

(中公文庫、1991年)を繰り返しお読み下さり習慣(規範)化して頂くほかありません。

小室博士の優れた点はご自身の価値観(政治的党派性)を超えて

対立価値観にある学者や人間の優れた点は正しく評価されていたことにもありました。

著者も『本書での私の議論は、経済学者の「党派的な見方」とは無縁』(本書15頁)

宣言されていますが、優れた研究者や人間の模範類型として学びたいものですね。

ところで、資本主義経済において最重要な視点は

まさに『在庫』管理をいかに調整するかにあります。

経済学のいろいろあるややこしい難しいテーマも

日常生活で生起している経済現象に置き換えることでイメージしやすくなりますが、

究極的にはこの問題に尽きます。それは同時に有限な資源の無駄遣いを

いかに省力・節約化するかという環境負荷抑止問題とも直結します。

適切な『在庫』管理方法を生活の知恵として活用するには

過去の体験履歴<売上データや稼ぎ時、業務繁忙時間帯や期間などの

把握>などを厳密化する知識も学ぶ必要があります。

こんなところに確率や統計学といった学問も活きてくるのです。

もちろん『言うは易く、行うは難い』のが常なる現実ですが、

こうした姿勢や問題意識を持つだけでも少しずつ業務収益も改善されていく

ことでしょう。これが資本主義の『精神(エトス=行動規範)』だからです。)

『経済学においては、より良いモデルが悪いモデルに取って代わるという

垂直的な形ではなく、これまで明らかにされていなかった社会的成果の

一面について説明する新しいモデルが生まれるという水平的な形で

知識の蓄積が行われている。実際、新しいモデルは古いモデルに取って

代わるのではなく、いくつかの状況により関連した新し一面を

取り入れている』(本書67頁)

にすぎないのだ・・・といいます。

つまり、こうした1つ1つの<部分>『モデル』ピースを

拾い集めていくことで<全体>としてのパズル(著者の引用されている

小説家の比喩イメージでは『地図』)が完成されていく・・・というのです。

『あらゆる状況に当てはまる普遍的な説明や処方箋を経済学に期待すべきではない。

社会生活の可能性は、単一の枠組に押し込めるにはあまりに多様である。

ただし、一つひとつの経済モデルは地形の断片を示す部分図のようなものである。

それらを合わせることで、経済学者の用いるモデルは、

起伏に富んだ社会の経験を理解する優れた案内役となる。』(本書16頁)

また、経済学者が経済学を<科学>として検証可能な道具とするために用いる

『数学』も曖昧模糊なる言語を高度に抽象化し直せば、

その言語化した際の<初期>仮説『モデル』も酷く歪んだものであることを

<明確に判別>し得ることがしばしばあるからこそ活用しているにすぎない

いうことです。

『数学を恐れるな。経済学者が数学を用いるのは賢いからではなく、

それほど賢くないからだ。』

<経済学者でない人への十戒4 本書190頁>

なお、著者による経済学に対する科学的地位(評価)はそれほど高くないとの

見識も提示されています。(本章79~80頁)

つまり、その<科学的>分析手法に対しても『実証的』というよりは

『実践=実用(プラグマティック)的』だというところに

比重点を置いた評価をされています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

③『第3章 モデルを舵取りする』

※本章では『モデル』の実際的な使い方について検討していくことになります。

すでに第1章に関する要約記事内にて

経済学者が現実世界を解析する際に用いる『モデル』を選択する

判断力や洞察力といった才能はむしろ<技芸>的なものに近いのだ・・・

と言及させて頂きました。

本章では『モデル』の<技芸>的側面に関する理解を深めていく論旨展開が

なされていくことになります。

経済学者が現実の経済現象を解析する際に採用した『モデル』が

適切妥当なものかを<検証>する場面では

これまで語ってきましたような『社会』科学の一分野である

経済学という文脈で固有使用される<科学>の定義に基づいて

独自の<科学>的分析手法が採用されるというお話でした。

本章では、経済学が真に<有用な>科学となるために

必要不可欠な『モデル』の選択といういわば入口場面に関する話題が

主題となります。

『重要なのは、モデルの選別をどうやって実践するのかだ。』

(本書81頁)

この命題が特に重要なのは『モデル』の選択次第で

現実の経済政策にまで大きな影響力を与えていくことになるからだ。

その選択に大きな誤りがあった場合には

『まさに深刻な致命傷を与えかねない!!』という問題意識や

『なぜ経済学者は研究組織集団内など<私的>場面における発言内容と

マスメディアや政府の審議会など<公的>場面における発言内容とが

しばしば素人一般人から見ても矛盾するように感受されるのだろうか?』といった

問題意識の下、

『なぜ各論者ごとに政策に対する意見や評価、議論において

<齟齬を来す(話が噛み合わない)>場面にしばしば遭遇するのだろうか?』と

その理由について探っていくことになります。

議論で<齟齬を来さない>ためには

各論者間における問題意識や前提となる分析素材(各種統計データなど)が

正しく<共有>されていることが言うまでもなく重要となります。

そのうえで生産的かつ有意義な議論を深めることが叶えば、

各論者による経済学研究の結果として案出されてきた『モデル』も

実際の公的経済政策において<正しく>活用することが出来てきます。

本章では『成長戦略』を事例問題として検討していくことになります。

著者は語ります。

『異なった政策が異なったモデルから導かれていることが明らかになれば、

議論はいっそう明確になる。今やわれわれは、それらがどこから来ているのかを

理解することができる。より重要なのは、それぞれのモデルを証拠と

突き合わせることで、違いを狭めることができるということだ。』

(本書85頁)

ここでの議論素材は<成長戦略の診断法>(本書84~89頁)ですが、

著者たちによって開発されたという独自の診断ツールを用いた

分析評価方法をもとに考察がさらに深められていくことになります。

そこで重要な『鍵となるスキルは、候補となるモデルと現実世界の間を

行きつ戻りつすることのできる能力』(本書89頁)だとしたうえで、

その『検証』作業へと話題を転じていくことになります。

その『検証』課題がそれぞれ次の①~④の事項として提示されます。

         ≪モデル選択の一般原理≫

①モデルの重要な仮定が、問題の前提をうまく反映しているかの検証。

(<重要な仮定を検証する>本書90~93頁)

②モデルのメカニズムが実際に機能しているかの検証。

(<メカニズムを検証する>本書93~95頁)

③モデルの直接の含意の裏付けの検証。

(<直接的含意を検証する>本書95~101頁)

④モデルが副産物として生み出す偶発的な含意が、

観察された結果と一致しているかの検証。

(<偶発的な含意を検証する>本書102~104頁)

※管理人注:①~④下の括弧内表記はそれぞれの論考箇所を示しています。

本章の<まとめ>になりますが、

結局その『モデル』が現実世界において≪使えるもの≫となる

(著者の表現では<外的妥当性>)ためには

その『モデル』に内在されている大前提次第ということになります。

その大前提(=『重要な』仮定のこと)を『選択』する際の

判断力や洞察力といった知的操作能力には<科学>的思考力よりも

むしろ<技芸>的直観力とでもいった独特の『勘』の方が要請されるということですね。

うまく『現実』世界を捉えるためには

『モデル』選択眼を絶えず磨き続けるほかないというわけです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

④『第4章 モデルと理論』

※本章では第1章要約記事内でも少し触れさせて頂きましたように

<科学>としての経済学といった場合における『理論』の意味について

世間一般ではその<科学>という響きにより連想されるイメージから

実際には多々誤解されていることがあるために

『モデル』と『理論』という表現をいちおう厳密に区切ることで

より適切な理解がなされることを目的とした解説が

展開されていくことになります。

『理論』に対するイメージは通常はすでに触れ始めていますように

数学や物理学といった『自然』科学では

一般には『全般的かつ普遍的な妥当性があるものと考えられている。』

(本書105頁)

ところが、すでに前章までの要約記事内でも語ってきましたように

『社会』科学としての経済学で使用されるところの『理論』という言葉に対する

意味内容は大きく異なるものだったということを確認してきました。

現実世界に対して『理論』が適切妥当なものとして

そのまま適用可能なものなのかどうかを<検証>していくのは

『自然』科学における実験や観察と似た分析検討過程があるわけですが、

そのままでは役立たないことは第3章で見てきたとおりです。

そこでこうした『自然』科学で使用されている『理論』という言葉に

まとわりついたイメージと同様な見立てを

『社会』科学である経済学『理論』にまで持ち込むのは

多大な誤解を招き寄せ、現実政策に採用されるうえでも

はなはだ危険な要素が混入していくおそれがあることから

厳密な理解を促すためにあえて

経済学『理論』を論ずる際には『モデル』という表現に置き換えて

説明がされていくことになります。

『経済学のモデルは、状況によって変わるものであり、ほぼ無限の多様性がある。

経済学のモデルは、せいぜい部分的な解釈を与えるものであり、

特定の相互作用のメカニズムや因果関係の経路を明らかにするために設計された

抽象概念を主張するに過ぎない。これらの思考実験では、潜在的に存在しうる

他の要因を分析の枠組から外すことによって、限定された要因がもたらす影響を

隔離し識別しなければならない。そのため、多くの要因が同時に作用している

ような場合は、経済学のモデルでは、現実世界で起こっている現象を

完全に解明するにはいたらない。』(本書105~106頁)

※管理人評釈:なお上記引用文中にある『要因』こそが

数理的に検討する際の記述表現では『変数』ということになるそうです。

『多変数の相互連関モデル(=多変数のあいだの関数関係)』として

社会<システム>論として分析考察する『モデル』研究をされて

一般読書界にもそのわかりやすい??独特な言論活動をされてこられたのも

先にご紹介させて頂いた故小室直樹博士でありました。

今でこそ『学際』研究の重要性が叫ばれ、理解もされてきていますが、

実際に<統合>的観点から視野を広げた学問研究をしていこうとすると

まだまだ諸学問(なかんずく『社会』科学系!!)間での

共通した<方法論>が確立していないために相当困難な知的作業だといいます。

とはいえ、特に現代社会では『政治』と『経済』が車の両輪として

相互作用しているのが実際ですから学問の世界でもこのような現状にあるとすれば

ましてや俗界の政財界における<行き当たりばったり>主義では

国民が次々と犠牲になっていくばかりの状況が続きます。

だからこそ、『平時』からの備え(諸学問における<基礎>研究の積み重ねと

財政面での積極投資。ここでは絶対に役立つ/役立たないなどといった

<選別>型投資をしてはならない!!『平時』の溜め(=ゆとり蓄積分)こそが

『有事』において真に役立つのですから・・・。

『<学問>とはかくまでも絶大な力を発揮する生きた営み』だということです。

そこで本章における以下の論考では

『理論』と『モデル』の差異感覚についてよりよく理解して頂くための

補足説明として次に掲げた具体的事例問題を引き合いにさらなる検討が加えられます。

・≪価値と分配の理論≫について(本書108~115頁)

・≪景気循環と失業の理論≫について(本書115~125頁)

・≪特定の出来事を説明する理論≫について(本書125~130頁)

上記各論考解説分のうちでも

経済学における『理論』や『モデル』でもって

現実世界に通用し得る有効射程範囲についてよりよく理解しやすくなるためには

3番目の≪特定の出来事を説明する理論≫について(本書125~130頁)

ご精読されることをオススメいたします。

著者もここにこそ重点を置いているようですから。

『経済学の一般理論は、経験された偶発的出来事に関する足がかりでしかないと、

私は論じたい。これらのモデルは、現実を説明する唯一無二の枠組ではなく、

われわれの思考を体系づける方法である。モデル自体が実際の世界に対して

本当に影響力を及ぼすことはほとんどない。これらのモデルが役立つものに

なるためには、あまたの状況に応じて考察された分析と結合される必要がある。』

(本書108頁)

本章の<まとめ>は、

≪理論とは実のところ単なるモデルの寄せ集めに過ぎない≫

(本書130~131頁)に集約されています。

要するに、『社会』科学における『理論』や『モデル』を

過度に信奉したり、すべての社会現象を補足制御できるなどといった

野心などに由来する人間特有の傲慢心理こそが正しい理解の妨げとなるということですね。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

⑤『第5章 経済学者が間違える時』

※本章では経済学者が自らの研究分析によって抽出創造した『モデル』に

内在する『重要な仮定』(←分析対象となる経済環境の状況次第によって

そこから導出されていく結論を左右するほどに重要な因子)を

基に帰結されていく命題が

本来であれば<ある特殊な文脈状況>下でしか成立し得ないにもかかわらず

(良識ある研究者であれば当然のことながら十二分に認識し得ているはずなのに)

しばしば一般的にも成立するものとして「信じ込んでしまう」誘惑に嵌り込んでしまう

諸原因を探求することを通じて<間違えやすさ>の源泉を突き止める作業へと

進んでいきます。

(詳細は本章の<経済学の心理学と社会学>本書149~155頁

<権力と責任>本書155~156頁ご参照のこと。)

繰り返しになりますが、『モデル』そのものから導出されていく結論は

<状況次第>によっていかようにも変容していくわけです。

このような重要事を知りながら(あるいはあたかも忘れてしまったかのように)

安易に<一般化>させた『唯一』のモデルとして勘違いしてしまうと

現実世界において採用された経済政策にいかなる弊害を招じ寄せてしまうのでしょうか?

その具体的事例問題考察を通じた批評が本章の狙いであります。

その勘違いによる悪影響には2つの類型があるといいます。

・不作為の誤り

・作為の誤り

前者(不作為)を2007年~2008年時に起きた世界的金融危機

(いわゆるリーマン・ショックに至る経済危機誘発要因)を例に、

後者(作為)を現在にまで至る過度な市場「信仰原理主義」と「緊縮」財政や

「金融」政策偏重志向の思想的背景をもなす世界銀行やIMF(国際通貨基金)、

米国政府などといった国際機関によって政策合意形成が主導されていった

いわゆる「ワシントン・コンセンサス」がもたらした

その後の世界経済不安定化路線を例にしながら批判的分析がなされます。

本章の<まとめ>では著者による前著『グローバリゼーション・パラドクス』や

本書の<訳者あとがき>部分でも解説されている

著者が好んで引き合いに出すというアイザイア・バーリン氏によって提出された

有名な『ハリネズミ(何でも知っているし、大きな物語を好む性格がある)』と

『狐(聡明にして謙虚な性格であり、世界にある多種多様な見方を

公平に尊重する姿勢を持つ)』のたとえ話から

『狐』型方法論でもって経済学知見を活用することの出来る経済学者が

もっと増えていくことが叶えば

私たちをより正しい方向へと導いてくれるだろう・・・と期待されています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

⑥『第6章 経済学と経済学批判』

※本章は本書全編を通じて著者が主張してこられた論旨の

<総まとめ>部分ということになります。

簡約いたしますと、経済学の見方が「正しく」理解(その<限界点>を

きちんと認識しておくことがとりわけ最重要な姿勢である)されるようになれば、

そこから抽出された『モデル/理論』が意味する内容をも

適切に理解認識することも出来るようになること。

そして、現実世界における政策<検証>を通じて

十二分に耐え得る『モデル/理論』が析出されるとともに

時にその政策的失敗が明らかになれば、

さらなるより良き政策立案を目指した

『モデル/理論』の<選択・選別>判断も出来るようになるということですね。

これこそが最近話題となっている

科学的根拠に基づく政策立案(EBPM)の趣旨でもあるはずでしょう。

そのように強く主張されるからには、

実際の政策立案に当たられる政治家の皆さんにも

統計データなどを偽ることなく実践して頂きますようお願い申し上げます。

ですから、これから予定されている『1人10万円(以上)給付金』政策を

実施してみてどれほどの経済効果があったのかに関する追跡調査結果も

後日必ず国民の前に<公表>して頂けますようお願い申し上げます。

また現時点での1回限りかどうかは今後の情勢次第で未知数ですが、

それなりの効果があったとすれば(1回限り程度やこの規模では

これまでの「失われた○○年」において喪失された膨大な物的・人的財産を

回復させ得るには当然ながら足りないことは論を待ちませんが)、

ある種の『ベーシックインカム(基礎的所得保障)制度』として

近未来に予想されるAIとの協働時代をも見越した

政策体系創造を早期に練り上げていかれることも願います。

とはいえ、当然ながらこの程度の手当てでは

むしろこれまでの膨大な「損失」を回復させるには足りないわけですから、

今回計測された政策効果だけからの推論で

『思ったほどには効果が出なかったんだから、

将来的な<革新的>社会福祉保障(ベーシックインカム)制度の導入も

やはり無駄だというものだろう・・・』などと早合点されないことも

注意すべき視点でありましょう。

本書の著者も主張されてこられたように

経済的効果測定とは短期から中長期を経て行わなければ

有意義な成果も得られないからです。

ことに<変動>めざましい『社会』実験における<検証>では

こうした問題意識が強く厳しく望まれるからです。

今回のようなコロナ禍による『非常事態(有事)』が起きたからこそ

その機会を契機にした前例のない『社会実験』もできるのだろうかという論点

またいずれかの機会に別著ご紹介を通じて検討考察していく予定でいます。

近未来社会が人類全体にとって『絶望』的となる前に手を打つことこそが、

不安解消に役立ち、未来へのさらなる積極投資(消費)を引き寄せ、

『希望』を持つことができる明るい社会実現へと前進していくのですから・・・。

それが『現役世代からの次世代に対する責任であり愛情というもの』でしょう。

それはさておき、

このような問題意識から<経済学>のこれまでの間違った活用のされ方によって

<経済学>が今後とも『憂鬱な科学』と評価され続けないためにも

経済学者/非経済学者とを問わずに適切妥当な批判をなすための

判定評価<基準>を様々に伝授してくれるのが本書の最大効用だということになります。

『経済学は、時代の大きな公共的課題に取り組むための足がかりや分析ツールを

数多く提供する。経済学は決定的で普遍的な答えを提供しないのだ。

経済学そのものから得られる結果は、倫理的、政治的あるいは実践的な性質を持つ

価値観、判断や評価と結び付けられなければならない。

このことは、経済学の教義とはほとんど関係はないが、

現実世界には大いに関係があることなのだ。』(本書187頁)

そうした本書が提供する各種判定評価<基準>の<骨子>に関する

要約ご紹介は本書に委ねさせて頂きましょう。

省略させて頂きました内容は次に提示しております

<おわりに>の『20の戒め』が最終要約となっております。

そちらをご一読して頂けますれば

かなり難解な部類に属する本書の<主張>も

どなた様にでも的確・容易に解読することが叶いましょう。

ですから、本書もまた読み進めていかれる過程で消化不良を起こしそうな

論考箇所に引き当たりましたならば、

この<おわりに>を『虎の巻』としてご参照して頂くことで

適宜該当箇所と照らし合わせて反復読みされていかれると

読者様の理解促進に資することほぼ間違いないことでしょう。

このようにいわゆる<経済学>やその業界において

一体全体何が論じられている(きた)のかについて

従来から興味関心がおありだった方も

まったくと言ってよいほどおありでなかった方にも

一度でも紐解いて頂ければ

マスメディアやネットメディアに散在している各種経済論説を

正しく『診断批評(見きわめ)』される際の

転ばぬ先の杖(ミスリードされないための<判定基準材料>)に

本書がきっと何らかの形でその味方(助っ人)となってくれることでしょう。

本書は<経済学>に関する知識に馴染みがなければ

確かに一読された限りでは難解すぎて消化不十分となることもあるでしょう。

管理人も今後とも繰り返して読み返したい専門的『入門書』だと

感受しております。

『難しいことは誰にでもあるもの』

『でも繰り返し反復学習していけば

誰にでも<わかる>瞬間が必ず訪れるもの』ですから、

『これからもご一緒に学び続けていきましょう。』

『学習はなかなか1人ではしづらいもの』

『そんな時は同じ悩みを共有する者同士が輪になって

相互に教え合うことが有効』ですよ。

当書評ブログ読者様の中には現在『休校(講)中』の

学生さんも多数いらっしゃるだろうと思います。

現在は<ユーチューブ>などの魅力あふれた

多種多様な『動画』教材もありますので是非楽しんでみて下さい。

『学校で先生の一方的な(と言っては失礼!!ですが)話を

じっとして座りながら聴き続ける<受け身>学習は苦痛そのもの』でしょう。

そんな時、『学習』を楽しむには

やはり積極的に『これは、おもろいやん!!(関西弁で恐縮ですが)』と

感受する教材をご自分の感性と勘で選んでみて下さい。

様々な『先達』によるいわゆる<定評>教材もよいですが、

やはり最終的にご自身に合った教材を選ぶのは

ご自身の確かな目利きをおいて他にはないからですね。

『近未来に相応しい斬新な相互学習教育方法も

ご一緒に創造していきましょう。』

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

・<おわりに> 20の戒め

『経済学者への十戒』

『経済学者でない人への十戒』

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

・「狐」の経済学方法論-訳者あとがきに代えて

・註

・索引

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ということで、

今回は<コロナ>禍とこれまでの<緊縮>経済政策の継続路線の組み合わせから

『大恐慌』へとこれまで以上に深まっていくこともすでに十二分に想定

(『確定』とは無用な不安感を煽ることが当書評記事の趣旨ではありませんので

あえて表現しないことにします。あくまでも皆様方とともに本書などをご参考に

適切な政策実現『要請』へと今度はこちらから政府に働きかけ続けていきさえすれば、

どこかの地点で『反転』回復させ得る道もまだまだ十二分に残されているからです。

ですから、皆様方にも『安定した幸せな生活を取り戻す闘いはまだまだ序盤』だということで

くれぐれも『もう終わった!!』などと諦めムードに浸りきることなく

ともに闘う者同志として助け合っていきましょう。

『さすれば、いずれ闇の中にも一条の光が差し込んでくる』時期が

必ず到来しますので・・・。

『<敗北主義>こそさらなる不幸の始まり』ですから・・・。)されていますので、

官民ともにこのような苛酷な状況へと至る一方通行道から

反転攻勢させ得る志向性を持たせた適切な経済政策思想への共有理解と

その政策の早期実現をともに『要請』すべき時期だということで

この機会にあえて誤解を恐れずに最後の『絶好の機会』だと捉えて

本書もそうした『地獄への片道』から引き返し得るための

<考えるためのヒント>を提供してくれる好著だと確信しましたので

皆さんにもご紹介させて頂きましたことご寛恕下さいませ。

『意志あるところに道は開ける』を合い言葉にして。

<コロナ>禍と『緊縮』経済路線、政府による十二分な救済政策措置なき

過度な自粛というよりも無責任な『萎縮』要請体制が続く限り、

そうした体制「転換」を促すうえで皆様方にもお役に立つと信じる

書籍のご紹介を今後とも引き続き書評活動を通じてしてまいりますので

ご愛顧のほど宜しくお願い申し上げます。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

亡き人の『面影』を偲ぶ暇もなく、『コロナ禍』に襲われて<特需>景気とやらに忙殺されていく中で春を迎えたものの『麒麟』はついに現れず、ただ今週末は『巣ごもり中』

それでは久方ぶりのブログ更新再開の喜びと近況ご報告を兼ねて

エッセーコーナーへと移らせて頂きますね。

昨年末に記事公開してからこの春先までの3ヶ月間まったく更新も出来ず

管理人に何があったのか(昨年末の『フェイクニュース』テーマ記事内でも

少し皆様へのお願い文を掲載させて頂いたことから)一部の読者様には

ひょっとすればご心配をおかけしましたかもしれません。

最近のネット事情は恐ろしいもので、ブログ創作に当たっては

管理人もより信頼出来る記事へと仕立てるために検索システムを活用して

調査するわけですが、なかなか信頼出来る記事に一発で当たることが

以前に比べて少なくなったような感じもします。

特に某大手検索サイト(○○オークションや○○ショッピング、○○ニュースなどと

銘打った会社)に表示されるサイト順位もそうですし、

マイクロソフト社によって従来ご提供されてきた

インターネット・エクスプローラーがセキュリティー面で脆弱さを抱えていたことから

あらたなインターネット用ソフト(アプリ)を含む

『ウィンドウズ』バージョンアップ(更新・乗り換え作業)を頻繁に促されること。

(上記『ウィンドウズ』バージョンアップ問題については

知人のアーティスト様や友人ほかによるツイッター情報などからも

『俺もそろそろ更新せなあかん時期なんかな・・・。』

本年1月14日をもってのウィンドウズ<7>の個別サポート終了のため。

とはいえ、『俺のはいちおうウィンドウズ<8.1>で常時最新版更新継続はしているし、

パソコン本体もすでに5~6年目あたりで多少使い勝手が悪くなりつつあるものの・・・。』

というわけで、不安になってきたので、<10>への乗り換えソフトを購入しようにも

まずはいつもご贔屓させて頂いている大手家電量販店『エディオン』様に

相談してからにしようということに。

相談担当者の方も親切かつ勉強熱心な方でしたので、

「『バックアップ』自体はもちろんして頂かなくてはならないですが、

更新用ソフトの件につきましては、常時最新版<8.1>であれば

まだあと2年ほど『個別強化サポート』もありますから、

その終了時にあわせてウィンドウズ『10』搭載の

最新型パソコンも同時に買い換えた方が経済的にもリーズナブルなのでは・・・」との

ことでした。

また「マイクロソフト社様の方でも今後どのような方針を採用されていくのか

未知数ですから新型パソコンも同時にご購入されるようでしたら、

その時の最新版ウィンドウズ搭載のものにされた方がよいかもしれませんね・・・。」

とのこと。

確かにそれは『理に適ったこと』と思い直して、

現状の最新版『8.1』のまま継続使用させて頂くことにしました。

ネット上でも様々なご意見が飛び交っていたようですが、

同じような悩みを抱えていらっしゃるだろう読者の皆様方にも

ひとつの問題解決法としてご披露させて頂きました。

この方法が『ベスト』だとまでは管理人もオススメ断言出来ませんから

同じような悩みを抱えておられる読者様には各自ご検討して頂いたうえで

責任をもってご判断下さるようお願い申し上げます。

あくまでも管理人いち個人の現時点における見解にしか過ぎませんので

その点は『あしからず』ご了承願います。)

また当書評ブログでもその記事信頼性などの面から

正直なところ果たしてリンクさせて頂くのが適切なのか迷うわけですが、

いちおう辞書的な意味で何かと便利なウィキペディア様の記事だということで

ご参考用として掲載させて頂いてきました。

そんなわけで以前ならウィキペディア様も上位検索で出てきて調べやすかったのですが、

最近ではそれもなぜか出てこなくなったような感じもします。

ウィキペディア様に関しては自らも情報の信頼性に関する注記を掲載されていますし、

以前から当書評記事内においても何度も最終的な信頼性確認は

ネット情報だけではなくより確かな信頼度の高いメディア情報や

書籍情報など出来る限りの第一次情報に近いものに当たって下さい

読者様にもお願い申し上げてきたところでした。

賢明な読者様には<釈迦に説法>だとは思いますが、

念のためにこのような<フェイクニュース>が『コロナ』ウィルス同様に

拡散し続けている情勢ですのでその都度ご警戒情報を

当方でも出させて頂いてきました。

そのような情報世界ですから、管理人同様にブログ創作のお仕事を

なされている方なら共感して頂けるものと確信していますが、

この面でのご心配をして下さった方ももしかすればおられるやもしれません。

またいつもお世話になっているグーグル様や広告事業社の皆様方にも

ご心配をおかけしたでしょうからまずはお詫び申し上げねばなりません。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

そのうえでこの3ヶ月間まったく未更新状態だったことには

ほかにも多くの歴とした理由もありました。

このようにネットセキュリティー情勢に対する様子見とともに

個別の私的事情も数多く重なっていたからです。

昨年暮れに母方の祖母が急に亡くなるという悲しい事態と

それに伴う死後の各種手続きのお手伝い。

そしてあの『コロナ』禍の到来です。

これによって職場もにわかに多忙になったからです。

(日頃の生活費獲得業は『医薬品卸業』なんです。)

その中でも責任担当部署はアルコール消毒液などを扱う倉庫係ですから

他部署以上の多忙さに追いやられる毎日を過ごしておりました。

『コロナ』禍騒動が終息するまではこのままの状態が

しばらく続きそうです。

そのような私生活事情ですから、今後も更新作業は

<不定期>になろうかと思いますが、

余力ある限り継続営業してまいりますので

読者の皆様にはそのあたりの「心」をお含み頂いたうえで

今後とも何卒ご愛顧のほど宜しくお願い申し上げます。

さて、そうした管理人自身の生活費獲得のための『本業』話はここまで。

とはいえ、そういった日々の医薬品卸業から見た

現在の<物流>事情といった生きた教材から

国家マクロ経済政策へのご提言も今後とも引き続きしてまいります。

(資本主義)経済の根幹は何と言っても『物流』そのものにありますから・・・。

『物流』実態の観察を通じてこそ

真の需給ギャップ感など生きた<経済学>モデル仮説も創造出来るのですからね。

これは絶好の機会だと思って、多忙できついブラックな現場環境ではありますが、

国民の皆様方のために励んでまいりますね。

まさに職場の雰囲気は『ただ今現在、常在戦場』のような有り様。

それはともかく祖母の相続登記手続き準備などを

あわせて週末の空いた時間などにしていましたので、

なかなか読書する暇すらなく(帰宅後は相当な肉体疲労感のため。

俺も歳とったなぁ~、トホホ。

それでもなぜか体を動かすのが心地よく感じるようで

抑鬱対策にはなっているようです。世間の他業種はどこもかしこも

営業自粛要請の影響で苦しく、中には雇い止めや補償もなく休業状態へと

追い込まれた方も数多くおられるだろうことを想像いたしますと

本当に申し訳なく思います。働く場があるだけでも感謝しなくてはなりません。)、

独自研鑽学習や調査、記事創作活動の件は

とりあえず一段落するまで「中断」とさせて頂きました。

でもこうしたお手伝いをさせて頂いているうちにも

素晴らしい方々とのご縁もあっていくつもの「好運」に恵まれました。

①祖母から母(相続人)への相続登記手続き

②母から他者への売却登記手続き

この一連の作業を例年なら引っ越しシーズンとされる4月冒頭までに

済ませておくのが<ベスト>とされるのが

不動産業界では「常識」だろうと思われたので急いでいたわけですね。

そのような業界慣行がある中でも今年はこの『コロナ』禍騒動で

『移動』制限自粛要請の渦中にあるわけですから

もたもたしておれば、不動産も動かせず、

またリフォームしようにも各国の『輸出入』制限の真っ只中のことですから

建築資材などもほとんど入手しづらい状態だといいます。

そのように友人知人の建設業者や不動産事業者、司法書士業界の方などからも

数多くお聞きしました。

そんなわけで、『急げや、急げ、もろともに♪♪』という感覚で

久しぶりに前職の腕を活かして『本人』申請のお手伝いをしていたわけです。

それやこれやが効を奏して何とか4月1日をもって

相続不動産を手放すことが出来ました。

リフォーム作業にとりかかる建設業者様も

さらなる資材高騰と調達困難が予想されることを見越して

「急ぎたい」というわけで

双方の「合意(経済的欲求)」が満たされたのでめでたしめでたし。

不動産市場動向ですが、この現状(移動自粛要請発令中)では

なかなか動きがたいと一般には予想されているようですが、

相続財産など(新たに人の出入りが当分予想されない空き物件。

ただ早期に手放したいだけの物件)であれば

業者もここぞとばかりに「破格」値段にて購入しておきたいとの

需要もありましょうから、売り主側として特により多くの「利益」を

期待もすることなく税金対策などのうえでも早期処分されたい方であれば

取引に応じて下さる業者様もあろうかと思われます。

管理人自身による「見立て」にしか過ぎませんが

これから不動産売却を考えられている方には

ひとつのヒントとしてご検討下さいませ。

ところで、

相続登記手続き自体は前職時代に何百件も経験していたことがありましたし、

幸いなことに母親兄弟同士揉めることなく

すでに相互了解の下でテンポよく進めることが出来ましたから

特段これといった難しい作業もありませんでした。

とはいえ、実益と後学のために

最近新設された『法定相続情報証明制度』とやらを

滅多にない絶好の機会だということで

いちど自ら体験しておこうということで

これまた『本人』申請で書類準備手続きをさせて頂くことになりました。

内容は司法書士業界におられる方なら『常識』だと思いますが

相続登記手続きの段階で作成する『相続関係説明図』を

少しだけ詳しく丁寧に仕上げた程度のもの。

私的に作成したもの(『法定相続情報証明』申請書は各法務局でもらえますし、

予約相談もしてもらえます。しかも双方とも現時点では『無料』です。

ただ時期によっては待たなくてはなりませんし、向こうからの日時指定も

あるそうです。管理人は相談時には仕事がありましたので

両親に連れ添い立ち会いすることはありませんでしたが、

念のため間違いがないかどうかすぐに申請出来る状態にまで仕遂げておいた

相続登記手続き書類一式と相談すべき内容事項のメモ用紙だけ

渡しておきました。また事前に同期だった現役司法書士の友人にも

久しぶりに連絡相談にのってもらいました。ありがとう。)に

法務局が『公証』するという形です。

その『法定相続情報証明』書と『相続登記申請』書を

<同時>に申請するというわけです。

これらは別々にも申請は出来ますが、

ご一緒にされた方があとで楽になりますよ。

とはいえ、登記以外にもあるだろう各種相続手続きで

どれほどの通数分必要なのか予めわからないことも出て来るかと思います。

このような場合にはとりあえず明確にわかっている必要最低限の

通数分だけ申請して頂くとよいかと思います。

そんなわけで通常ならば司法書士手数料ほか

相当経費かかるわけですが何とか『本人』申請の形で

節約することも叶いました。

日本の法律制度は、今話題の各種雇用労働関係申請手続きと同様に

原則として『本人』申請です。

<複雑かつ早期かつ大量に間違いなく>手続きを済ませなくてはならない

状況にある場合のみ適宜『専門家代理人』に委任されることを

オススメいたします。

もっとも現下の情勢では『窓口』よりも『郵送・オンライン』申請が

多用されるかと思います。

『郵送書面』申請ならともかく、

『オンライン』申請なら役所によっては

独自の面倒な手続きも別途要求されたりすることもありましょうし、

『オンライン(インターネット)』活用に慣れておられない方も

おられましょう(あるいは慣れていても『個人情報流出』対策から

積極活用までは躊躇われる方も多いと思われます)から、

場合によっては事前に役所の担当責任者か

各種専門家にご相談された方がよい場面もあるかと思います。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

話題を転じましょう。

そんなわけで3月20日あたりから始まる3連休までは

ほとんど書評創作準備作業も出来ないまま過ぎ越してきました。

2月中頃あたりからは少しずつライブハウス観覧も厳しい状況になってきましたし、

あの大阪京橋での感染事例からはさらに世間からの風当たりも厳しく

なってきておりましたので行くことも出来ない状態が続いてきました。

とはいえ、このような風当たりの強い状況の下でも営業されていた

ライブハウス様は独自に念入りなアルコール消毒液配備を始めとする

各種感染症対策もきちんとされておられました。

このあたりのマスコミなどによる初期報道におけるあり方は

十二分なご反省をして頂きたいところです。

また大多数の意識の高い観客の皆様方も同様にマスク着用のほか

ライブハウス関係者様や各バンド/アーティスト様の指示にも従われていました。

『従わなければ<即退場>』といった厳しい方針をもって

臨まれているライブハウス様もありました。

このような事情もきちんと取材報道して頂きたいところですね。

いずれにしましても、いわゆる『3密(密閉・密集・密接)』には

十二分に警戒して行動すべきは論を待ちません。

こうした特にライブハウス<風評被害(と表現するのが適切かどうかは

ともかくとして)>問題についても管理人自身も一家言ありますし、

また関係者方々の『代弁者』を務めて何とか将来に『禍根』を

持ち越されないように<お手伝い>もさせて頂きたいわけですが、

『今はただただ・・・』で

ライブハウスや各種バンド/アーティスト関係者様方も含めまして

愛好者にとりましても本当に残念・無念な想いで一杯であります。

あらたにご紹介させて頂きたいライブハウスやバンド/アーティスト様も

おられますが、只今の現状では『非国民』扱いにもされそうで

皆様にご迷惑おかけするわけにもまいりませんので

この『コロナ禍』が無事過ぎ去り、

公的にも何らかの終息(収束)宣言が出される(のかなぁ??)までは

しばらく控えさせて頂くことにいたします。

それでも昨年末あたりから次回以降の書評記事における

<エッセー用>素材(アイディア)は多く温めていたのですよ。

そのあたりは追々また『蔵出し』させて頂くつもりですが・・・。

その中には12月半ばあたりからのコロナウイルス騒動が始まるまでは

話題となっていた『インバウンド(外国人需要)』消費落ち込み対策として

『内国人』消費にも拡大させようと狙う

政府主導の『ナイトタイムエコノミー論』(何と昨年末12月20日に

観光庁に新規予算計上もしているのです!!

『夜遊びマネーが日本を救う』記事ご参照のこと。)もありましたから

日頃の<ライブハウス>体験者から見た

<夜遊びマネー>論についても語らせて頂こうと試案まで

すでに準備していたのですが、これも当分は『お蔵入り』ですな・・・という

結果になってしまいました。

いずれにせよ、今は『自粛』要請に従いながら

国民相互間にこれ以上の感染拡大がされませんように

協力するほかありませんが、『内需拡大』路線への転換策は

今だからこそ切実かつ緊急に考えておかなくてはなりません。

今回の『コロナ禍』に対する一連の政府対応も

経済対策もまったくもって信頼出来ないことが

より一層のこと確実に誰にでも明らかにされてきましたから、

ただただ政府頼みに待ち続けることなく、

私たち民間人の間だけでも出来そうな新たな商売方法は

考案しておかなくてはなりません。

どのみち、この『コロナ禍』が終息(収束)していった後には

今までとはまったく違った経済政策や営業手法、勤務方法などなど

大きく変化していく(いかざるを得ない)でしょうから。

今は皆が皆、本当に『絶望的』な状況に置かれていますが、

その『暗闇』さえ過ぎれば、先を見越した万全対策を講じていたところから

少しずつ『希望の光』も現れ出てくるでしょう。

『賢明な皆様ならば必ず出来ますとも』

『悩んでいるのは皆一緒です』から

お互いに明るくなるための各種アイディアなどを出し合って

少しずつ将来不安を軽減解消させていきましょう。

そんな時にはただ『否定的』な見方だけしていてもいけません。

将来を自他ともに希望をもって迎え入れるためにも

適切な『批評』はしていかなくてはなりませんが、

ただ『自滅』や『他殺』を招くような

非難中傷合戦(足の引っ張り合い)だけは是が非でも避けなくてはなりません。

このような未曾有の『非常時(有事)』においての

政治への期待や協力の仕方、責任/役割分担は様々にありましょうが、

建設的な観点(より良き方向へと向かわせるための)からの政権批判は

当然ながらすべきですが、

いずれにしましても、どの政治勢力が『指揮』を執っていようと

強い協力体制が求められることは『求心力』を高めることで

国民1人びとりの生活が護持されていく余地を確保するためにも

必要不可欠な政治姿勢となります。

度を超した

しかも的はずれな批判のし過ぎで

国家政策担当責任者層のやる気が殺がれ、

一切の匙を投げていくような状況にまで後退していけば

まさしく国家そのものの崩壊を出来させ、

国民誰ひとりにとっても良いことなど何一つないからですね。

ある論者は『翼賛』などというどぎつい政治的表現をもって

ご提言されていた方もおられます。

『世界裏舞台』佐藤優氏 令和2年4月12日日曜日付

産経新聞朝刊第1面欄記事ご参照のこと。)

過去の『全体』主義体制を連想させるような

そこまでの協力体制や『翼賛』に対する評釈が適切なのかは

管理人はちと疑問に感受される点もあるわけですが、

言わんとされているご趣旨自体は共有いたします。

その『翼賛(現政権への強い支持やら団結要請)』とやらが

今後の日本が進むべき道を過たぬ限りではという「留保」を付けての

うえのことですが・・・。

管理人などはこのたびの『武漢』発だとか、

現政権による政治的処理のあり様を分析観察していて

『支那事変』当時の政局・処理状況に似てきていると第1印象で感受いたしました。

あの斎藤隆夫代議士による我が国憲政史上に残る

有名な『<聖戦>の美名に隠れて・・・』という一連の演説であります。

『戦時(非常時=有事)下における憲政の<常道>とはいかにあるべきか』を

考える時に

管理人などはいつもこの時代の少数ながらも

最後まで<国権>と<民権>のはざまでいかに均衡状態を保持し(させ)ようかと

真剣に祖国の行く末を案じながら政治活動をされていた勇気満ち溢れる

代議士たちを思い出すことになります。

そんなことを亡き祖母の遺品整理をしていた際に偶然ながら発見することになった

海軍時代の亡き祖父の写真(『昭和19年5月横須賀海軍工作学校にて』と

記された写真)を眺めていて強く思い出させたのでした。

あの時代の方々はそれぞれ真剣な想いで祖国の行く末を案じつつ

各々の「持ち場」で闘っていたのだと・・・。

貴重な若き青春の日々を軍隊生活で過ごさざるを得なかった

亡き祖父の『面影』をじっと眺めていますと、

亡き祖父以外のご英霊の方々の<声なき声(それも慟哭)>も聞こえてきます。

『お前たちは戦後75年間も一体全体何をしていたんだ!!』と・・・。

今こそご英霊の声に応えるべき時です。

奇しくも本年は作家の三島由紀夫氏がお亡くなりになって50年目に当たり、

ドキュメンタリー映画も話題になっているといいます。

この対談を拝聴していますと、

そもそも日本では『対話』というのが

どうしていつもこのように成り立たないのだろうかと・・・

苦しく感受してしまいます。

それは聖徳太子様もすでに十七条憲法の中でお示しになられていたように

何も明治近代以降に特有の現象ではないようですから、

本当に根深い憂慮すべきことなのです。

日本人は議論の際に数学的発想がどうも出来ないらしい・・・。

すなわち、価値観が対立すること自体は

人間ですから管理人も含めて当然ながらあり得るべきことですが、

こと『重要事項』(価値観の対立を超えて『国民(もっと<次元>を上げた

人類全体)』1人びとりに共通して重くのしかかってくるようなテーマ)とも

なってくれば些末な次元で足を引っ張り合っている場合ではありません。

だからこそ、管理人などは『集合論』や『関数』的発想から

学ぶことの重要性を強く訴え続けてきたわけです。

『議論に<いのち>をかける(という表現がどぎつく感じられるようでしたら、

<吹き込む>でも構いませんが)とはいかなる事なのか』

いつも考えさせられるわけです。

管理人も10代の頃より思い詰めたところのある

生真面目な気質を有した人間であり続けていますので

とりわけ強く響いてくるのです。

ですから、現政権の『指揮』のあり様やあるべき姿勢を問いかける批判は

ひとまず棚に上げるとしても、

まさしく今は国境を越えた『地球人類』全体に押し寄せてくる

<対ウィルス>攻防戦の最前線渦中にいるわけですから、

そのような深刻な状況に私たちそれぞれが置かれているのだという

<緊張感>を持つことさえできれば、

あとはとりあえず過去の経緯(いきさつ)はどうあれ

1人でも多くの『いのち』を救うためには

相互協力せざるを得ないでしょう・・・という『自明の理』に

各人が気付かざるを得ないのではありませんか?

このように管理人などは強く感受されるわけです。

それでもおわかりにならない○○さんは氏の『美しい星』をお読み下さい。

この特異な小説が単なる政治的小説の類でないことくらい

真に聡明な人間であればどなた様でもおわかり頂けるはずです。

それではそろそろ最後の<まとめ>に移らせて頂くことにいたします。

今回の書評テーマは<経済学>でしたので、

今後の経済が行き着く果て問題について

興味深い記事がありましたので少しご紹介させて頂きましょう。

それは『新型コロナでデフレが復活するこれだけの理由・・・』

題した貴重な論考記事であります。

詳細はこちらの記事をご一読下さることをお願いするとしまして、

管理人自身からの評釈としましては次のようにいちおう想像考察しております。

確かに「供給」能力が枯渇している業種分野が提供する物品・サービスなどは

「値上がり(インフレ志向)」傾向も出てきましょうが、

上記識者も言及されておられるように

あくまでも『現時点では』全体から見れば一部にとどまるでしょう。

ただ、特に生活「必需」品などの人の<いのち>に関わるような物品・サービス分野

(医療業界でもその<崩壊>が懸念されているところ)においての

「値上がり」傾向は危険事態なわけですから、

そうした分野ではすでに医療物品などでは検討されているような

政府による補償付き収用措置に基づいた

必要とする国民への「適正」価格での払い下げという形態が

「非常時(有事)」には必要不可欠となりましょう。

要するに、市場「原理」主義の修正です。

とはいえ、「資本」主義において最も大切なお約束事である

『私有財産の尊重』(日本国憲法第29条)という制度趣旨から

言うまでもなく「適正」補償が要請されます。

いわば「社会」主義だとか「戦時共産」主義といったものではなく、

『公益』資本主義の一形態だと解釈して適用するのが

当憲法の趣旨でありましょう。

ですから、「強制徴発」してはいけません。

当該物品・サービスの生産物供給事業者にも

生活保障権が当然ながらあるからです。

事業主にも従業員を保護する義務がありますから、

いくら「非常時(有事)」に必要だからといって、

政府の『緊縮』財政志向と相まった『強制恫喝』型イデオロギーでもって

処理してはなりません。

そのうえで不安に駆られた一部国民による買い占めによる

物価高騰現象(インフレ加速要因)を引き起こさないためにも

適宜に応じた現在の<供給>『能力』事情を

政府は国民に対して情報公開することが必要不可欠な姿勢となりましょう。

もっともその『能力』が足りないにもかかわらず

ウソの情報を流布させてはなりませんが、

足りなければ足りないなりに(マスクなどと同様に)、

『代替』物品もあるといった適切な情報提供がされることを期待します。

こうした国民の群衆不安心理を沈静化させることが叶えば、

恐るべき『悪性』インフレ化も予め制御できましょうし、

市場における混乱も最低限に抑えることが叶いましょう。

そして、インフレ化とは対照的なそれ以上のハイパーデフレ化現象を

防ぐ視点も重要な政策姿勢となってきます。

そのためには『潤沢』な生活資金供給を

『一次的な』給付金で済ませることなく、

国民生活事情をよく継続調査しながら

この『コロナ禍』から誘発された経済『恐慌』化を

早期に沈静化させる適切なマクロ経済政策をご要望いたします。

とにかく無用な不安や犠牲者を増殖させてはなりません。

そして、景況判断も常に『短期→中期→長期・・・』と

柔軟な時間的経過を通じた変化状況を見定めていくことが

重要となります。

仮にインフレ傾向が出てきたとしても『バブル』期のように

その崩壊を促進させてしまい不況を本格化させていったと評価される

早急過ぎる(と評価されているのが

現在では『定説』なのでしょうか?)不動産融資の総量規制や金『融』引き締め、

反対にデフレ不況がより一層厳しさを増していく最中における

さらなる増税措置などは断じて避けるべきでもあります。

なお、デフレ不況下において『複合不況』(宮崎義一氏)や

『<大恐慌型>不況』(侘美光彦氏)だから

『このような状況では、公共事業を追加するといった有効需要を

拡大する政策を打ち出しても、効果は十分には発揮されない・・・。』

(後著19頁ご参照のこと。)からあまり意味が無いだろうなる

<まことしやかなる>見解にも警戒が必要だと評価判断いたします。

『効果がない』とすればどの程度なのかを

過去のデータ調査を『精査』したうえで見てみないとわかりませんし、

昔日に比較すればいわゆるケインズ型『乗数』効果とやらも

小さくはなってきているのかもしれませんが、

まったくの「0(無)」ではないでしょうし、

デフレ化であれば何もせずに放置しておけば放置しておくほどに

マイナスの方向への『逆』乗数効果も働いて

そのうちに次から次へと国民が餓死していく極限状況も

十二分に想定されるからです。

例えば、バブル『崩壊』時やこの『失われた○○年間』において

まったく公共事業(投資)がなされていなかったとすれば、

現在以上のさらなる苛酷な貧困化も急進していたことでしょう。

また「過小」だったからこそ、

現在の日本が世界にも稀に見るような超貧困国家に

成り果ててしまったのでしょう。

『歴史を冷静に精査して政策判断しない者は

国民にとっては無用な愚物』だというのが『天道』というものです

『あまりにも無慈悲な特権集団にはやがて<天罰>が下される』というのが

歴史的『公理』とでもいうものです。

このような暴力流血沙汰など管理人も含めて

良心かつ良識ある人間ならば誰しも望まないのが『情理』でもあります。

『国民国家』におけるエリートの意義とは

日本国憲法の条文を持ち出すまでもなく

『全体の奉仕者』だということです。

いずれにしましても、現在ただ今の日本と世界の現状を鑑みれば

今後の人類史を悪い方向へと転換させ得るかもしれない

『禍機』だと評価されるのが良識ある論者の大方の見方でありましょう。

このように社会の諸現象を正しく観察して正しく恐れるためにも

『木(ミクロ)を見て森(マクロ)を見ず』といった

単眼思考に陥らないことこそが今ほど必要とされている時期も

そうそう他にはないはずです。

ついに歴史的<分岐点>が訪れたのです。

『世に<覇道>が敷かれる時には≪麒麟≫現れ出ずというも

世に<王道>へと転じる兆しあれば≪麒麟≫も現れ出る』

古代より申す習わしなり。

『非理法権天』

この言葉も実は有名な≪法諺≫の1つですね。

その解釈こそ時代によって異なり、

翻弄もされ悪用・誤解されたと評価されることもあるようです。

上記ウィキペディア氏によれば

『天道(自然法)』(中世までの法治観)から

『人道(人定法)』(近世・近代以後の法治観)への転換を促した・・・と。

しかしながら、そうした解釈が妥当なものなのかどうかは

さらに探究する必要もあるでしょう。

そもそもこの標語を軍旗に載せたとされる楠木正成公にせよ、

中世から近世への橋渡しをなしたとも評価される人物のようですが、

『近世』とはいかなる性格を有した時代なのかも

まだまだ探究し尽くされていない領域もあるからです。

一般的には『近世』とは『中世』と『近代』の過渡期にある時代区分と

されていますが、日本史で例えれば、

権力がさらに下降していくまさに『下克上』が本格化されていく時代と

されています。

そのような時代において上記標語を掲げた人物としては

上記のように楠木正成公が有名だとしても

それ以外では一般的にはどのようなイメージ像で捉えられていたのでしょうか?

少なくとも儒教(当時の宋学)以上に

深く仏教哲理を理解されている人物であれば

この標語を『覇道』的権力観でイメージしていたとは感受されません。

逆に世の中の『道理』がさらに廃れゆく中で

その『道理』を救済する論理を模索していたのが

当時の教養あり「心」ある為政者の1つの政治姿勢だったように

感受されるからです。

その『覇道』観ももちろん現在のNHK大河ドラマ『麒麟がくる』の

主人公である明智光秀公が登場する戦国時代になればなるほど

それまでの『王道』観も<覇道>志向に変容していくようですが、

通常の語感で言えば『王道』とは

人間のいかなる作為によっても変化し得ない『天道(理)』とされるのが

一般的定義でありイメージだとされているからですね。

現在の時代状況がとても『天道』に叶ったものだとは

管理人とてまったくもって評価出来ませんが、

この『コロナ禍』が人類へ示唆する<啓示>が

これまでの行いを悔い改めないと、

もはや救いがたい(つまりは、人類『滅亡』)局面へと

どこまでも落ち込んでいくほかない哀れな存在だと

警告しているように強く感受しております。

このままの姿勢が続けば、

<シンギュラリティー>も何もあったものではありません。

その前に力尽きてしまうでしょう。

そのような最悪な状況へと至らないためにも

人類によって特に近代以後において堅固に構築してきた

『天をも恐れぬ所業』から脱却していく道を探っていかざるを得ません。

『ウィルスは警告する』とよく擬人的に表現されますが、

このウィルスが自然発生してきたものなのか、

それとも、人為的に変化させられたものなのかは勉強不足のため存じませんが、

いずれにしましても、ウィルス細菌ともその性質が異なるようですから

要注意であることには変わりありません。

『微生物』一般の役割については前にもご紹介させて頂いた

書籍などをご参考に各自想像考察してみて下さいね。

1つだけ言えそうなことは、

信頼の置ける有識者によれば、

いずれにせよ、人類とウィルスは<共存>せざるを得ない

存在だということです。

それでは今回はこのあたりで閉幕させて頂きますね。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

<最後に目の保養におまけしておきます>

IMGP1661   IMGP1658

IMGP1655 IMGP1660

IMGP1659

(以下の写真はすべて管理人撮影。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

その前にちょっとした<お願い事項>を申し上げますね。

これまで当書評ブログ記事内にて掲載させて頂いてきた各種写真類は

こちらから特に禁止のご指定<著作権保持主張>をさせて頂かない限りは

読者様の方でもご使用して頂いても構いません。

その際は『当書評記事からの転載』くらいは表示して頂けると

こちらもより良き写真撮影技法向上の励みにもなりますので助かり

有り難く思います。

『お問い合わせ欄』や『コメント欄』にまでご一報下されば

なおこのうえなく有り難く納受いたしますが、

こちらは特に強要いたしませんので

各自の『いいね!(笑)』で適宜ご判断下さいませ。

あとはすべて読者様の『ご良心』と『良識(社会常識)』に

委ねさせて頂きますね。

但し、個人情報お取り扱いの件もございますので、

もしも『掲載には差し支えある』という読者様がおられましたならば、

事前に<未承認>コメント表示でお願いします旨をお申し出頂ければ、

こちらも<承認/未承認>問題で悩まなくて済みますので

なお一層のこと助かります。

宜しくお願い申し上げます。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

今年3月下旬の連休中に訪れた伏見『長建寺』境内にある

『平和の象徴』<陽光桜>ほかの花見分です。

<陽光桜>については前にもご紹介させて頂いた書評記事

ご覧下さいませ。

『十石舟/三十石舟』や

『月桂冠大倉記念館』などはもちろん休業中。

夕方には八坂神社に参詣。

八坂神社は『悪疫病退散』で有名な神社でもありますから

相当な人出で賑わっていた状態でした。

管理人も懇ろにお祈りしておきました。

この日は京都泊まり。

いつもならば京都に1泊することなどあまりないのだけれど、

ちょうど京都のホテルも相当な値下げが始まっていた最中でしたし、

翌日も祝日で『弘法市』に当たっていた日でしたので宿泊。

このようなご時世だからあまり遅くまでの<はしご酒>も自粛。

とはいえ、飲食業界の現場の声を聴き、世間に伝えるための素材探しである

<フィールドワーク(街角経済ウォッチング)>を兼ねて

いつも親しくさせて頂いている『クラシック(音楽専門)』バーに。

この日は意外にも早い時間帯にはお客様も多かったそうで

マスター1人で切り盛りしている店なため多忙で断ることもあったそうです。

しかし、『来月<4月>以後はどうなるやら、どこもかしこも戦々恐々みたいやね。

一刻も早く営(休)業補償してくれないと誰も納得できひんような深刻な事態に

なるのと違うやろか・・・』

そのような感じでしたね。

早めに寝ます。

『免疫力』増強のためにも。)

IMGP1664 IMGP1665

(翌日朝食バイキングと朝風呂済ませてから速やかにチェックアウト。

本年は『子年』で<大黒天>様の年回り。

これ以上の景気冷え込みの影響で生活困窮者が増殖し続けないように

必死に『松ヶ崎大黒天』様へ祈願してきました。

境内は静か。

『嵐の前の静けさ』とはこのような世界なのでしょうか・・・。

<地獄か天国>なのかほんとよぉ~わかりませんなぁ。

参拝を済ませれば、『東寺』へ直行。)

IMGP1666   IMGP1663

(『弘法市』開催中に訪れた京都『東寺』境内に咲き薫る<陽光桜>ほかの

花見分です。この頃はまだ『緊急事態宣言』前でもあり、

京都も例年に比べて人出が少なくなってきていたとはいえ、

それなりの見物客で溢れていた頃合い。

この日は前々から予定していた『必要/急』な用事のために

奈良経由で帰阪することになったわけですが、

奈良は京都に比べて早期の感染予防態勢へとすでに突入していたために

人もまばらで閑散としていました。外国人の方は京都・奈良問わずに

大半がすでに帰国態勢に入っていたのか仕事などの関係で

滞日中の方のほかにはほとんど見当たらずの状態。

異国情緒も感受されず少し寂しい風景ですが、

今はいずこの国も緊張ムードだから致し方ありません。

いずれこの『コロナ禍』が終焉すれば、再会もできましょうから

内国人/外国人問わず今は皆で協調して乗り越えていきましょう。

『またの来日をお待ちしております。』

逆説的ですが、今が『非常時(有事)』になってしまったからこそ

『平和』や『日常』の<有り難さ>が身に染みるというものです。

<当たり前>ということがいかに『薄氷の上』にあり『砂上の楼閣』を

なしていたのかということもこんな時にしか実感できないところが

人間の悲しい『性(さが)』なのかもしれませんね。

このような時だからこそ内国人/外国人問わずに

互いに感染/被感染責任を擦り付け合って

排斥感情に突っ走らないことだけを切望します。

起こってしまったことは取り消せないわけですから、

ウィルス発生の原因追究やその拡散に対する責任追及はもちろんすべきですが、

感染拡大『渦中』においてはとにかくこれ以上犠牲者が増殖し続けないための

<抑止>態勢に『徹する』ほかありません。

『徹する』

何と強く<勇気=雄気>が満ち溢れて来そうな言葉でしょうか。

いにしえの優れた禅僧もそのように教えてくれています。)

IMGP1322  IMGP1323

IMGP1326

(こちらの写真は2年ほど前に撮影したものです。

滋賀県大津市坂本にある明智光秀公ゆかりの『西教寺』境内から

眺めた<琵琶の海>ですな。

比叡山にある『無動寺明王堂』から眺める琵琶湖も最高にして最幸ですが、

この御寺からの眺めも最強です。

<琵琶湖>を眺めていると、

管理人などは知る人ぞ知る

<関西プログレロックバンド>『WATER GARDEN』様が奏でる

美しい旋律と愛と勇気を与えてくれる歌詞が脳裏に響いてくるのです。

ちなみに<国産プログレロックバンド>『ALL IMAGES BLAZING』様も

超オススメですよ。

<米国プログレロックバンド>『DREAM THEATER』様による

大阪公演も現在『延期』中になってしもて残念やけど、

その分だけ『開演』された時の喜びも倍増するでしょうから

今はただひたすら『忍』あるのみか・・・。

すぐ付近には『鉄鼠の黶』<陰陽座>の舞台ともなった三井寺もある風情ある名所です。

『陰陽座』様には本年1月の大阪公演楽しませて頂きました。

ライブツアー最後の方では予期せぬトラブル続きもあったそうで

楽しみにしておられた地域や駆けつける予定でいらっしゃったファンの同志のことを

思い浮かべれば、誠にもって申し訳なく思い、

ひとり素直にはしゃぎ喜ぶのもつらい時期ですが、

また必ず復活(<不死鳥>のごとく)する時が来るでしょうから

その時はみんなで『歓喜の歌』(ベートーヴェン交響曲『第9番』のごとく)を

歌いましょうね。

そんな我が愛すべき『陰陽座』様も今は苦難の時期ですが、

私たちファンは『いついつまでも』待っていますが<合い言葉>ですので

十二分にご療養されますようお願い申し上げます。

『決してご無理をされてはなりませんよ。』

管理人も今は週末は臥して<=不要/不急の外出をなるべく控えて>

読書やご贔屓させて頂いている各バンド/アーティスト様の

過去のライブDVDやBlu-ray、只今大流行中の『ツイキャス』とやらを

楽しみながら応援させて頂いております。

最近は姪っ子たちが休校中なので

オススメ出来そう学習教育素材としての『ユーチューブ』動画を

探し続けるのももう1つの趣味となってしまっています。

何と便利な世の中になってしまったのか・・・。

『昭和の時代も遠く過ぎ去りにけり』ですな。

それでもちゃんと画面から熱い『波動砲!?』が伝わってくるのですね。

各アーティスト様も<無観客ライブ>で『ツイキャス』配信されるのが

初体験の方が多いようで戸惑いも隠せないようなのですが、

逆にその<初々しさ>というのもいい意味で笑えて元気をもらえているから、

ああした映像時空間もなんだか不思議ですね。

それでは皆さん、無事息災でありますように。

それぞれで責任をもった行動をしつつ、

この苦境を乗り越えていきましょう。

『家に<巣ごもり>中でも安心せずに(家族などと密着生活している場合は特に)、

定期的に換気するなど注意しましょう。』

『<コロナウィルス>に関する正しい情報を信頼出来る公的機関や

医療専門サイトなどから入手しましょう。』

最後に『絶対に真偽不明な不確かな情報に振り回されず、

心理的パニックに陥らないためにも行動する際には

常に<クロスチェック>確認しながら

ひとまず落ち着きを取り戻す習慣を身につけていきましょう。』

管理人もネット上に散在する情報よりも新聞のコロナ<特集記事>などを

丁寧に拾い読み、切り取りファイリングするなどして

出来るだけ正しく信頼出来る情報収集に日々努めています。

産経新聞朝刊で現在連載中の≪コロナに負けるな≫のような記事は

前向きにさせてくれて管理人も日々参考にさせて頂いております。

このように読者の皆様方におかれましても

それぞれの問題意識に応じてご自分なりの『コロナ防衛』対策する方法は

いくらでもありましょうから、研究してみて下さいね。

それと明るく生きていくコツとしては、自由に思考の翼を広げて

『コロナ禍』終息後に開拓創造されていくだろう

新たな近未来社会のあり方などに関する

<思考実験(シミュレーションゲーム)>をされてみるのも面白いでしょう。

最近話題になってきている『非接触型』社会とやらですが

これも善し悪しあるような・・・。

管理人などはこうした難問に挑戦取り組み中です。

『<接触>なき人間社会ってどないやねん。

今回のような<非常時(有事)>ならまだしも

<平時>においてすらそのような

<巣ごもり(超ひきこもり)>型社会になってしもたら

人間はどない生きていったらええっちゅうねん。』

『そんなんなったら人間同士の生身の付き合いも

ますます縮小されていって、子孫も繁栄することなく、

最果てには人類滅亡もあり得るんちゃうの・・・』などなど

ただ今そうした哲学的想像力を深めていっている途上です。

そうした独自に考案されたアイディアなどを

様々なメディアツールを通じて情報発信されていかれるのもいいでしょう。

うまくいけばちょっとしたお小遣い稼ぎにもなって

私的な休業(時短勤務)損害補償『保険』になるかもしれませんよ。

『社会全体が豊かになり、ひとりひとりにもその恩恵が行き渡ることで

<不死鳥>のごとく甦る』

そんな明るい社会像を想像しながらみなで乗り越えていきましょうね。

『道の道とすべきは恒の道にあらず』(老子)です。

是非に楽しいことを考えて生きていきましょう。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

<参考文献>

①『「大恐慌型」不況』

(侘美光彦著、講談社、1998年)

※大学生の頃に読んで、この『コロナ禍』大不況の行方が

不安になったので再読中の1冊。22年後の今も読ませますね。

故小室直樹博士のご著書の中で紹介されていて、

母校の図書館で借りながら必死になってノートテイキングしていたのも

今となっては青春の思い出の一コマですね。

あの頃は講義には出ず(クラスやゼミは楽しかったので出席率高かったけど、

大講義方式というのがどうしても苦手でとにかくおもろない!!わけですわ。)に

図書館こもってよう勉強してたな。

図書館ではだいたいがアルバイト(学習塾講師業)準備か

資格試験対策がほとんど。

バイト代は『成果』次第で好条件なんで

メチャクチャ気合い入っとったな。

『努力・根性・気合・信念』のお兄さんに

生きた<ポジティブ心理学>を今も学び続ける管理人。

とはいえ、おもろそうな本がないか物色したくなるばかりで、

休憩ばっかりであまり芳しく捗らずの状態続き。

『別冊 宝島』とか各種『雑誌』コーナーには特にお世話になったな。

あの情熱が今も残されており、

時代が「失われた○○年」のように活力(やる気)を殺がせるような

物理的・心理的環境でさえなければ・・・。

能力をもっと活かせただろうに・・・。と悔やまれども

『負けたらあかへんね』

『いつか捲土重来(ロスジェネの逆襲開始)』やと強く念じて

同志たちと踏ん張るしかあるまいな・・・。

②『歴史に観る日本の行く末~予言されていた現実!~』

(小室直樹著、青春出版社、1999年)

※いく冊もある管理人の<座右の書>の中でも

特段上位ランキングにある1冊。

現在の『崎門の学』

『身分や地位、財産状態、生活状況がどうであれ、

常住坐臥、<君国(祖国日本のこと)>を思え!!』

信用/信頼のおける真の『大人』がいなくなった現代日本において

本当の意味で『大人』になるとはいかなることなのかを

いつも呼び覚ましてくれる啓発書ですね。

『<啓発>といっても、

この本は今風、低俗な自己啓発書とちゃいまんねん

(関西弁=違いますよという意味)。』

安政の大獄で犠牲になった敬愛する幕末の志士である

橋本左内義士のように

『(幼)稚心を去れ!!』(『啓発録』)ということを呼び覚まし、

魂を<鼓舞>する1冊です。

国(次世代、世界、宇宙)の行く末を想う『同志』の皆さんには

是非ご一読下されたし。

昭和恐慌時と現在における政治家の官僚への指導力の比較という

評価に関してはともかくも、

指導力あっても正しい経済知識や経済観念がなければ

祖国と国民を見殺しにしかねない・・・ということも示唆してくれます。

指導者に緊張感なく国民と国家を軽視していけば、

その最果てには・・・。

それはそれは恐ろしい『狂気』の時代が甦るのだと・・・。

このようなことにならぬためにも

『即刻、国民救済のための継続的生活資金手当てを!!』

我々国民は決して『くれくれ乞食』精神で要求してんのとちゃいまっせ!!

③『経済学をめぐる巨匠たち』

(小室直樹著、ダイヤモンド社、2004年)

④『資本主義のための革新』

(小室直樹著、日経BP社、2000年)

※この2冊はありし日の博士の『面影』が思い浮かぶ

<経済(思想)ゼミナール>書です。

この『コロナ禍』を通じて日本型資本主義経済制度基盤も

抜本的に進化を遂げていくのでしょうか?

管理人には官民問わずの『緊縮』志向と資本主義のための

エトス(精神=取り組む姿勢や意識)が身に付かない限り

『ダメだこりゃ』になりそうな悪い予感が・・・。

民間に対する政府による後押し投資とともに

民間人による自発的創造開発意識が習慣化されるようにならないと

かなり厳しいようです。

今こそ『行動的禁欲』!!

また『遊び学び、祈り働く』が同期化した革新意識を

この苦境を通じて開花されていきませんと<暗黒啓蒙>と

<加速主義>の合作である『中華未来主義』とやらに

席巻されて圧死する悪い予感もします。

そうした悪夢(ナイトメア)から醒めるためには

次の1冊がオススメ。

⑤『表現者クライテリオン 2020年5月号』

※今回の特集は『我々は「新型コロナウイルス」と

どう「付き合って」いくべきか?』(宮沢孝幸×藤井聡氏との対談集)

『「中華未来主義」との対決~中国化する世界~』などなど

最近の論考文の中でもかなりの<読み応え>ある1冊と評価支持します。

対談者のお一人である與那覇潤氏の名著『中国化する日本』

前にもご紹介させて頂きましたので

<あらすじ>だけでも事前に知っておきたいという読者様には

こちらの記事もご一読下さると幸いでございます。

あと、『養老孟司』節も健在なり。

⑥『時代を先取りした男 橋本左内』

(福井テレビ取材班編 加来耕三監修、扶桑社、2019年)

※はじめて『橋本左内』義士の生き様や思想、現代に通じる視点などを

知りたい方向けの『入門書』です。

俳優の津田寛治様がナビゲートして下さいます。

⑦『関西 七福神めぐり ご利益コースガイド』

(ペンハウス著、メイツ出版、2012年)

※こんな時代だからこそ『苦しい時のご神仏頼み』も必要です。

ことにみなに幸せを呼び込む『七福神』巡りは

今は<自粛>やから外出を控えるべきやけど、

個人(『3密』集団ではなく)単位でのお参りやったら

『人間』さんは許してくれへんかもしれへんけど、

『神様/仏様』はそこまで<無慈悲>にてはおわすまいでしょう。

なんか『人間椅子』様の楽曲を聴いている気分になってきたわ。

⑧『志村流~当たり前のことが出来れば、仕事も人生も絶対に成功する~』

(志村けん著、三笠書房、2020年第2刷)

※管理人も子供の頃よりお世話になった敬愛する志村けんさんによる1冊。

地元図書館にはあったものの

長らく一般市場でも入手しづらく古本市場でも

あの件以来『高嶺(値)の花』だったところ

今月に『増刷』されて入手しやすくなったようですよ。

是非にオススメいたします。

あらためてご冥福をお祈り申し上げます。

『キャッシュレスは嫌いだ』

管理人も同感です。

昔から生一本筋の通った方だったことを

あらためて確認させて頂きました。

漏れ伝え聞くところによると、

『バカ殿』の創作秘話は、

『本当に偉い人(高く強い社会的立場にある人という意味)が

本当にバカだったらどうなんだ!?』ということを想像して

皮肉的に表現させた『喜劇』だったようです。

まぁ、お笑い『喜劇』であればずっこけて笑い転げることも出来ますが、

これが現実の政財界やマスコミ言論界、芸能界で起きれば

『ほんと、洒落にならない正真正銘の<悲劇>だよ!!』ということを

<霊界>から聞こえてくるのは管理人だけだろうか?

②の故小室博士の本でも伝授されますが、この志村けんさんの本でも

『人生で<失敗>した時にどう対処すればしのぎきることが出来るか』

『どのような姿勢を持てば人間的成長を果たせるか』を伝授して下さいます。

『勝てないまでも負けぬ戦をせよ。』とは

古来の兵法家も伝授してくれますが、

実際の<修羅場>でどのように立ち向かうかは

実践演習でしか身に付きません。

そんなこともあらためて確認させて下さる良書ですね。

管理人がなぜ『志村けん』さんにこんなにも強く惹きつけられたのかですが・・・。

それはこのたび亡くなった祖母は令和『元』年であり、

亡き祖父は昭和天皇陛下様がお亡くなりになり

改元された平成『元』年でもあったからです。

そしてその平成『元』年の年明けあたりで

『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』も<自粛>されたことがあったからですね。

そんなわけで現在の<自粛>ムードともついつい重なり合って

思い入れが深くあるというわけです。

また志村けんさんはもともとはミュージシャン志望から

『ザ・ドリフターズ』に加入されたとは

先だっての某追悼番組でも話題にされていたことです。

お笑いと音楽の融合。

管理人が大好きな『ウルフルズ』様も

デビュー当初は『コミックバンド』のように評価されていたそうで、

昔、トータス松本さんも悩んでいた??そうですが、

『別にこのようなジャンルがあってもいいんじゃないの』と

関西人の管理人ならば強く思うわけです。

『このような時期だからこそみんなもっと人生を楽しもう』という姿勢も

<自粛>せざるをえない要素や理由は濃厚にあるとはいえ、

『いつまで続く泥濘(ぬかるみ)ぞ』ということも

すべては『諸行無常』でいつか明るい方へと転じる時も必ず来るからです。

『どうかみなさん、歴史的長期感覚をもってそれぞれの余生を

精一杯謳歌して花を咲かせていこうじゃあ~りませんか♪♪』ということで

最後は<浪花節>になってしまい

このご時世には不謹慎ではありましょうが、

何事もいつも強調させて頂いてきましたように

『<逆説>に充ち満ちているのが人の世』ということで

ほんまにこのあたりで閉幕させて頂くことにいたします。

それではまた次回お会い致しましょう。

最後までお読み頂きありがとうございました。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

コメントを残す

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)

サブコンテンツ

このページの先頭へ